遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:遠野小学校松川姫の怪( 3 )

松川姫の恐怖

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蛇体となった松川姫が、後々も祟りを成す存在であったのは、やはり竜蛇神信仰に根付くものだと考える。岩手県だけでは無いが、広く全国には蛇に対する恐れの伝説が広がっている。それは神社だけではなく寺社においても、大蛇退治、大蛇調伏の由緒が伝えられる寺のなんと多い事か。それもひとえに、蛇の属性によるものであろう。

「遠野物語拾遺30」「おせんヶ淵」の伝説が紹介されている。おせんは山に通って蛇体になったのだが、我が子をも食べてしまいそうになってしまう。子供を置いて一人で山に籠ったおせんだったが、それから二十日後に大雨による洪水が起きた。その洪水の大水に乗って蛇体となったおせんは一旦、元の姿に戻ったが再び水の底に沈んだという記述などから、蛇は山に棲んでおり、水を自在に操る存在であると信じられているようだ。また我が子をも食べてしまうそうになるという事から、人間の感情は一切無く、人間に害をなす存在であると認識されていたようだ。岩手県の伝説を調べても、人間を呑み込み食べる話は、かなり存在する。
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例えば岩手県花泉町の大蛇の話には、退治した大蛇の祟りにより死んだ人々が恐れをなし、岩代国である現在の福島県の滝野神社から滝神である蛇王権現を分霊して祀った。画像は、欠上稲荷の境内に置かれている蛇王権現の石碑となるが、岩手県に広まった蛇王権現は本来、福島県の滝野神社からであったようだ。
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滝は水の流れ落ちる姿を、蛇とも竜とも見立てた。そしてその滝の発生している場所とは、殆ど山の中となる。
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山に通ったおせんが蛇体になったのも、山の霊力の影響を受けたからと捉えて良いのだろう。山トイウモノは、樹木が発生し、獣が発生し、水も発生する。そして雨を呼び込む雲も発生するのだ。水や滝などが蛇に見立てられる他に、異形となった古木なども蛇に見立てられていた。そして雲も雨を降らす竜と見立てられる。つまり山とは、蛇もしくは竜の棲家と考えて良いだろう。空海の雨乞いの儀礼の挿絵に見えるのは竜では無く蛇の姿であったのも、元々蛇も竜も同じものとして認識されていたのだろう。それ故に「龍蛇神」という表現がある。
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その自然の力を内包する蛇という存在を、人々は恐れたのだろう。松川姫が蛇体となった瞬間、そこには人間の姫では無く、人を超越した祟りを成す神に等しい存在となった為、それを恐れた人々は弁財天と共に祀り、祟りを抑制しようとした。松川の女護沼は、山の奥に存在する沼だ。松尾村の平舘における川の主の祟りも、川の水の発生が山である事から、松川姫が飛び込んだ女護沼も、川主の大元である水源の為であったのはつまり、山の神の祟りを受け、魅入られた姫が人身御供として飛び込んだのではなかったか。

山形村に伝わる「八郎太郎」では、川の水と一緒に赤い魚を飲み込み、蛇体になり、そして龍に変わってしまった。また「遠野物語拾遺124」では、赤い魚を捕り神の祟りを受けたとある。また遠野市上郷町の傘森山の麓に沼の御前を祀る神域があるが、この神域で捕った魚を食べた為に祟りが起きたという話も伝わっている。川の主の大抵は神域に棲むもの。しかし、その川の水は山から発生し、流れて来ているのだ。山に龍宮の入り口がある話は、全国に見受けられるが、それはつまり、古くから山には竜神が棲むと信じられていたからだ。
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女護沼は、岩手山の山懐にある沼である。南部の守護の山としても岩手山は存在した。また、遠野においては松崎沼に松川姫は飛び込んだとされるが、その松崎沼の跡には沼の御前が祀られている。その伝承は、荒屋の沼と繋がっているとされ、その荒屋にもまた沼の御前が祀られている。その沼の御前の祠は早池峰山に向けられて建てられている事も踏まえ、遠野の沼の御前の伝承を調べてみても、早池峰山に結びつく。早池峰山は岩手山と並び、岩手三山の一つとなり、また南部氏の守護三山にもなる。つまり南部氏は、女護沼であろうと、松崎沼であろうと、松川姫が飛び込んだのは守護する山の祟りだと捉え、抵抗する術は無く、すんなり受け入れる他は無かったのであろう。恐らく松川姫が遠野に移り住んだのは、田舎での療養も含め、守護山であり水神の祀る早池峰の山の麓で、早池峰山に対しての祈りによる回復を期待したものでは無かっただろうか…。
by dostoev | 2012-08-27 22:36 | 遠野小学校松川姫の怪 | Comments(0)

