遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」180話~( 10 )

「遠野物語拾遺184(蜘蛛)」

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佐々木君の隣家の三五助爺、オマダの沼という処へ行って釣りをしていると、これも青い小蜘蛛が時々出て来ては貌に巣をかけてうるさかったから、その糸を傍の木の根に掛けておいた。すると突然、その根株が倒れて沼に落ち込んだという。また小友村四十八滝のうちの一の淵でも、土淵村の人が釣りに行っていたら、同じような蜘蛛の糸の怪があったそうである。よく聞く話であるが、村の人達はこうしたことをも堅く信じている。

                                                  「遠野物語拾遺184」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
蜘蛛をコブと呼ぶ地域が全国に有り、岩手県も含まれている。これは、腫れた意の瘤と同じであると。ダニが血を吸ってお尻が膨れるのと同じ感覚で、蜘蛛の体形が瘤だと表しているようでもある。「宇治拾遺物語」に掲載されている「こぶ取り爺」の話は、歳を経た爺様に瘤が出来ているのだが、これは同じく歳を経た樹木が、ボコボコの瘤が出来て異形な樹木になる事に影響を受けている様である。岩手県では、ブドウ球菌によって根のある固くなった腫物を根太(ネクモ)と呼ぶが、要は蜘蛛と同じ意味となる。そして、根のある切り株もまた根太とも呼ぶようである。となれば、この「遠野物語拾遺184」で木の根株そのものも、蜘蛛の体の一部であるとの意を含んでいるか。
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蜘蛛の糸が顔に付くのは不快を覚えるが、蜘蛛にとっては生きる為の命綱でもある。ただ蜘蛛の狩りは、待ち伏せしての狩りである為に陰湿な生き物とされ、女性的とされる。その中でも女郎蜘蛛は悪意の代表となっている。その女郎蜘蛛は男を狩ると云うが、三五助爺を襲った蜘蛛は、もしかして女郎蜘蛛であったのか。

ところで、オマダの沼に釣りに行ったと記しているが、佐々木喜善の住む山口部落から、オマダの沼は和山の赤柴という遠い地にあるので、現実的な話ではない。ただ堺木峠沿いである為に、そのオマダの沼での話が伝わって来たものであろう。また、小友村での話は、藤沢の滝ではなく平笹の滝の方であるようだ。
by dostoev | 2015-06-17 20:19 | 「遠野物語拾遺考」180話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺185(靑蜘蛛)」

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旗屋の縫が早池峯山へ狩りに行って泊っていると、大きな青入道が来て、縫に智彗較べをすべえといった。縫は度胸の据った男であったから、よかろうと答えて、まずその青入道に、いくらでもお前が小さくなるによいだけ、小さくなって見ろと言った。すると青入道は見ている間に小さくなったから、縫はそれを腰の火打箱に入れておいた。翌朝になって火打箱を開けて見たら、小さな青蜘蛛が中に入っていたそうな。

                                                    「遠野物語拾遺185」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遠野物語拾遺183」「遠野物語拾遺184」と、「賢淵」の類話が続いていた。この「遠野物語拾遺185」では、その怪異の主である青蜘蛛が早池峯山に登場しているが、この話は、佐々木喜善「老媼夜譚」でも紹介されているのだった。ところで、大入道に対して知恵を働かせ、小さくなるように仕向けて退治する話は、自分が子供の頃に観た「長靴をはいた猫」でも、長靴をはいた猫が魔王に対しても行っていた。
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蜘蛛の怪異は良いとして、何故に青蜘蛛なのかという事だろう。蜘蛛では無いが、小松和彦「日本怪異妖怪大辞典」によれば、茨城県では帯を後ろに締めて暗い夜道を歩くと、青鷺が入道となって後ろから顔を覗き込むという話が伝えられる。これは反日常を行う事によって物の怪に付け狙われる様な話ではある。また別に、鳥山石燕「画図百鬼夜行」に「靑鷺火」が紹介されており、小松和彦はその青鷺をこう解説している。
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「靑サギは夜間に光を放つ怪異となる。靑サギが飛ぶとその光は火の玉や月の様に光るという。また帯を後ろに締めて夜道を歩くと、青サギが入道となって後ろから覗き込むとも伝えられている。」

