遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「遠野物語考」10話~( 13 )

「遠野物語15(農業手伝神)」

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オクナイサマを祭れば幸多し。土淵村大字柏崎の長者阿部氏、村にては田圃の家と云ふ。此家にて或年田植の人手足らず、明日は空も怪しきに、僅ばかりの田を植ゑ残すことかなとつぶやきてありしに、ふと何方よりとも無く丈低き小僧一人来りて、おのれも手伝ひ申さんと言ふに任せて働かせて置きしに、午飯時に飯を食はせんとて尋ねたれど見えず。やがて再び帰り来て終日、代を掻きよく働きて呉れしかば、其日に植ゑはてたり。どこの人かは知らぬが、晩には来て物を食ひたまへと誘ひしが、日暮れて又其影見えず。家に帰りて見れば、縁側に小さき泥の足跡あのたありて、段々に坐敷に入り、オクナイサマの神棚の所に止りてありしかば、さてはと思ひて其扉を開き見れば、神像の腰より下は田の泥にまみれていませし由。

                                     「遠野物語15」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
佐々木喜善「遠野物語のザシキワラシとオシラサマ」によれば、その時代の田植えの日取りは、小正月の日に決められていたのだという。

「何の某の田植えは節句から、何日のいッかと取り定められてあっても、不意にお産か何かの故障のために、サセトリ(鼻取り)早乙女、トネ人、ボナリなどの、不意に欠くることがあった。家婦新嫁などが前夜寝ずに村中を廻り歩いても、もう何家でも日取りがあって如何ともならぬ仕義。」

この喜善の言葉の通り、小正月の時に田植えの日取りを決めても、春の田植え時期に、お産やら怪我やら、いろいろな事によって、人が欠けてしまうのは仕方ないが、周囲もそれを融通して、日程変更する事も無いというのが、少々驚きでもある。佐々木喜善が、何故に小正月に田植えの細かな日取りを決めたのか記していないが、もしかしてそれは、オシラサマの占によるものではなかったか?オシラ神による託宣であったからこそ、田植えの日を変更する事無く厳粛に受け止めていた可能性はないだろうか。

こうして田植えに人が欠けた時に主のなす仕事は、鎮守の神様に馳せ詣る事であったそうだ。佐々木喜善の家では、ダンノハナの北側にある熊野様に参詣する事になっていたそうである。
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オクナイサマ、もしくはオシラサマが田植えを手伝う話はいくつもある。泥の付いた小さな足跡を辿ると、オクナイサマやオシラサマのいた場所に行く着くので、田植えを手伝ってもらった話として昇華している。しかし、オシラサマには、足が無い。足跡というから、二つの足で歩んだ足跡がついていたのだろうから、これはおかしい。だがこれも、日々の信仰から来るものであった。神に対して、供物などの物を捧げるのは、神に対する感謝でもあるが、その供物を毎年安定して捧げれるよう、つまり毎年の五穀豊穣を神に対して願っているのでもある。その供物だが、それは作物や酒だけでなく、その作物を生み出す土もまた同じである。例えば、同じ五穀豊穣を願う稲荷神社の鳥居は赤色である。その赤色は火を意味し、陰陽五行の法則から火生土となり、野焼きの様に火の後には、豊かな土が生れると信じられていた。そして、豊かな土があるからこそ、豊穣がなせるのである。つまり、この泥の付いた足跡とは、主が神に対して土を捧げ、その土から生れる五穀豊穣を願った事を、神仏の手伝い譚として伝えられたものと思う。
by dostoev | 2015-11-12 21:11 | 「遠野物語考」10話~ | Comments(3)

「遠野物語10 女の怪異(神霊か妖怪か)」

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此男ある奥山に入り、茸を採るとて小屋を掛け宿りてありしに、深夜に遠き処にてきやーと云ふ女の叫声聞え胸を轟かしたることもあり。里へ帰りて見れば、其同じ夜、時も同じ時刻に、自分の妹なる女その息子の為に殺されてありき。

