遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」30話~( 12 )

「遠野物語拾遺39(鉱山への禁忌)」

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昔この早栃に、おべんという女があった。家のあたりの沢川で大根を洗って
いると、水の底にぴかぴかと光る物が沈んでいた。拾い上げて見ると、それ
は金であった。それではこの川のママを登って行けば必ず金山があろうと思
って、段々と水上の方に尋ねて行くと、果たして六黒見山という処に、思った
通りの金山があった。

ところが悪者があってその話を聞き、金山を自分一人の物にしようと巧らんで、
このおべんを殺してしまった。後に村の人がこの女の徳をたたえて、これを弁
天山として祀ることになった。今の弁天山が即ちそれである。男がこの山に登
れば必ず雨が降るという。     

                                「遠野物語拾遺39」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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「栗橋村郷土教育資料」には弁天沢金山に関して元文二年(1734年)の記録が残っている。ところが物語に登場している六黒見山と弁天山は、違う山になっている。それを証明するかのように弁天山から流れる川を小舟木川というが、六黒見山からは流れていない。ただ六黒見山からも金が採掘されている為に、あるいは全体を弁天山と言ったのかもしれない。

つまり、この「遠野物語拾遺39」の話は、弁天山と六黒見山さえ混同している不確かな物語ではあるが、外部から訪れる人間に対しての禁忌の物語となれば話は別だ。例えば「遠野物語拾遺123」の物見山の小豆平に登場する化け物の話など、大抵はその地へと人を行かせない為に作られた話が多い。現代と違い、昔は迷信話にはもっと現実味を感じた筈であるから。当然、化け物話などよりも現実の女の祟り話の方が、より一層真実味を持たせた筈だ。何故なら江戸時代というものは太平の世となり、怪談話という文化的余裕が生まれた時代でもあった。当然、怪談話での主役は、女の怨念話となる。古代での怨霊の大抵は、政権争いなどに貶められた人物であり、その殆どが男であった。女の大抵は、人間ではなく物の怪の類が女に化けてのものであったが、江戸時代には女が堂々と怨霊に変化している。

物語の内容も「男が登れば雨が降る」というのも、雨によって村の不利益になるという意思が見え隠れする。つまりそれは、表向きは鉱山ではなく田畑に影響し村人を追い詰める行為となるのだと、決して山には立ち入らぬ様にと旅人に対して禁忌を付与し、鉱山を護る為の物語ではなかったろうか。

例えば旅人が、この地に辿り着いたとして、各山々の名称などわからない。地元の人に聞くしかわからないのだ。もしもその旅人が六黒見山を目指しているのであれば、この祟りの話に加え「この沢を遡れば…。」と嘘も交える事によって二重の効果が期待できる。祟り話におじけついて、山を断念する者もいるかもしれない。しかし、諦めずに山を目指す者がいた場合は「沢を遡ると六黒見山へと辿り着く」という嘘を交えれば、まず六黒見山へと辿り着く事ができないからだ。そういう意味として考えた場合、この「遠野物語拾遺39」の地理的不整合さは合理的になってしまうのだ。
by dostoev | 2013-07-03 08:02 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺36(トンノミ)」

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上郷村字細越のあたりと思うが、トンノミという森の中に古池がある。故伊能
先生は、鳥海とあてるのだと言われ、よくの池の話をした。

ここも昔から人の行くことを禁ぜられた場所で、ことに池の傍らに行ってはな
らなかった。これを信ぜぬ者が森の中に入って行ったところが、葦毛の駒に跨
り衣冠を著けた貴人が奥から現れて、その男はたちまち森の外に投出された。

気がついて見れば、ずっと離れた田の中に打伏せになっていたという。もう今
ではそんなことも無くなったようである。 

                      「遠野物語拾遺36」

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このトンノミの記事は、過去にいくつか書いているが「遠野物語拾遺36」としては、何故か書いて無かった。とにかく伝説の内容は神域を侵した為に、外へと投げ出されたのだろう。これは「遠野物語拾遺119(神わざ)」と同じ事であったのだと考える。

ただ「遠野物語拾遺36」に書かれているようにトンノミは鳥海であるようで、「遠野市における館・城・屋敷跡調査報告書」によれば、このトンノミ池の少し離れた山手の場所には屋敷跡があり、その背後の古くは鳥海山と呼ばれる山に館跡である為、傍にある日出神社に伝わる「七つ森」の伝承と関係があるのかもしれない。又付け加えれば、鳥海山からは遠野三山が遠望でき、また手前の鋭ヶ森は早池峯の遥拝所である事からも、日出神社及び鳥海は、早池峯山との深い関係を思わせる。何故なら遠野における白馬に乗った貴人とは、早池峯の女神であり、このトンノミの池に伝わる伝承にも「旱天にも決して枯れる事の無い」という早池峯の開慶水と同じ伝承が伝わっている。そして早池峯山の登山道に点在する剣ヶ峰や御金蔵などの名称は、そのまま白山に点在する名称と同じ事から、早池峯に白山信仰が重なった為、この鳥海にも白山姫が祀られているのだと考える。
by dostoev | 2013-07-02 16:34 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺30(おせんヶ淵)」

