遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語拾遺考」10話~( 10 )

「遠野物語拾遺12(姥石)」

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同じ村の字砂子沢では、姥石といふ石が石神山の裾野に立って居る。
昔一人の巫女が、この山たとえ女人禁制なればとて、我は神をさがす
者だからさしつかえが無いといって、牛に乗って石神山に登って行った。
すると俄かに大雨風が起こり、それに吹き飛ばされて落ちてこの石と
なった。その傍らには牛石という石もあるのである。

                   「遠野物語拾遺12」

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石神山は現在、石上山と表記される。その登山道の途中、杉林に差し掛かると、この姥石がある。「遠野物語拾遺12」では"姥石"となっているが、何故かここでは"婆石"となっている。恐らく「綾織村郷土誌」に「姥石(ばあいし)」と、ふりがなが付いている事から、そのふりがなに合わせて「婆石」という表示になったのではなかろうか。ただ婆石となると附馬牛町小出に「婆石」というバス停があり、その傍に婆石という小さな石があり、やはり似たような伝承が伝えられる。また、六角牛山にも同じような石が伝わる事から、遠野三山という高山に対し、女人禁制が敷かれたと思って良いのだろう。
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綾織町には、綾織三山というものがある。それは「二郷山・桧沢山・笠通山」であるという。それでは石上山はというと、石上山は別格であるという。里山であり神奈備としての霊山である三山が存在し、それとは別に畏怖される高山として石上山が存在していたのだろう。里山は、里の民もしばしば登るが、高山は畏怖されてきた存在の為、山伏以外はめったに登る事は無かったであろう。
f0075075_19244260.jpg

全国に、女人禁制の山は数多くあったが、その理由として山伏が山を占領した為、巫女などが山から追われたという説に加え、女性を守る為という説もある。山には、多くの魔物が棲んでいるものと信じられてきた時代は長い。その魔物に犯されれば、女性は魔物の子供を産むと信じられていた。DNAがどうのこうのと解明されたのは、つい最近の事であった。国もそうだが、村を守るとは土地もそうだが、血を守るという意識があった。その血を脈々と受け継ぎ伝える重要な存在は、子供を産む女性であった為、その魔物から守る為、女人禁制になったとも云われる。この「遠野物語拾遺12」においては、巫女が「神をさがす者」だからとしても山の神の祟りに遭ってしまう。つまりこれは、どういう形であろうと禁を犯してはならないという話であり、女性に対し強烈な恐怖を与える話となる。つまり、そこまでして山へ登らせないようにしたという事であろう。その理由は、山伏が巫女である女性を締め出したというより、やはり"女性を守る為"であったのだと考えたい。
by dostoev | 2012-09-07 19:46 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(1)

遠野物語拾遺13(乳神様)

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宮守村、中斎に行く路の途中に、石神様があってこれは乳の神である。昔
ある一人の尼がどういうわけかでこの石になったのだと言い伝えている。

                                「遠野物語拾遺 13」

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かっては、乳の出ない婦人はここに参詣し、乳の形の石に酒をあげたり、石にその酒を注ぐと、今まで出なかった乳が出るようになったと知られ、この乳神様まで遠くから多くの乳の出に困っている婦人たちが参詣に来たという。

画像で見るように、平坦な石の尖った二つの出っ張りが、人間と同じ二つの乳房に見立てられたようだ。古来から日本人は、自然のモノに自らを投影していた。樹木の名称も、人間の部位に擬えて名付けられ、桜の樹齢が約50年である事から、人間の依代ともされた。また自然石にたまに見られる男根の形の石や、女陰の形の石なども崇敬し、人間を超える力を期待し、神としても祀られたものが、かなりある。この乳神様の乳母石もやはり、貧しい為に栄養不足となって婦人にとって、我が子に与える乳が出ないという事は、その我が子の死をも意味する為、こういう自然石にも、人間を超えた力を期待した。それが偶然であろうと、一度の偶然に、多くの人々が藁をもすがる想いで参詣した時代の名残が、この乳神様の石であった。
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しかし、この乳神様の場所には乳母石とは別に、何やら苔生した石碑が三つ並んでいる。この苔は、勝手に剥ぎ取るわけにもいかず、何が刻まれているか確認はしていないが、予想するに山神の石碑ではなかろうか。乳母石と呼ばれる石は、姥にもかけられ、恐らく山姥のイメージと重ねたのではなかろうか。いやあくまでも、これは妄想であるから、これ以上は書こうとは思わないが、この乳神様の少し離れた場所に、早池峰山と刻まれた石碑が建つ、早池峰の遥拝所がある事を知った。この乳神様は無尽和尚の小さな寺跡近くである事。また、この石そのものが無尽和尚の母親である貉が石になったものだと伝えられる事などから、恐らく石碑には「山神」と「早池峰山」と刻まれているのではないかと推測してしまう。無尽和尚の伝承に、早池峰の女神との関わりがある事も、一つの要因ではある。

