遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」260話~( 11 )

「遠野物語拾遺263(あの世での幸せ)」

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死人の棺の中には六道銭をいっしょに入れる。これは三途の河の渡銭にする為だといわれる。また生れ変って来る時の用意に、親類縁者の者達も各々棺に銭を入れてやるが、その時には実際よりもなるべく金額を多く言う様にする。たとえば一銭銅貨を入れるとすれば、一千円けるから今度生れ変る時には大金持ちになってがいなどと言う。また米麦豆等の穀物の類も同じ様な意味で入れてやるものである。先年佐々木君の祖母の死んだ時も、よい婆様だった。生れ変る時にはうんと土産を持って来なさいと、家の者や村の人達までが、かなり沢山な金銭や穀類を棺に入れてやったと言うことである。

                                                    「遠野物語拾遺263」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
死後婚だの、死後絵だの、生前が貧しく不幸な人生を送った人の為に、死後は生前に叶わなかった生活を与えようとする習俗は、この六道銭も同じであろう。江戸時代になり太平の世とは云われるが、東北の民の全般は、戦が無いだけで生活が豊かになった訳では無かった。明治時代になっても、白い米など食べた事が無かったようだ。ただ、遠野は内陸と沿岸の中心地である為に、内陸の人間や沿岸の人間や物資が集り、市場などで賑わい、その人と物を集まる町である遠野で、上手に商売をして設けた人々もまたいた。しかし、それ故、飢饉になっても遠野町の人達は、どうにか生活できたが、周辺の農民達は餓死者が多数出て居た事実がある。「早起きは三文の徳」とは広く言われるが、遠野での「早起きは三文の徳」とは、店の前、家の前に野垂れ死にした死体を他人の家の前に退けねばならぬので、遅く起きた家は、死体が山積みになっており大変であったとも聞く。まあ時代が変わっても、裕福な人はごく一部で、後は貧しいながら、どうにか生活を遣り繰りしている人達が大半であるのは変わらないのかもしれない。そういう中、せめてあの世では実現出来なかった幸せや夢を叶えてあげようとしのが、死後婚であり死後絵であり、この六道銭なのだろう。

ところで文中の「一千円けるから」だが、遠野地方では、物などを「あげる」事を「ける」と言う。「ける」というと、違う地域の人は「蹴る」と勘違いしそうであるが、遠野地方では言葉が略され、転訛している言葉が目に付く。例えば、「かき混ぜる」を「かます」と言うが、「かます」は「噛ます、咬ます」や「ぶちかます」など、衝撃を菟与える意にもなる。だから、遠野の人に「かまして。」と言われて、キョトンとする人も多く居るようだ。
by dostoev | 2015-06-04 16:57 | 「遠野物語拾遺考」260話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺260(影)」

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家族の者が旅に出たり兵隊に行った後では、食事毎にその者の分を別に仕度して影膳を供える。そうして影膳に盛った飯の蓋に湯気の玉がついていなかった時、または影膳の椀や箸などが転び倒れた時は出先きの人の身の上に凶事が起った時だという。また影膳を供えている中にこれを食べる者があると、出先の人は非常に空腹になるなどともいわれる。その実例は甚だ多い。山口の丸古某が日露戦争に出征して黒溝台の戦争の際であったかに、急に醤油飯の匂いが鼻に来た。除隊になってからこの事を話すと、これはその日の影膳に供えた物の匂いであったそうである。

                                                    「遠野物語拾遺260」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
影膳(陰膳)とは、旅行や出征その他に出た不在者の為に、その者が旅行中に飢えたり、危害を加えられ安全を脅かされたりしないように祈り願って、留守番がその者のために留守宅で供える膳である。安全祈願の呪術のひとつである。人間の細胞は、日々の食事が作る。家族の細胞が近いのは、同じ食事を食べているからでもある。この影膳は、家族の誰かが家の外に出ても、いつも一緒に食事をしようという家族の絆から発生した呪術であろう。

ところで、何故に影なのか。「万葉集」に、こういう歌がある。

遠くあれば姿は見えず常のごと妹がゑまひは面影にして(3137)

