遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
六角牛考
七つ森考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯信仰圏
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
外部リンク
最新のコメント
カエルのような両生類と考..
by dostoev at 04:56
河童は冬眠しないのでしょ..
by 森のどんぐり屋 at 14:34
安来市と比べ、神代の歴史..
by dostoev at 09:42
 島根県の安来市あたりも..
by 名古屋特殊鋼流通倶楽部 at 13:57
いくつかの梨木平を見てき..
by dostoev at 18:39
梨木といえば、昔話の「な..
by 鬼喜來のさっと at 22:09
遠野まで来たら、キュウリ..
by dostoev at 07:06
河童はおる。わしが河童じゃ!
by 竜桜 at 20:55
観念や概念は、各民族によ..
by dostoev at 20:45
以前コメント欄にお邪魔し..
by 河童ハゲ at 18:12
最新のトラックバック
ライフログ
検索
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:「遠野物語拾遺考」120話~( 10 )

「遠野物語拾遺129(奇跡の御本尊)」

f0075075_1158970.jpg

上郷村大字佐比内、赤沢の六神石神社の御本尊は、銅像にしてもと二体あった。昔から金の質が優れて良いという話であったが、一体はいつの間にか盗まれて無くなり、一体ばかり残っていた。その一体もある時盗み出した者があって、これを佐比内鉱山の鉱炉に入れて、七日七夜の間吹いたけれどもどうしても溶けないので、盗人も恐れ入って社に返して来たという。今もある御神体が即ちそれである。

                                                  「遠野物語拾遺129」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
佐比内(サヒナイ)の「サヒ」は、「鉄」の意味から来ている地名である。また、赤沢という地名も、鉄や水銀の産出する地の土は、赤土が多い事から、赤の付く地名が多い。赤沢は、それが滲み流れる沢の意であろう。

佐比内鉱山の歴史は「佐比内鉄鉱山遺跡発掘調査報告書」によれば、嘉永五年(1852年)に、西閉伊郡上郷村大字佐比内鎌ヶ峰に鉄鉱を発見し、同六年に高さ三尺の鉱炉を等設立したと記されている。しかし明治時代七年に、佐比内鉱山を経営していた明治新政府の財政を支えていた豪商の小野組が破産してしまい、それから昭和時代の戦後の開発まで、佐比内鉱山は眠っていたようだ。となれば、この「遠野物語拾遺129」での鉱炉で銅像の御本尊を溶かそうとしたのは、明治七年以前の話であろうか。もしくは、鉱山経営が停止した明治七年以降に、その鉱炉の使い方を知っている者が密かに、佐比内鉱山の鉱炉に忍び込み御本尊を溶かそうとした可能性も考えられる。

また「遠野物語拾遺129」の文中に「吹いた」と記されているのは、佐比内鉱山では嘉永六年に高さ三尺の鉱炉に「日本吹子」で送風したとあり、鞴で風を送る事を「吹く」と表現する事から来ている。日本吹子は、鞴(フイゴ)=吹子(フイゴ)であり、それを女性的な愛称として表現したものだろうか。
f0075075_18121258.jpg

「七日七夜」という記述が気になる。例えば「聖書」では、神は6日間で全てのモノを造り、七日目は休んだ事から一週間は七日に設定されている。また「日本書紀」は「神代七代で始まる国」と評するように、七と言う数字は神的であり「七日七夜の間吹いた」との表現は、神話的であり、意図的に作られた話のようである。この意図的とは、やはり六神石神社の御本尊とは、奇跡をもたらす尊い像であると、権威付けの作り話ではなかろうか。
by dostoev | 2015-06-15 18:12 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺124(魔所)」

