遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語考」90話~( 12 )

「遠野物語99(霊界の法則)」

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土淵村の助役北川清と云ふ人の家は字火石に在り。代々の山臥にて祖父は
正福院と云ひ、学者にて著作多く、村の為に尽くしたる人なり。清の弟に福二
と云ふ人は海岸の田の浜へ婿へ行きたるが、先年の大津波に遭ひて妻と子と
を失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばか
りありき。

夏の初の月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の
打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よる
を見れば、女は正しく亡くなりし我妻なり。思はず其跡をつけて、遙々と船越村
の方へ行く崎の洞のある所まで追い行き、名を呼びたるに、振返りてにこと笑ひ
たる。

男はと見れば海波の難に死せり者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心
を通わせたりと聞きし男なり。今は此人と夫婦になりてあると云ふに、子供は可
愛くは無いのかと云へば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物
言ふとは思われずして、悲しく情けなくなりたれば足元を見て在りし間に、男女
は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。
追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明まで道中に立ちて
考え、朝になりて帰りたり。其後久しく煩ひたりと云へり。

                          「遠野物語99」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以前に書いた、この「遠野物語99」の話は、東日本大震災と重なって、かなりのアクセスを見せた記事であった。死んだ妻が、夫である福二と結婚する以前に心を通わせていた、やはり津波に呑み込まれた男と消えて行く様子は悲しげであり、その理由をいろいろ考えて見たものだった。

服藤早苗「平安朝の女と男 貴族と庶民の性と愛」に、10世紀の半ば頃に「女は死後、初めて性交をした相手に手を引かれて三途の川を渡る。」という俗信が紹介されていた。つまり、これを「遠野物語99」に当て嵌めると、津波に呑み込まれて死んだ妻は、"霊界の法則"によって、結婚している福二の妻であったが、それよりも強い絆であるのか、初めて身体を預けた男性に手を引かれて行くというものは、まさに不条理であった。突っ込みどころがある俗信ではあるが、平安時代の俗信が現代であり、東北の果てまで伝わって信じられていたという事が、貴重であり重要であると思う。福二が見たものは、この地方まで伝わり、根強く生きて来た強い俗信の幻影であったのか。それとも、その霊会の法則は、実在するリアリティであったのだろうか。
by dostoev | 2016-05-06 16:20 | 「遠野物語考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語92(早池峯への道程)」

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昨年のことなり。土渕村の里の子十四五人にて早池峯に遊びに行き、はからず夕方近くなりたれば、急ぎて山を下り麓近くなる頃、丈の高き男の下より急ぎ足に昇り来るに逢へり。色は黒く眼はきらきらとして、肩には麻かと思はるゝ古き浅葱色の風呂敷にて小さき包を負ひたり。恐ろしかりしかども子供の中の一人、どこへ行くかと此方より声を掛けたるに、小国さ行くと答ふ。此路は小国へ越ゆべき方角には非ざれば、立ちとまり不審する程に、行き過ぐると思ふ間もなく、早見えずなりたり。山男よと口々に言ひて皆々遁げ帰りたりと云へり。

                                 「遠野物語92」

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「注釈遠野物語」によれば、この話を提供したのは土淵小学校校長鈴木重男(1881~1939)であったという。小学校の校長であるから、子供達から実際に早池峯へ行き、山男らしきと遭遇した話を聞いたのであろうとは思える。ただ「注釈遠野物語」にも書いている様に、土渕の早池峯参道から歩いたとしても一昼夜はかかる。ましてや、小学生の子供達の足でとなると、疑問に思うのが普通だ。ただしだ、早池峯というスケールをもっと大きく見積もれば、あながち嘘では無いのかとも思える。通常の早池峯山への道は、古参道通りに歩いて、早池峯神社経由で行くのが普通なのだろう。そうなればまず、子供足ではどう考えても無理だと思う。しかし、早池峯山ではなく、早池峯として考えた場合、例えば前薬師という名称からわかるように、早池峯があってこその薬師である。つまり、薬師もまた早池峯に属する山であると考える。

そして、現在の荒川高原へ向かう道もまた、早池峯への道となる。途中には不動明王を祀る神社があり傍には渓流と不動の瀧がある。修験者は、川沿いの道を開発して奥へと進み、途中にあった滝や大岩に大抵は「不動」という名前を付けて進んでいった。

