遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」80話~( 10 )

「遠野物語拾遺85(占)」

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また土淵村大字飯豊の今淵小三郎氏の話にも、オシラ様を鉤仏ということがあるという。正月十六日のオシラ遊びの日、年中の吉凶善悪を知る為に、ちょうど子供等がベロベロの鉤をまわす様にして、神意を問うものだそうである。昔は大人も皆この占いをしたが、今では主として子供がやるだけで、この家ではついその正月にも炬燵の上で、盛んにやっていたということである。

                                                   「遠野物語拾遺85」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
オシラサマを回して占う方法は「遠野物語拾遺84」で紹介されている様に、狩に行く方角を占う為に使用されていた。これは辻などに出くわしどちらに行くか迷った場合、一本の木を立てて倒れた方向の道へ進む遊び感覚の占いと同じ様なもの。樹木には神が憑くと云われるが、俗説では石に影向するのは男神で、樹木に影向するのは女神だとも云う。それをオシラサマに対応させれば、山の神は大抵の場合女神である事から、オシラサマで狩りの方角を占うのは、山の女神の影向した樹木に聞くという事になる。そのオシラサマと、自在鉤が同一と考えられていた。その自在鉤にも方向性、方角性が重視されており、例えば自在鉤に鉄瓶をかけて温めるのだが、その鉄瓶の蒸気の吹き出す口を北に向けてはならないという禁忌がある。それはつまり、北を重視した信仰と結び付いたのが、自在鉤でもある。
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囲炉裏の横座で放屁すると、竈まで聞こえる話は「遠野物語拾遺86」で書いたが、囲炉裏と竃の空間は繋がっている意味になる。その竈のある空間は、食べ物を調理する台所でもある。その台所で正月七日に、春の七草を叩く事が行われる。七草を叩くのに、七回づつ七度、四十九叩くのだと。これは、七つ叩くのは北斗七星の七曜と結び付いているという。全部で四十九になるのは、その七曜と九曜、二十八宿と五星を全て足して四十九の星にする為だと云う。
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五星とは、火・水・木・金・土の五行の事である。この五行が生きていて囲炉裏と似た様なものに、茶室がある。囲炉裏の主人が座る横座は西に位置し、茶室でも主人が西側に座って客と対座する。ただし、囲炉裏では客が座るのは南側であるが、茶室ではそのまま東の違いがある。ただ結局、本当の主役は北側であり、茶室では掛軸などの飾り物が掛けられる。そして、その茶室でも占が行われるようだ。棗と茶杓を拝見に出す置き方が「卜」の字になるように置き、それが素晴らしい道具かどうか手に取って占うのが本来の意味らしい。

囲炉裏も茶室も、全て炉を中心とし、北側を尊重した世界観で流れている。ところで、飲む前に茶碗を回す作法は、相手への気遣いの表れだとされている。茶室の主人は茶碗の一番美しい絵柄部分を客に向けて出すが、そこに口を付けるのは失礼にあたる。だから、客は茶碗を回して飲む位置をずらすのだそうだが、東に座った客の位置から茶碗の絵柄は最終的に北を向く様に決まっているようだ。それはつまり、囲炉裏も茶室にも北辰や陰陽五行の思想が入っているという事は、北に鎮座する神に対して敬意を表する作法となっているのではなかろうか。オシラサマを回す、自在鉤を回す、そして、茶碗を回し、棗と茶杓を「卜」の形として占うのも、全て神が憑いたという流れによるものであろう。その神も、炉という火の神を中心とした空間から、北に鎮座する水の神との交流を意味するのであろうのは、それが陰陽の和合となるからだろう。
by dostoev | 2015-06-11 18:13 | 「遠野物語拾遺考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺86(ベロベロの鉤)」

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ベロベロの鉤の遊びは他の土地にもあることと思うが、遠野地方では多くは放屁の主をきめる時に行っている。子供が一人だけ車座の中に坐って、萱や萩の茎を折曲げて鉤にしたものを持ち、それを両手で揉みながら次の文句を唱え、その詞の終りに鉤の先の向いていた者に、屁の責任を負わせる戯れである。

なむさいなむさい(あるいはくさい)

べろべろの鉤は

とうたい鉤で

だれやった、かれやった

ひった者にちょちょ向け


しかしこの鉤遊びの誓文を立てぬ前に、もう挙動で本人はほぼ知れている故、術者が機を制して、おのずから向くべき方に向くのは勿論である。

                                                   「遠野物語拾遺86」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遠野物語拾遺85」で、ベロベロの鉤を回して神意を占う様なことが記されているが、ここでは放屁主を決める遊び道具にベロベロの鉤が使用されている。一人の子供が車座の中心に占主の様に座ったが、似た様な放屁の遊び唄がある。