遠く離れた妹(妻)の生身の姿は見えないが、その微笑む面影は見えたと詠われているが、それは恐らく想いの作り上げた残像であり、もしくは妻の魂が作り上げた、おぼろげな姿なのだろう。「日本書紀(天武天皇記)」では、「霊」を「みかげ」と訓んでいる。それはつまり、影とは魂であり霊であると認識されていたという事。「影護」という言葉があるが、これを「ちはふ」と訓む。「護」自体は、庇護や扶助を意味する言葉であり、それに「霊(ち)」が加わるのだが、その霊を影に置き換えて作られた言葉である。それは影による庇護の意味になる事から、「影膳」が家を離れた家族を護る為の意があるのは本来、「影護」から発生した呪術ではないだろうか。
by dostoev | 2015-06-02 09:30 | 「遠野物語拾遺考」260話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺268(デンデラ野)」

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昔は老人が六十になると、デンデラ野に棄てられたものだという。青笹村のデンデラ野は、上郷村、青笹村の全体と、土淵村の似田貝、足洗川、石田、土淵等の部落の老人達が追い放たれた処と伝えられ、方々の村のデンデラ野にも皆それぞれの範囲が決まっていたようである。土淵村字高室にもデンデラ野と呼ばれている処があるが、ここは、栃内、山崎、火石、和野、久手、角城、林崎、柏崎、水内、山口、田尻、大洞、丸古立などの諸部落から老人を棄てたところだと語り伝えている。

                                                    「遠野物語拾遺268」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも、何故に六十になったらデンデラ野へ行かねばならなかったのか。六十という年齢は、赤いちゃんちゃんこなどを身に纏い、生まれ変わる意味を持つ還暦のお祝いをする年でもあった。この還暦を祝う風習は、飛鳥時代から奈良時代頃に中国から伝わったという事から、既に遠野にも還暦の風習は伝わっていたのだろうと思う。デンデラ野には縄文の遺跡が発掘されており、縄文人が住んでいた地だとわかっている。松崎のデンデラ野も高台にあり、やはり周辺では縄文人が住んでいた。ただ、青笹のデンデラ野は平坦な土地に在り、もしも洪水の時にはどうしたのかはわかっていない。ただ、遠野のデンデラ野を見て思うのは、高室のデンデラ野が一番古かったのではないかと思える。その高室のデンデラ野の習俗が、遠野各地に伝わったのではないかと思うのは、土淵の歴史と文化が遠野の草分け的なものであるからだ。どう考えても、デンデラ野の風習が、遠野で一斉に始まる筈が無い事から、必ず発祥地はある筈だ。松崎も阿曽沼統治以降は遠野の中心地になっているが、デンデラ野としての規模は高室とは比較にならない。やはり多くの村と人が参加した、高室のデンデラ野が発祥ではなかろうか。
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デンデラ野は姥捨て山であると独り歩きしたかの様な伝承になっているが、実際は六十になってからデンデラ野に移り住んだという。つまり、棄てられたのではなく、自ら移り住んだのが遠野のデンデラ野であった。菊池照雄「遠野物語をゆく」には、恐らく江戸時代生れの瀬川マサエ婆様の言葉を紹介している。

「ここで棄てられて老人たちが小屋掛けをして自分たちで食物を拾い集めたり、畑をちょっとばかりつくったりし、やがて体が動かなくなり衰弱して死を待った場所で、最後にここに棄てられた人はヨシエというおばあさんであったス。」

確かに"棄てられ"たとは発言していても、読めばそれは表現の一つであるのがわかる。何故デンデラ野に移り住んだかを考えれば、やはり縄文人が住んでいたという事が大きいのではなかろうか。そのキーワードが還暦であり、新たな人生の出発であろうと思う。俗世間や古いしがらみを捨てて、新たな人生を歩む人は、現代でもいる。このデンデラ野での生活は、縄文人の生活の始まりでもあり、先祖還りのようなものか。先祖が出来た生活が、その時代の人々が出来ない筈が無いという考えが、デンデラ野に住み始めた理由でもあったのかもしれない。

