遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」210話~( 10 )

「遠野物語拾遺212(熊と地震と嘘)」

f0075075_13215763.jpg

栗橋村の嘉助とかいう人が、本当に出逢った事だという。この人が青年の頃、兄と二人して山畠に荒畦を畳みに行くと、焼畠の中に一本の大木があって、その幹が朽ち入り、上皮が焼けた為に大穴になっていた。ふと見るとこの大木から少し離れた処に、大熊が両手で栗穂の類を左右に引つ掻ぐっている。兄弟は思わず知らず後退りをしてようやく物陰に隠れたが、だんだん心が落ち着いて来ると、そっと熊の様子を窺い始めた。熊はしばらくの間栗穂などを毟って食っていたが、何と思ったのかその朽木の穴の中に入って行った。どうしたのであろうと思いながら、なおも二人は見張っていたが一向熊は出て来ない。それが余り長いので、二人は、よし来た、あの熊を捕って高く売ろう。何とひどく大きな物ではなかったか、よい金儲けだと言い合って、おもむろに朽木の傍に歩み寄り穴の口に矢来を掻き切って、中から出られぬようにした。そうしてから兄は、誰にもこのことを聞かせるな、俺達兄弟して、中から出られぬようにした。そうしてから兄は、誰にもこのことを聞かせるな、俺達兄弟して、しこたま金儲けすべすと言い聞かせ、自分は穴を見つめたまま眼弾もしないで張番をしていた。そのうちに嘉助は家から鉄砲、鎗などを持って還ったので、二人は例の大木の処に引返し、いよいよ朽穴にさぐりを入れ、鉄砲、鎗などで突き立てようとした刹那である。大きな地震が揺れて、みりみりとこの大木を根こそぎに倒した。兄弟は驚いて樹の側を飛び退いていたが、やがて地震はおさまったので、この間に熊が逃げ出してはならぬと、穴の口に鎗と鉄砲を指し向け、待ち構えていた。しかしいつまで経っても熊が出て来ない。元気な弟はとうとうじれったくなり、獲物を先きに構えて穴の中に入ってみた。が、どうしたものか穴の中には熊の姿など見えなかった。いくら探しても、さらに影も無いので、仕方なく這い出して来て、兄貴お前は俺が家に行って来る間に熊が出たのを見失ったのだなと詰れば、兄は、何を言う、俺は瞬きもしないで見張っていたのだ。そんなことがあるものかと、互いに言い争いを始めた。二人はしばらく諍っていたが、ふと向う山の岩の上を見ると、先刻の熊がそこに長くなっている。あや、あんな処にいた、早く早くと罵り騒いだ。しかし熊はいつまでも身動ぎ一つしない。二人がそろそろと近寄って見たら、実はその熊は死んでいたのであった。不意の地震で木が倒れた刹那に、朽木の奥深く入り込んでいた熊が向う山へ弾き飛ばされて、石に撲ち当てられて死んだのであったろうという。ちょっとありそうもない話だが、これはけっして偽ではない、確かな実話だといっていた。

                                                  「遠野物語拾遺212」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
地震で大木が倒れ、それがシーソーの片側に強い力が加わった感じで、熊が吹き飛ばされた様な事になっている。大木が何の樹木かはわからぬが、ツキノワグマの体重は、オスで最大150キロくらいで、メスで最大100キロ弱となる。つまり100キロ程度の重りを飛ばすくらいの力が必要となる。
f0075075_132822100.jpg

銃器が無い時代の古代、画像の様な投石機によって城などの攻略をしていた。しかし投石機では、100キロほどある熊の体を、遠くまで飛ばす事は出来ない筈。熊を飛ばす為には、更なる力が必要になる。
f0075075_13424015.png

それが樹木で考えた場合、樹木の高さ、つまり長さが重要になる。樹齢何百年もの樹高の高い杉の木が支点・作用点・力点をスムーズに伝えた場合に、その可能性が高まるだろうが、まあ有り得ない話だ。ところで大木を倒す程の地震という事だが、恐らく明治29年の地震なのだろうか。この明治29年(1896年)の地震&津波以外に、陸羽(岩手・秋田)境を震源とする大地震が起きていて、和賀郡で倒壊家屋が多数あったようだ。このどちらかが「遠野物語拾遺212」で起きた地震であろう。ただ、大雨による土砂崩れならいざ知らず、地震で大木が倒れるとは考え辛い。土砂崩れなどでは、根の浅い杉の木などがバタバタと倒れるシーンをニュース映像などで見かけるが、杉や松の針葉樹とは違い、ブナやミズナラなどの広葉樹は根が深く、そう簡単に倒れる樹木では無い。倒れた大木とは針葉樹系だとは思うが、地震で倒れたというのは、よほど腐朽していたのだろうから、広葉樹の可能性もある。ただ、腐朽がかなり進んでいれば、その樹木そのものの強さとしなやかさを失っており、熊を向う山に弾き飛ばすのは有り得ない為、やはりこれは作り話となるのだろうが、その中にも本当の話はあるだろう。ここで、ドストエフスキーの言葉を思い出す。