横座でががぁ 屁たれだ

どごまで聞けだ

かまの前まで聞けだ

竃の前のガギどぁ アハハと笑った


横座は、囲炉裏の奥の正面で、一家の主人が座る席。その席で妻が放屁して、子供達に笑われた唄になっている。囲炉裏には自在鉤が吊るされており、その自在鉤は、火の神である三宝荒神のの依代である事から、横座という言葉は自在鉤の横で、火の神の祭祀者の意にもなるか。横座での放屁が、竈まで聞こえたというのは火の神で繋がっている意であろう。

車座の中心も、恐らく祭祀者の意を持っての遊びになるのだと思う。遠野では、どの農家にも囲炉裏があって、炉の火を囲む暮らしが普通であった。寝るとき以外は、食事や団らん、昼寝から客の接待に針仕事などの、細かな仕事をする場も囲炉裏を囲んで行われた。生活の中心が囲炉裏の火であり、その中心にかけてあったのが自在鉤であった事から、自在鉤が火の神の依代に見做されたのも当然であったろう。文中の「とうたい鉤」とは「尊い鉤」である。この尊い鉤を使って子供が遊ぶのは、遠野だけでなく全国で伝わる仏像で遊ぶ子供達の姿と重なってしまう。そういう意味から、この自在鉤での子供達の遊びは、子供達と神仏との交流の一つではなかろうか。
by dostoev | 2015-06-10 17:43 | 「遠野物語拾遺考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺89(家の闇)」

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前にいう砂子沢でも沢田という家に、御蔵ボッコがいるという話があった。それが赤塗の手桶などをさげて、人の目にも見える様になったら、カマドが左前になったという話である。

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ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
遠野市綾織町の砂子沢にある家の話であるが、佐々木喜善「遠野のザシキワラシとオシラサマ」を読むと、綾織にもいくつか、名称は違うが座敷ワラシと御蔵ボッコ(クラワラシ)が現れる家が紹介されている。その中で一つ、気になる話を紹介しよう。
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綾織村字大久保に、水口という農家がある。今から七十年ばかり前の事、正月十四日の晩、非常な大吹雪であったところが、その夜宮守村の日向という家から、何かしら笛太鼓で囃子ながら、賑やかに出て来たものがあった。それが水口の家の前まで来ると、ぴったりと物音が止んでしまった。世間ではそれが福の神で、その家に入ったのだと言ったそうである。それから水口の家の土蔵にはクラワラシがいるようになって、家計が非常に豊かになったという事である。                              

                              「奥州のザシキワラシの話」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
笛太鼓で囃子ながら賑やかに来たものとは、何であろう。夜の吹雪の中を行列で進むものとは、人間では無いと理解できる。これが福の神の集団であれば、七福神が思い浮かぶが、それから水口の家に憑いたのがクラワラシであるならば、それは百鬼夜行の類であったのかもしれない。その中から、クラワラシが水口の家に入り込み憑いたと考えた方が普通である。

古代から、光と闇、内と外の領域が語られて来た。光と闇や内と外は相反するものでありながら、互いに共有し合っている領域でもある。神々や魑魅魍魎が跋扈するのは、太陽が沈んで闇が拡がる夜からであった。その境界は、夕暮れの人の顔もよく見えなくなる誰彼時(たぞかれとき)であり、早朝の彼誰時(かはたれとき)であるのは、丁度光と闇の交わる時間帯でもある。闇の拡がった吹雪の夜の外から、相反する家の内に入り込んだクラワラシ(座敷ワラシ)は、光と闇を自在に移動できる存在でもある。座敷ワラシが活動する時間帯の殆どは、夜である。太陽の光溢れる昼間の外は、明るい。ところが家という構造は、その太陽の光を遮断するように出来ている。昼間に闇の生じるのが家であるなら、闇に生きる座敷ワラシにとって、家に棲み憑くのは願っても無い事であろう。闇にまぎれて、その姿を隠して悪戯する座敷ワラシ。その座敷ワラシが「遠野物語拾遺89」では、見えるようになったとの事。影とは人間にとっての生命力の強さだとも云われる。つまり、影の領域が狭まり薄くなるという事は、その家の力が弱まったものと見る事が出来る。家の生命力が薄まったからこそ、座敷ワラシが見える様になったのではなかろうか。
by dostoev | 2015-06-06 19:00 | 「遠野物語拾遺考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺88(足跡)」

