遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」40話~( 10 )

「遠野物語拾遺47(竜神の啼き声)」

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ハヤリ神が出現する時には、方々に引続いて出るものである。綾織村でも稍
遅れて、前と同様な由緒で清水のハヤリ神が現はれた。此処の祭りをして居
るのは、何とかいふ老媼であったと聞いて居る。

                                「遠野物語拾遺47」

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「前と同様な由緒で…。」と記されているが、それがどれを言うのか少々わからぬが、流行に乗って綾織でも清水が湧いたという事だろう。「注釈遠野物語拾遺」では、綾織町山谷川の老松から湧き出た神水であると紹介されている。何故神水であるかといえば「遠野今昔」で、その神水の場所が「明治八年(1875年)の大水の時に、竜神がひいひいと啼いて流れ去った。」とある。つまり、その神水の場所は大水で流されて、今は無くなったという事なのだろう。竜神がひいひいと啼くくらいであるから、それだけ凄い大水であったという表現と捉えて良いだろうか。

「遠野市史」から年表を確認してみると1875年に、ただ「洪水」とだけ記されている。水害の詳細は確認できなかったが「遠野今昔」に記されている様に、確かに大水が起きたのは確認できた。このハヤリ神の水は諸病に効くというので、その水を沸かして湯屋を営んでいたのは「相の畑」という屋号のヨシ婆という事である。「遠野物語拾遺47」文中の老媼とは恐らくヨシ婆様であったろう。もしかして「ひいひい」と啼いたのは、せっかく営んでいた湯屋が大水で流された為のヨシ婆様の嘆きであったろうか。
by dostoev | 2013-07-09 17:10 | 「遠野物語拾遺考」40話~ | Comments(0)

 「遠野物語拾遺48(鍋蓋)」

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佐々木君自身も右のチタノカクチのハヤリ神に参詣した。行って見ると鍋の
蓋に種々の願文を書いて奉納してあった。俗諺に、小豆餅とハヤリ神は熱い
うち許りと言い、ハヤリ神に鍋の蓋を奉納するのは、蓋をとって湯気の立ち
登る間際の一番新しいところという気持だそうな。

                      「遠野物語拾遺48」

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チタノカクチには地神として現在、稲荷を祀っているが御堂内部には鍋の蓋は見る事が出来ない。この「遠野物語拾遺48」において「ハヤリ神に鍋の蓋を奉納するのは、蓋をとって湯気の立ち登る間際の一番新しいところという気持だそうな。」と書かれているが、鍋蓋を調べてみると常光徹「妖怪の通り道」では「日本産育習俗資料集成」に「難産で妊婦が仮死の状態にある時は、鍋蓋で煽げば息を吹き返す。」「産児が泣き声を上げない時も鍋蓋で煽げば泣き出す。」などと記されている。これは一部の地域だけでなく、かなり広範囲に伝わっているようだ。また鍋蓋を俎板代わりにものを切るという禁忌も全国的に分布している事から、鍋蓋が人の生命に関係し、粗末に扱えない事を意味しているようだ。

また牧田茂「鍋蓋考」では、蓋をする事によって、鍋の中の「霊(たま)」が抜け出る事を防ごうとしていたとある。そして逆に、鍋の中に邪悪なものが侵入しないようにした為であろうという事らしい。実際に岩手県では「風呂に入った後、蓋をしないと幽霊が入る」という俗信があるほどだ。つまり鍋蓋の呪術には、かなりの応用を効かせて広がった可能性はあるだろう。

人が生死の境を彷徨っている時は、大声でその者の名前を呼ぶと言う俗信がある。名前を呼ぶと言う行為に加え、大きな声で呼ぶというのは、呼ぶ人間の息吹を生死の境を彷徨っている人間の名前に伝える行為でもある。恐らく鍋蓋もまた、そういう生命力を帯びた息吹を伝える呪具として認識され伝えられたのではなかろうか。つまり「遠野物語拾遺48」における鍋蓋は、ハヤリ神の新鮮な息吹を持続させ、そのハヤリ神が穢れない為の効果の期待も含めて、奉納したのではなかろうか。
by dostoev | 2013-07-08 11:05 | 「遠野物語拾遺考」40話~ | Comments(4)

「遠野物語拾遺46(早池峯大神の水)」

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佐々木君の友人で宮本某という人は土木業の監督をしているが、この人も行っ
てこの清水を拝んだと言う。その話に、泉の水を筆に含ませて白紙に文字を書
くと、他の文字は書いてもよく読み難いが、ただ一つ早池峯大神と書く時だけ
は、少しも紙に水が散らないで、文字も明瞭に美しい。故にこのハヤリ神は早
池峯山の神様に縁りがあるのだろうと。事実、虎八爺も最初は黒蛇大明神云々
と声を張上げて祈祷をしていたのだが、後には早池峯大神云々と言っていたそ
うである。

                                「遠野物語拾遺46」

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この天ヶ森の麓に流れるハヤリ神の水は、昔はこの辺一帯にあった舟を浮かべて遊べた程の広い松崎沼に注がれていた。そしてこの松崎沼には沼の御前が祀られており、沼を通じて荒屋の沼の御前と繋がっていたという。

ところでここに登場する宮本某とは、元々早池峯神社が妙泉寺であった頃の住職の家系であるそうだ。当然の事ながら、早池峯の神に対しての信仰は厚い。その想いも手伝ったのかもしれないが、泉の水で書いた早池峯大神という文字だけは、明瞭に美しく書けたのかも知れない。いや突然に泉の水で筆を執る事自体に違和感を覚える。もしや、この宮本某に早池峯の神が降りた為の所以であったろうか…。
by dostoev | 2013-07-06 16:08 | 「遠野物語拾遺考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺45(人の生命を…。)」