f0075075_19402991.jpg

村々には諸所に子供等が恐れて近寄らぬ場所がある。土淵村の竜ノ森もその一つである。ここには柵に結われた、たいそう古い栃の樹が数本あって、根元には鉄の鏃が無数に土に突き立てられている。鏃は古く、多くは赤く錆びついている。この森は昼でも暗くて薄気味が悪い。中を一筋の小川が流れていて、昔村の者、この川で岩魚に似た赤い魚を捕り、神様の祟りを受けたと言い伝えられている。この森に棲むものは蛇の類なども一切殺してはならぬといい、草花の様なものも決して採ってはならなかった。人もなるべく通らぬようにするが、余儀ない場合には栃の樹の方に向って拝み、神様の御機嫌に障らぬ様にせねばならぬ。先年死んだ村の某という女が生前と同じ姿でこの森にいたのを見たという若者もあった。また南沢のある老人は夜更けにこの森の傍を通ったら、森の中に見知らぬ態をした娘が二人でぼんやりと立っていたという。竜ノ森ばかりでなく、この他にも同じ様な魔所といわれる処がある。土淵村だけでも熊野ノ森の堀、横道の洞、大洞のお兼塚など少なくないし、また往来でも高室のソウジは恐れて人の通らぬ道である。

                                                  「遠野物語拾遺124」

f0075075_12542412.jpg

画像の竜ノ森には、小さな社がある。そこには、寶龍権現が祀られている。寶龍は、熊野の飛龍が転訛したものであり、龍蛇神となる。古い栃の樹の描写があるが、現在その栃の樹は無い。栃の樹の実は、縄文時代から貴重な食料であった。実際、この竜ノ森には縄文の遺跡があった事から、縄文人が住んでいて、栃の樹も食べていたのだろう。遠野で有名な栃の樹といえば、同じ土渕の稲荷神社と、上郷の日出神社にある。古代から神社は、一つの生活空間であった。神社の杜には、神社の補修材としても成長の早い栗の樹や、大量のデンプンを含む栃の樹が植えられていた。ただ、食料として米が確保されるに従い、栃の樹は土師氏達によって伐採されていったようだ。

全国にある栃の樹の根元から冷水が湧き出している場合が、いくつかある。上郷の日出神社の栃の樹も、そういう伝承が付随している栃の樹である。恐らく、この竜ノ森の栃の樹も、冷水が湧き出していたのではないか。
f0075075_12554815.jpg

一本の小川は江戸時代に人為的に引かれた用水路であるが、その近くには山口川が流れている。水脈が近い為に、栃の樹の根元から水が涌いていた可能性はあるだろう。何故ならここは竜ノ森という名称であり、竜蛇神が祀られている事を踏まえれば、この栃の樹を含む竜ノ森の情景が神社の様な聖域に見えた事からではなかろうか。昭和の時代に、似た様な事件があった。上郷町宇南田に、沼の御前を祀る地がある。そこも神域となっていたが、その神域で獲った岩魚を皆で食べた為に神罰にあたった話が伝わっている。

しかし、その聖域が魔所と呼ばれるようになったのは、やはり死んだ女の姿を見たとか、見知らぬ態の女を見たなどという話が広まった為であろう。これは、死霊の森というイメージが定着したからであろうか。例えば「遠野物語拾遺121」では、タイマグラに見慣れぬ風俗の人達がいたというだけで怪しげな場所、ある意味魔所になっている。

他の、熊野ノ森や横道の洞など、以前は人の往来があった場所が、いつしか廃れ寂しくなった所を魔所と呼ぶ様になっているのは、現代において廃墟を幽霊屋敷と呼ぶのと同じ感覚であろうか。そういう意味では、縄文人が住んでいた竜ノ森の近辺も、今ではまったく人気が無くなっている為、同じ様な感覚で名付けられたのかもしれない。他の魔所は、一つ一つチェックして別記事に書く事としよう。
by dostoev | 2015-06-14 14:58 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺125(宝竜ノ森)」

f0075075_18562353.jpg

字栃内林崎にある宝竜ノ森も同じ様な場所である。宝竜の森の祠は鳥居とは後ろ向きになっている。森の巨木には物凄く太い藤の蔓が絡まり合っており、ある人が参詣した時この藤がことごとく大蛇に見えたともいわれる。佐々木君も幼少の頃、この祠の中の赤い権現頭を見て、怖ろしくて泣いたのをはっきり覚えていると言う。

