遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」150話~( 10 )

「遠野物語拾遺159(夢の継承)」

f0075075_1243091.jpg

これは佐々木君の友人某という人の妻が語った直話である。この人は初産の時に、産が重くて死にきれた。自分では大変心持がさっぱりとしていて、どこかへ急いで行かねばならぬ様な気がした。よく憶えていないが、どこかの道をさっさと歩いて行くと、自分は広い明るい座敷の中に入っていた。早く次の間に通ろうと思って、襖を開けにかかると、部屋の中には数え切れぬほど多数の幼児が自分を取巻いていて、行く手を塞いで通さない。しかし後に戻ろうとする時は、その児等もさっと両側に分れて路を開けてくれる。こんなことを幾度か繰り返しているうちに、誰かが遠くから自分を呼んでいる声が微かに聞こえたので、いやいや後戻りをした。そうして気がついて見ると、自分は近所の人に抱きかかえられており、皆は大騒ぎの最中であった。この時に最初に感じたものは、母親が酢の中に燠を入れて自分に嗅がしていた烈しい匂いで、その後一月近くもの間、この匂いが鼻に沁み込んだままで痛かったという。産をする者には、この酢の匂いが一番効き目のあるものだそうで、それも造り酢でなければ効かぬといわれている。

                                                    「遠野物語拾遺159」

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冬山でブランデーなどを気付け薬として使用したドラマを見た事があるが、アルコール度数の強い酒も確かに気付け薬となるのだろう。一般的には炭酸アンモニアが古代ローマ時代から使用されていたようだが、日本ではやはり強烈な臭気の酢となるのだろうか。酢は応神天皇の頃に中国から伝わったようで、かなり歴史も古い。ただ米酢であるとか果物酢であるとか、ここでの作り酢の原料は何であるかはわからない。ただ、槇佐知子「今昔物語と医術と呪術」には「鬼に打たれた病の治療法」として「上等の苦酒を両方の鼻孔中に吹き込む。」とある。これは、葛洪という古代中国の考案した医療法であり、これが日本にも伝わっていたようだ。古代中国では、鬼は死である事から、死線を彷徨うのも鬼に打たれ事になるようである。そして「苦酒」とは「酢」である事から、恐らくこの話で使用された酢とは酒から造った酢ではなかろうか。

ところで初産の時の不安はかなり大きいらしい。現代とは違い、出産時に死ぬ例も多々あった事から、様々な不安が頭を過るのだろう。その不安の形が、この話に現れている。C.G.ユング「心理学的類型」を読むと、夢診断も含め抽象化する思考や感情には、宗教的感情を加えるのが適切であろうという判断を下している。また、アンドレア・ロック「能は眠らない」を読むと、刺激的な夢にはドーパミンが大量に分泌されるようだ。そして、その夢の中でも白日夢の様な、夢なのか現実なのか本人が理解出来ない夢がある。しかし、その白日夢を含めて登場しない夢があるという。それは、日々の生活や仕事の中での、例えば計算する・ものを書く・読むなどの極端な変化の無いものだという。確かに、日常の仕事が事務などの計算ばかりで過ごす人の夢が、やはり計算ばかりする夢であるのは、まさに夢が無い夢となる。

大抵夢とは、その人の認識するものが夢に登場する場合が多い。しかし、夢のストーリーの多くは、動物や見知らぬ他人や化物が、夢見る者の恐怖を呼び起こす存在として登場する場合が多いという。恐らくそれは、古代から続く祖先の夢を継承しているのでは無いかとの仮説が立てられている。例えば祖先が狩猟民族時代に野生動物に追われた体験が強く残り、それが種族に夢として継承されるが、それはその時代の文化や個人体験、そして知識によって、その追われる対象の書き換えが成されていると。つまり、野生動物に追われた体験が、昨今のゾンビブームに相まって、野生動物では無くゾンビに追われる夢に書き換えられるというもの。夢による祖先意識の継承の大抵は、脅威や恐怖であるという事だというが、そうなれば輪廻転生の話まで行き着く。確かに遺伝子というものは過去から受け継がれた情報である。その遺伝子という情報が夢に影響を及ぼすならば、確かに祖先の体験したものを受け継いでもおかしくはないのだろう。例えば子供が、小さな犬や猫、もしくは郊外で子狐やリスなどの小動物に出逢った時、追いかけてしまうというのは狩猟民族時代の名残を継承している為だと云われる。となれば、その個体に継承されている情報には、見た目の顔形や体形だけでは無く、本能的なものも含め、夢もまた継承されている可能性を強くは否定できないだろう。

ユングが思考や感情に宗教観を加えるという考えもまた、祖先の継承となるのだろう。「遠野物語拾遺159」に登場する女性は初産だという事から、恐らく過去には堕胎は無かったものと思える。しかし、遠野の歴史の中には、夏前にヤマセが吹くと飢饉を察するので、生きてはいけないだろう赤子などを間引きしてきた歴史がある。昭和50年代に、秋田県のある民家の庭先から、多くの赤ん坊の骨が発見された事件があったが、其の骨は祖先から続く習俗の継承でもあった。そう、間引きである。今でこそ、間引きは逮捕となるのだが、昔は自らが生きる為に許される暗黙の了解であった。つまり、夢には祖先から継承されたものがあるのならば、その初産の女性の祖先には多くの間引きした幼児がいたのではなかろうか。その延々と継承された祖先の間引きの歴史が、初産の時にフラッシュバックの様に現れてしまったと思ってしまうのだ。脳に対する刺激物であるドーパミンによって祖先の夢を継承し、やはりその家に継承される刺激物である酢によって現実に戻ったという話が「遠野物語拾遺159」であったのだろうか。
by dostoev | 2014-12-20 22:15 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺156(死後のイメージ)」

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佐々木君の友人某という人が、ある時大病で息を引取った時のことである。絵にある竜宮の様な門が見えるので、大急ぎで走って行くと、門番らしい人がいて、どうしてもその内に入れてくれない。するとそこへつい近所の某という女を乗せた車が、非常な勢いで疾って来て、門を通り抜けて行ってしまった。口惜しがって見ているところを、皆の者に呼び返されて蘇生した。後で聞くと、車に乗って通った女は、その時刻に死んだのであったという。

                                                    「遠野物語拾遺156」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
例えば藤原秀郷が百足退治をした後に、蛇の案内により滋賀県の瀬田橋から水中に入り、竜宮の門まで行ったという伝説がある。竜宮の門は異界の入り口ではあるが、それは黄泉の国の入り口でもあるようだ。藤原秀郷は、瀬田橋から佐久奈谷に到達し、竜宮の門を見ているが、佐久奈谷の伝承には、黄泉国へ引き込まれるなどという伝承もある。現実的に死体という穢れは、それを浄化する水の流れる川に流された。応仁の乱の時などは、川が死体で埋まったと云われる。死体の集まる水辺であるからこそ、黄泉国と繋がっているという伝承があるのは当然なのだろう。三途の川もまた、あの世とこの世との境界を流れる川で、あの世に行く為には三途川を渡るしかないのだが、それはあの世へ行く前に穢れを落とす為でもある。とにかく、その黄泉国と繋がる竜宮の門伝説とは、生者がなかなか到達できない特異な場所という認識の元に成り立っている。

