遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」220話~( 10 )

「遠野物語拾遺228(仏教説話)」

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同じ附馬牛村の字大沢には、砂沢という沢がある。この沢合を前にして、某という家があるが、ある時この家の爺が砂沢へ仕事に行って、大蛇に体を呑まれた。幸いに腰にさしていた鎌の為に、蛇は唇を切られて死に、爺は蛇の腹から這い出すことが出来た。家に帰ってこの話をすると、村の者達が大勢集まって来て、砂沢へ行って見た。いかにもそこに大蛇が死んでいたという。それから数年の後、銀茸に似た見事な茸がその一面に生えた。煮て食おうと思って、爺がそれを採っていたら、洞のどこかで、油させさせと言う声がする。多分茸を煮る際に鍋へ油を入れよということであろうと思って、その通りにして賞味した。ちょうど近所の居酒屋に若者達が寄り集まっていたが、この茸があまりに見事なので採って来て似て食った。するとこの方は十人の者が九人まではその夜のうちに毒に中って死に、少ししか食わなかった者でさえ三日ばかり病んだという。これは岩城君という人が壮年の頃の出来事だと言って語ったものである。今から四十年近くも前のことであろうか。

                                                  「遠野物語拾遺228」

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まずこの話を語る人物は、「遠野物語拾遺169」をも語り、また佐々木喜善「聴耳草紙(九十六番 怪描の話) 」をいくつも語った岩城という法華行者であった。恐らく語った話は事実では無く、仏教説話的なものではなかっただろうか。この爺さんの体験の後に、その他大勢がその後を追う形式が、いかにもそれっぽい。例えば茸だが、神域の魚やキノコを採って食べると腹痛を起こす話が数多くあるのは、神域のモノは採るべからずという禁忌を犯した為だろう。羽黒では、祓川近くの白山様のブナに生えたキノコを食べて腹病みした話が伝えられる。この砂沢でも、大蛇という通常有り得ない蛇が登場した事から、神域であった可能性はあるだろう。
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「遠野物語拾遺228」の舞台は砂沢という地だが、その場所は特定出来ていない。ただし、和野と中滝の間近辺である事は確かのようだ。この和野と中滝には猿ヶ石川が流れているが、その猿ヶ石川にいくつかの沢が合流している。その一つが、砂沢であろう。和野と中滝の間近辺に何があるというと、早池峯の神を祀る白滝神社がある。この神社を中心とした一帯が神域でもあるのだ。そういう意味から、神域に生えたキノコを食べた為の祟り話となっているが、「油させさせ」という言葉から爺様が助かったくだりは謎である。ただ、この話が法華行者の語る仏教説話であるならば、この話の原型は別にあるのだろうと思われる。この話が語り継がれるうちに簡略化されたのではなかろうか。
by dostoev | 2015-05-09 19:17 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺226(贋金)」

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青笹村字中沢の瀬内という処に、兄弟七人皆男ばかりの家があった。そのうちに他国に出あるいて終りの知れない者が三人ある。総領も江戸のあたりを流れあるいていたが、後に帰って来て佐比内の赤沢山で、大迫の贋金を吹いて、一夜の中に富裕になったという話が残っている。
                                                  「遠野物語拾遺226」

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大迫銭とは、慶応元年盛岡藩は幕府の認可を得て大迫の外川目に銭座が設営された事から始まる。造られた銭は、面が「寛永通宝」で、裏に盛岡の「盛」の文字が刻まれている。別名「背盛字当四文銭」と言われたそうである。「寛永通宝」は子供の頃に流行っていた「銭形平次」のオープニングに平次の投げる寛永通宝がアップになる為、昔の貨幣には寛永通宝というのがあったんだ・・・と真っ先に覚えた江戸時代の通貨であった。ただその寛永通宝が、地域によって裏側に刻まれるデザインや文字が違う事は後で知った。
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贋金造りもまた、一攫千金の話ではある。こことは別に、小友町の岩龍神社の御神体である、神社の後ろに聳える不動岩の側面に"隠れ岩"というものがある。昔は、そこで偽金造りや博打をした場所だと伝えられるが、つまり無法者の集まった場所でもあったという事か。この「遠野物語拾遺226」も、男ばかり七人兄弟という事から、女のいない荒くれた生活になった影響もあるのだろうか。

「遠野物語拾遺108」の石田家でも男達ばかりのようで、田畑を放棄し狩猟に狂ってしまっている。狩猟も博打に近く刺激の強いものであるが、縄文時代から続く男の仕事でもある事から、地道な畑仕事よりも狩猟に生きがいを求めるのはわかる。だがなんとなく「遠野物語拾遺108」と「遠野物語拾遺226」の両方とも、男所帯であった為に極端な生活になった可能性があるのではないだろうか。学校でも、男子校・女子高と男女を分けている学校よりも、男女共学の学校の方が互いを意識して大人しく真面目になる事を思えば、男所帯の家と云うものは、こういう荒くれた生活になるのは仕方のない事かもしれない。ただ現代では、この生活は無理ではある。
by dostoev | 2015-04-29 11:56 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺225(ゴンボほり)」