                              「遠野物語拾遺125」
 
f0075075_18584473.jpg

社と鳥居の向きが違うのは「注釈遠野物語拾遺(下)」によると口伝として、夢枕に宝竜様が起ち、山崎の観音様の方が、宝竜様より参詣人が多かったのを面白く思わず後ろ向きに祠を建立させたという話があるようだ。ちなみに祭礼の日は、9月29日であるという。

この宝竜は雷神であると伝えられているようだが、宝竜は「ホウリュウ、ホウリョウ」と岩手県内でも、様々な漢字があてられて広まっている。しかしその大元は飛龍(ヒリュウ)であり、那智の飛龍権現の転訛により、ヒリュウ→ホウリュウ・ホウリョウとなったようだ。それ故に、龍神であり雷神でもある。

ところで向きの話だが、鳥居は北東を向いている為、通常の社は南を向けるようになっているので、単純に南東側に向けたのでは無かろうか?口伝の話は、どうも後で取って付けた様な話になっている。通常であるなら、社などは太陽の運行に向けるようになっている。異端は胡四王神社の北向きになるが、これは逆に星の運行、つまり北辰の運行に向けた神社が胡四王であるだろう。胡四王(koshiou)も本来は星王(hoshiou)、つまり北極星と北斗七星に向けてのものだと思う。
f0075075_19274872.jpg

この小屋の内部に、小さな社がある。その扉を開けると、画像の様に今でも権現様が置かれている。子供心に、いきなりこの権現様が現れたら、その当時の子供であれば、怖くて泣いたのかもしれない。ある意味、ビックリ箱のようなものであったのだろう。
f0075075_1931932.jpg

現在は藤が無いのだが、藤は何故か水と結び付く樹木でもある。水に関する仕事をする人達に何故か「藤」の付く姓の人が多いというのも昔から指摘されている事ではある。この宝竜様が雷神であり水神であろうから、元々藤の自生していたこの地に、後からこの宝竜権現を祀ったのだと思うのだ。恐らく藤の蔓は蛇であり竜を想起させる事から、藤と龍神が結び付けられたのだと思われる。
by dostoev | 2014-04-17 19:37 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺120(ぶつかったモノ)」

f0075075_1926895.jpg

今は遠野町に住む政吉爺という土渕村の猟師が三十五、六の頃、琴畑の奥の小厚楽というガロダチで、岩の上に登ってシカオキを吹いていると、不意に後から何ものかに突飛ばされた。しばらくは呼吸が止まり、そのまま身動きも出来ずに倒れていたが、ようやく這って皆のいる小屋まで帰ることが出来た。その時老人の話に、猟人はたびたびそんなことに出逢うものだ。必ず人に語るものではないと堅く戒められたと言うことである。この辺は昔から山男や山女の通り道といわれている処である。

                               「遠野物語拾遺120」

f0075075_19382350.jpg

方言資料「遠野ことば」によれば、ガロダチは「ガロ」とも「ガロダツ」とも云われ、岩の重なり合っている場所の事を言う。逆に言えば、足場の悪い場所でもある。そういう足場の悪い岩場に立てば、何かの拍子に転倒する場合があるだろう。その何かの拍子は、この場合は「不意に何ものから突飛ばされた。」だ。

「遠野物語拾遺163」において、やはり目に見えない黒いモノにぶつかった話が紹介されている。山中での出来事が「遠野物語」世界では、山男や山女のイメージが色濃いだろう。しかし山中の生体といえば、まず獣であろう。だが、熊であろうと鹿であろうと人間を避けるのが一般的となる。しかし明治時代の遠野であれば、猪はまだ生息していた。明治の半ばに流行ったブタコレラによって、青森県まで生息していた猪は絶滅してしまったのだが、もしも猪であるならば、人間に向かってくる場合もある。去年、兵庫県で夜の帰り道を猪に襲われて怪我した女性の事件があったが、猪突猛進というように、もしもこの「何もの」が猪であるならば、その可能性はあるのだろう。
f0075075_20221525.jpg