そして、この「遠野物語拾遺156」には、竜宮の門と共に車が登場している。その車とはガソリン車では無く、時代から考えれば人力車であろう。人力車には大八車と呼ばれるものがあり、その大八車は江戸時代から使用されたというが、似た様な荷車は平安時代まで遡る事が出来る。その死体を運ぶ荷車が、いつしか妖怪火車という存在を作り上げたのではなかろうか。火車は葬儀の最中や墓地から死体を奪うと伝わるが、頻繁に死体を運ぶ荷車が家族の元から死体を奪っていくように思えたのではなかろうか。そのイメージに、後から猫が習合されたように思えてしまう。ただここでは、単に女が車で運ばれている描写となっている。

「遠野物語拾遺156」は結局、佐々木喜善の友人が抱く死後のイメージを表しているのだろう。死を意識した時に見る夢は、その人間のイメージや宗教観などが具現化するもの。また不思議譚として、車で運ばれた女がその時刻に死んだとあるが、それが近所の女である事から、恐らく病気か何かで近いうちに死ぬだろうという情報が既に佐々木君の友達にインプットされており、たまたま夢に登場しただけなのかもしれない。

人の死がわかる場合も多々あるものだ。人には生命エネルギーというものがあるというが、実際に死期が近い人からは、その生命エネルギーらしきを感じなくなる。何となく、力が無くなったなぁと思う人の余命は短いものである。それはあくまでも、人が勝手に感じる感覚ではあるが、意外に当たるものである。その感覚を持っていた佐々木君の友達が、近所の女の死をも予感していたのだろうか。
by dostoev | 2014-12-19 19:51 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺155(仮死状態)」

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先年佐々木君の友人の母が病気に罹った時、医師がモルヒネの量を誤って注射した為、十時間近い間仮死状態でいた。午後の九時頃に息が絶えて、五体も冷たくなったが、翌日の明け方には呼吸を吹き返し、それが奇蹟の様であった。その間のことを自ら語って言うには、自分は体がひどくだるくて、歩く我慢もなかったが、向うに美しい処があるように思われたので、早くそこへ行き着きたいと思い、松並木の広い通を急いで歩いていた。すると後の方からお前達の呼ぶ声がするので仕方なしに戻って来た。引き返すのが大変嫌な気持ちがしたと。その人は今では達者になっている。

                                                    「遠野物語拾遺155」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
危篤状態で生死の境を彷徨い、呼び戻す声に意識が戻る話は、かなり伝えられている。肉体から魂が抜け出し、一時の死を肉体が体験するのだが、魂が再び肉体に戻れば蘇生するという話だ。魂は、髪の毛の先端や、口や鼻の穴、耳の穴からも抜け出すものと信じられていた。例えば「徒然草 四十七段」には「ある人、清水寺へ参りけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、」とある。「くさめ(嚏)」とは「くしゃみ」であり、くしゃみの勢いで魂が抜けださないよう「くさめくさめ」と呪文を唱える俗信が「徒然草」の時代には、既に定着していたようだ。「生き物」は本来「息者」とされていた。実際「息」とは「生き」の名詞形となっている。息をする口や鼻から魂が抜け出すと思われたのは、人間の呼吸と密接な関係があると思われたからだ。

「旧約聖書」でも、土人形に神が息吹を鼻から吹き込んで人間となったとあるし、「古事記」でも息吹から宗像三女神が誕生している。古今東西、息吹によって魂が注入され、人間となったと信じられているようだ。だからこそ、その逆によって魂も簡単に抜け出すと信じられていた。しかし、抜け出した魂は、肉体の一部と繋がっていると。だから、呼べばそれに答えて、魂は戻ってくると。それを「魂よばい」とも云われ、生死を彷徨っている人に向って名前を呼ぶという行為は、民俗学的だけではなく医療学的にも有効な手段であるようだ。古代中国では、人が死んだ場合、その家の屋根に上って大声で、その人の名前を叫ぶという。それは屋根が地上よりも高い位置にある為に、抜け出た魂により近くなると考えられたからであった。「魂よばり」し「名前よばり」でもある。人というものは、名前を大事にしているものだから、どんな雑踏の中でも名前を呼ばれたと思ったら、どうしても振り返ってしまうもの。名前は一つの言霊の呪文である。だからこそ、昔は名前を教えはしなかった。清少納言や紫式部の本名が未だに知られていないのは、その時代は本名を知られるのは、結婚する相手か、呪術に使われる場合であった。だからこそ、本名は常に隠していた時代でもあった。「西遊記」で金角・銀角の使用した瓢箪は、呼びかけた相手が返事をすると吸い込む物。つまり、簡単に名前を知られてしまうと、魂を吸い取られる物としての呪具が瓢箪でもあったようだ。「遠野物語拾遺155」では肉体が瓢箪の代わりとなって、名前を呼んだ事によって魂が肉体に吸い込まれ戻った形となっている。ただ臨死状態は、世の中の苦を抜け出している為なのか、余程心地良さそうではあるので、そこに彷徨う人の魂を呼び戻すには、余程の気持ちを込めなくてはならないのだとも感じる。
by dostoev | 2014-12-18 13:59 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺151(人魂)」

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次は遠野町役場に勤めている某の語った実話である。この人の伯父が大病で長い間寝ていた頃のことであるが、ある夜家の土間に行きかかると、馬舎の口から火の魂がふらふらと入って来て、土間の中を低くゆるやかに飛廻った。某は怪しんで、箒を以て彼方此方と追廻した後に、これを傍らにあり合わせた盥の下に追い伏せた。しばらくすると外からにわかに人が来て、今伯父様が危篤だから直ぐ来てくれと言う。某はあわてて土間に降りたが、ふとこの火の魂のことに気がつき、伏せておいた盥を開けてから、出かけた。程近い伯父の家に行って見ると、病人は一時息を引取ったが、たった今生返ったのだとというところであった。少し軀を動かし、薄目をあけて某の方を見ながら、俺が今こいつの家に行ったら、箒で俺を追廻した揚げ句に、とうとう頭から盥を冠せやがった。ああ苦しかったと言って、溜息をした。某は恐ろしさに座にいたたまれなかったという。

                                                    「遠野物語拾遺151」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「遠野物語拾遺」には、いくつかの幽体離脱の話が紹介されているが、それが火の魂・人魂という形で語られているのは、この「遠野物語拾遺151」だけである。火の魂・人魂は、しばしば"光物"という表現で、遠野では多く語られていた。自分も、明治生まれの婆様から、いくつかの光物の話を聞いた事がある。また「遠野今昔」においても、綾織の阿部某の著には、いくつかの光物の記述がある。ただ光物は、人魂であるのか、もしくは狐火であるのか定かでは無いが、総称して光物と言っているようである。
f0075075_17531158.jpg

