遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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カテゴリ:「遠野物語考」80話~( 10 )

「遠野物語81(物の怪が視える状態)」

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【金子富之氏作品】(加工)

栃内の宇野崎に前川万吉と云ふ人あり。二三年前に三十余にて亡くなりたり。この人も死ぬる二三年前に夜遊びに出でゝ帰りしに、門の口より廻り縁に沿ひてその角迄来たるとき、六月の月夜のことなり、何心なく雲壁を見れば、ひたと之に附きて寝たる男あり。色の蒼ざめたる顔なりき。大に驚きて病みたりしが此も何の前兆にても非ざりき。田尻氏の息子丸吉此人と懇親にて之を聞きたり。

                                                        「遠野物語81」

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「遠野物語23」では、門口の石に腰かけている老婆の幽霊が居た。「遠野物語77」では、月夜の晩に田尻家の軒の雨落の石を枕にして寝ている、恐らく幽霊が居た。「遠野物語79」では雲壁についている目玉だけが伸びている化物らしきが居た。そしてこの「遠野物語81」では、月夜の晩に雲壁に附いて寝ている、恐らく幽霊が居た。家の敷地内の怪異が続いているのだが、その時間帯は宵の口ら夜中、夜更けなどと、やはり全てが暗くなってからのものである。その中、月夜の晩が二話程あるが、満月前後の月夜の晩は明るく、暗闇では見えないモノか見えるという状況である。

ところで上記の「遠野物語」に登場している物の怪は、幽霊なのか、それとも妖怪なのか?小松和彦「日本妖怪大全」には、「幽霊と妖怪を区別する方法」が記されている。単純に言えば、妖怪は自然神であり、幽霊は人格神であるという事。また、妖怪はおおむね生者であり、幽霊は死者であるという事らしい。となれば「遠野物語79」に登場する物の怪は、妖怪という事になるのか。だが小松和彦は別に「妖怪と幽霊を区別するもう一つの大事な目安は、幽霊は人間の形をそなえている。他方、妖怪は人間以外の形で出現する。」と、述べている。しかし、妖怪には人間の形をしたろくろ首や二口女、もしくはぬらりひょんなどという見た目が人間の妖怪も僅かながら存在する。

また小松和彦「日本怪異妖怪大辞典」での「アヤカシ」の説明には「正体がはっきりしていないものの総称。水死人の亡魂とも亡霊とも云われている。海に出没するアヤカシは、人を呼び、声に呼ばれて来た人を殺したりする。山に出没するアヤカシは、呼び声につられて来た人を山奥へと迷わす。」と説明している。これらを読んでも結局、幽霊と妖怪の境界線がよくわからない。人に訴えるのは、あくまでも視界に入って来た姿であるからだ。ただ言えるのは、先に挙げた「遠野物語」に登場したものは全て物の怪と称するのが正解となるのか。

「モノ」とは霊的な存在を意味し、「ケ」は、病気を意味するとされている。これは「怪我」の「ケ」が「怪」という漢字を使用している事からわかる。また「疾病」の「疾」という漢字の中に「矢」が入っているのは、象形文字の段階での「矢」とは「蛇」であり「虫」を意味している。庚辰の夜に寝ていると体内から三尸の虫が抜け出て、天帝にその人間の悪事を報告すると云われているが、その三尸という虫は、その人間の悪事を喰らって成長しているものであるから、常に人の体内には虫(蛇)がいるものと思われていた。それが「疾病」という言葉に表れている。そういう意味から考えれば、これら怪異の目撃者こそが、物の怪に取り憑かれていた可能性があるのかもしれない。それはつまり、俗に世の中には視える者と視えない者が居ると云われるが、その事に少し触れてみよう。
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柳田國男が提唱したものに「ハレ・ケ・ケガレ」というものがある。ハレ(晴れ、霽れ)とは儀礼や祭、年中行事などの非日常であり、、ケ(褻)とは、普段の生活である「日常」を表している。この中に葬式をケガレとすべきたとされ、そのケガレは「ケ・枯れ」という事を意味している。ケとは気(ケ)でもあり、大宜都比売の「ケ」は食物を意味する事から、ケが枯れるとは、気(ケ)が萎えるであり、食物(ケ)が腐るを意味し、転じて日常性が破られる事を意味する。そういう意味では、普段視えないモノが視える者とは、ケガレであると考えられる。