松川姫の怪(女護沼)

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遠野藩主でもあった南部弥六郎の上屋敷は、盛岡にあった。ある時、奥方
同伴で平舘に遊び、土地の者の勧めで赤川の替鞍淵でヤス使いの名手を
呼んで川狩りを楽しんでいたのだと云う。

その時、遠野では見た事も無い大きな鰻が捕れたので、殿様は大喜びで
「直ぐ料理して食膳に上げよ。」と命令し、奥方と二人で賞味したのだと。
実はこの鰻は女護沼の主であったそうな…。

丁度その折、奥方は身篭っておられたが、やがて月満ちて一人の姫を産
んだのだと。しかしその生まれた姫の顔には、ヤスで突いた様な痕跡と顔
一面に斑なソバカスが広がっており、見るも憐れな顔であったのだという。
しかし、夫婦は沼の主の祟りとはつゆ知らず、不憫な姫と思いながら慈しみ
育てたのだという。

そのうちに姫も17歳になった。花も恥らう頃とは言え、顔の傷は消える事も
無く、いろいろ手を尽くしても、その効果は無かったという。そんな時、松川
温泉の湯が効くと勧める者がいたので、藁をもすがる思いで、殿様夫婦は
姫を湯治に赴かせたのだと。

姫の籠が松川の女護沼側に差し掛かった時…。

「ああ、良い気分じゃ。暫く景色を眺める故、籠を止めよ。」

付き人が籠の戸を開けると、姫は忽ち蛇体となったと。

「我が母の胎内に在りし時、替鞍淵の主である斑鰻を父母が捕らえて食し
たる 因果により、世にもあるまじき面貌となる。我は今より、この主無き沼
の主と なろう。」

と言い残し、姫は忽ち沼の水中に消えていったのだという…。

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女護沼は、現在「御護沼」と呼ばれ、松楓荘の手前にあり、自然の沼と云うより、松楓荘の庭の池の様に感じた。沼の背後は、木々が生い茂っているが手前は開けており、明るい陽射しが差し込み、陰鬱な沼というイメージがあったが、実際は明るい綺麗な沼であった。松川姫が「ああ、良い気分じゃ。暫く景色を眺める故、籠を止めよ。」と言ったのが理解できるような、沼の風情である。
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しかしだ…現在は舗装道路が延び、この女護沼は、かなりの奥ではあるが、行き易くなっている。それが江戸時代となると、道は獣道のようなところを通り、この奥なる奥の沼まで籠を担いで来たのだろうか?
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沼の深さは、然程深くは感じなかった。松川姫が飛び込んだとしても、お付の者がすぐに助けられる深さであろうが、松川姫は籠から出た時には既に蛇体になっていたという。するすると水を這うように泳いで行かれたら、誰も手出しはできなかったのだろう。
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沼の周囲には、かなりの巨木があり、この地の歴史の深さを感じさせてくれる。いや歴史というより、かなり古くから未開の地であったのだろう。
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かなりの数のトンボが産卵の為に、この沼の上を飛び交っていたが、恐らく今も昔も、この光景は変わってはいないのだろう。
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「日本の伝説42(岩手の伝説)」に、やはりこの女護沼の伝説が紹介されている。大まかなあらすじは同じなので割愛するが、他に遠野での伝承にも触れていたので紹介したい。

一方、遠野の南部家では8月13日になると、奥座敷に膳部を供えたうえ、家人の出入りを禁ずる。そこへ蛇体となった姫が現われて1年間の無沙汰を謝するという。姫は、その奥座敷に訪れた印として、鱗の一片を残して去るのだそうだ。また松尾の松川では、沼の主が留守するので、この日必ず暴風雨が起こるという言い伝えもある。