本来「青」とは水を称える色でもある。しかし「青」の旧字体は「靑」であって、植物の下に井戸を兼ね備えた漢字であり、赤を意味する「丹」という文字も含まれていた。そこで本来の水を意味する為、水の精でもある月が組み込まれ「青」となった。 靑鷺が月の様に光るように、青蜘蛛も恐らく月の靑が組み込まれたものではないだろうか。「賢淵」からわかるように、登場する蜘蛛は滝や淵の主とされている場合が多く、水神との関連性が指摘されている事から、青はやはり靑であり、月と水を意図して表現されているのだと思う。では、早池峯に登場した靑蜘蛛は、早池峯の主であろうか?確かに早池峯に祀られる神は水神である事から、青蜘蛛と結び付けられるのは当然であるかもしれない。また「ギリシア神話」では、女神ヘラの怒りに触れて罰せられた機織りの得意なアラクネが蜘蛛に変えられたが、古今東西蜘蛛が化けるのは殆ど女である事から、古代ギリシア時代からの神話が広く伝わったものであろうか。しかし、入道となれば女では無いという認識が一般的だろう。どちらかというと、"間抜けな男"を意図して作られた青入道であったのかもしれない。
by dostoev | 2015-01-26 16:00 | 「遠野物語拾遺考」180話~ | Comments(11)

「遠野物語拾遺181(モノ)」

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家のあたりに出る蛇は殺してはならぬ。それはその家の先祖の人だからという。先年土淵村林崎の柳田某という人、自分の家の川戸にいた山かがしを殺したところ、祟られて子供と自分がひどく病んだ。巫女に聞いて貰うとおれはお前の家の祖父だ。家に何事も無ければよいがと思って、案じて家の方を眺めているところをお前に殺されたといった。詫びをしてやっと宥して貰った。また佐々木君の近所のある家でも、川戸で蛇を殺してから病気になった。物に訊くとおれはお前の家の母だが云々といった。こういう実例はまだ幾らでもある。

                                                    「遠野物語拾遺181」

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まず文中に登場する川戸とは、生活用水を汲む場である。上記の画像は、観光地となっている千葉家の曲り屋での川戸となる。水神は、水場を守る存在でもある。その水神が蛇と結び付けられるのは、しばしば蛇が水辺で見かけられる事から、原初的な蛇に対する観念が発生したのかもしれない。

I(アイ)ターンで遠野に住み付く人達がいる。大抵は定年後、のんびりと老後を田舎で過ごそうとして来る人達が多いが、途中でリタイアする人も中にはいるという。その理由の中に、まず女性というものは虫に弱い。庭に鼻を植え野菜を植えて楽しみたいと希望する女性が来るのだが、蟲の存在を気にしていなかった。青虫・毛虫、そして蛇などが畑や庭を這いずる世界が田舎にはある。当然、蛇も蟲の仲間であり"マムシ"などという名称は、その名残である。古代中国では、疾病の「疾」とは、人間の体内に蛇が入り込んだ状態を意味する漢字となる。疾の内部の「矢」が古代から蛇を意味する漢字である。大物主が赤い矢に化けて勢夜陀多良比売の陰部を突いた話も、蛇として解釈しても問題は無いだろう。とにかく蛇とは、川戸などの水辺から庭先、そして人間の体内をも這いずるものだと思えばよい。それは、蛇はどこにでも存在するという、神に近い意識が根底にあるのだろう。
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「注釈遠野物語拾遺」によれば土淵では、「物に訊く」とは「蛇に訊く」という事らしい。物はしばしば鬼とも表現されるが、ここでの物は蛇という事のようだ。小松和彦「憑霊信仰論」では、例えばギャンブルで「今日は、馬鹿に憑いている!」とか「憑きが落ちた!」とか、「モノに憑かれたように働いている。」などと、「モノ」や「憑く」が現代でも日常的に使用されている例を挙げている。しかし「モノ」とは、明確な対象が無いものでカラッポを意味するという。その「モノ」の具体的内容の決定は、民間の呪術=宗教者の手に委ねられていると説いている。確かに「モノ」とは抽象的な言葉である。日本には言霊という概念が存在する為、例えば暗闇に鬼が潜んでいても「あそこに鬼がいる!」と言った瞬間に、鬼という事だ魔を発した為に、その鬼を呼び込む事になる。それ故に、鬼を敢えて「モノ」として例え「あそこに、恐ろしいモノがいる。」という言葉を変えるだけで、潜んでいた鬼は、その場に留まると考えられていた。

遠野には何故か鬼の伝説は無く、その代わり蛇の話は数多くある。その中で、土淵村では「モノ」を「ヘビ」として捉えていたのは、恐ろしい物の怪の殆どは蛇であると認識されていたのだろう。水=滝=淵=川=蛇であるなら、蛇はどこにでもいる存在であるからだ。そして家の敷地に現れる蛇は先祖だという事だが、これは山岳信仰の死生観に関わるのだろう。遠野でも、人が死ぬと魂は山へと昇ると考えられている。その山の中で、一番高い山ほど天に近いとされ、遠野で一番高い山は早池峯となる。その早池峯の神とは水神である竜蛇神となる。また全国的に山神の三大使役とは、蛇・狼・猪となっている。その山神の使役である蛇が家の敷地にいるという事は、山神に抱かれた先祖の霊が蛇となって現れたと考えるのは、至極当然の事だと思うのだ。土渕ではモノが蛇であるならば「山のモノ」とは、ある意味「山から帰って来た先祖の霊」と捉えるべきであろうか。
by dostoev | 2014-12-23 20:33 | 「遠野物語拾遺考」180話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺180(侵入する蛇)」

