遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」250話~( 11 )

「遠野物語拾遺257(長木枕)」

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近年土淵村字恩徳に神憑きの者が現れて、この男の八卦はよく当たるという評判であった。自分で経文を発明し、佐々木君にそれを筆写してくれといって来たこともあった。山口の某という男がこの神憑きの男に八卦を見て貰いに行って帰っての話に、自分は不思議なことを見て来た。あの八卦者の家は常居の向うが一本の木を境にして、三間ばかり続いて藁敷り寝床になっていたが、そこには長い角材を置いて枕にし、人が抜け出したままの汚れた布団が幾つも並んでいた。家族は祖父母、トト、ガガ、アネコド夫婦に孫子等十人以上であるが、皆そこに共同に寝るらしかったと語ると、傍でこの話を聞いていた村の者が、何だお前はそんなことを今始めて見たのか。あの辺から下閉伊地方ではどこでもそうしているのだと言った。佐々木君が幼時祖父母から聴いた膽沢郡の掃部長者の譚には、三百六十五人の下婢下男を一本の角材を枕に寝かして、朝になるとその木の端を大槌で打叩いて起こしたという一節があって、よほどこれを珍らしいことの様に感じており、ことさら長木の枕という点に力を入れて話されたものだという。

                                                    「遠野物語拾遺257」

f0075075_10412892.jpg

遠野の立丸峠の手前に、恩徳という小さな集落がある。藩政時代には、南部藩直営の金山があり、明治からはそれが民間の手に渡り、大正九年に閉山するまで他の土地の者が行きかう賑やかな山村であったという。金山閉山の頃から、ここでハッケ(八卦)の仕事をしていた「平助ハッケ」は本名を恩徳平乃助という。大正10年頃に小国の「中村ハッケ」に師事しているが、ハッケが突然当たるようになったのは、稲荷が憑いたとも山神がついたものと云われていた。その憑いた元と云われるのが、写真の稲荷神社である。

平助ハッケは、その他に「瀧上様」という神様を使役していたという。「瀧上様」は河童の事らしいが、平助ハッケは、この河童を使って人を病気にしたり治したりという。平助ハッケは、この使役する河童から依頼者の障りを聞きだし、治療に役立てていたようである。平助の拝み方はまず、遠野周辺の山々から、神社仏閣の名を次々に読み上げ神を降ろしていたと云われている。そして、半紙を二つに折って折れ目を口でずっと舐めるのだそうだ。すると濡れた箇所から神が裂け、その裂け具合から占っていたそうである。しかし当初は無料で占っていた様だが、途中から欲が出て来て金を取るようになってから当たらなくなったそうである。
f0075075_1047165.jpg

恩徳に住んでいる方と話した事があるのだが、元々遠野の人では無く、川井村や宮古方面から移り住んだ人が多いようだ。それ故に檀家となっている寺も、遠野では無く川井村の寺であったりする。それ故に恩徳の地にも下閉伊郡の風俗が入り込んでいるのは当然の事なのだろう。膽沢郡は現在の胆沢であり、奥州市に属する。一本の角材を枕にし、それを叩いて寝ている者達を起こす方法は、確か西洋でもあった筈だ。それも一般庶民の中にではなく、やはり山などの閉ざされた空間で働く人夫達に適用されていたと思う。確かに、一斉に起こすには合理的な力技であろう。
by dostoev | 2015-04-20 11:13 | 「遠野物語拾遺考」250話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺253(通過儀礼)」

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男の子が初めて褌をあてる時には、叔母に晒木綿を買って貰う。また初めて生えた陰毛は必ず抜かねばならぬ。そうすると肝入り殿が抜かれたと言って後からうんと生えて来るのだそうな。

