遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:遠野色彩考( 5 )

遠野色彩考(黄)

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遠野の人々が死ぬと魂は早池峰神社に集まり、その奥にある又一の滝で魂は清められ、早池峰の山を昇って行くと伝わる。その早池峰神社の境内には夏、ホタルが飛び交う。魂の集まる神社に、また魂と並び称されたホタルが飛び交うというのは、また神秘的な一致である。


和泉式部の歌がある…。

もの思ば沢のほたるもわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る

(思い悩んでいると、沢の近くを飛ぶ蛍の火も、
                    私の体から抜け出た魂ではないかと見るよ)



古来から、ホタルが光を放ち飛び交う様は魂の漂う様と思われてきた。その色は黄色…。「遠野物語」に黄色という色は、殆ど登場しない。ただし黄色は、黄金色と同じものでもある。

西洋の昔、ウェディングドレスは黄色だった。これは金を現し、永遠に輝くという意味を込めての黄色いドレスだった。また同じ意味合いで、中国でも皇帝を表す色は黄色。陰陽五行において、四方に広がる四神の中心に来るのは黄龍であり、その地の繁栄を示す。余談ではあるが、遠野を統治した阿曽沼が築いた横田城は、黄龍の位置にある。
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また中国から輸入された稲荷は、后土の神の使いとしてキツネが登場する。このキツネを表す色は黄色で、これは稲穂の実った黄金色を示す。すると、どうであろう?今まで「遠野物語」に登場しなかった黄色という色が「遠野物語」の中に、鮮やかに甦ってくる。そう、実は黄色という色は「遠野物語」に沢山登場しているのだ。その中心となるのがキツネである。

【狐と人魂】

昔は馬が死ぬと、馬の墓場にその馬を捨てたのだという。馬の墓場の事を遠野では卵場といい、やはり再生を意味していたようだ。その馬の卵場では、頻繁に人魂の目撃例があった。それは遠野郷全体に卵場があり、つまり遠野郷全体で人魂の目撃例が頻繁にあったそうだ。ところがその卵場に捨てられる馬の死体を狐が狙っており、馬の卵場は狐の餌場となっていたそうである。

昭和の初期の頃、ある人物が夜にその馬の卵場の側を通りかかった時、人魂が浮遊しながら自分の方に向かってくるのが見えたそうな。驚き立ち竦んでいると、人魂がだんだん近付いてくる。しかし良く見ると、狐が骨付きの馬の肉を咥えてこちらに走ってきたのがわかったそうだ。昔から骨には燐というものがあり、それが自然発火するものだと。実はその燐が自然発火して燃えている骨を咥えた狐が飛び交う人魂の正体であったのでは?と、その古老は語る…。
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写真は「遠野物語」にも登場する、平助ハッケのお稲荷様。

【稲荷社の怪

なんとか某という爺様が、日頃から庭に祀ってあるお稲荷様をずっと祀っていてもまったくご利益が無いと、ある日頭にきて燃やしてしまったのだと。するとその燃え盛る稲荷の社から、青白い玉が二つ、フワッと上空に登っていったそうな。

何か異変があるのかと思い、占いをしてもらったところ火に気をつけなさいと言われたそうな。しかしその爺様は、そんな事あるもんかと気にもしていなかったそうだが、ある日裏山にある杉の木の枝払いに行ったところ山火事に遭い、火も鎮火しかかった頃近所の人達が心配して見に行ったところ、その爺様は、木の枝にぶら下がるように死んでいたそうである…。



キツネと人魂、もしくは魂を表す記述の話を二つ紹介した。実はキツネというものは、人間と魂のやりとりをしている存在なのか?と考えてしまう。昔から、人が生きていく為に五穀豊穣を祈ったものだった。その恵みである筈の五穀豊穣の使いのキツネと人の騙し合いの話は多いが、これは大抵の場合笑い話として伝わったような気がする。実は、日本全国に伝わるあまたのキツネと人間の騙しあいの物語は、そのまま天候に左右される農民達が、いかに生きて知恵を絞って、黄金(黄色)という五穀豊穣を手に入れる為に作り出された物語だったのではないだろうか?
by dostoev | 2010-11-27 12:59 | 遠野色彩考 | Comments(0)