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遠野の町の村兵という家には御蔵ボッコがいた。籾殻などを散らしておくと、小さな児の足跡がそちこちに残されてあった。後にそのものがいなくなってから、家運は少しずつ傾くようであったという。

                                                     「遠野物語拾遺88」

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自分だけではないが、よく子供の頃、まだ誰も足を踏み入れていない新雪に、足跡を付けたり、飛び込んで遊んだりするのが楽しい感じがしたのは、やはり「一番乗り!」という感覚が嬉しかったのだと思う。昔は、家の隣が映画館で、まだ娯楽が少なかった頃、怪獣映画やアニメなどが上映される時は、かなりの早朝から映画館に並んでいる子供達も多かった。やはり映画館に「一番乗り!」する事が楽しみであり自慢だったのだと思う。まあこれは、大人になっても全く無いわけではないが、子供は特に顕著である気がする。

この「遠野物語拾遺88」で「籾殻などを散らしておいた」という事は、家主が意図的に籾殻を撒いたのであり、御蔵ボッコがいるかどうか確認する為だったのだろう。そして籾殻も新雪と同じに、子供心を刺激するものであったろうから、籾殻を撒くのは確かに有効な手段だと思う。それは子供の妖怪にとっての格好の遊び場であった為、こうして足跡が残ったのだろう。

しかし、そうして御蔵ボッコが本当に居るのか居ないのかと足跡を確認しているうちはまだいいだろう。その足跡が残らなくなった場合、逆に不安が膨れ上がったのではないか。御蔵ボッコが居なくなったと感じた時に、その人の精神がマイナス思考に陥ってしまうのではないか。人がマイナス思考に陥った時は、更なる負の要素を呼び込んでしまうもの。相手は御蔵ボッコという、幸せを運ぶ妖怪(あやかし)である。その妖怪が居るか居ないかを確認するのではなく、我が家には御蔵ボッコが居るという意識を常に持続させる方が、精神的にも良いのだと思える。
by dostoev | 2014-11-27 20:44 | 「遠野物語拾遺考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺84(神木)」

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松崎村字駒木、真言宗福泉寺の住職佐々木宥尊氏の話に、この人の生家の附馬牛村大出などでも、狩の神様だという者が多い。昔は狩人が門出の時に、オシラ様に祈って今日はどの方面の山に行ったらよいかを定めた。それには御神体を両手で挟み持ち、ちょうどベロベロの鉤をまわす様にまわして、この馬面の向いた方へ行ったものである。だからオシラ様は「御知らせ様」であろうと、思っているということであった。今でも山の奥では胞衣を埋める場所などを決める為に、こうしてこの神の指図を伺っている者があるという話である。

                                                     「遠野物語拾遺84」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「注釈遠野物語拾遺」によれば、佐々木宥尊氏の出身は、大出ではなく小出であるという。佐々木喜善と親しかったという事から、この話に登場したのだろう。

御知らせの神としては、観光向けに語られる「オシラサマ」の話に、馬と共に天へと昇った娘が両親の夢枕に立ち、桑の木の蚕が幸せを呼ぶものだと知らせた事からも、オシラサマは御知らせ神として伝わっている。ところでよく、行き先が定まらない場合、杖を真っ直ぐに立ててから、倒れた方向へと進むというやり方がある。杖は樹木から出来ている為、樹木信仰の名残だという話もある。杖を挿して、水が湧いた。杖を挿して、宝物を発見したなどと云う伝承が全国各地にはある。

真言宗福泉寺の佐々木宥尊氏が登場しているが、河内にある真言宗の金剛寺は、行基創建の古刹であり、平安末期に後白河法皇の援助を受けて再興されている。その時代の定め書きに、こう記されている。