                                                    「遠野物語拾遺253」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
褌が一般庶民に広まったのは江戸の初期であるが、褌は衣編に軍が結び付いた漢字である為、戦という勇ましい意味を持つ。それが成人の通過儀礼として褌をあてるようになったのだろう。また叔母に晒木綿を買って貰うのは、「妹の力」という女性の霊力を取り込む呪術であろう。妹の力とは、近親者や配偶者となった男性にその霊力を分かち与え、それは即ち加護を与えるこ事である。つまり褌を初めてあてるという事は、一人前の強い男になる意でもある。

また肝入り殿は元祖の意味であるから、恐らく乳歯と同じ考えから成り立っているのではなかろうか。乳歯を天井裏に投げ入れ、鼠のような強い歯を願うのは、次に立派な永久歯が生えてくる事を知っているからであり、それと同じように初めての陰毛を抜く行為も、男らしく強くなるようにとの願掛けであったのだと思う。遺伝子的に、男は弱いものであるらしい。今も昔も、男より女の出生率が高いのは、精子が子宮を求める旅の途中、酸でやられてしまう為、酸に強い女の受胎率が高いからである。また生れても、男の死亡率は高く、世継ぎとしての男を守りたいが為に、色々な民間の呪術が利用されてきた。例えば、女が強い事から、名前も女の様な名前を名付けたり、ある程度成長するまで女の様な服装をさせたりと。この「遠野物語拾遺253」の場合は世に生まれた男の子が、今度は強い男になる為の通過儀礼の話である。
by dostoev | 2015-04-19 19:07 | 「遠野物語拾遺考」250話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺252(三光楼)」

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青笹村の関口に、毎日毎日遠野の裏町に通って遊ぶ人があった。その遊女屋の名が三光楼であった故に、土地の者はこの人をも三光楼と呼ぶようになったが、しまいにはそれが屋号になって、今でもその家をそういっている。

                                                    「遠野物語拾遺252」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
遠野の裏町とは、一日市町の裏通りという意味になる。それは現在の仲町となるのだが、どちらにも遠野祭りでは南部囃が行われるが、これも裏と表の関係になるのであろうか?大正生まれの父親の友人は、仲町の館林氏といい、「遠野物語拾遺63」に登場する華厳院を祀る家でもあった。その館林氏は小さい頃、遊女に遊んでもらった昔話をよくしていたが、確かに仲町には遊女屋や料亭が並んで賑やかであったそうだ。

「注釈遠野物語拾遺」によれば、大正から昭和の初めには、東楼、福田楼、待月、三階楼、恵比寿楼、紫明館、朝日楼などがあったそうだ。しかし「三光楼」という遊女屋は無く、恐らく「三階楼(さんかいろう)」が転訛して「さんこうろう」となり、後から「三光楼」という漢字が充てられたのではなかろうか。

これも「遠野物語拾遺251」と同じ綽名であり、愛称の延長にあるもので、その個人が三光楼と呼ばれる様になってどう思ったかはよくわからぬが、屋号にしたという事は、結構ご満悦であったのだろうか?
by dostoev | 2015-04-18 18:07 | 「遠野物語拾遺考」250話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺251(綽名)」

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綽名の類もまた甚だ多い。法螺を言うから某々法螺、片目であるから某々メッコ、跋だから某々ビッコ、テンボであるから某々テンボんどと言う例は、この郷ではどこへ行っても普通である。新助爺という老人はヤラ節が巧みであった為に、新助ヤラとばかりいって他の名を呼ばなかった。いたって目が細い女をお菊イタコ、丈が人並み外れて低かったのでチンツク三平、その反対に背高であったから勘右エ門長、また痩せっぽちの男を鉦打鳥に見立てて鉦打長太などという例もあった。盗みをしたためにカギ五郎助、物言いがいつも泣き声なのでケエッコシ三五助、吃りであるからジッタ三次郎、赭ら顔が細いのでナンバンおこまなどと言った例の他に、体の特徴をとって、豆こ藤吉、ケエッペ福治、梟留、大蛇留などともいった。歩き様を綽名にしたものには、蟹熊、ビッタ手桶、カジカ太郎、狐おかん、お不動かつなどがあり、おかしかったのは腕を振って歩く小学校の先生を腕持ち先生、顔の小さな小柄の女先生を瓜子姫子などといった例のあったことである。