「真実をより真実らしく見せる為には、どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある。」
by dostoev | 2015-05-27 16:50 | 「遠野物語拾遺考」210話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺211(偶然な死)」

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これは田ノ浜福次郎という人の直話である。この人の若い頃、山の荒畦畳みに行った。当時山に悪い熊がいたが、これを見かけしだいに人々が責めこざして、ますます性質が獰猛になっていた。ある日のこと、いきなりこの熊が小柴立ちの中から現れて襲いかかった。その勢いにひるんで、思わず大木の幹に攀じ登ると、熊も後から登って来た。いよいよ上の枝、上の枝と登って行けば、熊もまた迫って来る。とうとう、詮方なく度胸をきめ、足場のよい枝を求めて踏み止まり、腰の鉈を抜き取って、登り来る熊の頭を、ただ一割りと斬りつけた。ところが、手許が狂って傍らの枝をしたたか切った。幸いそのはずみに、熊はどっと下に堕ちて行った。しかし今度は木の根元に坐ったまま、少しも動かずに張番をしている。木の上の者にはこれをどうする訳にも行かず、気を揉んでいるうちに早くも夕方になり、あたりが暗くなるにつけて、自分も生きた心持は無い。その時にふと考えたのは、いかに執念深い獣だとはいえ、朝からこの時刻まで少しの身動きもせずにいるのはおかしい。何か理由があるのだろうと。試みに小枝を折って投げ落して見たが、熊は元のまま微動だにしない。これでやや気が楽になって、今度はかなり太い枝を切って投げ下し、熊の頭に打ちつけて見たが、やはり結果は前と同じであった。これこそおかしいと思い、大声を出して熊の馬鹿などと罵ったが、それでも少しも感じぬ様子である。いよいよ度胸を据えて、おそるおそる幹から降りて行って見ると、熊は死んでいた。不思議に思って、その屍体を転がしてよく見ると、尻の穴から太い木の切っちょぎが衝き刺さって、膓まで貫いていた。これは木から落ちた時に刺さったものであったという。偽の様な、しかし本当にあった話である。

                                                  「遠野物語拾遺211」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遠野物語99」で、妻を津波に奪われ、その妻の魂をも心通わせていた男に奪われた愛称"福二"、正式には福次郎が、ここに登場している。「荒畦畳み(あらくたたみ)」は、焼畑の開墾作業の下ごしらえで、「畳み」とは畝を作る事である。山に行ったとあるが、どこの山かはわからない。ただ通常"山"と呼ぶのは里山であり、目の前に見える山の事を言う。それ以外の山は外山と呼ぶ事から、悪い熊がいる山とは、里に隣接している山であり、里にも被害があったのではなかろうか。何故なら「責めこざして」というのは、手負いの熊であるという意味になる。恐らく、この熊を退治しようと失敗し、熊そのものが人間に恨みを持ったのだろう。昔、北海道の函館本線の特急に乗った時、隣り合わせになった方が、北海道の自然保護協会の会長であった。その方から聞いた話によれば、熊にも性格が様々あるのだと。例えば、熊除けの鈴音を聞いて、逃げる熊もあるが、好奇心旺盛な熊や、人に恨みを持つ熊は寄って来るのだと言う。

この話は本当にあった話であると念を押しているが、他でも聞いた事のある話である。遠野で法螺話をする者を"ひょうはくきり"と呼ぶ。福次郎もまた、ひょうはくきりであったか。
by dostoev | 2015-05-26 19:04 | 「遠野物語拾遺考」210話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺217(犬の序列認識)」

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つい近頃のことであったが、土淵村和野の菊池某の飼犬が小屋の軒先に寝そべっていると、傍らでその家の鶏と隣家の鶏とが蹴合いを始めた。犬は腹這いになったままそれを見ていたが、自分の家の鶏が負けたと見るや否や、やにわに飛び起きて隣家の鶏の首筋を噛み殺したそうな。

                                                    「遠野物語拾遺217」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
犬が対象を認識するのには、嗅覚と聴覚によるものが殆どとなる。犬が人に飼われた場合まず、その家の家族とその序列を認識する。当然、敷地内のもの全てを認識するであろうから、同じく飼われている鶏も臭いで認識していたのだろう。人間の視力による認識力よりも、犬の嗅覚による認識の方が上であろう。だから犬は、同じ家に飼われている鶏を認識していたのだろうが、少しおかしいと思う事がある・・・。

