遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」270話~( 8 )

「遠野物語拾遺270(魂の器)」

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盆の十三日の夕方、新仏のある家では墓場へ瓢箪を持って行っておく。それは新仏はその年の盆には家に還ることを許されず、墓場で留守番をしていなければならぬので、こうして瓢箪を代りに置いて来て迎えて来るというわけである。土地によっては夕顔を持って行く処もあるという。

                                                    「遠野物語拾遺270」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以前にも書いた様に、瓢箪は魂の器でもあった。前方後円墳は、その瓢箪を半分にした形であるとされている。人が死んだら、墓地に埋葬する。それが魂の依代である器でもあるのだが、その朽ちた器から魂は抜け出して、天へと昇って行く。遠野だけでは無いが、天とは高い山を示す場合が多い。遠野では、早池峯山や六角牛山の頂手前に、賽の河原がある。また貞任山や耳切山には、地獄山と呼ばれる場所があり、死んだ人の魂が集まる場所とされている。その魂も肉体という依代が朽ちたものの、一年に一度はその生まれた家に帰って来るのだが、1年目の魂はそれを許されないしきたりがあるというのは、あの世にも現世の様な決まり事があるという人間の想像によるものだろう。つまり、肉体が朽ちても魂は、新たな世で生きていると信じられたという事。

この瓢箪を持って行って置くという事は、恐らく分霊を意味するのでは無かろうか。墓場の留守番をする霊の代わりとなるのが瓢箪であるなら、家に帰る霊と同等のモノが瓢箪に入っているのだと。つまり、新仏の霊が分霊されたと理解できる。
f0075075_14113716.jpg

画像は夕顔だが、遠野では「ゆあご」と発音する。瓢箪の仲間である事から、瓢箪の代わりにもなる。ところで新仏(あらぼとけ)とは、死後初めての盆に供養される死者の霊であり、新精霊(あらしょうりょう)とも新霊(あらみたま)とも云うのだが、遠野では「あたらしほとけ」と言う。
by dostoev | 2015-06-05 14:23 | 「遠野物語拾遺考」270話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺277(七草の唱え)」

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正月は三日が初不祥の悪日であるから、年始、礼参りなどは一日二日で止め、この日は何もしないでいる。そのほかの正月の行事、または七草などの仕方は、他の地方とあまり変らない。七草を叩く時に唱えごとは、

どんどの虎と、いなかの虎と、渡らぬさきに、なに草はたく。

というのであった。

                                                   「遠野物語拾遺277」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
三日が初不祥の日と云うのは本当の様で、三日の昨日、店を開けて仕事したら、腰が痛くなってしまった…。

ところで「注釈遠野物語拾遺 下」によれば、「どんどの虎」とは「唐土の虎」を意味しているという。資料として遠野の各町村史を引き合いに出しているが、「とうど」としているのは土淵と附馬牛で、それ以外は「どんど」「とんど」であるようだ。また、甲子や田野畑村では「虎」ではなく「鳥」となっているようで「唐土の鳥」となっているよう。そして他地方も含めれば「鳥」が一般的であり、遠野地方だけが「虎」となっているのは何故だろうと疑問を呈している。

また別の疑問もわくのだが、「唐土」を「とうど」と発音するのではなく「もろこし」が一般的ではなかろうか?「注釈遠野物語拾遺」では「どんど」は、七草を叩く時のリズムを表す擬声音にもなっていると紹介しているが、それならば物を叩く「ドンドン」が最初で、「とうど」「とんど」は後付けとなるのではなかろうか?

確かに調べると、江戸時代には七草を包丁でとんとんと叩いて調理する時「草なずな 唐土の鳥と 日本の鳥と 渡らぬ先に」という歌を歌っているようだ。正確には、まな板の上でトントンと調子よく七草を刻むのを「七種囃子(ななくさはやし)」と呼び、包丁の背やすりこ木でドンドンと叩く場合は「薺打つ(なずなうつ)」もしくは「七草打(ななくさうち)」と云うようだ。となれば「遠野物語拾遺277」のは「七草打」なのだろう。この「七草打」は、炊き立ての白粥に叩いた七草を散らすと、七草の香りがほんのり立ち上り、それは若菜の息吹で、万病から逃れられるとされると伝わる。つまり正月に汲む若水の植物バージョンが七草打なのだろう。若水は邪気を祓うとされるが、七草打も万病除けである事から邪気祓いとなる。その特徴が叩く事によって、その七草の香りが立ち上がり、それを息吹と捉えている事だろうか。