                        「遠野物語10」

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この「遠野物語10」の女の叫びは、「遠野物語11」に続くもので、兄弟の異変を告げる予兆であった。「遠野物語11」で母を鎌で殺した孫四郎は、山口孫左衛門からの分家であったのも、何かしら山口家の因縁を感じてしまう。「母は深山の奥にて弥之助が聞き付けしやうなる叫声立てたり。」との記述が「遠野物語10」と結び付けている。弥之助が深山の夜に、聞く筈の無い叫びを聞いたのは、兄弟の絆の成せる業であったか。ただ、殺された妹の名はモヨで、文政九年生まれの絶命した当時の年齢は七十一歳であった。その兄であった弥之助は、何歳であったかわからぬが、その時代であれば七十歳過ぎまで生きていれば、かなりの長寿であったろう。しかし、その歳を感じさせない感覚が弥之助にあったから、妹の叫び声が聞こえたのであろう。この弥之助の感覚はある意味、神の声を伝える巫女に近いものであろうか。

ところで女の叫びなどの怪異だが、これが何故か白望山に集中している。
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「遠野物語34」・・・「深夜に女の叫声を聞くことは珍しからず。」

「遠野物語35」・・・「女の走り行くを見たり。中空を走るやうに思はれたり。」
            「待てちやァと二声ばかり呼ばりたるを聞けりとぞ。」

「遠野物語75」・・・「女の伺ひ寄りて人を見てげたげたと笑う者ありて」

「遠野物語拾遺111」・・・「髪をおどろに振り乱した女」
                「鉄砲をさし向けると、ただ笑うばかりである。」
                「女は飛ぶ様に駆け出して」

「遠野物語拾遺114」・・・「そのまま女がにたにたと笑って行き過ぎてしまう」

「遠野物語拾遺115」・・・「髪を乱した女の顔が現れて、薄気味悪く笑った。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これらは全て、山中での出来事である。殆ど白望山での怪異だが、唯一「遠野物語拾遺114」だけは綾織町の笠通山周辺での話である。菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」では、多くの女が山へと逃げ込み、まるで山は駆け込み寺のようであると感想を述べているが、これらが全て山に逃げた女達であろうか?

「出雲国造神賀詞」に記されている夜とは「夜は火瓮なす光く神あり、石ね・木立・青水沫も事問ひて荒ぶる国なり。」とある。つまり、人が寝静まっている夜世界とは、人以外の者達が跋扈している世界であるという事になろう。例え、里から山へと逃げ出した女達であっても、夜の山中を、彷徨い、笑い、飛ぶ様に走るなどとなれば、それは人間を逸脱した、まるで神か妖怪ではなかろうか。
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ところが「熊野年代記」を読んでいると、やはり女の怪異がいくつか記されている。そして気になるのは、熊野の山々の中に白見山という山があるという事。以前、白望山は宮崎県の銀鏡から来ているのではないかと書いた事があるが、この熊野にも白見山があった事を知って驚いている。
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「十一ノ十六日夜 新宮宮殿女泣声甚十七日一山祈禱」これは、十一月十六日に新宮宮殿で女の泣声が響いたので、翌日の十七日に祈祷したという意味になる。恐らく熊野にも巫女はいただろうから、巫女が泣いた程度で祈祷する筈も無い。つまり、この女の泣声とは神霊のものであろうと察せられる。
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「七月上熊野地十八ノ夜室中女ノ声有」とあるが、正しくは記されている「室」は「空」であるようだ。つまり、七月十八日の夜に空中で女の声がしたという怪異となる。
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「新宮西ノ御前ニ而女ノ笑フ聾ス御神歌ヲ各奏ス」新宮の西の御前で女の笑い声がしたので御神歌を奏でたという事から、やはりこれも神霊の仕業なのだろう。しかし、笑い声といっても楽しい笑い声や、恐ろしい笑い声があるのだが、御神歌を奏でたというのは神を鎮めようとしたものだと思えるので、恐ろしい笑い声であったのだろう。
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熊野での空中の声は、神の声であろうし、ある意味神託であったか。笑い声も恐ろしいものであるなら、祟りを恐れて御神歌を奏でたのだと理解できるが、泣声はどうであろう?時代は、武烈天皇時代で、次が継体天皇になる過渡期でもあった。しかし、それを嘆いての嘆きと取るよりも、女が女神であるならば、それは熊野の神が、女神からの移行を示す予兆と捉えても良いのかもしれない。「荒御魂(結)」で書いた様に、熊野本宮神は水神である瀬織津比咩であった。その名前が現在の熊野に無いという事は、いつの時代かに祭神の変遷があったに違いない。それが武烈天皇から継体天皇の時期であったかどうかは定かでは無いが、この熊野の新宮での女の泣声は、女神の口惜しさとして扱った為の記述では無かったか。その明かされない神名を「女の泣声」という怪異で記述した可能性はあるだろう。ちなみに、新宮にも以前は熊野本宮神が祀っていた事はわかっている。何故なら、本宮でも新宮でも櫛笥や鏡を奉納しているという事は、そこに祀られる神は女神であるという証拠であろう。