蘇我氏と物部氏が戦をした時、聖徳太子の軍に枚夫という男がいたが、下僕から殺されそうになった時、飼犬が主人を襲おうとする下僕の喉に食らいついて殺してしまった話が伝わっている。また深山で大蛇に襲われそうな主人の危険を察知して、その大蛇を噛み殺した犬の話など、主人の危険を察知して助ける犬の話は多い。大抵は、主人に危険が及んだ時に助ける話だ。つまり、主人は死ぬ事も無く、怪我する事も無い前に、犬が助けてくれるのだった。

しかし「遠野物語拾遺217」の話は、仲間の鶏が負けそうになったので助っ人に出たわけでは無く、あくまで仇討となっている。そこには犬による、独自の感情があったか、それとも犬が認識した家族の序列の中で鶏が低かった為に、御主人とは違う対応をしたのだろうか?それこそ、犬による差別待遇である。ただこれが、勝利した方を倒す事による、犬の力の誇示であった捉えてもおかしくはないだろう。番犬として犬を飼うのなら、危険を事前に察知して欲しいもので、被害を受けた後の仇討・復讐は大抵の場合、犬に期待するものではないからだ。

犬に調教し、序列を教えない事によって大変だったのは、やはり「生類憐みの令」の時代であったようだ。「生類憐みの令」の庇護の元、犬とは序列された社会で生活する動物であるから躾されない犬は、噛みついても怒らない人間達を見ていて、自分達が人間達より上に位置するものだと思い込み、益々事態は最悪になっていったという。この「遠野物語拾遺217」では、あからさまに犬が鶏よりも序列が上という立場で高みの見物をしていたのがわかる。そして自分より下の鶏が負けた時に、序列外の鶏を平気で噛み殺してしまう。この話などは、まさに犬とはファミリーを守り、それ以外とは戦うという狼の血統にあるのだという認識を持たざる負えない。
by dostoev | 2015-01-21 19:43 | 「遠野物語拾遺考」210話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺216(犬の情)」

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佐々木君の幼少の頃、近所に犬を飼っている家が二軒あった。一方は小さくて力も弱い犬であったが、今一方の貧乏な家で飼っていたのは体も大きく力も強かった。近所の熊野ノ森に死馬などが棄ててあると、村の犬どもが集まってそれを食ったが、この小犬は他を恐れてそこに行くことが出来ないで、吾家の軒から羨ましそうに遠吠えをしているばかりである。これを大犬が憐れんで、常にその肉を食い取って銜えて来ては与え、小犬も喜んでそれを貰って食った。しかしこの大犬を飼っていた家は、もともと貧しかったから犬の食事も充分に当てがわれなくて、平常腹を空らしていることが多い。小犬はそれを知っていて、毎日自分に与えられる食事をしこたま腹の中に詰め込んで来ては大犬の傍でそれを吐き出して食わせていた。一度食った飯であるから、人が見ては汚くてならないが、大犬は喜んで食べた。じない(いじらしい)ことだと言って、村中の者の話の種にしたという。

                                                    「遠野物語拾遺216」

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死馬が棄ててあると記されているが、各村毎に死んだ馬を捨てる「馬の卵場」というものがあった。その馬の卵場には狐なども集まって、死肉を漁っていたという話を聞く。しかしそれらから死体を守る為に刃物を立てていたというが、果たして効果があったのだろうか。最近北海道で、ハンターに撃たれたエゾシカが処分されずに放置されている為、その肉を食い漁ったキタキツネが肥満化しているというニュースがあった。しかし、この時代の馬はそれほど頻繁に死んで棄てられたわけでもないだろうから、野犬や狐にとって、たまに振る舞われる御馳走であろうか。

ところで画像は、その死馬が棄てられた熊野ノ森だが、「遠野物語拾遺124」によれば、魔所として呼ばれている。熊野ノ森の中には粗末で古びた熊野神社があるのだが、既に信仰が廃れたのか、人が管理している状態ではない。死馬が棄てられる様になったのは、既に人が行かなくなったからだろう。そして、死馬が棄てられる様になった為、こうして野犬を含めて獣が集まるようになった為に、危険だという事から"魔所"の認定が成されたのではなかろうか?死馬だけでなく古代には、土葬された人をも食べてきた犬だった。「日本書紀(垂仁天皇28年)」では、倭彦命を葬った後「犬烏聚りはむ」とあるから、昔から死肉には野犬となった犬は群がっていたのだろう。恐らく、野犬が死体を掘り起こして、後から烏が寄って来る構図なのだろう。熊野神社のある熊野ノ森であるから、烏はつきものか。確かに、その情景を目の当たりにすれば、魔所となるのは当然なのか。ただ、犬も烏も生きるのに必死であるから、これは仕方ない事であろう。