荒川の不動明王を祀る神社の背後は萬幡(ヨロズバタ)という地名がある。そして何故か、早池峯であり薬師岳の麓にある又一の滝へと向かう途中もまた萬幡という同じ点名がある。この点名は古来からの呼称を、そのまま採用したようだ。又一の滝は、早池峯山と共に早池峯神社の御神体の一つでもある。つまり又一の滝も早池峯の山麓でありながら早池峯に属する地である。そういう意味から考えれば、荒川の不動明王を祀る神社と滝のある地もまた、早池峯に属する地と考えて良いのではなかろうか。
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土渕から、早池峯山までは歩いた事は無いが、果たしてどれだけかかるのだろうか?通常であれば、どこかで一泊して進むというのが一般的であろう。以前の冬、耳切山の中腹に車を止めて雪で埋まった道沿いを歩いて荒川高原の馬の放牧地まで歩いて行った事がある。雪のせいで難義した為に、車から往復8時間かかった。これが雪の無い道であれば、その半分で済んだであろう。それでは同じ8時間をかけて歩くなら、土渕の早池峯古参道跡の鳥居から、荒川までは恐らく往復8時間程度で済みそうな気がする。明治時代に水筒があったかどうか定かでは無いが、必要なのは水である。耳切山経由では、水場が道沿いには無い。ましてや、明治時代に道路が開発されていたのかも定かでは無いが、附馬牛町から進む荒川の道は、先に記した様に川沿いを山伏が開発した道であり、明治時代であるのならば当然、道もあった筈だ。土渕の早池峯古参道跡から附馬牛の町までは、歩いても1時間以内で歩ける距離にある。そこからは、いつでも水を飲む事が出来る、荒川渓流沿いの道を進むのが、子供達にとっても合理的な道であると思う。
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平成の初期に、荒川高原の道は舗装道路となり、タイマグラ経由で小国まで道が開発された。それ以前はでこぼこ道で、車で行くのにも、かなり難義した。そしてその途中、小国と小田越方面への分岐路がある。その分岐路まで歩くとしたならば、日の出前に歩き始めれば、休憩を数度交えても、昼までには到着するものと思える。であれば、小田越方面へとそこから進めば、早池峯登山口までの行程は可能であろう。その帰りの分岐点辺りで山男らしきと遭遇し、小国へ行くという言葉とは裏腹な方向へと進んだとしても、あの附近であれば、麓に近いという供述は納得できるものだ。よって土渕村の子供達は、荒川高原経由で早池峯山まで行ったであろうが、恐らく登山口まででは無かっただろうか。
by dostoev | 2014-03-26 16:49 | 「遠野物語考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語94(相撲)」

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この菊蔵、柏崎なる姉の家に用ありて行き、振舞はれたる残りの餅を懐に入れて、愛宕山の麓の林を過ぎしに像坪の藤七と云ふ大酒呑にて彼と仲善の友に行き逢へり。そこは林の中なれど少しく芝原ある所なり。藤七はにこにこととしてその芝原を指し、こゝで相撲を取らぬかと云ふ。菊蔵之を諾し、二人草原にて暫く遊びしが、この藤七如何にも弱く軽く自由に抱へては投げらるゝ故、面白きまゝに三番まで取りたり。藤七が曰く、今日はとてもかなわず、さあ行くべしとて別れたり。四五間も行きて後心付きたるにかの餅見えず。相撲場に戻りて探したれど無し。始めて狐ならんかと思ひたれど、外聞を恥ぢて人にも言はざりしが、四五日の後酒屋にて藤七に逢ひ其の話をせしに、おれは相撲など取るものか、その日は浜へ行きてありしもをと言ひて、愈狐と相撲を取りしこと露顕したり。されど菊蔵は猶他の人々には包み隠してありしが、昨年の正月の休に人々酒を飲み狐の話をせしとき、おれも実はと此話を白状し、大に笑はれたり。

                          「遠野物語94」

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「注釈遠野物語」では藤七は実在する人物であると記されている。土渕町柏崎の愛宕神社の別当家で、墓碑には「大授院広闊道貫居士 象坪藤七 五十七歳 大正八(一九一九)年三月」とあり、無類の酒好きであったのは確かだという。

画像の山は象坪山で愛宕山でもある。ここにも愛宕神社があるが、藤七は柏崎の愛宕神社の別当家であるが、この愛宕神社と柏崎の愛宕神社は山口部落の入り口の手前に鎮座しており、狛犬の様に二つ向かい合わせになっている。そういう意味では、柏崎の愛宕神社と何等かの繋がりがありそうである。
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相撲で有名なのは河童で、無類の相撲好きらしい河童と人間が相撲を取った話は全国無数にある。また「遠野物語90」は、ある意味天ヶ森の山男か天狗に相撲を挑んで負け、祟りに遭った話でもある。折口信夫「河童の話」の文中に「古代の相撲は、腕を挫き、肋骨や腰骨を蹴折る、といった方法さえあったようである。」と記されている様に、現代のルールに縛られている相撲よりももっと激しい命の取り合いであったようだ。

ただ「遠野物語94」での狐は、相撲に勝つと云うより餅を奪う手段として騙す為に菊蔵と相撲を取ったものである事は明らかだ。だが本来、相撲には勝ち負けが付くもので、その勝った褒美として餅が与えられるものであろうが、よく「試合に勝って勝負に負けた。」「試合に負けて勝負に勝った。」などという言葉があるが、本来は「相撲に勝って勝負に負けた。」から発生した言葉であった。ここでの狐は「相撲に負けて、勝負に勝った。」という事だろう。
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平林章仁「七夕と相撲の古代史」では、その相撲に対する考察が成されている。「日本書紀」垂仁紀七年七月七日に、当麻蹴速と野見宿禰の相撲が行われ、これを相撲節の起源とされている。当麻蹴速は「四方に求めむに、豈我が力に比ぶ者有らむや。何して強力者に遇ひて、死生を期はずして、頓に爭力せむ」という命をかけるほどの自信が当麻蹴速にはあったようだ。しかし一人の家臣が出雲国の野見宿禰を推奨し相撲を取ったが、野見宿禰が肋骨などを折られるなどの激しい格闘の上に勝利したようだった。これが垂仁7年(紀元前23年)の事になるが、日本のでの一番古い相撲はやはり国譲りの神話に記される武甕槌と建御名方との力比べなのだろう。一節には建御名方神は両腕をもぎ取られたとも伝えられるが、やはり古代の相撲は生死をかけた激しい戦いであったのだろう。奈良時代である神亀三年(726年)に「突く殴る蹴るの三手の禁じ手・四十八手・作法礼法等が制定」とある事から、これから現代まで続く相撲の歴史が始まったのだろう。