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小友村字上鮎貝に、上鮎貝という家がある。この家全盛の頃の事という。
家におせんという下女がいた。おせんは毎日毎日後の山に往っていたが、
そのうちに還って来なくなった。この女にはまだ乳を飲む児があって、
母を慕うて泣くので、山の麓に連れて行って置くと、おりおり出ては乳
を飲ませた。それが何日かを過ぎて後は、子供を連れて行っても出なく
なった。そうして遠くの方から、おれは蛇体になったから、いくら自分
の生んだ児でも、人間を見ると食いたくなる。もはや二度とここへは連
れて来るなと言った。そうして乳飲児ももう行きたがらなくなった。

それから二十日ばかりすると、大雨風があって洪水が出た。上鮎貝の家
は本屋と小屋との間が川になってしまった。その時おせんはその出水に
乗って、蛇体となって小友川に流れ出て、氷口の淵で元の女の姿になっ
て見せたが、たちまちまた水の底に沈んでしまったそうである。

それからその淵をおせんが淵といい、おせんの入った山をば蛇洞という。
上鮎貝の家の今の主人を浅倉源次郎という。蛇洞には今なお小沼が残っ
ている位だから、そう古い時代の話では無かろうとは、同じ村の松田新
五郎氏の談である。

                             「遠野物語拾遺30」

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この「おせんヶ淵」はまるで「竜の子太郎」のフロローグみたいな話である。「竜の子太郎」は、日本各地の民話組み合わせて作られた民話であるというが、小太郎の両親の設定は、父が白龍で母は蛟であるという。この「遠野物語拾遺30」には父親が登場せず、記述からどうも父無し子である雰囲気は伝わる。つまり母親のおせんは一人で子供を身籠り生んだのか、もしくは「竜の子太郎」の設定と同じく、初めから龍同士で交わり生れた子を人間として育てていたのかもしれない。

ところで全国の神社仏閣には、龍に関する伝説が数多くあり、やはり牡龍と牝龍との結び付きから、牡龍が去って行き、牝龍だけが残る話が多い。牝龍の大抵は、角の無い龍で蛟(ミズチ)であり、その蛟は別に「水霊(ミズチ)」とも書き表す。このミズチの形は宗像三女神が祀られている厳島神社において、平家納経の金銅製経箱、銀製の雲を吹き出し、前足に宝珠を持つ金の牝龍として浮き彫りにされている。それを「螭竜」もしくは「蛟竜」と書き記す。その螭竜が海の藍を示す藍地に黄色の螭竜紋とされ平家の守護となっていたようだ。それと同じものが琵琶湖の竹生島の都久夫須麻神社の神紋となっているのは、やはり同じ信仰が伝わってのものだろう。また那智の滝における飛竜権現や清滝権現を図像で表した場合は観音であり女神の手には、常に青い宝珠を持っているのは、牝竜であるミヅチが観音や女神の姿で表現されている為だ。そして手にする青い宝珠は、そのまま水を意味している。つまり、それら全てを称して水神であり、その信仰に基づいて竜などの昔話が誕生しているようだ。
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おせんが蛟だとして、小友には古くから蛟を祀る神社がある。それは厳龍神社だ。御神体の不動岩の根元から湧き出る水は神水と云われ、岩にに刻まれている蛇腹の痕は、蛟(ミズチ)が昇降した痕であるという。そう氷口も含め小友の信仰の中心は、この厳龍神社となる。

ところで"おせん"という名前から想像するのは「千と千尋の神隠し」という宮崎アニメがある。千と呼ばれる千尋は、白竜となるハクと日々を過ごす。最後は別れてしまうのだが、宮崎駿にも、牡龍と牝竜の伝説を元に「千と千尋の神隠し」を制作したのであろう。千尋が千(せん)と呼ばれるのは、どうもこの「遠野物語拾遺30」に登場する蛇体となった"おせん"を思い出してしまうのだ。
by dostoev | 2013-02-14 18:49 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺33(鮫の参詣)」

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橋野の沢の不動の祭りは、旧暦六月二十八日を中にして、年によって二月祭と
三月祭の、なかなか盛んなる祭であった。

