遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語考」30話~( 10 )

「遠野物語33(魔の山)」

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白望の山に行きて泊れば、深夜にあたりの薄明るくなることあり。秋の頃茸を採りに行き山中に宿する者、よく此事に逢ふ。又谷のあなたにて大木を伐り倒す音、歌の声など聞ゆることあり。此山の大さは測るべからず。五月に萱を苅りに行くとき、遠く望めば桐の花の咲き満ちたる山あり。恰も紫の雲のたなびけるが如し。されども終に其あたりに近づくこと能はず。曾て茸を採りに入りし者あり。白望の山奥にて金の樋と金の杓とを見たり。持ち帰らんとするに極めて重く、鎌にて片端を削り取らんとしたれどそれもかなはず。又来んと思ひて樹の皮を白くし栞としたりしが、次の日人々と共に行きて之を求めたれど、終に其木のありかをも見出し得ずしてやみたり。

                                                        「遠野物語33」

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遠野の怪奇譚の発生源でもある白望山は、様々な伝えが多い。その中での発光現象は、内藤正敏「聞き書き遠野物語」によれば、白望山の背後にある蹈鞴場である金糞平からの火の手によるものではないか?との考察は、有り得る話だろう。しかし、電磁波の問題も多少はあるのかもしれない。ただし、その光は一瞬である。自分も何度か体験した事があるが、誰もいない筈の夜の山奥で、まるでカメラのフラッシュを焚いた様に光る時が多々ある。その後に帰って地震情報をチェックすると、確かに震度3以上の地震が発生している。過去に遡って思い出しても、そこそこ大きな地震があった時は、トンビが群れ成して飛んでいたなど、普段見慣れない行動する生物の姿を見る事が出来るようだ。それ故に、ナマズなどが地震を予知するなどの迷信が広まったのだろう。だがどうも、白望山の発光現象は、持続する明かりであるようだから、地震のそれとは違うのだろう。

また、山中で大木を伐り倒す音は、一度だけ経験している。夜中に静かな山道を白望山の登山口へ歩いて向かう最中に、大きな何かが倒れる音がした時は、確かに驚いた。その時は、熊か鹿などの大型の動物が何かにぶつかって倒した音かと考えたものだった。

歌声に関しては、満月の夜であれば、急ぎの旅の者達は夜の峠を越えたという。その時に、やはり夜の山は恐ろしいので、歌って歩いたとの話を聞いた。しかし、それを知らぬ者にとっての歌声とは、恐ろしいものに感じたのだろう。

ところで桐は、鳳凰の住む霊木とする伝説がある。この木を植えると諸々の禍を除くと云うが、桐の木を家の近くに植えると位負けしてその家の家族の血色が蒼白となると云う。桐の根は人間の生血を吸うから家の近くには植えられぬとの俗信から、桐の花とは人里離れた場所に咲くものであろうとされたのではなかろうか。ただ「娘が生まれたら桐を植えて、結婚する時には箪笥にして渡す」との俗信があるが、桐の成長と手間暇を考えれば、迷信であるという。実際は、成長した桐の木を売ってお金に換えて、支度金として娘に渡したのだろうという事である。「遠野市植物誌」で桐を確認すると、桐の殆どは自生ではなく植栽であるという。ただ唯一、ナラビヤマ沢に野生と思われる桐を見出しているという。このナラビヤマ沢とは猿ヶ石川源流沿いの沢であるから、白望山周辺に桐の自生していた可能性は低いのだろう。桐は切れば早く芽を出す事から「桐(キリ)」と呼ばれるようなので、やはり殆どは人間に管理された植栽によるものが大半なのあるか。つまり、マヨヒガの話も含めて辿り着けない様々な幻が発生するのが白望山周辺であると伝わったのだろうか。寺沢武一「コブラ」のシリーズの中に「魔の山」という話がある。この魔の山は幻の山であり、その存在を疑うと、その山は消え去ってしまい、魔の山に登っていた筈の人間は、奈落の底に落ちてしまうというもの。その山を信じ切った者だけが登り切る事の出来る山という話だった。白望山に見える幻も、疑った瞬間に消えてしまうのだろうか。となれば白望山もまた、人の信じるという能力を計る魔の山であるのかもしれない。
by dostoev | 2014-11-10 17:44 | 「遠野物語考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語35(走る女)」

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佐々木氏の祖父の弟、白望に茸を採りに行きて宿りし夜、谷を隔てたるあなたの大なる森林の前を横ぎりて、女の走り行くを見たり。中空を走るやうに思はれたり。待てちやァと二声ばかり呼ばりたるを聞けりとぞ。

                        「遠野物語35」

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白望山については何度も書き記したが、山に棲む人間は確かに居た事から当然、女性もいた事だろう。男達に一緒に付いて来た女性もいただろうし、村の娘を誘拐した場合もあっただろう。ただここでの記述は「中空を走るやうに」と記されている事から、まるで物の怪の様な描写となっている。

槇佐知子「病から古代を解く」の中に、「正彦薬」というものがある。その適応症に「母乃久留以病卒泣笑如崇登垣或狂走者」とある。「母乃久留以病」は「モノくるい病」と訳されているが「母のくるい病」の可能性もあると述べられている。その症状は、俄かに泣き、笑い、祟りの如く垣根に登り、狂って走るというものらしい。例えば狐に憑かれた者は、異様な行動や異常な力を発揮する場合があるという。まさに「中空を走る」という表現は、狐に憑かれた様な、この症状に適応したものであると思えてしまう。

