遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」200話~( 11 )

「遠野物語拾遺200(野狐の情)」

f0075075_11105569.jpg

これは浜の方の話であるが、大槌町の字安堵という部落の若者が、夜分用事があって町へ行くと、大槌川の橋の袂に婆様が一人立っていて、誠に申しかねるが私の娘が病気をしているので御願いする。町の薬屋で何々という薬を買って来て下されと言った。多分どこかこの辺にいる乞食であろうと思って、見かけたことの無い婆様だが、嫌な顔もせずに承知してやった。そうして薬を買い求めてこの橋のところ迄来ると婆様は出て待っていて非常に悦び、私の家はついこの近くだから、是非寄って行ってくれという。若者もどういう住居をしているものか、見たいようにも思ってついて行くと、岩と岩との間に入って行って、中にはかなり広い室があり、なかなか小奇麗にして畳なども敷いてあり、諸道具も貧しいながら一通りは揃っていた。病んでいるという娘は片隅に寝ていたが、若者が入って行くと静かに起きて来て挨拶をした。その様子が何とも言われぬほどなよなよとして、色は青いが眼の涼しい、美しい小柄な女であった。その晩は色々もてなされて楽しく遊んで帰って来たが、情が深くなると共に若者は半病人の如くになってしまった。朋輩がそれに気がついて色々尋ねるので、実は乞食の娘とねんごろになったことを話すと、そんだらどんな女だか見届けた上で、何とでもしてやるからおれをそこへ連れて行けというので、若者も是非なくその友だちを二、三人、岩穴へ連れて行った。親子の者はさも困ったような風ではあったが、それでも茶や菓子を出してもてなした。一人の友だちはどうもこの家の様子が変なので、ひそかにその菓子を懐に入れて持って来て見たが、それはやはり本当の菓子であったという。ところがその次とかの晩に行って見ると、娘は若者に向って身素性を明かした。私たちは実は人間では無い。今まで明神様の境内に住んでいた狐だが、父親が先年人に殺されてから、親子二人だけでこんな暮しをしている。これを聴いたら定めてお前さんもあきれて愛想をつかすであろうと言って泣いた。しかし男はもうその時にはたとえ女が人間で無かろうとも、思い切ることは出来ない程になっていたのだが、女の言うには私もこうしていると体は悪くなるばかりだし、お前さんも今に嫌な思いをすることがきっとたびたびあろうから、かえって今のうちに別れた方がよいと言って、無理に若者を室から押出したという。それから後も忘れることが何としても出来ぬので、何べんと無く岩のある処へいって見るけれども、もうその岩屋の入口がわからなくなってしまった。それであの娘も死んだであろうと言って、若者が歎いているということである。この話をした人はこれをつい近年あった事のようにいった。その男は毎度遠野の方へも来る兵隊上がりの者といっていた。

                                                               「遠野物語拾遺200」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「遠野物語拾遺200」の話を読むと全体的に、キツネの語源となったと云われる「日本霊異記」の狐女房の話を思い出す。女房の正体がキツネと知っても、子供を作った仲であるからと、キツネ女房を責める事はしなかった。人間とキツネでありながら、情で絆が結ばれる話が共通しているだろう。人間と狐との情愛を伝える狐女房の系譜が、この「遠野物語拾遺200」にも、伝わっているのが理解できる。

男と婆様狐の出逢いは、橋の袂となる。これは、川を渡す橋が、異界との境界である事を意味する。俵藤太が大蛇の化身と出遭ったのも、瀬田の唐橋の袂であった。そして、この橋は、大槌川に架かる安渡橋であろうとされる。話の最初に出て来る地名"安堵部落"とは、今では安渡という地名らしいが、本来の安堵が何故に付けられたのか興味がある。その安堵の地から奥には、二渡稲荷神社があり、明治29年の津波記念碑がある大徳院(曹洞宗)がある事から、もしかして津波の及ばない地の意味で、安堵であったろうか。そして、岩屋に住む前の狐の親子は、明神様の境内に住んでいたと告白しているが、それは二渡稲荷神社であったろうか。
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ところで、この話に登場する狐は、野狐という事だろうか。江戸時代に野狐は、次のように定義されている。「疑い深い性質で日の光を恐れ刃を嫌う。ものを守らせると、一旦は信を失わぬものの、飽きてしまうとこれを忘れる。愚かな人を誑かして物を奪う。気を察知すると人に近付くことはない。牛馬の骨を得なければ化けることができない。位を望むということは未だ詳らかではない。」と。

この定義を「遠野物語拾遺200」に重ねて見ると、確かに狐の親子は夜にしか人間界に姿を現さず、日中は岩屋の中に潜んでいる。そして人間に化けるという事から、牛馬の骨を得ているのか。古代中国では、人間に化ける狐は頭の上に、人間のドクロを載せて化けるのだが、ここでの牛馬の骨とは、どう変化してのものだろうか。気になるのは「一旦は信を失わぬものの、飽きてしまうとこれを忘れる。」とは、狐は畜生であると定義しているようなものだ。畜生は、恩を忘れる、覚えていないと云われるのが、ここにも組み込まれている。しかし、ペットで飼う犬や猫もそうだが、一度人間と接して餌を貰った狐は、その人間を頼って、再び訪れる。何度も出逢えば、人間も狐も互いに愛着を感じるのが自然の流れであろう。

