遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」90話~( 12 )

「遠野物語拾遺99(天狗の衣)」

f0075075_13465853.jpg

遠野の町の某という家は、天狗の衣という物を伝えている。袖の小さな襦袢のようなもので、品は薄くさらさらとして寒冷紗に似ている。袖には十六弁の菊の綾を織り、胴には瓢箪形の中に同じく菊の紋がある。色は青色であった。昔この家の主人と懇意にしていた青六天狗という者の著用であったという。青六天狗は伝うる所によれば、花巻あたりの人であったそうで、おれは物の王だと常にいっていた。早池峯山などに登るにも、いつでも人の後から行って、頂上に著いて見ると知らぬ間に既に先へ来ている。そうしてお前たちはどうしてこんなに遅かったかと言って笑ったそうである。酒が好きで常に小さな瓢箪を持ちあるき、それにいくらでも酒を量り入れて少しも溢れなかった。酒代にはよく錆びた小銭を以て払っていたという。この家にはまた天狗の衣の他に、下駄を貰って宝物としていた。右の青六天狗の家と呼んでいる。この家の娘が近い頃女郎になって、遠野の某屋に住み込んでいたことがある。この女は夜分いかに厳重に戸締りをしておいても、どこからか出て行って町をあるくまわり、または人の家の林檎園に入って、果物を採って食べるのを楽しみにしていたが、今は一ノ関の方へ行って住んでいるという話である。

                                                    「遠野物語拾遺99」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは「注釈遠野物語拾遺(上)」に詳しく書かれている。まず「花巻温泉ニュース」に、下記の様な記事が掲載されていたようだ。

花巻温泉から台温泉へ行く途中に、同地名物で偉大な体躯の八将神万人供養碑がある。発願主・鎌田甚兵衛、明治二十五年(1892)作と刻す。甚兵衛は台温泉の産、聞こえた羽黒修験道の行者で、その異様な服装からでもあろうか、甚兵衛天狗?々々と呼ばれた。又、人によっては”清六天狗”と呼ぶものもあった。甚兵衛の長男に鎌田千代吉は万延元年(1860)生れである。彼は慶応元年六歳のとき、父の仲間である一関の清六天狗に連れ去られ、諸国を遍歴の後、二十歳で台に戻った。その後は木地師、鍛冶屋、石工として活動した。

甚兵衛自体が清六天狗と呼ばれ、その甚兵衛の仲間も清六天狗と呼ばれているのは、周囲の混同によるものだろう。そして「一関市史 第四巻(天狗の角力取場)」も、下記の様に紹介されている。

文政年間に中里の下町に清六という者がいて、幼少の頃突然神隠しにあったように姿が消えた後しばらく経って、ぼんやりした顔をして帰って来た。八丈島へ天狗に連れられて行ってきたという。(略)・・・日頃足駄を履いて歩き、くだんの天狗祭にも出て角力を取ったりするということである。諸国の有名な山々の状況をよく知っていながら途中の事はまったく知らず、天狗の背におぶさって歩くから知らないという事で、世間では清六天狗と呼んでいたという事である。

どこまで正確かはわからぬが、この「花巻温泉ニュース」と「天狗の角力取場」を続けて読めば清六天狗とは、一関生まれの清六であり、それが花巻の甚兵衛の仲間であったという事だろうか。ただ甚兵衛もまた清六天狗と呼ばれた事から、一関の清六天狗と花巻の甚兵衛天狗の混同がそのまま遠野に伝わったのだろう。遠野は、一関との交流が少ない事から、遠野に訪れ、天狗の衣を置いて行った天狗は花巻の甚兵衛天狗であろう。

一関の清六が神隠しに遭ったと記しているが、遠野に伝わる朝日巫女もまた、小さな頃に神隠しに遭い、霊力を見に付け成長した姿で戻ってきている。真実は何とも言えぬが神隠しの正体は、清六天狗も朝日巫女も、口減らしの為に山伏や神子に預けられたのかもしれない。

ところで、十六弁の菊紋は、皇室の紋になっているが、明治時代に一般の使用を禁じているが、江戸時代では徳川幕府の葵の紋以外の使用は自由であったらしい。では何故に菊紋なのかは、恐らく仙人思想と繋がるのではなかろうか。菊の酒や菊水は不老長寿と結び付くのは、古代中国から伝わった伝説から来ている。そして、菊の着綿というものがある。菊の花に覆い被せた真綿であり、この綿に移した菊の花の露で、顔や体を拭うと、不老長寿を保つと云われる。その不老長寿が、病除けになったよう。その菊着綿を置く時に、こういう歌を唱えると言う。

仙人のおる袖にほふ菊の露 うちはらふにも千代にはへぬらぬ

そう、仙人の袖には菊の露が付いていて、病気平癒を祈願する者でもあった。思うに、菊の花とは、大地が冬枯れする前に咲き誇る花であった為、それが命の復活、病気の回復にも信じられたのかもしれない。実際に、山に長けていた山伏は薬草などにも詳しく、民間医療の中心に立っていた。その山伏であり天狗の衣に菊の花の紋が織り込んでいたのは、山に棲む者として、医療を含む仙人の術に長けているという証であったのかもしれない。
by dostoev | 2015-06-08 19:40 | 「遠野物語拾遺考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺91(ケエッチャ)」

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附馬牛村のある部落の某という家では、先代に一人の六部が来て泊って、そのまま出て行く姿を見た者゛無かったなどという話がある。近頃になってからこの家に、十になるかならぬ位の女の児が、紅い振袖を着て紅い扇子を持って現れ、踊りを踊りながら出て行って、下窪という家に入ったという噂がたち、それからこの両家の貧富がケエッチャ(裏と表)になったといっている。その下窪の家では、近所の娘などが用があって不意に行くと、神棚の下に座敷ワラシが蹲まっていて、びっくりして戻って来たという話がある。