「犬畜生」という言葉がある。「畜生」とは、苦しみ多くして楽少なく、性質無智にして、ただ食・淫・眠の情のみが強情で、父母兄弟の区別なく互いに残害する人間以外の禽獣虫魚など生類を云う。これらから昔は、畜生と同じ屋根の下で暮らすのは有り得ないという事があった。しかし、遠野で有名な曲家は、馬という畜生と暮らしている。これは江戸時代になって、狼が狂犬病にかかり、今まで山の獲物しか捕らなかった狼が、馬や人間を襲うようになった。その為、大事な馬を守る為に、同じ屋根の下に住まわせ保護した事から始まる。しかし犬は家の中には入れて貰えず、軒下で暮らすのが普通だった。そして、紐で繋いで置くのではなく、出入りが自由だったのは「遠野物語拾遺216」の記述からもわかる。

これは現代の話だが、琴畑の集落の外れを通る時、気を付ける事が一つある。車である家の前を通る時、吠えながら向ってくる犬がいる。こちらは車であるから、急に飛び出しても車で轢かないよう気を付けるのだが、これは恐らく獣対策から放し飼いにされているのだろう。普通の街で、犬を放し飼いにすると、いろいろ問題が起きるのだが、孤立した集落であれば、犬も集落の一員となるので、咎める人は誰もいないのだろう。つまり、獣も含め余所者をも見分ける事の出来る犬だと思われる。そういう意味で「遠野物語拾遺216」の犬も放し飼いになっているのは、佐々木喜善の住む山口という集落でも同じような感覚で犬が飼われていたのではなかろうか。

人間が勝手に「犬畜生」という言葉を造っても、「遠野物語拾遺216」の話の様に、こうして犬にも人情というものがあるのがわかる。人に仕える犬だから、それが人間だけでは無く、同類の犬に向けられてもおかしくはないだろう。つまり「犬畜生」という言葉は意味の無いもので、犬にも情があり、恩というものを忘れない動物という事だろう。だからこそ、縄文時代から犬は人間の友であった。縄文の遺跡から埋葬された人間の傍に犬も埋葬されていた事実を知ると、まさにそうであろう。ただ、弥生遺跡からは、そういう事が無く、逆に食べ物の棄てられている場所から発掘されていた。それを考えると弥生の遺跡がほぼ無かった岩手県では、犬は大事に扱われていたのだろうと安堵してしまう自分がいた。
by dostoev | 2015-01-20 14:58 | 「遠野物語拾遺考」210話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺219(オコゼ)」

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狩人は山幸の呪にオコゼを秘蔵している。オコゼは南の方の海でとれる小魚で、はなはだ珍重なものであるから、手に入れるのはすこぶる難しい。これと反対に漁夫は山オコゼというものを秘蔵する。山野の湿地に自生する小貝を用い、これは長さ一寸ばかり、煙管のタンポの形に似た細長い貝で、巻き方は左巻きであったかと思う。これを持っていると、漁に利き目があるといって、珍重するものである。

                                                    「遠野物語拾遺219」

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江戸時代中期に編纂された「和漢三才図会」でオコゼは「形甚だ醜し、ゆえに之を醜女に譬ふ、其刺人を螫す、俗に云ふ山神鰧を見ることを好む。」とある。ここではオコゼの漢字に「鰧」が使用されているが、月偏で作られた魚を意味する漢字である。月とはしばしば西洋、東洋の神話世界では地母神であり、山神に深く関わっている。古代中国の崑崙山の西王母の容貌は「人に似て豹尾、虎歯、五残、天厲を司る。」とあって、まるで鵺を彷彿させる化物と言っても良いかもしれない。しかし古代中国では虎も豹も聖山の守護獣であった事から、西王母の体に取り込まれたという事らしい。そのオコゼも別の漢字で表せば「虎魚」とも書き記す。つまり、オコゼは山神の守護獣とも考えられる事から、奉納するという事は、山神を守る為でもあるのだろう。山神は大抵"女神"であると云われる。また「古事記」で伊吹山に登るという漢字が「騰」となっており、月偏に馬が使用されている。また「日本書紀」での伊吹山は「膽」吹山と記され、やはり月偏となっている事から、山と月と女神の関係が見出せる。