実は、一番気になる箇所が、一番最後である。「その男は毎度遠野の方へも来る兵隊上がりの者といっていた。」と。大槌と遠野は、釜石よりも交流が深く、大槌と遠野で、よく婚姻が決まっていたそうである。この前知り合った、大槌町の神社の別当である女性は、宮守から嫁いだという事である。そういう事から、大槌から遠野に人が来るのは何等問題が無いのであるが、「ものがたり青笹」には、兵隊上りの男にに化けていた狐の話が紹介されている。この大槌の兵隊上りの男が、実は狐であったならば、いろいろ話は繋がるのだが・・・。
by dostoev | 2015-05-23 17:08 | 「遠野物語拾遺考」200話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺203(狐の経立)」

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遠野の元町の和田という家に、勇吉という下男が上郷村から来ていた。ある日生家に還ろうとして、町はずれの鶯崎にさしかかると、土橋の上に一疋の狐がいて、夢中になって川を覗き込んでいる。忍び足をして静かにその傍へ近づき、不意にわっと言って驚かしたら、狐は高く跳ね上がり、川の中に飛び込んで遁げて行った。勇吉は独笑いをしながらあるいていると、にわかに日が暮れて路が真闇になる。これは不思議だ、また日の暮れるには早過ぎる。これは気をつけなくては飛んだ目に遭うものだと思って、路傍の草の上に腰をおろして休んでいた。そうするとそこへ人が通りかかって、お前は何をしている。狐に誑されているのでは無いか。さあ俺と一緒にあべと言う。ほんとにと思ってその人についてあるいていると、何だか体中が妙につめたい。と思って見るといつの間にか、自分は川の中に入ってびしょ濡れに濡れておりおまけに懐には馬の糞が入れてあって、同行の人はもういなかったという。

                                                    「遠野物語拾遺203」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
遠野には、いくつもの狐の関所があり、この鶯崎も遠野の町外れであり、悪戯狐が現れた場所だと云う。佐々木喜善「聴耳草紙(狐の話)」によれば、鶯崎に居る狐はウノコという狐であるようだ。そのウノコは「遠野ノ町の付近で昔から狐の偉えものは、八幡山のお初子、鳥長根の島子、鶯崎のウノコ三疋であった。」という事から、狐の中でも位が高い狐であったか。
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偉い狐の一疋に八幡山のお初子がいるが、「ものがたり青笹」に踊鹿(驚岡)の狐の話が紹介されている。踊鹿は八幡山に属する為に、この話に登場する狐がお初子であろうか。画像は、その踊鹿に鎮座する稲荷社に飾られる狐面。この話は「遠野物語拾遺203」と似た様に、ある者が穴掘りに夢中になっていた狐を驚かせたところ、やはり突然真っ暗闇になって狐の逆襲に遭う。
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空を暗くする狐は「遠野物語拾遺189」にも登場し、馬木ノ内稲荷様とされている。画像は、この馬木ノ稲荷神社。この様に馬木ノ内の狐も踊鹿の狐も、社が建てられ祀られているが、同じ様に天候を操る鶯崎の狐には何故か社が建てられていないのは、少々寂しいものがある。

狐に位があると聞いて思い出すのが、山口部落にあるデンデラ野の奥にある妖狐の墓だ。この狐は白狐であったらしく、歳を経て霊威を供えた為か、他の狐が貢物として兎などの獲物を持って来たと云う。そういう意味から「偉い狐」となるには、かなりの歳を経ているのだろう。そして妖力として天候を操るなどの事が出来るようになったという事か。「遠野物語」には「猿の経立」「御犬の経立」がやはり歳を経てなるものから、この「偉い狐」は「狐の経立」と呼ぶべきなのかもしれない。
by dostoev | 2015-05-22 18:03 | 「遠野物語拾遺考」200話~ | Comments(4)

「遠野物語拾遺205(狐の関所)」

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遠野町上通しの菊池伊勢蔵という大工が土淵村の似田貝へ土蔵を建てに来ていて、棟上げの祝の日町へ帰って行く途中、八幡山を通る時に、酔っていたものだからこんなことを言った。昔からここには、りこうな狐がいるということだが、本当にいるなら鳴いて聴かせろざい。もしいるならこの魚をやるにと言って、祝の肴を振りまわした。するとすぐ路傍の林の中で、じゃぐえん、じゃぐえんと狐が三声鳴いた。伊勢蔵はああいたいた。だがこの肴はやらぬから、お前たちの腕で俺から取って見ろと言い棄てて通り過ぎた。その折同行していた政吉爺などは、そんな事をいうものじゃ無いと制したけれども、何、狐如きに騙されてやってたまるものか。これでも持って帰れば家内中で一かたき食べられるなどと、大言して止まなかった。それが今の八幡宮の鳥居近くまで来た時、ちょっと小用を足すから手を放してくれというので、朋輩たちももう里になったからよかろうと思って、今まで控えていた手を放すと、よろよろと路傍の畠に入って行ったまま、いつ迄経っても出て来ない。何だ少しおかしいぞとそのあとから行って見ると、祝に著て来た袴羽織のままで、溜池の中へ突落されて半死半生になっていたという。これは同行者の政吉爺の直話である。