                                                      「遠野物語拾遺91」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まず、導入に六部の話があり、その後に座敷ワラシらしき話が続いているのは、先代からの時間差がある事を示している。そして、先代の時代に六部がその家に入ったが、時代が経った近頃となって、出て行ったのは六部では無く座敷ワラシとなっているのは、六部が殺された事を暗示している。六部である修験者は、金の探索者でもある旅人となる。つまり、金目の物を持ち歩く六部を殺して富を手に入れた為に、座敷ワラシも入ったという意図を含んだ文章になっている。そして、その座敷ワラシは踊りを踊って出て行った。踊りとは祭の様にハレの日を意味している。ある意味、座敷ワラシが居座った時の流れとはハレの持続を意味し、その座敷ワラシの踊りと共に、その家のハレの日の終焉を意味しているのではなかろうか。だが、座敷ワラシの入った下窪の家には、六部が入った話は無い。単に座敷ワラシだけの移動でケエッチャ(裏と表)となったのかは、何とも言えぬところではある。ただ、六部である修験者は、定住する土地を持たぬ流浪の民である。それに合わせる様にまた、座敷ワラシも家々を渡り歩く流浪の民でもあるという事を意味している話ではないか。
f0075075_20412923.jpg

ただ、「神棚の下に座敷ワラシが蹲っていて…。」というくだりを、この現代でイメージしてしまえば、どうしても映画「呪怨」俊雄君が思い浮かんでしまうのもまた、現代となって座敷ワラシから俊雄君にケエッチャとなったのかも。

ケエッチャは「裏と表」であると記しているが、要は表が裏に返ってしまう事。昔は厠に南天の実を飾ったというのは、「難が転じる」を期待してのものであった。厠は「今昔物語」に厠に入った者が、化物になって出てきた話がある事から、変身する場所でもあると云われている。それ故に、厠(トイレ)が別に化粧室とも云われるのは、「今昔物語」の逸話から始まっている。表から裏。裏から表に返る全てがケエッチャであるが、どちらにしろ吉凶両極端な話ではある。それ故に「平々凡々が一番良い」と云われるのは、変わりない生活が一番、心の平定を保てるので良いのだろう。
by dostoev | 2014-11-29 21:03 | 「遠野物語拾遺考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺90(怪異の判断)」

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同じ綾織村の字大久保、沢某という家にも蔵ボッコが居て、時々糸車をまわす音などがしたという。

                                                     「遠野物語拾遺90」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは、あくまで蔵ボッコがいるという前提で語られている話である。姿を見たわけでは無く、あくまで糸車を回す音がするので、恐らく蔵ボッコだろうという事であろう。蔵ボッコとされている事から、この沢某という家は裕福であったのだと思う。

ところで昭和の時代であるが、青笹町の某所に稲荷の祠での話である。その祠に何故か古いミシンが入っているのだが、そのミシンが夜中の1時頃になるとカタカタと動き出し、それと一緒に女性の低い声が聞こえるのだという。誰か居るのかと思い中を覗いても誰もいないそうで、その音を聞いた者は何人もいるという事である。昭和の時代になると、糸車などは無くなり、洋服は買うものとなっていた。せいぜい毛糸玉を買って、自分で手編みのものを作るか、裁断した布をミシンで縫う時代となっていた。しかしそれも平成の時代になると、ミシンもまた旧時代の遺物と化してしまい、今ではミシンを持っている家も、殆ど無くなってしまったのではなかろうか。

「遠野物語拾遺90」で糸車を回すのは蔵ボッコの仕業となっているが、稲荷の祠でミシンを動かすのは、誰の仕業であろうか?家の中の怪異の大抵は、座敷ワラシ、蔵ボッコなどの仕業にされるが、稲荷の祠は家の様で、家では無い。また女の低い声が聞こえるというが、それが大人の声なのか、子供の声なのかははっきりしない。では、幽霊の仕業となるのか?となれば、沢某の家で糸車を回したのも、また幽霊の仕業となってしまいそうだ。誰もいない筈の場所での怪異を判断するのは、あくまで人間の考えによるものとなってしまう。となれば狐の仕業と捉えても、何等違和感が無くなってしまう。しかし、糸車を回す音も、ミシンが動く音も確実にあったという事。その怪異が、人の住む家なのか、人の住まない家なのかで、その正体が分類されてしまうようだ。しかし、付喪神となれば、それは物そのものに取り憑くものであろうから、人が住もうが住まなかろうが関係無くなってしまう。

例えば昔、山口部落で寝ていると、外から女の歌声らしきが聞こえて恐ろしかったという話がある。山口とは山の入り口の意味で、山口部落から峠を越えて沿岸へと向かう旅人も多かったようだ。急ぎの旅人は、満月の明るい晩などは夜であろうが、その峠を越えたという。ただ、夜の山であるから何が出て来るかわからない為、その恐怖を忘れる為に、歌を歌いながら峠を越えたという。立場が変われば、その女の歌声の取り方が違ってしまうのは仕方のない事である。

ある事象を怪異と感じるかどうかは、その人の判断になるものであり、その怪異の正体の判断もまた、人の判断でしかないだろう。それは、その土地と家を含む場所と、その時代の流れも影響するだろう。今の時代であれば、夜中にPCのキーボードを誰かが勝手に打ち込んでいるという怪異が発生するのだろうか。そしてそれも蔵ボッコの仕業と為れば、蔵ボッコも時代に合わせて進化したという事になるのであろうか。
by dostoev | 2014-11-28 16:38 | 「遠野物語拾遺考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺93(釜鳴神)」