ここに紹介した一連の「遠野物語」の内容は、「遠野物語23」が逮夜という人が死んだ時の事であり、「遠野物語77」は、葬式の夜の事であり、「遠野物語79」は宵のうち・・・つまり「誰ぞ彼は?」という逢魔が時である。そして「遠野物語81」も結局は、街灯の無い時代の夜である事から、そういう時間帯とは、魑魅魍魎や妖怪、神などが跋扈する時間帯であるから非日常であった。つまり、この一連の「遠野物語」で物の怪を目撃した者達は、全てケガレの状態であったという事だろう。となれば、物の怪が視えるとは、自らがケガレの状態であるという事になるのだろう。
by dostoev | 2014-10-05 20:13 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語80(幽部屋)」

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右の話をよく呑込む為には、田尻氏の家のさまを図にする必要あり。遠野一郷の家の建て方は何れも之と大同小異なり。

門は此家のは北向なれど、通例は東向なり。右の図にて厩舎のあるあたりに在るなり。門のことを城前と云ふ。屋敷のめぐりは畠にて、囲墻を設けず。主人の寝室とウチとの間に小さく暗き室あり。之を座頭部屋と云ふ。昔は家に宴会あれば必ず座頭を喚びたり。之を待たせ置く部屋なり。

                                                        「遠野物語80」

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「注釈遠野物語」によれば、この田尻家の建物は、昭和13年に解体され新築されたという。また囲墻とは、垣根の事であり、豪家と呼ばれる家ではイチイなどで生垣を巡らせていたようだ。そういう意味では田尻家の建物は、農家特有の建物であったのだろう。

ところで座頭部屋だが、図の中央、主人の寝室に隣接した名称の記されていない部屋の事である。「遠野物語14」「大同の家には必ず畳一帖の室あり。此部屋にて夜寝る者はいつも不思議に遭ふ。」という部屋であり、民間信仰の祈禱所であり、修験山伏の特別な修業の場である小部屋でもあった。土渕の山口部落では一般的に「ヒシャ」と呼び、小さくて薄暗い事から座頭部屋(ザトベヤ)とも呼んだという。これは恐らく、昼間でも暗い部屋である事から盲目の座頭と結び付けられたのだと思うが、「遠野物語80」の文中では実際に座頭を呼んで待たせて置く部屋であった事から、不思議に遭う小部屋とは、何かが見える為、何も見えない座頭の部屋にしておくに丁度良かったのかもしれない。

その座頭部屋とは別に、隔離部屋というのがあったらしい。某家では、他人に知られたく無い者を世間から隠す為、隔離部屋に閉じ込めて暮らさせたという事だ。それは本宅とは別の建物の場合もあり、また本宅の裏側に面する部屋の場合もあったようだ。つまり、人目に触れない部屋を隔離部屋と言った。その隔離(カクリ)だが、幽霊の「幽」を単独で「カクリ」とも読む。「幽」を辞典で調べると「暗くて見えない。かすかの意」「世間から離れてひっそりとしている。」「人を閉じ込める。」「死者の世界。」などを意味している。そういう意味から、不思議に遭う小部屋であり、目の見えない座頭を待たせる座頭部屋もまた、隔離部屋であり、幽部屋であったのだろうと思う。それはつまり、人の住む家の部屋でありながら、霊界と繋がっていると思われていた部屋である可能性はあっただろう。何故なら、真ん中には何かが起きると云う迷信にある。例えば、四畳半の部屋での畳の半畳を真ん中にしないのは、切腹部屋とは四畳半の半畳を真ん中に設定して行われたのは、その切腹者の魂を霊界に送ると云う意味合いがあった。田尻家の間取りを見ると、普段使用しないザシキと小ザシキを省けば、その空白の座頭部屋は、ほぼ真ん中に位置する不吉な部屋となっている。だからこそか、この間取り図にも名称を記さずに座頭部屋と紹介しているのは、生きている人間の暮らす部屋では無い事を意味しているのだろう。
by dostoev | 2014-09-29 05:22 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語83(草分けの家)」

