遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語考」110話~( 9 )

「遠野物語110(早池峯神VS八幡神)」

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ゴンゲサマと云ふは、神楽舞の組毎に一づつゝ備はれる木彫の像にして、獅子頭とよく似て少し異なれり。甚だ御利生のあるものなり。新張の八幡社の神楽組のゴンゲサマと、土淵村五日市の神楽組のゴンゲサマと、曾て途中にて争を為せしことあり。新張のゴンゲサマが負けて片耳を失ひたりとて今も無し。毎年村々を舞ひてあるく故、之を見知らぬ者なし。ゴンゲサマの霊験は殊に火伏に在り。右の八幡の神楽組曾て附馬牛村に行きて日暮れ宿を取り兼ねしに、ある貧しき者の家にて快く之を泊めて、五升桝を伏せて其上にゴンゲサマを座ゑ置き、人々は臥したりしに、夜中にがつがつと物を噛む音のするに驚きて起きて見れば、軒端に火の燃え付きてありしを、桝の上なるゴンゲサマ飛び上り飛び上りして火を喰ひ消してありし也と。子供の頭を病む者など、よくゴンゲサマを頼み、その病を齧みてもらふことあり。

                                                     「遠野物語110」

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この話は「遠野物語拾遺58」と重複する話でもある。奇妙に思うのは、どちらの話でも八幡の権現が片耳を取られるという話で、その相手は「遠野物語110」では五日市の神楽は、倭文神社の権現であり、「遠野物語拾遺58」の神楽は新山神社の神楽である。八幡の権現の片耳を噛み千切ったのは、実はどちらも早池峯の神の権現という事である。これは、何か意味があるのであろうか?

奥州藤原氏の初代清衡が、出羽国、陸奥国両国の一万余りの村毎に一ヶ寺を建立したと云われるのは、新山寺であり新山神社だとされている。遠野の新山神社も、その流れを汲んでいるのだろう。元新山神社であった土橋の早池峯神社に伝わる文書には、新山は本来深山であり、早池峯を意味するとしていた。また、明治時代に琴畑から倭文神社に移転された神も、早池峯の神であった。話は明治時代以降の話であるから、ここでの神楽も、早池峯権現であるという意味であろう。つまり、奥州藤原氏の庇護の元に居た神とは、早池峯の神であった。その早池峯を庇護していた奥州藤原氏が、源頼朝に滅ぼされ、その後遠野を支配したのは阿曽沼氏であり、源氏が崇拝する八幡神を持ち込んだのも同じ時期であった。
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例えば、この現代となっても阿曽沼が統治していた光興寺付近の人には、未だに南部は憎しという感情を持っている人がいた。汀家に伝わる開かずの箱にも、やはり南部氏に対する怨念を感じるものが入っていたのを考慮に入れれば、安倍氏が信仰していた早池峯の神を等閑にして、新たに持ち込まれた八幡神を信仰するという事は、許せない行為であったのではなかろうか。しかし真正面から源氏の崇拝した八幡神を否定するわけにはいかずにいた為、鬱積した怨念が密かに伝えられていたのではなかろうか。それが早池峯の神が八幡の神を倒すという構図を、ゴンゲサマの話に託して伝えた可能性があると思ってしまうのだ。
by dostoev | 2014-06-05 18:22 | 「遠野物語考」110話~ | Comments(6)

「遠野物語117(瓜子姫譚)」

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昔々これもある所にトゝとガゝと、娘の嫁に行く支度を買ひに町へ出で行くとて戸を鎖し、誰が来ても明けるなよ、はァと答へたれば出でたり。昼の頃ヤマハゝ来りて娘を取りて食ひ、娘の皮を被り娘になりて居る。夕方二人の親帰りて、おりこひめこ居たかと門の口より呼べば、あ、ゐたます、早かつたなしと答へ、二親は買ひ来たりし色々の支度の物を見せて娘の悦ぶ顔を見たり。次の日夜の明けたる時、家の鶏羽ばたきして糠屋の隅ッ子見ろぢや、けゝうと啼く。はて常に変りたる鶏の啼きやうかなと二親は思ひたり。それより花嫁を送り出すとてヤマハハのおこりひめこを馬に載せ、今や引き出さんとするとき又鶏啼く。其声は、おりこひめを載せなえでヤマハゝのせた、けゝうと聞ゆ。之を繰り返して歌ひしかば、二親も始めて心付き、ヤマハゝを馬より引き下して殺したり。それより糠屋の隅を見に行きしに娘の骨あまた有りたり。

                                 「遠野物語117」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
全国に広く分布する「瓜子姫譚」は岩手県に於いては、この話のようにヤマハゝが娘を食べる場合と、ムジナが娘を食べる場合が伝わっているようだ。通常のアマノジャクもあるようだが主流では無く、ムジナに次いでヤマハゝという順番であろうか。

昔、映画「羊たちの沈黙」を観た。人食いのレクター博士が脱出する際、殺した人の皮を剥いで、その者に成り済まし、担架に乗せられ運ばれ、易々と脱出したシーンがあった。それを見て思ったのは、この映画は「肉食人種」によって創られた映画であり、とても雑穀食の日本人には真似できない映画だなぁというものだった。しかし日本を振り返れば、こういう瓜子姫を食べ、その皮を被って本人に成り済ます物語が伝わっていたのには驚きを覚えると共に疑念が持ち上がった。