沿岸で虎舞が盛んなのは、虎が風を司るものであるから帆船時代に風が吹いて豊漁であるようにと願い、虎舞が舞われた。虎の代用として猫がいるのだが、九州や北陸では、猫が風を起こすと信じられたのは、やはり虎と結び付いているからだろう。息吹は呼吸であり風でもある。素戔男尊がその息吹で宗像三女神を誕生させたように、神の息吹には新たな生命を誕生させる力がある。恐らく遠野では鳥が虎に変わったのは、その息吹という概念が虎と結び付いた為ではなかろうか。何故なら虎は毘沙門天の乗る獣でもあり、邪気祓いには適しているからだろう。

また七という数字は聖数である。例えば琵琶湖から京都に発生している七瀬の祓所の大元は、比叡山である。比叡山は妙見の降り立った地である事から、北斗七星の七と祓所が結び付いた信仰であろう。沖縄ではその北斗七星を漢字七つに分解して紙に書いて門口に貼るマジナイがあるのも、北斗七星は人の生死を司り、それは天帝の持つ邪気を祓う剣をも意味している事から、邪気祓いと七という数字が強く結び付いている。

「転ばぬ先の杖」ではないが、渡らぬ先の七草叩もまた、その一年の健康を願って転ばぬようにと願う杖なのだと理解できる。それを「どんど」とリズム良く楽しく叩く事によって、これも邪気祓いとしているのではなかろうか。そう、笑う門には福来るである。つまり歌の意味よりも、楽しく笑いながら息吹を感じて一年の無病息災を願う行事であるのだろう。
by dostoev | 2015-01-04 16:48 | 「遠野物語拾遺考」270話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺275(12月5日)」

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十二月は一日から三十日までに、ほとんど毎日の様に種々なものの年取りがあると言われている。しかしこれを全部祭るのはイタコだけで、普通には次のような日だけを祝うに止める。すなわち五日の御田の神、八日の薬師様、九日の稲荷様、十日の大黒様、十二日の山の神、十四日の阿弥陀様、十五日の若恵比寿、十七日の観音様、二十日の陸の神(鼬鼠)の年取り、二十三日の聖徳太子(大工の神) の年取り、二十四日の気仙の地蔵様の年取り、二十五日の文殊様、 二十八日の不動様、二十九日の蒼前様等がそれで、人間の年取りは三十日である。

                                                    「遠野物語拾遺275」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
画像は、田の神神社の神像。2014年の今日、12月5日は田の神の年取りとなるようだ。田の神は、山の神が山から下りて来て、田の神となるのは丁度、春の田植え時期に重なる頃である。また田の神は6月1日の馬っこ繋ぎと結び付いて信仰されたが、これは山の神の乗り物である馬に乗せる為でもあった。
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画像の田の神の神像と山神の神像の作者が同じ為か、顔は同じで衣装を代えただけに思える。しかし実際にも、山神と田の神は同一神なので、意図的に同じ顔にしたのだろうか?桜の咲く頃に田植えを初めると共に、日本人はお花見を楽しむ。そして秋の収穫の時期になると月見を楽しむと同時に、紅葉をも楽しむ。春の田植えと花見、秋の稲刈りと月見は、対局と成る農事のセットとなる。桜の咲く春に、山から山の神が降りてきて田の神に変わる。そして、秋の紅葉の時期に山へと帰り、山の神となる。つまり山の神は、田の神でもあるという事。陰陽五行で言えば、春は東であり、秋は西となる。つまり山の神は東から現れて西へと向かう。桜が、朝日の爽やかな赤を現すなら、秋の紅葉は夕日のしっとりした赤を現すのか。神像の衣装の違いは、春と秋の彩の違いでもあるのかもしれない。この神の年取りは、人間の様に年を取るというよりも、人々の想いを毎年重ねていくものである。また来年の春には、新たに生まれた田の神が登場する。年を経るたび人は世代を代え移り変わっていくが、神だけは人と共に常に新たな命で永遠に生き続けるものである。
by dostoev | 2014-12-05 20:00 | 「遠野物語拾遺考」270話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺272(鎌と瓢箪)」

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春と秋との風の烈しく吹き荒れる日には、又瓢箪を長く竿の尖に鎌と一っしょに結び附けて軒先へ立てることがある。斯うすると風を緩やかにし、又は避けることが出来ると謂つて居る。