まあ実際は、遭遇した男が夜の山での出来事であるから恐ろしさの余り、そういう風に感じたのかもしれない。「待てちやァ」という呼び声も考えてみれば、誘拐された女が山に棲む男の家から逃げ出し、里の男を発見した為に必死で声をかけた”助けを懇願する”呼び声だった可能性はあるだろう。
by dostoev | 2014-04-22 06:56 | 「遠野物語考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語31(婦女誘拐)」

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遠野郷の民家の子女にして、異人にさらはれて行く者年々多くあり。殊に女に多しとなり。

                                  「遠野物語31」

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遠野は盆地であり、四方を山々に囲まれている。その山々の山中で女の登場する話の多くは白望山となる。次に、六角牛山であり、後は石上山にキャシャと関連して不気味な女の話とタイマグラに、風俗の違う女の話がある程度だろうか。つまり女の登場する話の殆どが、白望山から六角牛山にかけての東側の山の話である。東側の山に何があるかといえば、山蹈鞴場である。当然、マヨヒガの話もこれらに含まれようが、山中他界であり異界。里の民百姓は、魑魅魍魎、妖怪の類が出るであろう山へと滅多に登らなかった。しかし、その山中で暮らす人々がいた事は明らかとなっている。

画像は白望山から望む遠野の街だが、山から眺めれば賑っているだろう遠野の街をイメージする事は可能だ。山中で暮らすとなれば、人恋しくなるものであり、女恋しくなるものであろう。現代でも年間の行方不明者の数は、かなりの数字になる。ましてや人権という言葉が希薄であった昔に在っては、人を攫っての人身売買は、かなり横行していたようである。暗い山から、明るく賑わう遠野の里を望めば、女を攫おうとする意欲が湧き上がるのかもしれない。

例えば倭寇の歴史を調べてみても、襲った村から人を攫い人身売買が成立していたが、売られた人間の生活は保障されていたようである。その国や町、村の統治者の関係者で無ければ、売られた先で普通に生活できれば良かったようだ。現代と比較すれば、程度の低い移民と言っても良いのかもしれない。

また、日本国から渤海への美女の献上は、歴史的にも有名な事だ。その献上された美女達は、その国の主が選んだ場合もあるだろうし、それこそ人攫いによって攫われ、献上されたのだろう。「英雄色を好む」は何も英雄だけでは無く、男全般に言える事だ。男が攫われるのは労働力としてのものだが、女が攫われるのは、男の剥き出しの欲望と言って良いだろう。

山と里は、同じ遠野でありながら別々の国と考えれば良いのかもしれない。山から里に攻め入って、戦利品として女を奪う。奪われた女は、暫くした後に山で生活する事を覚悟する。白望山の怪奇譚の中に女が現れ笑ったり、走ったりする話は、そういう山で生きる事を覚悟した女達の話であると考える。
by dostoev | 2014-04-04 20:01 | 「遠野物語考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語30(大きな草履)」

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小国村の何某と云ふ男、或日早池峯に竹を伐りに行きしに、地竹の夥しく茂りたる
中に、大なる男一人寝て居たるを見たり。地竹にて編みたる三尺ばかりの草履を脱
ぎてあり。仰に臥して大なる鼾をかきてありき。

                                    「遠野物語30」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
画像は羽黒堂入り口に飾ってある、天狗を意識した石製の巨大な下駄のオブジェで、とても人間が履ける代物ではない。「遠野物語30」で紹介される草履も三尺とは約90センチくらいで、やはり今の世の中を見渡しても、そこまで大きな足の人間はいないので、ある意味「巨人譚」の一種かとも思える話となる。

自分が小さな頃、いつも採っているミヤマクワガタを更に凌駕する程の大型のミヤマクワガタを捕まえた事がある。その時は計測はしなかったが、恐らく10セントはあったかと暫く思っていたが、大人になって調べると10センチなどというミヤマクワガタは、日本ではギネスを遥かに超える巨大なミヤマクワガタで、有り得ないサイズであった。恐らく子供心に、その大きさに圧倒され"だいたいこのくらい大きかった"という漠然とした記憶が10センチというサイズを作ったのだろう。
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画像は、遠野市立博物館発刊「ヤマダチ」より

大きな草履で思い出したのは、マタギが使用するツマゴとカンジキだった。画像のマタギの足元を注意して欲しい。
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画像の上がツマゴで、下がカンジキ。これをセットで履き、雪の上を歩くのに使用する。このツマゴとカンジキがセットであれば、それこそ大きな草履に見えるだろう。早池峯は6月まで雪を有する山である。遠野の里の春は4月から始まり、桜の咲くのが4月末から5月の連休にかけてだ。その頃から里山に登る事も出来るのだが、5月の初旬では早池峰にはまだかなりの雪が残っている。