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土淵村に治吉ゴンボという男がいた。この郷でゴンボとは酒乱の者や悪態をする者のことを言うが、この治吉も丈高く、顔かたちが凄い上にことに筋骨の逞しい男であった。市日に遠野町の建屋という酒屋で酒を飲んでいるところへ、気仙から来たという武者修行の武士が入って来た。下郎を一人つれて、風呂敷包みをワシコに背負い、滝縞の袴を穿いた偉丈夫である。治吉はこの侍を見るなり、俺こそはこの郷きっての武芸者だ、さあ試合をしようと言った。侍は心得たと、家来に持たせた荷物の中から木刀を取り出させる。治吉はもともとただの百姓で剣術などは少しも知らず、酒の酔いに任せて暴言を吐いただけであるから、相手のこの物々しい様子を見てひそかに驚いたが、もう仕方が無い。今日で命は無いものだと覚悟をして、見る通り俺は獲物を持ち合わさぬが、何でも有り合せの物でよろしいかと念を押した。侍の方は、望みの物でさしつかえないと答えたから、治吉は酒屋の裏手へ獲物を探しに行って、小便をしながらその辺を見廻すと、そこに五寸角ほどの材木が一本転がっていた。よしこれで撲ちのめしてくれようと言って、この材木を持ち、襷掛けで元の場所に引返した。武芸者の方では、治吉が裏へ行ったきり帰りが遅いので逃げたものと思って高をくくり、しきりに高言を吐いていたところであったから、治吉の出立ちを見て驚いた様子である。治吉はこの態を素早く見て取ったから、さあ武芸者、木刀などでは面白くない。真剣で来いと例の材木を軽々と振廻して見せた。すると何を思ったのかその侍は、からりと木刀を棄て、いや先生、試合の儀はどうかお取り止め下さい。その代りに、拙者が酒を買い申そうと、酒五升を買って治吉に差出した。治吉はますます笠に掛って、いやならぬ、どうしても試合をすると言って威張って見せると、侍はそれを真に受けて怖がり、ひたすら詫びを言っていたが、とうとう家来といっしょにこそこそと逃げ去った。天下の武芸者を負かした上に、五升の酒をただで飲んだと言って、治吉はますます自慢してならなかったそうな。

                                                  「遠野物語拾遺225」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは知らなかった事だが、ここに登場する建屋という酒屋は、今でも続く上閉伊酒造の前身であったようだ。この時代は、酒を造る場所と、酒を飲ませる場所が分離していたようだ。この建屋の酒造部が独立して上閉伊酒造となったという。

この「遠野物語拾遺225」を読んで、まず思った事は、ホラ話であろうと。いくら角材を振り廻す恐ろしい怪力の男であろうと、角材を振った瞬間に隙が出来るもの。武芸者であれは、その隙をついて木刀で打ち抜けば良いだけで簡単な勝負であった筈。菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」で、こう述べている。「この村の村人たちは、大ホラ吹きと大ゴンボほりの二種類に分類することができた。」と。考えて見ると、現代の様にネットがあるわけでもなく、テレビやラジオも無い。楽しみは、人の話を聞く事と、酒を飲んで楽しむ事だ。明治29年に三陸大津波が起こり、沿岸域が大変な事になったと噂が拡がった。そこで遠野の何人かが、釜石などの沿岸の様子を見に、歩いて山を越えて見に往ったと。それを楽しみと言っては御幣があるが、そういう災害なり怪奇譚なりを知る方法が人から聞くしか無かった時代、人を楽しませる為に、山を越えてまで話のネタを集めに行く人も存在した。そして体験した目撃譚も、その人のフィルターを通す為に、誇張され伝えられた。それが村を驚かせたり、怖がらせたりと、どこかで半分嘘だと信じつつも、不思議なリアリティをホラ吹き達から感じていたのだろう。

最近は聞く事が少なくなったゴンボだが、親が営んでいた食堂に、一杯の酒を飲みに来る人々が集まっていた。初めはシャンとしていながらも、酒がまわるに従い酒に呑まれ、だんだんと素行と言動が怪しくなる人が何人かいた。そういう中で、余りに酷い人に対して「〇〇ゴンボ」というレッテルが貼られて、いつしかニックネームとなっていた。その人が来ると「おい、〇〇ゴンボが来たぞ。」と囁かれ、そのゴンボの独壇場が始まる前に、逃げ出す人も多かった。この「遠野物語拾遺225」に登場する治吉ゴンボは、ホラ吹きとゴンボの両方に加え、体の大きな乱暴者も併せ持った、村人にとっては最強のホラ吹きゴンボであったようだ。
by dostoev | 2015-04-27 13:45 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺224(大下万次郎)」