                                                    「遠野物語拾遺205」

土渕の似田貝から八幡宮へ向かう途中であれば、現在の遠野観光マップに載っている「狐の関所」と呼ばれる場所が村外れであり、狐の出没する場所として認識されていた。ただ「狐の関所」とは一ヶ所では無く、町外れ、村外れの寂しい場所には狐が出ると云われていたし、実際に狐はいた。「注釈遠野物語拾遺」にも書いているが、佐々木喜善「聴耳草紙」「狐の話(85番)」には「遠野ノ町の付近で昔から狐の偉えものは、八幡山のお初子、鳥長根の鳥子、鶯崎のウノコ三疋であった。」という事から、この「遠野物語拾遺205」に登場する狐とは「お初子」という事だろうか。
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狐の関所から八幡宮の鳥居まで来るには、上の画像の道を通るのではなかろうか。既に八幡山の懐内であり、狐の縄張り内であるのだろう。同行している政吉爺は「遠野物語拾遺120」に登場している猟師であった事から、動物の恐ろしさなどを知っているからこそ伊勢蔵の言動に対して注意したのだろう。
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昭和40年代頃まで、八幡宮の鳥居の辺りから道路を隔てた向かい側に溜池があった記憶がある。もしかして、伊勢蔵が落ちた溜池とは、そこであったろうか。
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狐の関所から道路を隔てた向かい側は、田園地帯となるが、冬は一面真っ白な雪原となる。良く見ていると、、たまにその雪原を歩く狐を発見する事が出来る。狐は冬眠しない為、この狐の関所の悪戯も一年中あったという事だろう。ところで狐の鳴声だが、文中では「じゃぐえん、じゃぐえん」と表現されている。現代の日本での狐の鳴声の認識は「コンコン」とか「ケーン」というのが一般的ではなかろうか。しかし、実際に狐の鳴声と接すると、こういう「じゃぐえん、じゃぐえん」という鳴き方を聞いた事がある。この鳴声を聞いた時は5月の半ば頃で、夜に子狐が遊んで居る様を見ている時、近くにいた親狐の子狐を呼ぶ鳴声がこんな感じであった。つまり警戒した鳴声であったのか。ならば、伊勢蔵に対する警戒心から鳴いたのか、はたまた伊勢蔵に対して「警戒しろよ!」と鳴いたのであったろうか。
by dostoev | 2015-01-14 16:18 | 「遠野物語拾遺考」200話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺202(飯綱調伏)」

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この飯綱使いはどこでも近年になって入って来た者の様にいっている。土淵村でも某という者が、やはり旅人から飯綱の種狐を貰い受けた。そして表面は法華の行者になって、術を行うと不思議なほど当たった。その評判が海岸地方まで通って、ある年大漁の祈禱に頼まれて行った。浜の浪打際に舞台をからくり、その上に登って三日三夜の祈禱をしたところが、魚がさっぱり寄って来ない。気の荒い浜の衆は何だこの遠野の山師行者といって、彼を引担いで海へ投げ込んだが、ようやくこのことに波に打上げられて、岸へ登って夜に紛れてそっと帰って来た。それから某は腹が立ち、またもう飯綱がいやになって、その種狐をことごとく懐中に入れ、白の饅頭笠を被って、家の後の小烏瀬川の深みに行き、だんだんと体を水の中に沈めた。小狐共は苦しがって、皆懐から出て、笠の上に登ってしまう。その時静かに笠の紐を解くと、狐は笠と共に自然に川下へ流れてしまった。飯綱を離すにはこうするより外に、術は無いものと伝えられている。

                                                    「遠野物語拾遺202」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「飯綱を離すにはこうするより外に、術は無いものと伝えられている。」

原書房「憑物呪法全書」によれば、長野県の例では管狐に憑かれた場合、専門の行者に祈祷を頼み、おびき出して捕獲して貰うのだと。そして行者は箱もしくは竹筒に管狐を入れ川の中に入って、そのまま箱ごと流すのだという。憑き物祓いをした行者も憑かれる可能性があるので、管狐を流したら水に潜って禊をするのだという。岩手県東磐井郡では、管狐の好物に憑き物を集めて封じてから捨てる方法を取っていたようだ。また川に捨てるだけでなく、辻に捨てる場合も有効であったという。他にも専門的な管狐の除去方法があるが、それは直接「憑物呪法全書」を読んでもらった方が良いだろう。

管狐と飯綱は同じもので、長野県の飯綱山から出たとされる想像上の小さな狐とされている。飯綱使いは大抵、飯綱大権現を本尊としているようだ。その飯綱大権現とは、荼枳尼天である。その為か、夜中に七か所の墓石の欠片を取ってきて、それを利用した管狐の除去方法もあるようだ。

また管狐は、九尾の狐で有名な玉藻前の靈であるという説もある。九尾の狐は殺生石に封じ込まれたものの、実は永平寺の道元和尚が、かさご和尚に封印の秘法を授けたのだが玄翁和尚がそれを盗み聞きし間違ったやり方で調伏しようとした為に殺生石が割れ、その割れ目から無数の管狐の靈が日本全国に広がって人々に憑依するようになったという。だがこの話も作り話のようであるが、実在した玄翁和尚の開基した慈眼寺には玄翁和尚自作の荼枳尼天像がある事から、玄翁和尚は荼枳尼天法の使い手であったようだ。曹洞宗の和尚であった玄翁和尚だが、18歳の時に曹洞宗に入る前は5歳からずっと真言宗を学んでいたという。
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遠野で信仰されているものの中に、愛宕信仰、古峰山信仰が多くあるのだが、これは全て天狗と関係して信仰されている。愛宕は軻遇突智という火の神を祀っているのだが、実際は愛宕山の太郎坊、古峯山は「天狗の社」と呼ばれ東北では圧倒的に信仰され、そして飯綱山は飯綱三郎天狗となり、天狗の験力が火を駆使する事から火伏の意識が庶民には親しみを感じたのだと思う。上の画像の飯綱権現堂もまた火伏せを意識して建てられたものだ。しかしここでは火伏せの飯綱では無く、憑依する飯綱だ。「注釈遠野物語拾遺(下)」には、遠野の佐々木イセさんの言葉が添えられている。