そして「遠野物語」の白望山周辺であるが、登場する女の怪異が真実かどうかという事になる。先に書いた様に、菊池照雄氏の説によれば、里を捨て山に逃げた女が居た事から、山に女がいても不思議では無かった。しかし、その女たちが夜の山を化物の様に彷徨う事には違和感がある。それでは何故に、この白望山周辺で女の怪異譚が語られたのかは、この熊野での怪異を伝えた者の話を別の者が白望山に置き換えて語り継いだ可能性もあるだろう。そこには女神の嘆きも怒りも無く、単に山の恐怖を伝える為の物語として。遠野は熊野信仰が根強く残っており、多くの歩き巫女達も訪れたという。世に伝わる怪異を遠野流にレンジして語られたとしても不思議では無いだろう。何故なら熊野と遠野には、共通する白望山という山もあるからだ。
by dostoev | 2015-04-07 17:25 | 「遠野物語考」10話~ | Comments(0)

「遠野物語18(栄枯盛衰)」

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ザシキワラシ又女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門と云ふ家には、童女の神二人いませりと云ふことを久しく言伝へたりしが、或年同じ村の何某と云ふ男、町より帰るとて留場の橋のほとりにて見馴れざる二人のよき娘に逢へり。物思はしき様子にて此方へ来る。お前たちはどこから来たと問へば、おら山口の孫左衛門が処から来たと答ふ。此から何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答ふ。その何某は稍半離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思ひしが、それより久しからずして、此家の主従二十幾人、茸の毒に中りて一日のうちに死に絶え、七歳の女の子一人を残せしが、其女も亦老いて子無く、近き頃病みて失せたり。

                                                        「遠野物語18」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
毒キノコを食べて全滅した時、よその家に遊びに行って難を逃れた女の子の名をミナと言い、当時は六歳であった。晩年はオミナ婆と呼ばれていた。子供は居なかった為に養子を貰って家系は継がれたが、血筋は絶えてしまったようだ。

ところで解せないのは、山口孫左衛門の滅びた前兆にザシキワラシが家から出て行った事だ。「遠野物語21」でもわかる様に、山口孫左衛門は狐によって家を富ます術を得ようとしていた。また、山口家の歴代の戒名に金や鉄の名が記されているのは、代々山師を生業としていたからだとされている。稲荷は鋳成でもある事から、山口孫左衛門が信仰するのも理解できる。その山口孫左衛門の家系は、現在のダンノハナにあった山口館の開祖から始まったとされ、孫左衛門で三十六代目であったそうな。
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その山口館があったダンノハナから見れば、対岸にはデンデラ野があり、眼下に孫左衛門の屋敷がある。対岸のデンデラ野の奥には、山口孫左衛門の祀る稲荷社と妖狐の墓がある。妖狐の墓は先代が埋葬したものであり、その傍らに稲荷社がある。これから考えても、山口孫左衛門は山口全体を支配していたのだろう。