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昔土淵村字厚楽の茶屋に、四十格好の立派な侍がお伴を一人連れて休んでいた。ちょうど昼飯時であったから、持って来た握飯を炉に炙り、また魚を言いつけてこれを串にさして焼いていた。その場には村の男が四、五人居合わせて、これも火にあたっていたが、中に大下の万次郎という乱暴者がいて、いきなりその侍の握飯を取ってむしゃむしゃと食い、その上に串の魚にまで手を出した。侍は真赤になって、物も言わず刀を抜いて斬りつけたが、万次郎は身を躱してその刀を奪い取り、土台石の上に持って行って、散々に折り曲げ、滅茶苦茶に侍の悪口を言った。けれどもその侍はすごすごと茶屋を出て行ったそうな。後で聞くとこれは盛岡の侍であったというが、さすがに土百姓に刀をとられたとは言えなかったのであろう、そのまま何事もなかったそうである。

                                                  「遠野物語拾遺224」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「注釈遠野物語拾遺」によれば、大下は土渕町山口田尻の古屋敷家の分家で「オシタ」と呼び、確かに万次郎という乱暴者がいたそうであると書いてある。実はこの大下万次郎、「遠野物語」にも登場する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
山口村の吉兵衛と云ふ家の主人、根子立と云ふ山に入り、笹を苅りて束と為し担ぎて立上らんとする時、笹原の上を風の吹き渡るに心付きて見れば、奥の方なる林の中より若き女の稺児を負ひたるが笹原の上を歩みて此方へ来るなり。極めてあでやかなる女にて、これも長き黒髪を垂れたり。児を結び付けたる紐は藤の蔓にて、著たる衣類は世の常の縞物なれど、裾のあたりぼろぼろに破れたるを、色々の木の葉などを添えて綴りたり。足は地に著くとも覚えず。事も無げに此方に近より、男のすぐ前を通りて何方へか行き過ぎたり。此人は其折の恐ろしさより煩ひ始めて、久しく病みてありしが、近き頃亡せたり。

                                                       「遠野物語4」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「遠野物語4」では、吉兵衛という者が登場しているが佐々木喜善「縁女綺聞」で紹介している話は、大下万次郎となっており、ほぼ同じ話であるのがわかる。恐らく、柳田國男が意図的に万次郎から吉兵衛に名前を変えた可能性があるだろう。柳田國男は「遠野物語8(サムトの婆)」の話でも、登戸という地名を寒戸に変えてしまっている。柳田國男の考えまではわからぬが、何か意図があっての事だろうか。
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私の村の大下の万次郎と云ふ村きっての美男でそして乱暴者であった。或る時、近くの境木峠の大沢口の根ッ子立と謂ふところに笹刈りに行って居ると、奥の方からさらさらと云ふ音を立てゝ一人の美しい女が藤蔓で赤児をおぶって来たとも、又靑笹の上を後に垂らした髪がさらさらと引いて笹の上を渡ってきたとも云ふ。其の女とどんなことをしたか分からないが、その儘家に帰ってから病みついて遂に死んでしまった。

                                                       「縁女綺聞」

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帯刀する侍に対しても平気で乱暴狼藉を働く大下万次郎という豪傑が、山女に出遭った為に病んで死んでしまうというのは意外でもある。しかし、この大下万次郎に関する話は、他にもあった。
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陸中遠野郷北川目の者等五六人の同行で出羽の湯殿山をかけに行ったことがあった。かけ下して来て深林帯の尾根に一行がさしかゝると一番後に立ち遅れてゐた大下某と言ふ男、顔色を変へて皆に追ひつき、今の呼び声を聴いたかと言ふ。皆が何の呼び声かと訊くと、おや其れではお前達には聴こえなかったのか、今此の深沢で女の叫び声がしたが、どうも其れが俺の女房の声のやうであったと言ったが、其れからは鬱々として楽しまず家に帰ると遂々病み出して死んだと言ふこと。其の女房と言ふのは三年前ばかり前に死んでこの世にゐなかった者だと言ふことである。

                                                        「東奥異聞」

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「縁女綺聞」での大下万次郎は、山女に出遭った後に死んでしまっているが、「東奥異聞」では出羽の山中で女の叫び声を聞いた後に、家に帰って死んでいる。ただこれは、大下万次郎が出羽から家に帰り、地元の山中で山女に出遭ってから死んだという時系列で良いのだろう。大下万次郎の村での評判は、美男子で乱暴者で、幻想をよく見る資質があったという。これは出羽での幻聴だけではないだろう。恐らく日常に、そういうモノを見たり聞いたりという話を万次郎がしており、それが村に広まっていたのだと思う。万次郎が山女と出遭ったのも、それが本当なのか、もしかして"ひょうはくきり(ホラ吹き)"と村人が捉えていたのかは定かでは無いが、若くして死んだ万次郎であったから、その死と山女との遭遇や、死んだ筈の女房の叫び声を聞いた話も、それらがその死に関連して語られたのは想像に難くない。