「飯綱憑きは、周囲の人のプライバシーを感知し、見ていると思われているので、多くは不気味な人と思われている。」

富を為すという飯綱使いは、占いもやるのだが、そもそも占いとはいかに個人のデータを集めるかでもある。沢山の個人データを集めて分析すれば、当たると信じられる占の誕生である為、飯綱使いもまたそういうものに長けていた人物が飯綱使いになったのではなかろうか。それが急に個人情報から、大漁の祈禱まで任せられたのでは、占いや祈禱も当らないのは当然である。小松和彦「憑霊信仰論」では、管狐に食物をじゅうぶんに与えていれば富をもたらすが、疎かに扱うと逆に厄災になると書かれている事から、この「遠野物語拾遺202」に登場する飯綱使いは飯綱を疎かに扱った結果とも考えられる。また小松和彦は、この富をもたらす飯綱も、家に富をもたらす座敷ワラシも同列に考えているようだ。確かに「憑き」とは博打などでの「ツキ」であり「ラッキー」な意味に使用される。それが個人に憑くのが飯綱であり、家に憑くのが座敷ワラシというだけである。当然出て行けば、"ツキ"に見放された状態となり没落する。遠野地方だけでなく、金持ちの家が嫌われたのは、何かに憑かれているのだろうという不気味なイメージを伴っていたようである。秩父のある村では、「蔵のある大きな家には狐憑きの家だ。」と云われたそうであるが、これを遠野に代えれば、「蔵のある大きな家は座敷ワラシ憑きの家だ。」となる。つまり憑かれているのは「ツキがある。」状態であり、いつかは没落するというイメージを持つのだろう。「憑霊信仰論」に紹介されているが、広く管狐の家系とは婚姻を結びたくないと嫌われるのは、いずれ没落する家とは縁を結びたくないという自己保身もあるのだろうが、佐々木イセさんの言葉の様に、どこか不気味に感じる為に、避けられているのだろう。それは憑かれている状態が、本来のものでは無いと察しているからだろう。その人なりと付き合うには、本来の姿で付き合いたいという感覚。憑かれている状態は、本来では無いという事だ。この飯綱使いも、占がよく当たったのも、たまたま憑いていたからであり、その憑きが無くなった話しを飯綱のせいにしたという事なのかもしれない。
by dostoev | 2015-01-13 22:52 | 「遠野物語拾遺考」200話~ | Comments(8)

「遠野物語拾遺204(捏造記事)」

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これは大正十年十一月十三日の岩手毎日新聞に出ていた話である。小国のさきの和井内という部落の奥に、鉱泉の湧く処があって、石館忠吉という六十七歳の老人が湯守をしていた。去る七日の夜の事と書いてある。夜中に戸を叩く者があるので起きて出て見ると、大の男が六人手に手に猟銃を持ち、筒口を忠吉に向けて三百円出せ、出さぬと命を取るぞと脅かすので、驚いて持合せの三十五円六十八銭入りの財布を差出したが、こればかりでは分らぬ。是非とも三百円、無いというなら打殺すと言って、六人の男が今や引き金を引こうとするので、夢中で人殺しと叫びつつ和井内の部落まで、こけつまろびつ走って来た。村の人たちはそれは大変だと、駐在巡査も消防手も、青年団員も一つになって、多人数でかけつけて見ると、すでに六人の強盗はいなかったが、不思議なことには先刻爺が渡した筈の財布が、床の上にそのまま落ちている。これはおかしいと小屋の中を見まわすと、貯えてあった魚類や飯が散々に食い散らされ、そこら一面に狐の足跡だらけであった。一同さては忠吉爺は化かされたのだと、大笑いになって引取ったとある。この老人は四、五日前に、近所の狐穴を生松葉でいぶして、一頭の狐を捕り、皮を売ったことがあるから、定めてその眷属が仕返しに来たものであろうと、村ではもっぱら話し合っていたと出ている。

                                                    「遠野物語拾遺204」

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「注釈遠野物語拾遺(下)」には、その岩手毎日新聞の記事が紹介してあった。内容は確かに「遠野物語拾遺204」の通りに記されている。では、これをどう捉えて良いのだろう?実際に、複数の人間が小屋の中の狐の足跡を確認し、あげた筈の三十五円六十八銭入りの財布を確認している。だからこうして、新聞記事にもなったのだろう。ならば、忠吉爺さんが幻覚を見たのか、それとも夢とうつつを混同したのかとなる。

そして、もう一つ考えられるのは、明治32年に創刊された岩手毎日新聞は、岩手県で一番読まれている岩手日報のライバル紙であったという事だ。しかし、昭和8年に廃刊となったという事は、約35年程度の操業期間であるから、殆どが岩手日報に圧倒されて経営状態が良くなかったのであろう。となれば、最近の朝日新聞の捏造記事の乱発を考えれば、経営に困った岩手毎日新聞が、読者の注意を呼び込む為に、記事を捏造した可能性はある。いやもしかして、狐の怪事件で評判となった和井内の温泉に客を呼び込もうと共謀して捏造記事を書いた可能性もある。まあそれでも、被害者が殆ど出ない捏造記事であるから、国民に甚大な被害を与えた朝日新聞の捏造記事よりも、ほのぼのとして許してあげても良いのかもしれない。
by dostoev | 2015-01-12 21:16 | 「遠野物語拾遺考」200話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺208(猫に化けた狐)」