この日には昔から、たとえ三粒でも必ず雨が降るといっていた。そのわけは
昔この社の祭の前日に、海から橋野川を遡って、一尾の鮫が参詣に来て不動
が滝の滝壺に入ったところが、祭日に余りに天気がよくて川水が乾いた為に、
水不足して海に帰れなくなり、わざわざ天から雨を降らせてもらって、水かさ
を増させて帰って往った。

その由来があるので、今なおいつの年の祭にも、必ず降ることになっていると
いい、この日には村人は畏れつつしんで、水浴は勿論、川の水さえ汲まぬ習慣
がある。

昔この禁を犯して水浴をした者があったところ、それまで連日の晴天であった
のが、にわかに大雨となり、大洪水がして田畑はいうに及ばず人家までも流さ
れた者が多かった。わけても禁を破った者は、家を流され、人も皆溺れて死ん
だと伝えられている。

                           「遠野物語拾遺33」

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岩手県の景観賞も受賞している、瀧澤神社。岩盤の上に建立された本殿と、その下に広がる淵。その淵に水を注ぎ込む滝がある美しい景観の神社だ。里宮は橋野の集落にあるが、この画像の場所は瀧澤神社の奥の院となり、鮫が参詣に来たと伝えられる場所になる。
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又、此の川上に石神あり、名を世田姫(または與止日女)といふ。海の神、
鰐魚と謂ふ 年常に、流れに逆ひて潜り上り、此の神の所に到るに、海の
底の小魚多に相従ふ。或は、人、其の魚を畏めば殃なく、或は、人、捕り
食へば死ぬることあり。凡て、此の魚等、二三日住まり、還りて海に入る。

                         「肥前國風土記(抜粋)」
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瀧澤神社の境内にある注連縄を張った石について別当に聞くと、竜神の石であるという。この「遠野物語拾遺33」に伝えられる伝説の古くは「肥前國風土記」から来ているのだろう。その影響を受けたのか、はたまたその信仰を持ち込んだ人間によって、この地に据え付けられたのかは不明だが、 共通する信仰はある筈だ。
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瀧澤神社の里宮には不動尊の額が飾られ、今では不動明王を祀る社のようではあるが、伝えられる伝説の内容の後半は、禁を犯す事によって天罰が与えられるというものは、神の業となる。不動明王には、そういうものは存在しないのだ。つまり、不動明王は後に祀られたものである事が理解できる。
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各風土記に荒ぶる女神の伝承が紹介されているのだが、人に対し祟りを成す存在の殆どが女神である。恐らく瀧澤神社に祀られる竜神の石とは女神の事であり、それを崇敬する鮫を含める水に棲むモノたち、水の神を信仰する人々にとっての聖域、神域が、この瀧澤神社の奥宮であろう。
by dostoev | 2012-09-06 07:51 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺31(水辺の伝承)」

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前にいう松崎沼の傍らには大きな石があった。その石の上へ
時々女が現れ、また沼の中では機を織るひの音がしたという
話であるが、今はどうかしらぬ。

元禄頃のことらしくいうが、時の殿様に松川姫という美しい
姫君があった。年頃になってから軽い咳の出る病気で、とか
くふさいでばかりいられたが、ある時突然とこの沼を見に行
きたいと言われる。家来や侍女らが幾ら止めても聴入れずに、
駕籠に乗ってこの沼の岸に来て、笑みを含みつつ立って見て
おられたが、いきなり水の中に沈んでしまった。

そうして駕籠の中には蛇の鱗を残して行ったとも物語られる。
ただし同じ松川姫の入水したという沼は他にも二、三か所も
あるようである。

                 「遠野物語拾遺31話」
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詳細は「松川姫の怪」を読んでいただきたいが、冒頭に大きな石があり、その石の上に女が現われたとあるが、似たような話に「遠野物語拾遺29(お鍋が淵)」がある。非業の死を遂げた女が死んで尚、現世に現れる伝承というものの根底には、それを風化させない人々の意識があったのだろう。

また機を織る音がしたというものは、七夕の織姫が川辺で機を織る様に、似たような話が全国に広がりを見せる。遠野の来内に鎮座する伊豆神社には拓殖夫人が来て、機織りを伝えた伝承が残る。「遠野物語拾遺34」に紹介される閉伊川の腹帯ノ淵の異伝にも機織りの音がし、女が機を織っていた伝承が残る。ところが、松崎沼にも、伊豆神社にも、そして腹帯ノ淵にも蛇の伝承が残るのは、機織りと龍蛇神が繋がっているものと考えて良いだろう。そこには竜宮の伝説と結びつき、山中にも川の中にも、竜宮が存在し、そこから出入りした女が目撃されたという伝承になるのだと思う。