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遠野一日市の作平という家が栄え出した頃、急に土蔵の中で大釜が鳴り出し、
それが段々強くなって小一時間も鳴っていた。家の者はもとより、近所の人
たちも皆驚いて見に行った。それで山名という画工を頼んで、釜の鳴ってい
る所を絵に書いて貰って、これを釜鳴神といって祭ることにした。今から二
十年余り前の事である。

                          「遠野物語拾遺93」

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釜が鳴るですぐに思い出したのが、鳴釜神事で有名な吉備津神社であり、上田秋成「雨月物語」の「吉備津の釜」だった。その鳴釜神事をウィキペディアでは「鳴釜神事は、釜の上に蒸篭を置いてその中にお米を入れ、蓋を乗せた状態で釜を焚いた時に鳴る音の強弱・長短等で吉凶を占う神事。」とある。つまり「遠野物語拾遺93」とは根本的に違うという事。初めから占う為に仕込みをするのが鳴釜神事なのだが、「遠野物語拾遺」での大釜は偶発的に鳴り出したという違いがある。

水藤真「中世の葬送・墓制」の中に「鳴動する墓」という項がある。そこを読むと、何人かの偉人を取り上げ、その墓や遺影が鳴動した事を記している文献を紹介している。

例えば承元二年(1208)「猪熊関白記」によれば「去十三日戌時御墓鳴給」と藤原鎌足の墓が揺れたと記されている。この鎌足の墓は寛弘元年(1004年)に揺れて、藤原道長が占いをしたと「御堂関白記」に記されているようで、その藤原道長自身の墓も、康和四年(1102年)に揺れたという。

とにかく他の時代にも藤原鎌足の墓が揺れて、その都度占いをしているよう。殆ど神憑り的な藤原鎌足の墓は、時の権力者にとって、もっとも注意すべき存在だったのだろうか?ただ、揺れたという事実は記されているので、程度はわからないが、本当に揺れたのだろう。ただ、それは地震では無かったのか?という疑問も残るのだが…。

とにかく、神事としての鳴釜と、偶発的に鳴った釜は、扱いが違うのではと考える。偶発的に鳴る釜というのは、ある意味超常現象でもあり、それを何かの意味に捉えようと占いをするわけで、神事による鳴る釜は、初めから占いをする為に、釜に熱を加えるなどする時点で、全く別物だろう。
f0075075_16192411.jpg

これはともかく夢占にも近いもので、奇妙な夢を見たので占って欲しいとは「遠野物語拾遺150」にも見受けられる。夢占の古くは「古事記」の神武東征において高倉下が登場するシーンがまさにそれだ。河東仁「日本の夢信仰」を読むと、夢占の歴史が詳細に紹介されているが、その夢占の終焉は江戸時代のようだ。天下泰平の世になって情報も流通するようになり、迷信も払拭されつつあったが、まだ庶民の中にはそういう超常現象を信じる向きが、まだあったようだ。

ところで「遠野物語拾遺93」においての釜が小1時間にわたって鳴ったとあるが、通常では有り得ない話だ。例えば現代において冷蔵庫の上にガラスのコップなどを置くと、冷蔵庫のモーターによる振動で暫く振動する事はある。

ここで再び歴史上の鳴動を見ると、後醍醐天皇の墓が鳴動したとあるが、それを目撃した者の報告は、鳴動し後醍醐天皇の霊が出現したとあるが、時代は幕末に近く尊王攘夷論が広がり討幕の思想が蔓延した時代でもあった。そしてその後醍醐天皇の鳴動報告は「太平記」の一節と酷似しており当時の天皇である孝明天皇を持ち上げる為の手段として用いられた嘘であった可能性は高いようだ。

また明治元年に伊勢神宮の鳥居が倒れたそうだが、単に鳥居の根元の腐食からであったようだが、天皇が東京に引っ越す事に反対したものが怪異ではないかと報告したところ、岩倉具視がそれを問題無しとして、天皇に報告する事無くもみ消したという。それからというもの「日本書紀」からいろいろと報告されてきた怪異というものが政治上で報告される事が無くなったのだと云う。

また神社仏閣での怪異の報告は依然あったようだが、大抵の場合、寄進目当ての怪異であり、政治上も含めて、その殆どの怪異は、とある背景に利用する為の手段であったようだ。それでは釜鳴神の鳴動の報告は、何か理由や背景があったのだろうか?
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遠野の柳玄寺は菊池作平の菩提寺で、ここに鳴釜神様の碑が建てられている。そこには「遠野物語拾遺93」の内容と共に、下記の事が刻まれている。


この民話の源は、興運院耕嶽紹降禅居士菊池作平(明治三十年享年七十五歳没)
の時のことである。作平の祖父は綾織村蓮澤の出身で、遠野町六日町で八百屋
を営んだ。父親三蔵の跡を継いだ作平は、早くより一日市町で米屋を営み幕末
には遠野南部藩の御用米を扱い明治には遠野郷産米を集荷し、海岸部にも販売
し、店頭は荷駄の馬で賑ったという。この繁栄を釜鳴神様は温かく見守ったこ
とであろう。爾来この家は「作平まえ」と呼ばれた。この家は一日市町から砂
場町にぬける道路の来内川北側部分と、その西隣に跨っていた。

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いろいろと調べると、釜鳴神様が鳴動したのは、作平の死んだ明治30年頃であったようだ。その微妙な期日はわからぬが、柳玄寺に建てられた碑は、遺族と当時の遠野市長工藤千蔵の意向によって建てられたのは、それだけ作平が遠野市に貢献したという事からだろう。その為、碑に記されているように「釜鳴様は温かく見守った。」とあるが、その家神である筈の釜鳴神様を遠野市に寄贈したという事は、既に作平の家運は衰退し、維持できなくなったものとみてよいだろう。