遠野色彩考(青)

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青は、儚い色。太陽に対する、月の色。もしくは、炎に対する水の色。また、生の赤い血の滾りの色に対して、血の気が無い病人、もしくは死者のイメージが付き纏う青色。常に、赤と対になっている色合い。実は「遠野物語」に青色という記述は少ない。しかし青色は…例えば青龍というように、水に伴い龍を意図している色だ。

また初めに青色を死者のイメージと書いた様に、現世とは違った色合いを示すのが青色だ。そしてこの「遠野物語」もまた、現世からかけ離れたイメージで、色としては青色のイメージに近い。つまり「遠野物語」は、青色というキヤンパスに、赤・白・黒という色合いが描かれている物語だと、自分は感じる。
by dostoev | 2010-11-27 12:49 | 遠野色彩考 | Comments(0)

遠野色彩考(黒)

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遠野の黒色を感じるのは、盆地のせいか日が昇るのが遅く、日が暮れるのが早い。つまり闇の時間が多い為に、その黒色という闇の色に長く接する事になる。闇の黒は、葬式などの白黒の幕から容易に連想できる。参列者が何故喪服で、遺体が何故白装束なのかは宗教的なものだ。参列者が白い服を着れば、死人は仲間、もしくは光だと勘違いし、成仏の妨げになるという。その為に参列者は喪服を纏うという。つまり闇の黒色は、死人でさえ不安にする色なのだろう。また日常接する生き物に、闇の黒色を現すカラスに沢山遭遇すると思う。

「明けがらす」という遠野銘菓があるが、これは上の写真の様に、夜明けと共に飛び交うカラスをイメージしたものだが、やは太陽の黒点という意識があるのだろうか…遠野市青笹町では、カラスを”オミサキサマ”と呼び、カラスに対し、年に一度餅をカラスが飛び交う上空に投げてやる風習が、かってはあった。実は、この青笹町には古くから伝わる熊野神社が存在し、この熊野神社を青笹の地に運び伝えたのは、九州は熊本から来た「菊池」という人物であったと。だからか、この熊野神社の在る集落の全てが菊池姓を名乗る。
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また「熊野神社」の別称は遠野において「カラス神社」と伝わるのは、ヤタノガラスの信仰が根付いている為なのだろう。天のヤチマタいた猿田彦が、神々を先導したという話。また、ヤタノガラスが神武天皇を導いた話。古来から、人々を導く指針となったのは、天体の太陽であり、月であり、星々だった。光を発する猿田彦は、どこか天体を意識せざるおえない。カラスもまた、世界中で太陽の黒点となった民話も多くある事から、やはり天体を意識してしまう。ちなみに猿田彦の居た八衢(ヤチマタ)は「星座で読み解く日本神話」では「昴」と。だから「オミサキサマ」と呼ばれたカラスは、岬・御崎などという突端・先頭をイメージしてしまい、人々を先導する意味合いを感じてしまう。

太陽信仰に加え、熊野信仰も含めて、その使者であるカラスを「オミサキサマ」として崇めたのは当然の結果か。しかし「遠野物語」には不吉な鳥としての存在にもなるカラスは、太陽の黒色と闇の黒色を有する、吉凶両極端な存在ではある。
by dostoev | 2010-11-27 12:17 | 遠野色彩考 | Comments(2)

遠野色彩考(白)

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白という感じの意味は広く、これを「皓」と「素」にわけてみる。「皓」は、自然界の雲や雪。さらに霜・水などから発想された、白い色らしい。皓月や皓雪というのは「白く光って明らか」という意味で光沢のある白と思えばいい。