また文中に「元禄頃…。」とあるが、松川姫の異伝では時の殿様は南部弥六郎である南部利剛であったようだ。南部利剛の生誕は文政9年(1826年)12月28日であるから、元禄年間(1688年~1704年)であるから、100年以上の開きがある。この辺が、口承伝承の曖昧さを伝えるものか。

この松川姫は後に弁財天と習合されたとあるが、祭日は5月15日となる。この日は、水天の縁日で、水天は十二天・八方天の一つであり、水を司り、旱天・洪水の難を守るという竜神である。また、京都の下鴨神社・上賀茂神社の例祭と同じである為、水に結び付けての祭日としたのだろう。
by dostoev | 2012-09-05 08:05 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(5)

「遠野物語拾遺32(田村麻呂伝説)」

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橋野の中村という処にも昔大きな沼があった。その沼に蛇がいて、村の人を
取って食ってならなかった。村ではそれをどうともすることが出来ないでいる
と、田村麻呂将軍は里人を憐れに思って、来て退治をしてくれた。

後の祟りを畏れてその屍を里人たちは祠を建てて祀った。それが今の熊野神社
である。

社の前の古杉の木に、その大蛇の頭を木の面に彫って懸けておく習わしがあっ
た。社の前の川を太刀洗川というのは、田村麻呂が大蛇を斬った太刀を、ここ
に来て洗ったからである。

                      「遠野物語拾遺32」

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岩手県内に溢れかえる田村麻呂伝説が、この橋野にも漂流している。御存じの通り、田村麻呂は蝦夷征伐のヒーローとして扱われるが、実は東北地方にとっては征服者であったわけだ。その征服者がヒーローに祭り上げられているのは、勝利者による歴史の編纂が行われた事を意味する。これを逆説的に考えれば、勝利者である朝廷側にとって隠すべきものがあると考えても良いのではないだろうか?それかまた、都市伝説の流布と同じように、流行に乗り挙って伝説に名乗ったかのどちらかであろう。ただ、この熊野神社の宮司は田村氏といい、この熊野神社自体が田村家が、天文三年(1534年)に勧請したものだという。
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物語に多く登場する大蛇は、しばしば洪水に見立てられる。頻繁に氾濫する川は、暴れ川、もしくは暴れ竜とも称されるからだ。太刀を洗ったという太刀洗川とは、熊野神社の前を流れる能舟木川の事をいうが、別に洗川とも祓川とも云う。遠野の早池峰神社前の川も祓川と云う事から、この川でも禊の神事が行われたのかもしれない。

ところで熊野神社の鎮座地を御山と呼び、熊野神社と称したのだという。つまり熊野神社勧請年代は1534年であるが、それ以前は、山そのものが熊野神社として祀られていたのだろう。現代においても、熊野神社の例祭を御山祭と呼んでいるのは、その名残であろう。御山とは「おやま、みやま」とも読む。「みやま」は山に対する尊称となるが「みやま」は別に「深山」でもあって、それは「新山」でもある。
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社の前の古杉の木に、その大蛇の頭を木の面に彫って懸けておく習わしがあったとあるが、マタギの風習に熊の頭を家の軒先に掲げ、魔除けとした例もある事から、それはやはり魔除けであり、厄除けであろう。大蛇が洪水を意味するのなら、その大蛇を倒したという証を、同族に見せる事によって厄除けとしたのではないか?それともう一つ考えられるのは、古代に似通ったものに"蘇民将来"がある。この蘇民将来、一説には「出雲神を祀らぬ家の者は殺された…。」というものがある。奇しくも岩手県には蘇民祭が多く存在する。以前は、この中村という地と橋野などを含めて栗橋村と言ったのだが、その歴史を調べると熊野信仰を持ち込んだ人々が開拓した地でもあったようだ。これはあくまでも妄想だが、熊野神社を勧請し、その証として大蛇の頭を模したものを掲げるとは、もしかして同族に知らしめる為では無かったのだろうか?古代から戦地となった蝦夷の地は、戦ごとに帰還せずに住み着いた人々が多かったそうだ。つまり、戦ごとに、かなりの種族が住み着いたのも、蝦夷の地であった。その同族、同郷の者に対するサインとしての習俗の可能性もあるのかもしれない。
by dostoev | 2012-05-26 18:13 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺37(極楽浄土)」

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綾織から小友に越える小友峠には祠が祀ってあるが、この辺りの沢には稀
に人目に見える沼があるという。その沼には、海川に棲む魚の種類はすべ
ていると伝えられている。もしこの沼を見た者があれば、それが元になっ
て病んで死ぬそうである。