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数年前、栗橋村分の長根という部落でヒラクゾの某という若い娘が、畑の草を取っていながら、何事か嬉しそうに独言を言って笑っているので、一緒に行った者が気をつけて見ていると、何か柴のような物が娘の内股の辺で頭を突き上げて動いている。それは山かがしであったから、人を呼んで打ち殺したという。

                                                    「遠野物語拾遺180」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「田舎医者 蛇を出したで 名が高し」

女性の下着がまだ腰巻の時代、田舎に住む女の子の遊びは、野山へ行って花摘みなどした後に、昼寝をしたという。その際中に、よく蛇が陰部に侵入した事故が多かったという。その時、女性の陰部から蛇を取り出す事が出来た医者は名医と呼ばれたというのが、上記の川柳であった。実際に、蛇が隙間に入ったところを引っ張っても、鱗が逆目になる為か、なかなか引っ張り出す事が出来ないものである。遠野市では、自分の記憶では昭和50年代に、観光バスの女性ガイドが何も無い峠の途中でトイレタイムとなり、藪の中で用を足している最中に、蛇に侵入された事故が起きている。

古くは、「古今著聞集」に、ある家の娘を付け狙っていた蛇が厠に潜んでいたという話があるが、例えば赤い矢に化けた大物主が、川で用を足している勢夜陀多良比売の陰部を突いたという話があるが、矢もまた蛇の変化とされ、また「日本書紀(崇神天皇記)」によれば、大物主の正体が蛇である事から、見た目は矢でありながら蛇として陰部を突いたものと考えても良いだろう。ともかく厠を含めて女性の用を足している時というのは無防備であり、その隙をつくのは女性と結ばれ易い時であるのだろう。そうなれば当然、寝ている時も無防備という事だろうから、夜這い文化が発達したのも納得してしまう。また、こうして蛇などの魔物が人間の女性を犯すという話が全国に広まった事から、女性を守る為に魔物が棲むとされる山などが女人禁制となったのは当然であったのだろう。

ところで「遠野物語拾遺180」では、単に蛇に陰部を突かれようとした話では無く、女性がどうも蛇に憑かれているような描写となっている。箸墓古墳の伝説もまた、大物主である蛇に夢中になった姫の話でもあるし、全国にも色男に化けた蛇の魔性の話も多く伝わる事から、この話も、それらに属するものであるかもしれない。「祟る、憑く」と一般的に云われる獣は、猫であり狐であり、蛇などの陰の気を持つものだ。遠野でも、蛇に憑かれたとされる爺様が、布団から蛇がうねる様に這い出したという話も伝わっている。また、大正11年には蛇を殺した祟りから、体に鱗の様なものが生え、それを七日間に渡るある僧の祈禱により治り、その蛇の魂を封印した神社が遠野にはある。とにかく若い娘は蛇に憑かれたが、その蛇を殺してもまた祟られる話が蛇にはある事から、この話も打ち殺してお終いという話にはならないのだろう。
by dostoev | 2014-12-22 18:59 | 「遠野物語拾遺考」180話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺188(懸ノ稲荷様)」

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安政の頃というが、遠野の裏町に木下鵬石という医師があった。ある夜家族の者と大地震の話をしていると、更けてから一人の男が来て、自分は遊田家の使いの者だが、急病人が出来たから来て戴きたいと言うので、さっそくその病人を見舞って、薬をおいて帰ろうとすると、その家の老人から、これは今晩の謝儀だと言って一封の金を手渡された。翌朝鵬石が再び遊田家の病人を訪ねると、同家では意外の顔をして、そんな覚えはないと言い、病気の筈の人も達者であった。不思議に思って家に帰り昨夜の金包みを解いてみると、中からは一朱金二枚が現れた。その病人は恐らく懸ノ稲荷様であったろうと、人々は評判したそうである。

                                                    「遠野物語拾遺188」

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懸ノ上稲荷は、遠野では古い稲荷社で、文禄年間に葛西の家臣である欠下茂左衛門が阿曽沼に仕え、旧領の石巻日和山の稲荷社を勧請し崖の下に祀り、後に懸ノ下稲荷から上に祀り懸ノ上稲荷なったという。