この「遠野物語30」の時期はよくわからぬのだが、これが春先であるのならば、早池峯などの高山に登り獲物を探すマタギなどが、狩猟の後に濡れたツマゴとカンジキを乾かして昼寝している光景もあったろうと想像する。そしてセットになったツマゴとカンジキなどを、たまたま山に登った里の者が習俗の違うマタギの恰好を見るだけで違和感を覚えただろう。そしてその大きさも驚きのあまり誇張され、三尺という有り得ない大きさとなった語られた可能性はあるだろう。マタギの足元だけでなく、全身に毛皮を纏っていたマタギの恰好は、それこそ普通の人間よりも大きく見えたのだと想像できる。山での想定外の遭遇は、そのモノを有り得ない程の誇張するものであるから。
by dostoev | 2013-08-31 22:23 | 「遠野物語考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語37(狼の群れ)」

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境木峠と和山峠との間にて、昔は駄賃馬を追ふ者、屡狼に逢ひたりき。
馬方等は夜行には、大抵十人ばかりも群れを為し、その一人が牽く馬
は一端とて大抵五六七匹までなれば、常に四五十匹の馬の数なり。

ある時二三百ばかりの狼追ひ来り、其足音山もどよむばかりなれば、
あまりの恐ろしさに馬も人も一所に集まりて、其めぐりに火を焼きて
之を防ぎたり。されど猶其火を躍り越えて入り来るにより、終には馬
の綱を解き之を張り回らせしに、穽などなりとや思ひけん、それより
後は中に飛び入らず。遠くより取組て夜の明るまで吠えてありきとぞ。

                        「遠野物語37」

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「オオカミはなぜ消えたか」千葉徳爾の調査によれば、日本で一番日本鹿が生息しているのが、岩手県の釜石周辺であるという。実際に、東日本大震災の影響から放射能問題が発生し、鹿肉目当ての狩猟が激減し、また平均年齢の高い狩猟者が次々と引退していく為、更に鹿の生息数は過去最大の数になっているかもしれない。

ただし、この「遠野物語37」における狼の数が二百~三百であるのは、誇張された数字であろう。そしてこの、馬と人を襲うかのような狼の表現は、あくまでも狂犬病が蔓延してからのものであるのを理解して欲しい。何故なら狼とは、大神でもあり、人や人の飼育する馬を襲う事が無かった、人間の崇拝する神に等しい存在であった。

鎌倉時代の辞書である「名語記」には、こう書き記されている。


「オホハ大也 カミハ神也。コレヲ山神ト号スル也」


古来から「オオカミ」もしくは「オホカミ」は「大神」であり「山神」であったようだ。伏見稲荷の縁起を見ても、当初は狐では無く狼から始まったのが、稲荷であった。そう古くから狼は、神として祀られていたようだ。

また「遠野物語37」の記述に「馬の綱を解き之を張り回らせしに」とある。これは馬の綱を周囲に張り巡らせて結界を作ったという意味になる。つまり、物理的な攻撃では無く、呪術的な防御によって狼を避けようとした事になる。それは獣である筈の狼が、霊的な存在でもあったという証でもあるのだろう。

例えば、北陸のマタギに伝わる熊除けの呪文「お前の秘密を知っている!ツキノワ!」と叫ぶと、熊は胸に抱く月輪(ガチリン)の秘密を暴かれたと思い、逃げるからだと信じられてきた。それもつまり、熊がいつの間にか野生の獣から、霊的な存在に変わった為である。この「遠野物語37」においても、神霊に対する対処法として、とっさに出た可能性もあるだろう。有名なのは、「遠野物語」に登場する旗屋の縫が、三途縄を「ひと尋、ふた尋…。」と長さを計り、魔物に対する結界を張ったものに通じる。
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ところで信州飯山樽沢の辺りで、恵端禅師が原野に坐して七夜の間、群れた狼の跳梁に身を委ねた話が白隠禅師「壁生草」の中で紹介している。画像は、恵端禅師に纏わり付く狼のイメージが描かれたもの。禅師であるから、無の境地となり、狼の攻撃を避けたのか?とも思ってしまう。上田秋成「雨月物語(青頭巾)」において、快庵禅師が禅を組むと、鬼となった阿闍梨にはその姿が見えない下りがあったが、この絵からは狼が禅師を認識しつつも、寸前で攻撃していないようでもある。

「送り狼」という言葉は本来、狼のテリトリーに入ったモノを好奇の目で観察し、"それ"が敵意が無いかどうか確認する為、テリトリーを出るまで送る事を云うようである。つまり、ここでの恵端禅師はある意味、狼にとって敵かどうか試されたわけであるが、七夜は少々長すぎるので脚色が入ってのものであろう。
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世界三大犬好き国というのがある。それはイギリス、ドイツ、そして日本であるそうだ。そして、その共通項として、狼を神と讃えた歴史があるという事らしい。先に記したように、日本は狼を大神として崇め奉っている。それは恐らく、狩猟民族としての共通項からだと云われる。
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A・L・リーバー「月の魔力」には、狼男の発生は、満月の夜に人間が狼の狩りを見て学習した名残から、満月に対し、その狩猟民族時代の獣性が目覚める事から創られたものであろとしている。

実際に、狼は集団で狩りをする。そして狩った獲物は、均等に分配する。もしもそれが不平等であれば、狩の集団は破滅する。だからこそ、狼の集団は成り立っているのだ。その狼から習った平等性を日本人はDNAの根底に潜ませていると云われる。その日本人の性質は、アジアの中でも奇異な存在である。それは犬喰いがアジア全般に行われるのに対し、日本で犬を食べるという事は、考え辛い事だからだ。戦後に赤犬を食べたという話があったが、突き詰めればそれは日本に移住した朝鮮民族の風習であり、未だに青森県は八戸で密かに犬の肉が売られているのも、移り住んでいる朝鮮民族が"それ"を買う為だと聞いている。

