遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」130話~( 11 )

「遠野物語拾遺131(乙蔵爺)」

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金の鶏や漆万杯の話がある館跡は幾つもある。土淵の一村だけでも、字角城の角城館、下栃内の八幡沢館などいずれも松の根を掘りに行って壷を見つけたとか、放れ馬の蹄に朱漆がついて帰って来たとかいう口碑がある。また字琴畑の奥の長者屋敷には、五つ葉のウツギがあって、その木の下には宝物が埋まっていると伝えている。字山口の梵字沢館にも、宝物を匿して埋めた処があるという。堺木の乙蔵爺が死ぬ前に、おればかりその事を知っている。誰か確かな者に教えておきたいと言っていたが、誰も教わりに行かぬうちに爺は死んでしまった。

                                                  「遠野物語拾遺131」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
佐々木喜善の祖母である、佐々木ノヨは新田家から嫁いだ者だった。何故か新田家は、代々話者を出す家系であったようだ。この「遠野物語拾遺131」に登場する新田乙蔵は、その佐々木ノヨの兄であった。

明治三十年頃、乙蔵爺は堺木峠に茶屋を出し、甘酒を茶碗一杯二銭で売って生活していたという。確かに物知りで有名な爺であったそうだが、元来風呂に入らない、衣類の洗濯もしたことが無かったそうで、近付くだけで吐き気がする程の悪臭を放っていたらしい。これは「遠野物語12」と重複してしまうが、乙蔵爺が余りにも臭い為に、誰も近付かなかったのが真相の様である。ただ、物知りと"ひょうはくきり"は、紙一重の存在でもあったらしい。乙蔵爺だけではないが、地域の物知りやひょうはくきりの語る話は真実の様で嘘が多く、嘘の様でも真実に近い話もあったようで、乙蔵爺の話も、どこまで信じて良いのかわからないだろう。
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画像は八幡沢館で、安倍氏と戦った源義家の陣屋があったという伝承がある。また角城館にも、安倍氏の伝承がある。この「遠野物語拾遺131」で記されている内容の殆どは、黄金に関する伝承であるが、その黄金探しは、蝦夷征伐の名目で古くから始まっている。それが本格化されたのが、蝦夷が平定された桓武天皇時代であり、その蝦夷の反目の流れが安倍氏に受け継がれている。

ところで、金の鶏の話が出ているが、遠野では黄金の牛の話は伝わるが、金の鶏の話は聞かない。ただ、平泉にある山に金鶏山というのがあり、山頂に雄雌一対の金の鶏を埋めたという伝承がある。例えば、東北で初めて経塚を行ったのは、奥州藤原氏だと云われる。その経塚が遠野にはいくつかあるが、それが奥州藤原氏の影響から来ているようである。文化の流入と共に話の流入があるとしたなら、金の鶏の伝説もまた、奥州藤原氏から流れて来たものではなかろうか。その奥州藤原氏の祖は安倍氏であるが、土淵にはその安倍氏の痕跡が多く残っている。その安倍氏から奥州藤原氏の流れの中の伝承を、乙蔵爺が知っていたと云う事では無いか。

堺木峠で茶屋を営んでいた乙蔵爺は、旅人からも多くの情報を得ていた可能性はある。琴畑の長者屋敷も、その範疇であろう。長者屋敷を延々と登れば、白望山の登り口を通過し、小槌川の減流から大槌へと抜ける。また琴畑からは別に、立ち丸峠へ抜ける峠もある事から、山の怪異と神秘の伝承を携えた人達から多くの情報を得た事だろう。代々評判の話者を排出する新田家の血に、乙蔵爺の集めた情報が重なり膨れ上がって、確かに多くの事を知っていたのだろう。しかし、その乙蔵爺から好奇心旺盛な佐々木喜善が、多くの話を継承出来なかったのはやはり、乙蔵爺の放つ悪臭が、あまりにも酷かったのだろう。
by dostoev | 2015-06-16 20:30 | 「遠野物語拾遺考」130話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺133(大切な馬)」