ところで木下鵬石だが「上閉伊今昔物語」にも似た様な話が紹介されており、そこでは木下鳳石という名になっていた。これは「注釈遠野物語拾遺」によれば、新町の常福寺が木下家の菩提寺であり、過去帳には「鳳石」とあるそうなので「鵬石」という名は間違いの様である。また物語の中で一朱金を二枚を貰ったとあるが「遠野史料」には一朱銀とあるので、どうも一朱銀の方が正しいようである。
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ところで「上閉伊今昔物語」に紹介されている話では、時代が明治12年頃となっている。「遠野物語拾遺188」では安政の頃となっているが、木下鵬石の生れはどうも天保6年(1835年)らしいので、安政年間が1854年~1860年の僅か7年間であり、その間に懸ノ稲荷の話があり、明治12年は1879年であるので、約20年後の明治時代にも、稲荷様とのやり取りがあったようだ。

その「上閉伊今昔物語」で紹介されている話は、やはり急病人が出て呼び出され一番良い薬を出したら治ったので、御礼に黄金を山と貰ったそうである。しかし多過ぎるので辞退したが、無理に押し付けられて帰ったという。しかし同じ様にその病人は実在せずに、やはり稲荷様であったかとなっている。しかし前回よりも多くのお金を貰ったので、そのお金で家を建てたという話となっている。そしてその後日談として、稲荷様のお金で建てた家は昭和3年の大火でも焼けず、昭和13年の大火でも焼けずに残り、稲荷様の御利益で焼けないのだろうと評判になったようである。また似た様な話ではあるが、穀町の朝倉家にも稲荷があるが、やはり大火の時にその手前で火が止まったので、お稲荷様のおかげだとなったそうである。こういう稲荷に関する伝承・伝説が日常に伝わる為に、稲荷様の地位は益々広がったのだろう。現在、日本で一番多い神社が稲荷神社であるのは当然の事なのかもしれない。
by dostoev | 2014-05-27 18:07 | 「遠野物語拾遺考」180話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺186(化け狸)」

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これは宮古の在の話であるが、山の中に五軒ほどある部落に婚礼のある晩、大屋の旦那が宮古へ行って、まだ帰って来ぬ為に式を挙げることが出来ず、迎えに迎えを出して夜の更ける迄待ちあぐんでいたところ、不意に家に飼っている二疋の犬が吠え立てたと思うと、戸を蹴破る様にしてその大屋の旦那様が入って来た。すぐと膳部を配り盃を廻し始めると、旦那はまるで何かの様に大急ぎで御馳走を乱し食うて、おれはこうしちゃいられない。明日はまた宮古に山林の取引があるから、これから行くと言って立ちかけた。まだ式も済まぬ前といい、いかにも先刻からの様子が変だと思っていた人々は、互いに目くばせをしてそんだらばと、表へ送り出すや否や犬をけしかけた。すると旦那は驚いて床下に逃げ込む。それやというので若者たちは床板をへがし、近所の犬も連れて来てせがすと、とうとう犬どもに咬み殺されて引きずり出された。見れば大きな狸であった。その騒ぎのうちに本物の旦那様も還って来て、めでたく婚礼は済んだという。今から二十年程前の話である。

                               「遠野物語拾遺186」

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「遠野物語拾遺」では「曹源寺の貉」の話と並んで記されているもので、遠野では狐の話は多いのだが、狸の話は珍しい。近代まで「ムジナかタヌキか、タヌキかムジナ」という言葉が広まっていたように、貉=穴熊と狸は混同されていた。有名な大正14年の狸裁判は、栃木県に於いて狩猟法として狸を獲るべからずとして方が定められた中、穴熊を二匹獲った猟師が訴えられ裁判となった。大正時代ではあるものの、まだ明確に狸と穴熊は分れていなかった。遠野では狸の話が少ないのだが、菊池悟「いわて兎の昔語り」では、全国で有名な「カチカチ山」の話が、若干の変化しながら、いくつか紹介されている。それが、兎がやっつける相手が、狸だったりムジナ(穴熊)だったりするのは、やはり狸と穴熊の混同があったせいだろう。恐らく「遠野物語拾遺186」が穴熊であり、「遠野物語拾遺187」の曹源寺の貉堂が狸堂であったとしても違和感が無いのではなかろうか。「日本書紀」推古天皇記三十五年春二月に「貉」と記されているのが一番古い記述であるらしいが、それが狸であったのか穴熊であったのかは定かでは無いが、狸という字を「タヌキ」と読むようになったのは鎌倉時代以降のようで、それまでは狸であっても穴熊であっても貉と記していたようだ。

ところで陰獣とも云われる狐が化けるのは、殆どが女であり、狸が化けるのは男となっているようだ。確かに狐よりも線の太く感じる体型は、人間に化けたら恰幅の良い男性として認識できそうだ。ましてや狸の八畳敷きと云われるように巨大なモノが付いている狸は、この「遠野物語拾遺186」に登場するような旦那様に化けるのがお似合いであるようだ。しかし、日野巌「動物妖怪譚」の狸の項を読むと、ごく僅かだが女性に化けた信州での狸の話が紹介されてあった。