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山口の大同、大洞万之丞の家の建てざまは少し外の家とはかはれり。其図次の項に出す。玄関は巽の方に向へり。極めて古き家なり。此家には出して見れば祟りありとて開かざる古文書の葛籠一つあり。

                                  「遠野物語83」

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この大洞万之丞家の話は「遠野物語14」「遠野物語69」にも紹介されており、オシラサマの草分け的な家でもある。この家からオシラサマが三体作られ、それが分散したというのは、どこか遠野三女神伝説を彷彿させる。姉神であるオシラサマがこの大洞万之丞家にあるというのだが、それは三女神のうち、六角牛の女神を意識してのものではなかったか。

文中に「玄関は巽の方に向へり。」とあるのだが、「注釈遠野物語」にも記されているように「遠野の曲り家は原則的に南向きで、玄関も南面し、風よけの意味もあって厩を西側に作る。地形によっては東側に厩を置く例もある。」としている。この大同の大洞万之丞家の方向から東南を見ると、六角牛が聳えている。玄関が六角牛に向けて建てられているというのは、まるで六角牛の何かを受け入れる為、意図的に建てられた可能性もあるのではなかろうか。大同と隣接する山口部落では、六角牛から「モンスケ婆が来る!」とか「ヤマハゝが来る!」「狼が来る!」などと子供を諌める話が伝わっているのは、山は異界であり、恐ろしいモノの棲む地であるという意識からだ。ところが、その六角牛に向けて玄関を作ったというのは、何かを受け入れるという意味ではなかろうか。それがオシラサマの姉人形があった大洞万之丞家であるから、三女神のうちの六角牛の女神を受け入れようと意図して巽の方角へ玄関を向けたのではないか。三体あったオシラサマを分けたのは、どこかで三女神伝説を継承し、オシラサマに結び付けたものと考える。巽の方角は、辰と巳の間で、龍神でもある六角牛の女神との関連が深い意味もあるのだ。

また「開かざる古文書の葛籠」だが、「遠野物語拾遺141」には宮家の「開けぬ箱」が伝わっており、それとは別に遠野の汀家にもまた似た様な「開けぬ箱」が伝えられていた。全てが共通する意図を含んでいたとは考え辛いが、やはり公に出来ぬ内容が記されていたのだろうと察する。しかし結局、その中身がどのようなものであったのかは、わかっていないようだ。宮家と汀家の中身はわかっているだけに、大洞家だけがわかっていないのは重ね重ね残念である。
by dostoev | 2014-03-30 17:04 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(9)

「遠野物語85(白子)」

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土渕村の柏崎にては両親とも正しく日本人にして白子二人ある家あり。髪も肌も眼も西洋人の通りなり。今は二十六七位なるべし。家にて農業を営む。語音も土地の人とは同じからず、声細くして鋭し。

                                  「遠野物語85」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自分が子供の頃にも、白子であろう人物はいた。名前も知らぬが、たまにみかける程度だった。確かに色素が薄いという印象だけで、顔は日本人であった。ただ、まつ毛なども白かったので、当初は違和感を覚えていた。

この「遠野物語85」を読むと、悪意を感じる先入観の記述であるように思える。例えば「正しく日本人にして白子二人ある家あり。」とあるのは、両親は二人とも日本人だが、何故に外国人みたいな子供が生まれたのか?という疑念を込めている。白子がいる家を紹介するだけなら「両親とも正しく日本人にして」の紹介は、要らない筈だ。つまり白子という異常を紹介しているのではなく、母親が外国人と密通したと云わんばかりだ。決定付けるのが、その後の記述「語音も土地の人とは同じからず、声細くして鋭し。」だ。つまり、白子という遺伝子疾患ではなく、密かに外国人の子供を産んだのでは?という疑念からの文章であろうと感じてしまう。