そして一番の理由が飢饉で苦しんだ遠野の、村を助ける術が、老人達のデンデラ野へと身を引く行為であり、自分たちの新たな生き方だった。ここに現代社会では感じ得ない、子供達の未来を護ろうとする老人達の想いの強さがあった。年老いれば、家族の足手まといになる可能性は高い。しかし完全にそうなる前に、その家族から離れ、同じ者達が集うデンデラ野での共同生活は、生きながらに死すに等しい行為であった。瀬川マサエ婆様の言葉にあるように、衰弱し動けなくなったら、そのまま死を待つのもデンデラ野であり、そこに以前の家族の姿は存在しない。あくまでも"自立"した老人達は、デンデラ野でそのまま朽ち果てて行ったという事は、デンデラ野とは生者が立ち入る事の出来ない死者の国でもあったという事だろう。
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「遠野物語拾遺268」の記述に「ここは、栃内、山崎、火石、和野、久手、角城、林崎、柏崎、水内、山口、田尻、大洞、丸古立などの諸部落から老人を棄てたところだと語り伝えている。」と記されているが、是を読むと恐らく遠野以外の人にとって、数多くの集落の老人達が、この高室のデンデラ野に集結しただろうと思うであろう。しかし、距離で言えば各集落から簡単に歩いて行ける程の距離に、このデンデラ野がある。

例えば佐々木喜善の妹が隣村に嫁いだと記録にあるが、その隣村とは歩いて数分で行けるところであった。つまり、昔の土淵村とは、僅かな人々の集まった小さな集落の共同体でもあった。その小さな集落の集まりが共同で利用したのがデンデラ野であったという事。つまりデンデラ野とは、新たに登場した集落と考えた方が良いだろう。還暦になり、デンデラ野という新たな集落に住み付いた老人達だと考えた方が良いだろう。

山に逃げ、山で生活した女の話が遠野にはあるが、それに比べればデンデラ野の生活は、容易かったであろう。これを現代に置き換えれば、老人達による自立した、そして世間から閉ざされた老人ホームという事になろうか。それでも老人達は六十歳になった以降デンデラ野に住んでいた事実はある意味、人間の生活能力、生命力の強さを示すものであった。
by dostoev | 2015-04-17 10:15 | 「遠野物語拾遺考」260話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺265(葬式での禁忌)」

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葬式に行って野辺で倒れた人は、三年経たぬうちに死ぬといわれるが、これには例外が多いそうな。佐々木君の知人も会葬の際に雪が凍っていた為に墓で転んだことがあってその後三年以上経つが、依然として健康だということである。

                                                  「遠野物語拾遺265」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遠野地方のむらことば(第二集)」によれば、墓で転べば死ぬというものはなく「墓で転べば、大きな怪我する。」と伝えられている。死ぬ迄はいかぬとも、墓地という負の場所である為か、そこで転べば精神的作用も及ぼして、酷い怪我になったのではないか。「注釈遠野物語拾遺(下)」を確認すると、この「遠野物語拾遺265」に関しての解説は皆無だった。つまり、遠野ではそれほど重要視していない事柄なのかもしれない。ところで、葬式に関する諺などがいくつかあるので紹介しようと思う。

1.「葬式を馬に見しぇな。」(葬列の出る時は厩をふさぐ)

2.「葬式サ行ぐ時ァ初着すて行ぐもんでぁねぁ。」(死人は初着で旅断つ)

3.「葬式の時、列から戻ったり、後振向ぐな。」(不明)

4.「葬式の帰りにぁ、必ず行った道戻れ。」(重要なものだから手落ちや事故防止)

5.「葬式の知らしぇにぁ、必ず二人でありげ。」(手落ちの無い様に)


子供の生まれる時に、馬を引いて山神を乗せる習俗があるが、死に関するものは馬を避けるのだろうか。

初着に関しては、例えば葬式に白い服を着て行くと死人が仲間だと思って寄って来るから黒服を着ろというものに近いのだろう。つまり死人と同じ格好をするなという事か。

葬式は、人生最大のイベントであると云われるのは葬儀屋の策略の様な気もするが、確かに一生に一度だけのイベントである。ネイティブのインディアンの言葉に「僕が生まれた時、沢山の笑顔を皆が迎えてくれた。だから、僕が死ぬ時も沢山の笑顔で送り出して欲しい。」という様なものがあるが、人生のイベントは確かに生れた時と、死ぬ時である。日本であれば、生まれて名前を付け、死んだ時には戒名を付ける。その人に対して名前が付けられるのは、生まれた時と死んだ時というのはまさに、この世と接する為のイベントでもある。そのイベントに参加する人達は、その人を称える為に手落ちの無い様努力したのだろう。
by dostoev | 2015-04-16 12:05 | 「遠野物語拾遺考」260話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺262(赤い衣とキリスト教)」