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これより少し先のこと、この爺が山中でにわかに足腰が立たなくなって、草の
上につっぷしていたところが、この清水が身近に湧き出しているのに気附き、
これを飲みかつ痛む筒処に塗りなどすると、たちまち軀の痛みが去って、気分
さえさっぱりしたと言うのが、この清水の由来であった。松崎村役場の某とい
う若者の書記が、こんな馬鹿気たことが今日の世の中にあるものかと言って山
に行ったが、清水の近所まで行くと、たちまち身動きが出来なくなって、傍ら
の草叢の上に打ち倒れた。口だけは利くことが出来たので、虎八爺に助けてく
れと頼むと、お前の邪心は許し難いが、せっかくの願い故助けてはやる。今後
は決してかような慢心を起してはならぬと戒めて、その清水を汲んで飲ませた。
するとすぐに軀の自由が利くようになったそうである。これはその者の直話である。

                      「遠野物語拾遺45」

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五、六年前には松崎村の天ヶ森という山の麓に清水が湧き出しているのを、
附馬牛村の虎八爺という老人が見つけ、これには黒蛇の霊験があると言い
ふらして大評判をとった。の時も参詣人が日に百人を超えたという。
                          
                    「遠野物語拾遺44より抜粋」

この話は「遠野物語拾遺44」から続くものであるが要は、人の生命力に関係する力を持っているという清水の話ではある。実は、黒蛇は妙見神の使いであると云われる。虎八爺が何故急に「黒蛇の霊験がある。」と言い出したのかは、虎八爺が恐らく妙見を信仰していたのではなかろうか?妙見は牛馬の守護神でもあるが、気になるのは荒川の駒形神社は当初、天ヶ森にあったという伝承がある。

現在の天ヶ森の頂には古峯山の古碑と剣があるだけなのだが、天ヶ森における古い祭祀はよくわかっていない。ただ修験の者が天ヶ森を支配していた事だけはわかっている。修験の者は天台宗に影響されていたから当然、妙見との関わりがあった事だろう。ましてや阿曽沼の居城の地には妙見宮があり、今でも妙見の石碑が残っているのは、妙見信仰そのものは阿曽沼時代にかなり広がったのではなかろうか。とにかく天ヶ森に妙見が祀られていたとなれば、この天ヶ森に荒川の駒形神社があったという伝承も納得できる。

そして「遠野物語拾遺46」においては、実はこのハヤリ神が黒蛇大明神から早池峯大神に変わったというのは、早池峯大神がそもそも妙見と結び付く神であり、黒蛇大明神の元神であるという認識に基づいた為であろう。何故に黒蛇かといえば、黒は陰陽五行で北と水を示す色であるから、実は黒蛇大明神と言っている時点で、北に鎮座する早池峯山を意識していたのだと思われる。

妙見は、北斗七星と結び付く。その北斗七星は、人の生命を司る神でもある。それ故に、倒れた虎八爺や若者の書記が水を飲んで治ったというのは妙見の御利益によるものだろう。そしてその妙見と結び付く早池峯大神は祟り神でもあるから、そのハヤリ神の御利益などを馬鹿にした若い書記が倒れたのは、その祟り神たる所以だろう。
by dostoev | 2013-07-05 09:48 | 「遠野物語拾遺考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺43(白い水)」

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青笹村の御前の沼は今でもあって、やや白い色を帯びた水が湧くという。
先年この水を風呂にわかして多くの病人を入湯せしめた者がある。大変に
よく効くと言うので、毎日参詣人が引きもきらなかった。この評判があま
りに高くなったので、遠野から巡査が行って咎め、傍にある小さな祠まで
足蹴にし、さんざん踏みにじって帰った。するとその男は帰る途中で手足
の自由が利かなくなり、家に帰るとそのまま死んだ。またその家内の者達
も病気に罹り、死んだ者もあったということである。これは明治の初め頃
の話らしく思われる。

                     「遠野物語拾遺43」

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これを読んだだけでは、何故これほどまでに人々が喜んだ水に対して巡査が咎めたのか理解できなかったが、思い出したのはやはり遠野郷である達曽部の飛龍山神社での事だ。

飛龍山神社の創建に関わる話では、教念和尚という人物が熊野を参宮中に、その熊野の薬師大権現の啓示をうけ、この飛龍山まで戻り篭って修行し、霊水を発見し、その霊水を湯に沸かし、病む人々に湯浴みさせてから評判となったようだ。それから多くの人々が集まり、その恩恵を受けていたそうだが、その熱狂ぶりが一つの新興宗教と警察に思われ、警察が介入した話が伝わっている。

この飛龍山神社の霊水と、御前沼の霊水での内容は同じであるだろう。また神仏分離政策を強行し神国日本を強調した明治時代であろうから、その国家意識を脅かしそうな新たな信仰は邪険に扱われたのかもしれない。しかし巡査や、その家族までも死に至らしめた神の祟りとは、どれほどのものであったろうか?
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この白い水の霊水は、六角牛山の天人児との関係がある。「遠野物語拾遺3」に記されている様に、以前は七つの池がありその一つの池の中に「みこ石」という岩があり、そこに六角牛山から飛んできて降り立った天人児の話を伝えている。ところで白い水で気になるのは以前、三女神伝説を調べて花巻地区の呼石へ行ったところ、そこに「水白神」を祀る神社があったが、その地域の古老に聞いたところ早池峯の神との関係を示唆していた。