アジア全般は悪食で、なんでも食べる民族が多い。よく言われる中国民族は、机以外の四足は食べ、飛行機以外の飛ぶものも全て食べると云われる。また東南アジアに置いては、蟲の類からヘビやミミズの類まで食べている。いや、日本にも飢饉の時代に、なんでも食べる文化が残り、イナゴであったり、長野県で有名なザザムシであったりするが、日本において、それは殆どマイノリティに過ぎない。

つまり、イギリス、ドイツ、そして日本に見られる獲物の均等な分配概念は集団で狩りをした事にDNAに植え付けられたと解釈する学者がいる。ところがアジアでは、大型動物を狩りするより、目の前の小動物など、人の手を借りずに得る事の出来るモノを食べて生活してきた為、均等な獲物の分配、富の分配が性質的に無いと云われる。だから日本は、アジアの中で突出した奇異な存在である。それを導く説の一つに、やはり犬である。秋田犬と北海道犬のDNAは、全くアジアに存在しないA型であるのだが、そのA型を保有する犬の殆どが、北部ヨーロッパにしか無いという事実。つまり秋田犬と北海道犬が単独で日本に渡って来たとは考えられず、北方から人が連れて来て定着した犬種であるという事。
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ところでB・H・ロペス「オオカミと人間」に面白い事が書いてある。アラスカのカラスは狼と、狩りを共にしているという。そして、シベリアのカラスは人間に獲物の存在を教えているという。カラスは狩りをする鳥では無いが、狼や人間に獲物を教える事によって、そのおこぼれを授かる存在。つまり北欧神話主神オーディン の肩には、「フギン(思考)」「ムニン(記憶)」という名の二羽のカラスが世界中を飛んで、目にしたことをオーディンに報告
しているのと同じだ。つまり、カラスとはオオカミであり、そして狩猟民族と、その協定を結ぶ存在であると想定できる。

そこで思い出すのが、神武天皇が八咫の烏に導かれる話だ。唐突に現れる八咫の烏ではあるが、動物学的にカラスが狩猟民族と結びつく事を考えた場合、これは高天原から降り立って、日本という陸地に住み着いた日本民族の祖というべき神武天皇そのものが実は、狩猟民族であったという仮定が成り立つものであると考える。また「古事記」においても雄略天皇が狩に興じていた事も踏まえ、恐らく古くから日本民族は狩猟民族であったと考える。人間を評する言葉に、こういうものがある。「人間は、手に牙を持った狼である。」と。山に発生する獲物を求めて、狼と人間の奇妙な共通点が、信仰の中に見え隠れしている。八咫の烏は牛王神(ゴオウジン)とも云われ熊野の護符にもなっている。北欧神話の最高神オーディーンとの音的な繋がりとカラスの存在は、日本人が遥か古代、北方の狩猟民族の文化と血を受け継いで日本に渡って来た民族である可能性は否定できないだろう。そうであるから、アジアの中で日本民族とは孤高の存在であるのだろう。
by dostoev | 2012-12-05 18:20 | 「遠野物語考」30話~ | Comments(9)

「遠野物語39(獣の習性)」

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佐々木君幼き頃、祖父と二人にて山より帰りしに、村に近き谷川の岸の上に、大なる鹿の倒れてあるを見たり。横腹は破れ、殺されて間も無きにや、そこよりはまだ湯気立てり。祖父の曰く、これは狼が食ひたるなり。此皮ほしけれども御犬は必ずどこか此近所に隠れて見てをるに相違なければ、取ることが出来ぬと云へり。

                                   「遠野物語39」

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画像は、山中で発見した鹿の骨だ。明治の半ば以前であれば、狼に襲われた鹿の死体が、山中に転がっていたのだろうが、現代には狼は生存しない為、大抵は老衰や怪我などで死んだ鹿などの死体がたまにある。猟師に撃たれた鹿は、全て持っていかれるので、こういう死体はカラスなどの鳥類が啄ばむか、狐などの肉食系小動物が食べてしまう。画像の鹿の骨には角が無いが、これは人間が切って持っていく為だ。
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画像は、道路に横たわっていた蛇の死体だ。実はトンビがこの蛇を食べている最中に、自分が車で通りかかった為、トンビは餌であるヘビを放り出して上空へと飛んだ。しかし逃げたわけではなく、この餌であるヘビを見下ろせる木に止まって、じっと餌であるヘビと自分の動向を観察しているようであった。

また以前、北海道は大雪山でのヒグマの恐ろしい事件があった。大学生の登山クルーが、ヒグマがリュックの食料を漁った為、そのリュックを持って逃げた為に、ヒグマに追いかけられ、襲われて死亡した第惨事があったのは、今でも記憶に生々しく残っている。

ともかく、この「遠野物語39」で記されているのは、狼が手を付けた獲物には手を出すなだ。トンビしかり、ヒグマ事件もしかり、また人間界でも"食べ物の恨みは恐ろしい"と云われるように、更に狼の復讐の話も伝わる事から、この鹿の死体には手を出してはいけないという事である。
by dostoev | 2010-12-09 18:51 | 「遠野物語考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語38(狼被害)」