色が白いという事は、農作業をしている女性には有り得ない話だ。常に紫外線を浴びながらの作業は、顔はいつも日焼け顔で、白くなる事はまずなく、白く見せる場合は白粉で誤魔化す程度になる。であるから、顔が白い女性というのは、余程の家の奥方か姫様か、雪女という民衆にとっての特異な存在となる。つまり、この当時の基準は、男も女も色が日に焼けて黒いであるから、お姫様、雪女、白子、外国人は全て異人であるといっても過言ではないだろう。

ところで「注釈遠野物語」によれば、恐らく遠野の民衆が外国人の姿を見たのはオランダ船ブレスケン号の乗組員ではないかと記している。1643年(寛永20年)に、岩手県の山田町にオランダ船ブレスケン号が燃料と食料を求めて寄港した。しかし南部藩は、上陸した船長など10名を捕えて、大槌、遠野で泊った後に、盛岡へと送ったとある。南部藩は幕府の命を受けて、尾崎半島に外国船の監視所を置いたようである。しかしそれでも多くの、外国船を監視する事は不可能であったと思える。

天狗や山男が実は外国人では?という想像は、実際に嵐で難破した外国船が海岸線に流れ着き、しばらく滞在した後、村の娘などと交わったとの伝承は、全くの作り話とも思えぬ。それは、岩手県の久慈出身の母方の家系にも伝わっている。自分の母親の肌の白さは、外国人のそれに近いとも云われる。またその妹は、その風貌から、子供の頃からずっと「あいのこ」と揶揄され続けてきたという。言い伝えでは、難破して久慈沿岸に漂着したロシア人との血が入ったという事である。

昔は白い動物は神の使いとも云われるが、身近な人間の白い者は神では無く、どこか異人か魔物のように扱われたのかもしれない。せいぜい皇族である白髪大倭根子命という名の清寧天皇が白子であったようだ。ただ神の血筋である皇族である為に、天皇として祭り上げられた。これが庶民であったならば、ただはじかれただけであったろう。
by dostoev | 2014-03-29 08:55 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(2)

「遠野物語86(供養絵額)」

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土渕村の中央にて役場小学校などの在る所を本宿と云ふ。此所に豆腐屋を業とする政と云ふ者、今三十六七なるべし。此人の父大病にて死なんとする頃、此村と小烏瀬川を隔てたる字下栃内に普請ありて、地固めの堂突を為す所へ、夕方に政の父独来りて人々に挨拶し、おれも堂突を為すべしとて暫時仲間に入りて仕事を為し、稍暗くなりて皆と共に帰りたり。あとにて人々あの人は大病の筈なるにと少し不思議に思ひしが、後に聞けば其日亡くなりたりとのことなり。人々悔みに行き今日のことを語りしが、其時刻は恰も病人が息を引き取らんとする頃なりき。

                                    「遠野物語86」

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遠野だけでは無いが、遠野の寺院には供養絵額と呼ばれるものが飾られている割合が多い。菩提寺に、死後の冥福を祈ってのもののようだ。例えば、山形のムサカリ絵馬の様に死後に独身の死者同士のお見合いによって生前果たせなかった婚姻を果たし、冥福を祈るというものに近く、果たせなかった夢を絵にしたものであろう。

写真がまだ普及していなかった時代は、絵師によって似顔絵や供養絵が描かれていたようだ。ただリアルに現実を写す写真と違い、供養絵は死者の夢をも描くもの。「遠野物語」にはオマクも含め、こういう死者、もしくは今にも死ぬ間際になって、その人の想いが霊となって出てくる話が多い。想いは、生前にやり残した「悔い」の場合でもあり「夢」の場合でもある。この「遠野物語86」における「地固めの堂突」とは「注釈遠野物語」ではドヅキ・ドンヅキといい、建物の土台石を置く為に土を突いて平らにする作業であると。つまり、その前に普請と記している事から、地域の共同体の一員として成さねばならぬ事を出来ぬ悔みから、政の父は現れたのだろう。つまり成仏するにあたって、生前の悔いを残さぬように現れたのだろうと解釈できる。そしてこの話もまた、一つの供養絵額にも成り得る物語でもある。
by dostoev | 2013-10-26 17:18 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語88(続・オマク譚)」