同じハヤリ神の話として「遠野物語拾遺45」では似た様な祟りに遭っている話を紹介しているが「遠野物語拾遺46」においては、その正体が早池峯の神であった事になっている。祟りを成す霊水の正体が早池峰の神であるなら、この青笹の霊水での祟りもまた早池峰の神の関係ではあるまいかとも思えてしまう。
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気になるキーワードに「みこ石」と「白い水」があるのだが、早池峯の女神である瀬織津比咩を調べていると、山陰地方においての瀬織津比咩の祭祀と白い水の関わりが見いだせるのだが、その中で気になるのは「因幡の白兎」ならぬ「八上の白兎」の伝説だ。簡単に伝説の内容を紹介すれば、現在の鳥取県八上という地の霊石山に天照大神が白兎の導きによって降り立った地を「伊勢が平」と云い、そこにある石を「みこ石」であると。そしてその伊勢が平の西方に「白い霊泉」があるという。白兎は天照を案内した時に伊勢が平で消えたようだが、よくよく読めば、この「八上の白兎」の伝説は太陽と月の運行の物語であるようだ。天照は太陽の象徴でもあり、兎は月の象徴でもある。その太陽の象徴である天照大神が伊勢が平という地に降り立ったのは、太陽が高みに昇った事であり、それに伴い月の象徴である兎が、その太陽の光に打ち消されたのは至極当然の話であるだろう。白銅鏡もまた月の象徴であるが、それは月を意味してのものだという。原初の鏡は水鏡である事から、西方に消えた兎が、やはり伊勢が平の西方にある白い霊泉に変わったものだと考えるのだ。つまり白兎は霊泉という鏡に変わって残ったという事だろう。
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この「八上の白兎」の伝説では、みこ石に天照大神が降り立ったのだが「遠野物語拾遺3」では、天人児がみこ石に降り立っている。

この「八上の白兎伝説」を紹介している大江幸久「八上神秘の白兎と天照大神伝承」では、早池峯の女神である瀬織津比咩が一番多く祭祀されているのは岩手県で、それに次ぐのが鳥取県であり、その多くが八上の地域に祀られているのだという。神功皇后が三韓征伐で真っ先に名を挙げた神が撞賢木厳之御魂天疎向津媛命であり「日本書紀(神功皇后)」の「秋九月の庚午の朔巳卯」には「荒魂は先鋒として師船を導かむ」と記されている。天照大神の荒魂は、早池峰大神でもある瀬織津比咩となるのだが、その瀬織津比咩は月との縁が深く、瀬織津比咩の別名もまた月との縁が深い撞賢木厳之御魂天疎向津媛命という名である。天疎向(あまさかるむかう)」という意味は「月が西の天の極みに向かって行く」であり、八上の白兎が天照大神を導いて西に向かったのは月の運行そのものであり、天照大神の先鋒でもある荒魂と同じであったのだろうと察する。そして瀬織津比咩を祀る伊豆神社には、画像の様にやはり白兎の絵が描かれている事から、天照大神の荒魂である瀬織津比咩と月との関係が深い事を意味するのだろう。

簡単に青笹の白い水が湧く御前沼の話に重ねるわけにはいかないのだが、遠野における御前沼の殆どに早池峯の女神が影響している事を踏まえれば、それは天照大神の荒魂でもある事から、明治国家の推し進める神国日本の皇祖神である天照大神の荒魂を足蹴にした巡査とその家族に罰が当たるのは、当然と言えば当然の事なのであろう。
by dostoev | 2013-07-04 08:53 | 「遠野物語拾遺考」40話~ | Comments(9)

「遠野物語拾遺41(死の影)」

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土淵村大字柏崎の新山という処の藪の中に泉が湧いていて、ここが小さな池
になっているが、この池でも水面に人影がさせば雨が降るといわれている。

                              「遠野物語拾遺41」

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人影がさすと雨が降るのは、この前の「遠野物語拾遺40」での開慶水がそうであるが、何故に人影が泉にさすと雨が降るのであろうか?遠野での雨乞いには泉や滝壺に動物の死体や骨を捨てて、水を穢して雨を降らせる方法を取る場合がある。つまり水が穢れれば、神の怒りによって雨が降ると信じられていた。それでは影は、穢れる元であるのだろうか?

人は死んで"あの世"へ行くと信じられていた。ある場合は、黄泉の国であり、根の国であり、海の彼方にあるというニライカナイであったり、極楽浄土の常世であったりする。それは果てしなく遠いイメージがありながら、死とはいつも身近に存在し、いつでも行ける場所にあるものだ。

例えば、地面に穴が空いている場所は、黄泉の国と繋がっていると云われていた。だから、便槽を掘るトイレであったり、地面を掘る井戸もまた黄泉と繋がっていると信じられていた。その為、井戸やトイレには幽霊の話が多い。そしてその黄泉と繋がる穴は、山などの洞窟もまた黄泉の国と繋がっているものと信じられていた。

「古事記」において、イザナギが死んだイザナミを探しに行く描写も、洞窟内のようである。そこでイザナギはイザナミと出会い、帰って来てくれと願う。そう黄泉の国であった筈のイザナミは生きていた時と同じであったから、イザナギは恐れずに帰って来てくれと懇願した。その後にイザナギはイザナミから「あなを視たまひそ(私を見ないで)」と言われるまま待っていたが、ついに待ちきれずに覗くと、そこにはイザナミの腐乱死体があり驚いた。つまり、イザナミの本体は腐乱死体であり、その前に出会ったイザナミの姿は幻影のようなものであったのだろう。
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「あの世」と「この夜」それは鏡の世界の様に裏表の世界だとも云われる。鏡が真実を映すならば、その目の前に立っているのは仮の姿であるのだ。吸血鬼が鏡に映らないのも、実態は既に死人である為だ。つまり、黄泉の国で最初に会ったイザナミはイザナミの影であり、本体は腐乱した死人の姿である。これが現実世界では、生きている人間が本体であり、その影とは死人と同じようなものと考えざる負えない。生と死は表裏一体であると云われる事から、影の黒色は、闇を意味し、黄泉の国の闇を表すのだろう。実際に黄泉の国においてイザナミのタブーを無視してイザナギがイザナミの姿を覗こうとした時「一つ火燭して入り見たまふ時に」と記されているのは、黄泉の国が闇に覆われて真っ暗な事を意味している。しかし最初に出会ったイザナミを見る時には火を灯さなかったのは、「この世」と「あの世」が逆転しているからであろう。つまり「この世」での影は暗く見え、「あの世」での影は明るく見えるという意味であると考える。それ故に、「この世」での影とは「あの世」における本人の死の姿であり、それは死という「黒不浄」を意味するので、泉に影がさすと雨が降るのはやはり、泉が穢された事を意味するのであろう。
by dostoev | 2013-02-18 22:37 | 「遠野物語拾遺考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺49(地蔵端)」