「山は草木を以て庄と為し、人は才智を以て得と為す。草木無くんば即ち泥丸の如し。才智無くんば即ち木頭に似たり。」

これは、山における草木は人における才智でもあり、それが無ければ「でくのぼう」だと言っている。「でくのぼう」は「木偶の坊」と書き記し、役に立たない人や、気のきかない人、人の言いなりになる人の事を言うが、別に操り人形の事でもある。オシラサマもある意味、人に操られる木偶の坊の様でもあるが、実は神の才智が宿る木偶でもある。だからこそ、オシラサマに方向などのお伺いを立てているのは、オシラサマに神の才智が宿っているものとしたのだろう。
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上の画像は「春日権現験記絵」からだが、大勢の者達が神官の先導の元に、榊を持って歩いている。春日大社には樹木に関する伝承が多く、春日山と、其の周辺の山々の樹木が一斉に枯れる事件が起こっている。ある場合は風害であり、ある場合は虫害のようであるが、それを神威として捉えていたようだ。樹木とは神が愛するものであるから、その樹木が枯れるのは神の言葉の顕れであるとと思っていたのだろう。春日大社は藤原氏が祭祀権を持つ神社であるが、中臣連時風と中臣秀行が神々を山の上から麓の神殿まで移そうとした時、神の託宣によれば「榊を乗り物として移し申せ。」という。その理由は「後代に我が正体として崇を致すべき故也。」というものだった。そうして御告げの通りに榊に神を乗せ、神殿に移したという。三保の松原の天女もそうだが、樹木は神の依代となる。遠野は寒い為に、榊の生育は難しい為に、イチイの木が榊の代わりとなっている。早池峯大神を祀る奥州市の新山神社の宮司は、是非榊を育てたいと努力して、数年前から榊を境内に定着させていた。早池峯大神の異称が、撞賢木厳之御霊天疎向津媛命であった事も大きかったようだ。

ここでオシラサマ縁起を読み直すと、皮を剥いだ白馬を桑の木に吊るしている。つまり白馬は神に対する生贄であり、これは桑の木に神を依り憑かせる神事であるとも思える。そして馬だけでなく、更なる贄として娘をも捧げさせ、天に昇ったという事は、願いが成就されたと捉えても良いのだろう。だからこそ、桑の木に蚕が発生し、それによって豊かな生活が築く事が出来た。オシラサマの木偶が殆ど桑の木から出来ているというのは、桑の木に神を宿らせたという事であろう。春日大社の伝承からも、神を依り憑かせるのは神木となる樹木である。つまり「遠野物語拾遺84」での桑の木であるオシラサマは、神そのものであるという事。だから、その神の託宣を聴く為に、オシラサマにお伺いを立てたのだろう。

春日の神は鹿に乗った姿で伝えられるが、遠野の早池峯の神は、馬に乗った姿で伝えられる。オシラサマでも馬面のオシラサマを使うのは、神の乗り物であるからだろう。遠野全体でもそうだが、特に附馬牛に付属する、大出・小出で信仰する山は早池峯である事を踏まえれば、山神でもある早池峯の神がオシラサマの桑の木に依り憑いたのであろうから、狩の神と思うのは当然の事であろう。
by dostoev | 2014-11-25 11:46 | 「遠野物語拾遺考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺83(狩の神)」

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オシラ様を狩の神と信じている者も多い。土淵村の菊池という狩人の家に、大切に持ち伝えている巻物には、金の丸銀の丸、オコゼ魚にオシラ様、三途縄に五月節句の蓬菖蒲、それから女の毛とこの九つを狩人の秘密の道具と記し、その次にはこういうことも書いてある。「狩の門出には、おしらさまを手に持ちて拝むべし。その向きたる方角必ず獲物あり。口伝」

                                                     「遠野物語拾遺83」

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多様性を示すオシラサマだが、その属性は山にある。山とは、水の源であり、樹木が発生する地であり、獣もまた発生する神秘の地であった。山中他界で竜宮伝説も付随する山であるから、海のオコゼを捧げたとして何等不思議では無い。そのオコゼもまた、ある地域では"イザナミ"と呼ぶ事から、そのオコゼの醜い顔は、黄泉醜女と同一視されたのかもしれない。山は、他界であり異界であり、補陀落や黄泉国に通じる入り口となる。その山を支配するのが山神となる。オシラサマが白山信仰と結び付いたとしても、それは山との結び付きであり、養蚕と結び付いても、結局は全て山に帰すのであった。後は、オシラサマを信じる者が、どの特異性を重視して信仰するかだけであろう。

【肥前国風土記】

郡の西に川がある。名をサカ川という。水源は郡の北の山から出て南
に流れ、海に入る。この川上に荒ぶる神があり、往来する人の半ばを
生かし、半ばを殺していた。そこでこの地の統治者の祖先であるオホ
アラタが、占いで神意をはかった。

時に土着人の女、オホヤマタメ・サヤマタメの二人がいて、下田の村の
土をとって、人形・馬形を作ってこの神を祀れば、必ず神は和められる、
と申し上げた。

オホアラタが、その言葉のままに神を祀ると、この神はそれを受け入れ
て、とうとう和められ、鎮まった。そこでオホアラタは、この女達はこのよ
うに、まことに賢し女である。サカシメによって国の名前としよう、と言っ
た。それでサカシメの郡と言ったが、それが訛ってサカの郡となった。