では作平が死んだ明治30年頃には何があったかというと、明治の三陸大津波があった。鳴釜神様の碑に記されている事からわかるように、作平は事業を拡げ、沿岸域にも米の販売をしていたようだ。「店頭は荷駄の馬で賑った」とあるように、沿岸域の作平の米は、かなり売れたのだと思う。つまり毎日少しづつ米を運んだのではなく、まとめて運び、常にその米を補充しながら販売していたのだと思う。そうでなければもその米を運ぶ馬で賑う事が無かった筈であるから。

しかし、明治29年(1896年)三陸海岸に大津波が襲った。画像は当時の写真で、すっかり海水に埋没している家が見える。当然、作平の米の販売所やら倉庫は海水に埋もれたものと考えて良いだろう。断定は出来ないが、この鳴釜神様の鳴動とは、作平の事業の暗雲を示していたのかもしれない。いや、地震による津波の被害を大釜の鳴動によって表現した物語なのかもしれないが、この鳴釜神様が鳴動し、家神として祀られたというのは、その地震の被害を知らせた鳴釜神様であるからでは無かったのか?

ここで復習するが、怪異とは政治的意図、もしくは歴史的背景によって表現されているのが大きい。夢は無くなるが釜が小1時間も鳴動するとは、余程の事が無い限り有り得ない話だ。つまり釜鳴神様の話は、明治30年の三陸大津波に連動して作られた物語であると考えるのだ。
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画像は明治大津波の被害による岩手県釜石市に広がる遺体拾集(1896年6月15日)

明治の大津波による被害を調べてみた。

明治大津波の死亡者

宮城県 3387人
岩手県18158人
青森県  343人


昭和8年大津波

宮城県  307人
岩手県 2658人
青森県   30人

東日本大震災

宮城県9532人(行方不明1337人)
岩手県4671人(行方不明1173人)
青森県   3人(行方不明1人)



この死亡者の数からみても、明治時代の津波による被害はかなりであったと思う。確かに防波堤などの整備が成されていないので津波の規模を比較はではないが、明治時代の津波はノーガードで津波をまともに食らった為の被害であると思う。やはり作平の販売所と倉庫に、そこで働く人々の被害は甚大であったものと思われる。
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遠野文化友の会で、1冊の本が出版されていた。明治29年「風俗画報」臨時増刊【大海嘯被害録】という当時の被害やエピソードを詳細に紹介している本だった。
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「海嘯と音響」と題された箇所に、こう記されている。

「今回の海嘯に就いては何慮にでも音響聞けり。」とあって「雷鳴の様」「砲声の如き音」「雷鳴の如き響き」「凄まじき音」「大砲の如き響き」などと、津波の音や響きを先の様に形容されて紹介している。

「遠野物語拾遺93」での大釜の鳴動は、隣近所も驚くほどの音がしたから、皆で驚いたのだろう。つまり津波が押し寄せる音にも近かったのかもしれない。こじつけぽくもなってしまうが、それだけ大きな音を大釜が発したという事だろう。戦時中、釜石でアメリカ艦隊による艦砲射撃の音は、山を超え遠野の町中にも間近に聞こえる程の物凄さであったと聞く。ただし3.11においての津波の音が遠野まで届いたかどうかは定かでは無い。

「奇特な米商」と題して「西閉伊郡上郷村の米商細川熊吉なるものは此度の災
害を聞くや同胞窮厄を救わん為、自宅より夜通しに米穀を釜石に運び来り海嘯以前よりも価格を引き下げて販売し又大工の不足を憾み自村より十二三名の大工を派遣して一時の急を救へり…。」
とある。

ここで気になったのは、上郷村の米屋が米を運んで安く売ったという事。同胞を救う為なので、元々沿岸には販売しておらず、今回の津波の被害に合わせて米を釜石に運んだものまと考えられる。その当時、難所の峠を越えて沿岸域で米を販売していたのは菊池作平が主だったのだろう。だから、作平の家は栄えたのだろうから。とにかく上郷の細川熊吉が沿岸に米を運んだのは当然3.11の被害でも、炊き出しが盛んだったのは、被災地の食糧が絶たれたからに他ならない。

「釜石の惨状」の題に「釜石全町は殆ど流亡し只だ高台の所に人家十数軒の存ずるのみなりき…。」とあり殆ど壊滅状態であったようだ。つまり、商売の為に釜石へきていた筈の菊池作平の元で働く者と、販売用の米が全て津波に流されたと断じて良いだろう。

やはり「遠野物語拾遺93」における大釜の鳴動は津波を告げるものであり、もしくは津波と云う怪異を大釜の鳴動で表現したものではなかったか。そしてこれを境に作平の家運が衰退したものと考えて良いのではなかろうか。その作平の家系の者が、この前遠野を訪れたと聞くが、住んでいる場所は横浜であるらしい。つまり、遠野にはもう釜鳴神様を祀った菊池作平の血筋の者はいないのである。だから御神体である筈の大釜を、遠野市に寄贈したのであろうと考える。
by dostoev | 2012-12-19 16:51 | 「遠野物語拾遺考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺94(怪異)」

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土淵村山口の内川口某という家は、今から十年前程に瓦解したが、
一時この家が空家になっていた頃、夜中になると奥座敷の方に幽
かに火がともり、誰とも知らず低い声で経を読む声がした。往来
のすぐ近くの家だから、若い者などがまたかと言って立寄って見
ると、御経の声も燈火ももう消えている。これと同様のことは栃
内の和野の、菊池某氏が瓦解した際にもあったことだという。

                        「遠野物語拾遺94」

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人が住まないと家はダメになると、昔から云われている。昔の家の大抵は茅葺屋根であり、家の内部に囲炉裏があった。その囲炉裏からの煙で燻される事により、茅葺屋根は固まり、また虫なども追い出す事が出来る。