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つい近年の事である。小国村で二十二になる男と十八歳の若者と、二人づれで岩魚を釣りに山に入った。その川の河内には牛牧場の小屋があるから、そに泊るつもりにしてゆるゆると魚を釣り、夕方にその小屋に著いて見ると、かねて知合いの監視人は里に下っていなかった。はあこの小屋には近頃性悪の狐が出て、悪戯をして困るという話をしていたが、さては大将おっかなくて今夜も里に下ったなと、二人で笑いながら焚火をして、釣って来た魚を串に刺して焼きながら、その傍で食事をしていた。すると向うの方で可愛らしい猫の鳴声がする。狐が出るなどという時には、たとえ猫でも力になるべから呼んで見ろといって、呼ぶとだんだんと小屋に近づいて来て、しまいに小屋の入口から顔を出した。小さな可愛らしいぶち猫であった。招ぎ込んで魚などを食わせて背中を撫でてやると、咽をころころと鳴らしている。今夜はどこへも行くじゃないぞと、そこにあった縄を取って猫にワシコに掛けて小屋の木に繋いでおくと、食ってしまってから出て行こうとして、色々と身をもだえてあばれる。年上の方の男はこの恩知らずと言って、腰からはずしておいた鉈を取って、猫の肩先を切ったところが、縄まで一しょに切れて向うの藪に遁げ込んでしまった。一方の若い者が言うには、猫は半殺しにすると後で祟るものだというから、しっかり殺すべしと。そこで二人で出かけて竹鑓と鉈とで止めを刺して、それを縄で結んで小屋の口に釣るしておいて寝た。翌朝も起きてその猫を見て冗談などを言っていたのだが、そのうちに外から監視の男が入って来て、やあお前たちはこの狐を殺してくれたか。本当に悪い狐で、どんなにおれも迷惑をしたか知れないと言った。なに狐なものか、あれはとぺえっこな(小さな)ぶち猫だと言って、若い衆は小屋から出て見ると、それがいつの間にか大きな狐になっていたという。これは土淵村の鉄蔵という若者の聞いて来た話である。

                                                  「遠野物語拾遺208」

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この話もまた、その当時の遠野人の動物に対する残虐性を示す話であるのか。正直、猫を飼っている身としては、猫が恩知らずだからといって簡単に刃物で切り付ける行為そのものが信じられない。ましてや猫というものは犬と違い、ある意味恩知らず的な性質でもある。犬は紐で繋がれても大人しくしているものだが、猫というものは、紐に繋がれるのが嫌いな動物である。その事を知ってか知らずか、二人の若者の、そのような言動と行為には眉をひそめてしまう。

ところで、陰獣は祟ると云われ、それに当て嵌まるのが狐であり蛇であり、猫である。陰陽五行での陰とは女性を意味する事から、狐・蛇・猫というものが人間に化ける場合は女性となっているのも、執念深い陰獣と云われる由縁である。その陰獣としての系統が同じ為なのか、狐が猫に化けるのも、狐が女性に化けるのも容易であるのだろう。祟るというものも、陰獣ならではで、それは江戸時代に流行った怪談話をみても祟るのは陰獣である女性ばかりである。その根源は「古事記」の伊弉諾と伊邪那美の話で、「見ないでください。」と願う伊邪那美との約束を破り、黄泉津大神となった伊邪那美に追われるのも祟りの一つである。この「古事記」の話が昔話に反映され、「鶴女房」しかり「雪女」しかり、女性との約束を破るのは男性の相場となり、女性は常に正体を隠す存在と定着してしまった。現代においても化粧で正体を隠す女性であるが、その化粧の根源もまた「今昔物語」の話の中で厠に入った女性が化物になって出てきた話に由来する。それから厠でありトイレを化粧室というのは、女性が化けた事によるものであり、それは今でもトイレで化粧直しをする女性に向けられる用語である。
by dostoev | 2014-08-26 07:34 | 「遠野物語拾遺考」200話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺206(遠野残酷物語)」

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この政吉が小友村にいた若い時のことである。ある年の正月三日に
小友の柴橋という家から、山室の自分のいた家まで、帰って来る途
中で暗くなった。すると前に立って女が一人、背中の子供をゆすぶ
りながら行く。その子供が時々泣く。日頃知っている女のようにも
思ったが、それが子供をおぶいながら、こちらが幾ら急ぎ足である
いても、どうしても追いつけぬのでこれはおかしいと感じた。その
うちに自分もかけ出して追いつこうとすると、つと路を外して田圃
路を、背中の子供を泣かせながら、一向平気であるいている。路の
無いところをしかも雪の上なので、ははあこれはてっきり"おこん"
だと思い当ったのであった。

やがて自分の部落になり家に入って行こうとすると、もうその女が
こちらより一足先きに自分の家へ入って行くのであった。家には多
勢の若者が集まって、賑やかに遊んでいた。政吉はそこへ行きなり
飛び込んで、おい今女が来なかったかときくと、皆して笑って狐に
ばかされて来たなと言った。そこで試みに障子を開けて外を見ると、
はたして風呂場の前に一疋の狐が、憎らしくもちゃんと坐って家の
方を見詰めている。よし来たと猟銃を取出して、玉をこめて火縄を
つけると、どうしたものか火が消えて火薬に火が移らない。そこで
考えてそっと友だちの一人を呼んで、その鉄砲を持たせてそこにい
て狙っていてもらい、自分は今一挺の鉄砲を出して厩口の方へまわ
り、狐の横顔を目がけて一発で仕留めてしまった。