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土淵村字栃内の山奥、琴畑といふ部落の入り口に、地蔵端といふ山があって、
昔からそこに地蔵の堂が立って居た。此村の大向といふ家の先祖の狩人が、
或る日山に入って一匹の獲物も無くて帰りがけに、斯んな地蔵がおらの村に
居るからだと謂って、鉄砲で撃って地蔵の片足を跛にした。其時から地蔵は
京都に飛んで行って、今でも京都の何とかいふ寺に居る。

一度村の者が伊勢参宮の序に、此寺へ尋ねて行って、其地蔵様に行逢って
戻りたいと言ふと、大きな足音をさせて聴かせたといふ話もある。今の地蔵
端の御堂は北向きに建てゝある。それは京都の方を見ないやうにといふ為だ
そうなが、そのわけはよく解らない。

                                「遠野物語拾遺49」

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地蔵端は、円錐形の小さな丘の様な山である。頂は円形の平坦で、ここにかって社があった。昔は大の大人が4人で手を伸ばし、やっと回る大きな杉の木や松の木もあったという。

ところで飛ぶといえば、小友町に空を飛んだ権現様の話が伝わる。全国を調べていないのでなんとも言えないが、小友の権現は火事に遭遇した為、その危険回避の為に飛んだようだが、ここの地蔵も同じように危険回避であるようだ。
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「注釈 遠野物語拾遺(上)」によると、文中に「大向といふ家の先祖の狩人が…。」とあるが、琴畑に古くからある家に「大向」の屋号がある事から、恐らくここであろうという事らしい。この琴畑という地は、日当たりも良くなく、水も冷たい。米作りには適して無い土地だが、やはり昔は山で働く仕事に従事する人ばかりであったようだ。大向家の狩人とは、ある意味一般的であったのだろう。
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頂には社の基礎の残骸があったが、北向きの社がいつの間にか別当が、向きを変えて祀ったという。ただ何故に北向きかというと、この頂から早池峰がどうにか見えるようで、もしかして本来は、早池峰の遥拝所ではなかったかという事らしい。つまり社は、早池峰山へ向けられて建てられていたのかもしれない。

京都に行った地蔵の後も、この地に地蔵を祀る様になり、木の軽い地蔵であった為、よく子供達が、この地蔵端に登って地蔵で遊んでいたところ、それを叱った大人が熱を出して寝込んだなどと、どこかで聞いたような話が伝わっている。

ただ、何故に地蔵端の地蔵に怒りを向けたのかと考えた場合、気になるのは山の仕事に従事していたのが琴畑に住む住民である事から、やはり山の神を信仰し、この地蔵端も含め、早池峰山への遥拝所が2か所もある。つまり本来、山の神を信仰する民が、何等関係無い地蔵が早池峰の遥拝所に祀られたのを気にしての行為であった可能性はあるだろう。
by dostoev | 2012-09-08 19:40 | 「遠野物語拾遺考」40話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺44(ハヤリ神)」

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この地方では清水のハヤリ神が処方々に出現して、人気を集めることが
しばしばある。佐々木君幼少の頃、土淵村字栃内の鍋割という所の岩根
から、一夜にして清水が湧き出てハヤリ神となったことがある。

また今から十二、三年前にも、栃内のチタノカクチという所で、杉の大
木の根元から一夜のうちに清水が湧き出で、この泉が万病に効くという
ので日に百人近い参詣人があった。その水を汲んで浴場まで建てて一時
流行したが、二、三か月で人気が無くなった。五、六年前には松崎村の
天狗ヶ森という山の麓に清水が湧きだしているのを、附馬牛村の虎八爺
という老人が見つけ、これには黒蛇の霊験があると言いふらして大評判
をとった。この時も参詣人が日に百人を越えたという。


                             「遠野物語拾遺44」

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遠野にハヤリ神はいくつかあるが、初めの鍋割は今でも「鍋割の聖水」として知られ土渕の山神神社の境内にある。この地の歴史は意外に古く、平安時代には山伏の修行場であったと云い、弁慶も立寄ったという伝承も残る地だ。

この山神神社の近くを流れている川は琴畑渓流と呼ばれ、その上流部はマヨヒガの地でも有名であり、更に奥には白見山があり、その裏手には金糞平というタタラ跡もある事から、古代から開発された一つの道沿いに鍋割の地がある事になる。
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また次に登場するチタノカクチは屋号であって、所有者に聞くと「スタノカクヂ」と言うらしい。「スタ」は「下(シタ)」が訛ったもので「カクチ」は「画地」であるという。つまの「下画地」であり、建物の裏の意とされているようだが、普通は人がその土地に住み、建物はその後に建つものである。建物の裏手を下画地というのならば、この地だけでは無く、遠野中のあちこちに「下の画地」は存在する事となる。