                                「遠野物語拾遺37」

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「遠野物語拾遺165」と重複してしまうが、二郷山は山中他界である。もう一度、綾織の古老から聞いた、この話の別バージョンを紹介しよう。



「遠野物語拾遺37(別バージョン)」

麓の里の某は、これほどの有名な山なのに登山しないとは勿体無いと、登山
道を開拓しようと、家の者の止めるのもきかずに二郷山に入った。

山腹で昼食を取りし後、飲み水を求めて沢に下り行く途中、思いがけなくも
直径5、6尺ばかりの壺を埋めたような小池を発見した。

池の底には小豆粒ほどの白石が敷きつめられており、清涼な水は何処から湧
いて何処へ流れ流れているのか疑問に思った。その池の水は水晶の如く澄み
きり、その中に青、白、赤、黒、黄などの魚が泳いでいたと云う。

某は、魂を抜かれるほどに立ち竦みその池を見つめていたが、明日には友達
を誘って、この魚を獲り、自分の池に放してしまおうと、手頃の柴を目印に
立てて帰ったのだと。

翌日、友人ら2、3人を誘って二郷山に登ったと。しかし目印の柴はあった
が、小池も五色の魚もかき消すように失せていたと云う。何度も探したがつ
いには叶わず落胆しているところに山の頂上より金床の如くの雷雲が現れ、
たちまち里の上空いっぱいにその雷雲が広がったと思ったら、激しい稲妻が
走り始めたので、恐ろしくなって一目散に山を降りて家路に帰ったそうな。

某は、家に帰るや体がだるくなり、熱も上がってしまったと云う。それ以来
体調が優れず、その年のうちに死んでしまったと伝えられている。

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とにかく「遠野物語拾遺37」では「海川に棲む魚」とあるが、綾織の古老から聞いた別バージョンでは「青、白、赤、黒、黄などの魚」と表現されている。

例えば「遠野物語拾遺187(貉堂)」は別に「聴耳草紙(貉堂)」に、その内容が詳しく載っているが、貉が見せる景色は極楽の絵図であった。画像は彩雲だが、仏教では「五色の彩雲」と呼ばれ、西方極楽浄土から阿弥陀如来が菩薩を随えて、五色の雲に載ってやってくる来迎図などにも描かれており、瑞相であるとされている。つまり、極楽浄土は、この世のものとは思えない美しさに彩られていると信じられていたようだ。この極楽浄土の景色に相対するのが、地獄の景色となる。例えば、恐山が地獄とも云われるのは、温かみの無い色合いの殺伐とした景色に地獄のイメージが重なった為だ。極彩色の仏像などもある事から、色とりどりのものが散りばめられた場所が極楽浄土のイメージがあるのだろう。

恐らく、この「遠野物語拾遺37」での稀に見える不思議な沼の意図するものは、極楽浄土を表したものであると考える。それ故に、現実に聳える二郷山の別の姿である山中他界に足を踏み入れ、その姿を見た者は境界侵犯となり、その魂を他界に飲み込まれたのだろうと考える。
by dostoev | 2012-01-19 10:49 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(8)

「遠野物語拾遺35(縁結び)其の三」

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倉堀神社の本来の別当は倉堀さんであるが、今では地域の人達に管理を任せている状況である。倉堀家では先々代が婿を取った為、そこから過去の歴史が空白になっている。ただ家紋は松紋である為、讃岐の流れを汲むのかとも思えるが、親戚筋にあたる宮家との結び付きが不明な為、正直わからないのが現状だ。ただし讃岐の綾氏との結び付きがあるのならば、秦氏との関係も見出せる。

「古事記」の編纂に携わった太安万侶は多氏であり、秦氏と密接な繋がりがあった。2世紀末から出雲神信仰が広まり、それぞれの地に合わせて神を創り広めたよう。そのため8世紀に記紀神話を創る段になり、整合性が取れなくなった。それで神話に登場しない素性の判らぬ神々がたくさん残ったのは、単に創り過ぎただけと云われる。

この倉堀神社に於いて祀られる水神は水波能売命。「古事記」の神産みの段において、カグツチを生んで陰部を火傷し苦しんでいたイザナミがした尿から、和久産巣日神と共に生まれたとされる。「日本書紀」の第二の一書では、イザナミが死ぬ間際に埴山媛神と罔象女神を生んだとし、埴山媛神と軻遇突智の間に稚産霊が生まれたとしている。