「太平記」での磯良は、顔にアワビやカキがついていて醜いのでそれを恥じて現れなかったというが、上のオコゼの画像を見れば、まさしく磯良ではないかと思ってしまう。オコゼが女神の守護にたつものであるなら、磯良が神功皇后の力となり三韓征伐を果たしたのであるなら、まさしく守護獣である。もしかして、オコゼには磯良のイメージを重ねて山の女神に奉納されるようになったのではなかろうか。
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「オコゼは南の方の海でとれる小魚で、はなはだ珍重なものであるから、手に入れるのはすこぶる難しい。」とあるように、岩手県ではオコゼは採れない。画像はオニオコゼだか、瀬戸内海のような内海の砂泥の底に棲んでいて、普段は泥の中に隠れている為、刺し網や底曳き網にたまたまかからないと市場に出ない為、今も昔も希少性の高い魚である。しかし、山伏の使用するホラ貝も沖縄の海でしか採れない事から、山伏のネットワークで、ホラ貝やオコゼも東北に流入しているのだろう。だが、地域によってはミノカサゴもオコゼと称するようだから、似た様な魚を全てオコゼと言っている可能性はあるだろう。となれば、東北でも採れるミノカサゴが干物にされて、オコゼとして山神に奉納されている可能性はあるだろう。
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では、山オコゼだが「注釈遠野物語拾遺」ではカワニナだと述べている。ホタルが好んで捕食するものにカワニナがあるのだが、平成になってからかなり減少している。ホタルの里を目指す地域では、そのカワニナを放流しているそうだが、増えて来ているのだろうか? ところで山オコゼを調べると、カワニナだけではなく、マムシ・毛虫・イタチ・サンショウウオなど、山い居る気味の悪いものを山オコゼと称したらしい。山の民が海の物を手に入れ、海の民が山の物ほ欲するのは、神話の山幸彦と海幸彦に繋がる気がする。このオコゼと山オコゼの伝承とは古代において、海の民と山の民との交流から起きたものではなかろうか。
by dostoev | 2015-01-18 19:23 | 「遠野物語拾遺考」210話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺215(イノシシ)」

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土淵村野崎の下屋敷の松爺が、夕方になってからの家の木割場で木を割っていたら、突然そこへ猪が飛んで来た。よし来たと言いざま、その猪の背中に馬乗りに跨って、猪の両眼を指で掻き抉って、とうとう殺してしまったそうな。これも前と同じ頃の話だといった。

                                    「遠野物語拾遺215」

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 「遠野物語拾遺223」では、飛鳥田の菊池氏の祖父が狼の目玉をくり抜いた。ここでは、猪の目玉をとなっている。共通するのは、どちらも爺様である事となっている。前と同じ頃と書かれているのは「遠野物語拾遺214」でも狼を打ち殺した話が紹介されている事から、動物との事件が頻繁に起きていたという事だろう。その猪も明治の半ばには豚コレラが流行って全滅したようである。その時の記述が、吉田政吉「新遠野物語」に書いている。

猪は今こそ遠野には一匹もいないが、明治の初め頃までは、どこの山でも見かけものだ。猪は豚と先祖が同じせいか、豚と同じように何でも食う。殊に人参牛蒡、芋類ときたら大の好物で、見付けられたとなったら往生だ。どんな大きな畑でも、文字通りに一物も余さず食ってしまう。それに猪は、鹿と違って一匹で出歩くことがなく、年寄りの大将を先立てにして、子だか孫だかがその後からぞろぞろと群がって押歩くのだから、小さな畑などはただの一晩で、影も形もなくなることさえあった。

猪の仲間に、何か流行病でも出たものらしく、方々の山に猪の死骸がごろごろ転がっていた事があったそうだ。そのうちに、誰かが拾って来て食ったところが、皆酷くあてられて、中には死んだ人まであったそうだが、それから目立って猪の数が減ったそうだ。まあ、今なら、豚コレラか何か流行病の発生というところだろうな。そしてその後、即ち日清戦争後鉄砲打も盛んになったのでいつか一匹も見えなくなった。

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吉川弘文館「人と動物の考古学」によれば、岩手県の太平洋沿岸の貝塚から出土する猪は非常に大きく、現在の日本猪とは別の種名が付けられていたらしい。そういえば、アニメ「もののけ姫」の設定でも、太古の動物は巨大だったという事にしているのは、これなどを参考にしているのだろう。
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ところで「遠野物語拾遺215」で爺が猪の背中に乗って目玉をくり抜くシーンは自分にとって、子供に時に観た「ウルトラQ」を思い出す。野生児のタケルがゴルゴスという怪獣の背中に乗って急所の玉らしきを抉り出されてやられてしまうシーンを、ワクワクして観ていた記憶がある。今思えば、あのゴルゴスも猪に似せて造形された怪獣の様な気もする。まあこの「ウルトラQ」に登場した野生児タケルも、元々は「古事記」に登場したヤマトタケルをモデルにしているのは確かだろう。ヤマトタケルは、伊吹山の山神である猪によって死に至らしめられた。「ウルトラQ」のタケルは、「古事記」の名誉回復として制作されたのかも。