思うに、今の所有者が何故にこの地に移り住んだかは、まず水ありきであると考える。画像の社の後ろは昔、深い森であったようだ。豊かな樹木が生い茂る地には水が付き纏う。画像には杉の根から湧き出す水の場所が写っているが、それは殆ど枯れている状況である。何故なら、社の裏の森の樹木を伐採し、牧草地にしてから水が減ったという事である。これから考えてみても、豊かな森と水がある為に、現在の土地の所有者は移り住んだのだろう。水道も無い時代、誰でも初めは水がある地に移り住むもの。

そして上の画像の社は「地の神様」として所有者が今でも崇めている事から考えても、始めに水の湧いている地に移り住み、水の涌く森の手前に社を建て、その下に建物を建てて住み着いたのだろう。それが「チタノカクチ」という屋号の語源となったのではなかろうか。

「遠野物語拾遺44」では突然水が湧いたという事であるが、これは再び湧き出したものと考えて良いだろう。牧場をする為に樹木を伐採すれば、水は枯れてしまうが、元々の水脈は残っているもの。それがある日突然に湧き始めた為、ハヤリ神になったものだと考えるのだ。
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天狗ヶ森は現在の表記では、天ヶ森となっている。ただ実は「天鼓森(テンコモリ))」ではないかという説がある。京都の下山田の東に天鼓森があり、その麓に小社があり、古い由来から、もしかしてこの天鼓森の信仰が遠野に伝えられたものの可能性があるという。

確かに、京都からもたらせた信仰は、かなり遠野に根付いているのが実情だ。遠野で評判のシシ踊りでさえ、京都へ行った者がシシ踊りらしきを観て感激し、見よう見真似で踊を覚え、遠野に伝えたという。

ところで画像のハヤリ神の祠は、かっての松崎沼の畔に建っている。その松崎沼と天ヶ森の反対側にある荒屋の沼とは繋がっているという伝承がある。その反対側の沼の御前の祠は早池峰山を向いており「遠野物語拾遺46」によれば、松崎のハヤリ神は早池峰大神と縁があるという事である。
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実は、松崎のハヤリ神の祠のすぐ傍に、上の画像の沼の御前の小さな祠がある。つまり、この松崎のハヤリ神と沼の御前は信仰の面で繋がっているのだろう。何故なら、早池峰大神は水神であり、この松崎から附馬牛にかけての水の信仰の大元は、早池峰山系から流れる水によるものであると信じられているからである。
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水のあるところ、豊かな森があるものである。そのような場所は、今でも水が流れているものであり、突如水が湧きあがるものではない。この「遠野物語拾遺44」に紹介されるハヤリ神とは、突如として水が湧き出た為に、その神秘性に触れる為人が集まったものと捉える事は出来る。しかしだチタノカクチのところで述べたが、人が移り住むのは水のある地に移り住むもの。また水は杉林ではなくブナなどの保水力がある広葉樹があっての水。現在、早池峰の麓にある又一の滝の上流部のブナなどを伐採し、杉を植林した為、水量が減ったと関係者も話している事から、水が減った枯れたは、人がその地に移り住み開拓によって、森が消失した場合が殆どの様だ。現在の、鍋割、チタマカクチ、天狗ヶ森のハヤリ神の祠の上方は、杉やエゾカラマツなどの針葉樹になっているのも、開拓・開発の表れである。

恐らく以前はコンコンと水が湧き出る地が開発によって水が枯れてしまったが、忘れた頃に突然水が湧き出した為に、その奇跡に触れようと人が集まったのだろう。現在、遠野の稲荷穴や二郷山の神社の水は、今でも水を汲みに来る人がいる事を考えると、美味しい水は飽きる事が無いのだ。つまりハヤリ神が途中で飽きて廃れたというより、水が枯れた為に人が来なくなったというのが真実ではなかろうか?水の霊験は、豊かな水があってこそだ。その水が無くなれば、人は来なくなるし、その水質を保つから、永続的に人は水を汲みに来る。恐らくハヤリ神とは、森林の開発による一喜一憂の出来事を綴っているのだろう。
by dostoev | 2012-05-05 19:13 | 「遠野物語拾遺考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺42(穢れ)」

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この地方で雨乞いをするには、六角牛山、石上山などの高山に登り千駄木を
焚いて祈るのが普通だが、また滝壺の中へ午の骨などを投げ込んで、その穢
れで雨神を誘う方法もある。

松崎村字駒木の妻ノ神の山中には小池があり、明神様を祀ってある。昔からこ
の池に悪戯をすると雨が降り、またその者にはよい事がないと言い伝えているが、
近所の某という者そんなことがあるものかと言って、池の中に馬の骨や木石の類
を投げ込んだ。するとこの男はその日のうちに気が狂って、行方不明になった。

村中の者が数日の間探し廻っても見附からなかったが、半年以上も過ぎて池の
周りの木の葉がすっかり落ちてしまうと、そこの大木の上にこの男が投げ上げら
れた様な格好で、う骨ばかりになって載っているのが発見せられたという。

                                「遠野物語拾遺42」

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【宝暦の飢饉時の遠野の話】

飢饉のあった宝暦四年、春から好天続きであったそうだが、田植えが終わってから七月までの間、まったく雨が降らなかったという。そこで困った民は相談した結果、御神水汚しの方策をとる事となったと。そこで一番神威の高い、早池峰山の麓にある又一の滝に、動物の死体を投げ込む事になったという。