「中斎へ向かう…。」と文中にはあるが、中斎へ行けば、そこから先は馬越峠を越えると、早池峰山の麓である早池峰神社まで行き着く事になる。途中を逆に曲がれば、無尽和尚の東禅寺に辿り着く。寺沢にある早池峰の遥拝所などから考えても、この寺沢経由で中斎へ行くという道のりは、最終的に早池峰への道のりではなかったろうか。「宮守村誌」の序文に森嘉兵衛氏の文章が、それを強く印象付けた。

「人々は山の生活と里の生活を調和する為に、天台の本覚を信じ、十一面観音を七か所に配し、深い精神に支えられ、政治の混乱に耐えてきた。安倍氏・藤原氏の没落にも、阿曽沼氏の不明にも、明治の南部氏の混迷にも、営々として迷わず、絶やさなかったのは先祖の祀りの灯であった。」
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宮守の歴史と信仰を調べると「先祖の祀りの灯」とは、早池峰への信仰心であろう。この乳神様は、森氏の言葉を捉えるなら、まさに「山の生活と里の生活」の調和そのものである。山に発生した霊験が、里の人々に幸せをもたらす象徴でもあったのだろう。ひとえに、この乳神様の霊験は山の姫神であり、遠野・宮守一帯に広がる早池峰姫大神への信仰が、人々の灯であったのだろうと思えてならないのだ。それ故に、乳神様の乳母石に建つ苔生した石碑は、早池峰への信仰から建てられたものであろうと考える。
by dostoev | 2012-08-22 21:44 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺11(続石の正体)」

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綾織村山口の続石は、この頃学者のいうドルメンというものによく似ている。
二つ並んだ六尺ばかりの台石の上に、幅が一間半、長さ五間もある大石が横
に乗せられ、その下を鳥居の様に人が通り抜けて行くことが出来る。武蔵坊
弁慶の作ったものであるという。

昔弁慶がこの仕事をする為に、一旦この笠石を持って来て、今の泣石という
別の大岩の上に乗せた。そうするとその泣石が、おれは位の高い石であるの
に、一生永代他の大石の下になるのは残念だといって、一夜中泣き明かした。

弁慶はそんなら他の石を台にしようと、再びその石に足を掛けて持ち運んで
、今の台石の上に置いた。それ故に続石の笠石には、弁慶の足形の窪みがあ
る。泣石という名もその時から附いた。今でも涙のように雫を垂らして、続石
の脇に立っている。

                               「遠野物語拾遺11」

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この「遠野物語拾遺11」を読んで、誰しもが続石に注目するが、ここでの主役は実は泣石であると思うのだが…。
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ところで遠野市上郷町に泣石という地名があり、そこには画像の様に上から清水が年中流れ、まるで泣いているようだからと。しかし「遠野物語拾遺11」での泣石は、それとは違い悔しくて泣いたという。

泣く筈の無いものが泣くというのは例えば有名な、涙を流すマリア像など、神霊系というか心霊系に近い。しかし、今の所石が泣くという昔話や俗信を発見できないでいる。

泣石は「位の高い石」だと記されている。位となれば、同じく「遠野物語拾遺10」において、樹木は石よりも位が高いとなっている。位というものは人間が付けるものであろうから、恐らく石や樹木に位を付けたのは人間だとは思う。例えば少し違うのだが、遠野の山崎のコンセイサマという自然石は男根の形をしている。それが一旦消えうせた為に、違うコンセイサマを祀っていたのだが、昭和47年に以前に祀っていたコンセイサマが発見されたので、元に戻したという。元に戻した理由は、元々御神体でもあったのだが、大きかったというのが、もう一つの理由となる。その大きさも、一つの位であろう。

日本には、巨石信仰があったと云われるのは、圧倒的な大きさや形が、日本人の心に訴えたからだ。また不動岩と呼ばれるものの殆どは山伏の介入があり、不動明王の信仰が入ったものの他に、大きいというのも、一つの理由だった。人間の力では動かす事の出来ないもの。つまり大きい石は、人間の力でどうする事の出来ないものであった。それ故に「不動」の尊称を与えられた巨石が全国に数多く存在する。とにかく、大きい石が尊ばれた歴史があったようだ。となれば大きい=位が高いと考えても良いのだろう。
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続石の笠岩の下に、二つの石がある。ここで感じるのは、もしも泣石の上に笠岩があったら…と考える。現在の続石は、鳥居の様に下を潜れるようになっているが、これが泣石の上に笠岩があった場合、鳥居の様…ではなく、その形はコンセイサマとなるだろう。

この物語は弁慶伝説が伴っているが、実際は続石制作話となる。弁慶は、日本の各地に巨石伝説を伝える役目を担っている存在の様。巨石にまつわる話には、弁慶が付き纏っているのが多いのは、弁慶の物凄さを伝えようとした山伏の存在があったのだろうと予測される。