豪農として表される山口孫左衛門だが、山口川上流にある金堀沢の経営や、笛吹峠にある青の木鉄山などに関係していたという。靑の木は鬼の伝説があり、その青の木の語源は、仰向けに倒された鬼から「あおのき」となったとされる。その鬼であるが、笛吹峠には魔物が出ると云うものは、採掘・治金で働いていた人夫が旅人を襲っていたものを魔物と称したようだ。そして、その鉱山には外国人労働者が居たのがわかっている事から、土淵に伝わる山人・山男・天狗などの伝説は、その外国人に遭遇した人々から伝わった可能性はある。そしてそれを主に伝えたのは、もしかして山口一族であっただろうか。そしてその山口一族の没落は、ザシキワラシが逃げ出したものではなく、鉱山の枯渇に関係しないだろうか。山口一帯を支配できたその資金源が鉱山からもたらされたものであるならば、その終焉もまた鉱山からのものではないかと思えてしまう。

ところで、ザシキワラシは山口の家を出て稍離れたる村に行ったようであるが、「奥州のザシキラワシの話」によれば、それは大船渡市猪川町の稲子沢の家であったそうだ。「遠野のザシキワラシとオシラサマ」によれば、その稲子沢が財を成したのは正月の夢に、ある館の跡に三十三の花を付けた山百合があるから、その根を掘ってみろという夢告に従い、胆沢の館跡に咲いた山百合の根を掘って、黄金のの入った壺を七つ得て長者になったとされる。この夢告である伝説もまた、稲子沢家が採掘に関する者であった事を証明するものではなかろうか。そしてその稲子沢の祀っている氏神とは、山口孫左衛門と同じ稲荷神であった。この稲子沢氏もまたザシキワラシが家から出て行って、裏山にそのザシキワラシの足跡が付いていたと伝えられる。この時系列がよくわからないが、山口孫左衛門の家が亡び、その後に稲子沢の家が、やはりザシキワラシが出た為に滅びたのだろうか。それとも、稲子沢の家が、山口の家の経営する鉱山を乗っ取ったものであろうか。山口家と稲子沢家のどちらも、鉱山に関係する家であるならば、その埋蔵される金が先に枯渇したのが山口の家で、その後に稲子沢の家であったのだろう。とにかく、ザシキワラシは山口の家から稲子沢の家へと移り住んだ。しかし結局、そのどちらも没落し、今では稲荷社だけが寂しく残っているだけであった。

ザシキワラシの話は、後付けでは無いかと思う。遠野市の隣の釜石市も、最盛期は鉱山と製鉄所で人で溢れかえり、人の住む場所にも困っていたという。それが鉱山が閉鎖し、暫くして後に新日鉄釜石が撤退してからというもの、釜石市は死んだようになってしまったのも、ザシキワラシが出た為だと置き換えてもおかしくはないだろう。山口家や稲子沢家のように、新たな未来を見つける事が出来無く没落した家には、後から「ザシキワラシが出て行った為だ。」と、何処からともなく囁かれたのではなかろうか。
by dostoev | 2015-04-05 19:41 | 「遠野物語考」10話~ | Comments(13)

「遠野物語14(遠野の文明開化)」

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部落には必ず一戸の旧家ありて、オクナイサマと云ふ神を祀る。其家をば大同と云ふ。此神の像は桑の木を削りて顔を描き、四角なる布の真中に穴を明け、之を上より通して衣装とす。正月の十五日には小字中の人々この家に集まり来りて之を祭る。又オシラサマと云ふ神あり。此神の像も亦同じやうにして造り設け、これも正月の十五日に里人集りて之を祭る。其式に白粉を神像の顔に塗ることあり。大同の家には必ず畳一帖の室あり。此部屋にて夜寝る者はいつも不思議に遭ふ。枕を反すなどは常の事なり。或は誰かに抱起され、叉は室より突き出さるゝこともあり。凡そ静かに眠ることを許さぬなり。

                                                        「遠野物語14」

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「オクナイサマと云ふ神を祀る。其家をば大同と云ふ。」大同は草分けの家とも云われるが、大同年号は、岩手県内の古い神社仏閣の殆どの建立年代になっている。そういう意味では、オクナイサマ、オシラサマを祀り始めた年代が大同であったと考えて良いのかもしれない。それは通常「草分けの家」が、その集落に初めて建った家との意味になるのだが、別に新たな文化の草分け、始まりと捉えて良いのではなかろうか。つまり、オクナイサマ、オシラサマという偶像を祀り始めた家の意味にも捉えられる。