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荒ぶる山神を鎮めるのに人形・馬形を作って祀る形の古くは、上記の「肥前国風土記」であろう。それを担当した者は、女であった。女は、その長い髪に霊力が宿るとされ、それをザンバラの状態でいる事が、最も霊力を発揮できると信じられていた。だからこそ「日本書紀(天武天皇記)」で、巫女が髪を結わなくても良いという条例が発布された。つまり、女が神と通じる能力が長けていると判断された為であった。オシラサマを扱うのは、女だけで行われるのもその為であろう。しかし、後に修験が発達して、山から女は締め出された。別説には、山の魔物から女を守る為に女人禁制としたとも伝えられるが、原始形態の祭祀が卑弥呼であるのならば、本来は女が神と交流するのが普通であった筈だ。それを伝えているのが、オシラサマの祭祀であろう。
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オシラサマの祭日には、オシラサマに新しい衣を重ね着させる。これを「オセンダク」と呼び、穢祓であろうとする説もあるが、古い衣は穢れが付いているものであり、衣を重ねるという事は、穢れを重ねるに等しい。そしてその後に養蚕の由来を伝える祭文「シラア祭文」を唱え、少女がオシラサマの神体を背負って遊ばせたりするのだが、それを「オシラ遊び」と云う。夏祭りに穢祓の祭が多いのは、折口信夫が夏の語源は「撫づ」であるとし、人形などの祓の具が撫物に由来している事から、オシラ遊びもまた穢祓の行為であろう。

前回に書いた様に、オシラサマが狩と結び付くのは、動物の血による穢れが生じる為、それを引き受けるオシラサマが、穢祓の神の依代であるという事だろう。山に生まれた獣は、死した時に山である大地に土となって戻る。東から生れた太陽が、西に沈み死ぬと云われた概念と同じ様に、獣もまた死んだ後に山から生れるという循環。その循環を促す為に、穢れを取り除くのだと思う。「古事記」でのイザナミが黄泉国の穢れに遭った時、男神であるイザナギに対して「決して見てはならない。」としたのも、オシラ遊びが男子禁制で、女の間で行われる事と一致する。遠野の綾織で女だけの山神祭が行われるのは、本来の山神祭祀の形態が女の手によって行われているのを脈々と伝えているものではなかろうか。やはり、オシラサマが狩の神でもあるのは、本来が山神である為ではなかろうか。
by dostoev | 2014-11-24 17:13 | 「遠野物語拾遺考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺82(鹿の禁忌)」

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栃内の留場某というのはこの神のある家の者で、四十余りの馬喰渡世の男であったが、おれは鹿の肉をうんと食ったが、少しも口は曲らなかったと威張って語っているのを聴いた。火石の高室某という人はこれに反して、鹿の肉を食って発狂した。これもオシラサマのある家であった。後に巫女を頼んで拝んで貰って宥された。浜の大槌町の某という人も、やはりこの神を持ち伝えた家であったが、鹿の肉を食って口が曲った。巫女の処へ行って尋ねると、遠野に在るオシラ神と共に祟っているということなので、山口の大同の家まで拝みに来たのを、佐々木君の母は見られたという。

                                                     「遠野物語拾遺82」

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「遠野物語拾遺81」では、口が曲るのは一種の病気であり、それがたまたまオシラサマを祀る家の者に偶然重なったのでは?とは書いた。しかし気になるのは、仏教思想が広がって四足を食べるなという禁忌もあったのは確かだが、鹿限定というのは解せない。例えば吉田政吉「新遠野物語」では、猪の丸焼きなどが紹介されており、明治時代の半ばまで猪もまた遠野に生息しており、それを捕えて食べていたようだ。鹿も猪もまた「四肢(シシ)」である事から同じと思うが、鹿限定で口が曲るとはどういう事であろう。

「遠野物語」では、白鹿は神の使いであるとも云われ、旗屋の縫はやはり神に近い存在の鹿を撃ち、ぼっちらし権現として祀った。また春日明神などは、武甕槌が鹿に乗った姿で表されるが、遠野では春日明神信仰は薄いと云わざる負えない。極端に、鹿だけが禁忌と成り得る特異性を見出せない。強引に考えれば、三峰様である狼の獲物が鹿である為、それを奪うのは良くないとなるのだろうか。
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小友町には古くから伝わる鹿除け石というものがあり、上の画像の奇妙な形をした石だが、その石にいくつもの鹿の足跡のようなものが刻まれている。この足跡らしきを黒塗紙に写して畑に立てれば、不思議に鹿に畑を荒らされる事が無くなると伝えらていた。現代の遠野では、ここ数年の間に鹿被害対策として畑の周りに電熱線を張り巡らし、何ともお金のかかる鹿被害対策となっている。つまり、今も昔も鹿は、畑を荒す害獣として農民の間で嫌われていたという事だろう。その鹿を食べると、何故に口が曲るのか。やはりそれは、オシラサマの出自に関係するのであろうか。

