不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-:河童狛犬考
2010-11-20T12:09:44+09:00
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遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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河童狛犬考
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河童狛犬考
遠野市土淵町の常堅寺境内にある、頭の窪んでいる狛犬、俗称河童狛犬というものがある。取り敢えず、遠野の観光の名所にもなっていが、しかし茨城の浅間神社にも、やはり頭の窪んでいる狛犬があるのを知り、この頭の窪みは何の為?と思った。調べてみると、下記の神社に頭が窪んだ狛犬がある事がわかったが、探せばもった沢山あるに違いないだろうと思う。
* 「鎮西大社諏訪神社」(長崎県)
* 「若宮神社」(愛媛県)
* 「穴師座兵主神社」(奈良県)
* 「川越氷川神社」(埼玉県)
* 「一瓶塚稲荷神社」(栃木県)
* 「八幡神社」(埼玉県)
* 「浅間神社」(茨城県)
上記の神社の大半は、水神系を祀っているのが特徴だ。浅間神社であっても、木花開耶姫を祀っているので、やはり水神だ。
ところで、埼玉県の八幡神社狛犬の頭の窪みは、頭の窪みにロウソクをたて、夜の参道を照らしたという説もあるようだ。考えてみると、お百参りなどの深夜の参拝が盛んだった時代、もしかして?とも思ってしまう。狛犬の窪みにロウソクを立てたという説から、ロウソクに関して少し考えてみよう。ロウソクの基本的機能は、闇を照らす火としてのものだ。闇を照らす事によって、そこに蠢く悪霊を払ったり、その空間を浄化するものだとも云う。宗教的な儀式で考えれば、祭儀場を浄化し神仏や祖霊と交信する媒介としてロウソクがある。
またロウソクは命の象徴でもあり、人が死んだ時にロウソクを灯すのは、その人の霊魂を留めておくものだという。これは生きている人間にもいえるもので、ロウソクを灯すというのは、自分の全身全霊を賭して神に祈願するものなのだと。丑の刻参りなどで人を呪う場合に頭にロウソクを灯すのも、全身全霊を賭けて相手を呪うという意思の現われだ。現代となれば、ロウソクは非常用の灯りという意識しかもてないような気がする。では、狛犬が普及した江戸時代には、ロウソクに対する意識はどうだったのだろう?
現代と違って、丑の刻参りもかなり盛んな時代、ロウソクを灯す意識はかなり違ったものがあったのだと思う。実は、埼玉県の八幡神社の狛犬は文政6年作なのだという。遠野の狛犬の制作年代はわからないが、この八幡神社の文政6年という制作年代が、一つのキーワードになるかもしれない。
丑の刻参りが流行ったのも、江戸時代だ。元々陰陽道から伝わるものが、江戸時代に、その作法が完成されたのだという。考えてみると、国定忠治ヤクザ?な男が普及?したのも江戸時代だ。太平の世となり、国定忠治の育った群馬県は養蚕が盛んで、働くのは女で男は遊んでいた為、国定忠治みたいな男が増えたのだと云われる。色事を好む男が女を騙し、食い物にするという時代が江戸時代から発生したのだろう。なので怨みを持って死んだ女が祟るという怪談話の発生も、殆どが江戸時代だ。ところで水神系で思い出すのは、水子というものがある。
胎児も含めた小さな子どもに関係する死者儀礼は、江戸時代から昭和初期までは、女性が参加する地蔵講で密かに行われていたのだと云う。ただしこれは集団での死者儀礼で、実は個人として密かに供養していた事もあったのだと。