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昔上郷村大字板沢の太子田に、仁左衛門長者という長者があった。それから佐比内には羽場の藤兵衛という長者があった。ある時この羽場の藤兵衛が、おれは米俵を横田の町まで並べて見せるというと、仁左衛門はそんだらおれは小判を町まで並べて見せようといったという。これほど豪勢な仁左衛門長者ではあったが、やはり命数があって一夜のうちに没落してしまった。ある年の春のことであった。苅敷を刈らせに多くの若い者を、吾が持山へ馬を曳かせて出したが、先立ちの馬が五、六町も離れた切懸長根まで行っているのに、まだあとの馬は厩から出あげなかったという話である。ところが山に登ってまだ苅敷を採り切らぬうちに、にわかに大雨が降って来たので、若者共は空馬で帰って来た。仁左衛門長者はこれを見て、おれの家では昔から山降り前に家に帰って来た例が無い。おれの代にそんな事をさせては名折れだといって、大きに叱って大雨の中を引き返させた。しかし若者だちは山には行かれぬので、大平の河原に馬を繋いでおいて、その夜は近所の家に入って泊った。ところが次の朝起きて河原を見ると、一晩の大水の為に有る限りの馬が、一頭も残さず流されていた。これが仁左衛門長者の滅亡であったという。

                                                    「遠野物語拾遺133」

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財力比べの話はさて置いて、馬が居なくなった為に没落した話は、それだけ馬が重要な役割を果たしていたからだ。遠野は、岩手県の中心に位置する。内陸部と沿岸の中間にあり、いくつかの街道が開けていた。五輪峠は、江刺方面へ。赤羽根峠は、大船渡や陸前高田の沿岸部に。堺木峠と笛吹峠は、大槌・釜石の沿岸部に。立ち丸峠は、小国経由で宮古へ。小垰は、大迫経由で盛岡へ。そして、花巻街道と呼ばれたのは、宮守経由で花巻へと繋がっていた。各地域の中間に位置する遠野には、様々な品が集まり賑わいを見せ「市日市日に牛馬三千」と云われた。つまり、市が開催される日には、今で言えば車が三千台終結したようなものだった。

大槌街道に関する、物資の出入りの記録がある。

【入荷】海産物・鮮魚・魚油・魚かす・塩
【出荷】藁製品・米・雑貨・雑穀類・味噌・醤油・衣類


花巻街道に関する物資の記録は、下記の通り。

【入荷】米・雑貨・紙
【出荷】木炭・木材・馬・鮮魚


この記録を見ると、あくまで遠野は中継点であったのがわかる。例えば、大槌から鮮魚が入荷し、花巻に出荷されているのは、遠野側が中間マージンを取り、更にその荷を馬に乗せて運んだのだろう。駄賃付ともいう運送方法は、軽便鉄道が開通するまで、続けられた。この様に馬は、物資の輸送に加え、農耕や山仕事の動力となり、馬そのものも馬市での収入は、馬の生産に携わる人達の家計に大きく貢献しており、遠野の経済は馬によって担われて来た。その馬を全て失った仁左衛門長者が没落するのも、当然の事であったろう。
by dostoev | 2015-05-17 21:01 | 「遠野物語拾遺考」130話~ | Comments(8)

「遠野物語拾遺137(幽霊金)」

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遠野町の某、ある夜寺ばかりある町の墓地の中を通っていると、向こうから不思議な女が一人歩いてくる。よく見ると、同じ町でつい先頃死んだ女であった。驚いて立ち止まっていろ処へ、その女がつかつかと近づいて来て「これを持っていけ。」と汚い小袋を一つ手渡した。手にとって見るに何か小重たい物であった。恐ろしいから急いで逃げ帰り、家に来て袋を開けて見ると、中には銀貨銅貨を混ぜて、多量の金が入っていた。その金は、幾ら使っても無くならず、今までの貧乏人が急に裕福になったという話しである。これは俗に幽霊金といって昔からままあることである。一文でもいいから袋の中に残しておくと、一夜のうちにまた元の通りに一杯になっているものだと言われている。

                                                  「遠野物語拾遺137」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「遠野物語拾遺137」と似た様な話が、福島県は旭村にあった。

ある男が丑の刻参りの満願の日、山道で乱し髪の女に会い、赤子を抱いてくれと頼まれた。抱いてやると、髪を梳き終わった女は、「種銭さえ残しておけばいくら使ってもなくならない」お金を差し出し姿を消した。これがオボダキ幽霊で、男は大変な金持ちになった。

幽霊から貰った物は、お金の入っている汚い小袋と種銭の違いがあるが、どちらも種銭だけ残しておけば減る事が無いという。また他にも少し違うが、幽霊にお金が埋まっている場所を聞いて金持ちになった話などがある。