「七夕と相撲の古代史」には「なぜ相撲をとったのか」という項があり、様々な説が記されている。折口信夫「遠くの神がやってきて精霊を圧伏し土地の守護を誓わせるという神事としての演劇である。」という説に対して、著者である平林章仁は、それを否定している。確かに垂仁紀での相撲は、骨折などをしてまでの死闘であり、演劇であるという説は成り立たないものであろう。また、村々で行われた相撲の場所は水辺であり、これは水神への信仰から、後には河童などの水の精霊が相撲を好む伝説となったと説いている。

和歌森太郎は、七夕は盆の前提行事の日であるから、水浴びや潔斎を行った関連で相撲が行われたとし、目には見えない河童との相撲を取る独り相撲が一種の舞となって相舞(すまい)と称されたのが相撲の語源であり、水神祭の折に年の後半の稔りの豊凶を占う年占としての相撲であったと説いているが、垂仁紀での相撲とは別物では無いかと疑問を呈している。

寒川恒夫は、相撲は世界的に分布し、男だけでは無く女相撲、男女相撲もあり、豊穣儀礼や死者記念祭と結び付くとし、山田知子の、災禍の原因となる死者の荒魂や悪霊を鎮め追い払う為に相撲が行われたとの説を紹介し、七月七日の相撲の前日である七月六日が、景行天皇の母である日葉酢媛命の死んだ日であるから、確かに日葉酢媛命の死んだ翌日に相撲を取るというのは、霊を鎮める為の説が有力であるのだろう。

「遠野物語94」での狐の相撲は人間を化かし餅を奪う為の手段であったろうが、人間が狐や河童、山男や天狗などと相撲を取るという話は、どこか、この世と異界とのせめぎ合いを表現している話でもあるような気がする。相撲が霊を鎮めるものであるならば、それは精霊でもある存在にも影響するのだろう。狐が餅を奪う手段として相撲も選んだのも、人間の霊と狐の霊のせめぎ合いを表し、相手を納得させる為の事であったろう。相撲で勝った方が褒美を貰うだけではなく、人間の楽しみとなった相撲を取り、負けてあげた事により、人間である菊蔵が満足してくれたという事に対しての褒美が餅であったと考えても良いだろう。だからこそ、菊蔵は狐を怨む事無く、単なる笑い話として吹き飛ばしてしまったのは、人間界と異界との楽しく互いの霊が触れ合う相撲であったからなのだろう。
by dostoev | 2014-03-19 19:08 | 「遠野物語考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語95(奇岩)」

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松崎の菊池某と云ふ今年四十三四の男、庭作りの上手にて、山に入り草花を掘りては我庭に移し植ゑ、形の面白き岩などは重きを厭はず家に担ひ帰るを常とせり。或日少し気分重ければ家を出でゝ山に遊びしに、今までつひに見たることなき美しき大岩を見付けたり。平生の道楽なれば之を持ち帰らんと思ひ、持ち上げんとせしが非常に重し。恰も人の立ちたる形して丈もやがて人ほどあり。されどほしさの余丈を負ひ、我慢して十間ばかり歩みしが、気の遠くなる位重ければ怪しみを為し、路の傍に之を立て少しもたれかゝるやうにしたるに、そのまゝ石と共にすつと空中に昇り行く心地したり。雲より上になりたるやうに思ひしが実に明るく清き所にて、あたりに色々の花咲き、しかも何処とも無く大勢の人声聞えたり。されど石は猶益昇り行き、終には昇り切りたるか、何事も覚えぬやうになりたり。其後時過ぎて心付きたる時は、やはり以前の如く不思議の石にもたれるまゝにてありき。此石を家の内へ持ち込みては如何なる事あらんも測りがたしと、恐ろしくなりて遁げ帰りぬ。この石は今も同じ所に在り。折々は之を見て再びほしくなることありと云へり。