それまで早池峰山一帯の水は汚された事が無かった為に、早池峰山の麓の総代達は、皆反対したというのだが、遠野一帯の百姓の生活を守る為にと説得されて承知したのだという。この時は、松崎村と綾織の総代が、皆を代表して早池峰神社を参拝した後に、その神聖な神水に、早池峰大神が嫌う、四足の犬と猫の死体を投げ入れた。それと共に、御伊勢様雨乞祭りが行われたと云う。宝暦4年、7月17日の事であった。

十九日の夕刻、珍しく小雨が降ってきたというのだが、それから五日目の二十三日の夕刻には、激しい雷雨と共に凄まじい豪雨が降ったのだと。そしてこの豪雨は止む事無く降り続け、今度は遠野全体の川が氾濫して田畑が全滅してしまったという。しかし、この豪雨も何故か早池峰を中心として遠野一帯だけであり、下流の田瀬の人々は上流からいろいろなものが流れてきたので、さては遠野が洪水に見舞われたと判断し心配していたのだそうな。つまり、早池峰を穢した雨乞いは、県内でも唯一遠野だけが被害になったという不思議な洪水であったそうである。

これから益々早池峰大神は死体を忌み嫌うとされ、火葬の煙さえも拒むと広まった。遠野南部も早池峰が開かれている季節の火葬を避け、わざわざ大迫まで死体を持って行き火葬をしたのだという。

ところで白という色は本来、忌々しい色であった。日本では神祭の衣か喪服以外には、白色の衣服を身につける事は無かった。ただし朝鮮では、白は太陽を現す色でもあり「しらじら明ける」という朝の様子は「白」が太陽をも現す色であったのを示しているのだろう。


ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは


在原業平の歌があるが、この解釈に定まったものは無い。ただ「くくる」とは、禊ぎと同じで「茅の輪くぐり」と同じで、禊ぎ祓いの神事ではあるが゜からくれないに水くくる…」とは、”くくり染め”という染色法があると同じで、血に染まった。つまり龍田川が穢されたとも解釈できないだろうか?白山に祀られている神に、イザナミと菊理姫がいる。どちらも死を匂わせると共に甦りをも匂わせる。古代日本語での純粋な色の名には4種類ある。


「アカ(明)」「アヲ(漠)」「クロ(暗)」そして「シロ(顕)」


古代の白色の概念は、白木のように、樹皮を剥いだ、素のままの状態の色をを白と呼んだらしい。「素」もまた素人と同じで「シロ」と同義だ。ところで写真の「骨」が供えられているのは、骨とは白木と同じ体を剥き出しにした状態でもある。

「古事記」において菊理姫が登場し「亦た白す事有り」と述べるが、これは「白事」だ。中国での「白事」とは葬式を表すというのも、「白」は古代中国で髑髏の形で、白骨化したものであり、つまり「しゃれこうべ」が「白」の語源という事だ。

白山が死と甦りを意味するならば「遠野物語拾遺42」において、午の骨を滝壺に入れて雨乞いをするというのは、本来浄化の意味でもある水で洗い流すという意味もあったのでは無いだろうか?そして白山神社の女神像に供えられている骨は、あたかも白木のように剥き出しとなったその身を捧げる事によって、その魂の甦りを現すものであり、穢れ祓いと蘇りが表裏一体となってのものなのだと考えてしまう。

つまり死ぬ事というのは黒不浄とも云われ、穢れを意味する。その穢れた骨なり死体を水に投げ込む事によって、穢れ祓いのシステムが作動し、浄化する為に雨を降らせるのではないだろうか?

また磯良神社に祀られている磯良神は磯良(シラ)とも読み、実は古代海人族である安曇氏系の産鉄集団が祀ったとも云われる。これが白山信仰と繋がっており、遠野の白山系も鉱山跡に祀られている場合がある。またタタラで火をおこす場合、火の火力を増す時に骨をくべたとの話もある。白骨は、信仰の対象でもあり、また実際に火力を増す為の秘術のものなのかもしれない。
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【平清水白山神社に祀られる女神像と獣の骨】

山ノ神は、恐ろしいという。そしてその中でも、遠野三山に鎮座する女神は恐ろしいものであると…。古来から、里山とは一線を画す高山は、畏怖されてきた。高山には魂が昇る為、死霊も棲むと思われてきたからかもしれない。その死霊の渦巻く高山に鎮座する女神は、恐ろしい存在であった。

例えば「遠野物語拾遺12」の話では、神に仕える巫女でさえ山神の怒りに触れて吹き飛ばされ「姥石」という石に変えられてしまった。この「姥石」と呼ばれるものは、遠野三山全てにある。つまり遠野の民にとって、遠野三山である早池峰山・石上山・六角牛山というものは、特別であったのだろう。ただ、石上山と六角牛の姥石は直接その山にあるのだが、附馬牛の小出の姥石の話、もしくはこの「遠野物語拾遺42」の場所は、直接早池峰山にはかからない話だ。ただし、共通するのはどちらもその後ろに早池峰山が聳えているという事だ。

この「遠野物語拾遺42」の冒頭に六角牛、石上山などの高山に登って千駄木を焚いて雨乞いをするとあるが、遠野三山でありながら何故か早池峰山という名は伏せている。つまり、この「遠野物語拾遺42」の山の祟り話は、当然残る早池峰山の仕業であると考えるべきだ。

つまりこの話から、遠野三山ではありながら、六角牛山と石上山よりも早池峰山の影響はかなり広範囲に広がっていると考えてよいものと思われる。

「…そこの大木の上にこの男が投げ上げられた様な格好で、う骨ばかりに
なって載っているのが発見せられたという。」



この記述は、姥石の話と同じで、突風によって飛ばされ投げ出されたものだと思う。実はこれと似たような話が二つほどある。それは「遠野物語拾遺119」と「遠野物語拾遺36」である。