昔観た映画「怪談牡丹燈篭」では、欲深な夫婦が幽霊にお金が埋まっている場所を聞き出し、それを掘り起こしたら盗賊の隠した金であり、それが盗賊に見つかり殺されてしまう。幽霊とはお金を造る錬金術師ではなく、生前であり、そして死後も人々を見続けた結果として、人の秘密を知っている場合がある。その秘密の一つが、こっそり隠したお金だったりするのだろう。それを生者と接する事により、それを教えて福を与える存在にもなる。夢告なども、似た様なものだろう。神や仏、観音様や菩薩様。そして幽霊などが生者の夢枕に立って、御告げをする。魔性の者から臼などを貰ったり、マヨヒガの話の様に、マヨヒガで与える筈だった椀が河上から自ら流れて来たり、福を授かる者達は結局、どうやっても福を授かる様になっているようだ。

ところで、遠野の新町から大工町にかけては寺町通りとも呼ばれるように、お寺が密集している。その中に、霊の通り道があると云われている。その通り道で時刻が一致すれば、霊と遭遇出来ると云うが、果たしてどんなものであろうか。
by dostoev | 2015-05-16 22:06 | 「遠野物語拾遺考」130話~ | Comments(8)

「遠野物語拾遺132(女長者の没落)」

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上郷村字佐比内の笹久保という処には、昔一人の女長者が住んでいたと伝えられている。その笹久保の前の稲荷淵のほとりに、かると石という大石が今でもあるが、これはその女長者の家の唐臼の上につけた重し石であったという。             
                     
                                                    「遠野物語拾遺132」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
文中にある「かると石」を、もっと細かに説明すると、唐臼の杵の端につけて労力を節減する為の重し石であり、「唐臼」は、臼を地に埋め、横木にのせた杵の一端を踏み、放すと他の端が落ちて臼の中の穀類などを搗く踏み臼。
f0075075_16473765.jpg

唐臼は画像の様な人力と、水車を利用する水力があるのだが、解せないのは長者でありながら、水車を利用せず、人力の唐臼を利用している事である。遠野は水源を有する山々に囲まれた盆地であり、水が豊富であった事から、遠野各地に水車があった。このかると石があったであろう場所の傍には猫川が流れ、水車があってもおかくしはなかっただろう。長者の財力があれば、水車小屋などすぐに建てられたと思うのだが・・・。

ところで、この女長者の財は、どうやって成したのか?立地的には、佐比内鉱山寄りの地であり、水は冷たく田畑には不適である地である。可能性が高いのは、やはり鉱山経営であったろうか。山口部落の山口孫左衛門もまた鉱山経営をしていたが、座敷ワラシが出て行った為に没落している。この女長者の没落の原因は、何であったのか。

文政年間に、釜石とを結ぶ小川新道が開通しているが、この小川新道は仙人峠の甲子村による通行料が高い(馬一疋三百七文、人足壱人百五十壱文)為に、釜石の佐野氏が私財を投じて開通させたものだったが野田文書によれば「文政七年大風雨洪水ニヨリ小川新道デ遠野馬死」という記録から、どうも土砂崩れがあって、せっかく開通した新道が崩落したようだ。

そして「遠野馬死」でわかるように、誰かが馬を利用して荷を運んでいたのだろう。馬に荷を積んで運び利益を得ていた者は、大抵は長者と呼ばれる者達であったろう。仙人峠と小川新道の利用数では、断然仙人峠を通って釜石と遠野を行き来していた人達が多い。小川新道を利用する者は、その立地条件から考えても、笹久保の女長者であった可能性があるだろう。遠野だけでは無いが、馬を全て失って没落した長者の話があるが、この女長者が没落したのは、大風、大雨の日でありながら無理に小川新道を通った為、土砂崩れに遭い、大事な馬も荷も、そして信用も全て失って没落したのかもしれない。
by dostoev | 2015-05-15 19:06 | 「遠野物語拾遺考」130話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺134(続・白い犬)」

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土淵村の大樽という処に、昔は林吉という金持ちが栄えていたそうなが、
今はその家の跡も無い。この家には一疋の白い犬を飼っていたのを、何
か仔細があってその犬を殺し、皮を剥いで骸を野原に棄てさせた。