大変に大きな狐であったという。その晩は御蔭でみんなと狐汁をし
て食ったという話。この爺にはまだ色々の狐の話があるが、小友で
狐に騙されて塩鮭三本投げたという話など、たいてい他でもいう話
と同じようであった。

                         「遠野物語拾遺206」

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まず、政吉が追いつこうにも追いつけなかったと記されてあるが、これは「現代遠野物語(不思議な女性)」でも紹介したように、似た様な話がある。この昭和時代に起きた「不思議な女性」の話は、狐に関する似た様な話を真似たようでもある。また、暗くなるシーンがあるが、これは「遠野物語拾遺189」に、お稲荷様が天候を操作する話が紹介されている。これもお稲荷というより狐の摩訶不思議な力を語ったものであろう。

ところで文中に「ははあこれはてっきり"おこん"だと思い当ったのであった。」とあるが「おこん浄瑠璃」という、狐を我が子の様に可愛がったお婆さんとの哀しい話がある。そこに登場するのが"おこん狐"だ。「おこん浄瑠璃」の成立年代はわからぬが、恐らく政吉の言う"おこん"とは「おこん浄瑠璃」に登場するおこん狐を意味しているのではないか?となれば、その"おこん狐"を簡単に撃ってしまう政吉の方を悪者として感じてしまう読者もいるのではなかろうか?

とにかく「遠野物語拾遺」には、いろいろな狐の話が紹介されているが、その大抵は狐と判断した瞬間に物語の人間は、ためらいなく狐を殺してしまうのだ。読んでいて、痛々しいくらいに狐に対して無慈悲で残酷な人間達の行為は、その物語を子供達に聞かせる時、語り手は何を思い話し、子供達もどう思いながら聞くのであろうか?

狐が人に化ける話は中国から入ってきたようだが、その中国の話は殆ど人間にとって負の要因になるような話ばかりであるが、輸入元の中国よりも日本の方が、いつの間にか狐の話が発達したのは稲荷信仰と結び付いた為であろう。8世紀の「日本霊異記」には狐女房の話が載っており、正体がバレ、去って行こうとする狐女房に対し男は「いつでも"来つ"つ、"寝"にくるがよい。」と言い、それが「来つ寝(きつね)」として狐の語源の様な説話となっている。先の「おこん浄瑠璃」も含め、狐が人に化ける話にはプラス面と、玉藻の前などの九尾の狐のようにマイナス面の話の両方がある。確かに「遠野物語」「遠野物語拾遺」においても、両方の話がある。例えば「遠野物語60」において、狐が猟師の邪魔をする。政吉も鉄砲を持っている事から生業も猟師であるのだろう。しかし狐もまた、自然界の猟師である為に「遠野物語60」のように、人間との縄張り争いが起きる。その事から、猟師にとって狐は憎き存在であるのだろう。だから政吉には"おこん狐"であろうが、撃ち殺すのに躊躇いは無いのだろう。しかし「おこん浄瑠璃」の話においては、主人公のイタコの婆様は、厄介事を運ぶ狐を、我が子の様に可愛がる。しかし直接の被害を被る猟師と、間接的な厄災をイタコに運ぶ狐に対する意識は、やはり違うのであろう。

ただそれでも、狐の悪戯に対し、簡単に鉄砲で撃ち殺したり、棍棒で打ち殺したりする話に気分が悪くなってしまうのは、現代の多くの人が生き物の生と死から離れてしまっているのも、一つの要因であろう。例えば、地鶏を飼っている農家では、食べるその日に地鶏をシメてしまう。生き死にが日常に組み込まれた生活を送る人にとっては、狐を殺すのに躊躇いは無いのであろう。今では猟銃の事件も頻繁に起き、狩猟免許の試験も難しくなったという。また経済的に猟銃を手放し、新しい人材も増えない狩猟の世界は、益々過去の遺物に化してしまう。そうなれば、この「遠野物語拾遺206」を読んで嫌悪感を感じる人が、益々増えるのかもしれない。つまり、この「遠野物語拾遺206」はまだ、直接的に生物の生き死にに関わる生活をしていた時代に語られた話であって、現代のこの時代とでは温度差があるという事だろう。
by dostoev | 2013-02-03 22:11 | 「遠野物語拾遺考」200話~ | Comments(0)

 「遠野物語拾遺207(人に化けるモノ)」

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橋野村の某という者が、二人づれで初神の山に入って、炭焼きをしていたことがある。その一人は村に女を持っていて、炭竃でも始終その話をして自慢していた。ところがある晩その女が、縞の四幅の風呂敷に豆腐を包んで、訪ねて来て炭焼小屋に泊った。二人の男の真中に女は寝た。夜中に馴染の男が眠ってしまってから、傍の男はそっと女の身に手を触れて見ると、びっくりする程の毛もそであった。しばらく様子をさげしんで(心を留めて)いたが、思い切って起き出し、鉈を持って来てその女を斬り殺した。女は殺されながら某あんこ、何しやんすと言って息絶えた。何の意趣あっておれの女を殺したと、勿論非常に一方の若者は憤って、すぐにも山を下って訴えて出るように言ったが、いやまず明日の昼まで待って見よ。この女は決して人間では無いからと言ったものの、いつ迄経っても女の姿でいる故に、ようやく不安になって気を揉んでいるうちに、夜があけて朝日の光がさして来た。それでもまだ人間の女でいるので、いよいよこれから訴えに行くというのを、もう少し少しと言って引留めていたが、はたしてだんだんと死んだ者の面相が変わって来て、しまいに古狐の姿を現わしたそうである。今さらの如く両人の者も驚いて、共々里に下ってまず風呂敷の持主を尋ねて見ると、昨晩某という家に婚礼があって、土地の習として豆腐を持って行くことであったが、ある人の持って行った豆腐が風呂敷のまま紛失して、どうしたことかと思っていた。それがまさしく狐が山に持って行ったものであったという。今から五、六十年も前の出来事だといっている。