南部弥六郎は遠野に住んでいたわけでは無く、盛岡に屋敷を持ち、特別な行事の時に、遠野入りしていたという。つまり、家族も…また伝説の主人公である松川姫もそれに倣って遠野入りしていたのだろうか?ここに伝説の交錯がみえる。事実として松川姫が入水したのであれば、その話が末端まで広がったとすると、その入水した沼であれ池であれ、それが松川の女護沼ではなく、遠野の池や沼となったのは理解できる事である。何故ならば、松川姫自体が頻繁に遠野入りしていたのであろうからだ。病気の療養という名目は、今も昔も"田舎"でこそ行われる。記録には残っていないが恐らく、松川姫は病気の療養として、頻繁に遠野入りしていたのではなかろうか。もしくは、病気となってから遠野に移り住んだ。だからこそ入水したという箇所が「遠野物語31話」の最後に「ただし同じ松川姫の入水したという沼は他にも二、三か所もあるようである。」と伝えられるのだと考える。
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また南部弥六郎が遠野と盛岡を行き来していたのも、執政の理由もあったのだろうが、娘に会いに来るという名目もあったのかもしれない。確かに松川姫の松川は、松川温泉の松川からきているのだろう。ただここでの疑問は、もしも姫が本当に、この女護沼に身を投げたとしても、何故にその遺骸を埋葬した伝承が遠野にしか残っていないかである。

松川姫が蛇体になったとしても、それならば、この女護沼に、神として祀ったであろう。しかし女護沼には、その形跡がない。遺骸になったとしても、大抵は盛岡の菩提寺に埋葬する筈だ。遠野側の伝承が松川の女護沼の伝説に比べて妙にリアルなのはやはり、松川姫が遠野に住んでいたからではなかろうか。松川姫が蛇体となったという伝承の事件は、松尾村の平舘であり松川の女護沼であろうが、後の死ぬまでの間を過ごしたのが遠野であれば、この「松川姫の怪」の伝説が遠野に強く残っている理由は納得するのである。
by dostoev | 2012-08-27 06:52 | 遠野小学校松川姫の怪 | Comments(0)

松川姫の怪

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前にいう松崎沼の傍らには大きな石があった。その石の上へ
時々女が現れ、また沼の中では機を織るひの音がしたという
話であるが、今はどうかしらぬ。

元禄頃のことらしくいうが、時の殿様に松川姫という美しい
姫君があった。年頃になってから軽い咳の出る病気で、とか
くふさいでばかりいられたが、ある時突然とこの沼を見に行
きたいと言われる。家来や侍女らが幾ら止めても聴入れずに、
駕籠に乗ってこの沼の岸に来て、笑みを含みつつ立って見て
おられたが、いきなり水の中に沈んでしまった。

そうして駕籠の中には蛇の鱗を残して行ったとも物語られる。
ただし同じ松川姫の入水したという沼は他にも二、三か所も
あるようである。

                 「遠野物語拾遺31話(松川姫)」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
松川姫を調べてみると、遠野を統治した南部氏26代目の殿様の娘に”トリ”という姫がおり、どうもこの姫が松川姫らしい。このトリという姫は松川という地で川に飛び込んで死んだのだそうだ。それから松川姫と呼ばれるようになったのだと。

しかし、その松川姫の死後、城中で怪事が頻繁に起こる為、東禅寺後の庭池の中島に、祀ってある弁才天と松川姫を合祀し、松川神社として祀ったところ、怪時はピタリとやんだそうな。
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しかし時代が流れ、大正11年に庭の池があった場所は埋め立てられ、高等女学院の敷地となって工事が進められていた。その工事中にまるで平将門の怨霊伝説のように頻繁に不可解な事故が相次いだ為、古い伝説にのっとり池を作りその傍に松川姫の祠を作り祀ったところ、やはり南部時代の怪時と同じように事故はピタリと止まったそうである。

写真は遠野実科高等女学院の上棟式(大正11年9月5日)敷地は旧遠野南部家祈願所のあった三ヶ寺(東禅寺・妙泉寺・善応寺)昭和42年前後までは、現遠野東小学校の建物は木造校舎であった。当時、中庭に池があり、そこに封印?された石があったという。 その石は、その松川姫の霊を慰める為にか、そこに置かれたものであった。

その木造校舎時代、当時の小学校の校長は宿直で校内を見回りしている最中、何度となく煌びやかな衣装を纏ったお姫様の姿を目撃したものだと伝える。それは多分、池で死んでしまった松川姫が、この世を名残んで現れたものだと。しかし、2度にわたる不審火により、小学校は燃えてしまい新たに鉄筋コンクリートの校舎に変わり、池も埋め立てられ、封印されていた石の所在もわからなくなったと伝えられる。それが、現在の遠野小学校である…。
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【大正時代の新聞切り抜き(遠野特信)】