「日本書紀(継体天皇記)」では、「女年に當りて績まざること有るときには、天下其の寒を受くること或り。」と記され、継体天皇が天下に養蚕を奨励したのが6世紀初頭であるが、遠野に養蚕が普及し始めたのが大同年間で9世紀初頭となるか。つまり、都で養蚕を奨励し、蝦夷国に普及したのは、やはり坂上田村麻呂の蝦夷征伐の後という事になるか。養蚕で盛んな群馬県桐生の白滝姫伝説が遠野に伝わって清瀧姫伝説になったように、継体天皇時代から奨励された養蚕が都から関東へ伝わり、そして蝦夷国まで伝わったのが正しい経路であろう。仏教の布教においても、樹木信仰をする人々に対し、その樹木から仏像を彫るという事は、神と仏が同一であるという事として伝わった。オシラサマもまた、霊木であった桑の木からオシラサマという形を彫り上げて神としたのではと想像できる。

また古代の蝦夷の民は、山を霊山と見做して信仰していたが、その山を遥拝する為に神社が建てられたのも坂上田村麻呂以降の事であったから、大同という年号は蝦夷国にとって文明開化の年代であるという事ではないか。その文明開化が及ぼした影響が、神社を建て、オシラサマとオクナイサマを祀り、養蚕が普及した事か。

そして気になるのは、最後の一文「・・・大同の家には必ず畳一帖の室あり。此部屋にて夜寝る者はいつも不思議に遭ふ。枕を反すなどは常の事なり。或は誰かに抱起され、叉は室より突き出さるゝこともあり。凡そ静かに眠ることを許さぬなり。」ここには"座敷ワラシ"という言葉が書かれてはいないが、枕返しなどの悪戯は、広く遠野で座敷ワラシの仕業とされている。これはつまり大同家は、座敷ワラシの草分けでもあるという事と共に、座敷ワラシは運ばれて来た文化の一つであった可能性がある。そしてもう一つ気になるのは、大同元年に建立されたという早池峯神社が、何故か座敷ワラシの発祥地という事だ。宮司に聞くと、ここまで宣伝されたのはどこぞの新興宗教と繋がってのものらしいが、その前に地域民に聞くと、境内の杉の大木から座敷ワラシが覗いていたというのが、どうも遠野で一番古い話のようでもある。しかし、大同元年(806年)に建立された早池峰神社とは山頂の奥宮であり、現在地に早池峰山妙泉寺が建立されたのは斎衢年中(854年~857年)で、大同の後であり9世紀の半ば以降となる。となれば、やはり座敷ワラシの一番古い記録は山口部落の大同の家という事になろう。とにかく大同年間とは、蝦夷国に様々な文化が流入し大きく変わった年であるようだ。
by dostoev | 2015-01-27 20:21 | 「遠野物語考」10話~ | Comments(0)

「遠野物語17(神か妖怪か幽霊か?)」

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旧家にはザシキワラシと云ふ神の住みたまふ家少なからず。此神は多くは十二三ばかりの童児なり。折々人に姿を見することあり。土淵村大字飯豊の今淵勘十郎と云ふ人の家にては、近き頃高等女学校に居る娘の休暇にて帰りてありしが、或日廊下にてはたとザシキワラシに行き逢ひ大に驚きしことあり。これは正しく男の児なりき。同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり縫物して居りしに、次の間にて紙のがさがさと云ふ音あり。此室は家の主人の部屋にて、其時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思ひて板戸を開き見るに何の影も無し。暫時の間坐りて居ればやがて又頻に鼻を鳴す音あり。さては座敷ワラシなりけりと思へり。此家にも座敷ワラシ住めりと云ふこと、久しき以前よりの沙汰なりき。此神の宿りたまふ家は富貴自在なりと云ふことなり。

                                           「遠野物語17」

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ある面で座敷ワラシの話は語り尽くされた感があるものの、全てを座敷ワラシとして話す為か、取りとめのない事になっている気がする。佐々木喜善は、5歳か6歳の子供だと言うが、ここでは12歳か13歳だと云う。また別に17歳くらいの娘の座敷ワラシの話もある事から、全てが同じ座敷ワラシと語るには定義が曖昧で無理があるように思える。その性別も、女の子であったり男の子であったり、いやいやお姫様の座敷ワラシもいたとなれば、神と妖怪と幽霊の狭間を行ったり来たりして意識されているのが座敷ワラシという事なのだろうか。