江戸時代中期に編纂された百科事典である「和漢三才図会」では人魂を上記の画像のように、光の玉が尾を引いている形で描かれている。神田左京「不知火・人魂・狐火」によれば、人魂の話は支那にもアメリカにもヨーロッパにも見当たらないとしている。幽霊は全世界共通であるようだが、人魂という概念は日本独自であるようだ。昭和4年の朝日新聞のコラムでも人魂は取り上げられていたらしく「人魂は、幻覚でもないと同時に、また何かの光覚を錯覚化したやうなものでもなく、全くある特別の光体であるやうに考へられ…。」と記述されている。
f0075075_187839.jpg

以前、夜の五百羅漢へ行き、新滝の辺りを撮影した時、気になる光りが写っていたので、それを拡大トリミングしたのが上記の画像だ。「和漢三才図会」の人魂の絵の様に、尾を引く光が写り込んでいた。

日本に伝わる人魂の俗信には、耳の中から物が出るという。そして、その人は二、三日で死ぬ。もしくは、10日余りで過ぎてから死ぬ事もあると。そういう意味では「遠野物語拾遺151」の伯父が人魂が解放されて息を吹き返したのに当て嵌まる。

面白い話として、明治大学教授松村定次郎氏は、東京で多くの人魂を見かけたそうだ。その人魂を東京では二種類に区別して、名称を分けたという。ランプの光のように黄色く、頭の大きい尾を引くのを「人魂」と呼び、青白く強い光で尾が短いものを「金玉(かねたま)」と呼んだそうである。早稲田大学の大槻教授が「人魂は球電だ。」と唱えた時代に、読売新聞を読んだ時「ロシアの科学者、人魂調査で来日」という記事を目にした。内容は何故、日本の人魂は大きいのかという疑問の元にロシアの科学者が来日したという。つまり、人魂という概念は日本だけでは無かったという事か。いや恐らく、訳の問題であろうから、大槻教授の球電という言葉を、人魂として訳したのかもしれない。
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数年前、夜中に薬師岳へ登り、遠野盆地を撮影している最中、東の方から赤い光の玉が飛んできて、カメラの前でUターンしていった。その時のシャッター速度は30秒露光であった為に、その赤い光の軌跡だけが画像の左隅にだけ写り込んでいる。眼下は崖なので、とても悪戯撮影など出来ない状況下であった。ただ感覚として、遠野では人が死ぬとその魂は、御山に昇って行くという言葉がある。その御山とは、遠野で一番高い早池峯山を云う。薬師岳は早池峯山の前に聳える前薬師とも呼ばれる、早池峯山への通り道でもある事から、この光る物体は早池峯へ向かうのかと、漠然とそう感じたのを覚えている。

明治時代の国語辞典「言海」では、「人魂とは「燐火の地より起りて飛ぶもの。人の魂と想像す。大抵頭円く、尾長く、色青白くして赤味あり。地を去る事甚だ高からず、徐に浮かび行、人魂火。」。また「辞林」という辞書には「夜間、空中を飛行する燐火。多くは青白くして尾を引く。古来人のたまなりといひ伝へたり。」。他にも「流星又は夜地から出て、空中へ飛んで行く燐の火。」であるとしているが、神田左京氏は「燐の火なら、高くも低くも、地から出て空中へ飛び出す筈が無い。固体である燐が、地からどうして出て来るのか?全く乱暴な考えだ。」と否定している。他にも燐化水素説、メタンガス説、無熱のガス説、微生物説、流星説など様々な人魂の正体説が云われ続けたが、球電説は、その中でも比較的新しいのだろう。しかし、エゲル・ジョルジ「謎の発光物体 球電」を読んでも、その発生のメカニズムさえ解明されていない。ただ、様々な人魂の正体説がある中で一番、「球電」の可能性が高いのだと感じている。ただそれでも、その球電が人の生き死にに関わって発生したのなら人々はやはり、「人魂」と呼び続けて伝わっていくのだろう。
by dostoev | 2014-10-18 19:29 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺154(魂の浮遊)」

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この似田貝という人が近衛連隊に入営していた時、同年兵に同じ土淵村から
某仁太郎という者が来ていた。仁太郎は逆立ちが得意で夜昼凝っていたが、
ある年の夏、六時の起床喇叭が鳴ると起き出でさまに台木から真逆さまに堕
ちて気絶したまま、午後の三時頃まで前後不覚であった。後で本人の語るに
は、木の上で逆立ちをしていた時、妙な調子に逆転したという記憶だけはあ
るが、その後のことは分らない。ただ平常暇があったら故郷に還ってみたい
と考えていたので、この転倒した瞬間にも郷里に帰ろうと思って、営内を大
急ぎで馳出したが、気ばかり焦って足が進まない。二歩三歩を一跳びにし、
後には十歩二十歩を跳躍して疾っても、まだもどかしかったので、いっそ飛
んで行こうと思い、地上五尺ばかりの高さを飛び翔って村に帰った。途中の
ことはよく憶えていないが、村の往来の上を飛んで行くと、ちょうど午上り
だったのであろうか、自分の妻と嫂とが家の前の小川で脛を出して足を洗っ
ているのを見掛けた。家に飛び入って常居の炉の横座に坐ると、母が長煙管
で煙草を喫いつつ笑顔を作って自分を見瞻っていた。だが、せっかく帰宅し
てみても、大した持てなしも無い。やはり兵営に還った方がよいと思いつい
て、また家を飛び出し、東京の兵営に戻って、自分の班室に馳け込んだと思
う時、薬剤の匂いが鼻を打って目が覚めた。見れば軍医や看護卒、あるいは
同僚の者達が大勢で自分を取巻き、気がついたか、しっかりせよなどと言っ
ているところであった。

その後一週間程するうちに病気は本復したが、気絶している間に奥州の実家
まで往復したことが気にかかってならない。あるいはこれがオマクというこ
とではないかと思い、その時の様子をこまごまと書いて家に送った。すると
その手紙とは行き違いに家の方からも便りが来た。その日の午頃に妻や嫂が
川戸で足を洗っていると、そこへ白い服を着た仁太郎が馳け込んで横座に坐
ったと思うとたちまち見えなくなった。こんなことのあるのは何か変事の起
こった為ではないかと案じてよこした手紙であったという。何でも日露戦争
頃の事だそうである。

                             「遠野物語拾遺154」

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この話は「遠野物語拾遺153」と連動するものであり、物語の中にやはり「白い服」を着た仁太郎が登場する。「遠野物語拾遺153」で書いたように「魄」は形に付くものであり、魂が想いを具現化したものと考えていいだろう。「白い兵隊」は戦に勝つという兵隊の想いなら、この「遠野物語拾遺154」は兵隊となった仁太郎の想いが、田舎に帰る事であったのだと思う。

