遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語考」40話~( 11 )

「遠野物語44(世界遺産の橋野高炉跡)」

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遠野郷より海岸の田ノ浜、吉里吉里などへ越ゆるには、昔より笛吹峠と云ふ山路あり。山口村より六角牛の方へ入り路のりも近かりしかど、近年此峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢ふより、誰も皆怖ろしがりて次第に往来も稀になりしかば、終に別の路を境木峠と云ふ方に開き、和山を馬次場として今は此方ばかりを越ゆるやうになれり。二里以上の迂路なり。

                         「遠野物語5」

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安全に沿岸域へ行く為に笛吹峠を避け、境木峠を利用する旅人が増えたという理由は、噂だけの魔物では無い筈。実害があったからこそ、笛吹峠を避けたのだと思っていた。山の峠とは恐ろしいもので、それは笛吹峠だけでなく、山そのものが魔物がいると信じられているから、どの山の峠も恐ろしかったと思う。しかし実際に、笛吹峠を避けたという事は、実害が頻繁に起こってのものだったろう。その笛吹峠には、今回世界遺産に登録された橋野高炉跡がある。この橋野が登場する話に「遠野物語44」の猿の経立の話がある。

六角牛の峯続きにて、橋野と云ふ村の上なる山に金坑あり。この鉱山の為に炭を焼きて生計とする者、これも笛の上手にて、ある日昼の間小屋に居り、仰向に寝転びて笛を吹きてありしに、小屋の口なる垂菰をかゝぐる者あり。驚きて見れば猿の経立なり。恐ろしくて起き直りたれば、おもむろに彼方へ走り行きぬ。

                        「遠野物語44」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
猿を見て、いきなり猿の経立と思うかどうか。つまり目撃したのは、猿のような恐ろしいものであったとも考えられる。
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大槌から釜石にかけて鉱山が多くあり、その利便性から出来たのが橋野高炉であったのだろう。今回、その世界遺産登録にあたって韓国が軍艦島に対して難癖をつけているが、その理由は強制労働であったという事である。強制労働といえば、鉱山関係の仕事は落盤事故の多発さから、いつ命を落とすか分からぬ為、罪人などを人夫として働かせていたのは全国的な事であった。それ以外に、見つかれば死罪となる隠れキリシタンの人々も鉱山で働いていたという。例えば「胴臼洞(どううすほら)」というのは「デウス洞」から来ていると云われるのは、見つかれば死罪の隠れキリシタンを、ただ殺すのではなく事故死率の高い鉱山の労働者として働かせた方が、その命を有効に使えるという事から働かせていたようだ。その代わり、信仰の自由は与えていたらしく、坑道内で隠れキリシタンのミサらしきも行われていたらしい。明治時代に瑞応院に誰かから預けられたマリア像らしきは、細かな埃で薄汚れていたのは、坑道内で祀られた像であった為のようだ。

そして、橋野高炉には、外国人も働いていたのが確認されている。十一面観音を祀る大槌の観音堂は、行方不明だった十一面観音が見つかってから建立された観音堂である。その行方不明の十一面観音の場所を占った巫女は、赤髪で、身長の高い、そのスタイルも含め、まるで西洋人の様な巫女であったと。顔写真は見せられたが、まるで西洋の魔法使いの婆様の様な顔をしていた。その巫女の血筋は、橋野高炉で働いていた西洋人であったという。「遠野物語拾遺」にも、難破した外国船の異人と結ばれた話を記しているが、江戸時代にも頻繁に難破船が三陸沿岸に漂着する事から、瀑布の命を受けて南部藩が釜石の尾崎半島で、外国船の監視をしていたという。しかし、難破した船の船員達がどう扱われたのかは、わかっていない。恐らく、橋野高炉で働いていたという西洋人は、難破船の乗組員ではなかったのたろうか。
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橋野高炉や鉱山では、脛に傷を持つ者などを雇って高炉を運営していたという。その中には、外国人もいた。その橋野高炉傍を通る笛吹峠を渡る旅人が襲われ、金品を巻き上げられたという。橋野高炉の人夫は、ある程度の監視下にあったようだが、その監視の目をかい潜って悪さをした者もいたようだ。その悪さが行われたのは、高炉の仕事が終わった後の夜であったろう。夜の闇に紛れて悪さをする橋野高炉で働く人夫は、旅人にとって、まさに魔物であったと思う。さらにその魔物の中に赤神の高身長の西洋人がいたとしたら、どうであろう。その赤髪の西洋人は、鬼となり、山男となり、天狗として広く伝えられたのかもしれない。
by dostoev | 2015-07-07 17:27 | 「遠野物語考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語46(鹿笛の呼ぶ魔)」