ところで猪を倒した爺様だが、やはり大力譚で片付けて良いものかどうか。まあ、これも有り得ない話であるから"ひょうはくきり"の類話であるのは明らかである。ただこじつければ、猪は山の神の乗り物でもあり、愛宕神の使役でもある。それを殺してしまうとは、ある意味罰当たりな爺様の話ではある。
by dostoev | 2015-01-17 20:13 | 「遠野物語拾遺考」210話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺210(熊の胆)」

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大正十五年の冬のことであるが、栗橋村字中村の和田幸次郎という三十二歳の男が、同じ村分の羽山麓へ狩りに行っていると、向うから三匹連れの大熊がのそのそとやって来た。見つけられては一大事だと思って、物陰に隠れて見ていると、三匹のうちの大きい方の二匹は傍へ行ってしまったが、やや小さ目の一匹だけは、そこに残って餌でもあさっている様子であった。さっそくこれを鉄砲で射つと、当り所が悪かったのか、すぐに振返って立ち向って来た。二の弾丸をこめる隙もなかったので、飛びつかれたまま、地面にごろりと倒れて死んだ振りをすると、熊は方々を嗅いでいたが、何と思ったのか、この男の片足を取って、いきなりぶんと谷底の方へ投げ飛ばした。どれ程遠くへ投げ飛ばされたかは知らぬが、この男は投げられるとすぐに立ち直って二の弾丸を鉄砲にこめた。そうして悠々と向うへ立ち去る熊を、追い射ち倒した。肝は釜石へ百七十円に売ったということでこれは同年の十二月二十八日の岩手日報に、つい近頃の出来事として報導せられたものである。

                                                    「遠野物語拾遺210」

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三匹連れというのは、親熊と子別れ寸前の成長した小熊二匹の事だろう。残って餌をあさっている熊は小熊であろうが、罠にかかる熊とは大抵、こういう経験の浅い熊となる。飼犬や飼い猫を見ててもわかるように最初は好奇心からいろいろなものに興味を示すが、警戒心も強い為に、撃たれた人間に向う前に普通は逃げる筈だ。ましてや熊が人を掴んで投げるなど有り得ない話。

以前に、熊と遭遇して死んだ振りをして助かった爺様から話を聞いた事がある。死んだ振りをしていると、やはり熊が寄ってきてクンクンと臭いでいたという。そして、前足で体をこするようにされていた後に、軽く甘噛みされたというが我慢していたら、熊は去って行ったそうな。まあこの話も、どこか誇張されている気がする。

熊の肝が百七十円で売ったと書かれているが、その当時の1円は現在の五千円相当になるので、百七十円とはだいだい85万円くらいになるようだ。吉田政吉「新遠野物語」では江戸時代の熊の胆は享保小判三枚で、1年寝て暮らせたような話が書かれている。そういう意味では、年と共に熊の胆の価値が下がってきているのだろう。ただ「新遠野物語」では、明治時代になって「文明開化は肉食から。」と政府が先頭に立って宣伝するようになってから、今まで獣肉を食べると穢れると思われた意識が薄らいだそうだが、なかなか獣肉を食べる者はいなかったそうだ。遠野の人間が肉を食べる様になったのは日露戦争以降の様で、町に肉屋が登場したのは大正時代になってからだというが、それでも冬季限定の商売であったようだ。結局、普通に肉が売られる様になったのは昭和の戦後であり、肉を食べていたのはごく一部の人達で、遠野の大半の人々の肉食の歴史は、まだ100年にもなっていないのが実情であるようだ。

「注釈遠野物語拾遺(下)」では、岩手日報の記事を探したようだが、この熊の記事は見当たらないと書いている事から、この話も猟師の作った自慢話なのだろう。それに尾鰭が付いて広まったのではなかろうか。
by dostoev | 2015-01-16 11:26 | 「遠野物語拾遺考」210話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺214(立丸峠の狼)」

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小国村又角の奥太郎という男が、遠野町へ行った帰りに、立丸峠まで来ると
ちょうど日が暮れた。道は木立の中であるから一層暗くて、歩けない程にな
ったその時、向うから何者かやって来てどんと体に突き当った。最初は不意
を食って倒れたが、起き上がって二、三歩行くと、またどっと来て突き当た
ったから、今度はそいつをしっかりと抱き締めたまま、小一里離れた新田と
いう村屋まで行って、知り合いの家を起して、燈火のあかりで見ると、大き
な狼であったから打ち殺したという。明治二十年頃の出来事である。

                               「遠野物語拾遺214」
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立丸峠とは、遠野市と川井村との境界の峠である。遠野から国道340号線を進むと、川井村経由で沿岸の宮古まで行く、沿岸域への一つの要所でもあった。この「遠野物語拾遺214」の記述の中に日が暮れたとあるが、実は川井村とは本州で一番遅く日が昇り、本州で一番日が暮れるのが早い地域でもあった。その為なのか、岩手県内での出生率はトップクラスである。