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今はあまり行われぬ様になったことであるが、以前は疱瘡に罹った者があると、まず神棚を飾って七五三縄を張り、膳を供えて祭った。病人には赤い帽子を冠らせ、また赤い足袋を穿かせ、寝道具も赤い布の物にする。こうして三週間で全治すると、酒場という祝いをした。この日には親類縁者が集まって、神前に赤飯を供え、赤い紙の幣束を立てる。また藁人形に草鞋と赤飯の握飯と孔銭とを添えて持たせ、これを道ちがいに送り出した。この時に使う孔銭は、旅銭ともいった。そうしてまた疱瘡を病まぬ者には、なるべく病気の軽かった人の送り神が歓迎せられた。

                                                    「遠野物語拾遺262」

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トップの画像は、綾織砂子沢に祀られる疱瘡神。疱瘡が流行した時は、遠野からも大勢参詣に来たそうである。日本国内における疱瘡の古い歴史は、天平年間の聖武天皇時代が初見のようだ。朝鮮半島から渡って来た流行病とされ、その為に神功皇后の三韓征伐の際に登場した住吉三神が効果的だとされ、住吉三神を疱瘡退治の神として祀ったようである。
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疱瘡に対して赤尽くしにするのは、赤は不動明王の纏う焔を意味して、病魔を焼き尽くすからだとされる。その起こりは江戸時代の様で、元禄時代の人物である香月牛山「小児養育草」では、子供が疱瘡にかかった場合「屏風衣桁に赤き衣類をかけ、そのちごにも赤き衣類を著せしめ、看病人もみな赤き衣類を著るべし」とある。しかし「本朝医談」という書物では、疫病の時に赤い衣を着せる習俗は耶蘇教、つまりキリスト教徒より伝わったものでは無いかとしている。

キリスト教では、赤は血に象徴される救済または愛を意味する為、確かに病人を救う為に、赤い衣を着せるのはキリスト教でも自然の成り行きの様な気もする。時代的にも赤い衣を使用し出したのも近代である事から、キリスト教説も面白いと思う。また不動明王に関しても、例えば「不動明王」の名が書かれた札を燃やして水に落ちた灰ごと飲めば病が治るとしたのも、胡散臭い似非宗教者の商売でもあったので、その赤い衣の発生の正当性は何とも言えない。「遠野物語拾遺235」に赤い衣を著た僧侶が二人登場するが、その僧侶の宗派はわかっていない。赤坂憲雄「遠野/物語考」では、その赤い衣の僧侶を「天狗の眷属」の暗示としているが、現実的では無いだろう。赤い衣の僧侶が乗っていた風船、もしくは気球であれば、時代的にも西洋文化の進出の様でもある。つまりそこには、キリスト教者の姿が見え隠れする。遠野にも多くの隠れキリシタンが居た事から、いつの間にかその影響を受けて神仏と習合し、その習俗が拡がった可能性もあるだろう。とにかく赤色は、仏教的にもキリスト教的にも病魔に有効であった事が、民間の習俗として定着した理由であろう。
by dostoev | 2015-04-15 19:56 | 「遠野物語拾遺考」260話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺269(瓢箪)」

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この地方ではよく子供に向って、おまえはふくべに入って背戸の川に流れて来た者だとか、瓢箪に入って浮いていたのを拾って来て育てたのだとか、またはお前は瓢箪から生れた者だなどと言うことがある。