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栃内村の林崎に住む何某と云ふ男、今は五十に近し。十年あまり前のことなり。六角牛山に鹿を撃ちに行き、オキを吹きたりしに、猿の経立あり、之を真の鹿なりと思ひしか、地竹を手にて分けながら、大なる口をあけ嶺の方より下り来れり。肝潰れて笛を吹止めたれば、やがて反れて谷の方へ走り行きたり。

                                                        「遠野物語46」

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遠野市立博物館発行「ヤマダチ」に、オキと呼ばれる鹿笛の画像がある。「日光狩詞記」によれば、鹿笛は鹿の腹子の腹部の皮、モモンガの皮、ヒキ蛙のの皮をパンと張った物を最良とするらしい。他にも鹿の胎仔の皮、鹿の耳の内側の皮、仔鹿の耳の内側の皮、リスの皮など、比較的柔らかな皮を使用している。

そして、その鹿笛(オキ)の音は、YouTubeで拾った。こうして発情期の牝鹿の鳴声を真似して、鹿を誘き寄せる狩猟法である。

ただ、この「遠野物語46」では鹿では無く、猿の経立が現れている。猿の経立もまた、鹿笛(オキ)の音が本物の鹿と勘違いし、現れたという描写になっている。遠野も日光マタギ衆に属するらしく、日光の伝承を受けているのか。その日光マタギの間で伝わるのは、鹿笛の辨にヒキ蛙の皮を使用すると、大蛇やウワバミを呼び寄せると云われ禁忌となっている。これはカエルが蛇の好物であるという意味であろうか?ただ、日光二荒山の神は大蛇であると云われている事から、山の主が現れたと考えても良いのかもしれない。となれば、遠野地方においての山の主とは何か?と問われれば、その時に恐ろしいものが主となっている可能性はある。

猿の経立、御犬の経立は恐ろしいと「遠野物語」では紹介されているが、実際に鹿を捕食しているのは狼であり、猿が鹿を捕食しているとは聞いた事が無い。だからこその猿の経立の描写であろうが、本来であれば御犬の経立が現れて良い筈だ。だがここで地形を考えてみると、六角牛から笛吹峠の地形は険しい斜面が多く、狼が集団で狩りをするには適していない気がする。その狼が貞任山から和山にかけて、数多く生息していたのは、狼が狩をするには丁度良い地形と、数多くの獲物がいたからであろう。金沢には今でも狼に対するオイノ祭が行われ、廃村となった和山周辺には多くの三峰様の石碑が建つのは、その狼が多く生息していた現れであろう。その狼が六角牛山で登場するのは「遠野物語42」でのオバヤという六角牛山の低い地であり、人里に近い場所である。つまり、その場所によって山の主である猿の経立、御犬の経立の縄張りが違うという事では無かったか。この六角牛山の地形から、山の主であり、山の魔は猿の経立であり、鹿笛の音によって現れたのは、日光に伝わる伝承の地域による変化では無かったか。
by dostoev | 2014-09-17 19:00 | 「遠野物語考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語47(都市伝説)」

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此地方にて子供をおどす語に、六角牛の猿の経立が来るぞと云ふこと常の事なり。此山には猿多し。緒桛の滝を見に行けば、崖の樹の梢にあまた居り、人を見れば遁げながら木の実などを擲ちて行くなり。

                                                        「遠野物語47」

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実際の話、猿は確かに笛吹峠の緒桛の滝から橋野にかけてが一番多く生息しているのかもしれない。ただ猿の経立だが、現在の遠野、一昔前の遠野でも、猿の経立゜という言葉は死語になっていたのか。明治生まれの菊池照雄氏によれば、山口部落では「門助婆が来るから早く帰れ!」と言っていたという。

門助婆とは「遠野物語8」に登場するサムトの婆の事である。登戸に住んでいた門助さんの娘が神隠しに遭い、老いさらばえて帰って来たのがサムトの婆である。それから「門助婆」と言ったようだ。菊池照雄氏の生きた時代は明治生まれでありながら、リアリティを伝えているのは大正時代や昭和時代であった筈だ。つまりその頃に云われていた子供を脅す語とは「門助婆」であったのだろう。確かに動物学が進んだ時代でもあるから、もう猿の経立の脚色は子供達には通ぜず、代わりに選ばれたのが門助婆という実在した女性であった。

山男に攫われ、物の怪のようになったサムトの婆が里に舞い戻る話はある意味、現代でも日本中の子供を恐怖のどん底に叩き込んだ"口裂け女"に近いものがある。今では、口裂け女の話を都市伝説と呼ぶが、この門助婆もまた古い時代の都市伝説の始まりであったか。門助婆の話は、あまりにも生々しい話であり、その門助婆の棲む六角牛という山は、山口部落から見上げれば眼前に聳え、子供心に刻まれる恐怖は、計り知れない効果があったと思える。口裂け女もそうだが、一昔前の怪談話には興味を持たなくなった子供でも、現在に有り得そうな話には生々しい恐怖を感じるのだろう。子供を脅す語にも、時代の推移があるのは当然の事である。
by dostoev | 2014-09-16 20:21 | 「遠野物語考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語48(仙人峠の猿)」