そして「素」は、楮などの木の皮を川の流れや雪の上で晒して白くした素糸とか、素絹とか、本来の地の色の白く美しい表現に使うものとされるようだ。つまり素肌という表現は、本来白くて美しいものとなるのだが…「皓」「素」どちらにしろ、いずれも清潔、潔白、高貴、などのイメージがつきまとうものだと思う。
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そして民族学的に白色は、生と死を現す色である。死んだ時の死に装束とか、婚姻の時に纏う白無垢の花嫁衣裳。また産室の壁は、白であったという。「紫式部日記」に中宮彰子の出産に際して「白き御帳にうつらせ給ふ」と、白い産室に入った事が記せられている。また「増鏡」では、中宮佶子の出産の描写に…。


「その御けしきあれば、殿の内たちさはぐ。白き
      御装ひにあらためて、母屋に移らせ給ほど。」



この時代の産室とは実際、十二畳の座敷に北が上座であったそうだ。そして畳のへりには白布が使われ、襖、障子、などは全て白い紙で統一されていたという。元々白は浄化作用もあるので、新たなる生命が誕生する場合、白い壁に囲まれた部屋でお産するというのは当然だったらしい。また自然界でも、白い雪が大地を覆って浄化し、そして春が到来し、新たなる生命が宿るという図式がある。生と死の両方に白が登場するというのは、白という色に純粋さと神秘性を感じたのかもしれない。当然、自然の発する白色に影響されてだと思う。
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神には、慈愛と憤怒というものと、ご利益と祟りという二面性がある。実は色も、赤と白は神の色であると思う。赤考で、赤は炎や血であり、神が悪しきものを倒す憤怒に近いものだと書き込んだが、白は神のまた違った側面。慈愛とご利益であると思う。

白い獣を何故崇めるのかというと、神のご利益を期待してなのだと考える。だから白い獣は、犯すべからずただ崇めるのみなのだと。白雉元年(650年)の白い雉とは、やはりその年に白い雉が発見され、その年を祝う気持ちで付けられた年号であった。
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山に霧がかかるという表現は、黒雲が広がる表現の対比になっていると思う。黒の項で述べたように、黒雲は闇を現すが、白い霧は神がかり的だ。

「遠野物語」に登場するマヨヒガなどは、必ず白い霧が山中にかかるというもの。これは神が近寄ってきたものだと考えてよい。マヨヒガの話では、山中に立派な建物が現れるが、初めに登場するのは黒門だ。とにかく黒は闇を現し、黄泉の国という現世ではありえないものの表現の一つなのだろう。そこに導くのはやはり白い霧。白い霧で思い浮かべるのが、八咫烏の登場シーンだ。神武東征の際、タカミムスビによって神武天皇の元に遣わされ、霧によって視界が悪くなった熊野から大和への道案内をしたとされる三本足の鴉。カラスは、太陽の黒点としての意味もあるという。

また白色は、太陽の光としての意味もある。この日本神話での八咫烏の登場は、太陽そのものを現しているのだと思う。白い光に包まれるのと、白い霧に包まれるのは、太陽の光に包まれると同じもの。太陽が、神そのものであるなら、その光と色もまた太陽そのもの。朝日と夕日の太陽は赤いが、それ以外の太陽の色は白である。ここでも神としての太陽にも、二面性がある事がわかる。
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「遠野物語」において印象的なのは、白い馬だ。オシラサマにも登場する白い馬。また無尽和尚が雨乞いの時にも早池峰から白い馬に乗った女神が登場した。そして聖地トンノミにおいても、葦毛馬にまたがった貴婦人が登場している。

馬の最高位は龍であり、馬そのものは龍に繋がるものだ。その馬が葦毛の白ならば、これは神に仕える馬と思って良い。だからこそ、雨乞いの時に白い馬に乗った早池峰の女神が登場したものだと思う。白といえば、遠野にはマヨヒガで有名な白望山というのがある。この語源を、あれこれアイヌ語から見出そうとしている人が多いのだが、単純に白山信仰から命名された山なのではではないか?と、自分は思っている。