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小友村の旧家の主人にて今も生存せる某爺と云う人、町より帰りに頻に御犬の吠ゆるを聞きて、酒に酔ひたればおのれも亦其声をまねたりしに、狼も吠えながら跡より来るやうになり。恐ろしくなりて急ぎ家に帰り入り、門の戸を堅く鎖して打潜みたれども、夜通し狼の家をめぐりて吠ゆる声やまず。夜明けて見れば、馬屋の土台の下を堀り穿ちて中に入り、馬の七頭ありしを悉く食ひ殺してゐたり。此家はその頃より産稍傾きたりとのことなり。

「遠野物語38」

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曲屋が狼から馬の保護を念頭に入れて建てられたのだが、それでも狼の被害は後を絶たない時代が続いたようだ。馬は百姓にとって、生活の根元でもあった為、馬を狼に食い殺されるというのは、家の盛衰に大きな意味を持っていた。ところで享保の改革から狂犬病が全国に蔓延したとは認識していたが、その享保の改革以前にも、遠野地方…岩手県地方では狼が猛威を振るっていたという記事がある。
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元禄4年(1691)6月27日の条『盛岡藩雑書』


廿七日  晴酉ノ刻雨       


八戸弥六郎領遠野付馬牛村・駒木村にて、去十二日より頃日迄夜々狼百姓家へ入、人を喰候由、右両村にて十三人、同名頼母寮東禅寺村・付馬牛にて弐人、男女おとな・わらし共に被喰疵有之由、馬三十壱疋、牛四疋喰殺候旨、弥六郎申上候付、鉄砲為討候様にと上田八十右衛門申渡之

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「盛岡藩雑書」によれば、狼は家の中にも侵入したという。しかし附馬牛で13人、東禅寺で2人の合計15人が狼に食われたというのは、かなり衝撃的だ。他にも馬が31匹、牛が4匹と、この「遠野物語38」の更に上を行く被害だ。「盛岡藩雑書」でも狼の被害の初めての記述は寛永21年(1644年)で、その後享保年間まで、150件以上の狼被害の記録が記されている。これだけの狼被害があれば、狼に対して怒り我が見えなくなる程とも思うのだが、この狼の恐ろしさはまさに"大神"に対する畏怖と同じである。遠野を含む、金沢村・和山の辺りには、かなりの三峰様の石碑が目立つ。

岩手県浄法寺に伝わる昔話には、湯殿山の行者が来て「三峰様を山の峯に祀ると、狼の害が無くなる。」と言って祀らせてから、だんだんと狼被害が減ったという物語がある。ここで感じるのは、狼という獰猛な獣と戦うには、武器が無いという切実な問題があったかもしれない。江戸時代は、徳川幕府の政策により、鉄砲を勝手に所持はできなかった。各諸国の藩にも、定められた数の鉄砲だけ。それ以外には、定められた猟師だけが鉄砲を持つ事が出来たのだが、猟師一人で狼の群れに対峙するなど、自殺行為でもあったよう。つまり、三峰信仰とはある意味、対抗できない民の手段であったのかもしれない。それは古来から続く、一方的に祟る神に対する懇願であり、信仰に近い習俗のだろう。

東北における鹿の分布は、雪の少ない太平洋沿岸に多い。狼の餌にもなる鹿が多いのに加え、南部駒、もしくは古代からの馬産地としての岩手県。さらに盛岡南部時代の4大飢饉からの餓死者の多さから、狼にとってはまさに岩手県は天国であったのかもしれない。
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尋常小学校の教科書には画像のように「嘘をつくな!」の言葉と共に狼に追われる子供の挿絵がある。これは"嘘を付く"と、こうして狼に襲われるという迷信が、この時代にもあったのだと理解できる。とにかく狼とは恐ろしいものという認識は、かなりの長い時代、伝わってきたのがわかる。しかしただ単に恐ろしいだけで、こうも狼に対する信仰が持続するのだろうか?もしかしてだが、狼が大神と結び付いたからこそ、狼に対する畏怖が持続していたのでは無いかと考えている。この考察は、違う機会に書き記そうと思う。
by dostoev | 2010-12-09 18:48 | 「遠野物語考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語37(狼の集団)」

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境木峠と和山峠との間にて、昔は駄賃馬を追ふ者、屡狼に逢ひたりき。馬方等は夜行には、大抵十人ばかりも群を為し、その一人が牽く馬は一端綱とて大抵五六七匹までになれば、常に四五十匹の馬の数なり。ある時二三百ばかりの狼追ひ来り、其足音山もどよむばかりなれば、あまりの恐ろしさに馬も人も一所に集まりて、其めぐりに火を焼きて之を防ぎたり。されど猶其火を躍り越えて入り来るにより、終には馬の綱を解き之を張り回らせしに、穽などなりとや思ひけん、それより後は仲に飛び入らず。遠くより取囲みて夜の明るまで吠えてありきとぞ。

「遠野物語37」

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日本狼を調べていると、単独行動の狼が殆どだったという。しかし、この「遠野物語37」においては、狼の集団行動が記されている。平岩米吉著「狼ーその生態と歴史ー」には様々な狼の記録が記されているが、それでも全国の細かな狼の記録としては足りなかったのだと考える。