日本での皮を剥ぐ話として一番古いのはやはり「因幡の白兎」であろうか。似た様なものに「日本霊異記」上巻第十六話に、大和の男が捕えた兎の皮を剥いで野に放ったところ、男は重い皮膚病で死んでしまった話がある。これは仏教思想の因果応報であると捉えてはいるが、似た様な話が西洋にあった。ロジェ・ボゼット「皮ハギの神話」にはグリム童話「白雪姫」が紹介されているが、継母である女王が、白雪姫の皮を生きたまま剥いで白雪姫に化けるのだった。「お母様は、ハサミで私の足の先をひらきました。私が腕を上げると、皮がするっと剥けるのがわかりました。まるで手袋をぬぐみたいに。」恐ろしくもリアリティを感じるこのセリフに、やはり西洋人が肉食系人種である事を実感する。そしてその後、白雪姫の皮を被った継母である女王は、被った白雪姫の皮が腐った為に皮膚病で死んでしまう。「日本霊異記」では因果応報の話としているが、この「白雪姫」では他人の皮が合わなかった為という、どこか現代にも通じるリアリティを感じてしまう。

平林章仁「神々と肉食の古代史」を読むと、皮剥ぎの歴史は「因幡の白兎」より、素戔嗚が天照大神の居た神聖な機織りの斎服殿に天斑駒の皮を逆剥にして投げ入れて汚したのが古い記録であった。確かにこの逸話は、しばしば遠野のオシラサマと結び付けられ語られている。オシラサマの話も、娘と交わった白馬に対して怒った父親が皮を剥いで桑の木に吊るしてしまう。支那国では「桑」は「喪」であるとし「桑の木」「喪の木」であるとされている。喪とは、身近な者や心を寄せる者、尊ぶべき者等の死を受け、それを悲しむ者が一定期間中を過ごす事になる、日常生活とは異なる儀礼的禁忌状態であり、人間社会においておよそ普遍的な現象であるとされる事から、娘の哀しみを汲み取り、殺した馬を吊るすのには適していたのだろう。オシラサマでは、剥がされた馬の皮が娘をくるんで天に昇ったとされるが、天照大神の齋服殿に投げ入れられた馬もまた、天照大神に対する生贄の馬であり、剥がれた皮に機織り女がくるまり養蚕に関する儀礼ではなかったかとされている。ただ、素戔嗚の剥いだ馬の皮も、オシラサマの白馬の皮も、生きながらに剥がれたようだ。

「遠野物語117」でヤマハゝが娘の皮を剥いだ時は、殺してなのか、それとも生きたまま皮を剥いだのであろうか?天照大神に捧げたであろう天斑駒は生きたまま皮を剥がされたというのは、馬は生きたまま皮を剥がされる事により、その苦痛から大きく嘶いたであろうとされている。先に紹介したグリム童話「白雪姫」でも、継母である女王は、白雪姫の皮を生きたまま剥いで、その皮を被って白雪姫に化けた。その皮の新鮮さを強調するならば、苦痛を上げる声そのものが新鮮さの証でもあり、その皮の新鮮さを表す。現代でも行われている鯛などの活き造りは、生きながらにして鯛などの身を切り刻み、尚も生きている状態を保つ事で、その新鮮さを強調する技法である。となれば、ヤマハゝが娘の皮を剥いで娘に化けたのも、娘が生きながらにして皮を剥いだものと思うのだ。

「瓜子姫譚」は近畿を中心とする関西方面では、瓜子姫は殺されず最後はハッピーエンドで終わっているのだが、瓜子姫が残酷に殺される話は東北であり、そして九州であるという。蝦夷は俘囚として九州などに連れて行かれたなどというが、元々東北と九州の習俗とDNAは近いと云われる。東北の歴史は、今となっては謎とされているのは、恐らく朝廷の書き綴られた歴史書には載らない歴史があったのだろうと云われる。秋田犬と北海道犬のDNAは北部ヨーロッパにしかない貴重なDNAであるという。犬だけが日本列島に来たわけでは無く、その犬たちを連れてきた民族がいるだろうとされている。恐らく、天照大神という大神は狼であり、狼を神と讃える民族が日本列島に渡って来て定着したのではないかと云われる。犬を友とする民族とは狩猟民族であり、当然の事ながら勝った動物の皮を剥いで利用する文化を有していたものだと思う。何故に、東北や九州での瓜子姫は皮を剥がされ残酷な殺し方をされたのかは、もしかして東北に渡って来た北部ヨーロッパからの民俗が伝えたのではなかろうか。そうであるならば、グリム童話「白雪姫」の話との繋がりが「瓜子姫譚」を通じて、北部ヨーロッパと東北・九州の文化が結び付くのではないかと考えてしまうのだ。
by dostoev | 2014-03-24 11:38 | 「遠野物語考」110話~ | Comments(6)