こうして考えて見ると、誰もが恐れる侍に対しての乱暴な振る舞いも、万次郎自らが死を常に纏っていたからでは無いかとも思える。既に死んだ女房の叫び、そして山女の正体も、既に村で死んでいたオリエという死霊であった事から、万次郎自ら、既にあの世に足を踏み入れている意識があったのかもしれない。だからこそ自暴自棄となり、死をも恐れぬ様になったのではなかろうか。そうでなければ、誰も近寄らない侍に対する暴挙を、単なる乱暴者だけという理由で説明できないのではなかろうか。
by dostoev | 2015-04-26 11:40 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺223(力の源)」

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青笹村飛鳥田の菊池喜助という人の祖父が、ある時山で狼にいき遭った。その狼がはむかって来ると、おおいに怒り、あべこべにそいつを追詰めて指で眼玉をくりぬき、縄をかけて家までひきずって来たという。これは五、六十年以前のことである。またこの人は非常な大力で、飛鳥田の路傍にあった六十貫位は充分あろうという大きな六道の石塔を、隣家の爺と二人して路の両側から手玉に取って投げ合ったものだそうな。

                                                    「遠野物語拾遺223」

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画像を見て分かる通りに、こんな巨大な石塔を手玉にして投げ合うという事は有り得ない。六十貫は約225キロくらいで、現代の関取で言えば、モンゴル出身の逸ノ城関に、20キロくらい足した位の重さとなる。倒すのは出来ても、投げるとなればまず無理だろう。

ただ綾織町には、弁慶が大きな石を出玉にしたという伝説の「弁慶の手玉石」という巨石がある。綾織には別に続石もあり、弁慶がいかに怪力であったかを伝えるのに、弁慶と巨石とセットになっているのは、遠野だけでは無く全国に数多くある。その弁慶の母親は鍛冶屋の娘で、つわりの度に鉄塊を食べた為に、生まれてきた弁慶の体は鉄でできていたという鉄人伝説がある。要は蹈鞴系統にこういう伝説が伝わる為、もしかして菊池喜助氏の家系は蹈鞴系であるのだろうか?

ところで、この菊池喜助氏の住む飛鳥田だが、この地の伝説に、1200年前、蘇我氏に追われた物部氏の一族が住み着いたからというものがある。しかし、飛鳥という地名を奈良県に見ると、物部氏より蘇我氏に縁が深い。全国的に飛鳥という地名は、霊山の北西に位置する場所にあり、その霊山の遥拝所であろうというのが定説になっている。この遠野の飛鳥田も、六角牛山の北西に位置している。この菊池喜助氏の祖母が、何故に大力であったのかの理由は、やはり六角牛にかかるのではなかろうか。この「遠野物語拾遺223」の前の222話は、山神から宝物を貰った話になっている。青笹村の荒瀧は、やはり六角牛山の女神から大力にしてもらった事から、六角牛山に関連する飛鳥田に住む菊池喜助氏の祖父もまた、六角牛山の女神から大力にして貰ったという憶測が成り立つ。
by dostoev | 2015-01-11 08:23 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(8)

「遠野物語拾遺222(山から貰うモノ)」

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小国村字新田の金助という家の先祖に、狩人の名人がいた。ある時白望山の長者屋敷へ狩に行くと、一人の老翁に行逢った。その老人の言うには、お前がマタギをしたのでは山のものが困るから止めてはくれぬか。その代わりにこれをやるからと言って、宝物をくれた。それからは猟を止め、現在でもこの家の者は鉄砲を持たぬということである。この辺の土地はまったくの山村で、耕すような地面も無く、狩を主として生計を立てているのに、これを止めると言うのは、よくよく深い理由があったのだろうという。

                                                    「遠野物語拾遺222」

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山神の使いとして翁が登場しているが、八幡縁起でも老翁が登場し、その後に少童に変化している場合もある。例えば猟師である旗屋の縫の逸話の中で、少童が旗屋の縫を導いて助けた話もある事から、神の使いは翁であり、少童であるという年齢の両極端な存在である場合が多々あるようだ。

また長者屋敷だが、琴畑渓流沿いを上に登って行くと、広股沢への分岐点の地名が長者屋敷になるが、別に白望山の峰続きの山の名も長者屋敷と云う。小国からであれば、白望山の峰続きの長者屋敷という山が近いが、この話の場合は、どこの長者屋敷であるかは定かでは無い。

山神からの贈り物だが、山には竜宮がある、もしくは繋がっているという伝承が多く。山から竜宮の贈り物を貰い裕福になった話が多い。遠野では、例えば六角牛山の女神から貰った物は「遠野物語拾遺97」では明らかにされていないが、それを手に入れたら大力になったという。しかし、別に青笹に伝わる話では、六角牛山の女神から貰った物は「御ご石」であると書かれているが、これは「御子石」もしくは「巫女石」という名称であったのだろう。よく漫画などで自然の力を手に入れて、個人が大きな力を手に入れるような話があるが「遠野物語拾遺97」での話も似た様なものであろう。また、早池峯の女神から、ある物を貰った話も伝わっているが、それは何かは明らかにされていない。ただ六角牛山と同じに、力を得る様な話になっている。つまり、山神から貰うものは、人間社会では手にする事の出来ない、財か力かとなるのだろう。恐らく、この「遠野物語拾遺222」では生活に困らない為の財、もしくは財に成り得る物を貰ったという事にならないだろうか。