この「動物妖怪譚」を読むと、古来から東北には狸が居なくて貉は居る事になっている。逆に、関西から九州にかけては、狸は居るが貉は居ないとなっている。よく、狸の化ける話は四国に多いとあるが、実はそれが東北では貉にすり替わっていたという事だろう。それ故に「遠野物語拾遺186」では旦那様に化けていたのが「大きな狸」であったという記述も、大正時代に狸裁判があった事から、まだ狸と穴熊との認識が曖昧な時代である事から違和感を覚えた。だが佐々木喜善「聴耳草紙」「狸の旦那」の話が、これと同じ話であり、最後に「大正十年十一月二十日に宮古在の人から聴いた話である。」と記されている事から、確かに狸と穴熊が分別されつつあった時代ではあるので、宮古地方では、どうにか狸であると認識されていたのだろう。

タヌキ汁を食べた事が無いが、知人の古老曰く「冬のタヌキはうめぇぞ!」という。確かに、冬場に遭遇するタヌキは冬を乗り切る為に丸々と太って、美味しそうに思える。縄文時代の人達が食べてきた動物の中で、猪が30%、鹿が30%で、残りの40%が他の動物であったらしい。3番目に来るのは兎か?とも思っていたが、実は狸であった。なるほど、人間が捕まえるには、その素早さから見ても、兎よりも狸の方が楽であったのが、その理由であるようだ。「遠野物語拾遺186」の最後には本物の旦那様が登場し、無事に婚礼が済んだとあるが、そのお祝いの席にタヌキ汁を出したというオチがあっても良かったのだろう。
by dostoev | 2014-03-20 19:50 | 「遠野物語拾遺考」180話~ | Comments(4)

「遠野物語拾遺189(お稲荷様の力)」

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上郷村佐比内の佐々木某という家の婆様の話である。以前一日市の甚右衛門
という人が、この村の上にある鉱山の奉行をしていた頃、ちょうど家の後の山の
洞で、天気のよい日であったにもかかわらず、にわかに天尊様が暗くなって、
一足もあるけなくなってしまった。そこで甚右衛門は土に跪き眼をつぶって、こ
れはきっと馬木ノ内の稲荷様の仕業であろうと。

どうぞ明るくして下さい。明るくして下されたら御位を取って祀りますと言って眼
を開いて見ると、元の晴天の青空になっていた。それで約束通り位を取って祀
ったのが、今の馬木ノ内の稲荷社であったという。

                          「遠野物語拾遺189」

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稲荷神社は、日本で一番信仰されている神社で、個人宅も入れれば、その稲荷神社の数は、計り知れない。それだけ多くの稲荷神社が全国にあり、それに関する逸話なども沢山溢れている。ここでの稲荷は、天候を左右する力を有しているという事なのだろう。似たような話に「ものがたり青笹」には、やはり狐の力によって昼間でありながら真っ暗闇になった話が紹介されている。


栗橋村に、駄賃付けをしている男がいた。いつも青笹の飯豊に泊って遠野の町に
行っていた。ある日の朝早く、男は踊鹿の辺りを歩いていると、狐が何やら穴を
掘っているのに出くわした。そこで男は、狐を驚かせてやろうと傍にあった柴を
狐めがけて投げたところ、見事に命中したと。その後、男は遠野の町で用を足し
た帰り道、再び踊鹿に差し掛かったところ、突然辺りが真っ暗闇になったという。
男は暫くおろおろと歩いたそうだが、暗闇に不安になり「助けてけろ!」と叫ん
だところ「どうした?ここは新堤だぞ?」という通りがかりの人物の声に、ふと
改めて辺りを見渡すと、いつの間にか明るくなっていたという事である。これも
狐の仕返しだったか…という話であった。



この話からわかるのは、暗くなったのは実際に空が暗くなったのでは無く、狐が騙す人間に対して目に幻覚を見せたという話となっている。江戸時代当時は、狐=稲荷様という観念が定着していた為「遠野物語拾遺189」での稲荷の悪戯は、そのまま狐の悪戯と考えて良いのだろう。「遠野物語拾遺189」での甚右衛門が真っ先に馬木ノ内の稲荷様の仕業と考えるに至ったのは、それだけ庶民に身近であった稲荷=狐であったからだろう。それ故、稲荷や狐に関する様々な伝承…もしくはホラ話も、多く広まったのだと考える。
by dostoev | 2010-12-04 10:07 | 「遠野物語拾遺考」180話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺187(狢の見せる夢)」