オシラサマは白山信仰とも関係すると云われる。白山神社は、被差別部落と繋がると中山太郎の調査でわかってはいるが、その被差別者とは穢多となる。穢多は人の嫌がる動物を解体したり、その動物の皮を使って毛皮やら太鼓やらを作ったりもする。つまり、動物の死と向き合っていたのが穢多であった。しかし古い遺跡からは、鹿の角による装飾品も数多く出土している事から、鹿は古代から狩猟され、その肉であり角などは人々に利用されていた。また東北が蝦夷国であった頃は、狩猟が多く成されており、当然の事ながら、その狩猟の対象にも鹿は居た。つまり、鹿を食べるのを禁忌とした年代は早くても泰澄が白山を開山した養老元年(717年)以降であろう。しかし養老元年はまだ蝦夷国が平定される以前である事から、蝦夷国に仏教思想が広まりつつあった大同元年以降であろう。そして白山信仰が被差別部落と結び付くのは、白山が穢れを嫌うからであった。蝦夷国の民が狩猟に長けていたのであれば、その獲物の解体は当然した事であろう。しかし仏教思想が入り込めば、それは穢れである事から"穢れ多き民族"が、その穢れを浄化する為に白山信仰に入り込んだのは自然な流れであったろう。そして「白山大鏡」によれば、その白山で祀られる神が早池峯に鎮座する穢祓の神であるのならば尚更であろう。

古代における遠野の民は、狩猟の対象として多くの鹿の血を流してきたのだろう。その反面、その鹿を神として祀り、シシ踊りという芸能まで発展させ、殺した筈の鹿を生き生きと蘇らせた。遠野には、シシ踊りを踊る多くの団体があり、その踊りは各自違う。それは、現在遠野市として存在するのだが、その文化は村単位で育んできた歴史からであろう。古代から続く各村々による鹿への鎮魂が、シシ踊りに顕れているのではなかろうか。多くの鹿を殺してきたからこそ、仏教思想の精神が反映されたのだと思えるのだ。ただ「遠野物語拾遺108」の様に、畑仕事より狩猟を好んだ者達がいたのは、蝦夷の血が脈々と流れていた証でもあるのだろう。恐らく、鹿を食うなというのは、蝦夷の血の、過去と現在のせめぎ合いであったろうか。
by dostoev | 2014-11-23 17:39 | 「遠野物語拾遺考」80話~ | Comments(5)

「遠野物語拾遺80(大同)」

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山口の大同の家のオシラサマは、元は山崎の作右衛門という人の家から、別れてこの家に来たものであるという。三人の姉妹で、一人は柏崎の長九郎、即ち前に挙げた阿部家に在るものがそれだということである。大同の家にはオクナイ様が古くからあって、毎年正月の十六日には、この二尺ばかりの大師様ともいう木像に、白粉を塗ってあげる習わしであったのが、自然に後に来られたオシラサマにも、そうする様になったといっている。

                                                     「遠野物語拾遺80」

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まず白粉の話だが、上組町の太子堂の太子様の像に白粉を塗る風習は、太子様は百日咳の霊験あらたかという事から太子様の顔に粉おしろいを塗り、願をかけて白粉を剥ぎ取り、その粉を子供の喉に塗ると1週間で治ると云われた。その通り画像の太子像の顔が異様に白いのは、その風習の通り"お白い"を塗って願を掛けていた為だ。

しかし、白粉の成分は鉛白か水銀であり、この白粉を塗る事により鉛中毒・水銀中毒となる場合が多々あった。今でこそ白粉に鉛白や水銀は使われる事は無くなったが、使われていた時代背景を探れば、金属加工をしていたからこそ、白粉は手に入った。大同という家は、大同元年に関係すると云われ、土淵では草分け的な家だと伝えられる。何故に蝦夷征伐が行われたのかだが、決定的なのは聖武天皇時代に金が発見された事だろう。それまで日本には金が無く、輸入に頼っていた為に奈良の大仏の完成が遅れていた。そんな時に、蝦夷国の小田郡から、金が発見された。それから多くの金属探訪者でもあった修験が東北に派遣され、金探しが行われた。それから東北に皆無だった神社が、坂上田村麻呂の蝦夷国平定の後、多くの神社が建立された。神社とは、その金の発見・採掘の為の前線基地であったと云われる。早池峯神社の建立されたのも大同元年と伝えられる。大同という年号は蝦夷国において、金の開拓の年号でもあった。つまり大同家というのは、金属加工に関係していた家では無かろうか。