またキーワードとして「シオカキ」が登場するが、シオカキとは鹿笛であり、鹿をおびき寄せる為の笛である。琴畑も含め、遠野盆地の沿岸寄りの山には鹿がかなり生息している。8月の終わりから9月にかけては繁殖期であるが、その時に牡鹿同士が牝鹿の奪い合いで角を突き合わせて戦う時期でもある。この「遠野物語拾遺120」の季節は定かでは無いが、雪深い冬では無い事だけは確かだろう。これが丁度、繁殖期であった場合、鹿笛に騙されて呼ばれた鹿が突進してきた可能性もあるのだろう。話の中の政吉爺は不意を突かれ呼吸が出来ない程に体を強打した為、何がぶつかったのかは確認できていないだろう。では猪か鹿かと答えればシオカキという鹿笛の関係から、やはり鹿ではないだろうか。猪と違って、鹿の方が岩場を渡るのが得意という事を付け加えておこう。
by dostoev | 2014-04-12 20:32 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺128(めんのう)」

f0075075_11125968.jpg

【常堅寺にある隠れキリシタンの像とも云われる黒い像】


三、四十年も前のことであるが、小友村に薄馬鹿の様に見える風変りな
中年の男がいた。掌に黒い仏像を載せて、めんのうめんのうと唱えては、
人の吉凶と占ったという。

「遠野物語拾遺128」

f0075075_11143531.jpg

今も昔も奇怪な宗教にはまる場合があるが、この「遠野物語拾遺128」において記されている「めんのうめんのう」という言葉は何かを考えた場合、すぐに思いつくのは「能面」
能面とは単なる扮装の道具ではなく、用いられる能面によってその曲の演出が決まるほどの重要さをもっており、能役者はこれを神聖なものとして扱っているというのが一般的だ。つまり能役者にとって能面とは、神や仏に近い存在であるという事だろう。

「めんのうめんのう」をズラすと「のうめんのうめん」となる。「遠野物語拾遺128」で薄馬鹿と書かれているので「のうめん」を「めんのう」とひっくり返って覚えたとしても、おかしくないかと思った。

能面だけに限らないが、お面を被る事によって、そのものに成り切る。もしくは、その魂が宿るとされてきた。その漠然とした意識と知識で覚えた事による「めんのう」では無かったか?と想像してしまう。
f0075075_15432718.jpg

また「明王」「めんのう」と呼んだ可能性も高い。明王は既に、この時代では普及し定着しているものと思われ、明王となればいろいろあるが、この遠野に於いてはまず「不動明王」であろうと思う。ただし気になるのは、それだけ有名な不動明王を黒い仏としているところだろう。不動明王の人気は江戸時代まで遡り、かなり市民権を得ているのが実情だ。優しい仏の顔と、憤怒の形相の不動明王(他の明王も含め)では、印象度が違うからだ。また「みょうおう」が「めんのう」となるとして、遠野での転訛の具合をチェックしてみなければならないが、「明」は「めん」と読む事も考え合わせれば、やはり可能性は「明王」の方が高いか。

ところで黒い仏像を掌に載せるて、人の吉凶を占ったというのは、その仏像の霊力が降りると意識してのもので、人というモノは神がかり的な超常的能力に憧れるもの。この物語に登場する男もまた、そういう勘違いの意識をもって、占いをしたのだと想像する。
f0075075_11181640.jpg

【八幡神社境内にある、平助八卦が神憑りしたと云われる恩徳の地にあった稲荷神社】


例えば「遠野物語拾遺257」における平助八卦が良く当たると評判になったとあるが、「遠野物語拾遺128」文中には、その男の占いが良く当たったとは述べていない。また小友村で、そういう当たる占いをした者の伝承を聞いた事が無い。例えば厳龍神社の北寄りの下方に、神子塚というのがある。「神子」と書いて「いたこ」と読むのだが、大抵は小さな村には昔、こういった「神子」がいて、よく村人から占いを頼まれたものだった