ところで全国の狼は、明治の半ばに絶滅したとされる。ただ遠野では昭和の初期であるが、狼の遠吠えを聞いたという証言もある事から、実際はどうであったのだろう。この「遠野物語拾遺214」の時代は明治二十年頃とされているから、明治は四十五年までいったのを考え合わせると、丁度狼が絶滅した頃にあたる。狼は集団で狩をする生物であるから、ここでの奥太郎とぶつかった話は、狼の群れに遭遇したと捉える事ができるのだろうか?しかし狼も生き物であるか、目の前にある障害物は避けて進む筈である。ぶつかったとすれば、感覚が鈍った狼?となればやはり、絶滅の原因となった狂犬病の影響によるものであろうか?狂犬病には感覚の麻痺や、精神錯乱などの神経症状が現れるとされるから「遠野物語拾遺214」に於いて、奥太郎にぶつかったのは感覚の麻痺、もしくは精神錯乱からだとも察せられる。
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ぶつかった狼に掴ったまま移動するくだりがあるが、人間を乗せて走れるほど、日本狼は大きくはない。画像は東大農学部収蔵の日本狼の剥製だが、生きている頃とは少し縮んでいるよう。平岩米吉「狼ーその生態と歴史ー」によれば、元禄年間の狼の大きさについて捕獲された雄狼は「長さ三尺一寸(93.93cm)」牝狼「長さ二尺八寸(84.8cm)」とある。他にも捕獲された狼のサイズが記されているが、どれも似たり寄ったりである。とにかく雌雄どちらも体長が1メートルに満たない大きさである為、これでは狼よりも身の丈の高い人間を乗せて長距離を走るとは考え辛いもの。この箇所に関しては嘘だとは思うのだが「遠野物語」全般に広がる獣と人間とのやり取りには、人間がすぐさま獣を殺してしまうという記述が余りにも多い。狐であれ狼であれ、正体がわかった瞬間に殺してしまうのだ。この感覚は、現代には無い感覚と感じる。またそれを逆に捉えれば、この「遠野物語」時代の人間の生活が、かなり精神的余裕の無い生活をしていたのではないかと感じ取る事ができるのだ…。
by dostoev | 2011-11-08 07:41 | 「遠野物語拾遺考」210話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺213」

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明治の初め頃であったかに、土淵字栃内の西内の者が兄弟二人して三頭の飼い
馬を連れ、駒木境の山に萱苅りに行くと、不意に二疋の狼が出て来た。馬の荷蔵
にさしておいた鎌を抜き取る暇もなく、弟はとっさに枯柴を道から拾って、この
二匹の狼を相手に立ち向かった。兄はその隙に三頭の馬を引き纒め、そのうちの
一頭に乗って家まで逃げ帰った。たとえ逃げ帰っても、家族の者や村人に早くこ
のことを知らせたならば、弟の方もあるいは助かったかも知れぬが、どういう訳
であったか、兄は人に告げることをしなかったので、たった十五とかにしかなら
ぬその弟は、深傷を負ってむしの息になり、夕方家に帰って来た。そうして縁側
に手をかけるとそのまま息が絶えたということである。

                          「遠野物語拾遺213」

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この物語の舞台は、観光で有名な山崎のコンセイサマの奥に、駒木に通じる峠がある。今では人が殆ど通る事が無いのか、歩いてみると途中で道が途切れてしまう。峠の脇を見ると、ミズと呼ばれる山菜が無数に生えている。
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実はこの峠の途中は、別名「地獄山」と呼ばれ、石が多く積まれた場所があり、いわゆる賽の河原として昔は信仰された場所でもあった。この峠を行き切れば、駒木の妻の神の石碑郡の場所へ行くのだが、その反対へ進むと大沢の滝があり「遠野物語拾遺42」の舞台へと結びつく。

また更に奥へと登って行けば、耳切山経由で、馬や牛が放牧される荒川高原へと辿り着く。
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この峠の先は、先に述べた通り駒木地域ではあるが、実は峠を渡りきった処に三峰様を祀っていた跡地に辿り着く。昔は祠もあったらしいが、今では画像の石碑と立て看板だけの三峰様となる。

安政二年(1855)に狼が村里に出て来て、人や家畜に危害を加えるので、村人が三峰様の祟りでは?という事から衣川から分霊して貰い祀ったら、それから狼が村に出る事は無かったという。

この三峰神社があった傍には、狼洞と呼ばれる入り口が木々で覆われているが奥に進むと開けた牧草地がある。まだ狼が多く生息していた当時、この狼洞には無数の狼が屯していたと云う。