                                                    「遠野物語拾遺272」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「注釈遠野物語拾遺(下)」によれば、語り部でもある白幡ミヨシさんの証言によると、遠野での、この風習は戦前まで続いていたという。鎌は風神を切り裂き、瓢箪は魔除けとして風を削ぐものと考えられていたという。恐らくこれは、諏訪大社で有名な薙鎌打ち神事の普及によるものだろう。ただ画像は無いが、諏訪大社での薙鎌は独特の形をしており、鳥の姿にも見える。その薙鎌は「凪鎌」とも書き記し、諏訪大神の象徴であり神器となっている。その薙鎌が風を鎮める祭器との信仰が生じ、民間では大風が吹くと鎌を屋根の上に立てる風習も生まれ、諏訪大社の鎮座する長野県では、その習俗が多く見受けられるようだ。

だが瓢箪は、どこからきたものか。瓢箪は「西遊記」でみられるように、いろいろなものを吸い込んでしまう能力を発揮していた。つまり、人の生と死を司る物とも考えられていた。瓢箪は瓢(ひさご)とも言い、瓢から人が生まれたなどの話も多く伝わる。前方後円墳もまた瓢の形を意識して作られたという事から、瓢であり瓢箪は、その生命力を与えたり奪ったりする器との認識から、風の力(生命力)を奪おうとしての瓢箪であったのだろう。
by dostoev | 2014-10-23 17:25 | 「遠野物語拾遺考」270話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺275(陸の神)」

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十二月は一日から三十日までに、ほとんど毎日の様に種々なものの年取りがあると言われている。しかしこれを全部祭るのはイタコだけで、普通には次のような日だけを祝うに止める。すなわち五日の御田の神、八日の薬師様、九日の稲荷様、十日の大黒様、十二日の山の神、十四日の阿弥陀様、十五日の若恵比寿、十七日の観音様、二十日の陸の神(鼬鼠)の年取り、二十三日の聖徳太子(大工の神)の年取り、二十四日の気仙の地蔵様の年取り、二十五日の文殊様、二十八日の不動様、二十九日の御蒼前様等がそれで、人間の年取りは三十日である。

                                 「遠野物語拾遺275」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
画像は鳥山石燕「画図百鬼夜行」からの「鼬」であるが、「てん」となっている。昔は動物の体系化が成されていない為、イタチもテンもイズナも全て同じであったようだ。
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ところで何故、二十日が陸の神の年取りで、その陸の神が鼬鼠なのかわからない。「画図百鬼夜行」の解説には「夜中に火柱が立ち、消えて倒れるところには火災が起きるが、それは群れ鼬が妖を為すからだともいう。」と書かれている。自然界でたまにイタチを目撃するが、イタチの群れは見た事が無く、大抵は単独で行動しているように思える。釣りの時は、川から魚を咥えて這い上がって来たり、今年の春先の5月の夜には、一匹の子供のイタチが車の前に躍り出てダンスを始めるなど、とても愛嬌溢れる獣である。そのイタチを調べると、イタチが道を横切ると不吉であるとか、一人で歩いていると後ろから足音が聞こえるのはイタチの足音であるとか、バタバタという足音で驚かせるイタチなど、町外れの寂しい道での話がかなり出てくる。
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辻などに建てる石碑に道祖神があるが、道祖神は道陸神とも云う。陸は道でもあるから、恐らく陸の神とは道祖神であり道陸神であると思う。青笹町の飛鳥田に、南無阿弥陀仏と刻まれた六道神の石碑があるが、これも恐らく本来は道祖神であり、道陸神(どうろくじん)が変化して六道神(ろくどじん)となったのではなかろうか?

遠野市小友町には「六地蔵と冥道」という小さな六つの石が並んでいる場所があり、昔ある人物がに夜道を歩いていると、道の分岐点に差しかかったという。ところがどちらの道へ行って良いのか迷っていると、六体の地蔵さんが現れ、行くべき道を指してくれたという。関連性は何とも言えないが、道陸神は「道六神」と書かれ仏教の六道との関連もある事から、六道は迷道でもあり、辻などに置かれるのは、冥界との繋がりを意味している。昔から辻には幽霊や物の怪が現れる様に、あの世とこの世の境目とも云われる。そこにいつしか鼬鼠という物の怪とも云われた獣が結びつけられて、道の神・陸の神として昇華して祀られた可能性はあるのだろう。またある地域では1日(ついたち)に陸の神を拝むとあるのは、その1日(つイタチ)という日にイタチが潜むからと言う言葉遊びでもあるようだ。それが遠野地方では、1日は関係無くなり陸の神の年取りにも鼬鼠の年取りとなったようだ。
by dostoev | 2013-12-20 20:31 | 「遠野物語拾遺考」270話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺271」