狛犬に雌雄はあるか?という話がある。しかし神獣の為、雌雄を超えた存在なので雌雄は無いという説もある。しかし、阿・吽と左右非対称でもあるのは事実だ。ただし阿・吽の狛犬をもしも雌雄とした場合は、もの(場所?)によって左右逆転する場合もあるそうだ。ただ大抵の場合、阿は向かって右側に位置し、吽は向かって左側だ。この向かっての左右の向きは、左の方が格上というのが常識だ。
中国の皇帝の玉座は必ず南に位置し、向かって左側を左大臣、向かって右側を右大臣としたのだという。これは左である東から太陽が昇り、右側の西へと太陽が沈むという太陽の運行から、左尊右卑の意識が日本にも伝わった為だと云う。これを陰陽に当てはめると、左は男性で右は女性なのだという。実は、埼玉県加須市睦町の八幡神社にある頭の窪みがある狛犬は、向かって右側の阿を現す狛犬だけで、左側の吽の狛犬には窪みが無い。これは、どう意図があるのだろう?と考えてみる。それとはまた別に、俗に云う「末期の水」の由来となる話を紹介しようと思う。
末期を悟られた仏陀は弟子の阿難に命じて、口が乾いたので
水を持ってきて欲しいと頼んだ。しかし阿難は、河の上流で
多くの車が通過して、水が濁って汚れているので我慢して下
さいと言ったという。
しかし仏陀は口の乾きが我慢できず、三度阿難にお願いをし
た。そして『拘孫河はここから遠くない、清く冷たいので飲
みたい。またそこの水を浴びたい』とも言ったのだと。
その時、雪山に住む鬼神で仏道に篤い者が、鉢に浄水を酌み、
これを仏陀に捧げられた」と云う。
これ↑が「末期の水」の由来なのだが、死に行く、もしくは死者の喉の渇きを潤す為に、常に雨水などの水を溜める事が出来るように…という考えから、狛犬の頭の窪みが出来たと考えれば…。遠野の常堅寺の境内にあるカッパ狛犬は、十王堂の前に立っている。この十王堂の中を見ると、子供の遺品などが置かれているのがわかる。つまり、死んだ子供達を供養する為のお堂…もしくは、生前の罪を裁く十王堂である。つまり、親より早く死ぬ子は罪深いという事から、子供の罪を裁く十王堂だとな
れば、その死んだ子供達の喉の乾きを癒す為に「末期の水」として永遠に”水を供える”為として、頭の窪んだ狛犬を置いたという可能性も否定できないのかも。ただし、全国にある頭の窪んだ狛犬が全てそうなのだとは、まだ言い切れない。
ところで、埼玉県の八幡神社の狛犬が文政時代作なのだという。この年は、天明の飢饉の後であり、天保の飢饉の前の年だ。まあ天保の飢饉は置いといて、まだ天明の飢饉の名残がある時代だったろう。その飢饉で死んでいった人々を供養する為、いろいろな石塔・石碑が作られたとも聞いている。そんな飢饉の名残のある文政という年代には、もしかして飢饉に関する供養するという意識が汲み込まれて、狛犬を作ったとも考えられる。
…狛犬の阿吽の阿が陰である女性を現し、また飢饉の供養の為にと末期の水という意識から、常に雨水を溜めるという考えから狛犬の窪みが出来たのだと考えれば、遠野の河童狛犬は、子供の供養の為とも取れるが、まだまだ全国の狛犬を考えてみない事には…取り敢えず、結論は先送りである。
狛犬には、雌雄があるか?という考えには定まった答えは無いようだ。ただ、左右まとめて一つがいと考えれば、雌雄があるのでは?という事だが、阿・吽の両方が雄であり雌である場合があるので、その答えは未だなんとも…。ただ山門に仁王像が左右にあるように、狛犬も門番と考えれば、その
性は雄であっても、雌であってもいいのだろうと思う。
例えば、お稲荷さんの狐は雄ですか?雌ですか?という質問が愚問のように狛犬に対しても雌雄を定めるのもまた愚問なのかもしれない。何故なら神獣と考えるならば、性差は関係無くなるからだ。外国人が日本人に対して感じている事に、よく人の年齢を聞くというものがある。外国人にとっては歳を聞くなんて余計なお節介ととられる向きがある。しかし日本人の場合、相手の年齢を知って接する態度を決める向きがあるので、どうしても他人の年齢には興味があるという。