だが実際は、山神から何かを貰うとは有り得ない話。猟を止める理由となれば、鉄砲を維持出来なくなったという経済的理由、目が見えなくなったとの経済的理由、殺生が嫌になったという精神的理由がある。この話の場合も、これらの理由から来るのだろうか、対外的に山神の話を交えて伝えているのだと思える。
by dostoev | 2015-01-09 16:43 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺221(三途縄の自在性)」

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旗屋の縫は当国きっての狩の名人であったといわれているが、この名高い狩人から伝わったという狩の呪法がある。たとえ幾寸という短い縄切れでも、手にとってひろぎながら、一尋二尋三尋半と唱えて、これを木に掛けておけば、魔物は決して近寄らぬものだという。

                                                    「遠野物語拾遺221」

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旗屋の縫の住んでいた畑屋地区には、旗屋の縫が崇敬していた千手観音を祀る観音堂がある。早池峰の秘仏に千手観音がある為、恐らく山神と結び付いての千手観音であったろうか。ところで、三途縄の詳しくは「三途縄トイウモノ」に書いた。恐らく三途縄の呪術は、狩人筋からではなく、蹈鞴筋から伝わったものではないかとした。
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ところで「一尋二尋三尋半・・・。」と唱えると、短い三途縄が、まるで無限の長さになるような結界呪文であるのは、言霊の力から来ているのは理解できる。似た様なものに、土淵の常堅寺に置かれているオゾンズル様という仏像がある。オビンズル様は正確には賓頭盧尊者と書き表し、十六羅漢の第一の仏弟子であり、涅槃に入らず、摩梨山に住んで衆生を救うと云われる。

この常堅寺のオビンズル様もそうだが、全国的に自分の体の痛い箇所を撫でて願うと、その箇所の痛みが和らぐとされている。ただ遠野のオピンズル様独自は、「重くなれ」と唱えると重く感じ、「軽くなれ」と唱えると軽く感じるそうである。これも言霊の力なのだろう。しかし賓頭盧尊者を調べると、近江国・・・今の滋賀県に伝わる賓頭盧尊者は雨乞いにも使われたという。雨乞いもまた「雨が降れ」という願いの言葉を唱えるものである。実は近江国の賓頭盧尊者は、小野流巫術の影響を受けたものであるらしい。この小野流巫術は、小野猿丸とも関係する。猿丸とは二荒山と赤城山に関係する大蛇と大百足の争いで、大蛇に味方したのだった。この二荒山の伝説と似た様な話も遠野に伝わり、 この猿丸の代わりとなっているのが旗屋の縫であった事を考えると、旗屋の縫の伝えた三途縄の結界呪法も、小野流巫術に関係するものであったか?

近江国で賓頭盧尊者を祀る随心院は、小野流密教の開祖・仁海僧正が寛文2年(1244)に開基した寺で、当初は曼茶羅寺と称し、如意観音が本尊であるという。如意輪観音とは如意宝珠を持つ観音であり、その如意宝珠の原型は「古事記」で海神から山幸彦が手に入れた潮ひる珠と潮みつ珠であるという。潮の干満を自在に操れる潮ひる珠と潮みつ珠の能力が後に、輸入された如意宝珠の概念と結び付き、稲荷狐の尻尾にくっついた自在性の高い珠である。その自在性の概念が言霊と結び付いたのが恐らく、小野流巫術の根底ではなかろうか。また小野氏は竜宮思想を信仰している事から、長いモノは蛇と結び付く事から、紐の自在性と蛇の自在性を結び付けたとの考えも成り立つか。そして加えるなら、その小野氏も蹈鞴筋であるという事だ。そしてその小野氏には霊界を自在に行き来したという小野篁がいる。これらの材料から、三途縄と小野氏の関係が深いものと考えざる負えないだろう。
by dostoev | 2015-01-08 19:31 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺229(抜け首)」

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昔一日市の某という家の娘は抜け首だという評判であった。ある人が
夜分に鍵町の橋の上まで来ると、若い女の首が落ちていて、ころころ
と転がった。近よれば後にすさり、近寄れば後にすさり、とうとうこ
の娘の家まで来ると、屋根の破窓から中に入ってしまったそうな。

                     「遠野物語拾遺229」

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遠野物語拾遺229」とは別に、遠野に伝わる「抜け首」の話として、下記のようなものがある。