とにかく「遠野物語拾遺11」から、弁慶の名前を外して考えると、初めにコンセイサマを作ろうとしたが結局諦めて、鳥居型の続石にしてしまったとも取れる話だ。どちらも信仰に関係する形態である。
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コンセイサマは、五穀豊穣を願う形であるとされる。母なる大地、もしくは全ての生命が誕生するという山の神である母神に対しての男根は、その母の巨大さに合わせて当然のごとく大きいモノが良い筈と考えるのが普通であろう。この続石の傍に山神の祠がある事から、続石と山神の相互関係はうかがえるのだ。

泣石の上に笠岩を載せようとするのは、コンセイサマを作ろうとした行為であった思う。それが果たせなかった為に、今の形態になってしまった理由を物語として作って語った可能性は否定できないかもしれない。
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しかし昨日、久々に続石まで行って見てきた。そしてよくよく見ると。実は続石ってのは、初めから一つの石の上に乗せて作られた石じゃなかったのだろうか?

続石を見た方は知っての通り、笠岩の下には二つの石があるのだが、実際は二つの石のうちの一つだけに乗せられている。なんとなく脳内に残っていた勝手なイメージは下の二つの石は小さく、それが一つの石の上に絶妙のバランスで乗っているのが続石というものだったけれど、上の画像をよくよく見てもらえばわかるが、一つの石の丁度中央に笠岩が乗せられており、初めからこの一つの石の上に乗せようとした意思を感じる。隣のもう一つの石は、たまたま傍にあった余分な石では無かっただろうか?今回、マジマジと見て来て、それを感じてしまった。

となれば「遠野物語拾遺11」の話は、高くて大きな泣石という石の上に、笠岩を乗せようとしたが無理だった為、位(レベル)を低くして、泣石の半分程度の石の上に笠岩を乗せた話だと思う。そして続石は、下を潜れる鳥居形というわけではなく、初めからコンセイサマ形の石として作られたものでf無かったろうか?

当然「位が高い」という意味は、現在の笠岩が乗せられている石よりも、大きいという意味で「位が高い」という事では無かったのか?「遠野物語拾遺11」の記述に「二つ並んだ六尺ばかりの台石の上に…。」と書かれている事から、初めから2つの台石として見ていたが、実はそれは違ったのだと感じてしまったのだった…。
by dostoev | 2012-04-03 08:51 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺19(ほのぼの合戦)」

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昔この早栃で源平の戦のあった時、なかなか勝負がつかずそのうちに
食事の時になって、両軍とも飯を煮て食った。源氏の方では早く煮え
るように、鍋を低く下げて似たけれどもよく煮えなかった。平家方で
は鍋を高くかけて、下に多くの薪を燃やした為に、たちまちに飯がよ
く出来た。それで今でもこの土地には、平家の高鍋という諺があって、
物を煮るには高鍋がよいと言っている。

                     「遠野物語拾遺19」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遠野物語拾遺18」のところでも書いたけれど、この地で源平の合戦がある筈も無かった。しかし、ここでも書かれているのはやはり、逃げ延びた平家の者がいたのだろうか?内容は大した事はないのだが、要は「平家の方が、文化的にも優れているのだ!」という事を伝えたい伝承となっている。

遠野の土淵町に似田貝という地があって、その地名の語源は「煮た粥」からきているというが真意は定かではない。ただしこの「煮た粥」は、安倍一族と戦った源義家の軍が、戦の合間に「粥を煮て食った」という事から来ている。

以前観た映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」で、戦でありながら、戦の開始時間や終了時間があり、また昼飯時間も決められていて、なんとのんびりしているのだろうと思った。実際に史実考証をきちんとして作った映画が「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」であるという。相手国と戦うのでありながら、なんかサラリーマンのようだなぁ…と思った。

こうして考えてみると、例えば桓武天皇が蝦夷討伐をライフワークに掲げたのに、坂上田村麻呂が征夷大将軍として遠征するまで、殆ど成果が無かった。しかし、その遠征中の兵糧は大量に減る一方で、桓武帝が怒っている記述が正史に残っている。

よくよく考えてみると、戦というのは一生懸命にすれば馬鹿をみるというか、自分の命を削ってしまう。命令を下す天皇は、その成果を期待して軍隊を送り出すのだが、戦っている当人たちにとっては、あまり無理したくないというのが本音。坂上田村麻呂以前の征夷大将軍もまた人の子であるから、死にたくは無い。しかし「腹減った、飯食いたい!」となる。そしてサラリーマン根性で接すれば、ほどほどに戦を仕掛けて、ほどほどに撤収すれば、命に関わる事無く、飯を食えると考えるのは普通だと思う。偉そうに命令する天皇なぞ、現地に赴くわけがある筈も無い。報告書を適当に書けば問題ないだろうと、たかをくくっていたに違いない。それ故に、蝦夷にとって不運だったのは、坂上田村麻呂という、上司の命令を忠実にこなす真面目な企業戦士?が登場した為だったのか?(^^;