すると翌日家の者が起きて土間の地火炉に火を焚こうとして見ると、昨日
の犬が赤くなって来てあたたまっていた。驚いて再び殺して棄てたが、そ
の事があって間も無く、続けさまに馬が七頭も死んだり、大水が出て流さ
れたりして、家が衰えて終に滅びてしまった。

豪家の没落には何かしら前兆のあるもののように考えられる。

                      「遠野物語拾遺134」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

犬殺しの話を調べると、日本人の根源の話へと行き着いてしまう。日本人は狼(大神)を崇拝する民族であると。狩猟民族時代、日本人は狼から狩猟法を学び、集団で大型の獲物をしとめて来たのは、イギリス人やドイツ人に近いと云われる。イギリスやドイツでも狼を神として崇める文化があった事も、日本人の性質に近いものであるとされる。そして集団で狩った獲物を均等に分配するという、富の分配を行ってきたのも日本民族であるという。その名残は、未だに続けられるクジラ漁にも見る事が出来る。

ところが犬を神と崇め、また犬を狩猟の友とする日本人というものは、アジアでは稀有な存在である。アジアでの殆どは大型の動物を集団で捕獲するのではなく、一人でも捕獲できる中型以下の動物を捕獲していた為、富の分配も成されていなかったという。和を主張する日本民族と、個人の主張が強い、他のアジア…特に朝鮮人と中国人に、その自己主張の強さが多いのは、狩猟法と富の分配の違いから来て居るだろうという説がある。

縄文の遺跡からは、人間と一緒に犬も埋葬されているものが多く発掘されているという。古代から犬は、人間の狩りの友でもあった証であろう。ところで犬を崇め友とした民族に、イギリス人やドイツ人が含まれると書いたが、日本犬の種類で秋田犬と北海道犬のDNAは、他の日本犬とはまったく違い、北部ヨーロッパにしか存在しないDNAであるという。その秋田犬であれ北海道犬だけが日本列島に渡って来たという事は有り得なく、恐らくそれを連れてきた民族があったのだろう。つまり、その民族と犬と共に、日本列島に狩猟の文化も伝わった可能性はあるだろう。それが集団で大型の動物を狩るという方法なのかもしれない。それが秋田犬や北海道犬に見られるように日本でも北方の犬に、その特異なDNAが見られるという事は、北方の寒い地域の動物の方が大型であるという法則にも当てはまるのではなかろうか。確かに日本狼よりも蝦夷狼の方が大きかった。ツキノワグマよりヒグマの方が大きい。全てにおいて、北方の寒い地域の方が動物は大型であるのだ。当然の事ながら、その大型の動物を狩るとなれば、一人よりも集団で狩りをする方が有効であろう。それ故に、大型の動物が生息していなかった朝鮮半島や中国南部と狩猟方法が違うというのも納得はする。

中国の民話には、いくつか犬を殺す話が含まれるのだが、その中に「花咲爺」の昔話の原型となる「狗耕田」の話がある。しかし今で知られる「花咲爺」の焼き直しはどうも江戸時代であったようだ。「狗耕田」では兄弟の話になっているのだが、「花咲爺」では隣の悪い爺さんとの絡みの話となる。では隣の悪い爺さんとなったのは、何からであろうか?

アジア歴史資料「公文別録」「朝鮮始末」「朝鮮人が日本人をあつかうの6ヶ条の秘訣」というものがある。成立年代が日本の江戸時代中期(元禄時代)頃に当たるとされている。

曾テ韓人 我ヲ待ニ 六條ノ秘訣アリト聞ケリ 偶 住永友輔
左ノ文ヲ得テ出セリ 果シテ 其 聞所ノモノナラン

朝鮮人待日本人六條

一 遜辭  屈己接人辞氣温恭
一 哀乞  勢窮情迫望人見憐
一 怨言  失志慷慨激出怒膓
一 恐喝  将加威脅先試嚇動
一 閃弄  乗時幸會翻用機関
一 変幻  情態無常眩惑難測

  右元禄年


上記を訳すれば、下記のようになる。

一 謙遜する  自分を低くして接し言葉遣いも雰囲気もうやうやしくおだやかにする。
一 哀れみを乞う  困りきったような情をあらわし憐憫で見られるようにする。
一 怨みを言う  精神を失ったかのように憤ってはらわたから激しい怒りを出す。
一 恐喝  まさに威圧し脅しをかけておそれさせる。
一 閃くように弄する  あらゆる機会を用い時に乗じて翻弄する
一 変幻  同じ態度をせず眩惑し推し量ることを難しくする。