現在、遠野早池峯神社では、4月29日に座敷ワラシ祈願祭が行われるようになり、その時に座敷ワラシ人形を10体だけ販売している。ただ、その座敷ワラシ人形には早池峯大神の魂を入れるとの事が気になり宮司に聞いてみると、ある団体の影響を受けての事らしい。人形を販売する以前に、早池峯神社に参拝に来た人物に何かが憑いたようであった。その人物が家に帰った後に、地元の神職に祈祷をお願いしたところ「わしは早池峯の座敷童子だが、今お前の会社が寂れているので当分この家に住まわせてもらう為に来た。」との言葉を戴いたという。それから傾いていた会社が立ち直り、確認はしていないが新聞をも賑わしたという。それから早池峯神社へと多額の寄付をしているという。この話と恐らく、座敷ワラシ祈願祭は結び付いているのだろうと思う。

確かに、早池峯神社の境内に大きな杉の古木があるのだが、地域民に聞くと、そこから見知らぬ子供が覗いており、それが座敷ワラシであったという古い伝えがある。そういう意味では、遠野に伝わる座敷ワラシの古い伝承は早池峯神社から始まったのかとも思える。

以前、我が家で座敷ワラシ騒動が起きた時、九重沢に祈祷師のところへと相談しにいった事があった。その時に云われた事は「それは観音様です。観音様はこの世に姿を現される時には、子供の姿を借りてお出になります。」との内容を言われた覚えがある。ここで気になるのは、何故に早池峯大神と座敷ワラシが結び付いたのだが、思い出すのは不動明王の脇侍である矜羯羅童子と制多迦童子である。早池峯大神の脇侍として不動明王が存在するのだが、その不動明王にも脇侍がいるという二重構造となっている。

そして、それとは別に「扶桑略記」には八幡神縁起が紹介されており、最初に登場した板筈の鍛冶翁が三歳の童子の姿となり応神天皇だと名乗っている。また「稲荷大明神流記」には空海が登場するのだが、その時に稲荷神は二女子を引き連れて登場している。その二女子が後に応神天皇の様に神へと変身するかどうかは定かで無いが、神に通じる存在である事は確かなのだろう。

ところで不動明王の脇侍である制多迦童子と矜羯羅童子は元々不動明王の従者であるのだが、この矜羯羅童子はサンスクリットで疑問詞の矜(kim)と、「作為」の意味である羯羅(kara)を合わせたもので、直訳すれば「何をするべきかを問い、その命令の通りに動く」という事であると。単に命令に素直に従う従者でもあるようだが「何をすべきか問う」とは思考するという事。これは北欧神話のオーディンに従うフギンとムニンのそれと同じではなかろうか。

どうも神仏には脇侍であり従者が付随するような形態となっており、早池峯大神と座敷ワラシを無理に結び付けるならば、早池峯大神の従者として座敷ワラシが存在するとの仮定も成り立つのではなかろうか。また八幡縁起と結び付けるなら、早池峯大神は童子の姿を借りて現れたとなるか。どちらにしろ、神の意志を持った存在として童子・童女が登場するのは、神仏世界の定説のようではある。
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「遠野物語」を読んでいると、狐の仕業なのか、それとも座敷ワラシの仕業なのか、その境界線が曖昧に思える時がある。ただ悪意を感じれば狐の仕業であり、そうでない場合は座敷ワラシなのでろあうか。この「遠野物語17」では紙がガサガサする音と鼻を鳴らす音から子供だと判断しての座敷ワラシにはなっているが、心霊現象にはポルターガイストという騒霊現象があるので、そう捉えてもおかしくはないだろう。