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此も似たる話なり。土淵村大字土淵の常堅寺は曹洞宗にて、遠野郷十二ヶ寺の触頭なり。或日の夕方に村人何某と云ふ者、本宿より来る路にて何某と云ふ老人にあへり。此老人はかねて大病をして居る者なれば、いつの間によくなりしやと問ふに、二三日気分も宜しければ、今日は寺へ話を聞きに行くなりとて、寺の門前にて又言葉を掛け合ひて別れたり。常堅寺にても和尚はこの老人が訪ね来りし故出迎へ、茶を進め暫く話をして帰る。これも小僧に見させたるに門の外にて見えずなりしかば、驚きて和尚に語り、よく見れば亦茶は畳の間にこぼしてあり、老人はその日失せたり。

                                    「遠野物語88」

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これも本当に「遠野物語87」そっくりの話だ。ただ、過去から老人に聞いて来た人魂譚や狐火、狐に化かされる話は、どこか定型化されているきらいがある。ある意味、人から聞いた話がいつの間にか自分の体験談の様に語るものに近いのかもしれない。遠野には「ひょうはくきり」と呼ばれる人達がいたという。「ひょうはくきり」とはつまり「ホラ吹き」だ。人を喜ばす為に、ホラを吹いて喜ばせる。そのホラも、あたかもホラとわかる場合は笑い話で済むが、真実かホラかわからない場合は、相手を戸惑はせる。

明治29年の三陸大津波において「沿岸が大変な事になっているらしい!」という情報が広がると、何人かが峠を歩いて海に向かったと云う。車も列車も無い時代に、その津波の状態を確認し、遠野に戻ってその話を伝えたい話したいと思っている人が山の峠を登ったのだろう。そしてそういう人達の”土産話”を期待して待っている遠野の人達もまたいた。テレビやラシオなどが無い時代、ましてや文字も読めない人が多く居た時代は、人の話を聞くのが楽しみの時代であった。その人達を喜ばすのを生きがいとした人がいた。

このオマク譚も、とこかの話を感心し面白いと思い、自分達の土地に持ち込まれた話である可能性はあるだろう。そうでなければ、これほどまでに似た様な話が多い理由がわからない。ただそこには遠野独自のオマクという現象を信ずる民衆の意識があった事が、その全てであったのかもしれない。

現代で幽霊の存在を信じるという人が、どれだけいるだろう。心霊譚はいつの時代でも流行るものだが、科学の発達した時代にそれを頭から信じる人は減って来ている。ノーベル物理学賞を受賞したブライアン・ジョセフソンは、心霊現象を科学するとして現在その解明に努めているというが、学界ではブライアン・ジョセフソンの行為に難色を示しているという。科学的と心霊的とは相まみれないものと学界では認識されているからの為だ。しかし世界には心霊現象と云われるものが無数に出回り語り継がれている。それは信仰の狭間に落された堕天使のようなものかもしれないが、その舞台が日本になれば妖怪であり幽霊となる。その日本には祟りの文化があり、古くは貶められて死んだ菅原道真が祟られるという認識に加え、落雷などの偶然が重なり、祟り神に祭り上げられた。死んでも尚、生きている人達に接触しようとするのは”余程の想い”があるからと当時の人々は考えた。その想いが怨みであるなら祟りとなり、見守るという優しい想いに変化した場合、祖霊などとなるのが日本の文化でもある。
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先祖を大事にする、もしくは祖霊を大事にしたいという想いは、ある意味『祟られたくない』という想いの反転である。墓参りをしないから、家に悪い事が続きが没落したなどという話は、そこに起因している。「草葉の陰で泣いている」という言葉も、祖霊がいつも見守っているという言葉でもあり、いつも霊に監視されているのだという強迫観念にも通じる。つまり霊からいつの間にか日本人は逃げる事が出来なくなっているのが現状だ。しかし、だからといって、それが悪という事は無い。付喪神では無いが、物を大事にする、人を大事にするという観念が、言葉は悪いが日本の文化の根底にあり祟られない”秘訣”であるという認識をどこかで持っている日本人は、世界でも稀有な存在である。そういう意味から、遠野に広がるオマク譚というものは、霊を身近に感じ、常に意識する為の話であるのかもしれない。
by dostoev | 2013-09-21 08:16 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語87(オマク譚)」