「遠野物語拾遺257」における平助八卦は、一般人でありながら神憑りして占いも当たるようになったから評判を呼んだのであって、占いが当たらない場合は、そのものの評判も上がらない。また占いが良く当たった場合は、占いに使用した仏像に対する信仰が広がるのだが、それも無いというのは、あくまでも薄ら馬鹿の男が、勝手に吉凶を占ったという話題の物語が「遠野物語拾遺128」であろうと思う。
by dostoev | 2011-11-19 11:21 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺127(木食上人&円空)」

f0075075_1414436.jpg

【金子富之氏幻想作品】


綾織村では昔一人の旅僧がやって来て、物も食わず便所にも行かず、
ただ一心に仏の御姿を彫刻していた。それがいかにも優れた木像だっ
たので、村の人が頼みに行くといつの間にか去って行き方が知れなか
ったという話が伝わっている。あるいは木食上人ではなかったかと思う。

                            「遠野物語拾遺127」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
木食上人は、出家して五穀を断ち木食をした事から、木食上人と呼ばれた。ただし、木食上人がこの世に知れ渡ったのは大正時代末期であるから、この「遠野物語拾遺127」での話は、昭和時代になってからのものだろう。

木食上人は南は鹿児島から、北は北海道を行脚したと云われ、遠野にも立ち寄った形跡はある。ただし、現在綾織では、この木食上人が彫ったであろう仏像は見当たらない。ただ木食上人の遠野に関する展開は、下記を参照して欲しい。


五百羅漢考
f0075075_1454275.jpg

話は違うが、山口部落に南沢の家というのは文政年間まで遡るという旧家があった。この南沢家はお屋敷であったのだろう、この家には泊りがけで桶屋・下駄職人・鋳かけ屋・傘貼り職人など、沢山の職人がこの家に泊り込んで、大所帯である南沢家の道具類を作ったり、この家を拠点に村を巡って、商売をしていたのだという。

昭和三十年代に、この南沢家を解体した時に、屋根裏から仏像が発見されたという。当時の話では、ホイド(法衣人)の服装で南沢の家に泊っていた、彫り物が上手な人物がいたようだ。その当時、彫り物が上手い為”生き仏ホイド”と呼ばれていたという。当時は、円空仏が発見されたと言われたようだが実際は円空仏ではなかったようだ。その仏は現在、土淵は常堅寺にオビンズル様として祀られている。
by dostoev | 2010-12-05 14:06 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺126(三面大黒)」

f0075075_13564574.jpg

狩人の話では早池峯の主は、三面大黒といって、三面一本脚の怪物だという。
現在の早池峯山のご本尊は黄金の十一面観音゛あって、大黒様のお腹仏だと
言い伝えている。その大黒様の像というのは、五、六寸程度の小さな荒削りの
像である。

早池峯の別当寺を大黒山妙泉寺と称えるのも、この大黒様と由緒があるから
であろうとは、妙泉寺の別当の跡取りである宮本君の言であった。

この人の母が若かった時代のことというが、寺男に酒の好きな爺がいて、毎朝
大黒様に御神酒を献げる役目であった。いつもその御神酒を飲みたいものだと
思っては供えに行くのであったが、ある朝大黒様が口を利かれ、俺はええから
お前達が持って行って飲めと言われた。爺は驚いて、仲間の者のいる処へ逃げ
帰ってこのことを告げたが、皆はボガ(虚言)だべと言っ本当にしなかった。

試に別の男が御神酒を持って行って供えることになったが、再びその時も大黒
様は口を利かれて、俺が飲んだも二つないから、其方へ持って行って飲めと言
われたという。物言い大黒といって、大変な評判だったそうな。

                               「遠野物語拾遺126」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現在、早池峰の秘仏と云われる三面大黒は、某家で所蔵されている…。

三面二臂像の三面大黒天は伝教大師が天台宗と寺門興隆の為、比叡山延暦寺に祀ったのが始めで、その霊験があまりにも大きいことから全国に広がった。富と福の大黒天に武力の毘沙門天、才能と美貌の弁才天の合体像であり、三福像とも呼ばれる。比叡山では衆徒の糧食を扶持すると伝えられ、伝教大師最澄の感得によって創られたものだといわれる。