とにかく戦でありながら、飯の伝承が残るというのは、昔の戦というものは、かなりのんびりしたものでは無かったのか?と想像してしまうのだった…。
by dostoev | 2011-11-27 06:50 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(4)

「遠野物語拾遺18(実を結ばない小柿)」

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昔、源平の戦があって多くの人が討ち死にをした。その屍を埋めて塚の上に
植えたのがこの小柿であるという。その人々の霊によって、花は咲いても実
はならないと云われている。 

                         「遠野物語拾遺18」

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この柿の木は、遠野から笛吹峠を通り、橋野町を越えて行くと早栃という地域がある。その道路沿いに「遠野物語拾遺18(実を結ばない小柿)」というタイトル付の看板があったらすぐ傍なので、すぐにわかる筈。

平家の落ち武者の話は、中国地方・四国地方・九州地方に多いのだが、東北にも、かなりの話が伝わっている。ただ歴史上で、岩手県のこんな山奥の地で源平合戦があった筈も無い。よって、この柿の木の下に屍が埋まっている筈も無いのだが、話だけがこの地に伝わってきて定着した可能性は、あるだろう。この早栃近辺には栗橋村というのがあるが、この地域の人々は九州栗橋地区から移住して来た人達であった。この橋野町から早栃にかけては山々に囲まれた不便な場所で、普通は何も好んで山間に住む訳も無く、何らかの理由でこの地に辿り着き、開拓して住み着いたのは理解できる。
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この早栃には「遠野物語拾遺38」にあるように「神の隠れ里」の話がある。神というモノは、人が祀るから神であり、その神は、人の移動によってまた神も動くもの。「遠野物語拾遺38」では「ああ、この土地が気に入った」として、石船に乗って来た神が、この早栃に住み着いたという事であるが、それは当然、その神を祀る人達が早栃に移り住んだ事を示す伝承なのであろう。
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奇妙な事というか、東北が蝦夷の国として存在した時代は、未開の地と思われていたのだろう。いや未開の地というよりも、朝廷の手が届かない、目が届かない地であるという認識の地が蝦夷の国であったのだと思う。それ故に、蘇我氏に敗れた物部氏は、逃げてきた。もしかして平家の残党も逃げてきた可能性はある。源義経も奥州藤原氏を頼って逃げてきた。更に南北朝時代に、長慶天皇も、この地へ逃げ延びたという。

鎌倉時代の日本地図には、北海道は存在していなかったという。それはあくまで朝廷側の知識に則った地図である為に、北海道…当時でいえば蝦夷島は、日本には存在しない地であった。しかし義経北方伝説によれば、義経は蝦夷の国を北上し、海を渡って北海道に上陸したという。この義経伝説の真意はさて置いて、恐らく地図上に無い蝦夷島は、噂の上で広がっていたものと思える。

憶測になるが、朝廷の手の届かない安住の地で生活するとなると、やはり未開の地へ逃げ延びるしかない。その当時、幻の蝦夷島の情報を知るには、とにかく東北である蝦夷の国へ行くしか無かったのだと思われる。それ故に、戦に敗れた者達は、北に向かって逃げたのだと思うのだ。

遠野にも、小友町などに隠れ里と呼ばれる地があり、やはり平家の落ち武者の話がある。また遠野には「不地震の森」の伝説が多くあり、日本が地殻変動や火山の噴火などによって、安住の地を求めて逃げ延びた人達が住み着いたとの話もある。

また坂上田村麻呂による蝦夷征伐や、源義家による蝦夷討伐。源氏による、奥州藤原氏の討伐などに参加した傭兵などは、帰らずに蝦夷国に居ついたという事実もある事から、戦の旅に多くの人々が蝦夷国に住み着き、いろいろな話を伝えるにはじゅうぶんだった土壌はある。

漫画の話で申し訳無いが、井上 雄彦「バガボンド」には、貧しい村に落ち武者が住み着き"不動様"と呼ばれて支配者となり、村人に幾度となく娘を差し出すよう命令する。つまり当初は武力を持った落ち武者が「この村を守る!」と言って村の用心棒になり、その後、武力も無い弱い村人を見、村を食い物にし始めた者達がいた可能性は確かに高く、実際に有り得る話である。こういう例が、悪神になったり、悪鬼になったりで、そして同じようにその村にブラッと訪れた来訪者によって倒され、昔話となったり伝説となったりしたのかもしれないだろう。
by dostoev | 2011-11-24 05:15 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(4)