                                                    「遠野物語拾遺269」

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瓢箪(ひょうたん)の事を、遠野ではふくべと言う。この話はよく、悪い事をした子供に向って、橋の下から拾ってきた子供だから、悪い事をすると再び同じ場所に捨てて来るなどと言い、子供の悪さを戒める効果を狙ってのものである。ただ、瓢箪といえば瓢箪から生れたという伝承は、古代中国や朝鮮半島にも見受けられる。本来は、そちらから伝播されたものが遠野まで辿り着いたものと思える。例えば有名な「西遊記」で、金角大王、銀角大王が持つ瓢箪に吸い込まれ、再びる話があるが、それは瓢箪が人間を吸い込み、再び産み出す器であるという事。日本に点在する前方後円墳もまた瓢箪の形を表し、死人が再び復活する事を願って造られたと云われる。

千成瓢箪といえば豊臣秀吉だが、稲葉山城攻めの時に城に潜入。そして薪小屋に火を放ち手柄をたてた時、城兵を倒した鎗先に、腰から下げていた瓢箪を巻き付け、天狗岩に登って大きな声で勝鬨を上げたという。それから秀吉は瓢箪を馬印に決め、戦で勝つごとに瓢箪を増やし、いつの間にか沢山の瓢箪が集まり、千成瓢箪となったそうな。瓢箪が生命の象徴でもあるなら、千成瓢箪は多くの命の証でもある。つまり戦に勝利し、仲間が多く生き残ったという事であろうから、部下の命を護る意味から千成瓢箪を採用したのではなかろうか。
by dostoev | 2014-08-20 18:25 | 「遠野物語拾遺考」260話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺264(馬と生死)」

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出棺の時に厩で馬が嘶くと、それに押し続いて家人が死ぬといわれ、この実例もすくなくない。必ず厩の木戸口を堅く締め、馬には風呂敷を頭から冠ぶせておくようにするのだが、それでも嘶くことがあって、そうするとやはりその家で人が死ぬ。また葬送の途中に路傍の家で馬が嘶くような場合もある。やはり同じ結果になる。こういう際の異様な馬の嘶きを聞くと、死人の匂いが馬にも通うものであるかとさえ思わせられるという。

                                 「遠野物語拾遺264」

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画像は、南北朝時代の西本願寺の台所と並んで厩があるのがわかる。遠野の曲り家は、享保の改革以来狂犬病が全国に蔓延し、今まで馬を襲わなかった狼が狂ったように馬や人を襲うようになった為、馬を保護する為に造られた家屋だが、南北朝時代には既に人間と馬が一つ屋根の下で同居していた。

「遠野物語拾遺237(山の神)」では、馬が出産に関わる内容であったが、この「遠野物語拾遺264」では、馬が人の死に関わる動物であるという事になっている。馬は人と住みながらも、山神の乗り物としての存在が確立されている。人間の能力を超越した生物の一つとして、馬は人の感じ得ぬものを感じる存在、つまり神憑りの存在としてもあったのだと思う。それを家の中に囲うという事は、イタコを囲うに等しかったのかもしれない。例えば、イズナやクマなどが現れても、それを敏感に察知し嘶く馬は、魔除けの動物と捉えた可能性はある。まあこれは犬も含めて、家の警報機であったのだろう。
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東北での七夕の習俗には、御先祖が七夕の馬に乗りお盆に帰るというものがある。馬を調べると、その馬の最高位は龍となる。龍とは天空を翔けるもの。つまり、馬もまた天空をかけるものとして考えられている為、天に昇った、もしくは高い山に昇った祖霊は馬に乗って降りて来ると信じられていたのだろう。

「遠野物語拾遺264」の文中に「路傍の家で馬が嘶くような場合もある。やはり同じ結果になる。」とあるが、岩手県での「馬っこつなぎ」では、牡牝一対などの馬を藁で作り田畑や路地などに供える風習があるが、路地などの路傍は境界でもあり、あの世とこの世を繋ぐ境目でもある。路傍で馬が嘶くというのは、人の生死を感じ取った山神の託宣であったとも考えられる。出産時に歩いている馬が立ち止れば山神が乗った証であり、無事に出産できるという習俗と共に、路傍で嘶くのが死人が生じるという習俗なのだろう。つまり、馬は山神の依代としての存在であったのだろう。
by dostoev | 2013-11-11 19:08 | 「遠野物語拾遺考」260話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺266(百鬼夜行)」