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仙人峠にもあまた猿をりて行人に戯れ石を打ち付けなどす。

                                                        「遠野物語48」

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今から20年くらい前、歩いて日本一周をしている若者が、自分の経営する宿に泊まった。聞くと、昨日は仙人峠にテントを張って泊まったのだという。ところが夕暮れの辺りが薄暗くなってきた頃、テントの外に何やらガサゴソと生き物が動いている様な音が聴こえたのだと。その若者は『熊!?』と一瞬思ったらしく、恐る恐るテントの外を覗いてみると、沢山の猿がテントの周りを取り囲んでいたという。

その若者から、正確に仙人峠のどの辺に泊まったのか聞き出してみたが、土地勘が無い為に、要領を得ない。とにかく、仙人峠であるらしかった。ただ、沿岸から歩いて、現在の旧仙人峠のトンネルを歩いた話を聞いたので、恐らく観音窟前の広場にでも泊まったのだろう。

ところでテントの周りを猿に囲まれて、恐ろしさのあまりテント内部で縮こまっていた若者は、とにかく猿がいなくなってくれるのを願っていたという。ただ食糧目当てであるなら、暫くいるのじゅないかと、ずっと不安でいたらしい。しかしいつの間にか、その猿の群れはテントの周りから消え失せていたらしい。ただし、もう既に辺りは真っ暗になっていたので、姿が見えなかっただけかとも話してくれた。

自分はというと、仙人峠で猿をまだ目撃した事が無く、その当時、遠野の動物写真家として有名だった故時田氏に聞いたところ、かなり奥へ行かないと猿は遭遇できないかもと言われた。ただし、仙人峠では無く、笛吹峠を越えたところに橋野という集落があり、そこで猿を目撃した程度だった。そしてたまに、遠野の町にもはぐれ猿が目撃される程度で、現代の遠野での猿は、かなり縁遠い存在のように思える。

昔は、里の淵周辺にも猿が生息していたらしく、それを「淵猿」と呼び、遠野の赤い河童の正体の一つでは?とも云われている。今現在の遠野では鹿の被害が酷く、その対策に頭を悩ませているが、津波の被害により、福島県に生息する猪が豚と交雑し、イノブタとなって北上しているという情報がある。江戸時代には、津軽で猪の被害により作物が全てやられてしまい、餓死者200人という記録がある。その猪は明治時代になり流行した豚コレラによって絶滅している。そしてそれに加えて、もしも猿が遠野の里に進出し始めたらと考えると、恐ろしいものである。
by dostoev | 2014-09-12 20:51 | 「遠野物語考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語43(大熊)」

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一昨年の遠野新聞にも此記事を載せたり。上郷村の熊と云ふ男、友人と共に雪の日に六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたれば、手分して其跡を覔め、自分は峯の方を行きしに、とある岩の陰より大なる熊此方を見る。矢頃あまりに近かりしかば、銃をすてゝ熊に抱へ付き雪の上を転びて、谷へ下る。連の男之を救はんと思へども力及ばず。やがて谷川に落入りて、人の熊下になり水に沈みたりしかば、その隙に獣の熊を打執りぬ。水にも溺れず、爪の傷は数ヶ所受けたれども命に障ることはなかりき。

                                  「遠野物語43」

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上郷村仙人峠は今は篠切りの季節にて山奥深く分け入りしに淡雪に熊の足跡あるを見出し仝村細越佐藤末松を先頭に七八人の猟夫等沓掛山をまきしに子連れの大熊を狩出したれば狙ひ違はず二発まで見舞たれども斃るゝ気配のあらざれば畑屋の松次郎は面倒臭しと猟銃打ち捨て無手と打組みしも手追ひの猛熊処きらはず鋭爪以て引掻きしも松次郎更にひるまず上になり下になり暫が間は格闘せしも松次郎が上になれば子が噛み付くより流石の松次郎も多勢に無勢一時は危く見えしも勇を鼓して戦ひしに熊も及ばずと思ひけん松次郎打ち捨てゝ逃げんと一二間離れし処を他の猟夫の一発に斃れしも松次郎の負傷は目も当てられぬ有様にて腰より上は一寸の間きもなく衣類は恰もワカメの如く引き裂かれ面部に噛み付かんと牙ムキ出せばコブシを口に突き込みし為め手の如きは見る影もなき有様にて今尚ほ治療中なりと聞くも恐ろしき噺にて武勇伝にでも有り相な事也。