                                    「遠野物語95」

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この物語は「遠野物語88」「遠野物語97」の魂の浮遊の様な話のようでもあるが、キーポイントは石であろう。実は似た様な話で中国の伝説に、神仙界の石が人間界に間違って降りてしまった話がある。その石の側に人間が行くと石と共に浮遊するのであるが、それは人間界には存在しない霊力を持った石で在る為だ。元々石は磐座信仰などにより神の依り憑く場所とも云われ、そういう霊力を備えているのかもしれない。
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土渕のの某所に、奇妙な石を祀る社がある。本来は宇迦御魂命を祀る社のようであるが、ただ後に、天道という妙な宗教と習合したようである為か「宇宙総本山 天の御柱 玉皇山」という札が一緒にある。玉皇山とは中国の地名として存在している。その為か少々神仙臭い面を感じたので、この石と「遠野物語95」が、中国の神話をイメージさせてくれたのだった。
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遠野の変わった石とすれば小友の某所にある「鹿除け石」だろう。この石には無数の鹿の足跡のような穴が空いており、これに墨を付け紙で鹿の足跡の様な形を写し取り、畑などに掲げると鹿が寄って来ないと伝えられる。とにかく変わった石、美しい石は庭石に置かれたり、神社などの神域に祀られたりしている。
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「遠野物語95」において「今までつひに見たることなき美しき大岩を見付けたり。」と記されているように、いつも山に行っている者が今まで見付けれず、たまたまある日、異界から現れた石に魅了されたのだろうか?だが、その石は「今も同じ所に在り。」と記されてはいるが、その石が何なのかは特定できていない。ただ「恰も人の立ちたる形して丈もやがて人ほどあり。」とあるからには、もしかして人が石になったものになるのであろうか。となれば、綾織の姥石などがその候補にになるのだろうが、姥石は人の形にはおよそ見えない。ならばやはり、地蔵岩とも呼ばれる画像の石ではなかろうか。
by dostoev | 2013-09-12 16:58 | 「遠野物語考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語91(山神の祟り)」

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遠野の町に山々の事に明るき人あり。もとは南部男爵家の鷹匠なり。町の人綽名して鳥御前と云ふ。早池峯、六角牛の木や石や、すべて其形状と在所とを知れり。年取りて後茸採りにとて一人の連と共に出でたり。この連の男と云ふは水練の名人にて、藁と槌とを持ちて水の中に入り、草履を作りて出て来ると云ふ評判の人なり。さて遠野の町と猿ヶ石川の隔つる向山と云ふ山より、綾織村の続石とて珍しき岩のある所の少し上の山に入り、両人別れ別れになり、鳥御前一人は又少し山を登りしに、恰も秋の空の日影、西の山の端より四五間ばかりなる時刻なり。ふと大なる岩の陰に赭き顔の男と女とが立ちて何か話をして居るに出逢ひたり。彼等は鳥御前の近づくを見て、手を拡げて押戻すやうなる手つきを為し制止したけれども、それにも構はず行きたるに女は男の胸に縋るやうにしたり。事のさまより真の人間にてはあるまじと思ひながら、鳥御前はひやうきんな人なれば戯れて遺らんとて腰なる切刃を抜き、打ちかゝるやうにしたれば、その色赭き男は足を挙げて蹴たるかと思ひしが、忽ちに前後を知らず。連なる男は之を探しまはりて谷底に気絶してあるを見付け、介抱して家に帰りたれば、鳥御前は今日の一部始終を話し、かゝる事は今までに更になきことなり。おのれは此為に死ぬかも知れず、外の者には誰にも言ふなと語り、三日程の間病みて身まかりたり。家の者あまりに其死にやうの不思議なればとて、山臥のケンコウ院と云ふに相談せしに、其答には、山の神たちの遊べる所を邪魔したる故、その祟をうけて死したるなりと言へり。此人は伊能先生なども知合なりき。今より十余年前の事なり。

                                    「遠野物語91」

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遠野郷には山神塔が多くあり、その山神塔の建っている場所は、かって山神に遭い、または山神の祟りを受けた場所だと云われる。「遠野物語91」においても、やはり山神の祟りに遭って死んだ鳥御前の話が伝わる為なのか、今でもこの地域の人達は、この続石のを潜って、山神の祠に参詣していると云う。

一般的に山神は女神であるから女人禁制となっている山は多いが、この地域には女だけの山神の祭があるのは、この「遠野物語91」には男女の山神が登場している為に、男女を祀っている為だろうか。
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この続石は弁慶が載せたという伝承の他に、天狗が載せたという伝承も伝わっている。「遠野物語91」においてケンコウ院に相談しているが、これは華厳院であり、自分の父親の友人であった館林氏の家となる。羽黒修験の山伏の家筋である事から、弁慶では無く、本来は天狗が正しいのであったろう。羽黒修験は関東から東北にかけて支配下にしていたようである。それだけ絶大な影響を与えた羽黒修験の力は、天狗の力としても伝わったものであろう。
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善明寺に伝わる天狗の牙の伝承も、他地域では鬼になるであろうものが天狗になって近隣を荒し回ったというのも、天狗の力がそれだけ凄かった証明にもなろうか。そして、その天狗である羽黒修験が祀るのは山神である。天狗の赤ら顔は、その山神に影響されたものだろうか?ただ一般的には、猿田彦の影響を受けて、天狗象が確立されたとある。その猿田彦は秦氏の信仰する神でもあった。この前、秦氏がユダヤ教と繋がる話をツラッと書いたが、そこに繋がるのは、猿と石の魔女の結び付きによって生まれた神話を持つ、チベット系の羌族である。その羌族は、男根を象った石と、女陰を象った石とを祀り信仰していた。以前、続石は潜る事の出来る石であるから、胎内潜りではないかとも考えたが、見る方向によっては男根であるコンセイサマにも近似している。しかし、こうして考えてみると陰と陽を兼ね備えているのが続石でもあるのではないかと思えてしまう。
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この笠岩が載った石だけを見ると、コンセイサマと言っても良いかもしれない。
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しかし並んで見ると、鳥居の様でもあり、下を潜る事から胎内潜りにも通じる。ここでもう一度「遠野物語91」を読み返してみると、一つの記述が気になってしまう。「女は男の胸に縋るやうにしたり。」この山神の女が、山神の男に縋るようにする姿が、何故かこの続石の姿とダブって見えてしまうのだ。この男女が寄り添う姿は、猿田彦と鈿女の二人が道祖神として祀られている姿を思い出してしまう。
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「遠野物語拾遺9」には、二つ岩山の夫婦岩が紹介されているが、これは間を割って入ると祟りを為すと云われている。ある意味「遠野物語91」においての鳥御前が男女の山神の邪魔をして祟られた話にも近い。ただ鳥御前は、この続石の少し上の方で男女の山神に遭っているのだが、他の話では、この続石の場所で遭ったとも伝えられる。そして、この山の一帯で山神を祀る社は、この続石の背後にある社だけという事は、山神の祟りに鳥御前が遭ってから建てられたのが、この山神の社である可能性はある。