つまり「遠野物語拾遺213」の兄弟は、危険を承知で狼の巣窟である方面へ萱苅へ行ったのではなかろうか。それがその家で、その兄弟に課せられた仕事であった為に…。

何年前だか忘れてしまったが、まだ幼い兄弟で小川に遊びに行き、小さな弟が川の深みにはまって溺れたが、兄は怖くなって家に帰ってしまったが、誰にも告げる事無く黙っていたが、後で問い質すと、弟が溺れた話をしたが、もう手遅れであったという事件を覚えている。

この「遠野物語拾遺213」も似たような話ではあるが、年齢が違う為、同じとは言い切れない。ただ現代として考えてみるに、狼が多く生息する山に行かせた親にも問題はあるのだろう。ただ現代と違って日々を生きるのに精いっぱいな日常であるのなら、危険な仕事でも子供に任せざる負えない事情があったのだろうと察してしまう。
by dostoev | 2011-10-27 19:17 | 「遠野物語拾遺考」210話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺218(鳥の群れ)」

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【金子富之氏幻想作品】


佐々木君縁辺の者に、以前大槌町の小学校で教師を勤めていた人がある。
猟が好きで、猟期には暇あるごとに山にいっていた。

ある時いつものように山に出掛けたが、獲物が少なく気を腐らせていると、
梢にサガキ(懸巣)が五、六羽ぎいぎいと鳴いていた。味のよい鳥であるか
ら、あれでも捕って帰ろうと思って一羽を射落すと仲間の鳥は一段高く飛び
上がって、非常に鋭い声できぎぎぎと鳴き騒いだ。

その声に応じて四方の山からおびただしい数のサガキの群れが集まって
来て、この人の頭上を低く縦横に飛び翔り、蹴散らすような姿勢を見せて、
無闇と鳴き廻るのであった。

連れも無い山の中のことであるから、無気味に思ったが、負けてはならぬ
と心を決めて、弾丸のある限り、群がる鳥を射ちまくり、三、四十羽もばた
ばたと足元に射落した。

しかし鳥の数は減るどころか、次第次第に増して来る一方で、頭の上を飛
び廻り鳴き騒いで止まぬ。ついに弾丸が尽きてどうしようもなくなったので、
落とした鳥を拾い集め、家に帰ろうとすれば、どこまでも鳥の大群がつきま
とって騒ぐ。

とうとう家に帰ったが、内に馳け込みさま妻君に弾丸の用意を命じ、また鳥
の群を射った。射落した鳥は庭や畑のあちこちに散乱し、その数は後に数
えると百六十に余る程であった。しかもなお、鳥の群は家のまわりを去らず、
夜になるまで騒いでいた。さすがに夜中にはどこかへ散って行ったが、鳥の
執念は恐ろしいものだと、この人は常に語っていた。

                               「遠野物語拾遺218」

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鳥が人を襲うというと、大抵の場合アルフレッド・ヒッチコックの「鳥」を思い浮べるのだろう。しかしカケスの群れが人を襲う話しや伝説は探しても見つからない。せいぜい邪術として、そういうものがあるという話だけだ。

以前、巣から落ちたカラスのヒナを飼っていた時があったが、あれからそのヒナを守るカラスの親は、自分の顔を覚え、頻繁に攻撃してきた時があった。そしてヒナが、飛べるようになって親元へと帰っていったのだが、それでも親は執念深く、自分の顔見つけるたびに襲ってきた。しかしこれは、カラスがそれだけ知能が高い証拠であるのだが、カケスが集団で襲うというのは正直、信じる事ができない…。

この話しは、佐々木喜善の知り合いから直接聞いた、あたかも本当に遭遇した話のようであるが、もしかしてカラスとカケスを間違ったのではないだろうか?ただもう一つ考えられるのは、山の神の祟りという話になるのかと思う。集団・群れというイメージには、余所者が入りにくいイメージがある。山中で群れを成すというものに、狼や猿などがいる。山という異界の中にあって、群れを成しているものに遭遇するというものは、恐怖であると思う。多勢に無勢、それは人間だけではなく、生き物全般に言えるのだろう。心の中に恐怖が残れば、もしかしてその群れが一斉に襲ってくるのでは無いだろうか?そういう不安を感じる場所が山である場合、先に山の神に対する不敬があったかどうか。つまり事件には要因が必ずある。心理的葛藤を及ぼすのには、自らが何かに対する不敬を働いたと考えても良いのかもしれない。つまり山で何等かの不敬を働いた後に、カケスの集団に遭遇し、そのカケスの集団が何かのきっかけに体験者へ向かって一斉に羽ばたいたとしたら、そこに生じるのは恐怖から発生した妄想では無かったのか?
by dostoev | 2010-12-04 08:20 | 「遠野物語拾遺考」210話~ | Comments(0)