                    「遠野新聞(熊と格闘)」明治39年11月20日

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「注釈遠野物語」に、「遠野物語43」の元記事である「遠野新聞」に掲載された記事が紹介されていた。「遠野新聞」は明治39年に発刊された地方新聞で、一部は壱銭五厘、六か月契約で八銭、壱ヶ年契約で参拾参銭という料金で、その当時の米壱俵が四拾銭であった事から、1年契約で米一俵分より、若干安かった料金であった。

まず、「遠野物語43」の話は、剛の者が熊と対等に戦ったような話になっているが、実際は戦った男は、かなりの痛手を負ったという事がわかる。また場所も、六角牛山では無く、仙人峠となっているのも、これを伝えた佐々木喜善の問題となろう。ところで仙人峠といえば、平成になるかならないかの頃「牛みたいな大きな熊」が出たとされ、一時期、釣り人が恐れて近寄らなくなった事があったが、真相は定かでは無い。また近年土渕の琴畑にも、かなり大きな熊が出没したが、無事に撃ち取られたという話を聞いた。

たまに聞く「大~」というものだが、例えば大蛇などという話を昔話としてかなり聞くが、現代人にとっての大蛇とは、アナコンダとかニシキヘビなどの、日本には生息しない大蛇のイメージが真っ先に浮かぶ。ところが日本での大蛇とはアオダイショウが一番大きく2mくらいになり、太さもかなりのものになる。普段、シマヘビやマムシを見ている中で、急にアオダイショウを見れば「大蛇だ!!!」となるのではなかろうか。恐らく、当時と現代では"大蛇の概念"が違うものと考えてしまう。熊もまた、座っていればあまり大きくは感じないものの、眼の前で立ち上がり威嚇した場合、それを目の前にした人間は恐怖の余り「大熊だ!!!」となるのではなかろうか。

とにかく熊は立っても、せいぜい150㎝程度の身長となるが、体重は100キロを超え、筋力もまた人間の筋力を超越する存在であって、人間が勝てる相手ではない。ただ、たまに秋田県で熊と戦って勝ったという新聞記事を目にする事がある。秋田県での、熊に勝った方法とは、相手の力を利用した柔道の巴投げや、レスリングの似たような利用する技によって、熊の気持ちを殺いで勝ったとしていた。熊とまともに戦ったら、やはり勝てる相手では無いのだ。
by dostoev | 2014-03-27 17:53 | 「遠野物語考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語40(異界を覗く)」

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草の長さ三寸あれば狼は身を隠すと云へり。草木の色の移り行くにつれて、
狼の毛の色も季節ごとに変りて行くものなり。

                                     「遠野物語40」

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和歌山県牟婁郡に、こういう話が伝わっている。恐らく、熊野修験が伝えたものと思う。

「狼は人に姿見せんてお婆さんらは言う。萱一本あったら姿隠す。夜なんか、使いに行って来るでしょ。で、夜帰りに、送り雀っていうんですわ、チュンチュンて後ろ鳴いて来るでしょ。その雀がついたる時は狼が後ろについている。それは、その使いに行て来る人を守ったぁるやそうな。ほやけど、後ろ向いても姿は見えんけど、お婆さんらの話聞くと、脇の下から覗いたら姿は見えるちゅう。」

狼が草の長さ三寸あれば身を隠すという話は、実際には有り得ない話だというのは誰でも認識できるものと思う。しかし、狼は大神でもあり、神の行為と考えた場合、誰でも納得したものであったろうと想像できる。また熊野では、山伏を狼と表現したり、巫女を兎と表現するのを考えてみても、狼のその能力とは、山伏の人間を超越した力を誇示させようとした狙いもあったのかもしれない。
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常光徹「しぐさの民俗学」を読むと、様々な異界を覗く為の逸話が紹介されている。その殆どが、股の間から覗く方法と、手の隙間から覗く方法、そして脇の下、袖の下から覗く方法となる。これによれば、狼が姿を隠しても、この方法で見る事が出来るとされている。

股の間であろうが、指の隙間だろうが、脇の下であろうが、これらは一つの覗き穴を作る行為に他ならない。この覗く行為の一番古い話は、やはり「古事記」での豊玉比売が出産の際、夫に産屋を覗くことを固く禁じたが、夫である山幸彦が密かに覗くと、豊玉比売が八尋鰐になってクネクネと這いまわっていた。そして、正体を見られた事を恥じた豊玉比売は、海坂を塞いで海神の国に帰ってしまった話が伝わっている。