つまり、いかに日本人を騙すか…という事が上記の「朝鮮人が日本人をあつかうの6ヶ条の秘訣」という事になる。ところがそれが発覚し、隣国である朝鮮に対して怒りの声が起きたのも江戸時代からであるようだ。その朝鮮人を称して「無法の国、恥知らず、衣服容貌とも日本人にあらず、天下の笑うところなるを平然としている恥知らずである」と記されている。そう、いつしか隣人である朝鮮人に対する非難が相次いだのが江戸時代であり、その文化には日本人が相容れない犬を食べるという文化が潜んでいた。

西郷隆盛「征韓論」も、朝鮮を植民地にするという訳では無く、あくまで卑劣な朝鮮民族を懲らしめてやろうという事から発せられたものだった。その朝鮮人に対する怒りは、江戸時代まで遡るものであった。それ故に、江戸時代に焼き直しされた「狗耕田」の物語が、平気で犬を殺してしまう悪い隣人が朝鮮人を暗喩するものとして変換し、今でも伝わる「花咲爺」として伝えられたのだと考えてしまう。

とにかく、犬を殺す日本人とは、余程が無い限り有り得ない事と成る。「遠野物語拾遺134」で、何があったのかはわからないが、白い犬が殺された。中国人や朝鮮人が日本を卑下する場合「犬・狗」という言葉を使う。そして古来、犬を殺すとは日本人を殺す意味でもあった事を踏まえると、犬を殺して家運が衰退したというのは、犬を神として崇め奉る日本の神の祟りに遭った朝鮮人であった可能性も考えなければならないだろう…。
by dostoev | 2013-01-29 13:46 | 「遠野物語拾遺考」130話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺139(宮家のルーツ)」

「アラハバギ」が気になって調べていたら、似たような言葉に「アララキ」というのがあった。これは石見神楽の演目に「八幡」というのがあり、異国より飛来した自在天である第六天を筑紫の八幡麻呂が退治するというもの。

また別の演目に似たような筋立てで「弓八幡」というのがあり、ここに登場する魔王は「塵輪(じんりん)」となっている。この「塵輪」は「八幡愚童訓」によると「形は鬼神の如し、身の色赤く、頭は八にして黒雲に乗り、虚空を飛行して日本に着き、人民を取殺す…。」という説明がなさけています。まるでヤマタノオロチぽいのだが、石見神楽では「アララキの里に棲む鬼」と表現している。そしてこの「アララキ」とは何ぞや?と調べると「第六天信仰」となってしまう。つまり第六天魔王は「阿羅邏鬼(アララキ)」であり、それを祀るのは三宝荒神となってしまう。

アララキの元は「阿羅邏伽羅摩」であって、仏陀の悟りを開く前の教えを広めたものであり、仏陀はこれを受け入れなかったのだとか。なので阿羅邏仙人と呼ばれるのは、仏陀側の立場になると外道仙人と呼ばれたそうな。しかし、この教え云々より阿羅邏外道仙人には、医術も含め、その当時の高等な製鉄技術有していたのだと。しかし何故仏陀がこれを否定したのかというと、この古代製鉄文化の最秘奥義は「自ら灼熱の熔鉄に身を投じる」というものらしい。なので仏陀は否定し、それを受け入れなかった。

ところでパーリー語というのがあって、その言葉に「タッタ」というのがあり、これは「熔鉄」の意味があるのだとか…タタラに近い言葉だ。熊野修験に伝わる言葉に「死んだら金になる。」という言葉があるというのだが、これはこの仏陀の教えからは"外道"と呼ばれる「アララキ」が熊野に入っていたというものらしい。 これはヤマト朝廷が成立する以前の話だ。「古事記」に「熊野山の荒神(アラキ)」という言葉は「アララキ」を示しているとの事から、古代「アラハバキ」と認められる言葉 の本来は「アララキ」だったのかもしれない。
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そしてこの信仰は東北地方において、阿羅邏伽羅摩が阿羅邏権現として伝わり、鮭を備えるとか、長寿を叶えるものとして密かに伝わったのだという。ここは注目したいのだが、鮭を饌とするという事は血色に繋がるのだという。つまり長寿に繋がるという事。長寿信仰で広がるのは、青麻信仰。こ
れは遠野において、白幡神社境内にある青麻大神。もしくは古来、欠上稲荷境内の鶯崎の崖にあったと云われる青麻権現くらいしか記憶に無いが、鶯崎には「遠野物語」において宮家に何かあったのでは?というシルマシを示す話が伝えられている。