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上郷村字板沢の曹源寺の後の山に、貉堂という御堂があった。昔この寺が荒れて往持も無かった頃、一人の旅僧が村に来て、この近くの清水市助という家に泊った。そこへ村の人が話を聴きに集まって、色々の物語をするついでに、村の空寺に化物が出るので、住職もいついてくれず困っているという話をすると、それなら拙僧が往って見ようと、次の日の晩に寺に行くと、誰もおらぬといったのに寺男のような者が一人寝ていた。変に思ってその夜は引返し、翌晩また往って見たがやはり同じ男が寝ている。こやつこそ化物と、くわっと大きな眼を開いて睨めつけると、寺男も起直って見破られたからは致し方が無い。何を隠そう私はこの寺に久しく住み、七代の住僧を食い殺した貉だと言った。それから釈迦如来の檀特山の説法の有様を現じて見せたとか、寺のまわりを一面の湖水にして見せたとかいう話もあり、結局本堂の屋根の上から、九つに切れて落ちて来て、それ以来寺には何事も無く、今日まで続いて栄えているという話になっている。山号を滴水山というのも、その貉の変化と関係があるとの様に語り伝えている。

                       「遠野物語拾遺187」

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上郷村(上閉伊郡)大字板沢に曾源寺という寺がある。昔この寺がひどく荒廃して、住持もおらないことがあった。ある日この辺へ一人の旅僧が来て、寺の近くにも寺はあるが、不思議なことには来る住持も来る住持も、みな一夜のうちに行くえ不明になって、今では誰一人寺を守る者もなく建物なども荒れほうだいにしてあるということを聴かされた。旅僧はハテ不思議なこともあるものだ。よしそれでは明日俺がその寺へ行って見て、もし化物でもおったら退治してやると言った。そしてその夜は寝た。

翌日旅僧が山の麓の荒寺へ行って見ると、本堂に一人の爺様が寝ていた。なんぼ呼んでもその爺様は眼を覚まさなかった。そうしてとうとう二日二夜、打通しで眠り続けていた。三日目の朝になるとその爺様はやっと眼を覚まして、旅僧に言うには、俺もとうとうお前様に本性を看破られた。俺はお前様の察する通り年久しくこの寺に住む古貉だ。そして住持を食い殺すこと七人、魔法で人を誑かしたことは数知れない。けれどもお前様に看破られたので俺の天命も尽きたから、一つ俺の技倆を観せてやる。俺は今ここに、釈迦の檀持山の説法のありさまを目のあたりに現わして見せるからよく見ろ、その代り念仏は忘れても唱えてはならぬぞと言った。そして旅僧の目の前に忽然と、ちょうど極楽絵図を真実にしたような景色を現わした。旅僧はお釈迦様やその他の尊者達がみな御光を射して、雲に乗って静々と現れたのに、合掌して、貉の言葉を忘れて思わず、念仏申すと、その景色は忽ちペカリと掻き消えた。そして自分は破れた壇の前に座っていた。

旅僧は夢から覚めたような心持で、ぼんやりしていると、ポタリと屋根から一滴の水が落ちてきた。すると忽ちに大雨が降って来て、見ている間に大洪水となった。そして見渡す村々もことごとく水の下になった。そして寺もすでにハヤ押流されそうに、ガラガラと震れ動いて来た。旅僧はこれは何のことだ。大変だと思っていると、西と東の山かげから多くの軍船が起り出てひどい船戦となった。そこで旅僧も初めて、ははアこれは貉の悪戯だなアと思って、印を結んで九字を切ると、ざあッと水が引いた。それと同時に屋根の上でギャッという叫び声がしたかと思うと、大きな貉がごろごろと転び落ちて斃れた。村の人達はそれを貉寺の境内に埋めて堂を建てた。それが今もある貉堂である。


「聴耳草紙(貉堂)」

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遠野での昔話を採集する中で、特にキツネの話しに、天候を左右したりとの話が多く見受けられる。この「遠野物語拾遺187」に登場する狢の話も似たようなものだろう。一般的に、あからさまに目に訴えたり、耳に訴えたりするものの大抵は、下等霊の仕業が多いというのは昔からの定説らしい。最近特にスピリチュアルなるものが流行り、甘い香りがしたとか、不思議な音がした、または写真を撮影した時に、不思議な写真が撮れたなどという大抵もまた下等霊の仕業かもしれない。下等霊は容易に人の心に侵入するようで、その神秘体験を荘厳な霊の仕業と勘違いする者が後を絶たないという。鎌倉時代に成立した鴨長明「発心集」では、その時代の神秘体験に対する当時の意識を見る事が出来る。