やはり「古事記」では、伊邪那美の住む黄泉国と伊弉諾の住む現世には千曳岩と呼ばれるもので隔てられている。この豊玉比売もまた海坂を塞いだとあるが、この世と異界とを隔てる壁というものがあるというのが理解できる。その壁に穴が空いていれば、それを覗く事が、異界を覗くという行為になると考えたのだろう。だから、例えば天橋立を股の間から覗くというのは、天橋立そのものが伊弉諾という神が造ったもので、ある意味人間の造ったものでは無い"異界"であるからだろう。

山の洞窟もまた、山に出来た穴であり、異界の入り口である。当然それは、地面に出来た井戸なども穴であり異界という事。そこを覗くとは、異界を覗く行為であるから、簡易的に人間の体や身に付けるもので"穴"を作って覗くという行為そのものが、異界を覗く…つまり、普通見えないものを見るという行為に繋がったのだろう。「遠野物語40」での狼が「草の長さ三寸あれば狼は身を隠すと云へり」というのも、神でもある狼が異界に身を隠したという意味なのであろう。
by dostoev | 2013-10-31 09:04 | 「遠野物語考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語49(仙人堂)」

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仙人峠は登り十五里降り十五里あり。其中程に仙人の像を祀りたる堂あり。
此堂の壁には旅人がこの山中にて遭ひたる不思議の出来事を書き識すこ
と昔よりの習なり。例へば、我は越後の者なるが、何月何日の夜、この山路
にて若き女の髪を垂れたるに逢へり。こちらを見てにこと笑ひたりと云ふ類
なり。又此所にて猿に悪戯をせられたりとか、三人の盗賊に逢へりと云ふよ
うなる事をも記せり。

                                  「遠野物語49」

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山の峠は、山中他界であり、山中異界でもある。山中の峠とは、人の心の中に死霊や魑魅魍魎が跋扈する空間でもあった。当然の事ながら、獣に対する恐怖心もあったのだろう。「恐怖の惑星」というB級SFホラー映画に「恐怖は、勇気の無い者の心に忍び寄る。」というセリフがあったが、まさに恐怖体験とは、そういうものだろう。


「紫式部日記」に面白い個所がある。

「絵に、物の怪つきたる女のみにくきかた書きたる後に、鬼になりたるもとの妻を、小法師の縛りたるかた書きて、男は経読みて、物の怪責めたるところを見て…。」

【式部】「亡き人にかごとはかけてわづらふもおのが心の鬼にやあらぬ」

【女房】「ことはりや君が心の闇なれば鬼の影とはしるく見ゆらむ」



式部の歌は、今の妻に取り憑いた物の怪を前妻の霊だと勘ぐって調伏に必死の男の様子を歌ったもので「物の怪を亡き妻と思い悩むのは、夫が自分の心の中に気の咎めを覚えているからですよ。」という式部の言葉に答えて同僚の妻の言うには「なるほどあなた(式部)の心に闇があるから、鬼の影をはっきりと見る事ができるのね。」という強烈?な返歌であった。

先に記したように、恐怖というものは、心の中から勇気が失せ、臆病になるから恐怖に襲われるものであろう。鬼という言葉を"隠(おん)"とも書き表すのは、心の中に鬼というものが潜んでいるのだともいえる。人の悲しみを感じるのも、人への憎しみや妬みを感じるのも、鬼というものが、自分自身の中にも棲んでいるからだ。それ故に、恐怖もまた同じものだと思う。人の中の心に棲む、負の衝動を発生させるとは、まさしく心の中に鬼が棲んでいるからなのだろう。逆にいえば、憎しみも、妬みも、恐怖も無い人というものは有り得ない。もしもそういうものが無い存在が居るとすれば、それは神か、もしくは鬼そのものであるのかもしれない。

西洋の民話に「恐怖を知らない男」の物語がある。普通の人々が恐ろしいと感じるものでさえ、その男にとっては恐怖ですらならないという、恐怖というものを知らない男の物語だ。しかし、その男にも愛する女性が出来、その女性がある時に突然の死を迎えようとしたその時、初めて恐怖を知らない男の心に恐怖が芽生える。愛する人を失うという恐怖が、その男を突然に襲ったのだ。

つまり言える事は「紫式部日記」でも「恐怖を知らない男」でも、人の心を知ってこそ"恐怖"を知るのだと思う。人の心の中に生じる、憎しみや妬み、悲しみや恐怖も、人の心の中に棲む鬼が起す理であると考える。それがあるからこそ、人間というものなのだろう。これはつまり、人の心とは弱いものであるという前提に成り立っているのからだと思う。


ところで「遠野物語49」で面白いと思うのは、峠に雑記帳らしきが置いてあるという事だろう。迷信の蔓延る時代の峠の御堂に、雑記帳が置いていればそれこそ、面白半分に書き記した者もいるかもしれない。その後に、その雑記帳を読んだ者は、負の連鎖を背負い、次の者に繋げる。まさしく仙人峠における、怪奇の連鎖であったのだろう。