宮の家が鶯崎に住んでいた頃、愛宕山には今の倉掘家の先祖が住んでいた。
ある日倉堀の方の者が御器洗場に出ていると、鮭の皮が流れて来た。これは
鶯崎に何か変事がるに相違ないと言って、さっそく船を仕立てて出かけてその
危難を救った。そんな事からこの宮家では、後々永く鮭の魚は決して食わなか
った。

                             「遠野物語拾遺139」

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ここでは火を祀る愛宕神社と、また火を祀っていたであろう宮家の繋がりを示す。そして火を繋げるのは水だ。神社に参拝し手を合わせるのは、左である「火(ヒ)」と、右である「水(ミ)」を合わせるものだという。そして鮭を食わないというのは、鮭が神に供えるものであるから、その信仰する神を称える民は、鮭を口にしてはいけないという事なのだろう。

また原・熊野には裸形上人の信仰があり「浦島太郎」に近い伝説が残っている。その名残なのか、「遠野物語拾遺141」に紹介されている宮家に伝わる開けぬ箱というものは、元は浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったとされる玉手箱の意義として伝わったものだと考える。青麻権現を祀っていたと思われる宮家は、長寿求めた。もしくは宮家の未来永劫の繁栄を求めた。なので宮家に伝わる開けぬ
箱とは、玉手箱を開けると繁栄が消え去るという戒めとしての箱だったのだろう。

また稲荷信仰とタタラ信仰は密接に繋がっている事から、宮家が程洞稲荷を祀るというのは、根本は火の神信仰であったのだろう。ホトとは女陰を示すと広まっているが、カグツチを産んだイザナミはホトを焼かれて死んだが、ホトとは火床を示し、火山の火口をも示すのだという。

ホトを突くとはタタラの関わりを示すものであり、ヒョットコ起源譚において火男のヘソを突くというのは、本来ホトであったものを変換したのだと思う。ホトを祀る稲荷を祀る宮家は、本来火を祀っていた家系であり、熊野系の人間であったのだと思う。だから程洞神社には稲荷と共に、ヤタガラスが祀ってある。そして水神に金華山は、当然タタラ筋であり、熊野信仰である。

もしかして「アラハバキ」とは、初めに記述した「阿羅邏鬼(アララキ)」であり、それが第六天魔王。そして三宝荒神…竈神として広まって、いつしか「アララキ」は消え去り、それが偽書と呼ばれる「東日流外三郡誌」で再び「アラハバキ」と転訛?したものが脚光を浴びたのかもしれない。実際、「東日流外三郡誌」が流行った為なのか後で「アラハバキの神」を祀っているという神社がでてきたものだから。

とにかく現代においての「アラハバキ」は、やはり三宝荒神もしくは竈神と同じであり本来の「アララキ神」は、ヤマト朝廷が成立する以前である、原・熊野信仰から伝わったものだと考える。次は、宮家の祀る程洞神社と稲荷と製鉄の関係を書く事としよう。
by dostoev | 2010-12-05 11:07 | 「遠野物語拾遺考」130話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺138(鷹)」

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 【写真は遠野の某人物が飼育しているハリス・ホーク】 

遠野の町に宮という家がある。土地で最も古い家だと伝えられている。
この家の元祖は今の気仙口を越えて、鮭に乗って入って来たそうだが、
その当時はまだ遠野郷は一円に広い湖水であったという。

その鮭に乗って来た人は、今の物見山の岡続き、鶯崎という山端に住
んでいたと聴いている。その頃はこの鶯崎に二戸愛宕山に一戸、その
他若干の穴居の人がいだかりあったともいっている。

この宮氏の元祖という人はある日山に猟に行ったところが、鹿の毛皮
を著ているのを見て、大鷲がその襟首をつかんで、攫って空高く飛び
揚がり、るか南の国のとある川岸の大木の枝に羽を休めた。そのすき
に短刀をもって鷲を刺し殺し、鷲もろ共に岩の上に落ちたが、そこは絶
壁であってどうすることも出来ないので、下著の級布を脱いで細く引裂
き、これに鷲の羽を綯い合せて一筋の綱を作り、それに伝わって水際
まで下りて行った。