「遠野物語拾遺14(竜石)」

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綾織村の駒形神社の境内には、竜石という高さ四尺ばかりの、褐色の
自然石がある。昔村の人がこの石を曳いてここまで来るとどうしても動
かぬので、そのままにしておくのだという。何の為に曳いて来たかは伝
わっていない。

竜石という名前も元は無かったが、ある時旅の物知りが来てこの石の話
を聴き、是非見たいというから案内をして見せると。これは竜石という石で
ある。それここが眼でこれは鼻、これが口だ耳だ胴体だといって、とうとう
竜の形にしてしまったので、村の人ももっともの事だと思ったという。

                                 「遠野物語拾遺14」

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「綾織村誌」の記載によれば、実はこの竜石は「龍神石」と呼ばれるもので、当時気仙より東禅寺に運び込もうとした石であったが、この駒形神社の境内にてまったく動かなくなったのだと云う。何故「竜神石」かというと「昇龍、降龍の紋眼自然に存するを以って、龍神石と呼ぶ。」と云うそうである。この”昇龍、降龍”で思い出すのが、小友町に鎮座する巌龍神社の御神体である不動巌である。この巌龍神社の不動巌には、リアルに昇龍・降龍の痕が残る巨大な巌の御神体となる。つまりこれから察すれば、小友の巌龍神社の御神体もまた”龍神石”という事になろう。

小友の不動巌の由来は、巌龍神社と並んで建つ常楽寺の開祖”無門和尚”が不動明王を勧請してからのようだが、巌龍神社自体の信仰は、その年代が更に遡るようで定かではない。ところで伝説の東禅寺の無尽和尚と無門和尚とは、師匠と弟子の関係で、小友の常楽寺の開祖無門和尚は、応永24年(1417年)に、阿曽沼の家臣、南右近の居城である小友の南館の敷地内に創建されたという。当時は小草庵であったようだが、南部氏の時代となって現在の場所に移転したようだが、東禅寺そのものの由緒が不明であり、この常楽寺の由緒も同じく不明と思ってよいだろう。ただ言えるのは、この巌龍神社には、代々羽黒修験が関与していたという事。また、小友峠の中腹にある二郷神社も、同じ羽黒修験であり巌龍神社の関係の者の開祖であり、小友の巌龍神社と密接な関係にあったようだ。

龍神石だが「綾織村誌」には”気仙”から運ばれてきたというが、小友町は気仙との境にある土地で、その境界は時代によって微妙に推移した歴史があり本来は、小友村から出た石では無かったのだろうか?それを巌龍神社→小友峠→二郷神社経由で、綾織の駒形神社近くまで運ばれてきたのであろう。立地などを考えても、これが一番スムーズな流れの道筋である。推測するに、発見された異様な紋様の石を巌龍神社の御神体である巌から神霊を降ろし、それを東禅寺へと運ぼうとしたと考えて良いのかもしれない。そして何故に駒形神社の辺りで動かなくなったのかと考えれば、そこに携わる者の影響があったのでは無いか?駒形神社の社殿内部を見ると「胡四王」という額が飾ってある。実は以前、小友の胡四王という地に住んでいた安倍の末裔と呼ばれる者が、現在もこの地に住んでおり、奉っていた胡四王神社を、この駒形神社に合祀したのであった。つまり龍神石の信仰的理念が安倍の末裔の手によって、この駒形神社に置かれたと考えるのが自然に思える。

大川善男の「遠野社寺由緒考」によれば、早池峯の里宮は二つあり、そのうちの一つが、臨済宗であると云われる東禅寺(実は天台宗)と呼ばれた寺であったという事。また別に早池峯の里宮としては新山神社がある。坂の下にある新山神社は、早池峰神社の前身である大出の新山宮の里宮であった。寛政の時代の頃の習俗に早池峯に登る場合、早池峯の里宮に参詣してから登ったとされる。 「新山と瀬織津比咩(羽黒と玉依姫)」で簡単に記したが、新山は別名”神山”であり、神の齋宮であった。岩手県の新山神社の殆どは瀬織津比咩が祀られているが、それを岩手県に勧請したのは奥州藤原氏であった。瀬織津比咩の別名は玉依姫であり、この姫神を奥州藤原氏は、羽黒から勧請し、岩手県の新山神社に祀ったのであった。この事から、羽黒修験と早池峯の神の結び付きが深いのがわかる。羽黒と早池峯の神が同じであるからだ。早池峯に登る場合、妙泉寺か新山神社に参詣した登るというものは、羽黒修験の影響からなるものだろうと推測できる。いろいろな繋がりを考えてみると、つまり龍神石とは、羽黒の神と早池峯の同一の神に繋がるものであり、それが駒形神社に留まっているのは、奥州藤原氏の祖である安倍一族の関係からであろう。
by dostoev | 2010-12-20 19:56 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺17(懸想)」