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画像は、青笹のデンデラ野

青笹村の字糠前と字善応寺との境あたりをデンデラ野またはデンデエラ野と
呼んでいる。ここの雑木林の中には十王堂があって、昔この堂が野火で焼け
た時十王様の像は飛び出して近くの木の枝に避難されたが、それでも火の勢
が強かった為に焼焦げている。

堂の別当は、すく近所の佐々木喜平どんの家でやっているが、村中に死ぬ人
がある時は、あらかじめこの家にシルマシがあるという。すなわち死ぬ人が男な
らば、デンデラ野を夜なかに馬を引いて山歌を歌ったり、または馬の鳴輪の音を
させて通る。

女ならば、平生歌っていた歌を小声で吟じたり、啜り泣きをしたり、あるいは高声
に話をしたりなどしてここを通り過ぎ、やがてその声は戦場の辺りまで行ってやむ。

またある女の死んだ時には臼を搗く音をさせたそうである。こうして夜更けにデン
デラ野を通った人があると、喜平どんの家では、ああ今度は何某が死ぬぞなどと
言っているうちに、間も無くその人が死ぬのだといわれている。

                              「遠野物語拾遺266」

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>デンデラ野を夜なかに馬を引いて山歌を歌ったり、または馬の鳴輪の音をさせて通る。

この「遠野物語拾遺266」の一部の描写を読んで気付くのだが、例えば「古今著聞集(593)」「人馬のこゑ、東にむかひておぼく聞こえり。まことにはかなけり。これも鬼のしわざにや。」と記されているのに近似している。「古今著聞集」は鎌倉時代の編纂されたものであるが、話の多くは平安時代のものとなる。平安時代は、それこそ鬼が跋扈していた時代でもある。その鬼に関する描写が「人馬のこゑ…。」となるのだが、これは夜の闇の中は人間の世界では無く、異形の者達が集まると信じられていた時間帯でもあった。この「古今著聞集」の描写と「遠野物語拾遺266」の描写は、どこが違うというのだろうか?

古代中国では、死んだ人間を鬼と称した。つまり鬼とは昔話に登場する、赤鬼や青鬼のイメージというより、死者も含めた異形の者達を総称して鬼であるのだと思う。そして「古今著聞集」の舞台となる平安の都と、遠野の青笹村との違いはあるが、どちらも夜中に馬を連れる行列が通っている。

また「古今著聞集(589)」には「夜中ばかりに騒動のこゑのしければ、僧ども坊の外へ出でて見れば、やがてしずまりて、何事もなかりけり。」とあるように、怪しいと思い見に行くと、その騒動という現象は立ち消えとなっている。ところが「遠野物語拾遺266」では見に行く事をせず、ただそれは人が死んだシルマシであると、その現象を確認する事無く、その音だけで判断している。例えば葬式などで黒服を纏うのは闇を表すという。死装束と同じ白い衣服を身に纏えば、死者は仲間だと思って寄って来るからだと。つまり、死者が寄って来て引き込むとの迷信もある事から、百鬼夜行のような死者の行列は、決して見てはならないものなのかもしれない。だからこそ、音だけで判断し見に行く事は無かった。そうなると、「古今著聞集」に登場する人物と「遠野物語拾遺266」に登場する者との意識の違いが、百鬼夜行と死者の行列との違いになった可能性はある。

しかし先に述べたように「古今著聞集」と「遠野物語拾遺266」の描写には、とにかく違いが無い。つまり「遠野物語拾遺266」の中で聞こえたという死者のシルマシは、公にはそのまま百鬼夜行として判断しても問題は無いという事だ。
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「遠野物語」と「遠野物語拾遺」を読んで気付くのは、怪しい出来事は全て狐狸の類か幽霊の仕業となる場合が多い。鬼という言葉が一つも登場しないのが遠野である。そこには都と田舎の違いがあるのかもしれないが、岩手県が鬼の話が多くあるのに対し、遠野には鬼の話がまったくないのは不思議な事である。ただ言えるのは、遠野の歴史は飢饉の歴史でもある。遠野の語源のような「亡者の列」の話もある意味、異形の者達の行列であり百鬼夜行であるのだが、飢饉で死んだ遠野の民である故か、それを鬼とは呼ばずに、亡者と呼んでいる。つまり百鬼夜行とはどこか余所者である存在で、同じ遠野という空間を生きた者達に対しては、慈悲の心から鬼という言葉を使わなかったのではなかろうか。