                                  「遠野物語拾遺207」

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実は…この「遠野物語拾遺207」を読んで真っ先に思い出したのは、小学校の頃に観た怪談映画「呪いの沼」という化け猫映画だった。主人の怨みをはらす為…というお決まりのパターンではあるが、女に化けた化け猫が敵役を床に誘い抱き合っている最中に、腕や足にザワザワと毛が生えていく様子は、子供心に怖かった思い出がある。(今観ると、どうだろうか?)

「遠野物語拾遺207」では、相棒が寝たのを確認し女に手を出したのが、その発見となったのだが、これも昔の性は大らかであったせいだろうか?ところがそういう大らかな性を厳しく取り締まった殿様が、遠野にはいた。女殿様と呼ばれた清心尼公の行使した処刑で有名なのは、お六という女性の磔刑である。清心尼公曰く「男女の不貞操の原因はまず女の側にある。」と述べていたようである。そういう時勢に、お六という女は仙台領の旅商人とねんごろの仲となり、ついには仙台領へと駆け落ちしてしまった。

清心尼公は激怒して「これは日頃から、女の操について自分が求めている事に、真っ向から反逆した行為である。これを見逃しては、今後の為にならぬ。」と、役人を通じて仙台領と交渉し、お六を引き取り処刑を命じた。姦通による磔刑は、おそらく遠野だけであったろう…と、世間はその厳しさに恐れ入ったと云う。

話は戻すが、清心尼公曰く、そういう性のトラブルは女が原因と述べている。つまり「遠野物語拾遺207」では狐であろうと、片割れの男の女であるならば、男の間に割って入るとは何事だとなる。不貞をする女というものは、常に男を天秤で量りにかけるものと云われる。逃げ道を作るといえば聞こえが良いが、要は飽きたらこっち。また、飽きたらこっちと移り気な女に多いのかもしれない。そこは狐の性(サガ)であったのか、黙って彼氏の傍に寝ればいいものを、よりによってその相棒の間に割って入れば、男という者…添え前食わねば…ではないが、自分の隣に女が寝てしまえば、ついつい手を伸ばしてみたくなるもの。しかし狐も警戒心が全く無かったのか、ついつい寝入って、その毛むくじゃらの醜い正体を晒してしまう。男というモノは例え人のモノでも、美しいとなれば惹かれてしまうが、見た目も含め、その本質や本性の醜さを感じれば、引いてしまうもの。ましてや女の正体が、毛むくじゃらの獣と知れば、恐ろしくもなるだろう。ただやはり、「遠野物語拾遺」においては、情の通った獣でさえも簡単に殺してしまうという恐ろしい面があるのは否めない。

ところで、この「遠野物語拾遺207」を映像化したとしたら、それこそ「呪いの沼」と同じ不気味さを感じてしまう。とにかく「遠野物語拾遺207」では、さらっと語ってはいるが、リアルな映像で観てしまうと「遠野物語拾遺207」とは、子供に簡単に見せられるものではないだろう…(^^;
by dostoev | 2011-11-09 16:22 | 「遠野物語拾遺考」200話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺206

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この政吉が小友村にいた若い時のことである。ある年の正月三日に
小友の柴橋という家から、山室の自分のいた家まで、帰って来る途中
で暗くなった。すると前に立って女が一人、背中の子供をゆすぶり
ながら行く。その子供が時々泣く。日頃知っている女のようにも思っ
たが、それが子供をおぶいながら、こちらが幾ら急ぎ足であるいても、
どうしても追いつけぬのでこれはおかしいと感じた。

そのうちに自分もかけ出して追いつこうとすると、つと路を外して
田圃路を、背中の子供を泣かせながら、一向平気であるいている。
路の無いところをしかも雪の上なので、ははあこれはてっきりおこん
だと思い当ったのであった。やがて自分の部落になり家に入って行こ
うとすると、もうその女がこちらより一足先きに自分の家へ入って行
くのであった。

家には多勢の若者が集まって、賑やかに遊んでいた。政吉はそこへ行
きなり飛び込んで、おい今女が来なかったときくと、皆して笑って狐
にばかされて来たなと言った。そこで試みに障子を開けて外を見ると、
はたして風呂場の前に一疋の狐が、憎らしくもちゃんと坐って家の方
を見詰めている。よし来たと猟銃を取出して、玉をこめて火縄をつけ
ると、どうしたものか火が消えて火薬に火が移らない。そこで考えて
そっと友だちの一人を呼んで、その鉄砲を持たせてそこにいて狙って
いてもらい、自分は今一挺の鉄砲を出して厩口の方へまわり、狐の横顔
を目がけて一発で仕留めてしまった。大変に大きな狐であったという。
その晩は御蔭でみんなと狐汁をして食ったという話。