「遠野物語116(ヤマハゝ物語)」

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昔々ある所にトゝとガゝとあり。娘を一人持てり。娘を置きて町へ行くとて、誰が来ても戸を開けるなと戒しめ、鍵を掛けて出でたり。娘は恐ろしければ一人炉にあたりすくみて居たりしに、真昼間に戸を叩きてこゝを開けと呼ぶ者あり。開かずば蹴破るぞと嚇す故に、是非なく戸を明けたれば入り来たるはヤマハゝなり。炉の横座に踏みはたかりて火にあたり、飯をたきて食はせよと云ふ。其言葉に従ひ膳を支度してヤマハゝに食はせ、其間に家を遁げ出したるに、ヤマハゝは飯を食ひ終りて娘を追ひ来り、追々に其間近く今にも背に手の触るゝばかりになりし時、山の陰にて柴を苅る翁に逢ふ。おれはヤマハゝにぼつかけられてあるなり、隠して呉れよと頼み、苅り置きたる柴の中に隠れたり。ヤマハゝ尋ね来りて、どこに隠れたかと柴の束をのけんとして柴を抱へたるまゝ山より滑り落ちたり。其暇にこゝを遁れて又萱を苅る翁に逢ふ。おれはヤマハゝにぼつかけられてあるなり。隠して呉れよと頼み、苅り置きたる萱の中に隠れたり。ヤマハゝは又尋ね来りて、どこに隠れたかと萱の束をのけんとして、萱を抱へたるまゝ山より滑り落ちたり。其暇に又こゝを遁れ出でゝ大きなる沼の岸に出でたり。此よりは行くべき方も無ければ、沼の岸の大木の梢に昇りゐたり。ヤマハゝはどけえ行つたとて遁がすものかとて、沼の水に娘の影の映れるを見てすぐに沼の中に飛び入りたり。此間に再び此所を走り出で、一つの一つの笹小屋のあるを見付け、中に入りて見れば若き女ゐたり。此にも同じことを告げて石の唐櫃のありし中へ隠してもらひたる所へ、ヤマハゝ又飛び来り娘のありかを問へども隠して知らずと答へたれば、いんね来ぬ筈は無い、人くさい香がするものと云ふ。それは今雀を炙つて食つた故なるべしと言へば、ヤマハゝも納得してそんなら少し寝ん、石のからうどの中にしやうか、木のからうどの中がよいか、石はつめたし木のからうどの中にと言ひて、木の唐櫃の中に入りて寝たり。家の女は之に鍵を下し、娘を石のからうどより連れ出し、おれもヤマハゝに連れて来られたる者なれば共々に之を殺して里に帰らんとて、錐を赤く焼きて木の唐櫃の中に差し通したるに、ヤマハゝはかくとも知らず、只二十日鼠が来たと言へり。それより湯を煮立てゝ焼錐の穴より注ぎ込みて、終に其ヤマハゝを殺し二人共に親々の家に帰りたり。昔々の話の終は何れもコレデドンドハレと云ふ語を以て結ぶなり。

                        「遠野物語116」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この話の最後に、現在でも伝えられる遠野の語り部の常套句である「ドンドハレ」という決まり文句が紹介されている。つまりこの話は、口承伝承である通常の遠野物語とは少し違うのだよと言っているようなものである。

出だしはまるで「狼と七匹の子山羊」だ。そして、ヤマハゝから逃げる娘の身代わりに柴と萱がなるのは「三枚の御札」に近い傾向である。御札は神聖なものであるが、柴もまた神聖なものであった。狩野敏次「昔話にみる山の霊力」によれば、柴は燃料でもあると共に、榊と同じように祭祀に用いられる神聖な木でもあると。岩手県江刺の「ひょっとこの始まり」の話では、柴刈りの爺が悪いものが棲むとした穴を柴で塞ぐ場面は、悪霊を閉じ込める呪力が柴にあるものとみられている。イネ科でもある萱は稲の呪力を備えると共に、「かや」という言葉に意味がある。

「日本書紀」応神天皇記から蚊帳(かや)という語句が登場しているは、支那国から蚊屋絹縫という人物が渡来したからのようである。蚊帳は古くは蚊屋とも記し、人間の血を吸う蚊を除ける蚊帳が、上流階級の間で普及した。「雷が鳴ったら蚊帳に入れ。」というように雷除けの結界としても広まったが、本来「かや」は、非日常的な異空間を人為的に造ったものであり、魔除けの意味があるものであった。つまり茅葺屋根の家屋そのものも魔除けの意味を有しているのだが、それは「かや」は「萱」であり「家屋」でもあった。

また「遠野物語116」は「猿婿」の話のようでもあり、水に映った姿を本物と勘違いするモチーフも加えられ、様々な昔話に通じるものが散りばめられている。ただ一番言えるのは、ヤマハゝがいかに恐ろしいかと伝えるものであろう。遠野の山口部落では夕暮れになると子供に対して「モンスケ婆が来るぞ!」と言ったという。モンスケ婆は六角牛山から降りて来る山姥のようでもあるが、菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」によれば、「遠野物語」に記されている「サムトの婆」の実家の家長が茂助であり、茂助の家の婆という事から「モンスケ婆」であろうとしている。里に棲む人間の女性であっても、山に長い間棲む事になれば、それは里の者から山の者に変化する事であり、里の女であったサムトの婆も、いつの間にか山姥となった事を意味している。つまり御伽話、昔話で登場するようなヤマハゝが、よりリアリティをもって子供達を恐怖に貶めたのがモンスケ婆であるヤマハゝであったのだろう。子供を戒める話は、このように昔話風のヤマハゝが、実は現実に有り得ると思わせるところに落としどころがある。都市伝説である口裂け女の登場も、整形手術に失敗したという逸話を加える事によってリアリティを増した事と同じであろう。