最澄といえば白山信仰を思い出され、当然祀る本尊は十一面観音となる。それに、元々採鉄神で冥界とも関りが深い大穴牟遅であり大黒天が結びつくというのはやはり鉄の繋がりだろう。また三面大黒の一つの顔に弁才天がいるというのも、弁財天は宗像三女神の市杵嶋姫と結びつき、瀬織津姫と結びつく。また毘沙門天は、坂上田村麻呂の蝦夷征伐の後に、岩手の各地で祀られ、当然蝦夷征伐の後に建立された早池峰神社とも縁が深い。

しかしこの三面大黒は、第六天信仰の禍々しい神であり畏怖されたが「不老長寿、端正、多楽」の欲求を満たしてくれる外道神であり、その教義から三面大黒の神々と結びついたようだ。そしてその第六天信仰の元々は、三宝荒神から来ているのだという。知っての通り三宝荒神は竈神となって鉄にも関連する。早池峰神社に鉄の塊の絵馬があるように、早池峰信仰も鉄との関わりが深い。ただし古代は鉄を”金”とも言った。黄金をもたらす金も金。武器である鉄もまた金と呼ばれたのだった。

また三宝荒神のそのさらなる根源は、三光信仰からきている。日・月・星の三光であり、原始的な天体の信仰たった。その為かアマテラスを祀るのもわかるというもの。しかしその発祥は、大和朝廷が成立する以前の熊野に帰してしまう…。
by dostoev | 2010-12-05 14:00 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(4)

「遠野物語拾遺123(小豆平の化け物)」

f0075075_13531393.jpg

物見山の山中には小豆平という処がる。昔南部の御家中の侍で中館某と言う
者が鉄砲打ちに行き、ここで体中に小豆を附けた得体の知れぬものに行逢っ
た。一発に仕止めようとしたが命中せず、ついにその姿を見失った。それから
ここを小豆平と言う様になり、狩人の間に、ここで鉄砲を打っても当たらぬと
言い伝えられている。

                     「遠野物語拾遺123」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
奥州藤原氏が鎌倉幕府に滅ぼされた後に、栃木から遠野に阿曾沼という領主がおさまった。しかし其の後、秀吉の怒りをかい、追われた後に代わりに八戸の南部が遠野を統治した…というのが大雑把な概要。

その阿曾沼が追われた時、気仙方面から嫁いだ姫がいたと云う。それがドタバタの最中に、従者を引き連れて伊達藩であった気仙方面に逃げたというのだが、その逃げた経路が実は、物見山経由であったそうな。まあ当然、通常の峠や街道は押さえられているので、時間がかかろうと難所の物見山越えを果たしたのだと云う。その時に、金目の物を持ち運んだろうが、途中捨ててしまったのもあったのでは?という伝説が、まことしなやかに流れている。

池の端は南部に使えた商人であったそうだが…元々は、阿曾沼にも通じていた商人であったようだ。ここは憶測であるけれど、もしかして、その姫を通じた書簡があり、その金品などを捨てた場所を記したものから、物見山へと出向き、その沼から金品を引き上げ、財を成したのでは?という穿った考えもできる。

例えばだが、その場所にあまり人を行かせないようにする場合、大抵は怖い噂話を広げるとかになると思う。それが「遠野物語拾遺123」の小豆の化け物の話になったという可能性はあるだろう。

小豆とぎの妖怪は、当時全国を駆け巡って広がったようでもあるので、その妖怪に便乗し、その話を広めたのかもしれない。当時の最強の武器は、やはり鉄砲であって、その鉄砲が当たらぬというのでは、その化け物を退治する手段は厳しいという事になってしまうからだ。

現在この地は、足元には笹薮が生え、鬱蒼としたカラ松林となってしまい、当時の面影は見当たらず、過去に三つもあった池は消え失せてしまった。
by dostoev | 2010-12-05 13:55 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺122(安倍ヶ城)」

f0075075_1335381.jpg

このタイマグラの河内に、巨岩で出来た絶壁があって、そこに昔安倍貞任
の隠れ家があったといい、ここを安倍ヶ城とも呼んでいた。下から眺めると
すぐに行けそうに見えるが、実は岩がきつくて、特別の路を知らぬ者には
行くことが出来ぬ。その路を知っている者は、小国村にも某という爺様しか
いない。