上郷村字細越のあたりと思うが、トンノミという森の中に古池がある。
故伊能先生は、鳥海とあてるのだと言われ、よくの池の話をした。

ここも昔から人の行くことを禁ぜられた場所で、ことに池の傍らに行
ってはならなかった。これを信ぜぬ者が森の中に入って行ったところ
が、葦毛の駒に跨り衣冠を著けた貴人が奥から現れて、その男はた
ちまち森の外に投出された。

気がついて見れば、ずっと離れた田の中に打伏せになっていたという。
もう今ではそんなことも無くなったようである。  「遠野物語拾遺36」


土淵村の若者達が4人、5人、琴畑川へ木流しに行った時の事である。
不動ノ滝の傍らにある不動堂に泊まっていたが、夜嵐が烈しかったので、
堂の戸を堅く締切っておいたのに、夜明けになってみると、その中の一人
が堂の外に投げ出されたまま、前後不覚で熟睡をしていた。宵に締めた
戸はそのままであったから、これは神業であろうと言い合って恐れた。六、
七年前の冬の事である。                「遠野物語拾遺119」

「遠野物語拾遺36」では、聖域に侵入した男が外に投げ出された話である。そして、
その男の前に現れたのは葦毛の馬に乗った貴人だ。これは東禅寺の来迎石の話と
リンクする。

昔、無尽和尚が東禅寺の伽藍を建立しようとした時、境内に清い泉を欲しい
と思い、大きな丸型の石の上に登ってはるかに早池峰山の女神に祈願した。

ある夜に美しい女神が白馬に乗って、この石の上に現れ、無尽に霊水を与え
る事を諾して消え失せたと云う。               「遠野物語拾遺40」



つまり遠野地方では、葦毛の馬(白馬)に乗った貴人とは、早池峰大神を現すものだと考える。そして白馬は白山信仰にも繋がり、その白山の性格の一つとしてある穢れ祓いのものは、早池峰神社に祀られる瀬織津姫そのものだ。また「遠野物語拾遺119」は、一人の男だけが、外に放り出される。神業であろうと結んでいるが、その一人の男が何故放り出されたのかはわかっていない。ただし考えられるのは、何かの不浄を、その一人の男が起こしたのだと思う。何かの不浄を起こした為に、他の話と同様に放り出されたものと考える。

琴畑にある白滝神社、またの名を清滝神社といい、この神社に祀られる神は「土淵村誌」によると、早池峰大神である瀬織津姫となる。その後、この瀬織津姫は同じ土淵の倭文神社にこの白滝神社から持っていかれ、合祀されている。

本地垂迹によれば、瀬織津姫は十一面観音となるのだが、いつしか滝神さまと崇められ、不動明王が全国に広まった事も相まってか。ところで不動明王と水の結びつきは、不動明王を表わす梵字「カーンマン」に由来する。

カーン=不動心=岩
マン=柔軟心=水



不動明王の感得が行われる場が水流、滝、波、それに岩のある場が多いのは、この梵字からきている。元々滝神でもある早池峰大神にかぶさるように、後から不動明王が入り込んだので、本来の神は見え辛くなってしまった。琴畑の白滝神社も、不動明王を祀ってはいるが、本来は瀬織津姫の神社である。そして「遠野物語拾遺42」の地には現在、倶利伽羅不動が祀られている。側には滝があり、池がある。この倶利伽羅不動を祀る神社の御神体は滝そのものである。記述では明神を祀るとあるが、いつしかこの地も不動明王となったのは時代の流れでもあった。

しかし本来この地は、早池峰大神の息のかかる地であり、聖域でもあった筈だ。なのでこの地を侵犯し、聖なる水に馬の骨を投げ入れて祟りに遭遇し、やはり他の話と同じように飛ばされ放り投げられて、無残な死体となって発見されたのだろう。
by dostoev | 2010-12-06 17:49 | 「遠野物語拾遺考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺40(瀬織津比咩像)」

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昔無尽和尚が東禅寺の伽藍を建立しようとした時、境内に
清い泉を欲しいと思い、大きな丸型の石の上に登ってはる
かに早池峯山の神様に祈願をした。

ある夜美しい女神が白馬に乗じてこの石上に現れたまい、
無尽に霊泉を与えることを諾して消え失せた。

一説には和尚、その女神の姿を描いておこうと思い、馬の
耳を画き始めた時には既にその姿は消えてそこに無かった
ともいう。

来迎石と呼んでいるのはこの石のことであるが、また別に
この来迎石は、早池峯山の女神が無尽和尚の高徳に感じ、
この石の上に立たれて和尚の誦経に聴き入った処だとも伝
えている。

女神から授けられた泉は、奴の井とも開慶水とも言い、今
に湧き澄んでおり、この泉に人影がさせば大雨があると伝
えられ、井戸のかたわらに長柄の杓を立てておくのはその
為だという。

                        「遠野物語拾遺40」

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写真の像は、瀬織津姫を現す像となる。右手に剣を、左手に玉を持つ。この剣と玉で思い出すのが、宗像三女神の話だ。「古事記」においては、天照大神とスサノオの誓約の時、スサノオが十拳の剣を三つに折り、それを噛み砕き、息吹を吹いだ狭霧の中に化生したのが宗像三女神だった。それとは別に「日本書紀」第二の一書では、やはり天照大神とスサノオの誓約の際、天照大神は八尺瓊勾玉で宗像の三女神を化生させたとする話が伝わっている。実は、ここから妄想が入る。

スサノオと月読命は、同じ月の神では無かったのか?という事を考えてみた。スサノオは、イザナギの鼻から生まれ、海原を統治するようにと言われた。海原は海洋民族の地でもあり、誓約によって化生した宗像三女神の祀られる場所でもある。しかし、スサノオは根の国へ行きたいという。しかし根の国とは、その入口を黄泉の国と同じ黄泉平坂としている場合があるが、一般には根の国と黄泉の国は同じものと考えられている。しかし、六月晦の大祓の祝詞では、根の国は地下ではなく、海の彼方または海の底にある国としている。ならば、海原を統治しよと言われたまま統治すればよかったのではないだろうか?