また気になるのは、越後の者が不気味な女に遭ったという記述だ。「遠野物語拾遺113」に、キャシャと女とを結び付けているが、他にもキャシャの話を遠野の中から探すと土淵の山口部落にあった他を知らない。ただ「遠野物語拾遺111」では白望山にも、山中の夜に不気味な女の現れた記述もあるので、それももしかして「キャシャ=女」なのだろうか?実はこのキャシャの出所は、越後のヤサブロバサに繋がると思っているのだが、そのキャシャらしき記述が仙人峠にもあったのだというのは注意が必要だろう。そしてそれが峠の仙人堂にある雑記帳に書き記されたものであるならば、そのキャシャの話を伝えた越後の者がいたのかもしれない…。
by dostoev | 2010-12-24 17:14 | 「遠野物語考」40話~ | Comments(2)

「遠野物語45話(猿の経立)」

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猿の経立はよく人に似て、女色を好み里の婦人を盗み去ること多し。松脂を
毛に塗り砂を其上に附けてをる故、毛皮は鎧の如く鉄砲の弾も通らず。

                                  「遠野物語45」

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現代、山の木々が伐採されて熊が里に下りてきている。山々は、伐採された禿山と植林された杉の木が多い為、ブナの実を食べる熊などの餌が無くなった為だ。また最近、遠野の物見山から綾織にかけて、たまに猿の目撃例があるのは、はぐれ猿が餌を求めて、里に降りてきたのだろう。

日本の古代の猿に関しては、縄文時代に山の木の実を採るという行為が、人間と猿の対立があっのではないか?とも云われている。ただし、弥生と呼ばれる時代には、開墾中心の為、人々の山への侵入は減少し、人間と猿の対立という図式は無くなりかけた…。

陰陽五行で紐解くと、申ってのは複雑で「水の三合」に属して、水を発生させるものでもある。しかし元々は金気に属し、木を切り倒す者でもあるけど、水気にも属するので木々に栄養分を与える役目も担っているのが、申。ただ金は水を発生させるので、理解は容易い。土生金と考えれば、山は猿を生み出した…。

土剋水と考えれば、猿は山に負けてしまうので棲めなくなるが、猿の生活圏はあくまで樹上。木は山の栄養分を吸い取る存在で、木剋土となり、山の支配者。その木を支配する猿は山の最もたる支配者の位置になってしまう。その山を支配する猿が里に降りてくるというのは、神の降臨を意識したのかもしれない。

山そのものは異界であり、死者の行き着くところという山岳信仰にも通じる。その山と里を行き来する猿に対して、人々は畏怖したのかもしれない。「神」という漢字は「申」を「示」と書き記す。ちなみに「祀」は「巳」を「示」だ。そして「狼」は「大神」とも呼ばれるのは、古来から山に生息する獣を神と結び付けていたのだろう。

>猿の経立はよく人に似て、女色を好み里の婦人を盗み去ること多し。


中国でも、美しい女性をさらい交わってしまう妖猿の話がある事から、もしかして中国から流れてきた意識が、日本に根付いたものなのかもしれない。

ところで、女性と交わるというと古来から蛇がいる。蛇の姿が男根の象徴となっており、昔話でも厠に潜んでいて、女陰に侵入するという話や、倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)と交わった大物主神…実は蛇と、などなど…。

妊娠のシステムがわからない時代の女性というものは、獣と交われば獣の子供を産むのが女性と思われてきた。また戦争において、征服者は被征服者の女達を犯し、強制的に子供を産ませてきたのは、我が子を捨てれぬ母性を巧みに利用した征服方法で、卑劣なものだった。つまり「遠野物語45」における猿の経立が里の夫人を盗み去るという話は、ある意味里に住む民族と、山に棲む民族の戦争でもあったのかもしれない。

人身御供として、神に若い娘を提供する話は多い。そしてその神の正体は、狒々である場合の話が存在する。「遠野物語45」において、猿の経立はよく人に似て…とあるが、これは完全に猿ではなく、人に近い猿だと言っている。全身毛むくじゃらの生き物とは、最近話題に上ったサトリという妖怪にも似ている気がするが、「遠野物語」として考えるならば、それこそ里の女性をさらう山の民を、猿と同列と考えて表現したものなのかもしれない。年老いた生物は異形となるという考えから、猿が異形となって、山の民と結び付き、猿の経立となった可能性も否定できないのではないだろうか?