今の新町の裏通り、智恩寺の向かい側に蕎麦屋があったのだが、その
家の女房の首は毎晩抜けて、夜な夜な遠野の町を徘徊したらしい。

いつの間にか、それが遠野中に知れ渡り"抜け首女房のいる蕎麦屋"
と評判を呼び、繁盛したという…。



上記の話は恐らく「遠野物語拾遺229」と同じものだと思う。「遠野物語拾遺229」での鍵町の橋から、知恩寺の向いまで歩いてせいぜい1、2分程度だ。ただ「遠野物語拾遺229」が怪奇譚の様相を示すのに対し、別の伝承では、どことなくカラッと明るい話になっている。それは本来抜け首という話そのものが有り得ない話である為に、大人の間で伝わった話と、子供に話して聞かせ伝えた違いの差なのかもしれない。

次には、何故に抜け首の話が広まったか考えてみたい。
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話は少しズレるが、臭いの分子が空中を漂って鼻の粘膜に付着し、その刺激を信号として脳に送って脳に記憶・記録されるという。つまり"ウンコ"をウンコと認識できるのは、いつの間にかウンコの分子が、鼻の粘膜に付着しているからなそうだ(^^;

鼻の粘膜だけでなく、例えば眼の粘膜、舌の粘膜、性器の粘膜などは敏感で、それが永続的に認識されるという。完全に人間に当て嵌まるかどうか定かではないが、鮭が何故に故郷の川に帰って来るのかは、その故郷の川から発せられる情報…土壌の質や無機物、その土地に生える木や藻などの有機物が朽ちて発する臭いの情報が鮭の脳にインプットされるのだという。その臭いと同じに、眼の角膜から入った情報もまた、永続的に脳にインプットされているのだと思う。

何を言いたいのかと言うと、「抜け首」という架空の存在…いわゆる「ろくろ首」と云われる存在は、誰かが独自に創造した妖怪では無くて、日本人の脳にインプットされた情報から創造された妖怪であると考えるからだ。

普通であれば、身体から頭が切断されれば、その時点で人は死ぬ。そういうものを古代人は見、そういう意識を古代から語り継がれ、実際に戦や公開処刑などで、人々は、目の当たりにしてきた筈だ。しかしここで思う、何故に人が死ぬ公開処刑を人々は、見続けて来たのか?

処刑の場合、遠野でもあったが、強制的に処刑を見せた歴史もある。また別に、一人一人罪人の首に"のこ"を引いて、強制的に処刑に参加させられた場合もあるようだ。とにかく日本人もまた、長い歴史の間に、多くの身体と頭を切断されるシーンを見て来た歴史がある。

その斬首という処刑で、ひと際有名なのが伝説と化した、アテルイと平将門の斬首である。どちらも怨霊と化して、頭だけが空中を飛んで行った。それだけ怨みが深いのだ、という事を示すように。

ところで何故に「判官びいき」という言葉が広まったのかというと、反朝廷、反権力と思う人間が大多数を誇っていたからだと思う。関東から東北にかけて菅原道真を祀る天満宮などが多く建立された理由も、朝廷が恐れる存在が、菅原道真であったからだ。これは、西日本にも言える事。つまり全国の大半が、反権力思想を持つ者であった為であろう。


怨みを持って殺された、死んだ人は怨霊となる。これは御霊信仰ともなるのであるが、実際に怨みを抱くのは大抵"それ"を殺された一族であり、民族であると思う。また封建的な専制君主に対するものは、全国民が怨みを持つのは、現代でも続いているのが現状。この前のエジプトの暴動に死神が映った!!!とされるのも、そういう反権力の思想が働き、それを怨霊化させる事によって反政府の行為を正当化しようとする意図が、死神を作り出したのだと思う。

要は、過去のアテルイや平将門の首が斬首された時に、人々の心が怨霊化され、その伝説が日本中を縦断したものと考えてしまう。そして、何故に公開処刑を民衆は見続けて来た歴史があるのかも、それは第二・第三のアテルイや平将門を、人々が脳の一部で期待していたのでは無いか?と考えてしまう。

処刑を見てしまう行為というものは「怖いもの見たさ」なのかもしれない。確かに「怖いもの見たさ」という感覚は人間に潜む感覚で、否定できないもの。しかし処刑を見てしまうという行為の奥にある深層心理には、別の何かがあるのではと考える。西洋でいえば、死んだ後に復活するキリストを意識して、人々は処刑を見て来たのかもしれない。それを日本に当て嵌めれば当然、斬首された後に怨霊となり首だけ飛んで行ったという伝説となったアテルイや平将門に重ねるのは当然のような気がする。つまり西洋では、死後の復活という奇跡を信じたのに対し、日本では斬首の後に怨霊として復活する事に期待した深層心理があったのではなかろうか。

「怖いもの見たさ」と「奇跡を信じる」の根底には、似たようなものが流れているのだと思う。そしてそれには、その処刑される人物の存在が大きいのだろう。

遠野では、女の殿様となった清心尼公時代、現代で言うところの「不倫」をしただけで処刑された。しかしその程度で処刑されても、それは庶民の間では怨霊にはなれなかったろう。中世という時代に、天武天皇の御陵が暴かれ、頭蓋骨が盗まれた事件が起きた。犯人はどうも、その天武天皇の 頭蓋骨を呪術に使用する為、盗み出したようである。