西洋の狼は、狼男伝説があるように古代、狼が満月の夜に集団で狩りをする様子を人間が垣間見、その狼の獣性が満月をきっかけに甦るという説に則ったのが、狼男伝説だった。この集団での狩は、力の弱い人間には良い教材となったようだ。その為に西洋でも、狼は神として成り得た。

日本においての神とは”畏れ多い存在”が原初であった。狼が山において恐ろしいものであるのは理解できるが、狼は大神であるともされるのは、狼が山の神との融合を果たし、畏れ多い存在となったのだと感じる。

ところで「遠野物語37」では二三百の狼…と記されているが、これは恐怖がそれ程の数の狼にしたのだろう。戦国時代においても斥候が相手の力の恐怖に対する慄きから、僅かな戦力を膨大な数に感じ、退却した話もままある事から、この狼の群れに対する数は同じものであろう。

ところで、この和山峠には沢山の三峰の碑がある。遠野周辺を調べても、一番多くの三峰信仰があった場所だと感じる。それは何故かといえば、現在の鹿の分布状況を調べても、東北で一番多い鹿の分布は三陸沿岸である。鹿は雪に足を取られる為、雪上の歩行を苦手とする。それ故、豪雪地帯の青森・秋田・山形よりも岩手県沿岸部に、より多く鹿は生息している。それ故、狼にとって餌となる鹿が多い地域に生息するのは、自然の成り行きであった。その為に狼の数が多い和山で暮らす人々にとって、狼に対する信仰は根深いものがあったのかもしれない。それに加えて、和山には安倍貞任の末裔が住み、その信仰が広がっていた。その中には山の神に対するもの…いや正しくは早池峰に関する信仰に狼が結び付いている面が垣間見れる。それは現在調査中であるが、とにかく和山の狼の集団は、存在して当然の事実であったようだ。
by dostoev | 2010-12-09 18:45 | 「遠野物語考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語36(御犬の経立考)」

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猿の経立、御犬の経立は恐ろしきものなり。御犬とは狼のことなり。山口の村に近き二ツ石山は岩山なり。ある雨の日、小学校より帰る子ども此山を見るに、処々岩の上に御犬うづくまりてあり。やがて首を下より押上ぐるようにしてかはるゝ吠えたり。正面より見れば生れ立ての馬の子ほどに見ゆ。後ろから見れば存外小さしと云えり。御犬のうなる声ほど物凄く恐ろしきものは無し。

                                  「遠野物語36」


遠野の狼は、明治の半ばまでいたのだという。その絶滅を導いたのはジステンバーが流行ったからだとも云うが、あまりにも狼の被害が酷かったので、懸賞金を出したというのも、狼を滅ぼ要因にもなったのかもしれない。明治維新後、最初の岩手県令の島維精が懸賞金を出して、狼退治を奨励した。牡狼五円、牝狼七円、子狼二円だったという。その当時の米の値段が、白米一升四銭前後であったそうだから、皆がこぞって狼を捕り、絶滅に向かわせたというのも納得出来る。

夕暮れに「モウコが来るから早く帰って来い!」と、昔よく親に言われたという人がいる。実は、自分の子供の時代には、もう既に死語と化していた。そこでご年配の方々に聞くと、かなりの人がやはり”モウコ”は怖いものだという意識を持っていたという。

ちなみにこのモウコは別に、モッコとも呼ばれている…。

ところが”モウコ”とは…と聞くと、全員が「蒙古襲来のモウコじゃないの?」という。遠野の60代~80代の人達の意識は、モウコ=蒙古のようだ。確かに蒙古は日本にとって恐ろしい民族だったのだろうが、この東北の、更に岩手の片田舎で蒙古とはどんなものか…などという意識があったのだろうか?

現在、遠野で一番売れている新聞は岩手日報である。何故かというと大抵は、死亡欄チェックに必要だからなのだと…。つまり国外で戦争が起きていたり、凶悪な犯罪が都会で起きていようが、地元のニュースの方により耳を傾けるというのが田舎の基本なのかもしれない。

では何故、こちら東北は岩手の遠野に蒙古は怖いものだと思ったのかというと、今現存するご年配の方々はモウコという響きに対し、勝手にモウコ=蒙古と思っていただけのようだ。実際、柳田國男は「妖怪談義」の中で「モウコ」という言葉は、「蒙古襲来」よりも古くから伝わる言葉だと「蒙古説」は否定されている。

モウコという言葉に関して調べてみると、福島では狼の遠吠えを「もぉ~!」と表していたそうだ。ちなみに地元の80代の方に聞いてみたら、やはり狼の遠吠えは「もぉ~!」なのだと。

「モ~」となると今では牛のイメージがあり、ましてや遠野の狼は明治の半ばで消え去ったようであるから、現代において狼の遠吠えを意識している人は皆無だと思うので仕方の無い事だろう。

ところで何故「もぉ~!」が「モウコ」となったかというと、東北特有の接尾語にコを付ける事からのモウコのようである。娘ッコ、べごッコ、お茶ッコ…とにかく最後にコを付けるというのが一般的に広まっている。だから狼の「もぉ~!」に対して接尾語のコを付け足しモウコ、もしくはモッコになったのがどうやら正しいようである。

狼に対する恐怖は、三峰様しかり、このモウコという言葉の広がりからみても、狼は恐怖の印みたいなものだったのだろう。だから蒙古の本当の恐ろしさを知らない遠野の人々には、本当のモウコとは狼だったのだと思う。