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小友村字鷹巣の山奥では、沢の蕗の葉にはことごとく小さな穴がある。昔どこ
かの御姫様が、遁げて来てこの山に隠れたのを、懸想する男が家来を連れて
その跡を尋ね、はるばるこの沢まで来たけれども、どうしても見つからなかった。
そこで落胆して家来の者に向い、いかにしても吾が思いを遂げることが出来ぬ
のだろうかと言うと、誠に止むを得ぬことだから、そこの蕗の葉で間に合わせた
まえと答えた。それ故に今でもこの沢の蕗の葉には、この通り小さな穴があい
ているのだという。

                                「遠野物語拾遺17」

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この、現在の小友町に伝わる伝説を、小友の人々は「小友町勝蹟志」 などでは、次のように解釈している。『「姫の想いを、そこのフキの葉で合わせなさい。」と言った。それから小友のフキの葉には、想いが伝わる小さな穴が開いていると伝う。』

実は、この話を読んでいて自分はずっと違和感を抱いていた。ところで、逃げてきたのは"お姫様"とあるけれど"お姫様"というと、どこかの国のお城のお姫様をイメージする人もいると思う。けれど、例えば小さな集落の豪農の娘であっても"姫"という名称は使うし、巫女など、神に仕える女性に対しても"姫"と使った例がある事からも、その人物にとって特別な女性の場合に"姫"を使用する。だから、この物語の場合の姫も、その辺の"集落の姫"だった可能性があるかもしれない。

また追いかけてきたこの男はどういう人物だったのか?家来を連れてきたというのだが、果たしてどういう身分の男だったのか?”懸想する男”とあるが、この”懸想”とは”恋慕う”意味ではあるが、古い用例を捜すと大抵の場合”まぐわう”であり、セックスを求めるものとして使用される場合が多い。

性的な対象とされた神仏では一番、吉祥天が挙げられる。「日本霊異記」には、僧と吉祥天が結び付く話が紹介されているし、有名な親鸞も「覚禅鈔」では神仏と愛し合うなどと書かれている。また別に白拍子などと結び付くのも”聖婚”とも呼ばれるように、それを求めるのは大抵身分の高い者のようであった。

実は、この穴開きの蕗の伝説を読んで思い出したのが、現東京都知事である石原慎太郎氏の著作…文学新人賞と芥川賞を受賞した「太陽の季節」だった。この小説の描写の中に、勃起したイチモツで障子を破るシーンがあり、評判を呼んだものだったが、これが蕗の穴の話にも適用するのではないか?と思った次第で…。

>そこで落胆して家来の者に向い、いかにしても吾が思いを遂げることが
>出来ぬのだろうかと言うと、誠に止むを得ぬことだから、そこの蕗の葉
>で間に合わせたまえと答えた。



女に対して邪?な想いを果たせぬので、そこの蕗の葉で間に合わせろというのは、まさに「太陽の季節」の描写と同じ様な気がするのだが。そして蕗の葉には小さな穴が開いているというのは、自身のイチモツの小ささの表れでもあったりして…(^^;

ところで、この「遠野物語拾遺17」に登場する地名”鷹巣”だが大抵の場合、秦氏に関連する事が多い。宇佐八幡の「託宣集」では、鍛冶翁が金色の鷹となって示現し、5人行けば3人、10人行けば5人を殺したので、大神比義と辛島乙目が3年間五穀を断って祈祷し、鍛冶翁の心を和らげたとある。

そして、鷹としての八幡神を鷹居社を造営して祀った時、辛島乙目は「祝」になったとある。「祝(はふり)」は「放(はふり)」でもあり、穢祓いの義でもあるけれど「羽振り」でもあり、この場合は天と地を仲介する「鷹」という意識と、神と人間の間を仲介した辛島氏にシャーマンとしての「祝」としたのだろう。

辛島氏の関係する香春神社は田川郡にあるが「田川」の古い名は「多加波」 であり「たかは」と読むのは、英彦山の鷹羽伝説に基づいているという。「彦山縁起」には、豊前国鷹羽郡彦山の鷹栖ノ窟に鷹来たりて棲み、この鷹が英彦山の神の化身となり、鷹が英彦山のシンボルとなった。

実はここで覚えて欲しいのが、菊池氏と秦氏の関係で、九州で密接な繋がりを持っていた。菊池氏の家紋に鷹の羽が使われているのは、秦氏との繋がりがあってのものだろう。鷹は鍛冶の神でもあり、この遠野の小友町に鷹巣という地名がある事も、古来から小友町が採掘の地でもあったからなのであり、秦氏の関係が根付いている証であるのだと思う。ただ現在「鷹巣」という地名は失せてしまったが、やはり小友町に隣接する住田町側に鷹ノ巣山があり、この地も古来から採掘や鍛冶が盛んな地でもあった…。
by dostoev | 2010-12-06 19:26 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺15&16(石神)」