古代には、魂は頭に宿ると信じられていた。それは「頭」の語源「天の魂(あまのたま)」からきているからであった。神の魂が天から降って来て頭に宿る。よって人間とは、神の作りたもうものであった。その人間の頭に宿った魂は、口や鼻から、もしくは髪の毛の先端から抜け出ると信じられてきた。「だんぶり長者」では、眠っている若者の鼻に蜻蛉が止まるのは、鼻の穴から魂が抜け出る意味を伝えていた。また北陸では、鼻の穴に蝶が止まり夢を見るので、蝶を「夢虫」とも称していた。魂が浮遊して、肉体とは別の場所を見て来る事を夢とも現とも判別できなかったからだ。その魂の浮遊…所謂人魂の浮遊と蝶のヒラヒラと飛ぶ飛行が似ている為に、蝶が結び付いた為だ。鼻息は「鼻」から出る「息」だ。「息」とは「自らの心」という意味になる。心とは魂とも解釈され、神の息吹により人間が生れるとの神話がある様に「古事記」においても、素戔嗚尊が気吹いて宗像三女神が誕生した。つまり、鼻息もそうだが息を吹く事は、魂を吹き込む事にもなる。奇しくも水難事故などで、マウストゥーマウスで水難者の息を吹き返すのも、ある意味"魂のやり取り"でもあるのだ。

また「徒然草(第四十七段)」では「くさめ、くさめ」と唱える老婆が登場する。クシャミをして死なない為の呪文が「くさめ」であるのは、クシャミをすると魂が飛びだすと信じられた為の呪文であるのは、口が魂の出入り口になっている事を示す。「宇津保物語」にも「口なくば、いづくよりか魂かよはむ」と書かれているように、口は魂の出入り口であったようだ。

とにかく気を抜くと、鼻の穴から、口から魂は抜け出てしまうようだ。「遠野物語拾遺154」において、台木から真っ逆さまに堕ちたと書き記されているのは、仁太郎は恐らく頭を強く打ったことを意味する。つまり魂の宿る頭を強く打てば、その拍子に鼻や口から魂が抜け出た事を意味しているのだろう。仁太郎が飛んで田舎に帰ったのは人魂が飛ぶものだと思われていた事に重なる。また妻と嫂のいる川に向かったのは、妻に逢いたいという想いとは別に、三途の川の信仰も結びついての事であったろう。

上田秋成「菊花の約」でも、友との約束を果たす為に魂で飛んで行った物語も、この「遠野物語拾遺154」と同じである。そして、和泉式部のあまりにも有名な歌がある。

もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る by和泉式部

この和泉式部の歌に書かれているように、「出づる魂」とは「もの思う」事に強く関連する。仁太郎の田舎に帰りたい、妻に逢いたいという強い思いが、頭を強く打った事によって魂が抜け出た事を意味しているのが、この「遠野物語拾遺154」であろう。
by dostoev | 2013-02-17 20:30 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺153(白服の兵隊)」

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日露戦争の当時は、満州の戦場では不思議な事ばかりあった。露西亜
の俘虜の言葉に、日本兵のうち黒服を著ている者は射てば倒れたが、
白服の兵隊はいくら射っても倒れなかったということを言っていたそ
うであるが、当時白服を著た日本兵などおらぬ筈であると、土淵村の
似田貝福松という人は語っていた。

                             「遠野物語拾遺153」

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これを読んだ人は恐らく霊体となった兵がいたのだろうと考える筈である。それは死に装束が、白い衣であるのにも関係するだろう。その為か、葬式などの時には、死者を見送る人々は闇を意味する黒い服を着なければいけないなどど云われる。それは死者が白い装束の為、白い服を着て見送ると仲間だと思って近寄って来るから、決して白い服を着てはいけないという俗信がある。白色は浄化の意味をも含むので、死という黒不浄を浄化するという意味も含まれる。

ところで、幽体離脱という言葉があるように、次の「遠野物語拾遺154」のように、生きていながら魂が肉体から離脱するものだと考えられてきた。古代中国から伝わったものに、人間の霊魂には「魂」「魄」の二つがあると伝えられた。その二つの違いは「魂」は「気」に付き、「魄」は「形」に付くと云われる。そういう意味から察すれば、白い兵隊は一つの形であり、「魄」が形として兵士になったものと考えられる。

また「魄」という漢字を分解してみると「白」と「鬼」の二つに別れる。つまり「魄」とは「白い鬼」でもあるのだ。古代中国では死者の事を「鬼」とも称した事から、「白い兵隊」は「白い鬼」でもある。つまり日本人の魂が「白い鬼」という形として具現化したのが「白い兵隊」の正体であると解釈しても良いのだろう。大東亜戦争に敗れた後、多くの日本兵が自害したという。その遺書の中に「死んで護国の鬼となり、日本国や家族を守ろう。」との遺書があった。現代でも、家の魔除けとして鬼面を屋根や玄関に飾る風習があるのは、鬼そのものが外敵から家族を護る存在であるからだ。「遠野物語拾遺153」の「白い鬼」も、大東亜戦争後の「護国の鬼」も、日本人が日本という国と、そこに住む家族を守りたい気持ちからの鬼である事は、いうまでもない。
by dostoev | 2013-02-17 17:49 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺157(夢か現か幻か)」

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俵田某という人は佐々木君の友人で、高等教育を受けた後、今は某校の教授を
している。この人は若い頃病気で発熱するたびにきまって美しい幻を見たそう
である。高等学校に入学してから後も、そう言うことを経験し、記憶に残って
いるだけでも、全部では六、七回はあると言う。

まず始めに大きな気体の様な物が、円い輪を描きつつ遠くから段々と静かに自
分の方に進んで来る。そうしてそれが再び小さくなって行って終いに消える。
すると今度は、言葉では何とも言い表わせぬほど綺麗な路がどこまでも遠く目
の前に現れる。萱を編んだような物がその路に敷かれてあり、そこへ自分の十
歳の時に亡くなった母が来て、二人が道連れになって行くうちに、美しい川の
辺に出る。その川には輪形の橋がかかっているが、見たところそれは透明でも
なく、また金や銀で出来ているものではない。その輪の中を母はすうっと潜っ
て、お前もそうして来いと言う様に、向うからしきりに手招ぎをするが、自分
にはどうしても行くことが出来ない。そのうちに段々と本気に返って来るとい
う。

こうした経験の一番はじめは、この人が子供の時に鍋倉山の坂路を駆けくだる
際、ひどく転んで気絶した時が最初だと言った。倒れたと思うと、絵にあるよ
うな綺麗な処が遠くに見えた。それを目がけて一生懸命に駈けて行くと、先に
言ったような橋の前に行き当たり、死んだ母が向う側でしきりに手招ぎをした
が、後から家の人達に呼び戻されて気がついたのだと言う。同君が常に語った
直話である。