他にも闇龗神や高龗神等々の水神が生まれ、水神のオンパレードだ。これ程水神が生まれて良いのだろうか?やはり記紀編纂時に、素性のわからぬ神を沢山創ったのは真実であると思う。
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秦氏の祀る神社に祭神秦河勝の大避神社があるが、本来はしんにょうが無い避であって意味は「極刑」であると云われる。先に書いたように秦河勝は、「河に勝つ」だ。つまり治水工事のプロであり、当然水神をも抑えていた。その秦河勝の祀る神社に「極刑」は無いだろうと思うが、これは何も「秦河勝」を極刑にするのではなく、水を極刑…水神を極刑にした意味であろうと考える。実は、秋田の鳥海山に関する文書があり、そこには大物忌と八十禍津日神が同一視されている。また、広瀬大忌神と大物忌も同一視している文書がある。

「日本災害史」を読むと作者は「かっては桂川の河神に対する祭祀が存在し、それが広隆寺や大酒神社によって解体・変容され、現在の牛祭りとして定着したのではないか。」と述べている。奇祭と呼ばれる牛祭りにおいての麻多羅神が牛に逆に乗っているのは、一つの呪術であると思う。牛の角は三日月にも見立てられ牛そのものも水神の使いとして見立てられる。つまり、水神の使いである牛に反対に乗るという事は、単純に水神を変容したとも解釈できるのだ。

秦氏は治水の高い技術から川を制圧したと共に、水神をも制圧したのではないかと考える。その制圧した水神を卑下し貶めた可能性は、大避神社に見出されるように…いや古代中国が邪馬台国の巫女を"卑弥呼"と別称で呼んだように、渡来人である秦氏は征服した水神を貶め卑下した可能性があったのではと考えている。それが穢れによって生まれた水神である八十禍津日神であり、別名瀬織津比咩であろうと考える。
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神社に手を合わせるのは、左手の「火(ひ)」と、右手の「水(み)」を合わせるという意味になる。つまり古来から火と水を合わせてきた信仰があり、それは今でも続いている。また古来からの神社では、彦神と姫神を祀るのが普通であったのは、そこに万物の生成があるからだ。当然の事ながら神としての男は、陰陽五行においては「陽」を司り、それは「火」で表される。そして女は「陰」を司り、「水」で表される。つまり火の神である彦神と水の神である姫神の結び付きによって万物は巡回していた。

ところが先に記したように「古事記」や「日本書紀」において、多くの意味を成さない神々が作り出されて混沌とした。それは「火」であり「日」でもある太陽神が天照大神が姫神とされてからの混沌であったのだろう。本来は火の神である天照大神と、水の神であった瀬織津比咩の陰陽の結び付きが中心であった神々であったのだと思う。それが姫神である水神が多発した事により、姫神は怒り、荒ぶる神に変貌した。この事については各風土記によって説明したいのだが、ここでは省く事とする。

ところで阿蘇神社の神事に「御前迎え」というものがあり、そこでは松明を掲げて水神である姫神を迎える。阿蘇神社の今では「火振り神事」と呼ばれるものが有名だが、これは途中から作られたもので、本来は松明の火で静かに御前を迎えるというものだったようだ。また熊野の那智での神事には、那智大社七月十四日の扇会式例祭…つまり「扇祭」と呼ばれ親しまれる儀式において、那智の滝に対して火を掲げ那智の滝を火で囲む神事が行われている。つまり、これらも水神である姫神を迎えるにあたり、男神の証である「火」を掲げるのだと感じる。そしてそれは神婚でもあった。火と水の結び付によって万物が生成する。それを具現化する為に、阿蘇神社でも熊野那智においても火を掲げて結びつかせる。
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当初に書いたように、卯子酉神社に足りないものは「火」であった、「火」は「日」であり「陽」とも表し、その色は「赤」であり「血」をも意味する。恐らく卯子酉神社においての赤い布切れを掲げるのは、阿蘇神社や熊野那智と同じように火を掲げると同じ意味…つまり「神婚」「聖婚」を意味しており、結ばれる事により万物が生成する…「願いが叶う」という事だろう。
by dostoev | 2011-12-17 08:01 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(5)

「遠野物語拾遺35(縁結び)其の二」

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余りにも縁結びで有名になった卯子酉神社であるが、遠野で縁結びの神として有名だったのは多賀神社であり、卯子酉神社はそれほど有名では無かったらしい。ただ、何故に多賀神社が縁結びの神社なのかは定かで無い。

実は「遠野物語拾遺138」を読んでもらうとわかるのだが「…その頃はこの鶯崎に二戸、愛宕山に一戸、その他若干の穴居の人がいたばかりであったともいっている。」という記述があるが、確かに昔は川の水量が豊富で大河が重なり、水が常に氾濫していたようだ。その為に現在遠野市民が住んでいる遠野駅を中心とする周辺はまだ人は住んでいなかった。