元々マヨヒガ伝説には、秦氏の影がチラつく。白山信仰にも、その影はあると云う。白山には菊理姫が祀られているが、実はその背景に瀬織津姫がいるという。瀬織津姫といえば、早池峰大神でもある。無尽和尚の話や、トンノミの話にも白馬に乗った女神に出てくるのも、瀬織津姫である。つまり神がかり的な白色が遠野で現れるのは、白山信仰の影響から、早池峰大神に繋がる白い獣や、マヨヒガに現れる白い霧などは全て、瀬織津姫に結ぶ付くものでは?と遠野的に考えてしまう。
by dostoev | 2010-11-27 11:58 | 遠野色彩考 | Comments(0)

遠野色彩考(赤)

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【早池峰山頂からの御来光】

自然界の中に赤色はいろいろあるが、朝日と夕日の鮮烈な赤は印象的だ。直接山に登って、御来光を拝んだ事のある人はわかると思うが、昔この御来光を拝んで神を見たというのは納得できる。雲が真紅に染まり、まるでマグマの滾りのよう。超自然の力を感じる太陽の赤は、まさに神の色だと思う。

ウルトラマンを考案した人物は、キリスト教に傾倒していたらしい。光の国からやってくる正義の使者は、赤い衣を身にまとう…これは、神の再現を現したものだと云う。この赤い衣に関しては「遠野物語拾遺235話」で、このような話もある…。

「赤い衣を着た僧侶が二人、大きな風船に乗って六角牛山の

        空を南に飛び過ぎるのを見た者があったということである。」



赤は炎を表し、また血の滾りをも現す色だ。不動明王に見られるように、炎はあらゆるものを燃やし尽くす。その殆どは、悪しきものをだ。だから炎の具現化は、悪と対比させられる正義の使者の色合いでもまたある。だから神仏系に赤色が使われていろのだと思う。
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写真は、小友町にある樹齢1200年の「千本桂」を撮影したもの。太陽光の悪戯で赤い螺旋状の光が写っており、まるで赤い蛇がとぐろを巻いている姿にも思える。「遠野物語」にもまた、刀が赤い蛇となって主人の下に帰ってくる話が紹介されているが、実体を離れて移動する色が赤という事は、霊的な意味合いも示すものだと思う。人魂には、赤い炎と青白い炎の2種類があるというイメージになっているが、赤は血のイメージもあるので、その人の魂をも彷彿させる色だと思う。

昔、産室での色は白を使用したものだが、疱瘡などの病にかかった場合は、赤い部屋に通して、そこで病の治療にあたったものだという。この場合の赤は、炎のイメージで悪しき病を燃え尽きさせてしまうものなのだと。実際、現代でこういう赤い部屋で過ごすと、血圧が上昇したり、体温が上がったり、呼吸や脈拍が速くなるのだという。つまり、人間の交感神経に作用し、エネルギー代謝を盛んにするのが赤色であるから、風邪などの代謝を促して治す病の場合は、赤色というのは有効なのだと思う。この赤色は、悪しきものを倒す神の憤怒の炎の象徴としての赤であるから、やはり霊的な色なのだと思う。
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また、遠野の河童は赤い色だ。これは赤子の赤に通じると書いたが、子供ってのは7歳まではまだ神の子として扱われる…。自分で何一つできないのは、人間にまだなりきっていない存在。それゆえに神に、まだその全てを委ねている存在だという事だ。ところが7歳過ぎると、人間となるから昔は食事の準備やら、下の幼子の面倒をみたりと辛い労働を課せられる。今では、考えられないが…。

河童でも座敷ワラシでも赤ら顔をしているというのは、もしかして同じものとも考えられるが、その前に完全に共通しているのは、赤ら顔の小さな子は、河童であり座敷ワラシでもあり、7歳までの小さな人間の子供でもある。つまり赤色はやはり、神の色だ。神の生命の証を色濃く反映させているのが、赤ら顔の者達なのだと…。
by dostoev | 2010-11-27 11:34 | 遠野色彩考 | Comments(0)