中国において、虎はその声を象るという。虎が「フウ」と吼えるその声をそのまま名にしたのだという。「フウ」は、風の語源ともなり、虎は風を呼ぶ。だから現在、沿岸で虎舞をするのは、風を司る虎への信仰からなのたろう。とにかく中国では動物の声を、そのものの名にしたものが、すこぶる多いという文化が日本に流入して、やはり狼の吼える声が「モォ~」から「モウコ」「モッコ」になったのだろう。
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御犬の経立を考える時、三峰様の存在は欠かせないものだ。


この地方で三峰様というのは狼の神のことである。旧仙台領の東磐井郡衣川村に
祀ってある。悪事災難のあった時、それが何人のせいであるという疑いのある
場合に、それを見顕わそうとして、この神の力を借りるのである。まず近親の
者二人を衣川へ遣って御神体を迎えて来る。それは通例小さな箱、時としては
御幣であることもある。途中は最も厳重に穢れを忌み、少しでも粗末な事をす
れば祟りがあるといっている。一人が小用などの時には必ず、別の者の手に渡
して持たしめる。そうしてもし誤って路に倒れなどすると、狼に喰いつかれる
と信じている。

前年、栃内の和野の佐々木芳太郎という家で、何人かに綿カセを盗まれたことが
ある。村内の者かという疑があって、村で三峰様を頼んで来て祈祷をした。その
祭りは夜に入り家中の燈火をことごとく消し、奥の座敷に神様をすえ申して、
一人一人暗い間を通って拝みにいくのである。集まった者の中に始めから血色
が悪く、合せた手や顔を震わせている婦人があった。やがて御詣りの時刻が来て
も、この女だけは怖がって奥座敷へ行き得なかった。

強いて皆から叱り励まされて、立って行こうとして、膝はふるえ、打倒れて血を
吐いた。女の供えた餅にも生血が箸いた。験はもう十分に見えたといって、その
女は罪を被せられた。表向きはしたくないから品物があるならば出せと責められ
て、その夜の中に女は盗んだ物を持ってきて村の人の前に差し出した。 

       「遠野物語拾遺71」

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ところでこの写真は、大正時代に80歳以上のお年寄りを集めて、高齢者祝賀会の時の写真なのだそうである。 舞台上の人々は、何故か全員兎に扮している…。

熊野では兎を巫伴(みこども)と呼んでいるそうで、これは山ノ神の使いである狼の、近侍し伝令する役割として兎となっているそうな。山ノ神が田ノ神に変わると考えられるなら、写真中に飾っている札に「酒」とか「料理」とか書いているのは、長寿になったのは、山ノ神のおかげで、それを伝え祝う為に兎が登場しているのか?などと考えたりもした…。ただ遠野においては、山ノ神が根強く信仰されているのは確かな事である。
by dostoev | 2010-12-09 15:14 | 「遠野物語考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語32(千晩ヶ嶽)」

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千晩ヶ嶽は山中に沼あり。此の谷は腥き臭のする所にて、此山に
入り帰りたる者はまことに少なし。

昔何の隼人と云ふ猟師あり。其子孫今もあり。白き鹿を見て之を
追ひ此谷に千晩こもりたれば山の名となす。其白鹿撃たれて遁げ、
次の山まで行きて片肢折れたり。其山を今片羽山と云ふ。

さて又前なる山へ来て終に死したり。其地を死助と云ふ。死助権
現とて祀れるはこの白鹿なりと云ふ。

                            「遠野物語32」

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千晩ヶ嶽は山中に沼ありという記述と、腥き臭いのするという記述とは、果たして同じ事を言おうとするものなのか理解に苦しむが、山に詳しい知人から聞くところによると、千晩ヶ嶽の頂から北方面へ降った所に、沼らしきがあるそうな。それとはまた別に、千晩ヶ嶽はかなりの沢を有する山で、登山道沿いにも複数の沢があり、また登山道そのものにも、水が流れている湿った道が多い。そして、それと共に、鹿の糞と熊の糞があちこちに。。。

その沢の水の影響か、登山道も水を含んでおり、写真のような濁った水溜りができていた。そしてその湿った登山道の所に大量の獣の糞がする場所は、確かに生臭い!…「遠野物語32」では腥(なまぐさ)き…という漢字を使っている。とにかく、直接千晩ヶ嶽を登って感じた事は「遠野物語32」において、生臭いと記しているのは獣の糞の臭いなのだと思う。また、此山に入り帰りたる者はまことに少なし…とあるが「遠野物語拾遺109」の話のように、もしかして神隠しの話がかなりあったのかとも考える。ただ気になるのは、小川町に伝わる「おせんば様」の信仰である。



釜石の海から産卵の為に上がる鮭は、大渡川の上流、即ち甲子川の
本流には遠くまで上がるが、その支流の小川には決して上がらない。
之は"おせんば様"が、これを忌み嫌う為だ。  

              「おせんば様信仰」



古来、アイヌの信仰では鮭が遡上するように、その妨げとなるヤマセを抑えるという呪術が施されていた。また、東北全般に鮭を餞とする事は、血肉に繋がるとされ、鮭を貴重な蛋白源とみなし信仰されていた。そして「遠野物語」にも紹介されている鮭に助けられた一族の話もあり、鮭はどちらかというと幸福をもたらす存在でもある。ところが"おせんば様"は、その鮭を忌み嫌うという。これはどう考えても異常な事だ。ただ昔、通行税をめぐって佐野氏が小川新道を作った経緯があるので、もしかして、通行税などの政治に関わるものが反映されたのが"おせんば様"の信仰の可能性もあるかも。