                        「遠野物語拾遺157」
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現代でも「××が夢枕に立った…。」などという話を聞く事がある。夢でありながら、それがあたかも現実を示唆するものと捉える場合が意外に多い。河東仁「日本の夢信仰」を読むと、その夢枕に立った歴史が紹介されている。しかしやはり人は、夢は夢として考えるようになり、夢信仰が衰退した時代もあるのだが、やはりどこか信じてしまうのも、現実に対比できそうなリアルな夢を見てしまうからなのだろうと思う。

ところで「遠野物語拾遺157」においての俵田某という人物は、夢というよりも、どちらかというと幻を見たような感じだ。そのきっかけは、転倒してからのものだと述べているが、暗にきっかけさえあれば、そういう能力を得る事ができると述べているようにも感じる。この俵田某の友人である喜善もまた、幻を見る事が多かった人物でもあったようだ。喜善は、昭和6年に長女である若の死のショックからなのか、幻想的な夢を見るようになったという。それを柳田國男にも報告している。それ以前にも、幻は見ていたようだ。例えば、某博士と便所神の話をしている最中に喜善は…。


「ホラッ、そこの壁から便所神様が顔を出しておられるっスベ、

                  ほら、見えるスベ、ほら、そこに!」



と、異様な目をして指をさしたという。本山某という人物が、喜善を表してこう述べている。


「喜善君は変わっていたが変人では無い。狂的なところがあったが狂人
 ではない。瞬間的に幽霊かオシラサマ、ザシキワラシの話になると常人
 では無くなった。彼は健康に恵まれ、意思が強かったら変人、奇人で通
 したろうが、普通の生活では病弱の為か、その異常を抑えて周囲と妥協
 をしていた。」



「実務の人ではなかったなぁ。いつも茫洋とした眼で、夢か幻想を見て
 いたのじゃないかな?」



「山深き遠野の里の物語せよ」の著者である菊池照雄氏は語る。佐々木喜善と同時代、もしくはその後の時代の人の中にも、同じ空気を吸った人達には、似たような傾向を持っていたと述べている。共同幻想という言葉があるが、あたかも遠野という土地に住む者は、この共同幻想に侵されていたのかもしれない。当然、佐々木喜善の友である俵田某も、これにあてはまっていたのだろうか。

ところで「魔境」というものがある。禅などの瞑想修行をしている者の前にしばしば神や仏が現われるというものだ。これは夢信仰の歴史に、それを仏意であったり神意であると解釈した歴史が残っている。

やはり禅をする臨済宗では「瞑想により仏陀や如来が現れたときは(瞑想内のイメージの)槍で突き刺せ」「仏見たなら仏を殺せ」と教えている。これは自分が凄い存在であるとエゴを肥大させるもので、ユング心理学において「魂のインフレーション」と名付けられた状態であるとされる。

現代でも、僅かな個人の内部的な神秘体験で、あたかも神が降りたような錯覚に陥る、いわゆる似非スピリチュアル系人間に多い。こういうものは古今東西、昔から魔というものは、神々しい光景などを見せつけ誘惑し、魔に取り込むものであるとされていた。「聴耳草紙(貉堂)」においても、神々しい光景を見せて魔に取り込もうとした貉の話が紹介されている。人というものは、どこか自分が特別な存在になりたいと願っているものであるから、こういう誘惑に騙されやすいのだろう。現在のスピリチュアル系とは、みな似たようなものであろう。

実は、現代の遠野においても神秘体験やらザシキワラシ体験があったという話を聞く。例えば明け方に、そういうものを見たという話が多いのは、夢現状態ではないかとも考える。先ほどチラッと紹介した「魂のインフレーション」でもあるのだろう。

遠野へと観光しにくる人の中に、多大な期待感をもってくる人もいるだろう。その心の奥底に肥大した自我の魂があって、その期待感に結びつき、そういう夢を見やすくなるのかもしれない。または菊池照雄氏の言葉に則れば、同じ空気を共有した者に、そういうものが見えるのかもしれない。これらを答えとは述べにくいものであるが、やはり見える人と見えない人の間には、何かあるとも考えてしまう。

幽霊も、個人で見たものは信じるな。されど、大勢で見たものは信じろとは云われるが、先に述べた共同幻想というものも、やはりあるのかもしれない。

「睡魔」というものがある。この魔に襲われた事の無い人は、いないのじゃないだろうか?とにかく、どんなに頑張っても眠くて眠くて仕方が無い。これも魔と呼ばれる一つなのだが、これは脳の活動レベルが低下してシータ波が出ている状態となる。しかし、昔は脳内の研究などなされていなかったので、魔として扱われた。つまり悪夢もそうだが、個人の意思とは関係無く制御できないものもまた魔となったようだ。

先程紹介した魔境などは、禅の世界においての座禅とは、敢えて魔境を呼び寄せる行であるとされている。睡眠心理学では眠気を誘うシータ波が出る頃に、心の奥底に眠っている無意識の自我が現われるとされている。つまりこれが禅の世界で云う魔境と同じであるようだ。ユングも実際に魔境らしきを体感したという。そしてその後にそれを自力で克服し無意識の領域を研究したそうである。

ところで日蓮「禅は天魔だ!」と批判したそうだが、それはつまり日蓮が実際に禅の世界を体験し結局、魔境を克服できなかった事を意味する発言である。やはり日蓮は、口だけ坊主であったのだろう(^^;
by dostoev | 2012-03-05 21:14 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(5)

「遠野物語拾遺150(夢診断)」

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昔ある侍が物見山を腹の中に呑込んだ夢を見た。気に懸るので、
大徳院で夢占を引いて来るように、下男に言いつけて出してや
った。

下男は途中で某という侍に出逢ったが、どこへ行くのかと訊か
れて、その訳を話すとその侍は、それは大変だ。物見山を呑ん
だら腹が裂けようと言って笑った。大徳院では、この夢はもう
誰かに判断されているので、当方では判らぬと言って、答えな
かった。夢を見た侍は、その後どういう事情かで、切腹して死
んだそうな。


                   「遠野物語拾遺150」

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物見山は、遠野の町の南に聳える山で、遠野7観音の桂の木が採れた山であったという伝承が残る。南部時代は、大事な狩場としてあり、物見山は動植物の宝庫であった。大正時代にも、岩手名勝として、物見山のリンドウが挙げられるなど、自然に溢れていたが、戦後から木々の伐採が続き、水は枯れ、動植物が、かなり減ってしまい、昔の面影は全く無くなってしまった。


【肥前国風土記】

ヒメコソの里。此の里の中に川があり、名をヤマヂ川という。その源は、
北の山より出でて、南に流れ、ミヰの大川(筑後川)と合流する。昔々、
この川の西に荒ぶる神があり、道行く人が多く殺され、人々の半ばが生
き、半ばが死ぬありさまであった。