岩手県の鬼とは、蝦夷の事を云う。それは朝廷にとって"まつろわぬ者達"であり、いつしか倒された蝦夷達が勝利した朝廷の意向によって鬼に変換された為、いつしか身内である筈が余所者としての鬼の様に語られてしまった。しかし遠野では、その空間で死ぬ者達は、蝦夷であろうが、それは全て遠野の民であり、遠野の空間、遠野の地で死んでいった者達を鬼として扱ってはならぬという心が働いた結果ではなかろうか。それ故に、百鬼夜行でありながら百鬼夜行として描写されないのは、人の優しさ故なのかもしれない。
by dostoev | 2013-02-02 21:55 | 「遠野物語拾遺考」260話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺261(水占)」

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家に残った者が旅先きの一行の動静を知る為に行う占の方法もある。
附木または木切れなどを人数だけ揃え、それに各々一行の者の名前を
書き込み、盥などの水の上に浮かべる。そうしてこれらの木片の動き
具合によって、旅先きの様子を察することが出来る。

佐々木君の祖母が善光寺詣りに行った時は、同行二十四、五人の団体
であったが、留守中同君の母はこの人数だけの木切れを水に入れて置
き、今日は家の婆様は誰々と一緒に歩いている。今夜は誰々と並んで
寝た等と言っておられたという。

ある日のこと、いつもは一緒に歩く親類の婆様と家の婆様との木切れ
がどうしても並ばなかったので、幾度も水を掻き廻してやり直したが、
やはり同じことであったから、何かあったのではないかと心配した。
帰ってからその話をすると、ほんにあの婆様とは気が合わぬことがあ
って、一日離れていたことがあると語った。伊勢から奈良へ廻る途中
のことであったそうな。

また先年の東京の大地震の時にも、村から立った参宮連中の旅先きが
気懸りであったが、やはりこの方法で様子を知ることが出来たという。


                     「遠野物語拾遺261」

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まず、水には鏡と同じ力があると考えられての事だと思う。厳密に言えば本来、鏡の源流は水鏡であったという事。水に映った自分に見惚れてしまったナルキッソスや、猿婿入りの物語で、池に映った娘の姿が本物だと思い、池に飛び込んで溺れて死んでしまう話など、鏡の原型は水であった。つまり水には、真実を映し出す能力があると信じられてきた為に、こういう水占いが広まったのであろう。
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水は人の姿だけでは無く、周囲の色をも反映させ染まる。また形も定まらず自由自在の水というものは、いろいろなものを映し出す神秘の存在であったのだと思う。
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水玉模様というが、水玉は水霊でもあり、海や川などは水霊の集合体と考えられた。もう一つ、光を浴びて水が水玉(水霊)のようにキラキラ輝く様は、水に加えて光も必要であると。
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あらゆる穢れを浄化する水の呪力に対する信仰は、日本だけでなく世界にも共通する観念となる。キリスト教圏でも「聖水」と呼ばれる聖なる水に対する信仰のあらわれであった。
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日本での水の呪力による代表的な行事は、穢れ祓いの行事となる。古くから、怪我や病気、厄災などは、体の中に穢れが溜まっているからと考えられた。その穢れを取出す手段として、形代などを川に流す事により、穢れが浄化されると信じられてきた。
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また水は生命の源であるという信仰から、穢れが祓われた体には新たな生命力が甦るとされた。正月や立春に汲む若水は、若返りの水とされるのも、新たな一年、新たな春は、生命の出発点である区切りの日である為だ。
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また末期の水というように、黒不浄と呼ばれる死においても、黒不浄を浄化する為に水は使われた。

つまり水は、人間の生命に関わる力を有していると思われていた。だから「遠野物語拾遺261」において、人の行動とは生きている証であるから、その命の揺らめきが、木切れに書かれた名前に表されるのだと考える。
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いや…今度面白そうだからやってみようかと…(^^;
by dostoev | 2011-11-23 04:37 | 「遠野物語拾遺考」260話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺269&270」