最後に「ドンドハレ」という言葉を以て、これは昔話ですよと〆るのだが、子供達の心には「もしかして…。」という恐怖感を植え付けるには、若干の地域性と現実性を加えて語るのが効果的なのであろう。
by dostoev | 2014-03-23 14:08 | 「遠野物語考」110話~ | Comments(0)

「遠野物語115(ヤマハゝ)」

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御伽話のことを昔々と云ふ。ヤマハゝの話最も多くあり。ヤマハゝは
山姥のことなるべし。其の一つ二つを次に記すべし。

                                  「遠野物語115」

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山人に魅せられた柳田國男は遠野を訪れ、その山人の幻影を探した。南方熊楠に批判されようと、どこかでその夢を捨てきれなかったのかもしれない。日本の文化は西日本から開け、それから関東へと移行しつつあった中、東北はまだ未開の地であるという意識が、柳田國男を遠野の地へと駆り立てたのだろう。しかし現代になり、東北は独自の文化をはぐくんでいたが、中央の歴史からは省かれていた為、未開の地であるという柳田國男の幻想は杞憂であったのかもしれない。東北の中央には奥羽山脈が走り、遠野は沿岸寄りの北上山地に属する。殆どが山に覆われた東北の中の遠野であるから、柳田國男は佐々木喜善の話に興味を持って遠野まで来たのだろう。だからこそ、遠野の話は無数にあるものの、柳田國男「遠野物語」には、山の話が多い。

ヤマハゝは山姥であり、やはり山に属する物の怪の類と広まっている。ただ、画像の絵は、御伽話で有名な金太郎と、その母である山姥である。この絵の山姥は、物の怪のような恐ろしい存在としては描かれて無く、どちらかといえば母性の象徴として描かれている。恐らくこれは、山そのものが様々なものを産み出す母性そのものであり、山神が女神であるという伝承に基づいて、その山の神である女神の具現化としてが山姥であろう。しかし、この絵と対照的に人を食べる恐ろしい山姥の姿もあるが、ここで神と云う存在を振り返れば、神とは元々一方的に祟りを為す存在であるが、人々に恵みをもたらす存在でもある。この二面性を神として捉えた場合、和魂と荒魂の二面性となる。ローマ神話での月の女神ダイアナは優しい母性の象徴となるが、もう一人の月の女神ヘカテは復讐の女神である。これは女性に存在する母性と嫉妬の二面性を山の神である女神に重ね、母性の山姥と恐ろしい山夫場は、日本の神の概念からすれば和魂と荒魂の関係となろう。

ところで画像の金太郎は山姥の子供であるから、熊と相撲を取っても勝てるくらいの力持ちである。早池峯や六角牛の山の神から石などを授かった者達が大力を得るのは、この金太郎も含め、山そのものが異界であり、あらゆるものを有する属性から、その力が与えられたものと感ずる。
by dostoev | 2014-03-22 09:52 | 「遠野物語考」110話~ | Comments(0)

「遠野物語119(竃)」余談として塩竈神社

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遠野郷の獅子踊に古くより用ゐたる歌の曲あり。村により人によりて少しづゝの
相違あれど、自分の聞きたるは次の如し。百年あまり以前の筆写なり。

馬屋ほめ

一 まゐり来てこの御台所見申せや、め釜を釜に釜は十六

                     「遠野物語119」

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「遠野物語119」は歌の紹介になっている。その歌はいくつもあるが、今回は一つだけをピックアップする為、残りの掲載を省く事とする。

そのいくつもの歌の中に、釜に関する歌があった。「め釜を釜」と記されているで「遠野物語拾遺22」で、東禅寺にあったという夫婦釜を思い出した。「遠野物語拾遺28」でも「人身御供は男蝶女蝶の揃うべき」とあり、世の常は男女揃う事は陰陽の和合になるという事だろう。釜もまた、中に水(陰)を入れて外から火(陽)をつける事が、陰陽の和合の道具でもある。そしてその釜を据え付ける竃そのものが、陰陽和合の場となる。

茶家の正月と云われるのも、茶席の炉や囲炉裏を開くのも「亥」の日が良いとされる。それは「亥」が陰陽五行の水にあたるので、火を司る炉に水の陰で対し、火の安全を願った為だと云われる。つまり、火の場には常に水が付き纏っている。
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ところで台所には竃が設置されており、画像の様な火の神でもあり、全ての家というわけでは無いが、荒神とも云われる竃神の面を掛けておく習わしがある。この竃面は、有名な「ヒョウトク譚」に由来するもので、家に幸運を運んできた醜いヒョウトクの面を木や粘土で造って、竃前の釜男という柱に掛けておく。しかし、その火の神となったヒョウトクは山の水界からの貰い物である。山中異界、山には竜宮と繋がっている話は多く、その水神系からの贈り物が火の神系であった。