時に、このように祟る原因を占い求めてみると、次のように神意が現れた。
すなわち、筑前の国、ムナカタの郡の人カゼコをして、吾が社を祀らしめ
よ。もし願ひにかなはばば、荒ぶる心を起さじ、と。

そこでムナカタのカゼコを招き、神の社を祀らせた。カゼコは幡を奉納
し、祈っていった。神が誠に私の祭りを欲するなら、この幡は風のまま
に飛んで、私を求めている神のいる場所に落ちよ、と。

やがて幡を揚げ、風のまにまに放ってやると、幡は飛んでいって、御原
の郡のヒメコソの杜に落ち、さらに還り飛んでヤマヂ川のとりに落ちた。
そのおかげで、カゼコはおのずから神の在します場所を知った。

その夜、カゼコの夢に、クツビキとタタリが舞い遊びでて、カセゴを圧
し、驚かせた。そこでカゼコは、この荒ぶる紙が女神であることを識っ
た。

カゼコが社を建てて祀ったので、それ以来、ヒメ神の名からソメコソ
(姫杜)という名が由来し、今は里の名となっている。



「肥前国風土記」を引用したが、昔から人々は、災害や怪異などに遭遇した時、その原因を知る事によって心の平安を得ていた。ただその場合、巫女などによる曖昧な卜占や夢占に託していた不安定なものであった。

「日本書紀」にも、多くの卜占や夢占が記されている。卜占は誰もができるものでは無いという認識の元、特別な巫女であり神官が、その勤めを果たしていた。また、夢占に関しても天皇などの特別な存在が見た夢を重要視しており、それを判別するのもやはり、特別な聖職者であった。それ故「遠野物語150」においても、見た夢の判断を大徳院に見て貰おうとしたのは理解できる。
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古典の中に「悪夢」を探してみると、まず「蜻蛉日記」の天禄二年四月に作者自身が、腹の中に入った蛇に肝を食べられる夢を見ている。

「七八日ばかりありて、わが腹のうたなる蛇(くちなは)ありきて、
 肝を食 む、これを治せむやうは、面に水をなむいるべきと見る。」



この治し方は、顔に水をかけるとあるので、悪夢とはあくまでも夢である事を言っているのかもしれない。水を顔にかけて目を覚ますという意味合いもあると思うが、ここには水の持つ力を信じてのものだろう。ただ蛇は食べたのではなく、自然といつの間にか、腹に潜んだものであり、受動的である。「遠野物語拾遺150」の能動的な夢とは違う。

また天禄三年二月には、石山寺の法師が見たという夢が記されている。その夢には作者が登場し、日月を受け取り、月を足の下に踏み、日を胸に当てる夢を見ている。


「いぬる五日の夜の夢に、御袖に月と日とを受けたまひて、月をば足の下に
 踏み、日をば胸にあてて抱きたまふとなむ、見てはべる。これ夢解きに問
 はせたまへ」



先の蛇は、悪夢であって水さえかければ治ると思っていた作者も、この月日を抱く夢は奇怪な夢であるから、夢診断を受けようとなった。

この時代の一般的に、月は后を示し、日は帝を示すと云われていた。この「蜻蛉日記」の作者は、後に太政大臣にまで昇った藤原兼家の妻となる。その妻は、こんな夢を診断されるのは馬鹿らしいので、他人の夢という事にして見て貰った。すると、その夢の診断は、朝廷を思うがままに取り仕切る事が出来る政治ができるだろうと判断された夢であった。

「遠野物語拾遺150」での夢も、南部家の聖山とも云える物見山を呑むという壮大な夢は、政治に関わる事のなのだと思える。漢の高祖である劉邦が生れる時も、父親が妻の上に竜が乗っている夢を見た後に、劉邦が生まれた。壮大な夢とは、国に関わる夢であると信じられていたのかもしれない。

古代の夢診断を調べると、「蜻蛉日記」で石山寺の法師が見た夢は「日月(じつげつ)の夢」というものであり、定型的な吉夢とされている。それは仏教思想の中から、釈迦が善彗仙人である時に見た五つの夢が、吉夢の基本となっているようだ。

1.大海に臥す

2.須弥山に枕す

3.海中にいる一切の衆生が身の内に入ってくる

4.手もて日を執る

5.手もて月を執る


実は「曾我物語」でも、北条正子がやはり日月の夢を見ている事(正確には、他人が見た日月の夢を買い取った)から、やはり天下を治める夢が日月の夢なのだろう。ところが、山に枕すというものはあるが、山そのものを呑むという夢に吉夢は無い。海中にいるものが身の中に入るのは吉夢だとしても、腹に蛇が入るのが悪夢なら、山を呑むという壮大な夢を解釈すれば、やはり政治的な悪夢であるとしか言いようがない。その後に切腹したのを考えれば、やはり吉夢に沿わない壮大な夢は、悪夢となるのだろう。

さて、もう一つ。本来は夢占をする人物に見て貰う予定が、別の第三者の介入によって夢が診断されてしまった事だ。つまり正式な夢占では無かった可能性があるのだが、それが予知夢として変換されてしまった事。

本来、願を掛けるとは人知れずかけるものだという。正月などの初詣は願を掛けるというより、その土地の氏神様に対し感謝の意を込めて挨拶に行くようなものだ。ところがお百度詣りなどは、深夜にこっそりやるものとされる。または、丑の刻詣りなども同じだ。

御神籤なども「大吉だ!」と人に見せれば、ご利益が消えるとも云われる。つまり本来の流れを断ち切ると、結果が逆になるとも考えられる。これを当て嵌めれば、本当は物見山を呑んだ夢は吉夢だったのだろうか?
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C・G・ユングは「空想・夢」を、「幻想」であるか「創造活動」であるとして捉えている。そしてその空想や夢は、能動的空想と受動的空想に分けている。

能動的空想は直感がきっかけとなり、最高の人間精神の活動となるのに対し、受動的空想は、往々にして病的、あるいは異常の刻印を帯びると述べている。簡単に言ってしまえば、能動的空想はプラスイメージの空想であり、受動的空想はマイナスイメージの空想だ。例えば、浄土真宗の宗祖である親鸞は、六角堂に籠って女犯の夢を見たという。これは観音が女体化して、親鸞と交わったというのだが…これは、青年が禁欲して籠った六角堂での、性的な欲望が夢として現れたのだと思う。しかし親鸞は、これを宗教概念化し、坊さんでも婚姻できるとし、坊主の妻帯者を認めた。これはまさにプラスイメージに変換された夢であり、親鸞そのものがポジティブな思想の持ち主なのだろう。