ところが流れが激しくて何としても渡ることが出来ずにいると、折りよく
一群の鮭が上って来たので、その鮭の背に乗って川を渡り、ようやく
家に帰ることが出来たと伝えられる。

                             「遠野物語周囲138」

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遠野の古来から続く、古い家系だと云われる宮家。その歴史は伝説化し、その信憑性に関しては定かではない。ところで、大鷲に襟首を掴まれて空を飛んだという話があるが、遠野の昔は鷹や鷲が多く棲み、人に危害を加えていたという伝承がある。そしてこの宮氏の話も、松崎村のタカズコという地に、多く鷹が多く棲みつき、人々に危害を加えていたという。そこで宮氏は、その鷹を狩る為に、山に入っていたとの話が、別に伝わっている。
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鷹が赤ん坊をさらう話は多いが、日本に伝わる昔話にある中で一番古いのは「日本霊異記」の中に記載されている「鷲の育て子」の説話。またギリシア神話における、ガニュメデスの伝説。しかし宮氏の話は、それらとは異なる。

>下著の級布を脱いで細く引裂き、これに鷲の羽を綯い合せて一筋の綱を作り

宮家のこの話はある意味、家紋を鷹の羽とした起源説話として伝えたのかもしれない。宮家の通常の家紋は違うのだが、裏家紋として違い鷹の羽の家紋が伝わっている。これは本来、宮家は阿曽沼ではなく菊池氏に繋がる家系の表れであったのだろう。

話を鷹に戻すが、本当に鷹は赤ん坊をさらった事はあったのだろうか?以前、子猫をあげた人物がいたが、農作業中にその子猫を傍で遊ばせていたところ、いきなり飛来したカラスに子猫を持っていかれるという事件があった。では大人が鷹にさらわれる事があるのだろうか?と調べたら、下記の映像を発見した。

この映像は、大鷲が野生の山羊を捕まえ飛び去るシーンが記録されている。ただしこの映像は上空から飛来して、野生の山羊を捕まえると、そのまま崖下に下降するというもので、とても人間の大人をかかえて上空へと飛び立つというのは、無理な話だと思う。


by dostoev | 2010-12-05 10:59 | 「遠野物語拾遺考」130話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺136(仏像?の御利益)」

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【愛宕神社慶大片隅にある稲荷】

遠野豪家村兵の家の先祖は貧しい人であった。ある時愛宕山下の鍋ヶ坂という
処を通りかかると藪の中から、背負って行け、背負って行けと呼ぶ声がするので、
立ち寄ってみると、一体の仏像であったから、背負って来てこれを愛宕山の上に
祀った。それからこの家はめきめきと富貴になったと言い伝えている。

                       「遠野物語拾遺136」

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遠野の町外れに鎮座する愛宕神社のある愛宕山の麓は、確かに鍋ヶ坂と呼ばれているのだが、また別に昔からこの鍋ヶ坂はキツネの関所とも呼ばれた。なので村兵が背負ったものは、仏像ではなくキツネが化けた姿だったのかもしれない。

豪農、もしくは長者と呼ばれる家系の殆どに稲荷の話が登場する。江戸以前は、五穀豊穣を願うのが稲荷であったが、いつしか家内安全と商売繁盛というご利益が付加されたのが稲荷でもあった。その為、稲荷を祀った為に家が発展した。商売が繁盛したという風評が流れ、江戸時代に一気に、屋敷内に稲荷神社を祀る家が増えたのであった。

土淵は山口部落にいた山口孫左ェ門一族もまた、稲荷を操る術を探り研究していたのだという。それにより、家の発展を築いたとの伝説もまたある。この村兵と山口孫左ェ門の共通は、屋敷の敷地内ではなく、人里から僅かばかり離れた、あまり人目につかない場所に祀られているのは理由があっての事だろう。

村兵稲荷と呼ばれるものは現在、興光寺という地名の場所に鎮座しているが、この「遠野物語拾遺136」を読む限り、村兵が発展したきっかけは、この愛宕山に祀った稲荷だったのではないだろうか?もしくは、この愛宕山での出来事がきっかけで後に、興光寺に立派な稲荷社を築いたのかもだ。