土淵村の友蔵という男は、この爺様に連れられて城まで行ったことがある
そうな。その時もすぐ近くに見えている城までなかなか行けなくて、小半日
かかってようやく行き着いた。

城の中は大石を立て並べて造った室で、貞任の使ったという石の鍋、椀、
包丁や石棒等があった。昔は雨の降る時など、この城の門を締める音が
遠く人里まで聞こえたものだそうなが、その石の扉は先年の大暴風の時に
吹き落とされて、岩壁から五、六間下に倒れていたという話である。

                              「遠野物語拾遺122」

f0075075_13362296.jpg

この安倍ヶ城に、麓から正面きって登るのは、ほぼ不可能な気がする。切り立った岩肌と、その岩肌を隠すように樹木が覆っていて、足元の不安が一番の要素だと思う。一歩間違えば崖下へと転落のイメージが浮かんでしまう。
f0075075_13375713.jpg

ところで、この安倍ヶ城の周囲を見渡すと、いたるところに岩穴を発見する事ができる。縄文系の人々が岩穴に住んでいたという意識が伝わり、山の岩穴を見ると、誰しもが誰かが住んでいるものだという意識にかられてしまうのは、山を自在に闊歩した蝦夷の血の影響からか…。
f0075075_13385038.jpg

この岩屋などは、モダンな感じで、いかにも誰かが住んでいるのだろうか?というイメージを抱かせる巨岩だ。

奇しくも安倍貞任が支配していた奥陸郡は、現在の岩手県である。岩手の語源には三石神社の岩に刻まれた鬼の手形が有名だ。それとは別に、現在の岩手山は古代に岩鷲山(がんしゅざん)と呼ばれ「がんしゅ」という音に「岩手(がんしゅ)」という漢字をあてたと云われる。しかし元々磐座信仰が根付いていた蝦夷の地に、岩に関する様々な伝承が付随してのものであったのけだろう。
この安倍ケ城は早池峯の峰続きであり、早池峯の息吹を感じる山である。早池峯自体が、日本列島最古の地層を有し、山そのものも岩の山である。ある意味、蝦夷の信仰と象徴を示す山が早池峯であり、安倍ケ城の伝承は早池峯を下敷きにした物語であるのだと感じる。
by dostoev | 2010-12-05 13:48 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(8)

「遠野物語拾遺121(タイマグラ)」

f0075075_13271135.jpg

土淵の鉄蔵と言う男の話に、早池峯山の小国村向きにあるタイマグラという
沢には不思議なことばかりあるという。

下村の某という男が岩女釣りに行った処が、山奥の岩窟の蔭に、赤い顔を
した翁と若い娘とがいた。いずれも見慣れぬ風俗の人達であったそうである。
このタイマグラの土地には、谷川を挟んで石垣の畳を廻らした人の住居の
ようなものが幾箇所も並んである。形は円形に近く、広さは二間四方ばかり
あって、三尺程の入り口も開いている。昔は人が住んでいたのであろうとい
われ、今でもどこかで鶏の声がするという。

この話をした鉄蔵も、魚を釣りながら耳を澄ましていたら、つい近くで、本当
に朗らかな鶏の啼声がはっきりと聞こえたそうである。これはもう十年近くも
前の話であった。

                  「遠野物語拾遺121」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このタイマグラ、今でこそ遠野からは荒川高原経由で行けるようになったのだが、以前は遠野の恩徳経由で小国方面へと行き、奥へ奥へと進めばタイマグラの地へと辿り着いたものだった。

ところでタイマグラとは漢字で大麻座と書き記し、古代天台宗の修行の場でもあったという。古代の日本において、大麻は、罪や穢れを祓う神聖な植物であり、この大麻には神が宿るとされた。そしてこの大麻の繊維から、神道儀式の用具を作りだされてきた。もしかしてだが、昔このタイマグラで大麻が栽培されていたのかもしれない。そうでなければ大麻座(タイマグラ)という地名の由来がわからないのだ。薬師から注がれる薬師川と大麻の栽培。どちらも穢れ祓いの大きな意味を成す。