同じ土渕に有名になった恩徳の幽霊屋敷というものがあったが、その屋敷の建物が健在な時に、自分は二度ほど泊まった事がある。その時に、科学的に証明できない不思議な現象と音があったのだが、それを騒霊現象だとしてしまえば、確かにその通りだとなるのだが、逆にそれを座敷ワラシと捉える事が出来なかったのは、人の住んでいない廃墟であり、幽霊話が背景にあった為に、頭から現れるのは怨霊の霊の類だとしか考えていなかった為だった。しかし幽霊というものは、人がいるからこそ目撃されるのであり、人の目の前に登場するから認識されるものである。つまり、人の住んでいる家に現れるのも幽霊なのだ。つまり幽霊と座敷ワラシの境界線、そして神との境界線も無くなるという事になり、それを判断するのは全て人間の意識であるという事になるのだろう。早池峯神社の境内に現れた子供は、神の具現化なのか単なる浮遊霊なのか、それとも座敷ワラシなのか?変な話だが、家が傾いたのは怨霊の仕業と考えてもおかしくはないだろう。しかし、遠野では座敷ワラシの話が多く広まっている為に、大抵の現象や目撃譚の殆どが座敷ワラシとされている。座敷ワラシ譚は、その家の背景や信仰も含めて、もっと細分化されるべきではなかろうか。
by dostoev | 2014-11-07 22:09 | 「遠野物語考」10話~ | Comments(5)

「遠野物語16(陽物)」

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コンセサマを祭れる家も少なからず。此神の神体はオコマサマとよく似たり。オコマサマの社は里に多くあり。石又は木にて男の物を作りて捧ぐる也。今は追々とその事少なくなれり。

                                                        「遠野物語16」

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上の画像は、綾織の駒形神社の御神体の石棒。長い陽物である為、やはり馬の陽物に見立てられているようだ。しかしオコマサマとは「お駒様」であり、石を指して言うのではなく、駒形神を指して言うものであるので、この記述は間違い。もしかして御神体が同じ陽物であった為、佐々木喜善が柳田國男に説明する時に、手違があったのか?

この陽物であるコンセイサマ信仰が廃れているのは、馬の代わりに車社会となり、また人口減少に伴い、農地と農民の減少も大きいのだろう。近世でのコンセイサマ信仰は、あくまで農民中心の五穀豊穣であるからだ。だからこそ、コンセイサマ信仰と、オコマサマ信仰が結び付いて広まったのだろう。ただコンセイサマ信仰の歴史は、どれだけ遡るのかわからない。ただ、その源流がチベットではないかと云われている。

ところで伊能嘉矩「遠野馬史稿」「他地方に在りては、多く道祖神と混同せらるゝを常とする。」と書き記しているが、確かに遠野地方で道祖神と刻まれた石碑は馬越峠の頂だけにしか見た事が無い為、遠野には道祖神信仰は普及していなかったのではなかろうか。ただ「遠野物語拾遺16」「土淵村から小国へ越える立丸峠の頂上にも、昔は石神があったという。今は陽物の形を大木に彫刻してある。」と記されている事から、もしかしてこれは道祖神としての役割であったのだろうか?ただ、どういう名称にしろ、遠野地方を巡れば必ず陽石に当たるのは間違いないだろう。
by dostoev | 2014-10-25 20:29 | 「遠野物語考」10話~ | Comments(1)

 「遠野物語11話(嫁と姑)」

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此女と云ふは母一人子一人の家なりしに嫁と姑との仲悪しくなり、嫁は、屡親里へ行きて帰り来ざることあり。其日は嫁は家に在りて打臥して居りしに、昼の頃になり突然と忰の言ふには、ガガはとても生しては置かれぬ、今日はきつと殺すべしとて、大なる草苅鎌を取り出し、ごしごしと磨き始めたり。その有様更に戯言とも見えざれば、母は様々に事を分けて詫びたれども少しも聴かず。嫁も起出でゝ泣きながら諫めたれど、露従ふ色も無く、やがては母が遁れ出でんとする様子あるを見て、前後の戸口を悉く鎖したり。便用に行きたしと言へば、おのれ自ら外より便器を持ち来りて此へせよと云ふ。夕方にもなりしかば母も終にあきらめて、大なる囲炉裡の側にうづくまり只泣きて居たり。忰はよくヽ磨きたる大鎌を手にして近より来り、先づ左の肩口を目掛けて薙ぐやうにすれば、鎌の刃先炉の上の火棚に引掛かりてよく斬れず。其時に母は深山の奥にて弥之助が聞き付けしやうなる叫声を立てたり。二度目には右の肩より切り下げたるが、此にても猶死絶えずしてある所へ、里人等驚きて馳せ付け忰を取抑え直に警察官を呼びて渡したり。警官がまだ棒を持ちてある時代のことなり。母親は男が捕へられ引き立てられて行くを見て、滝のやうに血の流るゝ中より、おのれは恨も抱かずに死ぬるなれば、孫四郎は宥したまはれと言ふ。之を聞きて心を動かさぬ者は無かりき。孫四郎は途中にても其鎌を振上げて巡査を追い廻しなどせしが、狂人なりとて放免せられて家に帰り、今も生きて里に在り。