とにかく、人が家に住むという事は"火"を使うという事。「遠野物語拾遺147(ロウソクの焔)」でも書いたが、火は浄化の意味もある。つまり人が住まなくなるという事は、家が穢れる事になる。またそれは、一人が死んでいなくなり、誰も使わなくなった部屋も同様だ。「開かずの間」というものも、本来人が住まなくなり火を使用する事が無くなった空間だと思えばいい。

地域誌である「ものがたり青笹」にも、いくつかの怪異が紹介されている。


遠野市青笹町の某所に、あるお稲荷様の祠がある。その祠に何故か
古いミシンが入っているそうなのだが、酉の刻頃になると、その古
いミシンがカタカタと動き出し、それと一緒に女性の低い声が聞こ
えるのだという。とこが、誰かいるのかと思って中を覗いても誰も
いない…というのが何度も続いたという。



また同じ青笹町の菊池某さんの近くに、茅葺屋根の小屋があり、
その小屋には沢山の薪が置いてある。その小屋では何故か冬に
なると木を切るような音がするという。

実は昔、その小屋には貧しい樵が住んでいて、山に木を伐りに
行った際、間違って伐った木の下敷きになって死んだそうな。
それからだという、小屋で木を伐る音が聞こえるようになった
のは…。




また「遠野物語拾遺167」「遠野物語拾遺168」と、家の者が死んで、それから夜な夜な幽霊が現われる話があるが、やはりこれも人が死んだ事によって、家が穢れた為だろう。

生きているというのは血が体内を巡っている。しかし一旦死ねば、血の巡りは無くなり、体内に停滞する。つまり淀みが体にできるという事。河童が何故に淵に棲むかというと、そこは淀みであって穢れの場所でもある。現世とは違う異世界が発生し、淀みには異形のモノが生息する。

ちなみに自分の宿の話で申し訳ないが、客を部屋に入れる場合、なるべく便利な場所から入れていくようにしている。365日、毎日が満室ならば、活性が良い宿なので、常に淀みの空間はできないのだろう。しかし、毎日満室にならない宿の場合、利用数の少ない部屋というのが必ず存在する。その利用数の少ない部屋と言うのは、客にとって不便な一番奥の部屋である。火は日であり、灯でもある。蝋燭の火が灯る事によって、その部屋が浄化されるならば、蛍光灯の灯が点る事によってもまた、その部屋が浄化されるのではないか。つまり使用されない部屋は、暗がりが続き、やはり部屋としては穢れてしまい、淀みとなる。そうなれば物の怪などが棲み付き易くなるのかもしれない。

怪異には興味のある自分であっても現実には、どこかで否定している自分がいるのだが、自分の経営する宿の部屋では、やはり何故か奥の部屋での怪異譚を客から聞く場合がたまにある。それでも全ての客が話してくれているわけでは無いが、今まで聞いた話以上に、そういう怪異があった可能性があるかもしれない…。

神社にお参りに行くと賽銭を投げ入れ「パン!パン!」と手を叩く。音を出す事によって神霊を呼ぶ為だ。これを応用すると、例えば初めて泊まるホテルなどの部屋に入った場合、やはり同じように手を叩く。手を叩く事によって神霊など目に見えない何かを呼び出す行為になるからだ。つまりいなければ、何も現れないという事になる。そして一つ注意して欲しいのが、手を叩いた時に響く音を感知して欲しい。音が反響するようならば、何も居ない証拠。しかし、音が濁って聞こえる場合は注意が必要となる…。

いや、心霊現象を信じるわけでもないが、元々はそういうのに興味があり、"そういう場所"によく行ったものだった。

「遠野物語拾遺91」には、ある家に六部が来て泊まったが、出て行く姿を見た者が無かったと記されているのは、殺されたという意味になる。実は今は解体されて建物は無かったが、遠野には有名な幽霊屋敷があった。そこに昭和55年と56年に立て続けに泊った事があるが、生まれて初めて遭遇した怪異でもあった。この屋敷も六部が殺されたとの伝説があり、これは「遠野物語拾遺257」にも登場する平助の家筋であった。その平助の息子は、以前六部を殺したという家筋に心を患い、家に火を放って死んでしまった。

「遠野物語拾遺94」には、御経を唱える声がするから怖くないとも捉えてしまうが、宗教に殉じた者の魂は、坊主であろうが、山伏であろうが、それを伝えるらしい。自分の泊まった幽霊屋敷でも、そうであった。つまり宗教者であるから、通常の者より念が強いのだろう。中世時代に天武天皇の陵が暴かれ、天武天皇の頭蓋骨が盗まれたという事件があったが、それは呪術に使用する場合、能力者の次に高貴な血筋の者の頭蓋骨が有効であるからだった。そういう意味から、宗教に殉じた者の念の魂は強く、その代表格は、魔王となった崇徳上皇であろう。

とにかく宗教や信仰に殉じた者の念は強いのだと理解している。この「遠野物語拾遺94」での怪異もまた、宗教や信仰に殉じた者の念が留まったものと思ってしまうのだ。
by dostoev | 2011-12-29 06:27 | 「遠野物語拾遺考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺98(六角牛山と梛の木)」

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遠野の一日市に万吉米屋という家があった。以前は繁昌をした大家であった。この家の主人万吉、ある年の冬稗貫郡の鉛ノ温泉に湯治に行き、湯槽に浸っていると、戸を開けて一人の極めて背の高い男が入って来た。退屈していた時だからすぐに懇意になったが、その男おれは天狗だといった。鼻は別段高いという程でも無かったが、顔は赤くまた大きかった。そんなら天狗様はどこに住んでござるかと尋ねると、住居は定まらぬ。出羽の羽黒、南部では巌鷲早池峯などの山々を、往ったり来たりしているといって万吉の住所をきき、それではお前は遠野であったか。おれは五葉山や六角牛へも往くので、たびたび通って見たことはあるが、知合いが無いからどこへも寄ったことが無い。こからはお前の家へ行こう。何の支度にも及ばぬが、酒だけ多く御馳走をしてくれといい、こうして二、三日湯治をして、また逢うべしと言い置いてどこへか往ってしまった。