この爺にはまだ色々の狐の話があるが、小友で狐に騙されて塩鮭三本
投げたという話など、たいてい他でもいう話と同じようであった。

                     「遠野物語拾遺206」

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この「遠野物語拾遺206」と似たような話が、昭和の終わり頃、水車小屋のある観光地である山口部落の人が体験したのだった…。
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昭和50年代の9月も終わろうとしていた頃、土淵の某さんは高室水光園
で皆と別れ、歩いて山口部落まで歩いて帰る事にしたのだという。林の中
を通り抜けている最中、左手に草地のある場所に来たところ、草地と林の
境のところに、ねずみ色のダボダボのスーツを着、同じ色の帽子を被って
いる女性が屈んでいたのだという。その女性の持つ手篭には、季節外れの
花が一杯入っていた。

某さんはお盆の頃に咲き乱れるピンク色のブクブク花を手篭に入れている
のを不思議がって、取り敢えず「こんにちわ」と声をかけたそうだが、何
も返答は無かったのだと。某さんは家に帰ってから、どう考えても、今時
あの花が咲いている筈が無いと不可思議に考えていたそうな。

また或る日、ある男の人が櫛に焼いたイワナを手土産に、やはり水光園か
ら歩いて某さんと同じ道を辿って帰る林の道の中、前方を女性が歩いてい
るので、追いついて声をかけようと思い、急いで近付くと、いつの間にか
その女性は別の場所を歩いており、再び追いつこうと急いでも、その女性
はまた違うところを歩いているという具合だったそうな。気がつくと、手
土産のイワナの串焼きは無くなり、狐に騙されたのだろうという事になっ
たらしい。

某さんはその話を聞き、自分が出遭ったそのねずみ色のダボダボのスーツ
を着た女性が実は狐だったのか?と思ったという事である。

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この話を聞いて…服装から『ネズミ女?』とも思ったが、追いつこうとしても追いつかないという箇所はまるで「遠野物語拾遺206」の一節に似ている話だなと感じた。となればやはり、狐に騙されたが正解?しかし時代は昭和も終わりに近い頃で、そういう話は聞かなくなった時代でもあった。

この「遠野物語拾遺206」でも”おこん”であろう狐を、いきなり殺している。”おこん”とは「コ~ン」と鳴く狐の鳴き声から親しみを込めて付けられた愛称でもあり”おこん”を題材とした演目や昔話の類もいくつかある筈。その”おこん”を政吉は、あっさり打ち殺してしまう。動物に対して残虐な話が多く出て来るのが「遠野物語拾遺」の話であるような気がする…。
by dostoev | 2011-11-09 05:01 | 「遠野物語拾遺考」200話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺209(熊に関して)」

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近所の鶴という男の女房は、まだ年の若い女である。先日山に行って
自分の背よりも丈の高い萱の中を分けて行くと、不意に大熊に行逢っ
た。熊も驚いて棒立ちになったが、たちまち押しかかってきた。

何分人間の体よりもずっと大きな熊ではあり、他に仕方がないので、
その場に倒れたまま身動きもせずにいると、熊は静かに傍へ寄って来
て、手首や足首などを何度も握って見る。

それから乳房や腹まで次々と体のそこら中を探り、さらに呼吸をうか
がっている。女は今にも引裂かれるかと思って生きた心持も無かった
が、そのうちに熊は何と思ったか、女の体を抱いて沢の方へ投げ付け
た。それでもこの女は声を立てずにいると熊は始めて悠々と立ち去っ
たそうである。

これは昭和三年の九月十五日に、つい二、三日前の事だと言って話し
ていたのを聞いた。

                          「遠野物語拾遺209」

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熊の怪異というより、熊の恐怖は未だ遠野に蔓延している。遠野市民の中でも「山には熊がいるので行きたくない…。」という市民も多く存在するのが現状だ。しかし、個人的に言わせて貰えば、熊ほど臆病な生き物は無いと思っている。大抵の野生動物の場合、遭遇して逃げるそぶりは見せるが、一旦立ち止まり人間を観察しているようである。

人と遭遇して無我夢中に逃げる動物は、実は熊であるという事を大抵の人々は知らないものである。ただ春先の、子連れの熊だけは我が子を守る為に必死なので、本当に気を付けなければならないのは、春先の山に出没する熊だけなのだろう。ただ、ヒグマに関しては。。。

熊と遭遇して、歌を歌って助かった女性がいる。熊を目の前にし、直立不動で、「カラス何故鳴くの」など童謡を歌い終わったら、熊は黙って去っていったのだと。しかし、その歌声は、上手だったのか、そとも下手だったのかは謎である…(^^;

また、熊に対して優しく話しかけて助かったという婆様もまた遠野には存在した。とにかく慌てず騒がず、落ち着いて対処できば、熊というものは、そんなに人を襲うものでは無いと思う。過去に、遠野で熊の被害になり死亡した人がいたが、あれは猟師に追い詰められた熊が、逃げている前方を塞ぐようにいた人間を無我夢中で襲ったものだと云われている。

ところでこの「遠野物語拾遺209」で紹介された、似たような体験をした男性がいる。やはり熊と遭遇した時に、死んだふりをしたそうな。すると熊が寄ってきてクンクンと匂いを嗅いだその後、前足でその人物の体を転がすようにしたという。そして犬が甘噛みするように、その熊もその人物の手足を甘噛みするようにしたのだと。痛かったそうだが、そこで大きい声を出せば危ないと思い、声を出すのを必死で堪えていたら、その熊は飽きてしまったのか、その人物の元から立ち去っていったという。

ちなみに去年は、まだ雪の残る3月の山に、熊の足跡が確認されている。去年より雪も少なく暖かな今年は、さてどうだろう。。。
by dostoev | 2010-12-04 09:37 | 「遠野物語拾遺考」200話~ | Comments(0)