ここで思うのは「遠野物語拾遺150」に登場する侍の見た夢とは、侍の意識が受動的空想というマイナスイメージによるものから生み出された夢では無かったかという事。実際に、夢診断というのは江戸時代には廃れて来ていた。つまり夢は、あくまでも夢であって、現実とは非となるものと認識されたかにであった。それでも江戸時代も…いや現代においても、常にマイナスイメージを心に宿す受動的空想の持主は、日常の中のミスを腹に宿し、それをモンスターに成長させて喰われてしまうのかもしれない。つまり侍は奉公していた城などにおいて、自らの失態を徐々に肥大化させ精神を病み始めた時に見た夢が気になって仕方が無かった。そして後に切腹したというのも、その肥大したモンスターが、更なる失態を招いた為では無かったのか?
by dostoev | 2012-01-28 07:23 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺152(よみがえり譚)」

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遠野裏町のある家の子供が大病で死にきれた時のことだという。平常この子を可愛がっていた某という人が、ある日万福寺の墓地に行って墓の掃除をしていた。するとそこへその子供がよちよちとした足取りで遊びに来た。今頃来る筈は無いが、と不思議に思って、何でこんな時に墓場なんかへやって来たのだ。早く家へ行け、と言って帰した。しかし余り気掛りであったから寺の帰り途にその子の家を見舞うと、病人は先刻息を引取ったが、今ようやく生返ったところだと言って、皆の者が大騒ぎの最中であったという。


                          「遠野物語拾遺152」

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「遠野物語」及び「遠野物語拾遺」には、蘇る話がいくつか紹介されている。「遠野物語97」「遠野物語拾遺151&152&154&155&156&157&158&159」などがそうだ。

現代においても蘇る、いわゆる蘇生は有り得る為に死んでも最低1日置いてから火葬する事に取り決められている。実はこの前の年末の30日に、同級生の親父が死んだのだが、最低一日置かなければならない為に年内の火葬が出来なかった。31日から正月3ヶ日は火葬場が休みの為だった。それで火葬を行ったのが、3ヶ日明けの4日となったのだった。
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ところで、その火葬だが、早池峰は火葬の煙を忌み嫌うという話がある…。


遠野南部では、宗詣の関係から甲州以来、代々火葬をもって葬られてきたという歴史があった。それで家臣達の主だった者達も、それに準じて火葬を行ってきたのだと。ところが遠野に移ってきて、困った事になったという歴史がある…。

遠野領民の一番の信仰の対象が早池峰山であり、早池峰山の山霊が、屍骸を焼く煙が嫌いなのだという迷信が蔓延っていたのだという。その領地を統治するという事は、その領地に根付いている信仰も容認しなければならない為に南部の連中は困り果ててしまったのだという。その迷信とは、早池峰山が開いている3月の中旬から、山閉じの9月の中旬までの間、火葬厳禁となっていたそうな。なので火葬が家例となていた南部家の困りようがみえるようである。

寛文元年の7月、弥六郎直義の夫人、松晃院が亡くなり、さて火葬という時の遠野では、例え誰であろうと火葬はご法度となっていた。そこで、領主となった南部は、どうしても火葬を土葬に変えるわけにいかないと相談の結果、僧侶や山伏達を沢山集めて、早池峰山に許しの祈願をし、その上で現在の新穀町にあった感応院で火葬する事にしたのだという。

その火葬の当日、僧侶、神官、山伏が集まって色々早池峰様のなだめの祈願をあげた末に、葬儀となったそうな。読経も済み、和尚の引導も終わり、いよいよ火屋に火を放とうとした瞬間、今まで一点の曇り無く晴れ渡っている空に、突然黒雲が湧き出したのだという。それが葬儀の場をみるみる真っ黒に覆ってしまったのだと。

そしてそれと共に、転地も砕けるかという雷鳴が鳴り響き、目も眩むかという稲妻が走り、あたかも天地がひっくり返るかのような情景になってしまったという。その黒雲の中に、何か怪しいものが居て、屍骸を納めた棺に襲い掛かろうという気配を見せたので、警護の武士達は叫んだという。


「さてこそ早池峰様のお怒りか。これこそ話に聞く魑魅魍魎をお遣わしになって、
 御屍骸を奪わんとせられるのか。それにしても御屍骸を奪われては一大事。」


警護の武士達は、皆々太刀、長刀、槍の鞘を払って自刃を空にかざして、弓や鉄砲などは穂先や銃口を揃えて頭雲をめがけて攻撃が火蓋を切ったのだと。臨席していた大勢の僧侶や山伏達は悪霊退散の祈願を唱えていたそうだが、ほどなくして、その葬儀の場を覆っていた黒雲は消え去り、空は元通りの晴れ間が広がったのだという。

この時以降、南部の時代となっての火葬は、遠野ではなく大迫まで屍骸を持って行き、火葬をあげてから再び遠野に持ち帰り大慈寺で葬儀を行うようになったのだという…。



火葬の風習は、仏教の流入からであったようだ。ヒンドゥー教徒が死後ガンジス川の畔で焼かれる事を願ったという。焼かれた後の骨の灰をガンジス川に流すと魂が昇天すると信じられていたからだ。このヒンドゥー教の信仰及びの根底には輪廻転生があった。つまり死者の魂が、再び同じ体に戻って蘇生するのではなく、新たな肉体に生まれ変わる事を願ってのもの。

しかし日本の神道系では「古事記」でのイザナミの死が再び、その魂が同じ肉体に蘇るよう黄泉の国に託した話がある。つまり、魂が帰る器を燃やしてしまう火葬はタブーであった。

これらを踏まえて考えると、早池峰の神が何故に火葬の煙を忌み嫌うかと考えた場合、早池峰の信仰は神道系に根ざすものであった為なのかもしれない。ここで思い出されるのが、日本の中世以降に伝承されてきた「小栗判官」の物語だ。

小栗判官は殺されたが死体は火葬されないで土葬となった。しかし小栗の従者達は、殺された後に火葬にされたのを考えると、小栗は主人公でもあったのだが、物語上は主でもあった。つまり、火葬よりも土葬の方が手厚い葬り方であると考えて良いのかもしれない。これには蘇りのチャンスを貰ったという事だろう。

小栗判官は死んだ後、冥界で閻魔大王に会い娑婆に戻る事が許された。しかし戻りながらも、小栗判官の体は、普通の体のままでは無かった。目が見えず、耳が聞こえない、モノが言えない見ざる言わざる聞かざる状態の"餓鬼"の姿をしていた。そうした中で藤沢の遊行上人と出会い、上人の計らいで熊野本宮の湯の峯へと連れて行かれ、その湯壷に身を浸すと7日で両目が明き、残りの7日で耳が聞こえ、次の7日でモノが言えるようになったと。そして、四十九日を経て元の人間の姿に戻った。