その次の年の冬のある夜であった。不意に万吉の家にかの天狗が訪ねて来た。今早池峯から出て来てこれから六角牛に往く処だ。一時も経てば帰るから、今夜は泊めてくれ。そんなら行って来ると言ってそのまま表へ出たが、はたして二時間とも経たぬうちに帰って来た。六角牛の頂上は思いの外、雪が深かった。そう言ってもお前たちが信用せぬかと思って、これこの木の葉を採って来たと言って、一束の梛の枝を見せた。町から六角牛の頂上の梛の葉の在る所までは、片道およそ五、六里もあろう。それも冬山の雪の中だから、家の人は驚き入って真に神業と思い、深く尊敬して多量の酒を飲ましめたが、天狗はその翌朝出羽の鳥海に行くと言って出て行った。それから後は年に一、二度ずつ、この天狗が来て泊った。酒を飲ませると、ただでは気の毒だといって、いつも光り銭(文銭)を若干残して置くを例とした。

酒が飲みたくなると訪ねて来るようにも取られる節があった。そういう訪問が永い間続いて、最後に来た時にはこう言ったそうである。おれももう寿命が尽きて、これからはお前たちとも逢えぬかも知れない。形見にはこれを置いて行こうと言って、著ていた狩衣のような物を脱いで残して行った。そうして本当にそれきり姿を見せなかったそうである。その天狗の衣も今なおこの家に伝わっている。主人だけが一代に一度、相続の際とかに見ることになっているが、しいて頼んで見せて貰った人もあった。縫目は無いかと思う夏物のような薄い織物で、それに何か大きな紋様のあるものであったという話である。

                      「遠野物語拾遺98」

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「遠野物語拾遺98」に天狗が万吉に、雪の六角牛山へ登った証に、採ってきた梛の木を見せるシーンがあるのだが、ここで気になるのは、六角牛山に梛の木があるという事。そして万吉もまた、六角牛山に梛の木があるという事を知っているという事。

梛の木は、穢れや罪を祓い清める禊の木として用いられており、梛の木の葉で作られた御守は、すべての悩み事を”ナギ倒す”と云われるほどご利益があるという。また梛の木の葉は切れにくく、仲良く二つ並んで実をつけることから、梛の木には、夫婦円満、縁結びのご利益があるとされている。

縁結びというと遠野では、卯子酉神社が有名になってはいるが、本来は遠野の多賀神社が有名であった。多賀神社の御祭神はイザナギとイザナミで、実は元々この二神は、海人族が崇拝した神であったようだ。

イザナギの「ナギ」は「凪」を表し、また「梛の木」をも表す。そしてイザナミの「ナミ」は「波」を表すのだという。つまりイザナギ、イザナミ共に海を表す神でもあり、穢れ祓いにも関係する神でもあった。元々六角牛山には住吉三神が祀られていたようだが、それとは別に「綾織村誌」によれば速開津比売が祀られているのだと云う。速秋津日命は、イザナギとイザナミの間に生まれた神であり、祓戸の四神にも加えられ禊祓いの神でもある。大祓詞では、川上にいる瀬織津比売神によって海に流された罪・穢を荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開津比売と云ふ神が呑み込んでしまうと記されている。

元々六角牛山は遠野だけではなく、沿岸地域の人々の信仰も厚く、六角牛山と刻まれた石碑は沿岸にこそ多い。それだけ海を意識しているのが六角牛山であり、その頂に穢れ祓いに使用される梛の木があると「遠野物語拾遺98」に記されているというのは、この頃既に、六角牛山には穢れ祓いの神である速開津比売が祀られているというのが周知の事実だったのかもしれない。
by dostoev | 2010-12-06 11:34 | 「遠野物語拾遺考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺97(荒滝と巫女石)」

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青笹村の力士荒滝は、六角牛山の女神から大力を授かったという話がある。
附馬牛村字石羽根の佐々木権四郎という人はこの話を聴いて、己は早池峰
山の女神に力を授かるべしと祈願をしたが、後ははたして川原の坊という処
で、権四郎は早池峰の女神に行逢うて、何かある品物を賜わってから、たち
まち思うままの大力となった。それは彼の二十歳前後頃の事であったという
が、今はもう八十余りになって、以前の気力はすこしも無い。何でも五十ば
かりの時に、元授かった場所に行ってその品物を女神に返したというが、そ
れがいかなる物であったかは、決して人に語られぬそうである。これは宮本
君という人が直接に彼から聴いた話である。

                                「遠野物語拾遺97」

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「遠野物語拾遺97」の冒頭にしか出てこない荒滝の話だが、実際荒滝は六角牛の女神から石を授かり大力となったと云い、その石を「御ご石」と云ったという伝承が青笹町に伝わっている。この「御ご石」とは、実際は「巫女石(みごいし)」であるとも云われている。また力士となった荒滝の名前も、六角牛山から授かったものだと云う。
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六神石神社の右脇に白龍神が祀られているのは、古来から六角牛山は雨乞い祈祷をされてきた歴史もあるのだと思う。しかしその前に、この「巫女石」の伝承に似通った話しが津軽に伝わっている。「岩木山神霊記」には「田光の竜女、峯入りして神となる。山を姫神岳、又、白竜の峯とも云う」とある。
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更に「時に竜女珠を沼中に得て大己貴尊に献ず。」とある。国造りの神でもある大己貴命が、竜女と結び付いているが、六角牛の麓にやはり大己貴命を祀る神社があるというのは偶然だろうか?ところで田光は「たっぴ」と読み「多都比」とも書き記し、岩木山の地神である女神多都比姫となる。また別に津軽半島の竜飛岬の海から一人の竜女が現れて霊石を捧げ、この国を収めている洲東王に献じたという伝説もある。