嘗て本紙上に於松川姫と題し遠野高等女學校の建築敷地たる遠野字東郊欠の下なる東善寺址には往時の領主南部彌六郎家の息女を弁財天に配して崇祀せし叢祠を存し五月十五日の例祭には厳粛なる儀式を行ひ来り以って士民迎福避〇の信仰の對象に取られ維新の際にまで及びし由来を記したりき爾来東善寺の廃絶と共に松川姫の叢祠も所在を失し由緒ある儀式も聞くなきに至りしこと五十余年に及びしが元同祠の創始は正徳三年時の名僧宥眞法印の代にありて宛かも本年滿二百十年にあたれるにぞ遠野女學校建築工事請負人西〇伊之助氏は将来此地が女子教育の淵源となりて幾多の良妻賢母を生み出さんとする矢先、而も其位置が女性の佛化せられし松川姫叢祠の所在遺址に係れること必ず深き幽契的
の因縁あるべく且叉近年唱道せらるる史蹟保存の意義よりすらも此際奮時行はれたる松川姫の由緒を忘れざらむしること尤も必要なりとて目下の多〇中に拘らず殊に部下に命じてそれぞれ専門の人々に就きて奮史故実を取り調べ去る五日同校舎上棟式學行の期を卜し學式に先立ちて該敷地内の一方に斎場を設け荘厳なる松川姫の追善祭を執行せり及ち同日午前九時神職出口小作菊池萬睦二氏を請ひ神式を以って修祭せしが其部下の職工人夫は勿論町内の官民有志をも招待し参列者百余名に上り皆々既往を追譲して今昔の感を深くせりといふ近来史跡保存の流行に伴ひ而も立標記識の方法に重きを置かるゝのみにて此種形而上的の徹底には兎角の陥決あり、加之其多くの工事請負者は殆と利己の一点に囚はれてあらゆる史跡を破壊し去りて省みず甚だしきは土木の官吏すら往々此幣に陥るを免れざる今日、西村氏の此の一挙其篤志の程以て他の後範例として大に多〇すべきなり。



*(注) 〇文字は判読不能
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阿弥陀ヲ祀っているこのお堂は、棟札も無いので本当の由来は不明だが、古老の口伝によれば、南部のお姫様を祀ったお堂であると。そしてその奥には墓石があるが、昔一旦ここに埋葬された後に、掘り返されて移転したのだとされる。そのお姫様とはトリ姫と言い、松川に身を投げて死んだ事から松川姫と呼ばれている…。

遠野藩主でもあった南部弥六郎の上屋敷は、盛岡にあった。ある時、奥方
同伴で平舘に遊び、土地の者の勧めで赤川の替鞍淵でヤス使いの名手を
呼んで川狩りを楽しんでいたのだと云う。

その時、遠野では見た事も無い大きな鰻が捕れたので、殿様は大喜びで
「直ぐ料理して食膳に上げよ。」と命令し、奥方と二人で賞味したのだと。
実はこの鰻は女護沼の主であったそうな…。

丁度その折、奥方は身篭っておられたが、やがて月満ちて一人の姫を産
んだのだと。しかしその生まれた姫の顔には、ヤスで突いた様な痕跡と顔
一面に斑なソバカスが広がっており、見るも憐れな顔であったのだという。
しかし、夫婦は沼の主の祟りとはつゆ知らず、不憫な姫と思いながら慈しみ
育てたのだという。

そのうちに姫も17歳になった。花も恥らう頃とは言え、顔の傷は消える事も
無く、いろいろ手を尽くしても、その効果は無かったという。そんな時、松川
温泉の湯が効くと勧める者がいたので、藁をもすがる思いで、殿様夫婦は
姫を湯治に赴かせたのだと。

姫の籠が松川の女護沼側に差し掛かった時…。

「ああ、良い気分じゃ。暫く景色を眺める故、籠を止めよ。」

付き人が籠の戸を開けると、姫は忽ち蛇体となったと。

「我が母の胎内に在りし時、替鞍淵の主である斑鰻を父母が捕らえて食し
たる 因果により、世にもあるまじき面貌となる。我は今より、この主無き沼
の主と なろう。」

と言い残し、姫は忽ち沼の水中に消えていったのだという…。

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この物語は以上だが、このトリ姫は実際に身を投げて死んだが、遺骸は遠野に移され、最終的に領主の帰依していた大日下の東善寺に葬られたのだと云う。この物語が正しければ「遠野物語拾遺31話」で語られる松崎沼での話は、混同から生まれたものであろうか?jまた、ある意味どちらにも物語が広まっているというのは、沼に身投げという事件は事実であった可能性はある。平安末期の末法思想から、水中入定が広まった。我が身の不幸を嘆き呪う者は、生まれ変わりを期待し、入水した者の数は計り知れないという。松川姫もまた、その中の一人であったのかもしれない。
by dostoev | 2010-11-28 19:53 | 遠野小学校松川姫の怪 | Comments(0)