これは呪術に際しての頭蓋骨も、能力を持つ者か聖職者か、血筋が高貴な者でこそ、その呪術が発動されるという定義があったようだ。つまり処刑におけるその後の伝説を作る存在も"そういう存在"ではいけなかったのだろう。

頭と身体を切り離されても怨霊として生きるというものは、アテルイに始まり、平将門でピークに達し人々にインプットされた魂の記憶が時代を経て、後は「化ける=女」という図式に当て嵌められて「ろくろ首」という妖怪が発生したものと考える。

それともう一つ、人々に恐怖をもたらすものに「遠野物語拾遺229」の文に、下記のようなものがある。


「屋根の破窓から中に入ってしまったそうな。」


恐怖心を呼び起こす場合の大抵は、闇である。闇とは、先の見えない状態であり、予測のつかない状況である。理解できないものの前では、人はそこに恐怖するものだ。例えが悪いがキチガイを恐ろしいと感じるのは「何をするかわからない。」からだ。海に潜って、底の見えない海に接した場合も、大抵の人々は怖くなるという。

この「遠野物語拾遺229」での「破窓」とは通常で無い状態。そして恐らくだが、人間の頭だけがどうにか通り抜けられる大きさの破窓だと察する。

例えば日常において、自分が寝る部屋の押し入れの扉に、少しの隙間があった場合。もしくは、窓や窓を覆う筈のカーテンがきちんと閉まっていない場合。そういう時に人は、その奥にあるかもしれない可能性を考えてしまうもの。その可能性とは非現実的なものであり、大抵の場合は恐怖を生み出すモノだと思う。

自分も小学生の頃、恐怖映画を観た後に、カーテンを開けるのが怖い時があった。もしかして、カーテンを開けたら、そこに誰かが立っているんじゃないか!?という恐怖の想像力が、カーテンを開ける勇気を無くしていた。とにかく、見えない場所にこそ恐怖の想像力は広がるもの。

この「遠野物語拾遺229」に表される破窓も、一つの恐怖の出入りする空間であると思う。つまり、その破窓から、もしかして人の顔が出てきたらという恐怖の想像力を醸し出す小道具としての破窓であったと思うし、そういう認識を持っている人が多いという意識もあったのではなかろうか。
by dostoev | 2011-02-28 01:00 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺220(鏡魚)」

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閉伊郡の海岸地方では、軒毎に鏡魚といって、やや円形で光沢のある
魚を陰干しにして掛けておく。魔除けだといわれる。

                           「遠野物語拾遺220」

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こうして「遠野物語」では鏡魚が魔除けであるという話が紹介されているが、あくまでも閉伊郡という沿岸地域での風習で、遠野では鏡魚を掛けておく風習は無い。たまにスーパーに、この鏡魚が並ぶ時があるが、皆気持ち悪がって売れ残るのだという。

元々三陸沿岸には生息しない鏡魚であるけれど、潮の流れの変化がある時にたまに水揚げされるようで、それが希少価値と体が鏡のようにピカピカ光っている事から、魔除けとしての鏡と混同されて沿岸地域で広がったものだと思う。

昔は流通が悪く、海の魚も生で遠野に届く事は、滅多に無かったという。ただ陰干しの鏡魚は保存もきくので確かに持ち込まれたのかもしれないが、やはり希少価値だった為にどうだったのだろう…。

ただ「遠野物語220」においての佐々木喜善の文章も、実際見たわけでは無い記述となっているので、遠野には届いて無かったのかもしれない。村長にもなっている喜善に、実際鏡魚を掛けている家があったのなら、情報はすぐに入った事であったろうから…。

ところで日本の鏡は、弥生時代に中国・朝鮮から伝わったのが最初とされる。中国では鏡の呪術的な力が、神仙思想や道教思想と結びつき、それが日本に伝わったものだと。日本で有名なのは、照魔鏡というのがあり、有名な「殺生石」での九尾の狐を正体を見破った鏡だ。また吸血鬼は鏡に映らないと、吸血鬼の発見法でも鏡は使われるのは映画でもよく観たものだった。つまり、西洋・東洋問わず、鏡は魔物を発見するアイテムだったのだろう。

岩手県の大船渡市での俗信に、夜中の12時に部屋の四隅に鏡を置くと、その部屋の中央に未来の結婚する相手が浮かぶというものがある。これから鏡は、魔物を発見するだけではなく、予言のアイテムとしても使われている。水鏡に映るのは、遠く離れている場所とか、未来などが映し出されるというのは、やはり古今東西SFファンタジーの映画でもよく取り入れられているので、鏡の持つ魔力というものに対するイメージは世界共通なのかもしれない。
by dostoev | 2010-12-04 08:30 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺227(南部小雀)」

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附馬牛村の安部某という家の祖父は、旅人から泥棒の法をならって腕利きの
盗人となった。しかし決して近所では悪事を行わず、遠国へ出て働きをして暮
らしたという。