この竜飛岬の竜飛は、元々熊野那智の飛竜権現の倒語であるという。元々岩木山は熊野と結び付いていたようだ。岩木山三所大権現というのがあり、これはどうも熊野三所大権現を津軽の地に再現したものであるようだ。


熊野本宮(阿弥陀如来)→      岩木山(阿弥陀如来)

熊野新宮(薬師如来)→       鳥海山(薬師如来)

熊野那智宮(十一面千手観音)→ 岩鬼山(十一面観音)



ところで古代、早池峰山と岩木山は繋がっていたと云われる。民俗学者てせもある赤坂氏が実験として早池峰山頂から発炎筒をたき、同時刻に岩木山山頂からその発炎筒を見る事ができたのだという。古代、狼煙によって山々は繋がっていたというのだが、伝承も当然伝わっていたのだと思う。スケールの点では劣るのだが、六角牛山の女神から授かった「巫女石」は、岩木山の伝承が遠野の地に伝わって発生したものだと考える。ちなみに六角牛山の「巫女石」は、元宮司であった千葉氏によれば、六角牛山中腹の不動の滝にあるという。
by dostoev | 2010-12-06 10:56 | 「遠野物語拾遺考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺97(早池峰の女神より授かる)」

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青笹村の力士荒滝は、六角牛山の女神から大力を授かったという話がある。
附馬牛村字石羽根の佐々木権四郎という人はこの話を聴いて、己は早池峰
山の女神に力を授かるべしと祈願をしたが、後ははたして川原の坊という処
で、権四郎は早池峰の女神に行逢うて、何かある品物を賜わってから、たち
まち思うままの大力となった。それは彼の二十歳前後頃の事であったという
が、今はもう八十余りになって、以前の気力はすこしも無い。何でも五十ば
かりの時に、元授かった場所に行ってその品物を女神に返したというが、そ
れがいかなる物であったかは、決して人に語られぬそうである。これは宮本
君という人が直接に彼から聴いた話である。

                                  「遠野物語拾遺97」

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「遠野物語拾遺97」では、佐々木権四郎という男が早池峰の女神から何かを授かって力持ちになったかの話がある。その前の荒滝は、六角牛の女神から”み御石”を授かり力持ちになったのだが、この佐々木権四郎が授かったものが何であるか、伝わる話があった。ただし、これから伝える話には、
佐々木権四郎という名は出てこないので、果たして同じ話なのかどうかは定かではない。ただし艶話である為、あまり人に語るべき話ではない為なのか、この話は現在でも伝わる事が殆ど無いのである。


早池峰山の麓の村の附馬牛の某という男、若くて田ノ草相撲を取ったら近郷
近在に並ぶものが無かったと自慢している。

この男、若い時早池峰山のある沢で、一人の美しい二十ばかりの女に出
くわした。場所柄といい、女があまりにも美しく、そうして姿も異様であった
ので、男は、これはてっきり話に聴いている狐狸の化けた物であろう、油
断が出来ぬと思うと、その腹を察して女はニッコリとして笑いかけ、妾を疑
うな。私は早池峰の神であるが、お前の力に惚れてここに出て来た。私の
乳を吸うたことなら、お前の力量が幾層倍になるかわからぬといって、もろ
肌を脱ぎ、自分の乳をわんずと掴み、男につぱつぱと音を立てて乳を吸わ
した。

女は美しく若くて優しい。たとえ神様であれ何であれと、そこが大胆な男で
あるから、たちまち馴れ初めてウンとマラを立てて、早池峰の神を押し倒し
た。女は男のなすがままにしていたが、お前はいくら小力があるとて、妾の
この両膝の間を開ける事が出来まいと言って、両膝を堅く合わせた。

男は何も引き離せぬものかといって、両膝の頭に手をかけて、うんと力を込
めて妾の堅く閉じた両膝を開けたのだと。すると目の前に広がったのは、毛
むくじゃらの股であった。よくぞ股をこじ開けたと、早池峰の女神は自らの股
から一本の毛を抜き、この毛を常に携えているならば必ず大力を発揮できる
だろうと、男にこの毛を授けたのだという。 それからこの男は力持ちとなった
ということであった。



この話は単純に読み取るとシモネタ話となってしまうが、よくよく読み取ると山ノ神との関係の話となる。例えば「七難のソソ毛」の話がある。「ソソ毛」とは陰毛の事だ。この「七難のソソ毛」の話は未だ憶測の域を出ないのだが女の長い陰毛に対する神聖視化の話となる。

人は死んで肉体は朽ち果てるのだが、それでも尚、毛だけは生きている。この事から、毛には霊力が宿っているとみられた。その為、呪いを行う場合でも、相手の毛を手に入れ、それを媒介として呪いを行う。そしてそれに加え、性器に対する信仰の根強さも加わっての「ソソ毛」信仰があったようである。

今でも「処女の陰毛はお守り」という話が伝わっている。戦時中、兵士達は、まだ処女である女性から陰毛を貰って、それを弾除けのお守りととして戦地に赴いた。処女であるというのは、男の玉にまだ当たっていないという語呂からの発生らしい。しかしそれ以前から、女性の陰毛に対する信仰が下地にあったのだろう。

また、早池峰の女神の股を開いた男の話は、その前にマラを立てている。マタギの間では、山で下半身を露出してマラを立てると願いが叶うとされている。山の神は奮い立った男根に刺激を受け、霊力を発揮するものと信じられていたからだ。また男は、股を開く前に早池峰の女神の乳を飲んでいる。中国の神話に、処女の乳を搾ってふりかけると、白米ができ、その処女の乳を絞りすぎた時、今度は赤い血がほとばしり、今度は赤米ができたという話がある。