                                                    「遠野物語拾遺251」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「注釈遠野物語拾遺」に、この綽名の名称を紹介しているので、そのまま掲載しよう。

【メッコ】片目、あるいは全盲の人。
【ビッコ】片足が悪い、あるいは無い。
【テンボ】手に障害のある人。
【やら節】遠野に伝わる、「七之助節」の事。現在は祝い唄で、元々は土搗き唄。
【目の細い】イタコは盲人で目を閉じていて、目の細い人はイタコの様だと。
【鉦打鳥】クイナという水鳥で、クイナはカンカンと鳴く。
【カギ】カギは盗人の事。
【ケエツコシ】子供の様な泣き声の事。
【ジツタ】どもりの事か?
【ナンバン】顔が唐辛子に似ている。
【ケエツペ】ヘルニア、脱腸を意味するが、尻の出た人の意か?
【梟】扁平な顔の意か?
【大蛇】ひょろ長い体形を指すか?
【蟹熊】がに股で歩く人。
【ビツタ手桶】ビッタはカエル。カエルの様に歩く意か?
【カジカ】ちょこまか動く意か?
【狐】野生の狐を思わせる歩き方?
【お不動】動作が鈍い意か?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「注釈遠野物語拾遺」では、ある程度理解しているようだが、よくは分からないものもあるようだ。それは、雰囲気で付けた綽名もある事から、実際にその人物なりを見ないとわからないものも多いだろう。綽名とは、その時代に流行ったものも含めて自在に付けられるものであるから、その時代の綽名を理解出来なくて当然であろう。ただ、現代となれば、やれ「人権ガァー!」「やれ虐めガァー!」と騒ぐ団体も増えているので、この「遠野物語拾遺251」での綽名の一覧の殆どは、今では使用される事は無いだろう。好意を持って名付ける綽名と、悪意を持って名付ける綽名は、この時代に住んでみなければわからない事であろう。

自分の小さい頃、唖の人の事をヤンコと呼び、酒を置いていた自分の店に、よくヤンコさんがの見に来ていた。「あらヤンコさん、いらっしゃい」という母親の挨拶に、嬉しそうに笑いながら酒を求めて飲んでいたヤンコさんの姿が今でも思い浮かぶ。ヤンコとは差別用語でもあり、侮蔑用語にもなるのだろうが、当の本人はまったく気にする様子も無かった。ある時、そのヤンコさんが死んだと聞いた。すると、遠野中のヤンコさんたちが集まって弔ったという。何でも「ヤンコ同盟」なるものがあったとか無かったとか聞いたが、子供心に、その「ヤンコ同盟」という響きがおかしくて笑った覚えがある。侮蔑の綽名であっても、長年親しまれて呼ばれ続ければ、それは綽名というより、愛すべき称号である「愛称」に変化するのだろうか。しかしそれも、付けられた綽名によるのだろう。
by dostoev | 2015-04-18 17:24 | 「遠野物語拾遺考」250話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺255(縁起担ぎ)」

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家を出て最初に女に遭うと、その日は一日よいことがあるが、和尚であったら三歩戻って唾をするものだという。蛇に逢えばその日は吉。またその蛇が道切りであって、右手から出て来た時は懐入りといって、金が入るという。