年をとってからは家に帰っていたが、する事がなく退屈で仕方ないので、近所
の若者達が藁仕事をしている傍などへ行っては、自分の昔話を面白おかしく
物語って聴かせて楽しんでいた。

ある晩のこと、この爺が引上げた後で、厩の方が大変に騒がしい。一人の若
者が立って行って見ると、数本の褌が木戸木に結び著けてあって、馬はそれ
に驚いて嘶くのであった。はて怪しいと思って気がついて探って見ると、居合
わせた者は一人残らず褌を盗られていたそうな。年はとっても、それ程腕の
利いた老人であったという。

また前庭に竿を三、四間おきに立てて置き、手前のを飛び越えて次の竿の上
に立つなど、離れ業が得意であった。竿というから相当の高さがあって、かつ
細い物であったろうが、それがこんなに年老って後も出来たものだという。

またこの爺は、人間は蜘蛛や鮭にもなれるものだと口癖の様に言っていたそ
うな。死際になってから目が見えなくなったが、自分でも、俺は達者な時に人
様の目を掠めて悪事をしたのだから仕方が無いと言っていてた。今から七、
八十年前の人である。

なお旅人の師匠から授かった泥棒の巻物は、近所の熊野神社の境内に埋ま
っているということであった。

                    「遠野物語拾遺227」

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或る時小雀が若者達と一緒に町から帰って来ると、張山の或る家で餅をついて
いて、若者達が「餅を食いたいなぁ。」と言ったところが、小雀は「俺が取って来て
やるから先に待ってろ。」と言った。

若者達は火渡の愛宕まで来て待っていると、小雀は間も無くつき立ての餅をす
り鉢に入れて持ってきた。後で聞いてみると、小雀は餅をついている家の台所
の上の梁に忍び上がって、炉の自在かぎの綱を切って落としたので、鍋が火の
中に落ちて灰神楽が蒙々と立って大騒ぎになり、餅をついていた人達も餅つき
をやめて騒ぎの方に見に行った隙に、臼の中の餅を取り上げて逃げたとの事
であった。

又或る時、ついに捕まって死罪を言い渡され、首を斬られる事になったが、その
時小雀が役人に、斬られる前に芸当をやってみせるからと言って、竹竿を一本
立てさせた。そして、鼠に姿を変えてちょろちょろと竹竿を上がり始めたが、その
先まで上りつめると、何処からともなく一羽の鷹が現れて、鼠を掴んで飛び去っ
てしまっ。小雀が捕まったのは自分の芸を見せる為、わざと捕まったのであり、
鷹は小雀の師匠が姿を変えたものであったと云うことである。


時の殿様は、小雀の芸を惜しんで、領内でさえ泥棒をしなければ構わない事に
したので、それからは専ら他領に出て泥棒をしたと云われている。

晩年、盲目になったが、目は見えなくとも腕は確かで、箪笥の錠前などは、その
前で軽く手を叩くとひとりでに開いたと云う事である。

                          「附馬牛村誌」

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ところで、遠野の北東に聳える権現山の後方、和山牧場というのがある。なだらかな斜面から急な谷底になっている地があり、そこは”清ころばし”または”清治ころばし”と呼ばれる地である。

この清治という者、横内に在し、慶応年代死亡。あだ名を”南部小雀”と呼ばれ「遠野物語拾遺227」にも紹介されている盗人でもある。清治は横内から盛岡へ一晩のうちに往復したという健脚の持ち主であり、反物の端を掴み、広げて走れば、そのスピードで反物は、風になびいて地に着かなかったという忍者みたいな者であったようだ…。

ある時、その南部小雀と呼ばれた清治は、和山近辺に住んでいる者に貸した金の催促に行ったと云う。その時、家の主人と金の催促について話している最中に、その家の息子が背後からマサカリを清治の頭に打ち下ろし殺害したという。そして、その清治の死体を筵に包んで、和山街道の芳形と「ようぐら」と呼ばれる中間地点まで運び、谷へと投げ捨てたのたと。その殺害した家の者は追手を恐れて、その夜のうちに北海道へと逃げ去ったと。

翌日清治の家の者が探しに来たが、清治の姿かいつまでたっても見えぬので、部落総出で捜索し、ついには犬を引き出して捜したところ、谷底にあった筵に包まれた清治の惨殺死体を発見したのだという。この事件から、この死体があった谷底のある地を”清ころばし”と呼ばれるようになったのだという。

               
「南部の小雀」と呼ばれた大泥棒の清治の死は、これらの話から果たして穏やかな死だったのか、それとも殺されたのか?伝承と事実の不可思議さが、めくりめく謎を呼んでしまう。ただ「遠野物語拾遺227」と「附馬牛村誌」からは謎めいた伝説上の人物が、殺害事件のあらましを知ると、いつしかどこにでもいそうな現実的な人間に変貌してしまう。物語、伝説というものは、真実を知る事により、その神秘性が失われてしまうのは、仕方の無い事だろう。
by dostoev | 2010-12-04 07:39 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(0)