卯子酉神社のすぐ傍に、愛宕山と呼ばれる小高い山に愛宕神社があるのだが、その神社の脇には縄文の遺跡が発掘されており、古代は猿ヶ石川沿いの小高い山や岡のような場所で、人々は暮らしていたのは、発掘された縄文遺跡から理解ができる。

問題は、人がいてこその"縁結び"であるのだと考えても、以前は人が住んでいない場所に、卯子酉神社が建立されたのは何故かという事。
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昔、天明年間の頃、栃内部落に大蛇がいたそうな。その大蛇は家畜や農作物を
荒らして、部落の人々は困っていたそうである。部落の人々はどうしたものかと
途方にくれていたが、そこに一人の和尚が現れたのだと。

和尚は、わたしが退治してあげようと言って、大きな樽に酒を造って大蛇が来る
のを待っていたのだと。夜になって、その大蛇が酒の匂いにひかれて寄って来、
その大樽の酒を飲み出し、やがて酔い潰れて、寝息を立てて寝てしまったとこ
ろを、その和尚が退治したのだと云う。

この退治された大蛇の頭はその後岩に変わって「舌出岩」と呼ばれ、今でも大き
な口から舌を出しているのだと云う。

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同じ遠野の小烏瀬川には、上記のような伝説が残っている。やはり小烏瀬川も氾濫の歴史があったようで、それに伴って作られた伝説では無いかと感じている。まあ話は、スサノヲのヤマタノオロチ退治に似ているのは御愛嬌(^^;

ところでこの舌出岩から「水波大明神」を祀る大樽地域にかけて、小烏瀬川は大きくカーブしており、やはり頻繁に川が氾濫したという。この頻繁に暴れた小烏瀬川の頭と尻尾の箇所に龍蛇神を祀っているのは、その暴れた川の全体像だと思って欲しい。つまり頭と尻尾を押さえて祀ったと解釈する。尚、水波大明神とは「水波能売命」となる。つまり、卯子酉神社や猿ヶ石川沿いの松原に祀られた水神と同じとなる。その大樽に祀られた水波能売命の神社には、龍の像が建っている。
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また、仙人峠を源流とする早瀬川の始まりには観音洞という岩窟があり、坂上田村麻呂が遠野の蝦夷を征伐した後に、十一面観音を祀ったとされる。そしてその早瀬川には白幡神社という謎の神社が、三か所に渡って祀られていたのも、早瀬川を意識しての神社であった。その白幡神社は一つだけが残り、今では早瀬川から離れた、遠野消防署の入り口脇に鎮座している。つまり川ごとに、その川を祀る神社が建立されていた。
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ところで風水の理想の地としては、北に高い山が聳え、その麓から流れる川が西に流れるのが理想とされている。これを遠野盆地に当て嵌めてみると、北には遠野で一番高い早池峰が聳え、その麓から流れる猿ヶ石川は西へと流れ行き、北上川と合流する。

また、遠野盆地を取り囲む山の殆どが水源を有している。古来から水場には龍が存在すると云われているのだが、その龍が無数に発生し、龍穴であろう遠野盆地に帰結する。そして北に聳える早池峰、西に聳える石上山、東に聳える六角牛山、南に聳える物見山全てが霊山として鎮座している。つまり北は玄武、西は白虎、東は青竜、南は朱雀と四神に囲まれているのが遠野だ。風水的な地形に於いて、まさに遠野は絶好の力の源なのである。

その遠野で一番大きな猿ヶ石川は早池峰の麓から始まるのだが、その猿ヶ石川の初めに鎮座する神社は早池峰神社であり、水神である龍を祀る神社と言ってもよい。それでは、その尻尾はどこかというと、恐らく愛宕山の麓であり倉堀神社を祀った場所ではないかと思う。それは何故かというと、愛宕山の麓には様々な石碑が建てられている。石碑を建てる場所というのは大抵町外れで、外部からの悪神の侵入などを拒む為に建てられているのが普通だ。また石碑の中に「西国巡礼塔」が建っている事から、この愛宕山の麓から遠野の人々は旅立ったという事。つまり西の外れが愛宕山であったのだと考える。何故なら、遠野盆地を駆け巡る小烏瀬川、早瀬川、来内川、そして猿ヶ石川が一本にまとまって流れる場所が愛宕の麓でもある。それはつまり、早池峰の麓から愛宕山の麓まで続く猿ヶ石川という一匹の竜だけでなく、早池峰の麓を暴れまわる竜どもが一ヶ所に集約されたのが愛宕の麓であったのだ。
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現代となり、川は人為的にある程度抑える事が出来ているが、日本全国のどの河川でも「暴れ川」という名称を持っていた川が多数あるのは、やはり治水の技術がおぼつかなかった為の様。思うに、龍蛇神を祀る神社や寺が多いのも、川の氾濫が多かった歴史があるのだろう。