                                                    「遠野物語拾遺255」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
よく、最初に逢うのは男か女かと賭ける話がある。どちらが良いとは何とも言えぬが、例えば隣国の韓国では、その日のタクシーの客が女だと縁起が悪いとして、乗車拒否をするニュースがあった。これは地域性や国柄もあって、不確かな縁起担ぎであろう。ただ、和尚の場合は死をイメージするからか嫌われるのはわかるが、地域によっては霊柩車に遭うと縁起が良いというところもあるので、やはり何とも言えない。唾を吐くのは、唾そのものが浄化を意味するもので、その場所を一旦リセットする意味として考えたら良いだろう。唾はモノの化生を意味するもので、素戔男尊が穿いた唾で宗像三女神が誕生したように、そこを浄化して新たな生命を生み出す意にもなる。死の穢れのイメージの坊さんに遭遇したら唾を吐く行為というものは、理にかなっている呪術でもある。

よくトイレなどには南天の実を置くのが良いというのは、トイレが不浄の溜まる場所であり、「今昔物語」では厠に入った者が化物になって出てきた話があるのは、厠(トイレ)が霊界と繋がっていると信じられていた事もある。地面に穴が開いている、井戸やトイレは、確かに地の底=黄泉の国=霊界のイメージを持つのは当然なのだろう。そこで何故に南天の実を置くのかと言えば、南天=難転(難を転じる)という日本に古くから伝わる語呂合わせの文化でもある。難を転じて福を為すという、常に前向きの考えがそうしたのだろう。例えば、葦は「悪し」であるから縁起が悪いので「葦(良し)」と読む事にしようなどと、日常の悪しきものを良きものに変えようとしているのも、一つの言霊信仰であろう。言葉とは魔法であり、その魔法の言葉を信じれば、自分自身に何か良い事が起きるという錯覚に陥るのは、精神的にも良い。例えば、単なる水を良薬だと偽って患者に飲ませて快方に向かったという話を聞くが、それもまた言霊の力であると思う。「縁起担ぎ」は別に「ゲン担ぎ」とも言うが、これは「縁起」をひっくり返して「ぎえん」と呼ぶようになり、後で「ゲン」と呼ぶようになってしまった。言葉をひっくり返して呼ぶのは、現代でもかなり行われている。
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蛇もまた、右から来ようが、左から来ようが、要はその人の決め事が言霊となる。あまりに左から何度も来る蛇に遭遇するならば、それこそ「ヘビ」を「ビヘ」などとひっくり返して呼ぶ事が、その難を逃れる術となる。その蛇だが、縁起物として蛇皮の財布は金運を招くなどと、蛇と金が結び付く諺などが多いのは、採掘・治金などのタタラ筋が蛇信仰をしていたのは有名で、例えば倒されたヤマタノオロチの尻尾から出て来たのが草薙の剣であるのも、一つの金の発見となる。古代から言い伝えられてきた蛇と金の結び付きが、この現代にも脈々と伝わっているという事だろう。
by dostoev | 2015-04-18 15:43 | 「遠野物語拾遺考」250話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺256(灰坊主)」

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蕃椒を一生食わねば長者になる。炉の灰を掘ると中からボコが出て来る。炉ぶちやカギノハナ(自在鍵)を叩くと貧乏神が喜ぶ。膳に向って箸で茶碗を叩くと貧乏になる。椀越しに人の方を見ると醜い嫁や聟を持つ等、どの地方でもいわれている俗信の類がこの地方にも非常に多い。また夜の火トメ(埋火)と、ヒッキリ(大鋸)の刃研ぎなどは人手を借りてするものではないともいう。                       

                                                    「遠野物語拾遺256」

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この前、生活の中の禁忌として「遠野物語拾遺256」を書いたばかりだが、その中で灰から出るボコが気になったので調べると、やはり妖怪の類として他地域でも語られていた。前にも書いたように、ボコは子供であり童を意味し、それは坊主を意味する。また、その坊主を入道など怪物の意として呼ぶ場合もあり、例えば「遠野物語拾遺172」では、大入道という呼び名で、見越し入道という妖怪の話が伝わっている。

【宮城県】「炉の灰を深く掘ると、アク坊主が出るといって子供等を戒める。ボウズは一般に怪物のことで、ハダカで便所に入るとボウズに突き当たるとか、一膳飯を食べるとボウズに遭うなどという。」