そういう意味合いから、山神を石と仮定した場合、まさに鳥御前はこの続石の間を邪魔した為に、山神の祟りに遭ったと考える事も出来る。それから男女の山神は正式に、この続石の場所で祀られ、今ではこの続石の間を通って参詣を許しているというのは、この続石の地が、山神と人との境界線に建てられたものであるからかもしれない。そしてそれは道祖神という境界神としての猿田彦と鈿女に対応するのではなかろうか?実際、この続石の上の方は、やはり巨石がゴロゴロしており、この続石を造る為の石が、そこから運ばれたのではなかろうかと言われる、続石の産地でもあり、聖地でもある。つまり続石と山神の社は、この山神の聖地と人の境界に立っているものと考えていいのではなかろうか。そして、それを侵すと祟りを為すであろうと。
by dostoev | 2013-09-11 20:18 | 「遠野物語考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語98(石碑)」

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路の傍に山の神、田の神、塞の神の名を彫りたる石を立つるは常のことなり。
又早池峯山六角牛山の名を刻したる石は、遠野郷にもあれど、それよりも浜
に殊に多し。

                                    「遠野物語98」

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「遠野物語 序文」に、柳田國男は、こう記している。「路傍に石塔の多きこと諸国其比を知らず。」つまり、日本の中でこれだけ多くの石碑、石塔が建っているところを知らないと柳田國男が言う程の石碑、石塔の多さを遠野郷は誇っているという事。しかし、何故に石碑を建てるのかを考えた場合、災害が起きたとか、伝染病が起きたとか、実は禍が起きた場合に神に対し、その怒りを鎮める場合などに多い。つまりだ、遠野郷における石碑、石塔の多さとは、天災などの禍に比例しているものと考えた方が良い。例えばこれが現代だとすれば、交通事故の多発地域に道路標識が増えるものと何ら変わりが無いという事。

ところで早池峯と六角牛の石碑が、沿岸に多いというのは、漁師が船で海に出る場合"山立て"として、早池峯&六角牛を目安にする場合が多い。何故ならば、高い山であればあるほど、沖へと行けるからだ。その早池峯などの高山が見えるギリギリまで船で沖へと行き、帰りも山を目標に帰れば良い。つまり高い山と漁業は、一体化していたという事だ。

岩手県で、一番高い山とは岩手山(2,038m)で、それに次ぐのは早池峯山(1,917m)である。しかし、岩手山は内陸の奥に鎮座している為に、海からは見えない。その為に、沿岸では岩手山の信仰は少ないようだ。しかし県外への信仰も含めれば、何故か岩手県で一番高い岩手山よりも、早池峯山信仰の方が盛んである。それは恐らく、山神とは女神であるという意識が強い為では無かろうか。「日光狩詞記」にも、地域でのアンケートに山神は男神か女神か?という問いに対する答えの殆どが女神であった。それは恐らく東北にも通じるもので、山神=女神=早池峯信仰が、男神である岩手山を抜いて、信仰の多さを物語っているのだろう。
by dostoev | 2013-09-03 18:15 | 「遠野物語考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語97(臨死体験)」

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飯豊の菊池松之丞と云ふ人傷寒を病み、度々息を引きつめし時、自分は田圃に出でゝ菩提寺なるキセイ院へ急ぎ行かんとす。足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛び上り、凡そ人の頭ほどの所を次第に前下りに行き、又少し力を入るれば昇ること始の如し。何とは言はれず快し。寺の門に近づくに人群集せり。何故ならんと訝りつゝ門を入れば、紅の芥子の花満ち、見渡す限も知らず。いよいよ心持よし。この花の間に亡くなりし父立てり。お前も来たのかと云ふ。これに何か返事をしながら猶行くに、以前失ひたる男の子居りて、トッチャお前も来たかと云ふ。お前はこゝに居たのかと言ひつゝ近よらんとすれば、今来てはいけないと云ふ。此時門の辺にて騒しく我名を喚ぶ者ありて、うるさきこと限なけれど、拠なければ心も重くいやいやながら引返したりと思へば正気付きたり。親族の者寄り集ひ水など打ちそゝぎて喚生かしたるなり。

                                    「遠野物語97」
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文中の"キセイ院"とは、青笹町にある曹洞宗の寺院である喜清院であり、土淵町の常堅寺の末寺である。ただ常堅寺は本来、早池峯妙泉寺と縁が深い天台宗の寺院であったが、後に曹洞宗に改宗している。喜清寺も以前は早池峯権現を祀っていた事から、もしかして天台宗であったのか?