一般的な猿の経立の解説は「注釈遠野物語」の文章に書かれているように「多くの猿神退治の話なとにあるように年老いた老獪な猿を設定して、その威力を語ることによって、子供たちに自然とそこに棲む動物たちへの畏敬の気持ちを育てたのであろう…。」となっているのだが、何故猿なのか?

子供達に動物に対する畏敬の気持ちを育てる為ならば、例えば明治時代であれば、より実害が目に見える狼でも良かっただろうし、山で一番体の大きい熊でも良かった筈だ。またその頃であれば猪もいたであろうし、蛇でも良かった筈だ。それが何故猿なのか、その理由は今となっては知る由も無い。

年老いた猫は、尻尾が二股になり”猫又”という妖怪になると云われたのは平安時代からだ。また樹木においても、若い樹木はスマートであり、若々しさを感じるのだが、年老いた樹木は人間と同じように、背は曲がり疣が出たりとボコボコになり異形となる。しかしその代わり風格と威厳が出てくる。人間が妖怪で現される大抵は、翁となる。白鬚の洪水伝説しかり、翁には異様な雰囲気が漂っている。その人間である翁にかかってくるのは、猿なのかもしれない。人に似て、人と違う存在は翁であり、それを髣髴させる年老いた猿にそのイメージを被せて出来たのが、猿の経立なのかもしれない。
by dostoev | 2010-12-09 13:45 | 「遠野物語考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語44(猿の経立とは)」

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六角牛の峯続きにて、橋野と云ふ村の上なる山に金坑あり。この鉱山の為に炭を焼きて生計とする者、これも笛の上手にて、ある日昼の間小屋に居り、仰向に寝転びて笛を吹きてありしに、小屋の口なる垂菰をかゝぐる者あり。驚きて見れば猿の経立なり。恐ろしくて起き直りたれば、おもむろに彼方へ走り行きぬ。

                             「遠野物語44」

猿の経立はよく人に似て、女色を好み里の婦人を盗み去ること多し。松脂を毛に塗り砂を其上に附けてをる故、毛皮は鎧の如く鉄砲の弾も通らず。

                             「遠野物語45」


栃内村の林崎に住む何某と云ふ男、今は五十に近し。十年あまり前の事なり。六角牛山に鹿を撃ちに行き、オキを吹きたりしに、猿の経立あり、之を真の鹿なりと思ひしか、地竹を手にて分けながら、大なる口をあけ嶺の方より下り来れり。肝潰れて笛を吹止めたれば、やがて反れて谷の方へ走り行きたり。

                             「遠野物語46」

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もう一度「遠野物語」に記されている一連(44~46)の猿の経立に関する話を読むと、これは猿では無いだろうと感じる。考えてみると柳田國男は本来、遠野に山人に関する情報を求めて訪れている。「遠野物語」では、御犬の経立・猿の経立と続けて紹介している為、どちらかというと物の怪の類に捉えがちだが、よくよく読むと、猿の経立とは山人の一種ではないか?という柳田の想いを感じてしまう。

例えば、特に猿らしくないのが「遠野物語46」だ。林崎に住む何某は六角牛という山で"オキ"という、鹿笛を吹く。このオキは鹿に仲間であるという事を知らせ呼ぶ為の笛だ。しかしこのオキの音に呼び寄せられたのは猿の経立という事であるが、これは山で鹿狩をしている者…いや、山中に住み、鹿などを捕って生活している山の人間が、オキの音に騙されて鹿を求めて来たと解釈すれば、すんなりと理解できる。里の風俗の者は、山の風俗の者の服装なども含め、異様に感じる筈であるから。「遠野物語拾遺121」に、タイマグラで遭遇した見慣れぬ風俗の男女の目撃譚が紹介されているが、見た目とはつまり、あからさまに解る、髪型であり服装の事を示すのだと思う。つまり「遠野物語46」で山の嶺より来た猿の経立と思われたのは、山に住む人間の可能性は高いのだろう。

それと「遠野物語44」と「遠野物語46」の共通点は、笛を吹いたら猿の経立が寄ってきたという事だろう。「遠野物語46」ではオキというシカ笛なのだが、「遠野物語44」は普通の笛であろう。しかし、そのどちらの音色にも猿の経立は寄って来ている。

それと問題は「経立(ふったち)」という名称だろう。「遠野物語」による「経立」の解説の大抵は「猿や狼の年経て一種異様な姿と霊力を得たかの如きものをいうのであろう…。」と少々歯切れが悪い。人間もだが、年取ると霊力を得るというのは、いろいろな物語に登場する翁などの扱いと同じ。猫も年取ると、尻尾が二又に分かれ"猫又"という妖怪になるのと同じ考えから解説されているのだろう。