「遠野物語拾遺25&26」においても「川の主」に対して願を掛ける場合も、漫画「鋼の錬金術師」じゃないが「等価交換」が必要だった。ノーリスクで願いを叶えてくれる程、昔の神様は優しくなかった。縁結びに関しても、個人の一つの願いである為に当然リスクは伴うもの。恐らく、現在"赤い布切れ"の代わりに血を流したのでは無いか?とも感じている。
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画像は昭和50年頃の卯子酉神社の写真だが、その後の観光ブームに相まって沢山飾られるようになった"赤い布切れ"は、この時代に殆ど見られない。賽銭を投げ入れて「チャリ~ン!」という金属の音色で神を呼出し、そこで願いに対する"等価交換"が成されたような気がする。願うという事は、一つの呪術であるから、そんなに綺麗なものでは無かった気がするのだが…。
by dostoev | 2011-12-13 05:30 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺35(縁結び)其の一」

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遠野の町の愛宕山の下に、卯子酉様の祠がある。その傍の小池には片葉の
蘆を生ずる。昔はここが大きな淵であって、その淵の主に願を掛けると、
不思議に男女の縁が結ばれた。また信心の者には、時々淵の主が姿を見せ
たともいっている。

                               「遠野物語拾遺35」

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余りにも縁結びで有名になった卯子酉神社であるが、遠野で縁結びの神として有名だったのは多賀神社であり、卯子酉神社はそれほど有名では無かったらしい。ただ、何故に多賀神社が縁結びの神社なのかは定かで無い。

実は「遠野物語拾遺138」を読んでもらうとわかるのだが「…その頃はこの鶯崎に二戸、愛宕山に一戸、その他若干の穴居の人がいたばかりであったともいっている。」という記述があるが、確かに昔は川の水量が豊富で大河が重なり、水が常に氾濫していたようだ。その為に現在遠野市民が住んでいる遠野駅を中心とする周辺はまだ人は住んでいなかった。

卯子酉神社のすぐ傍に、愛宕山と呼ばれる小高い山に愛宕神社があるのだが、その神社の脇には縄文の遺跡が発掘されており、古代は猿ヶ石川沿いの小高い山や岡のような場所で、人々は暮らしていたのは、発掘された縄文遺跡から理解ができる。

問題は、人がいてこその"縁結び"であるのだと考えても、以前は人が住んでいない場所に、卯子酉神社が建立されたのは何故かという事。
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実は、この地に初めて建立されたのは倉堀神社であって、後に卯子酉の御霊が合祀されたという事。卯子酉神社の境内を見ると、大きめの卯子酉様を祀る社の脇に、ひっそりと大元である倉堀神社の社と水神の碑に加え、卯子酉の社の上に「水神」の額が飾ってある。
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そして、もう一度「遠野物語拾遺35」を読むと「…その淵の主に願を掛けると、不思議に男女の縁が結ばれた。また信心の者には、時々淵の主が姿を見せたともいっている。」と書かれている。つまりだ、後に合祀された卯子酉神では無くて、元々倉堀神社に祀られていた水神が縁を結んでいたというのがわかる。
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卯子酉神社は文久年間に、普代村に鎮座する鵜鳥神社の御霊を勧請したものだった。その普代村に祀られている祭神は三柱の神であり、鵜草葺不合命、玉依姫、海神命であるという。

しかし卯子酉神社の御神体は、画像の文殊菩薩、千手観音、不動明王となっている。これは十二支の「卯」「子」「酉」が各々「文殊菩薩」「千手観音」「不動明王」に対応している為だ。その後に、住吉大神、大国主命、大鷲大神に変更されたとあるが、何故かそれは確認できていない。ただ大元の普代村の鵜鳥神社での縁結びの発祥はどうも、源義経の想いがかかった杉の木から発生している模様。鵜鳥神社の創建も定かでは無いのだが、坂上田村麻呂であったり源義経するのだが、本来は"縁結び"とは関係無い神社であったようだ。
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ところで卯・子・酉は、陰陽五行でも大きな意味がある。卯は木が最も盛んに時で、子は水が最も盛んになる時。そして酉は、金が最も盛んになる時。足りないのは、土と火になるが、五行循環においては常に土は、中心になるので足りないのは「火」となる。その火は、色で示すと「赤」で表される。ただ火は血をも意味するので、卯子酉神社で赤い布切れを結びつけるのは、その足りない「赤」である火であり、血を補う行為だとも考えられる。
by dostoev | 2011-12-05 07:14 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(0)