ところで、この物語は以前に書いた記事「遠野物語拾遺154(魂の浮遊)」と似た様な物語であるが、若干違うのは魂となつて浮遊している松之丞が、既に死人となっている人に遭遇し、会話をするというくだりだろう。それは死の境界線に立つ時、よくそういう"夢"を見るともいう。また「遠野物語87」では、オマクという形で死に際に、お世話になるだろう菩提寺に挨拶に行った魂の姿が紹介されているが、物語としての視点が違う為に何とも言えぬが、恐らく松之丞は死なぬという前提の元に魂となって浮遊し、会話したのは生者では無く死者だけであった。しかし「遠野物語87」でオマクという形で現れた魂は生者と会話し、最後の別れを告げた様なものであった。つまり、肉体から離れた魂であるが、生返るであろう魂は生者と会話出来ぬが、死ぬであろう魂は生者との会話が可能であると仮定しても良いだろう。

自分の爺様が危篤だという事で、小学二年生の時に親の実家へと行った事がある。その時、危篤状態の爺様は眠ったままであったが、婆様の話すには、先程まで起きていたという。爺様は夢を見ていたという。その夢には川が流れており、対岸では過去に死んでいった仲間がいたという。「金左衛門、こっちにこぉ~い!」と手を振り呼ばれたが、爺様は「孫の顔見たら、そっちに行くぞ。」と約束したという。その為か、危篤であった爺様は、様子を見に来た自分たち家族が帰ってから死に、慌てて再び戻ったという事があった。

この世への怨みというのもあろうが、この世への未練というものもある。その未練に対する区切りが付けば、その魂は肉体から離れてしまい、まだ未練という生きる気力があれば、魂は再び肉体へと戻るものなのかもしれない。その違いが「遠野物語87」と「遠野物語97」に表れているのであろう。
by dostoev | 2013-09-03 08:48 | 「遠野物語考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語90(山の怪異譚)」

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松崎村に天狗森と云ふ山あり。其麓なる桑畠にて村の若者何某と云ふ者、
働きて居たりしに、頻に睡くなりたれば、暫く畠の畔に腰掛けて居眠りせんと
せしに、極めて大なる男の顔は真赤なるが出で来れり。

若者は気軽にて平生相撲などの好きなる男なれば、この見馴れぬ大男が立
ちはだかりて上より見下すやうになるを面悪く思ひ、思はず立上がりてお前は
どこから来たかと問ふと思ふに何の答えもせざれば、一つ突き飛ばしてやらん
と思ひ、力自慢のまゝ飛びかゝり手を掛けたりと思ふや否や、却りて自分の方
が飛ばされて気を失ひたり。

夕方に正気づきて見れば無論その大男は居らず。家に帰りて後人に此事を話
したり。

其秋のことなり。早池峯の腰へ村人大勢と共に馬を曳きて萩を苅りに行き、さて
帰らんとする頃になりて此男のみ姿見えず。一同驚きて尋ねたれば、深き谷の
奥にて手も足も一つ一つ抜き取られて死して居たりと云ふ。

今より、二三十年前のことにて、此時の事をよく知れる老人も今も存在せり。
天狗森には天狗多く居ると云ふことは昔より人の知る所なり。

                             「遠野物語90」

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遠野の民俗学者伊能嘉矩は「遠野くさぐさ」において、この「遠野物語90」と、似たような話を紹介している。


【天狗森の山男】


天狗森の麓に、鷲ノ巣といふ一集落あり。昔、山男ありて夜夜此の地の農家を
襲ひ、婦女を掠め去らんとして止まざりければ、家主なる某は剛力もて聞えし
人ゆゑ、一日利器を提げて、退治の為にと天狗森山深く分け入りしに、山上の
一岩角に、件の山男は赧面白髭、悠然ととして憩ひ居たるに出て会へり。其の
威容の尋常ならざるに打たれけん某は、身体すくみて手を出し得で、空しく帰
りしことありき。


【天狗森の山女】


駒木村の豪農、半四郎といふ者の下男、山桑の葉を採らんと志度峠より天狗森
に入りたるに、さる桑林の中にて山女出で来り。珍しき若者よとて之を捕へ去
らんとせしかば、下男も怖ぢず手向ひ、共にしばしの間格闘せしが、山女の力
や勝りけん。下男は斃れて気絶しぬ。

天明の比ほひ露に潤ひて甦り、身を起して見廻はせば、図らざりき、天狗森の
山上に横はれり。軈て、辛うじて山を下り、晴山に出て、夢の如き有りし事ど
も、村民に物語り、後に二三の壮夫と共に前日遭難の桑林の器物が其のまゝ残
しありしも、山女の姿は見えざりし。

幾もなく、下男は大出山にて萩刈りの際、水を飲まんとて谷川に下りし後、返
り来らざりしにぞ。同行の人々跡を尋ぬれば、何者にか咽を喰ひ破られて死し
ありけり。人々先きに見こまれし山女の執念ならんと言ひ合へり。天保初年の
事なりとぞ。