井上鋭夫「山の民・川の民」によれば、北陸においてタイシと呼ばれる者達がおり、それを別に「退士」とも称し、「戦に敗れた落人」でもあったとされる。遠野だけでは無いが、鉱山の労働者には、脛に傷を持つ者達の集まりであった。その中には隠れキリシタンもおり、また確かに"退士"でもある落人もいたようである。井上鋭夫によれば、タイシと呼ばれる者は山の民であり採掘をする者達であると。それが川の民と結び付いたのは、採掘した鉱物を川を利用して運ぶ為の結び付きであると説いている。

大同家には大師様という木像を祀っているというが、通常大師様といえば弘法大師であり、太子様となれば聖徳太子になるのだが、ここでの"たいしさま"とは恐らく、大同家に伝わる採掘・治金の金属集団を"たいしさま"という名の元に隠し祀っていたのではなかろうか。「遠野物語69」では大洞家の養母は「魔法に長じたり。」と記されているが、それは「物部」と記された墨書土器が発掘されている事から、遠野の地にも物部氏が流れ着いたのではないかと以前に書いた。物部氏とは、蘇我氏との戦いに敗れた"タイシ"であった事から、大同と名乗る家に伝わる魔法とは物部の魔法の可能性もある。つまり、タイシ信仰と魔法とは、物部氏が伝えた信仰の一つではなかろうか。その物部氏は古くから金属に深い関わりを持っていた氏族である事から、大師様とオシラサマに白粉を塗る行為は、物部氏に関係すると考えられる。
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そして、オシラサマが三姉妹であり、それが三つの家に分かれて祀られているとの記述は、そのまま遠野三山に祀られる三女神に関係する話ではなかろうか。大同元年に建立された早池峯神社は、遠野で一番古い神社となる。それから六角牛神社などが続いて建立された年代が大同年代である事から、大同家がもしもオシラサマと遠野三山神話に関わるのであるならば、その信仰形態を持ち込んだのは物部氏では無いかとの想定が成される。大同年間である平安時代の遠野の中心地は、土淵から附馬牛にかけてであったという前提で考えれば、そのオシラサマでありタイシ様の信仰も、土淵から発せられたものであるだろう。
by dostoev | 2014-11-22 17:31 | 「遠野物語拾遺考」80話~ | Comments(6)

「遠野物語拾遺81(顔面麻痺)」

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附馬牛村の竹原という家の老爺、家にオシラ神があったのに、この神は物咎めばかり多くて御利益は少しも無い神だ。やれ鹿を食うなの肉を食うなのと、やかましいことを言う。おのれここへ来て鹿を喰えと悪口して、鹿の肉を煮る鍋の中へ、持って来て投げ込んだ。そうするとオシラサマはたちまち鍋より飛び上がって炉の中へ落ち、家の者は恐れて神体を拾い上げて仏壇に納めた。後にこの家の焼けた時にも、神は自分で飛び出して焼けず、今でも家に在ると、その老人の直話を聴いた者の話である。気仙の上有住村の立花某、家にオシラサマが有って鹿を食えば口が曲がるという戒めがあるにもかかわらず、その肉を食ったところがはたして口が曲った。飛んでも無い事をする神様だと、怒って川に流すと、流れに逆らって上って来た。これを見て詫びごとをして持ち帰って拝んだけれども、ついに曲った口はなおらなかった。

                                                     「遠野物語拾遺81」

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謎の神と云われるオシラサマには、いろいろな顔がある。その中の一つが、この話に出て来るような祟り神であるという事。まあ、元々神とは祟り神から発生して、現世利益とは後から付け足したものである。つまり、オシラサマに限らず、どの神であろうと粗末に扱えば祟りを為すという事だろう。ところで、肉を食べて口が曲ったとの話が紹介されている。上有住の立花某は戒めを破って肉を食べたが、結局治らなかったという事だ。伊能嘉矩はオシラ神に対して、こう述べている。

「信者たるものは、鳥獣の肉を食ふを禁ぜられる。若も此禁を犯す時は、神を瀆せるものとして、必ず祟りあり。」

「蓋し是れ等は皆な迷信によりて自ら求むる禍にて、神経作用の過ぎざるべきも亦神の勢力の如何に強く信ぜらるゝかを推すに足らん。」


伊能嘉矩の言うように確かに迷信であろうが、三峰様講でもわかるように、強い信仰により神威に怯える信者は、神経に及ぼす場合もままあるのかもしれない。

しかし、口が曲るとはどういう事を言うのか。例えば、脳溢血で倒れた者は神経麻痺となり、口が曲ったようになり、言葉も上手く話せなくなってしまう。ただ、上有住の立花某は、その後も歩くのには不自由していないようであるから、顔面だけの麻痺であろう。顔面麻痺を調べると、余りに体や顔を冷やし過ぎた場合と、帯状疱疹による神経の圧迫などから起きるようである。