水神系で醜いとされたのは神功皇后に呼ばれた磯良神が有名だ。また「醜い」として有名なのは、木花咲耶姫の姉である磐長姫だ。ただ、磐長姫の醜さとは、宮崎県西都市の銀鏡神社の社伝によれば、鏡に映った磐長姫の顔は龍神であったとされている。つまりそれは、人間を超越した神の御姿でもあった。そしてその龍神は水界と繋がる。となれば、当然の事ながら水界に棲む磯良も、磐長姫も竜神系の神であると推測される。竃面のヒョウトクも山中の水界からの来訪神である事から当然、龍神系との繋がりは深いのだろう。
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昭和57年に、京都の浄土宗華台寺の天井裏から、竹・藁・布で出来た奇妙な等身大の藁人形が発見された。その藁人形には男根を模したものが付いており、手の指は三本であるという。恐らく水神的性格をもった人形で、家の火臥せを意識されたものであろうと云われている。火所とは、竃が置かれる土間の台所だ。つまり竃の火を臥せようとする意図ではないかとされている。三本指の藁人形とは、つまり河童を意識して作られたものではなかったか。男根が付いているという事は、何かと交わせようとする意図を感じる。

宮田登「女の霊力と家の神」によれば、竃神は歴史的に陰陽師や山伏が関与した事実が立証されており、その為「三宝荒神」とも云われるのはその影響からだ。ところが一方では農業神としても崇められ、田の神に近い性格を有しているという。飯島吉晴「竃神と厠神」では、「弘法大師行状記」の「竜頭太事」の説話を紹介している。竜頭太は田の神であり山の神であり、竜蛇的形姿とその光から、雷神的性格を持ち竃に安置するものである事が書かれている。

「或記云、古老伝云、竜頭太ハ和銅年中ヨリ以来、既に百年ニ及フマテ、当山麓ニイホリヲ結テ、昼ハ田ヲ耕シ、夜ハ薪ヲコルヲ業トス、其の面竜ノ如シ、顔ノ上ニ光アリテ、夜ヲ照ス事昼ニ似リ、人是ヲ竜頭太ト名ク」    「弘法大師行状記(竜頭太事)」

顔は醜いとは記されて無いものの「其の面竜ノ如シ」とあるのは、そのまま醜いとされる水界・竜宮の使いが竃に斎く事を意味している。
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竃神の顔は、圧倒的に男顔である。つまり竃に斎いているのは水界から来た火の神であろう。ならば先に紹介した男根の付いた藁人形は陽(火)の人形であろう。つまり男根は陰(水)と結び付く為のものであると考える。

釜には女釜と男釜があるように、恐らく竃にも女竃があるのではなかろうか。それはつまり竃神に田の神の性格を見い出せるというのは、常に竃に斎いた火神である竃神とは別に、同じ山界であり水界から降りてくる水神を迎え入れる為の藁人形であると考える。

田の神とは本来山の神であり、春に山から下りて来て田の神となり、秋の稲刈りの終了と共に山へと帰って山の神となると云われている。遠野の上郷町に田の神神社があり、その傍らに早池峯の石碑がある事から、早池峯の女神を意識して建てられたものだと理解できる。山の神とは大抵の場合女神と認識され「日光狩詞記」においてのアンケートの殆どが、山の神は女神であるという認識があるようだ。遠野においても、失せ物をしたら山で男根を露出すると見つかるなど、山の女神はグロテスクな男根と海の醜いオコゼを喜ぶとされるのは、自らが醜いせいだと云われている。それはつまり、磐長姫の顔が龍神の様に醜い顔と同じ、水界・竜宮の主が山の神であるという事だろう。

更に、竃は生産の場でもある。火と水が融合して、水は湯にもなり、食物が生産される場である。そこには陰陽の和合が当然ある事から、家の竃には男神である火の神が斎き、いつも山から降りてくる山の女神を迎え入れ陰陽の和合を果たして、様々なものが生産される信仰の形が、家の竃に施されたのだろう。
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余談であるが、竃の普及は塩竈から来ているとも云われる。塩竈で思い出すのは、宮城県の一宮である塩竈神社だ。ヒョウトク譚の火男も、死んで竃神になった。「竃神と厠神」で飯島吉晴氏は述べている。「いわば非業の死をとげたものが、竃神として祀られている場合が多い。」と。

母屋とは女性の胎内を意味するという。その母屋の中で土間のある竃は生産の場でもある為、女性の女陰でもあり、隠される場所だ。「日本昔話集成」によれば、死体を隠す場所は家の中である場合、家を表と裏に湧ければニワ(土間)やニワの隅(竃の側)であるなど、家の裏側の領域であるとされる。金屋子神を祀るタタラ場に死体を供えるよう、竃もまた死体を隠す場所であるようだ。東北に普及された竃の原初となる塩竈を名乗る、宮城一宮の塩竈神社は福島県から宮城県に渡って多く分布する。つまり、当時の朝廷にとっての裏側が、陸奥国であった。