また月読命が統治するのは、夜の国である。これを言い換えれば闇の国であり、日神信仰が推進されると、生きている人々は昼間に生活し、夜の闇は死人の世界ともなる。つまり、夜の国とは黄泉の国でもある。月読命とスサノオの重複は、互いに食の神である保食神とオオゲツヒメを殺しているという事である。何故「古事記」と「日本書紀」では、誓約の場面の違いと、食の神の殺害場面が違うのだろうか?

ここで比較神話で考えてみると、例えばローマ神話においても、月の女神はダイアナであるのだが、その裏には激しいヘカテという人格を持つ二面性を持つ神として月の女神は存在する。

写真の瀬織津姫は、天照の荒魂であるという。つまり太陽神もまた、二面性を持つ神であった。ならばと考えたのは、スサノオという存在は、月読命の荒魂では無かったのか?という事。同じ月の神であるならば、全ての事はしっくりくるのだ。三種の神器というものがあるが、この三つのうち、一番古くから神聖視されたのは勾玉である。この勾玉を作り祀ってきたのは、出雲であった。「出雲国造神賀詞」によると、出雲の三種の神宝は「玉・白馬・白鳥」であった。その中で、玉は出雲の第一の神宝であり「延喜式」では、赤水精、白水精、青石玉の三種を朝廷に献上したとある。この玉…所謂勾玉は、本来月の信仰からきているものだと推測する。

神道における、右手と左手を合わせるという儀式は、右手の「み」は「水」を現し、左手の「ひ」は「日、火」を現すのだという。つまり両手を合わせるというのは、日神と水の象徴でもある月神を合わせるという意味にもなる。「古事記」において、天照大神が岩戸に篭り、そこから出す為に他の神々は策略を練る。そこで神々は榊の木に八咫鏡と八尺瓊勾玉を取り付けて、白和幣と青和幣を取り垂らして祝詞をあげる…。つまり原初は、三種の神器では無く、鏡と勾玉だけであった。鏡は太陽であり、勾玉は月であった。また白和幣と青和幣は、太陽と月を現す色でもある。つまり太陽と月を合わせる信仰が古代から続いていたのがわかる。その月信仰を保持してきたのが古代出雲であったの
だろう。その出雲の大国主は八千矛神とも云われ、その后神は宗像三女神の多紀理毘売命である。「防人日記」の「西海道風土記」にはこうある…。

宗像大神天より降りまして埼門に居ましし時、青蕤玉を以って奥津宮の
表に置き、八尺瓊の紫玉を以って中津宮の表に置き、八咫鏡を以って
辺津宮の表に置き、この三表を以って神体の形と成す。



「日本書紀」の「景行紀」において、天皇を穴門の引島に奉迎し祝詞を奉上したという。


「八尺瓊の勾れるが如く、妙曲に御宇」


この意味は、勾玉が新月であってみれば、やがて望月となり、それが晦月となって消滅しようとも、再び新月とし現れる霊妙さのように、天皇の親政が長く巧みに続いて行く事を勾玉に託した祝詞だという。これから勾玉を第一の神宝とする出雲は、月神を信仰しており、宗像との深い交流がある事がわかる。

また出雲は銅剣を祀っていたのは、荒神谷から発掘された数多くの銅剣からわかる。大国主の別名が八千矛神である事が、その証明なのだろう。そしてスサノオが剣を折り、噛み砕いて、その息吹から宗像三女神が化生した事から、剣と勾玉の繋がりを強調するものなのだろう。

ところで八千矛神は、越の国の沼河比売と結ばれる。「日本書紀」の「神代紀」では「天渟名井」とあり、それは高天原にある「天眞名井」の事であり、本来は「天眞渟名井(あめのまぬなゐ)」が正しい名とされる。「ぬ」は「瓊」とされ赤玉の義であり「な」は助詞の「の」であり「玉の井」の意味であるという。これは最も清浄な水を称える聖なる井を意味し「まぬなゐ」は、その底に玉を沈めた井であるという。つまり八千矛の神が愛してしまった沼河比売とは「瓊の河の聖なる女神」という意味となる。

ここで「遠野物語拾遺40」に戻るが、女神から授かった泉を「奴の井(なの井)」と称しているが、実はこれは記載の間違いであり「ぬの井」が正しいのであろう。多分「ぬ」に対し、間違って狗奴国(くなこく)と同じように「ぬ」を「な」とあてたのでは無いだろうか?また別に「杖の井(またふりの井)」であるという説もあるが、杖を突いて泉が湧き出すという伝説は、空海にからむものが多く、後にその伝説などを重ねられた気がするがどうであろう?

話は「遠野物語拾遺40」から、かなり飛んでしまったようではあるが、この「遠野物語拾遺40」に登場する早池峰大神とは瀬織津姫の事ではあるが、この話でのキーワードは「女神・丸い石・白馬・井」となる。この「遠野物語拾遺40」の話に登場する、一つ一つのパーツを組み合わせると、出雲の大神となってしまう。瀬織津姫の像が示す、右手に剣、左手に玉を持つ形とは、いずれも出雲と繋がるものであり、その話を裏付ける物語が、この「遠野物語拾遺40」なのだろう。しかし、まだ不完全ではある。
by dostoev | 2010-12-06 15:01 | 「遠野物語拾遺考」40話~ | Comments(0)