槇佐知子「病から古代を解く」には「宇都奈比也美(うつなひやみ)」というものがあり、正確に漢字をあてるなら「虚萎病(うつなえやみ)」であろうとしている。この虚萎病は、古代中国にも伝わる「柔風(じゅうふう)」という病と同じだろうと。「柔風」も「虚萎病」も、そこから様々な症状に移行するものとし、それが小児麻痺や中風、筋委縮などとなるようだ。確かに「虚萎病」という命名は、その症状に即した命名であろう。実は、この虚萎病を治す薬が唯一、陸奥国胆沢郡北神家方で処方されていた。しかし処方といっても単純なもので、摘んだイラクサを「痛痒ヲ知ラザル所ヲ頻リニ打チタタクベシ。則チ自由ヲ覚ユ。実ニ奇方也。」というものだ。イラクサはマムシに咬まれたら患部に生の葉を揉んで、その汁を塗る事により、毒消しと痛み止めとなる万能薬であり、山伏が伝えた薬だと云われる。となれば当然、遠野にも伝わっていたであろうか?単に神の祟りだとして口が曲っても、それをそのまま放置するのではなく、もしかして何かの病かと疑念を持った時に、その口曲りも治るというもの。いつまでも神の仕業にしたままでは、神の神威は保たれたままであろうが、逆に神の神意を見誤る事にもなろう。
by dostoev | 2014-11-18 18:09 | 「遠野物語拾遺考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺87(御姫様の座敷ワラシ)」

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綾織村砂子沢の多左衛門どんの家には、元御姫様の座敷ワラシがいた。
それが居なくなったら家が貧乏になった。

                              「遠野物語拾遺87」

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性別不詳とされていた座敷ワラシだが、この「遠野物語拾遺87」で唯一「御姫様」であるとされる座敷ワラシが登場する。今も昔も出生率は女性の方が上回っていた。男の遺伝子とは女ほどには強くないとされ、出産後の生存率も女の方が断然高いのだが、今では昔と違い環境も栄養も整っている為、そうは簡単に男であっても死ななくはなったようである。

例えば「南総里見八犬伝」において犬塚信乃(シノ)という名は大抵の場合、女性に付けられるもの。しかし男と生まれた子供が長生きできるようにと、赤い着物を着せて、女の子の名前を付ける事によって、女性の呪力を身に付け丈夫になると信じられていた事もあったようだ。それ故に、座敷ワラシが女の子の格好をしていたとしても、それが果たして女の子か、男の子かわからぬ場合もある。しかし、この「遠野物語拾遺87」においては「御姫様」と断言しているのは、ある意味貴重な話ではある。

ただ気になるのは、何故に「御姫様」とわかるのか?という事だろう。恐らくそれは身なりであり、身に付けている衣服からそう判断したのではないかと思われる。田舎の遠野ゆえに、粗末な衣服を身にまとった子供が多い中、上等な衣服を身にまとってさえいれば、他の子との区別はすぐについた筈である。しかし砂子沢という集落で御姫様というのも、どこかピンとはこないものだ。そんなに身分の高い人が住んでいたとは聞いた事が無いからだ。ただ座敷ワラシが棲み付いたとされる家であるから、砂子沢の中では大きい家であったのだろう。遠野を含む岩手県から以北は、かなりの落人が逃げ延びた土地でもある。蘇我氏に敗れた物部氏は北へ逃げ、源義経も奥州藤原氏を頼って北へ逃げ延びてきた。また長慶天皇も北を頼って逃げ、幕末での土方歳三でさえ、北へ北へと逃げたものである。古来から朝廷側から見て北という土地は、最終的に逃げ延びる場所であるようだ。当然の事ながら、有名な氏族や武士だけでなく、それ以外の一族も逃げてきた事だろう。その中に、身分の高い御姫様もやはり居って、綾織村の砂子沢に一時期隠れた可能性もあるだろう。旅人などが或る村などにお世話になる場合の大抵は、村長などの家に厄介になるものである。もしかして、逃げ延びてその家で匿ったどこぞの姫様を「御姫様の座敷ワラシ」として言い伝えられた可能性も、またあるのかもしれない。
by dostoev | 2013-01-19 20:45 | 「遠野物語拾遺考」80話~ | Comments(3)