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この地方ではよく子供に向かって、おまえはふくべに入って背戸の川に
流れて来た者だとか、瓢箪に入って浮いていたのを拾って来て育てたの
だとか、またはお前は瓢箪から生れた者だなどと言うことがある。


「遠野物語拾遺269」
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盆の十三日の夕方、新仏のある家では墓場へ瓢箪を持って行っておく。
それは新仏はその年の盆には家に還ることを許されず、墓場で留守番を
していなければならぬので、こうして瓢箪を代りに置いて来て迎えて来
るというわけである。土地によっては夕顔を持って行く処もあるという。

                        「遠野物語拾遺270」
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遠野においては、馬の墓場を卵場という。これは遠野の各地域ごとに馬の卵場があって、死んだ馬を埋葬する地でもあった。以前は狼やら狐やらが、この卵場に埋葬された馬を掘り起こして食べたとも云われている。

綾織の故阿部さんは、夜にたまたま卵場の傍を通りかかった時、ユラユラと揺れる青白い火を見て人魂かと思ったそうであるが、実は狐が馬の骨の付いた肉を咥えて近付いて来たのを見た時、その骨付きの馬の肉が青白い炎を纏っていたそうである。

ところで墓場を、何故卵場として呼ばれたのだろう?卵といえば、死よりも生。生誕を意味しているものに対し、墓場が死に結びつくのではあるが、これは死からの復活を意味しているのだと考える。もしくは魂の復活…輪廻か。

復活で思い出すのが、キリスト教圏に広かる「イースターの卵」だ。諸説様々だが、卵が象徴するものは、墓であり、そこから抜け出すことによって復活する命であるという事は、馬の卵場と共通するものの考えなのだと思う。

古代、人は卵から生まれたという概念があったようだ。「日本霊異記」にも卵を産んだ女の話があり、また「竹取物語」の原型として伝わる話に、こういう箇所がある…。


「昔竹取の翁という者あり。女をかぐや姫という。翁が家の竹林に鶯の卵女の形にかえりて巣の中にあり。翁養いて子とせり…。」


その卵とまた同じものとして「ひさご」があった。ひさひごとは、つまり瓢箪だ。”ふくべ”とも言う。その瓢箪と卵には、イースターの卵と共通する概念がある。

朝鮮には卵から人間が生まれた話が多く、また瓢箪は魂を入れる器として伝わっているのだという。日本の前方後円墳の正しい見方とは、横から見ることであるという。するとその形は、瓢箪を半分に切った形となる。つまり、死者を瓢箪(卵)に入れるという考えは、西洋のイースターの卵同様、復活を意識してのものであった。

ところで新羅本紀の中の脱解王の物語は龍城国出身の王女が卵を産んで、その子を舟に乗せて流したのを、新羅国で老婆が拾って育て、その子が脱解王になったという。

また「日本書紀」での豊玉姫は、姫が龍の姿になって卵を産んだと記されている。つまり豊玉姫とは新羅から来た姫である可能性、もしくはその概念によって作られた逸話である可能性は強い。これはそのまま、朝鮮から海を渡って、卵と瓢箪の概念が日本に伝わってきたものと考えてもいいのだと思う。その概念が、馬の卵場として伝わっていたのかもしれない。そして「遠野物語拾遺269&270」に語られるように、その概念が日本に広がり「瓢箪から生まれた。」という話が作られたのだと思う。

「西遊記」においては金閣・銀閣が瓢箪で人を吸いこんでしまうシーンがあるが、恐らく肉体だけでは無く、魂も吸い込むのでは?

「遠野物語拾遺270」においては、新仏は家に帰る事が出来ないので、墓場で留守番をするとなっている。ここでは瓢箪がどういう役割を示すのか記されていないが、新仏の霊体、もしくは魂を納める器としての瓢箪ではと想像できる。つまり霊体や魂という不安定なモノを受け入れる器としての瓢箪であろう。置いてくるのは、魂が入るようにという事であり、迎えに行くというのは魂が入り込んだものと仮定してのものだろう。
by dostoev | 2011-10-26 06:35 | 「遠野物語拾遺考」260話~ | Comments(0)