【秋田県】「灰ばばあは囲炉裏の灰の中におり、子供が灰を悪戯すると出てきて子供を攫っていく。頭の上にもう1つ口があり、子供をバリバリ食べたという。また、年に1回若い娘を攫ってゆくという。」

また和歌山県では「灰を吹くと貧乏神が来る。」と云われているが、これは百人一首で"坊主めくり"という遊びを思い出す。この遊びは、絵札を捲った時に僧(坊主)が出れば、持ち札を全て捨てなければならない。つまり、何も無くなって貧乏になるという遊びでもある。坊主は頭に毛が無いとし、そして囲炉裏の灰には灰坊主がいるという前提でもあり、坊主は何も無くなるという意味を持たせている。それを妖怪に結び付けて、大抵は砂遊びが好きな子供であるから、それと同じ様に家の中で囲炉裏の灰で遊ぶ事を戒める為に作られた話であるのだろう。
by dostoev | 2014-10-19 14:29 | 「遠野物語拾遺考」250話~ | Comments(11)

「遠野物語拾遺259(食事法と雪隠)」

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佐々木君の村の者が、栗橋村の話をするのに、あの辺では鍋を中心に円座になって、めいめいが鍋から直接に椀で飯を掬って食う。汁もその通りで、この男が豆腐だけ食って汁を残しておいたら、家の主婦が気を利かしてそれを鍋にあけて、またその鍋の中から豆腐ばかりを盛ってくれた。しかし一向に咽喉を通らなかったと。土淵村ではそんなことはせぬが、便所で紙を使う家はまだほとんど無い。その棒をカキ木といっている。

                                                    「遠野物語拾遺259」

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この「遠野物語拾遺259」を読んで、遠野の昔は鍋を囲む習慣が無かった事に、少々驚きがあった。囲炉裏を囲んで、自在鍵に吊るされてある汁物は自由に取って食べていたものと思っていた。今では鍋料理は日本の家庭の食事の定番となり、どの家庭でも、たまには鍋を囲んで食べているものと思う。ただ、御飯や汁物の盛り付けは、女の仕事と相場が決まっていた時代に、自分で御飯を盛り、汁物を盛るという事を男はしなかったろうと思う。

「注釈遠野物語拾遺」によれば、豆腐は大抵の場合自家製であり、それもハレの日だけにしか作らなかったという。つまり、お祝い事に呼ばれて行った時の料理であったとの事。しかし、咽喉を通らなかったというのは、単に今まで自分が食べていた椀の残り汁を、皆が食べている鍋に一度戻して、再び食べるという事に気が引けてしまったのか。もしくは皆が自分で盛るべき汁物を、客人だからと気を使って盛って貰った事に、申し訳なく思った為であろうか。
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この「遠野物語拾遺259」は、食事の話から、何故か急にトイレの話に変わってしまう。脈絡がある為か?と読み直しても、何故にトイレ話に移行したのか、少々理解に苦しむ。
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自分が幼少の頃には、このカキ木を使用する事は無かった。ただ、義母に聞くと、昭和30年代でも山村の集落辺りでは、まだ使用していた家があったという。確かに昔は紙が貴重品で、どの家庭でも使えるわけではなかった。紙の代わりに新聞紙をクシャクシャにして使ったとも聞くが、考えてみれば新聞を取る家というのは裕福な家である筈だから、紙が遠野に普及したのは、かなり後の事であったのだろう。
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この話では「カキ木」と称しているが、義母に聞けば「カキンコ」と呼んだという。このカキンコは、用を足した後に、紙の代わりに竹べらの小さいもので、ウンチを切る。その後に、小川などを行って、お尻を洗ったものと聞いた。昭和60年代に知り合った東京の人と、たまたまトイレ話になった。聞くと、今から30年前の東京には、既に水洗便所があったという。つまり、遠野ではカキンコという竹べらのようなもので用を済ませている時、東京では既に、紙を使用し水洗便所で流していたという事。同じ日本国内でありながら、この文化のギャップに、思わず苦笑いをしたものであった。ちなみに上の画像は、そのカキンコを使用する前と後のものである。
by dostoev | 2014-10-17 17:40 | 「遠野物語拾遺考」250話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺256(生活の中の禁忌)」