閻魔大王やら四十九日を経て人間に戻る下りは仏教思想を感じさせるが、死体が蘇生する内容は神道系のものである。黄泉の国へ行ったイザナミの死体には蛆虫が多量に湧いていて、体の周辺には雷神が取り囲んでいた。ここに神仏混合の思想が見え隠れする。小栗判官も普通の人間では無い状態を仏教的に表現しているが、イザナミの神道的のリアルな表現よりも、仏教説話的な表現になっている。
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ところで小栗判官の物語には蘇生を導く為に熊野権現が登場するのだが、それとは別に、輪廻転生を扱った物語「熊野権現縁起絵巻」というものがある。
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その中で蘇生した王子の追っ手を黒雲に載った鬼のような語法善神が倒すくだりがある。ここの表現は、まるで南部の葬儀を邪魔する早池峰の神の様でもある。
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輪廻転生を果たした王子は、山で動物たちに守られ育つ。最終的には全ては熊野権現の加護の元となるのだが、熊野権現に守られた子供の話は別に「秀衡桜」というのがある。


奥州平泉の藤原秀衡は40歳を過ぎても子どもに恵まれないので、熊野権現へ17日の参篭をして願をかけた。その願はかなえられて妻はみごもり月日は流れて7ヶ月となった。

熊野権現のあらたかな霊験で懐妊したので、そのお礼詣りにと、妻と共に旅立ち永の旅路を重ねようやく滝尻に着き、ここの王子社に参詣したところ未だ臨月に達しないうちに産気を催し、不思議にも五大王子が現れて「この山上に胎内くぐりとて大きな岩屋がある。汝只今いそぎそこで産されよその子はそこに預けて熊野へ参詣せよ」とのお告げがあった。

そこで岩屋で子どもを生みそのまま寝かせておき熊野へと急いだ。途中野中で手折りにした桜の杖を地にさし「参詣の帰り途この杖に花が咲いていたら無事なり」と立願して本宮へ急ぎ、熊野大権現を拝礼し、すぐ下向して野中に着き桜の杖を見ると、花はいきいきとして香盛んであった。

さてはわが子も無事であろうと滝尻の岩屋へと急いでみると、子どもは一匹の狼に守られ岩から白くしたたる乳を飲んで丸々とこえていた(この子が後の藤原忠衡である)。 これこそ神のお救い、何とかしてご恩を報いたいものと後に七堂伽藍を造営して諸経や武具を堂中に納めた。



これらから熊野権現とは山の神の性格を有すとも捉える事が出来る。「遠野物語」でも、出産は山の神のご加護が必要である話もある。
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上記の絵には、熊野権現の別の姿である十一面観音として、母親の魂を導いている絵図となっている。とにかく熊野権現は、蘇生を導き輪廻転生を果たす神としても伝えられたようだ。

しかし南部の火葬を襲う早池峰の神をどう捉えるかといえば、やはり神道としての蘇生の為には、死体が必要となる。南部の視点に則ってしまえば、南部の風習を邪魔する早池峰の神は悪しき存在として描かれてはいるが、遠野の地を騙して奪い取った南部は、遠野の視点から顧みると南部は悪しき存在でもあった。恐らく、以前の領主であった阿曽沼と信仰の面でかみ合わなかったところがあったのだと察する。南部は、遠野の早池峰神社をさて置いて、盛岡に近い大迫の早池峰神社を優遇した歴史がある事から、本地である遠野の早池峰の神の怒りをかった物語に思えてならない。

養老年間に、初めて早池峰の神が熊野から運ばれてきたとも伝えられる。熊野権現とは狭義的に那智の滝神の事を言うと云うが、つまりそれは早池峰大神の事であり、山の神の側面を持ち、蘇生を導く神としても伝えられるという事だろう。それ故に、小栗判官のように火葬されなかった身体に再び魂を導いてくれる熊野権現であって、早池峰大神であるのだろう。

ちなみに余談だが、ここで紹介した「熊野権現縁起絵巻」は別に「熊野の本地」または「ごすいでん(gosuiden)」とも称される。その名を安易に名乗る者は、熊野権現でもある瀬織津比咩の罰が当るかもしれない(^^;
by dostoev | 2012-01-05 11:13 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺158(三途の川)」

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死の国へ往く途には、川を渡るのだといわれている。これが世間でいう
三途の川のことであるかどうかは分からぬが、一旦は死んだが、川に
障えられて戻って来たという類の話が少なくなかったようである。

土淵村の瀬川繁治という若者は、急に腹痛を起こしてまぐれることがし
ばしばあったが、十年前程前にもそんな風になったことがあって、呼吸
を吹き返した後に、ああ怖なかった。おれは今松原街道を急いで歩いて
行って、立派な橋の上を通り掛ったところが、唐鍬を持った小沼寅爺と
駐在所の巡査とが二人でおれを遮って通さないので戻って来たと語った
そうである。この若者は、今ではすこぶる丈夫になっている。

また佐々木君の曾祖父もある時にまぐれた。蘇生した後に語った話に、
おれが今広い街道を歩いていたら大橋があって、その向うに高い石垣を
築いた立派な寺が見えた。その石垣の石の隙間から、大勢の子供達の
顔が覗いていて、一斎におれの方を見たと。

                            「遠野物語拾遺158」

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これは自分の祖父であるが、危篤であるため見舞いに行った時、まだ息があったが、寝ているようであった。その時祖母の話では、寝ていたら夢を見ていた。川があって懐かしい友達などがいてこっちに向かって手を振っている。はやくこっちに来いと行っているが、孫の顔を見たら行くよと約束して夢から覚めたのだという。実際その後、自分たちが帰った後に息を引き取ったので、約束を果たしたのがわかった。古の頃から日本には三途の川の意識が芽生えて根付いた。いつしか誰も、川を渡って”あちら”に行くのだと…。

ところでここに、一つのトリックがある。日本人の意識の根底に、大きな塊が巣食った。誰しもが死んだら川を渡りあの世へ行くという意識は現代においても、口伝やら文章やら、あらゆるメディアを通して、日本人の脳の奥底に植えつけられている。夢というものは、自分自身の意識が夢として具現化したものであると思っている。夢の中で顔も見た事の無い人物に出会ったというのも、実際は何かを通じて知っている顔なのだろうと思う。ただその時は、単に思い出せないからなのだと思う。

土淵村の瀬川も、佐々木君の曾祖父も、その個人の意識が夢となって現われたものだと考える。ただ佐々木君の曾祖父の体験した大勢の子供達の姿というのは、死後の世界にむ対する概念の現われではなかったろうか?

土淵には、地獄山という子供の霊が辿り着く場所があり、常堅寺内にはやはり子供の若くして死んだ罪を裁く十王堂がある。また河童伝説もまた、子供の間引きに通じるという。とにかく昔の時代は、医療技術も発達しておらず、まだ幼い子供達が大勢死んだと云う。その大勢死んだ子供達を佐々木君の曾祖父は見てきた為に、蘇生した後に語った中に大勢の子供達の姿があったのかもしれない。
by dostoev | 2010-12-04 13:39 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(0)