元々「乳」と「血」は同じ古い霊格を表す言葉「チ」からできている。オロチ・イカヅチなどと同じだ。その「チ」を飲んだ男は力を得、早池峰の女神の股を開く事ができたという事になる。「金太郎」も、山姥の乳を飲み力が強くなったように、山ノ神の霊力を授かった者は、力を得る事となるようだ。
by dostoev | 2010-12-06 10:47 | 「遠野物語拾遺考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺96(一つ眼一本足)」

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貞任山には昔一つ眼に一本足の怪物がいた。旗屋の縫という狩人が行って
これを退治した。その頃はこの山の付近が一面の深い林であったが、後に
鉱山が盛んになってその木は大方伐られてしまった。

                                 「遠野物語拾遺96」

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貞任山の頂から半分、住田町寄りは牧場開発が成されており、南には男火山と女火山鎮座しているが、これもタタラを現す名前であったようだ。また半分の遠野側は、牧場開発は成されておらず深い林となっている。貞任山は、遠野に二つあり、一つは土淵と沿岸の間に聳えており、ここは牧場開発されており、広い草原を有す。そしてこの「遠野物語拾遺96」に登場する貞任山は、遠野市小友町と住田町の間に聳える山だ。

ところで一つ眼の化け物といえば、小友町の山谷にゴロメキ沢と呼ばれる小川があり、この沢にゴロメキ一ツ眼の化け物が棲んでいたという伝承がある。小友町は、古来より金山開発が盛んで、多くの金山跡が存在する。この一つ眼の怪物の話しと共に、アズキトギという妖怪の伝承もあるというのは、両方の妖怪と共に、金山との関連も考えられる事なのだと思う。
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【金子富之氏作品】

広く一つ眼一本足の怪物は、タタラ場所と結び付くのだが、熊野の伝承にもやはり一つ眼の化け物は登場する。その一つ眼の化け物を描写は「黒雲を覆い、火焔を吐き…。」とされている。まさに、山が燃える情景のようだ。

遠野の昭和初期でさえ、六角牛山の頂で千駄木を焚き、雨乞いをした時でさえ、それを知らぬ人々は山が爆発して燃えていると錯覚したという。それが古代、小友町と住田町にまたがる貞任山でタタラがおこなわれていたとしたら、その時の夜の情景はまさに「黒雲覆い、火焔を吐き…。」という化け物が現れた感覚に近かったのではないだろうか?その燃える山に棲む者は、もうすでに化け物として思われたのだと思う。畑屋の縫がその化け物を退治した後に、鉱山開発が成されたというが、つまりそれ以前は野タタラ主体のタタラ人が存在し、そのタタラ人どもが追い払われ、その鉱物資源を藩が大々的に開発&管理した話しなのかもしれない。ただ鉱山開発と畑屋の縫の時代は合わないので、畑屋の縫が登場したというのは後世になってからではないだろうか?
by dostoev | 2010-12-06 10:42 | 「遠野物語拾遺考」90話~ | Comments(11)

「遠野物語拾遺95(山の神の印)」

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山に行って見ると、時折二股にわかれて生い立った木が、互いに捻じれ
からまって成長しているのを見かけることがある。これは山の神が詰(十二月)
の十二日に、自分の領分の樹の数を算用するときに、〆めて何万何千
本という時の記号に、終りの木をちょっとこうして捻っておくのだそうな。
だからこの詰の十二日だけは、里の人は山に入ることを禁じている。も
し間違えて山の木に、算え込まれては大変だからという。

                               「遠野物語拾遺95」

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遠野地方では、山の神というイメージは女神であるとされているが、この「遠野物語拾遺95」でのこの記述は、人間の手ではどうにもできない樹木を簡単に捻ってしまう力持ち?という意識を伝えるもの。これを掘り下げれば、ダイダラボッチにも行き着きそうな気もするが、要はこのイメージは女神では無く、山の神は男神であると云っているような気がする。つまり荒ぶる存在が山の神であ
ると…。

春先に山へと足を向けると、雪の重さで倒れた木々が目に付く。他にも物凄い風の圧力に倒れた木もあるのだろう。また、大水により土砂が崩れると共に倒れる樹木もあるのだろう。これら自然の力に抵抗する術は無い。その自然を司るものは、神でもあるという認識があり、あくまでも人間はその猛威を鎮めようとするだけだ。ところで「古事記」においての三貴神である素戔男尊はイザナギの鼻から生まれた為に暴風雨の神ともされている。まさに山の木々を倒す力は、山神としても祀られる素戔男尊の力のようだ。
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写真は、山口部落に鎮座する薬師堂の手前にある金毘羅の石碑。この薬師堂は十二支の薬師と云われ、十二神像に十二支を合わせているもので、全国にも似たようなものが存在するが、薬師そのものが「森の王」であるという教義もあり山の神との習合も果たしているのかもしれない。その為の十二という数字に現れているのだろう。そして写真の金毘羅だが、聞くところによると水神を迎え入れる為だという。ここで気になったのは、この山口の薬師堂の向きだ。北西…北北西を向く方向に何があるかというと、その果てに鎮座する山とは早池峰であり、薬師岳である。つまりこの山口の薬師堂というものは、早池峰&薬師を迎え入れる為に建立されたのではないか?と推理される。まあこの展開は違う機会にしようと思うが、ここでの「遠野物語拾遺95」での山の神とは素戔男尊に対する概念が伝わっての物語であるような気がする。
by dostoev | 2010-12-06 10:33 | 「遠野物語拾遺考」90話~ | Comments(0)