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この駒形神社は、俗に御駒様といって石神である。男の物の形を奉納する。
その社の由来は昔ちょうど五月の田植時に、村の若い女たちが田植をして
いるところへ、一人の旅人が不思議な目鼻も無いのっぺりした子供に、赤い
頭巾を被せたのをおぶって通りかかった。

そうして今の御駒様のある処に来て休んだ。あるいはその地で死んだともいう。
それがもとでここにこの社が建つことになったのだそうだ。

                                「遠野物語拾遺15」

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写真は、綾織駒形神社の御神体であるが、この駒形神社は享保年間の頃に、南部馬育生者達によりお堂を建立し、馬頭観世音を祀ったのだというのが、現在一般的に知られる由緒である。しかし、この「遠野物語拾遺15」においては、旅の男が原因で、社が建立さたとある。

「遠野物語拾遺15」の正確な話は、イチモツの余りに大き過ぎる男が、その自らのイチモツの為に女性との婚姻を果たせぬとの嘆きから、自分と同じ独身の男達の為に、社を建立したのだという事となっている。その為に、この綾織の駒形神社の御神体はコンセイサマという男根をあしらったものとなっているのだと。「綾織村誌」によれば、駒形神社の御神体は、先住民族の遺物の石棒なる如きその然るものなりと記されており、石棒の信仰は古く縄文時代に及ぶものだったのだろう。
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【土淵は熊野ノ森の石神】

ところで、土淵の熊野堂の本来祀っているものとして、社の傍に立っている石の棒がある。この地も、本来は石があった地に、この熊野堂か建立されたようだ。
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【土淵は和野の石神】

土淵村から小国へ越える立丸峠の頂上にも、昔は石神があったという。今は
陽物の形を大木に彫刻してある。この峠については金精神の由来を説く昔話
があるが、それとよく似た言い伝えを持つ石神は、まだ他にもあるようである。

土淵村字栃内の和野という処の石神は、一本の石棒で畠の中に立ち、女の腰
の痛みを治すといっていた。畠の持ち主がこれを邪魔にして、その石棒を抜い
て他へ捨てようと思って下の土を掘って見たら、おびただしい人骨が出た。それ
で祟りを畏れて今でもそのままにしてある。

故伊能先生の話、石棒の立っている下を掘って、多くの人骨が出た例は小友村
の蝦夷塚にもあったという。綾織村でもそういう話が二か所まであった。

                                 「遠野物語拾遺16」

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「遠野物語拾遺16」にある「綾織村でもそういう話が二カ所まであった。」という場所の一つが、この駒形神社であったようだ。この駒形神社の建っているラインの手前には、新田遺跡という、やはり縄文遺跡が多数出土している地域がある。また現在ゴミの焼却施設がある深沢野に古舘という地があり、今では埋まってしまったが、そこにはかって横穴が存在し、縄文式土器や石器も発見さている。全ては猿ヶ石川沿いの高台が、どうも縄文人の住んでいた場所のようだった。

神社の建立する大抵の場合、そこはかっての聖域であった。神社という格式は新しいもので、征服者が被征服者を支配する場合、その信仰の場所に神社を建立したというのが殆どだ。つまり綾織の駒形神社の建立は、享保年間(1716~1736)となっているが、それ以前から、この駒形神社は聖地であり、石神が祀られていたのだと思う。まあ駒形神社と金精は各地で結び付いてはいるが、本来綾織の駒形神社が建立さた地には、石棒があったのだと思う。

過去において、慈覚大師円仁が地神の上に仏像を被せてきたのは、新たな信仰の対象を根付かせる為であり、それは過去の地神を忘却させる一環でもあった。しかし完全に消し去るのではなく、新たな仏像であり神社を建立する事により本来の姿をぼかしてしまうという事。その事から、駒形神社の御神体は、今でも石棒になっているのだろう。
by dostoev | 2010-12-06 19:17 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺10(樹木と石の位の比較)」

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綾織村字山口の羽黒様では、今あるとがり岩という大岩と、矢立松という
松の木とが、おがり(成長)競べをしたという伝説がある。岩の方は頭が
少し欠けているが、これは天狗が石の分際として、樹木と丈競べをするな
どけしからぬことだと言って、下駄で蹴欠いた跡だといっている。一説に
は石はおがり負けてくやしがって、ごせを焼いて(怒って)自分で二つに
裂けたともいうそうな。松の名を矢立松というわけは、昔田村将軍がこの
樹に矢を射立てたからだという話だが、先年山師の手にかかって伐り倒さ
れた時に、八十本ばかりの鉄矢の根がその幹から出た。今でもその鏃は光
明寺に保存せられている。

                       「遠野物語拾遺10」

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この「遠野物語拾遺10」を読んで疑問だったのが、何故石が樹木よりも位が低いのか…という事。古代から樹木信仰も巨石・磐座信仰はあった筈なのに、差別化されているのはどういう意味なのだろうと思っていた。