「経」は大抵の場合「キョウ」と読むが「フッ」と読む場合は、経津主神がその例となるだろう。ただ「年を経て…。」という用法もあるが「へて…。」の本来は「径・徑」であって中国の「経書」が本来「径」という漢字をあてる意味から「経」に繋がったようだ。

「日本の神様辞典」によれば「フツは剣の切れる音を表し、威力を意味する。」とある。では「立つ」とは、直立するなどの意味があるが「フツ」と合わせ考えると、泡立つとか、沸き立つに近いものだと考える。

「遠野物語」による「経立」の解説の大抵は「猿や狼の年経て一種異様な姿と霊力を得たかの如きものをいうのであろう…。」と少々歯切れが悪い。しかし「経」の読みの「へて…。」の本来の意味と、経津主神の「フツ」の意味のズレがある事からつまり「経立」とは「威力が際立った」という意味が正しいのだろう。これはつまり、経立を"神"と見立てての言葉であるのだと考える。

「神秘の道具」という書物によれば日本で普通、笛といえば横笛の事を言う。そしてその笛の音を古来から"人の風"と呼んできたらしい。祭でドン!ドン!ヒャラリというのは、太鼓と笛の音を表す。祭には必要不可欠なのが、太鼓と笛だ。この二つの楽器によって、神を降ろす事になる。ただ単独でも神を降ろすのには可能。例えば笛の音により、天女が舞い降りたとの物語もあるように、笛や太鼓の音は"神降ろし"の道具であったよう。

となれば、「遠野物語44」&「遠野物語46」において笛の音に反応した猿の経立とは、神に等しいのかもしれない。また柳田國男の説によれば、妖怪とは神の零落したもの…と捉えても、神の資質を持っていたのが猿の経立であったのかもしれない。ただそうなれば、先に猿の経立は人間?と記したのと真逆になってしまう。しかし山中異界であるならば、本来は山の民であろうが、里の民にとっては、その山中異界に住む民とは神であり、妖怪の類と考えられていたのだろう。

と、なればだ…例えば里の民が山中で笛の音を聞いたとしたら、やはり誰が吹いているか気になるもの。また、その逆も言える。「遠野物語46」はオキというシカ笛であるから、それは鹿と間違い寄ってきた山の民であろうが、「遠野物語44」は、純粋に笛の音に導かれた山の民の可能性であったかもしれないのだ。
by dostoev | 2010-12-09 13:40 | 「遠野物語考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語41(狼)」

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和野の佐々木嘉兵衛、或年境木越の大谷地へ狩にゆきたり。死助の方より
走れる原なり。秋の暮のことにて木の葉は散り尽し山もあわは也。

向の峯より何百とも知れぬ狼此方へ群れて走り来るを見て恐ろしさに堪えず、
樹の梢に上りてありしに、其樹の下を夥しき足音して走り過ぎ北の方へ行けり。
その頃より遠野郷には狼甚だ少なくなれりとのことなり。

                                   「遠野物語41」

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この大谷地の原は、遠野盆地の東よりであり、沿岸に隣接している場所でもある。遠野盆地の動物達は、より多く、この沿岸地域に隣接した山々に生息している。何故なら、遠野側の天候が荒れれば、沿岸地域へと逃げ、またその逆もあるからだ。特に鹿などは、大雪が降ると生死に関わるので、大抵冬の間は沿岸地域へと移動する。当然、鹿を捕って喰らった狼もまた遠野盆地の東よりに多く生息していたのかもしれない。

そして、この「遠野物語41」の描写は、狼の中にジステンバーが流行った為の狼の集団狂走なのか、それとも大雪が来る為に、やはり狼が集団で雪の少ない沿岸地域へ移動している情景なのかは定かではない。。。。

沿岸地域への入り口に、土淵村があった。「遠野物語」にも多くの狼に関する話が紹介されているのも土淵である。明治時代の中頃までは三峰信仰もあったようだが、狼の絶滅と共に、ほぼ廃れてしまい、神社や祠を見かける事は無くなった。唯一、写真の祠は現在山神を祀っているというのだが、以前は狼を祀っていたのだと云う。この祠の以前の御神体は、木の根であり、山の木の根元に穴を掘った狼が出産したところから、木の根の一部分を持ってきて祀っていたのだと。それがいつしか、焼物の山の神と摩り替わってしまったのだと。

これは遠野の話ではないが、元々狼は山の神の使いとも思われてきたので、狼が仔を生むと、その場所に団子などを重箱に入れて、置いてくる風習があったのだと云われる。要は、狼に対して出産祝いを献じたという事だ。また遠野では、小正月に「狼の餅」として、山の麓の木の枝や、道路の四つ辻に餅を持っていって置いたそうである。これは昭和時代まで行われていたようだ。
by dostoev | 2010-12-09 13:38 | 「遠野物語考」40話~ | Comments(0)