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或る宮腹の女房、世を背けるありけり。病ひをうけて限りなりける時、善知識に、ある聖を呼びたりければ、念仏すすむる程に、此の人、色まさをになりて、恐れたるけしきなり。あやしみて、「いかなる事の、目に見え給ふぞ」と云ふ。聖の云ふよう、「阿弥陀仏の本願を強く念じて、名号をおこたらず唱へ給へ。五逆の人だに、善知識にあひて、念仏十度申しつれば、極楽に生る。況や、さほどの罪は、よも作り給はじ」と云ふ。即ち、此の教へによりて、声をあげて唱ふ。

しばしありて、其のけしきなほりて、悦べる様なり。聖、又これを問ふ。語つて云はく、「火の車は失せぬ。玉のかざりしたるめでたき車に、天女の多く乗りて、楽をして迎ひら来たれり」と云ふ。聖の云はく、「それに乗らんとおぼしめすべからず。なほなほ、ただ阿弥陀仏を念じ奉りて、仏の迎ひに預からんとおぼせ」と教ふ。これによりて、なほ念仏す。

又、しばしありて云はく、「玉の車は失せて、墨染めの衣着たる僧の貴げなる、只ひとり来たりて、『今は、いざ給へ。行くべき末は道も知らぬ方なり。我そひてしるべせん』と云ふ」と語る。「ゆめゆめ、その僧に具せんとおぼすな。極楽へ参るには、しるべいらず。仏の悲願に乗りて、おのづから至る国なれば、念仏を申してひとり参らんとおぼせ」とすすむ。

とばかりありて、「ありつる僧も見えず、人もなし」と云ふ。聖の云はく、「その隙に、とく参らんと心を至して、つよくおぼして念仏し給へ」と教ふ。其の後、念仏五六十返ばかり申して、声のうちに息絶えにけり。

これも、魔のさまざまに形を変へて、たばかりけるにこそ。

鴨長明「発心集」第四の七「或る女房、臨終に魔の変ずるを見る事」

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この鴨長明「発心集」には、死期の迫った女房に、恐ろしい者と火の車が見え、また美しい天女の車が見え、または墨染の衣を着た僧が見え…とあるが、聖は全て否定し、その導きに乗ってはならぬとたしなめた。鴨長明「発心集」は鎌倉時代の作品であるが、この時代には既に正しい導きとは、何も無く独りで行き着くものであると認識されている。神秘体験などは魔の変じた幻覚だと認識されていたようだ。つまり現代でも感じ得る?神秘体験とは、やはり何も無いもの…”無”であるのだろう。神社仏閣に赴き、具体的な何かを感じる事こそ”魔”に導かれるものであり、その魔に対して一歩足を踏み入れたものであろう。
by dostoev | 2010-12-04 10:02 | 「遠野物語拾遺考」180話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺183(釣りでの怪異)」

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土淵村字栃内琴畑の者が、川魚釣りに行って小烏瀬川の奥の淵で釣り糸を
垂れていると、時々蜘蛛の巣が顔にかかるので、そのつど顔から取って傍ら
の切株に掛けておいた。その日はいつもに無く、よく岩魚がついたが、もう日
暮れ時になったので、惜しいけれども帰ろうと思っている折柄、突然傍らにあ
ったこの根株が根こそげ、ばいらと淵の中に落ち込んだので、驚愕した。

家に帰ってからハキゴの中を見ると、今まで魚と思っていたのは皆柳の葉で
あったそうな。

                         「遠野物語拾遺183」

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この話は、キツネが登場するか?と思わせて、まったく出てこない。しかし結果は、キツネに騙された話に似通った話だ。また別に「遠野物語拾遺184」でも場所は違うが似たような話が紹介されている。その話には蜘蛛の巣だけではなく、青い蜘蛛も登場している。また「遠野物語拾遺185」には、旗屋の縫が登場し青入道退治をするのだが、その正体は青蜘蛛であったという話になっている。ここで総合すれば、この釣りでの怪異を成している正体は、全て蜘蛛であったのか?という事になる。それも青蜘蛛という事になるのか…。

白山信仰を調べていると、しばしば白は青になるという記述に出逢う。白は青に、青は白に変化するのだ。白波も、元を辿れば青い海の変化だ。青白い顔という言葉から、昔から青と白は同じものという認識はあったようだ。つまりここでの青蜘蛛という存在は、白い蜘蛛でもあるのだろう。白い生き物は神の使いとされ、魔力を持つという。つまりここの釣りの話に登場する青蜘蛛、旗屋の縫が退治した魔力を持つ青蜘蛛も、本来は白蜘蛛の変化であり、神の力を携えた存在なのだろう。人里を離れた時点で、禁忌の場所になってしまう。ようは神域であり、人の力の及ばぬ魔所だ。つまり神域を侵した人間が、魔所の御礼を受ける話が、この一連の物語なのだろう。