塩竈神社に堀川天皇(1087年~1107年)はこういう歌を詠んだ「あけ暮れてさぞな愛で見む塩釜の桜が下の海士のかくれ家」

塩竈神社の御神体は、塩竈の石であるといい、つまり塩竈神社自体が竃であると言って良いだろう。木花咲耶姫が火中出産を果たしたように竃は生と死を媒介する場でもあり、そこに死の匂いのする桜の木を含めて「隠れ家」と詠んでいる。非業の死を遂げた者が竃神として祀られるのを考えた場合、それに桜が加わるのなら、果たして塩竈神社には誰が祀られているのか?それは恐らく朝廷にとって隠すべき存在であろう。ただ、生と死を媒介するのが竃であるならば、非業の死を遂げた者も、いつかは復活するのであろうか?とにかく塩竈神社は、謎の多い神社でもある。
by dostoev | 2013-09-27 18:25 | 「遠野物語考」110話~ | Comments(10)

「遠野物語114(ダンノハナ)」

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山口のダンノハナは今は共同墓地なり。岡の頂上にうつ木を栽ゑめぐらし其口は東方に向かひて門口めきたる所あり。其中程に大なる青石あり。曾て一たび其下を掘りたる者ありしが、何者をも発見せず。後再び之を試みし者は大なる瓶あるを見たり。村の老人たち大に叱りければ、又もとのまゝに為し置きたり。館の主の墓なるべしと云ふ。此所に近き館の名はボンシヤサの館と云ふ。幾つかの山を掘り割りて水を引き、三重四重に堀を取り廻らせり。寺屋敷砥石森など云ふ地名あり。井の跡とて石垣残れり。山口孫左衛門の祖先こゝに住めりと云ふ。遠野古事記に詳かなり。

                        「遠野物語114」

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日本の古来から、墓暴きというものは行われてきた。これが古墳であれば、墓の主の装飾品が一緒に埋められているからだ。最近では安倍氏の館跡が三陸横断道と重なる為に発掘されたが、その時には古銭もいくつか発掘されたと聞く。そういう意味では館跡であったダンノハナもまた、お宝の眠る地として思っていた者もいたのだろう。

ところで文中に登場するボンシヤサ館は梵字沢館(別名 大洞館)と記す。「遠野市における館・城・屋敷跡調査報告書」においては、館主等は一切不明であるようだ。もしかして貞任山の開発の拠点となった場所では無いかと云う事らしい。そして、ダンノハナである山口館とは関係が無さそうである。

このダンノハナに舘主の墓があったという事実が埋葬地として意識され、いつしか地域の共同墓地になってしまったのだろう。小友のダンノハナは、村で死人が出るとまずダンノハナで寺地山に合図する為に狼煙を上げ、寺地山で読経が成されたという。

陸地の突端を「鼻」と表現し、例えば岬なども一つの「鼻」である。その「ハナ」が「花」とされれば、どこか華やかな感じがするが「花」も「華」も、本来は「端」の意味から発生している。そして「鼻」も似た様なもので漢字として成り立ち「自」という文字を有する「鼻」は、「端(はし)」でもあり「始まり」を意味する。
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確かにダンノハナは地形的に鼻のようでもあるが、それは人間の鼻というより、取って付けた仏像の鼻の様でもある。しかしその「鼻」が「先端・突端」を意味し、そして「始まり」を意味したのなら「ダンノハナ」そのものの考え方がガラッと変わってしまう。
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日本最古の書物「古事記」そして「日本書紀」に長い鼻の持ち主が登場する。「一の神有りて、天八達之衢に居り。其の鼻の長さ七咫、背の長さ七尺餘り。」とあり、その名を猿田彦と云い、いろいろな神社の例祭などの先頭を務める神である。猿田彦は塞ノ神でもあり、村の入り口や辻などに祀られている場合が多い。所謂"突端""先端"に祀られ、疫病などの侵入を防ぐと信じられている。村の入り口は村の端でもあるが、村の始まりでもあり、始まりを意味する「鼻」でもある。「鼻」は「端」でもあるが、その「端」は「箸」や「橋」と違う漢字もあてられるが、その「はし」の意味とは「モノとモノを繋げる」意味がある。

「箸」は食べ物と、それを食べる人間の口とを結ぶもの。「橋」は、あちらとこちらを繋げる役割を果たす。赤坂憲雄「境界の発生」には「天界の通路」として虹の橋を紹介しているが、天と地を繋げるものは古来から「高橋」であると云われた。「高橋」は天にも届く高い地と地上を結ぶ存在。氏名としての高橋も、成立がいつからかわからない日本で一番古い氏族でもある。この高橋は神との繋がりを有する氏族であると云われているが、余談としてその分家に九州の菊池一族がいる事を付け加えておこう。

猿田彦の鼻は「其の鼻の長さ七咫」と記されているように長い鼻であったようだが、長いと高い葉近似していた。例えば、長い丸太を立てれば、高い丸太になるように、長いと高いの境界線は曖昧であった。沢山の星の集まったのを昂と云い、それが猿田彦の居た八衢であると云われている。八衢は道の重なる辻でもあり、長い鼻も辻も、どこかで天界と繋がる場所である認識がある。