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正月十五日の晩にはナモミタクリ、またはヒタカタクリともいって、
瓢箪の中に小刀を入れてからからと振り鳴らしながら、家々を廻って
あるく者がある。タクリというのは剥ぐという意味の方言で、年中懶
けて火にばかり当たっている者の両脛などに出来ている紫色のヒカタ
(火斑)を、この小刀を以て剥いでやろうと言って来るのである。

これが門の口で、ひかたたくり、ひかたたくりと呼ばれると、そらナ
モミタクリが来たと言って、娘たちに餅を出して詫びごとをさせる。
家で大事にされている娘などには、時々はこのヒカタタクリにたくら
れそうな者があるからである。

「遠野物語拾遺271」

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この話は、あまりにも有名な秋田のナマハゲと同じ習俗の話であるが、違うのは鬼として語られていないという事。遠野地方から沿岸域である大船渡に行くと、やはりナマハゲと同じ鬼の格好をしたセネカというのが登場する。鬼の姿は”威力”でもあり確かに子供達には効果的であろうが、何故か遠野ではその威力たる鬼の姿にはならないのである。

よくわからないのは…ひかたたくりが、火にばかりあたっているので紫色の火斑を言い、有名な秋田のナマハゲは、その語源がナモミ(アマメ・ナゴメとも)といい、やはり長時間火にあたり続けることによって生じる皮膚の変質(火型)を指す方言で、それを剥ぐからナモミハギとなって更に転訛しナマハゲとなったそう。

そして別に、能登地方の民俗に節分の夜、小学生が中心となり豆まきと一緒に行われるアマメハギというのがある。これは薄暗くなった頃、鬼の面を着け、箕、前垂れをあて、手桶に包丁を持ち「アマメー」とか「怠け者はおらんか」などと小さな子どもを脅し、餅を貰うと退散するというもの。「アマメ」とは、囲炉裏に当たってばかりいると出来る痣状のマメの事で、「怠け者」の印のアマメをはぎ取る事で怠惰を戒め、厄を祓って歩く民俗行事だというが…実際に、そういうものが出来るのであろうか?

自分の小さい頃の炬燵は炭炬燵で、寒いから炭炬燵に入ると暖かく、そのまま寝てしまう場合があり、そうすると足が炭火にあたって軽い火傷をする事がたまにあったのを記憶している。ただ「子供は風の子」と自分の頃にはよく云われたとおりに、子供ってのは雪が降っても外で遊ぶのを楽しみにしていた。

「遠野物語拾遺271」で云われるのは娘であって、自分のような男では無い。では昔の冬の寒い中、女の子達はそんなに外にも出ないでずっと家の中で囲炉裏にばかりあたっていたのか?と考えても、いまいちイメージが湧かない。

ここで妄想するのだが、この民俗は本来、子供達に対するものでは無く、遠野のように娘達に対するもの、もしくは嫁いだ嫁に対する民俗であったのでは?と感じてしまうが…。

ただ昔は、7歳までは神の子であったので、何もしなくても養って貰えたが、7歳を過ぎた子供は、いろいろと家の仕事を手伝わされた。今で言えば、小学一年生から普通に、大人並みの仕事を課せられたよう。
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「百年前の日本」という写真集を見ると、確かに幼い女の子がもう赤ちゃんをおんぶしている写真が数点あった。子守は親の仕事では無く、子供の仕事であったのだろう。つまり7歳を過ぎると遊んでいる暇もなかなか与えられず仕事をさせられたのが、昔の子供なのだろう。となればやはり、ナマハゲは子供達に対する民俗だろうか?
by dostoev | 2011-10-31 05:40 | 「遠野物語拾遺考」270話~ | Comments(6)