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人の名は忘れたけれど、遠野の町の豪家にて、主人大煩して命の境に臨みし頃、ある日ふと菩提寺に訪ひ来れり。和尚鄭重にあしらひ茶などすゝめたり。世間話をしてやがて帰らんとする様子に少々不審あれば、跡より小僧を見せに遺りしに、門を出でゝ家の方へ向ひ、町の角を廻りて見えずなれり。其道にてこの人に逢ひたる人まだ外にもあり。誰にもよく挨拶して常の体なりしが、此晩に死去して勿論其時は外出などすべき様態にてはあらざりし也。後に寺にては茶は飲みたりや否やと茶碗を置きし処を改めしに、畳の敷合せへ皆こぼしてありたり。

                                    「遠野物語87」

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この幽霊譚も、遠野流に云えばオマク譚となるのだろう。「注釈遠野物語」の解説によれば、明治時代末で小僧がいた寺は大茲寺と善明寺だが、文章の描写から善明寺であるとしている。善明寺は浄土宗で、今まで死人とは穢の元と思われていたが平安末期に死人に手を合わせて供養したのが浄土宗の坊さんで、それから葬式の形式が始まったと云う。

人を祀るのが寺院で、何を祀っているかわからないのが神社と云われる。そういう意味で、死霊であろうが”人”が集まるのが寺院なのだろう。それ故、自分が死後お世話になるだろう寺院に霊体となって挨拶にきたとしてもおかしくはない。とにかく「遠野物語」「遠野物語拾遺」も含め、この様なオマク譚は多い。
by dostoev | 2013-09-21 07:31 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語82(闇に見えるモノ)」

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これは田尻丸吉と云ふ人が自ら遭ひたることなり。少年の頃ある夜常居
より立ちて便所に行かんとして茶の間に入りしに、座敷との境に人立て
り。幽かに茫としてはあれど、衣類の縞も眼鼻もよく見え、髪をば垂れ
たり。恐ろしけれどそこへ手を延ばして探りしに、板戸にがたと突き当
り、戸のさんにも触りたり。されど我手は見えずして、其上に影のやう
に重なりて人の形あり。その顔の所へ手を遣れば又手の上に顔見ゆ。
常居に帰りて人々に話し、行燈を持ち行きて見たれば、既に何物も在ら
ざりき。此人は近代的の人にて怜悧なる人なり。又虚言を為す人にも非ず。

                                「遠野物語82」

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これを読んで、幽霊譚であると思う人は殆どだと思う。自分は見たが、それを人に話し、複数で確認しようと見に行ったら、何もいなくて見えなかったと、定番の様な話である。ただ特異なのは、田尻丸吉は幽霊らしきモノに対して、手を伸ばしたという事。これは普通では、恐ろしくて出来ない事である。つまり田尻丸吉は"怜悧な人"と記されている事から、物事を理性的に分析し確認する賢い人であったのだろう。

人が見えるものでも、手に出来ないものがある。例えばそれが月だとする。見えても手が届かないのは、遠近感で理解できる。しかしその人間の持ち得る遠近感が、鈍る場合がある。それは錯覚などとなり、見えるけれども通常とは違うものに感じてしまう不可思議さが伴う。夜空には、星が輝き、月が渡る。それが通常であり、手に届かないものと認識できる為に、それを手に取ろうとは誰もしない。しかし日常の家の中に、ある筈の無いモノがある場合、人はそれをどうするか?恐怖という障害が無い限りは、それを手に触れて見ようとする。ただ田尻丸吉は幽霊思しきものに対して恐怖を感じつつも手を伸ばすが、それを手にする事は出来なかった。それでは、その幽霊と思しき正体とは?