霊は天から降って来て地に潜ると云われる様に、その霊的な遭遇場所が鼻であり、辻でもある。恐らくダンノハナに死者を葬るのも、その霊であり魂を天界へと送り出す呪術的意味合いが込められてのダンノハナという名称ではなかったろうか。ちなみにダンノハナの「ダン」を「檀」とすれば、それは道教や密教の祭場を意味する。道教は卑弥呼の時代には既に日本に入り込んでいるものであるから、ダンノハナの語源はかなり古いのかもしれない。ちなみに仏教として、初めて死者を懇ろに弔うようになったのは平安末期に、浄土宗の僧侶が死体に手を合わせたのが初めとされる。それ以前の死体は黒不浄であり忌み嫌われるものであった。それを埋葬し土に還すのは黄泉の国へと送る意味合いを含んでいた。それから考えてみてもダンノハナとは本来、古来から伝わる風習を具現化したものであるのかもしれない。「ハナ」が「始まり」を意味するなら、それは死者の「再生」を意味している可能性があるからだ。
by dostoev | 2013-09-04 18:20 | 「遠野物語考」110話~ | Comments(6)

「遠野物語111(デンデラ野)」

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山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺及火渡、青笹の字中沢並に土渕村の字土淵に、ともにダンノハナと云ふ地名あり。その近傍に之と相対して必ず連台野と云ふ地あり。昔は六十を超えたる老人はすべて此連台野へ追ひ遣るの習ありき。老人は徒に死んで了ふこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり。その為に今も山口土淵辺いては朝に野らに出づるをハカダチと云ひ、夕方野らより帰ることをハカアガリと云ふと云へり。

                                   「遠野物語111」

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現在、デンデラ野には「あがりの家」として「ハカアガリ」を意図した住居が建っている。江戸の三大飢饉とは云うが、東北は四大飢饉とも云われ、いやそれ以外にも僅かな飢饉も含めば、遠野の歴史は飢饉の歴史となるほどに、生きていくには厳しい土地だった。それ故に、齢60を過ぎれば自ら身を引き、自分の食べるものは子供や孫たちに与えようとした。つまり老人達は、未来を守ろうとしていたのである。
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ただ、デンデラ野を歩いて見ると、栗が実りつつあり、キノコも生えている。また川に下れば、様々な魚や沢蟹がいて、農作物は食べなくとも、自然の恵みから命を頂き、自らの命を繋ぐ事は出来たのだと想像する。例えば「遠野物語3」において、佐々木嘉兵衛に鉄砲で撃たれた美しい女もまた、山で暮らしていたのだ。

遠野の人々は、春は山菜、秋はキノコ採りに興じる様に、春や秋は、食料に困らなかった。問題は、夏と冬をどう過ごすかであったろう。その為に、保存食が開発され、どうにか過ごしてきた筈である。また、今程に寿命が長くない時代でもあった為、年老いた人々は若者達と違い、然程の食料を必要としなかったせいもあったろう。僅かな山の恵みや川の恵みで、どうにか生きながらえた事であったろう。実際には、更なる昔にはデンデラ野には縄文人が住み、似た様な暮らしをしていた歴史がある。現代の遠野と違い、山や川の恵みが多かった時代の事である。

確かに「姥捨て伝説」の一つとして、このデンデラ野を捉える事はできよう。しかし、デンデラ野から人骨が見つかったという話を聞いた事が無い。恐らくデンデラ野で死んでいった老人達は、家族の手によって引取られ、自らの土地に埋葬されたのだろう。今でも山口部落へ行くと、畑の中にポツネンと風化した墓石らしきがいくつも建っている。
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デンデラ野の奥からは、間に山口川を挟んで、山口部落を望む事が出来る。まるで生きながらにして、あの世であるデンデラ野と、60歳になるまで住んでいたこの世である山口部落を、三途の川に見立てられた山口川を挟んで、その情景をどう見た事だろうか。しかし死してやっと、あの世から帰還できた喜びは、本人だけでなく家族もそうであったろう。デンデラ野から死体となった帰ってきた老人を手厚く葬る事は、子供や孫達の未来を守ってくれた老人達に対する感謝でもあった筈だ。


そして、ついでに読んで欲しい「デンデラ野の語源」  ←クリック
by dostoev | 2013-09-02 17:36 | 「遠野物語考」110話~ | Comments(2)

「遠野物語112(山口部落)」

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ダンノハナは昔館の有りし時代に囚人を斬りし場所なりと云ふ。地形は山口のも土淵飯豊のも略同様にて、村境の岡の上なり。仙台にも此地名あり。山口のダンノハナは大洞へ越ゆる丘の上にて館跡よりの続きなり。連台野は之と山口の民居を隔てゝ相対す。連台野の四方はすべて沢なり。東は即ちダンハナと間の低地、南の方を星谷と云ふ。此所には蝦夷屋敷と云ふ四角に凹みたる所多く有り。其跡極めて明白なり。あまた石器を出す。石器土器の出る処山口に二ヵ所あり。他の一は小字をホウリヤウと云ふ。ここの土器と連台野の土器とは様式同然殊なり。後者のは技巧聊かも無く、ホウリヤウのは模様なども巧なり。埴輪もここより出づ。又石斧石刀の類も出づ。連台野には蝦夷銭とて土にて銭の像をしたる径二寸ほどの物多く出づ。是には単純なる渦紋などの模様あり。字ホウリヤウには丸玉管球も出づ。こゝの石器は精巧にて石の質も一致したるに、連台野のは原料色々なり。ホウリヤウの方は何の跡と云ふことも無く、狭き一町歩ほどの場所なり。星谷は底の方今は田と成れり。蝦夷屋敷は此両側に連りてありし也と云ふ。此あたりに掘れば祟ありと云ふ場所二ヵ所ほどあり。