全国のカムナビは円錐形をしており、それを遠野に当て嵌めると薬師岳・天ヶ森・笠通山・六角牛山などが思い浮かばれる。その中で、薬師岳と天ヶ森は、元々遠野三山とも呼ばれた。カムナビ山の定義は、人里の平野に近く、笠を被せた形をしており、少し急角度な傾斜を示しており、他の山より抜きん出て聳える山なのだと。その山は樹木に覆われ、その山中には多くの場合、石座ないしは磐境が存在する山であるという。そして、カムナビの山に鎮座する神は祖霊神でもあり、原則的には害を与える事無く、恩恵を与える神なのだという。また高山…遠野で言えば早池峰山のような高く屹立している山は、その麓の里に住む人々にとって、恐ろしい性格の山であった。つまり遠野での昔の遠野三山は、早池峰山という畏怖すべき存在を前に聳える天ヶ森と薬師岳の二つを足して、人々の信仰を強めたのかもしれない。

話逸れてしまったが、そのカムナビであっただろう薬師岳から流れる薬師川の流れにタイマグラという地があるというのは、いろいろな憶測を呼ぶのかもしれない。大麻という言葉の学名はスキタイ語からきており、その学名を日本語表記で表すと「カナビス」または「カンナビス」と表す。

また、タイマグラでは土器や石器も出土しており、かなり古くから人が住んでいたのだと。「遠野物語拾遺121」の話は、明治時代なのだろうが、その時代に見慣れぬ風俗の者と表されるのは、山人であると言いたげな物語であるのは、編集に携わった、佐々木喜善と柳田國男の影響もあるのかもしれない。
f0075075_13303722.jpg

ただ、立地的にかなりの山奥であり、「遠野物語拾遺121」の時代に人が住んでいたとなると、山人というよりも、宗教的意義を以って移り住んだ人々の事を現しているのかもしれない。そして、話に登場する翁と若い娘とは、あまりにも白山信仰のイメージが湧き上がり象徴的過ぎる。

白山信仰と天台宗はの結びつきは強く、また岩手は奥州藤原氏の白山信仰は強かった。「翁」は天台宗寺社では法会を妨害する法敵や悪霊を追い払う「魔多羅神」として単独で祭祀されているのだと。白山では猿楽などの能が行われるが、そこには翁と若女などが登場する。実は、奥州藤原氏の影響がある遠野において、翁と若い女となると、どうしても白山の能面のイメージが湧き上がるのだ。加賀より平泉に白山社が勧請されたのが850年。そして1291年、白山から中尊寺に「若女面」が奉
納されている。どうしても翁と若い娘が並んでいる姿を想像すると、白山の能面が、自分の脳裏に浮かび上がってしまうのだ。

また鶏の鳴き声も、薬師岳が鶏頭山と呼ばれていた事を考えると、あまりにもこの「遠野物語拾遺121」は宗教的過ぎると考えてしまう。翁と娘という描写、そして洞窟と…白山のイメージに近い…。

余所者に対する警戒心が強い田舎の人々にとって、この話が生み出されたタイマグラとは、これから先には行ってはいけないという、侵すべからず魔所だったのかもしれない。土器や石器が出土した地域がタイマグラにはあるようだが、乱開発を恐れ、この地域の人は場所を公表していないのだと。地域の自然と歴史は地域で守るという意識、ある意味、蝦夷の血とでもいうべきが未だ息づいているのかもしれない。その遺跡の地こそが、この「遠野物語拾遺121」に示された地なのかもた…。

ところで”魔所”と書き記したが、魔とは「麻」の下に「鬼」が付いて「魔」となる。「大麻」の殆どは衣類や神道儀式の用具が作られてきたが、それは繊維型大麻であった。それとは別に薬物型大麻は南方ルートから運ばれたとされ、人々を幻覚と陶酔に導く薬物型大麻は、やはり宗教的儀礼で使われたともいう。日常から、非日常へと導く薬物形大麻は、それこそ人に鬼をもたらす物であり、昔は「大魔」とも呼ばれたという。「大麻」と「大魔」は同義語であった。
by dostoev | 2010-12-05 13:33 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(0)