他の人々と見に行ったら、いなかったとあるが、正確には行燈を灯して確認しに行ったのである。そこでもう一つの考えが浮かぶ。明るいから見えなかったのか?である。普通の人であれば、真昼に空を見上げても、天空に輝く星空は太陽の光に負けて見えないもの。そこに存在するのがわかっていても見えないのが、真昼の星空である。または、昼間に見るホタルの発光か。つまり世の中には、明るい為に見えないものも、また存在する。

ただ不思議なのは、その幽霊と思しきものに手をかざすと、自分の手は見えなくなるが、その手に重なって、人の形が浮かび上がっている。まるで光が届かない、暗い水に手を入れたような描写である。鏡の原初は、水鏡から始まった。その水鏡は、角度によって風景を反射させる鏡になるのだが、やはり角度によっては反射させず、透明度によって川底を透過させて見せるくれるもの。水の様なとは言ったが、SF的に言えばホログラフィーが映し出された状態のようにも感じる。ある意味、ブロッケン現象のように、空気中に舞う塵に自分の体が投影されたのかのようにも感じる。

「新古今集」「神祇歌」に下記の様な歌がある。

鏡にも影みたらしの水の面に映るばかりの心とを知れ

この歌の(注)に「これもまた、賀茂に詣でたる人の夢に見え」と記されており、「神鏡の面にも影が映り、御手洗川の水の面にも影が映っているほどの神の心であると知れ」という訳であり、その本意は「神のお姿が神鏡や御手洗川に映って見えるのは、祈願に確かに答えられる。」という神意であると理解されている。心霊も神霊も、ある意味似た様なもので、普通には見えないものである。ここで言えるのは、目の前に写ったものは、田尻丸吉の心が投影されたものでは無かったかという事。それが恐怖であれば、幽霊のように思え、それが信仰心であるなら、神仏にも見える不可思議な説明出来ぬもの。とにかく現代では理解できない空間が「遠野物語」当時の時代には広がっていたという事だろう。
by dostoev | 2013-02-19 21:01 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(7)

「遠野物語89(山神)」

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山口より柏崎へ行くには愛宕山の裾を廻るなり。田圃に続ける松林にて、
柏崎の人家見ゆる辺より雑木の林となる。

愛宕山の頂には小さき祠ありて、参詣の路は林の中に在り。登口に鳥居
立ち、二三十本の杉の木立あり。其傍には又一つのがらんとしたる堂あり。
堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。昔より山の神出づと言伝ふる
所なり。和野の何某と云ふ若者、柏崎に用事ありて夕方堂のあたりを通りし
に、愛宕山の上より降り来る丈高き人あり。誰ならんと思ひ林の樹木越しに
其人の顔の所を目がけて歩み寄りしに、道の角にてはたと行逢ひぬ。

先方は思ひ掛けざりしにや大に驚きて此方を見たる顔は非常に赤く、眼は
輝きて且つ如何にも驚きたる顔なり。山の神なりと知りて後をも見ずに柏崎
の村に走り付きたり。

                                  「遠野物語89」

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象坪山の入り口には鳥居があり、脇には山神の石碑がある。また山頂の祠を見ても山神を祀っているのだが、基本的には修験が入り込んでいるのが解る。となればこの「遠野物語89」に登場する、眼が輝いている非常に赤い顔をした男とは、山神というより天狗?山伏?であったのかもしれない。とにかく夕方暗くなってから、山から下りて来る者に遭遇すれば、恐怖観念が先立ち、正しい認識で判断できなかったであろうから。

ところでこの山は、象坪山とも愛宕山とも呼ばれる。古来から地震の来ぬ地としての聖域であったものに、後で愛宕信仰が被さったものだろうか。愛宕山という名称は、愛宕神社が勧請されてからのもののようだ。この山の頂は、平坦で広くなっており祭祀場であるのがわかる。いつの時代から信仰されていたのかわからないが、山の形状から、かなりの昔からこの地域で祀られていた山なのだろう。