ところで、岐阜県に伝わる話に、似たような話がある。蜘蛛淵に釣りに行くと淵から蜘蛛が出てきて釣り人の足に糸を掛けた。糸を外して切り株に掛けておいたら、蜘蛛が糸を引っ張って切り株は淵に引き込まれた。蜘蛛は淵の中で笑っていたという。

これは、宮城県の話だ。田束山のクモ滝に大きな蜘蛛がいた。ある人が山に行ったら、滝から蜘蛛が出てきて足に糸を巻いた。糸を脇の樹に引っ掛けておいたら、その樹は滝壷に引き込まれた。


また静岡県には、次のの話が伝わる。浄連の滝で昔、農夫が休んでいると女郎蜘蛛に糸をかけられた。糸を外してかけ移した切り株は滝壷に引き込まれた。後年、農夫の後継ぎが滝壷に斧を落とすと美女の姿をした女郎蜘蛛の精が返してくれたが、口外すると生命を失ったという。

これらの話から釣りをしている最中に蜘蛛の巣がかかったり蜘蛛の糸が顔につくのは、蜘蛛が人を取り込もうという意思であり、その蜘蛛の糸を傍らの切株にかけたのが水に落ちるのは、蜘蛛の糸の力であったのだろうと思われる。

つまり、人里離れた淵で釣りをするというのは、人里離れる自体が異界への侵入を表し、非日常世界が広がってしまう。普段、虫を捕らえる蜘蛛が異界では人間をも捕らえる存在に変わってしまうというもの。ギリシア神話では、蜘蛛の元はアラクネという女性ががヘラと織物対決をし勝利したのだが、負けたヘラが屈辱のあまりアラクネを罰し蜘蛛に変えてしまった話が伝わる。西洋での殆どは、元は人間であったという話が多い中、日本では純粋に生物が異界で変化し、妖しになる話が多い。だから大抵の場合、西洋では動物に対し、人間の名前のような愛称を付けるのは、元々人間であったものという根底があるのだが、日本の場合にはそれがない、純粋な物の怪となってしまう。

話を戻すが、他の地域の蜘蛛の話に似通ってはいるものの、遠野のオチは、キツネに化かされた話に近ので、単純に想像すれば、異界の蜘蛛の話とキツネに騙された話の合成だろう。そして静岡の話は、それこそいろいろな話が一つの話に要約され過ぎて、まとまりの無い話になってしまっている。
by dostoev | 2010-12-04 09:57 | 「遠野物語拾遺考」180話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺182(ツチノコ)」

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上郷町佐比内河原の鈴木某という男が、片沢という所へ朝草刈に行った。
刈り終わって家に帰って、馬に草をやろうとして見ると、刈草の中に胴
ばかりの蛇がうごめいていた。

次の朝もまた片沢へ行くと、馬沓程もある胴の無い蛇の頭が眼を皿の様
にして睨んでいた。

これはきっと昨日の蛇と同じ蛇だろうと思い、おおいに畏れて、以後こ
の沢には決して入らぬし、祠も建てて祀るから、どうか祟らないでけろ
と言って帰った。

それで祟りもなかったが、何代か後の喜代人という者がこの言い伝えを
馬鹿にして片沢へ草刈りに入ったところが、頭ばかりの蛇が草の間に藁
打槌の様になっていた。それを見て帰ると、病みついて死んだと伝えら
れており、今もこの片沢には草刈りに入らない。

                            「遠野物語拾遺182」

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ツチノコは全国でも有名だが、この「遠野物語拾遺」でも似たような蛇の姿が伝えられている。ただ…鈴木某が片沢で初めのツチノコらしきを見、翌日同じ片沢へ行って、やはり同じツチノコの様な蛇がいたという事は…。

蛇は、かなり大きいものを食べると云われるのは一般的である。ただ、度を越したモノを食べた場合、ある程度消化するまで、動けなくなるという。写真はアズマモグラを飲み込んだアオダイショウだ。自分の体よりも度を越す獲物を丸呑みした、アオダイショウは動けなく、すぐに捕獲されたと云う。なので「遠野物語拾遺182」における鈴木某が、2日続けて見た蛇もまた…似たようなものだった可能性は大きい。そう、あまりにも大きい獲物を丸呑みしてしまった為、動けなくなって同じ場所にいた蛇であろう。

ただ、アオダイショウの場合は体長もあるので、腹はツチノコ並みになるのだろうが、かなり尻尾は長く見える筈。なのでここはやはり、アオダイショウよりも体の短いマムシがやはり、モグラなどを丸呑みして動けなくなっていたのでは…と思う(^^;
by dostoev | 2010-12-04 09:51 | 「遠野物語拾遺考」180話~ | Comments(0)