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蕃椒を一生食わねば長者になる。炉の灰を掘ると中からボコが出て来る。炉ぶちやカギノハナ(自在鍵)を叩くと貧乏神が喜ぶ。膳に向って箸で茶碗を叩くと貧乏になる。椀越しに人の方を見ると醜い嫁や聟を持つ等、どの地方でもいわれている俗信の類がこの地方にも非常に多い。また夜の火トメ(埋火)と、ヒッキリ(大鋸)の刃研ぎなどは人手を借りてするものではないともいう。                       

                                        「遠野物語拾遺256」

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蕃椒は、唐辛子の漢名である。香辛料であるから、美食の為の調味料でもあるので贅沢に繋がる意があるという。しかし、別に蕃椒は、魔除けとしても使われ、蕃椒を燻して憑き物を落としたり、狐などを追い出したりするのに使用した。ただ赤い実の為火を連想するのか、蕃椒を燃やすと火難に遭うなどとも云われるので一長一短であったか。
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ボコとは、子供の事で、通常はボッコとも云う。遠野に伝わる座敷ワラシも、座敷ボッコなどと云う。このボコ・ボッコは坊主から発生しており、頭に毛の無い坊主から来ており、昔の男の子は頭を丸めている子供が多かったから、坊主が転化して、ボコ・ボッコになっている。魚釣りなどで、まったく釣れない事を坊主という事から、全く無い意を指している事から、遊びで灰を掘るのは不吉だという意味なのだろう。実際に囲炉裏は、毎日使用する大事な場所であり、火の神を祀る神聖な場所でもあるので、犬猫の様に灰を掘ったり、自在鍵を叩くというのは、神への冒涜にも繋がると考えたのであろう。

また昔「腹減った!飯食わせ!」などと、お茶碗を楽器代わりに箸で叩くシーンが、ドラマや漫画で表現され、それを怒る親が表現された。これも炉などでの風習と似た様なもので、生活の中で大事なものは大切にしろという意味になる。また椀越し人を見るのは上目使いと捉えられ、偉ぶって尊大なイメージであり、人を正しく見る事の出来ぬ人という評価に繋がるようだ。

また囲炉裏は火災の原因にもなる為、人に頼まず家主がちゃんと確認しろという意味となる。人任せで、良い事は無いとの喩でもある。当然、大事な大鋸も仕事道具であろうから、その自分にとっての大事なものを人任せにするなという事である。
by dostoev | 2014-10-14 17:41 | 「遠野物語拾遺考」250話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺254(恋の呪い)」

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ひとりでに帯がほどけたら、その晩に思う人が来る。また褌や腰巻が自然に
はずれても大変よいことがあるといわれており、そのほか眉毛が痒いと女に
出逢うということもある。

                                 「遠野物語拾遺254」
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小野小町は、いくつもの夢の歌を詠っている。そのいくつもの有名な夢の歌の一つに、こういうものがある。

いとせめて恋ひしき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞ着る  小野小町


この「遠野物語拾遺254」の話は、夢の話ではないのだが、全般に渡って「愛しい人」に逢いたいと云う願いからの習俗は衣類に絡めて記されているが、本来は夢占からの転であろう。記されている衣類も、これから寝ようとしている状況にかけてある事から、基本は夢占からのものである事が想像できる。小野小町の歌もまた、愛しい人に夢で逢う為に衣を裏返しに来て夢を見ようとしている。衣を裏返すとは、昼間の現実と違い、裏側の世界である夜の夢であるからとかけているのだろう。