「遠野物語拾遺275」

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十二月は一日から三十日までに、ほとんど毎日の様に種々なものの
年取りがあると言われている。しかしこれを全部祭るのはイタコだ
けで、普通には次のような日だけを祝うに止める。すなわち五日の
御田の神、八日の薬師様、九日の稲荷様、十日の大黒様、十二日の
山の神、十四日の阿弥陀様、十五日の若恵比寿、十七日の観音様、
二十日の陸の神(鼬鼠)の年取り、二十三日の聖徳太子(大工の神)
の年取り、二十四日の気仙の地蔵様の年取り、二十五日の文殊様、
二十八日の不動様、二十九日の蒼前様等がそれで、人間の年取りは
三十日である。

                  「遠野物語拾遺275」
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神事や仏事は、生活の近代化と共に薄れ始めている。例えば遠野で有名なオシラサマであっても、明治時代にネフスキーが遠野を訪れた際に、ある家のオシラサマが寄贈されたというが、オシラサマとは神様でもある。その神様を人に寄贈する事自体、信仰が薄れた証明でもあるのだろう。

今現在、遠野では盆踊りさえ無くなりつつあって、生活が生きる為の仕事中心と言えば聞こえが良いが、元々農家であってその農作業を中心とした生活であっても神事と仏事はこなしてきたのだった。その為に廃れてしまうのは、その当時の習俗がどうであったかであろう。

例えば、遠野市小友町鷹取屋には胎内潜りの大岩があり、その大岩を年に一度村人総出で山に登って潜り、家に帰ってから風呂に入るという風習があった。しかしいつしかその風習も廃れ、今ではその胎内潜りの大岩がどこにあるかさえ分からない人も増えてきた。その大岩の前には祠もあったのだが、今ではその残骸が散らばっているだけであるのが現状だ。

「遠野物語拾遺275」の各神々の年取り日だが、これは本来の縁日に基づいている。例えば薬師如来の縁日は4月8日なので、年取りは、その8日を取って12月8日にしている。
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ところで画像は、荒川不動の滝だが、その不動に関して山形県には面白い習俗がある。山形県では不動明王を祀っている家では、ニワトリを飼ってはいけない。また、卵を食べてはいけないという。遠野でも卵を奉納する神社や小さな社はあるが、これら全てに竜神であったり蛇神を祀っている。これから察すれば、不動明王とは竜神と繋がるという事なのだろう。

不動明王は、滝や水場に祀られているのが殆どだ。ところが不動明王を調べても、ニワトリや卵には、どうしても結びつかない。つまり元々は竜神を祀っていた場所に、後から不動明王を祀るようになったというのが事実であろう。つまり羽黒周辺の不動明王は、元々祀ってあった龍神の上に、不動明王を被せたという事だろう。

実は、遠野でも不動明王に卵を供えるところがいくつかある。やはり不動明王の以前には竜神系が祀られているのだろう。この「遠野物語拾遺275」において、不動明王の年取りは28日とあるのだが実は、早池峰大神である瀬織津比咩の縁日は9月28日となる。恐らく瀬織津比咩の縁日に合わせて、その上から不動明王の縁日を被せて行ったものと思う。となればだ、全国的に不動明王の命日が28日に設定されていると考えてみても、その後ろには瀬織津比咩の姿があるのだろうと思ってしまう。
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そして瀬織津比咩続きにはなるが、遠野の伝承の中にいつくか貴人が白馬に乗ってと伝えられる話がある。その貴人とは瀬織津比咩であるのだが、その瀬織津比咩を乗せる白馬とは蒼前であろう。
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「遠野物語拾遺275」で28日の不動明王の年取りに続いて、29日が蒼前様の年取りであるのは、不動と蒼前がセットになさっているからだとも伝えられる。それは遠野地方で、瀬織津比咩の乗るものが白馬であるという伝承に他ならない。蒼前神も、田村麻呂の蝦夷征伐の後に駒形神が上から被せられ、後に馬頭観音と結びつけられ、いつの間にか蒼前という名が消えつつあった。しかしこの蒼前神こそ、東北地方に古代から伝えられる神であって、蝦夷に古くから伝えられる神馬であった。それ故に、この「遠野物語拾遺275」において、未だに駒形でも馬頭でも無く、蒼前と伝えられているのは貴重であると思う。

馬の最高位は龍に行きつくのは、タテガミもあるのだが、水辺で龍と結びついて竜馬が生まれたという伝説があるように、馬もまた竜の属性を持った生き物である。故に水神としても祀られる河童が馬を淵に引き込もうとして、逆に陸に引き出された「河童駒引き」の話も、水神としても河童よりも馬の方が位が高いという理由もあるのだと理解できる。