釜石村から馬に乗せられ出た荷は、甲子村で荷振りされ、馬も換えられる。これに伴う手数料はかなりのものだったようだ。そこで釜石の佐野氏が自らの私財を投じ、小川新道を開いたのだが、その為に甲子村は大打撃を被った。今度はその後、甲子村の人々は陳情し、藩の許可を得て小川村に通じる道に関所を設けた。これにともない、小川新道の利用数は激減したようだ。この時のいざこざが、甲子村の全ての人々が、佐野氏憎し、小川憎しという感情に発展したうでもあり、鮭は決して支流である小川に遡上しないという伝説が作られたのではないだろうか?ところで、この話に登場するのは旗屋の縫という猟師であるが、「遠野物語32」での表記は"何の隼人"となっている。隼人とは、九州に発生した海人族の呼称であり、それを旗屋の縫が言われているというのは、その出自によるものなのか?

【千晩神社台帳】

文禄年間罵倒観世音ヲ祀リタル所ナリト云フ、小川部落ニハ毎年六月十九日
ノ祭日前ハ牛馬ノ治療ヲ為スコトヲ得サルヲ慣例トス

元文三年機屋ノ奴ハ国守ノ命ヲ受ケ千映山ニ九百九十九晩篭リ将ニ千日ニナ
ラントスル暁、千晩様ノ御告ニ依リ国守所望ノ鰭広ノ大鹿ヲ見付ケ之レガ俊足ノ
蹄ヲ狙ヒテ少シモ傷ツケスニ射止メテ国守ニ献セリト云フ、其の際機屋ノ奴ノ使
用セシ鍋ヲ千晩ニ納メタリト云ヘトモ今ハナシ…。


畑屋の縫は千晩ヶ嶽で白鹿を見つけ撃ちはしたが、片羽山(1313m)へと逃げてしまった。しかしその片羽山で再び白鹿に追いつき捕まえた。そして、白鹿の皮を剥ぐに、右を剥ぐと左が付き、左を剥ぐと右が付いてしまったと云う、やはり山の怪異譚となる。しかし畑屋の縫は、幾度もそれを繰り返して、とうとう日が暮れてしまったのだと。それからこの山をカタバ山と言い、片皮の意味なのだと。
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ところで片羽山の頂の辺りには、やはり祠に権現様が祀られている。畑屋の縫の追った白鹿は最終的に権現山で死に、その権現山の頂に石の権現を祀ったのだが、それが死助権現と関連があるのかは、まだわかってない。片羽山は、また片葉山とも称す。この山の名称は俗にハヤマ信仰からきているものだろう。

ハヤマは「麓山・葉山・端山、羽山」という文字があてられ、奥山に対する端山という意味もあるが、この世とあの世の「端」という意味もある。これはイザナギがカクツチを切り殺した時に生まれた羽山津見神であり、カグツチの腹から生まれた奥山津見神に対する神となる。つまり山津見神系の神々であり、山津見の神の子は蛇である事。祖霊は山から降り農作を守護する神である田の神ともなるのだが、昔から案山子もそうであったように、田の神は蛇となる。つまり片葉山は蛇が鎮座する山でもあり、畑屋の縫が皮を剥いでもすぐにくっついてしまったというのは、蛇の再生を現しているものだと考える。

また片羽山の頂には、周囲の山々の景観図がある。これを見るとわかるのだが、千晩ヶ嶽→片羽山→六角牛山がほぼ一直線に並ぶ。実はこの一直線のラインは、各々の山の伝承を調べればわかるのだが、蛇が祀られているのがわかる。千晩ヶ嶽の麓には、小川温泉と呼ばれる場所があるが、元は白水温泉と呼ばれ、白水は平泉の泉を分割し、白水となった。平泉は知っての通り白山信仰を強く信仰しており、水神にかかわる。水神=蛇でもあるからだ。
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畑屋の縫に追われた白鹿は、最終的にこの権現山で死んだ。それで縫は、鹿の霊を供養する為、石の権現様を祀ったのだと。それが俗称「ぼっちらしの権現」でもある「死助権現」である。ところで権現山の頂に祀られた死助権現だが、明治時代の区画整理時に、青の木集落の人々が、持っていったという事だ。その為、今では笛吹き峠の青の木集落手前の場所で、死助権現は祀られている。

縫の倒した鹿は、角が八つに分かれており、きっと山ノ神の化身に違いないと、縫に白鹿の肉を勧められた人々は決して、その肉を食べようとはしなかったという。正直…伝説だろうと思うのは、やはり八又まで分かれた立派な角を有する鹿はいないと思うからだ。映画「もののけ姫」に登場するような鹿が確かにいるなら、それは神なのだと思う。役小角の関連に、やはり鹿を神聖視する信仰があるようなので、旗屋の縫は修験の影響を受けていたのだと思う。また「古事記」にも白鹿の話は登場するので、当然「古事記」の影響をも受けての伝説では無かったのだろうか?
by dostoev | 2010-12-09 14:38 | 「遠野物語考」30話~ | Comments(0)