山の形状は、こんもりとしたお椀型。俗に言えば、ピラミッド型と言ってもいいのだろう。つまり、この山の形から、自然に信仰の対象とされた山であるのだと感じる。そういう山であるから、低山にもかかわらず霊的なものが棲む山として信じられてきたのだろう。それは山の神でもあり、天狗でもあり、山の霊威を示す存在がいると信じられてきた事に加え、恐怖も相まって物語が生まれたのだと思う。
by dostoev | 2010-12-08 19:56 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(2)

「遠野物語84(耶蘇教)」

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【某寺の秘仏 額のバッテンがキリシタンを意味するのでは?という事らしい】



佐々木氏の祖父は七十ばかりにて三四年前に亡くなりし人なり。
此人の青年の頃と云へば、嘉永の頃なるべきか。

海岸の地には西洋人あまた来往してありき。釜石にも山田にも
西洋館あり。船越の半島の突端にも西洋人の住みしことあり。
耶蘇教は密々に行はれ、遠野郷でも之を奉じて磔になりたる者
あり。浜に行きたる人の話に、異人はよく抱き合ひては嘗め合
ふ者なりなど伝ふことを、今でも話しにする老人あり。海岸地
方には合の子中々多かりしと伝ふことなり。

                              「遠野物語84」

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隠れキリシタンは、他の地域から遠野にかなり移り住んだという。それは、遠野には沢山の鉱山があったというのが大きい。つまり、鉱夫として働いていたのだった。鉱山で働く人々の殆どが、脛に傷を持っていたのだという。当然、キリスト教を信仰する人々も、隠れるように鉱山で働いていたよう
だ。「遠野物語84」では、キリスト教を信仰した為、磔になったような事が記されているが、実際にそれがあったのかどうかはわからない。ただ鉱山発掘に南部は力を注いでいた為、簡単にキリシタンであるから磔にしたという事は無かったものだと思う。

遠野市小友町にある胴臼という地名は金山傍でもあり、その地名の由来は「デウス」からきているのだと。とにかく隠れキリシタンも含めて、鉱山というものは罪人の溜まり場だったらしい。昔は、かなりの落盤事故が相次いだ為、鉱夫になるという事は死ぬ事をも意味したようだ。

なかなか鉱夫のなり手がが無かった為採掘を優先したい南部藩は、罪人の罪に目を瞑っていたのだろう。だから、隠れキリシタンも、かなり鉱山に入り込んでいたらしい。ある意味、鉱山はキリシタンの駆け込み寺としてあったのかもしれない。

某寺に伝わるキリシタンの観音像は、どうも坑道に祀られていたもののようだ。公にできないキリシタン信仰は、鉱山内で信仰されてきたのだろう。閉山と共に、後でその像を寺などに預けてきたものだと考える。

全体的に、曹洞宗のお寺に隠れキリシタンの像は預けられているような気がするが、これは全体的にただ曹洞宗の寺が多いというものはあるだろう。ただ曹洞宗といえば、禅の世界だ。そして禅と武道の関係は極めて深く、かの宮本武蔵もそうであったように、武を極める事と禅を極める事の共通性があったのだろう。なので徳川時代になり、益々曹洞宗が増えたのだと思う。

ところで弓聖と呼ばれた、やはり禅世界に身を置いている阿波研造という人物の言葉がある。

「私は的が次第にぼやけて見えるほど目を閉じる。すると的は
私の方へ近付いて来るように思われる。そうしてそれは、私と
一体になる。的が一体になるならば、それは私が仏陀と一体に
なったる事を意味する。そして私が仏陀と一体になれば、矢は
有と非有の不動の中心に在る事になる。矢は中心から出て中心
に入るのである。それ故あなたは的を狙わずに自分自身を狙い
なさい。するとあなた自身と仏陀と的を同時に射当てます。」



曹洞宗の禅の思想は、自身の仏を見出す事である。つまり、自らの中に仏はいるという事だ。これをキリスト教にあてはめてみれば「あなたの心に、いつでも神がいます。」という事だ。他力本願を推奨する日蓮宗よりも、曹洞宗の方がよりキリスト教の教えに近いような気がする。だからこそ隠れキリシタンは、曹洞宗を隠れ蓑にしたのでは?…と勝手に思ってしまった。
by dostoev | 2010-12-08 19:07 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(4)