水神としての馬…ここでは蒼前に乗る瀬織津比咩の姿はまさに、馬であって竜でもある水神に、やはり水神でもある瀬織津比咩が乗るというのは水神の極みでもあるのだろう。とにかく9月28日は瀬織津比咩の縁日であって、9月29日は蒼前の縁日であり、それが「遠野物語拾遺275」において遠野では、瀬織津比咩が不動様と名を変えられていても、蒼前様の年取りと続けて伝えられているのは、瀬織津比咩に対する信仰が水面下で続いていたという証明になるのかもしれない。
by dostoev | 2011-10-29 19:21 | 「遠野物語拾遺考」270話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺273」

この郷の年中行事はすべて旧暦によっている。十一月十五日にタテキタテ
ということをするのから始めて、二月九日の弓開きまで、年取りの儀式が
色々あって、一年中で最も行事の多いのもこの期間である。正月の大年神
に上げる飯をオミダマ飯というが、この飯を焚く為の新しい木を山から伐
り出して来るのが十一月十五日で、この日伐って来た木は夕方に立てて、
その上に若柴で造った弓矢を南の方に向けてつける。これはこの木が神聖
な木であるから鳥類に穢されぬ為にこうするのだと言われている。

                        「遠野物語拾遺273」

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ここでは神聖な木というものが登場する。年越しの行事の一つであるが、正月の大年神に上げるオミダマ飯を焚く為の木を山から刈って来るとあるが、立ててその上に若柴で作った弓矢を据え付けるという事から単なる薪では無く、それなりの大きさの木であり、それを立てる事から神の依代の役目を果たしているのがわかる。

また古来から柴には呪力があり、岩手県江刺市には「ウントクの話」というものがあり、竜宮童子の昔話がある。話はある爺様が山の淵に柴を沢山投げつけたところ、美しい淵の主に”醜い童子”を貰い、裕福になったという話。

これと似たような話には「ひょっとこ」の始まりの話で、山の洞窟に柴を沢山投げ入れた事から柴のお礼にと”醜い童子”である「ひょうとく」を貰い裕福になる話。

ここで気になるのは、醜いものが福をもたらすという事。もしもニニギが醜いイワナガヒメを娶っていたら、長寿を得られた。また神功皇后の前に現れた醜い磯良神は、潮ひる玉と潮みつ玉を駆使して、勝利に導いた。この醜いものとは幸福のキーワードという事がわかる。

話は飛んでしまったが、柴の話しに戻ろう。昔話で「お爺さんは、山に柴刈りに…。」という話の柴とは、山の霊力を刈り取って家の畑などに、その呪力を与える為の柴刈りであったようだ。

「日本書紀」の持統天皇のくだりに「壬辰に、百寮、薪進る。」とあり、壬辰に宮中では群臣百寮による薪を献ずる儀礼が行われていたようだ。民衆下では「遠野物語拾遺273」のように、柴や薪を積み上げて神の来訪を願う行事であったようだ。柴は古来、常緑樹一般を言ったようだが、いつしか榊が頻繁に使用されるようになり、柴とは榊を言ったような時期もあった。しかし、時代と共に本来は緑の葉のついた榊から、葉のついていない枯れ枝を柴と言うようになった歴史がある。

ところで柴刈りが、山の呪力を得る方法であるのだが、例えば熊野速玉大社の有名なナギの木の葉を取り懐に納めて御参りする風習があったという。この熊野の大ナギの木は、熊野権現の象徴ともされている樹木であり、ナギの葉はちぎれにくい為に「縁が切れぬように。」と、女性は密かに熊野のナギの葉を、自らが使う鏡の裏に潜ませていたという。


千早ふる 熊野の宮のなぎの葉を

             変わらぬ千代のためしにぞ折る



藤原定家の歌であるが、平安時代から鎌倉時代に推移する激動の時を生き抜いた藤原定家の願いが込められた歌であったのかもしれない。しかし、これら柴刈りや樹木の葉を折るなどの話が伝わる原型はやはり伏見稲荷の「験の杉」なのかもしれない。この伏見稲荷の二月の初午祭りでは稲荷山の杉の枝を持って岐路につく習わしがあり、稲荷の普及と共に「験の杉」の習わしが全国に広まった可能性はあるだろう。
by dostoev | 2010-12-04 06:14 | 「遠野物語拾遺考」270話~ | Comments(0)