現在、愛宕山の愛宕神社の境内にひっそりと稲荷が祀られているきっかけとなったのは、もしかしてこの「遠野物語拾遺136」で語られる村兵の話からなのかもしれない。
by dostoev | 2010-12-05 10:39 | 「遠野物語拾遺考」130話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺135(娘が貰った宝)」

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青笹村大字中沢の新蔵という家の先祖に、美しい一人の娘があった。ふと神隠し
にあって三年ばかり行方が知れなかった。家出の日を命日にして仏供養など営ん
でいると、ある日ひょっくりと家に還って来た。

人々寄り集まって今までどこにいたかと訊くと、私は六角牛山の主のところに嫁に
行っていた。あまりに家が恋しいので、夫にそう言って帰って来たが、またやがて
戻って行かねばならぬ。私は夫から何事でも思うままになる宝物を貰っているか
ら、今にこの家を富貴にしてやろうと言った。そうしてその家はそれから非常に裕
福になったという。その女がどういう風にして再び山へ帰って往ったかは、この話
をした人もよくは聴いていなかったようである。

                               「遠野物語拾遺135」

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この宝物とはもしかして「ひょっとこ」のお面では?と考える。何故か「ひょっとこ譚」の殆どが東北に集中していながら、何故か遠野に無いというのは解せなかった。産金、産鉄の話が多くありながら、その起源譚である「ひょっとこ」の話が無いのはどこかで埋もれていたのかと思っていた。

ただこの話は、神隠しの話であってひょっとこの起源譚とはならないのだが、そのひょっとこのお面を竈の前に掛けると、その家は栄えるという事から、その娘をさらった六角牛の主とはタタラ筋の人間で「ひょっとこ」の面をお土産に渡したのだろうと考えてしまう…。
by dostoev | 2010-12-04 19:16 | 「遠野物語拾遺考」130話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺134(白い犬)」

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土淵村の大樽という処に、昔は林吉という金持ちが栄えていたそうなが、
今はその家の跡も無い。この家には一疋の白い犬を飼っていたのを、何
か仔細があってその犬を殺し、皮を剥いで骸を野原に棄てさせた。

すると翌日家の者が起きて土間の地火炉に火を焚こうとして見ると、昨日
の犬が赤くなって来てあたたまっていた。驚いて再び殺して棄てたが、そ
の事があって間も無く、続けさまに馬が七頭も死んだり、大水が出て流さ
れたりして、家が衰えて終に滅びてしまった。

豪家の没落には何かしら前兆のあるもののように考えられる。

                              「遠野物語拾遺134」

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白い動物は神の使いであるというが、中国の昔話に白い犬を殺して祟られる話はある。しかし、この話は少し違うようだ。どちらかというと「因幡の白兎」を思い起こさせる話だと、自分は思っている。

「古事記」では白兎ではなく素兎と書き記されているが、素人という意味から、素も白も、元々は同じ意味だ。そして、その犬が殺された後に、今度は犬が赤くなって登場している。この赤は、全体が赤くなっているのではなく、皮が剥がれた為に、赤裸々状態の犬という事だろう。これは因幡の白兎もワニによって毛を剥がれた状態と同じなのだろう。

ただ、これとは別に陰陽五行として見れば、犬は元々金気の動物だ。「花咲爺」の話ではないが、土を掘り金気(黄金)を掘り当てるのが犬の属性となる。ところが犬の本性は、火でもある。陰陽五行に火の三合というのがあり、火は虎に生じ、午に盛んとなり、犬に死すとなる。

つまり素としての犬が殺されてなお、本性である火としての犬として復活したのだが、大国主は毛を剥がされた赤肌の兎を助けてあげたのだが、実はこの助けた兎はウサギ神であった。この後に、大国主は資格試験を通ったのはいうまでもない。しかし、この話に登場する林吉は、その赤犬を殺してしまった。そしてその後に不幸が続き、家は没落してしまう。これは飼っていた犬が神であったという事になるのだと思う。林吉は、それを見抜けぬ為に没落してしまった。まあ、殺したと思った犬が赤犬となって再び現れれば、誰でも恐れ戦いて、殺してしまうというのは普通なのかもしれないが…。
by dostoev | 2010-12-04 19:09 | 「遠野物語拾遺考」130話~ | Comments(0)