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伊能嘉矩によれば「遠野物語90」とは、いろいろなものが複合されて伝わった物語であると伝えたかったのだろう。【天狗森の山女】の顛末が咽を喰い破られというのは、山女では無く山犬という判断で良いものを、敢えて山女の仕業にしているのも、山の恐ろしいものに山男と山女を筆頭にしたかったのでは?と思ってしまう。

ただ「遠野物語」全般を読んでいると、奇怪な出来事は全て狐狸の類の仕業とされている場合がある。これはそれだけ狐などの神秘性の普及であると思うが、山中においての奇怪な出来事殆どは、山男・山女の縄張りとなっている。そして里から山にかかる範囲は、狐狸の類。こうして怪奇ゾーンをどこかで区切っている精神状態が、里人にはあったのでは無いだろうか。

一連の山での怪奇譚は、山に対する里人の恐れから発生しているものだという事がわかる。つまりそれは、今では車などで簡単に登れる山でも、昔は全て歩いて行くしか無かった。車の中と違い、歩いて行く山道というものは、自然の息吹を直接感じるもの。

例えば夜の山道を歩いていて気付くのは、意外に煩いという事がわかる。鳥などは日中に鳴く鳥から、夜のミミズクやフクロウにバトンタッチされるような気がするけれど、夜でも「ホーホケキョ!」とか「カッコー!」とか、実はかなり鳴いていて煩い。また風が草木を揺らす音の他に、小動物の動く音などが聞こえる。つまりそこには、二足歩行で歩く自分以外の音がひしめく世界だ。

ただたまに自分の歩く足音が妙に反響する場所に遭遇する。山に対する異常心理が働いている場合、この山を歩いているのは自分一人であろうという時に、他の二足歩行の足音が響いた場合、どう感じるであろうか?

「遠野物語90」などの物語が実話では無いものだとしても、古来から伝わる山に対する恐怖から、作り語られてきた怪奇譚である事は、じゅうじゅう納得できるものだ。
by dostoev | 2011-02-27 10:15 | 「遠野物語考」90話~ | Comments(4)

「遠野物語99(死者の想い)」

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土淵村の助役北川清と云ふ人の家は字火石に在り。代々の山臥にて祖父は
正福院と云ひ、学者にて著作多く、村の為に尽くしたる人なり。清の弟に福二
と云ふ人は海岸の田の浜へ婿へ行きたるが、先年の大津波に遭ひて妻と子と
を失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばか
りありき。

夏の初の月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の
打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よる
を見れば、女は正しく亡くなりし我妻なり。思はず其跡をつけて、遙々と船越村
の方へ行く崎の洞のある所まで追い行き、名を呼びたるに、振返りてにこと笑ひ
たる。

男はと見れば海波の難に死せり者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心
を通わせたりと聞きし男なり。今は此人と夫婦になりてあると云ふに、子供は可
愛くは無いのかと云へば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物
言ふとは思われずして、悲しく情けなくなりたれば足元を見て在りし間に、男女
は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。
追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明まで道中に立ちて
考え、朝になりて帰りたり。其後久しく煩ひたりと云へり。

                       「遠野物語99」

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この「遠野物語99」紹介されている物語は、夢か現か幻か…というものだが、一つだけ確実に言えるのは、昔の婚姻とは親同士が決めたという事。政略結婚の類に近いもので、親が付き合いたい家との繋がりを深くする為に、息子や娘を婿、または嫁として出し、繋がりを持ったようだ。これは遠野市内だけとは限らず、他には大槌などの沿岸地区との結び付きがかなりあったと聞くのは、やはり血の問題であったのだろう。遠野内部で婚姻が繰り返されれば、当然の事ながら血が濃くなる。となれば外部に血を求めるしかないからだ。例えば海産物を行商にきた人物と懇意になれば、その後には娘なり婿などの遣り取りが始まる。ある意味、家を守る、村を守る意味も含まれていた為に、婚姻は親同士が決める場合が殆どであったようだ。

遠野の北の外れにある早池峰神社がある大出地区は、早池峰大祭以外は、滅多に人が訪れる事が無かった。男と女というものは、目の見える範囲でしか、色恋のやりとりをしないもの。そうなれば狭い集落の範囲で婚姻が繰り返され、近親婚が重なってしまう。その為に、年に一度の早池峰神社の大祭において、訪れた参詣客に村の娘を提供し、子種を授かり、生まれた子供は村の宝として大事に育てたという。

こういう家の血を守る、村の血を守る為に、人の繋がりの知識がある、親であり、その村の古老などが婚姻を決めた場合も多かったという。そうでなければ若い男女だけでは気持ちの高ぶりだけで、血の濃さなどは無視し、狭い世間の中で結ばれていったのであろう。それこそ国津罪が乱立される。ワーグナーの「ニーベルングの指輪」に於いて、たまたま偶然出会ったジークリンデとジークムントは、お互いに魅かれ合い結ばれる。その魅かれる理由が、同族の血の成せる業であり、知らず知らずに国津罪を犯してしまう。日本だけでなく、世界中で血の穢れを重視する傾向はあったようだ。