フト思い出したのが、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメ。天孫族のニニギがコノハナサクヤヒメを選び、醜いイワナガヒメを選ばなかった話は有名。しかしこれも「遠野物語拾遺10」と同じ、樹木信仰を尊び磐坐信仰を否定したような話だ。

妄想するに、もしかして…例えば物部氏には巨石信仰があり、その巨石を否定するのは物部氏を否定するものだとか…。樹木を尊ぶのは、スサノオの息子であるイソタケルに結び付くとか…。いや、妄想を膨らませばキリが無い。

ただアイヌ文化には”シランパ”という概念がある。シランパとは「地にあるもの達」とも訳されるようだ。つまり石や樹木たけてはなく、人間や動物も含めて大地に根差しているものがシランパに含まれるのだと。だから遠野で有名になったオシラサマの形に、人もいれば馬もいるというのは、シランパを表しているものだという説もある。木そのものはアイヌ語で”シランパカムイ”と呼び「シランパの代表」みたいな存在であるようだ。たから、その木を使って人や動物の顔を彫るオシラサマというものがシランパだという説も納得するものだ。

こシランパの説に則れば樹木と石では、樹木の方が位が高いとなってしまう。また樹木と石の有用性を比較しても、加工して道具として使うとか、住居として使用するとは共通性を示すが、石に無く樹木にあものとすれば、燃やせば大切な”火”を維持できる存在である事だろう。それ故総合的に判断すれば、樹木の方がより人間に対しての有効利用価値を見いだせる存在である事から、樹木の方に軍配が上がるのだろう。
by dostoev | 2010-12-06 19:09 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺13&187(無尽和尚の皮肉)」

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宮守村、中斎に行く路の途中に、石神様があってこれは乳の神である。昔
ある一人の尼がどういうわけかでこの石になったのだと言い伝えている。

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上郷村字板沢の曹源寺の後ろの山に、狢堂というお堂があった。昔この寺が
荒れて住持も無かった頃、一人の旅僧が村に来て、この近くの清水市助という
家に泊まった。そこへ村の人が話を聴きに集まって、色々の物語をするついで
に、村の空寺に化け物が出るので、住職もいついてくれなず困っているという話
をすると、それなら拙僧が往って見ようと、次の日の晩に寺に行くと、誰もおらぬ
といったのに寺男のような身なりの者が一人寝ていた。変に思ってその夜は引き
返し、翌晩また往って見たがやはり同じ男が寝ている。

こやつこそ化け物と、くわっと大きな眼を開いて睨みつけると、寺男も起直って見
やぶられたかは致し方が無い。何を隠そう私はこの寺に久しく住み、七代の住僧
を食い殺した狢だと言った。

それから釈迦如来の檀特山の説法の有様を現じて見せたとか、寺のまわりを
一面の湖水にして見せたとかいう話もあり、結局本堂の屋根の上から、九つに
切れて落ちて来て、それ以来寺には何事も無く、今日まで続いて栄えていると
いう話になっている。山号を滴水山というのも、その狢の変化と関係があるとの
様に語り伝えている。 

                                 「遠野物語拾遺187」

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「遠野物語拾遺」にしばしば登場する無尽和尚とは、附馬牛の東禅寺いう禅寺の
開祖と云われている。してこの無尽和尚には、不思議な話が多く語り継がれている。
来迎石の話しかり、狢退治しかり、そして夜な夜な修行僧が東禅寺から抜け出すの
を蛇に化けて驚かすという話もある。

実は「遠野物語拾遺13」に紹介した石神様の話にも、無尽和尚はからんでいた…。

上郷で狢退治をした和尚は、実は狢から生まれた子供だと云うのだ。宮守に狢が
いて、それが人間と交わり無尽和尚が生まれたというのだが、その母である狢は、
死ぬ間際に無尽和尚に頼み、死んでも人々の為になりたいという願いを聞き届け、
現在宮守に伝わる石神に変わったのだという。

狢を退治した無尽和尚が実は狢の子供だったとは、なんたる皮肉ではないだろう
か?ただ、これも意図的に伝わったものであるのは明確。かの安倍晴明もまた、
葛の葉という狐が母だった。

古来から人間が超常的な力を手にする場合、異類と結ばれた場合が多々ある。
それか日常と逸脱した鬼子の場合などがあるが、無尽和尚の非日常性は異類
との結びつきで得たものだという伝説が伴って、その神がかり的な力を示している。

例えば有名な曹洞宗の伝説「ナムトラヤー」という呪文には、貧しい貧乏寺の曹洞
宗に化け猫が加担するというもの。これは少々こじ付けがましい伝説だが、昔はこ
ういう風に神秘的な伝説を付随させて信仰心を煽ったものが多い。
by dostoev | 2007-07-07 13:33 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(0)