そして、夜寝る時の衣を寝間着ともいうが、それは寝衣(しんい)とも云い、それは神意に繋がる。古くは、神仏からのお告げを知る為の夢占からであった。古い夢譚では「古事記」「日本書紀」において神武天皇の夢譚が古いだろうか。神武天皇の夢には神が登場し、その神意を伺っている。

また、褌や腰巻は下半身を守るものであるが、それが解けるとは裸になるという意を表し、異性と結ばれる事を示している。いずれも秘め事は夜に行われるものであるから、夢との関連から発達したものであろう。

女性との絡みで有名なのは親鸞の「女犯偈」。これは親鸞か山籠もりの後、六角堂に籠って見た夢に、観音様が女性として現れ、交わった夢を親鸞が見たものと伝えられる。親鸞の名誉に関わるが山籠もりの後の六角堂での籠りは、性的な欲求が高まっていたものと想像できる。それを常日頃信じている翰音様を人間の女性として自分の夢に登場させ交わったものと考えた方が現代では納得する。

ところで遠野では「眉毛(まゆげ)」の事を「このげ」と云う。「諺・譬えことばー遠野地方のむらことばー」には遠野言葉で「このげァけぁバ、人にうわさされでる。」という意味は「眉毛を掻くと…に悪口をされている。」か「眉毛を掻くと…珍しい人に逢える。」という意味などがある。当然、眉毛が痒いと、いつも女性を思っている人は、女性に逢えるのかもしれない(^^;
by dostoev | 2013-09-30 20:08 | 「遠野物語拾遺考」250話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺258(裸で寝る)」

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夜は真裸になって寝るのが普通である。こうせぬと寝た甲斐が無いといい、
一つでも体に物を著けて寝ることを非常に嫌う。ことに夫婦が夜、腰の物
を取らずに寝るのは不縁になる始めだといって、不吉なこととされている。

                       「遠野物語拾遺258」

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小学校の頃、姉と一緒に観に行った映画「忍ぶ川」に濡れ場シーンがあり、雪国では衣服をまとわず床に入るのがしきたりだ…というセリフが今でも印象に残っていたが、後に「遠野物語拾遺258」を読んで似たような記述があってアレッ?と思っていた。ちなみに映画の濡れ場シーンは、姉に目を塞がれたが、隙間からどうにかこうにか観た思い出がある…(^^;

過去に、お年寄りから婚礼の日や神婚初夜の日の話を伺う機会があったのだが、衣服を身にまとっていたかどうかを聞いた事は無かったし、果たして質問しても答えてくれたのかどうか疑問ではある。

ただ言えるのは、よく冬山で遭難しそうになった時、裸で抱き合うというものを良く耳にしたのもだが、あくまでも小説やドラマや映画での世界で実体験を聞いた事は無い。そもそも冬山遭難の場合は、凍死しないよう裸で温めあうというものだが、それはそれで秘め事でもあろうので、やはり人に話す事の無いものではないだろうか?ましてや生きる為に男同士で裸で温めあったという事を言える人は、どれだけいようか?(^^;

昔は性体験を人に話すのは、かなり大っぴらでもあったようだ。性があたかも日常の食事の様に語られた時代もあったようだ。ところが明治時代になり、西洋文明とともに一夫一婦制が社会に認められるようになり、複数の異性に手を出すのは罪悪だと思われるようになり、現代に到ったのだろう。今でも、夜の秘め事を他人に話すのは、どこかで御法度になっている。いやそれでも、世の中にはかなりオープンな人もいるので、平気で話せる人もいるだろう…。

「遠野物語拾遺258」の場合、映画「忍ぶ川」や冬山遭難のように温める為とは違い、単に男女の仲に言及しているのが特徴だ。確かに裸で寝るのは仲の良い証拠であり、そうでないのは不仲な事なので不吉なのだろう。。。

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by dostoev | 2012-06-13 19:54 | 「遠野物語拾遺考」250話~ | Comments(2)