                                   「遠野物語112」

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「ダンノハナは昔館の有りし時代に囚人を斬りし場所」とあるが、遠野市は七ヶ町村が合併し遠野市となっており、そま面積は東京23区よりも広い。その為か、南部時代には罪人の処刑は各地に任せていたようで、いくつか遠野には処刑場跡がある。そういう意味では、鼻緒や臍の緒、もしくは魂の緒を断ずる"断ノハナ"にも感じる。
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連台野はデンデラ野として、姥捨て山で有名になっているが、実は縄文の遺跡が発掘されているのは意外に知られていない。
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「連台野の四方はすべて沢なり。」とあるように画像を見れば、連台野から見下ろすと下に流れる山口川が見える。
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また連台野の裏側、つまり星谷にも沢が流れている。森下年晃「星の巫」において、縄文文化と星地名の関連が指摘されているが、縄文遺跡のある連台野と星谷の関係も恐らく縄文時代から続くものであったか。
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同じく縄文の遺跡が発掘されたホウリヤウには現在、古びた小さな社があり、宝龍権現が祀られている。その後ろには沢が流れており、その奥はかって縄文人が住んでいたのだろう。ホウリヤウは熊野の飛龍(ヒリュウ)の転訛であるようで、基本的には水神を祀っている名称となる。
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ただ、後ろの沢は昔、山口川から道を横切る様に引いた水路でもあり、恐らくこの宝龍権現は、その頃に祀られ、それから地名もホウリヤウとなったものであろう。つまりそれ以前の地名は謎という事になる。
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「蝦夷屋敷は此両側に連りてありし也と云ふ。此あたりに掘れば祟ありと云ふ場所二ヵ所ほどあり。」蝦夷屋敷と、掘れば祟りがあるという話が一緒に語られているが、この山口部落に隣接する和野のジョウヅカ森と、蝦夷塚と呼ばれる畑のコンセイサマは、掘ると祟りを成すと云われるので、恐らくこの二ヵ所を云っての事であろうから、蝦夷屋敷とは関係無いのかもしれない。
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蝦夷屋敷は先住民の住居跡を云い、連台野に隣接している。ただ蝦夷屋敷=縄文とも意識せらるるが、安倍氏もまた蝦夷であるから、先住民という概念は、源頼朝に奥州藤原氏が滅ぼされる以前までを先住民と捉えて良いだろう。
by dostoev | 2013-09-02 07:07 | 「遠野物語考」110話~ | Comments(6)

「遠野物語113(ジャウヅカ森)」

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和野にジャウヅカ森と云ふ所あり。象を埋めし場所なりと云へり。此所だけには
地震なしとて、近辺にては地震の折はジャウヅカ森へ遁げよと昔より言ひ伝えた
り。此は確かに人を埋めたる墓なり。塚のめぐりには堀あり。塚の上には石あり。
之を掘れば祟ありと云ふ。

                                   「遠野物語113」

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確かに、このジャウヅカ森には塚があり、石が立っている。墓といえば墓なのかもしれない。ここは以前、天台宗の寺院があった広大な土地の一部であり、所謂聖地でもあった。そういう意味では、全体的に地震が来ない地とも云われて良いのだが、この塚の場所だけ地震が来ないと云われるのは、この塚の下に埋まっている人に対する信仰みたいなものがあるのではなかろうか。中世時代に密教の呪術が流行った時、宗教に携わる者の髑髏には、その効果が絶大とされた。そういう意味合いから、恐らくこのジャウヅカ森の塚に眠る人物は、天台宗の徳の高い人物であったろうと想像する。
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そして近くには堀らしきも確かにあり、全体を見れば天台宗の寺院というより城跡に近いものだと感じる。そしてジャウヅカ森の語源だが、先人があれこれ思索しているが、三途の川の辺にいて亡者の脱衣を剥ぎ取る葬頭河婆(ショウヅカバア)との語源の関連を指摘するものが多い。確かにショウヅカがジャウヅカに転訛したとしても、何等違和感が無い為、その可能性は高いだろう。象頭(ショウズ)とも記されるが、葬頭と捉えれば、密教の呪術に髑髏を使用されたのを考えると、この塚の下に眠る聖人の能力、死んで髑髏となって尚、聖人の迸る霊力に頼ったものではなかろうか。葬った聖なる髑髏が宿る森、それがジャウヅカ森(葬頭ヶ森)であったのかもしれない。
by dostoev | 2013-09-01 09:11 | 「遠野物語考」110話~ | Comments(0)