ところが外国人の感覚には、日本人みたいな極端な年齢尊重は無い。ところが性差と年齢を気にし過ぎるのが日本人気質なので、必死に狛犬の雌雄を考えるのかもしれない。西欧にはアンドロギュヌス(男女両性具有)という神話の存在があり、性差を超えたところに神を超越するものがあると意識されていた。実は、日本にもアンドロギュヌス的なものはあり、親鸞の夢の中に観音が現れ女身に変化し、親鸞と交わった後、親鸞は悟りを開いたのだという。
観音にも実は性別は無い。その為、女身に変化する観音は、男であり女でもあったのだと思う。観音もまた、性差を超え、人間を超越した存在なので、アンドロギュヌスと同じ存在だと考えてもいいのだろう。
狛犬は、もともとペルシア文化から流れてきたものだという。その原点はライオンからの発生なのたと。しかし日本に流れ着き定着し、そこで神獣と生まれ変わったのだとしたら、その時すでに性差を超越したのかもしれない。なのでやはり、雌雄を判断するというのは愚問なのかも…。頭の窪んだ狛犬のある神社の殆どが、水神系の神社ではあるが、埼玉県加須市睦町の八幡神社だけは応神天皇を祀っていて、この神社だけは水に関係無いのか?と調べてみた。
八幡神社は、全国で稲荷神社に続いて2番目に多い神社でもある。しかし元々は違う神社であったのが、後で八幡神社と合祀させられ、いつの間にか以前の神々が外され、八幡神社だけになったという神社がいくつかあったみたいだ。例えば、下田若宮八幡神社という神社があるが、元々は水神であ
る国津神を祀っていた筈が、いつの間にか応神天皇を祀る八幡神社にとって変わったという。
埼玉県といえば、利根川が流れ、暴れ川と呼ばれた綾瀬川などがあり、野菜の産地として有名な平野部の為か、水害の歴史もまた多かった。例えば春日部市には以前、雷電神社という、やはり水神を祀った神社が3つもあったが、新興住宅地化し、いつの間にか神社も追いやられてしまったいる。近代の護岸工事か盛んとなり、いつしか人々を飲み込んでいった暴れ川は押さえられ洪水の心配が無くなった為に、水神の社は廃れ、別の神社に合祀され、見る影も無くなったのだと云う。
埼玉県加須市睦町には利根川が流れている。その睦町の八幡神社の祭祀には形代流しが行われているという。当然、その形代を流すのは利根川だ。形代流しは、簡単に言うと川を使っての穢れ払いの行事だ。当然、水神との関わりが出てくる筈なので、この八幡神社も、他に水神系の神を祀っていた公算が強いと思われる。こうなれば、頭の窪んだ狛犬は水神の神を祀った神社に設置されていたものと考えるしかないのかもしれない。
ただし頭の窪みを、単純に河童の頭と捉えるのではなく、やはり水を溜める為だったのか、それともロウソクを灯す台としての役割だったのかという事になるのだと思う。または、その両方か?ただ気になるのは、埼玉県加須市睦町の八幡神社には、阿の狛犬にだけ窪みがあるという事。また左の狛犬吽は、頭に宝珠(ギボシ)を乗せている。一角とギボシの対の狛犬は多いが、窪みとギボシの対の狛犬とは?
狛犬を作る時、頭の上に角や宝珠を載せて彫ると小さくなるので角や宝珠を後付けにする為に窪みをつけておくという技法があるという。窪みを付けておくので、修繕などもしやすいとの事。狛犬の製作過程に、上記の技法があるという事は、俗に云う河童狛犬は、まさに宝珠(ギボシ)や角が取れたものと想像させられる。ただこれに伴い確認したいのは、宝珠や角の付いた狛犬から外せば、全て窪みがあるのかどうか?この製作技法が流行った年代と、それがいつまで続けられたのかがわかり、また遠野の河童狛犬とされるものの制作年代を照らし合わせれば、ある程度答えは出るものとは思うが…。
つまり遠野の河童狛犬とされるものは、阿・吽のどちらの狛犬も本来はどちらにも宝珠、もしくは角があって、いつの間にか外れてしまい、両狛犬共に現在は窪みだけの状態となっているのだろうか?]]>
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