ただ「遠野物語99」では、津波で死んだ妻の幽霊の想いが伝わる。親同士の婚姻であった為に、本当に惚れた相手を諦めて従った婚姻であったのだろう。しかし肉体の消滅と共に魂は解放され、恐らく津波によって同時期に死んだ本当に愛した男と結ばれたのだろう。それが正しい結び付きかどうかは別としてだ。

一番上の画像は、船越海岸の磯場にある岩窟であるが、岩窟は黄泉の国と繋がっていると云われる。井戸や厠には幽霊の話が多いのは、地面に穴をあけているからである。つまり黄泉の国と繋がっているから、幽霊の話が多いのであった。当然、洞窟なども同じ地面の穴として捉えられており、それは黄泉の国へと繋がる道でもあった。また別に洞とは何も穴ではなく、山間の場所もまた洞と呼ばれた。遠野市松崎町には狼洞という場所があり、多くの狼が生息していたと云われる。また松崎の熊洞という場所には、巫女の化け物が出ると云われる。山そのものが異界である為に、山間の洞そのものも、黄泉の国に繋がっていると考えられていたのだろう。

三陸津波は多くの命を奪っていった。昔の映画「学校の怪談」にも、三陸津波で死んだ子供の霊が描かれていたのは記憶に新しい。不意の天災は、人の想いをも引き裂くものであるが、この「遠野物語99」の場合は、その想いが逆に転じたのだろうか。

ところが服藤早苗「平安朝の女と男 貴族と庶民の性と愛」を読んでいくと、10世紀の半ば頃に「女は死後、初めて性交をした相手に手を引かれて三途の川を渡る。」という俗信が紹介されていた。つまり、これを「遠野物語99」に当て嵌めると、津波に呑み込まれて死んだ妻は、"霊界の法則"によって、結婚している福二の妻であったが、それよりも強い絆であるのか、初めて身体を預けた男性に手を引かれて行くというものは、まさに不条理であった。突っ込みどころがある俗信ではあるが、平安時代の俗信が現代であり、東北の果てまで伝わって信じられていたという事が、貴重であり重要であると思う。福二が見たものは、この地方まで伝わり、根強く生きて来た強い俗信の幻影であったのか。それとも、その霊会の法則は、実在するリアリティであったのだろうか。
by dostoev | 2010-12-23 07:10 | 「遠野物語考」90話~ | Comments(0)

「遠野物語90(天狗の威光)」

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松崎村に天狗森と云ふ山あり。其麓なる桑畠にて村の若者何某と云ふ者、
働きて居たりしに、頻に睡くなりたれば、暫く畠の畔に腰掛けて居眠りせんと
せしに、極めて大なる男の顔は真赤なるが出で来れり。

若者は気軽にて平生相撲などの好きなる男なれば、この見馴れぬ大男が立
ちはだかりて上より見下すやうになるを面悪く思ひ、思はず立上がりてお前は
どこから来たかと問ふと思ふに何の答えもせざれば、一つ突き飛ばしてやらん
と思ひ、力自慢のまゝ飛びかゝり手を掛けたりと思ふや否や、却りて自分の方
が飛ばされて気を失ひたり。

夕方に正気づきて見れば無論その大男は居らず。家に帰りて後人に此事を話
したり。

其秋のことなり。早池峯の腰へ村人大勢と共に馬を曳きて萩を苅りに行き、さて
帰らんとする頃になりて此男のみ姿見えず。一同驚きて尋ねたれば、深き谷の
奥にて手も足も一つ一つ抜き取られて死して居たりと云ふ。

今より、二三十年前のことにて、此時の事をよく知れる老人も今も存在せり。
天狗森には天狗多く居ると云ふことは昔より人の知る所なり。

                                  「遠野物語90」

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天ヶ森の頂には古峯の小さな石碑が、ぽつねんと存在している。霊山として、また天狗が登場する山として「遠野物語」にも紹介されているにもかかわらず、拍子抜けの頂の風景ではある。ところが、この古峯の石碑の示すものは、やはり栃木県日光の古峯ヶ原の影響があったのだろう。

古峯ヶ原の天狗譚の多さは、恐らく全国一という事だ。その古峯ヶ原の威名が全国に響いたのが、文政7年(1824年)将軍家斉が、日光社参の際、騒動を起こさぬよう日光山の天狗全員に対して、退去命令が出された。それが日光社参奉行でもある水野出羽守と連名で建てられた事により脚光を浴びたという。
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実は幕府は、それ以前から根回しをし、古峯ヶ原の前鬼隼人という天狗を使役するという天狗界のボスを抱きこんでからの天狗退去の高札だったらしい。それから古峯ヶ原の名声が上がり、他山の天狗との格差を付けたのだという。これから古峯ヶ原に対する信仰は全国に広まったのだが、特に東北地方は顕著であったらしい。そして当然、天狗の霊威を示す天狗譚が、東北各地に駆け巡ったようだ。

「遠野物語90」での、相撲での恐ろしいまでの力、手足を引き抜く力を誇示した似た様な話は東北に広まっており、この「遠野物語90」の話も、その一部なのだろう。
by dostoev | 2010-12-08 14:06 | 「遠野物語考」90話~ | Comments(0)