                                                       「遠野物語11話」

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画像は「子授かりの岩」叉は「子作り岩」とも呼ばれる天然岩のベットだ。この岩には物語が付随しており、ある娘が小国村の家に嫁いだのだが、子供ができずに、「この役たたず!」と姑に追い出された嫁がいた。昔の女性は、子供が産めないと役たたずと言われた。 しかし、この嫁を貰った息子は、その想いを断ち切れず、その追い出された嫁を追いかけ、やっと追いついた目の前に、画像の岩があり、そこで一晩子作りに励んだら、子供を授かったと云う。

今も昔も嫁と姑の問題は多いが、昔は嫁の立場は弱く、一方的に虐められたようだ。例えば結納金の初めは仁徳天皇時代とされているが、これが庶民の間に広まったのは明治時代になってからであった。つまり「遠野物語」の舞台となった時代でもある。つまり、結納金を払って嫁を貰ってくるわけだから、それ相応の事を嫁に期待するものである。要は、体の良い人身売買である。その為なのか、奴隷みたいに扱われた話をよく聞く。現代と違い、簡単に別世帯を構えるわけにもいかなかった為、嫁を貰った息子も、親にはなかなか反抗できなかったようだ。

嫁と姑の関係から起きた事に「神隠し」があったとされる。それは、婚姻に伴って発生した。 昔の婚姻は、本人同士よりも親同士の取り決めの元に決まった婚姻が殆どであった。親が「あの家に嫁ぎなさい。」といえば、娘は「はい、わかりました。」という しか無かったとも伝え聞く。そこで発生するのが、結納だ。これは先程記したように、体の良い人身売買であり「お宅の娘さんを、これでお売りください。」 と言っているようなもの。

嫁は姑に虐められ、辛くなってその家を飛び出して逃げても、結納金などを貰っている親は、泣く泣く娘を嫁ぎ先に戻すしかなかったらしい。もしも逃げてきた娘を受け入れた場合、結納金などを返さねばならなかったようだ。その為、行き場を失った嫁は、他へ移り住んだり山へと逃げた場合もあったようだ。ただし何故に嫁がいなくなったのか?それは姑の虐めによって逃げたとは、世間体から言えなかったのだと。代わりに「嫁が神隠しに遭っていなくなった…。」であったそうな。迷信が横行していた時代、表沙汰に出来ない事柄が物の怪の類に罪を擦り付けた場合もかなりあったらしい。しかし世間は、それを完全に物の怪の類の仕業では無いと知っている為に、暗黙の了解であったようだ。
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ところでこの「遠野物が11話」は、嫁をあまりに虐めた姑に対し、その息子が母親である姑を殺そうとする話となっている。三ちゃん農家という言葉があるが、以前は三代にわたって一軒の家に家族が住むのは当たり前という世界だった。家には多くの人が住んでいる為、農繁期などの忙しい時には、家から抜け出て、水車小屋や空いているお堂などで子作りに励んだという。ずっと家の中で過ごしていれば、ストレスがかなり溜まったようであった。

これはモルモットの実験だが、ネズミ算と呼ばれるものはネズミの数が数がだんだんと増える事を言うのだが、ある一定数に達すると、雌ネズミは不妊となり子を成さなくなる。または、産んだ子ネズミを噛み殺したり、発狂する個体も増え、ネズミは減少してしまう。これらは全てストレスからきているのだが、人間社会にもこれは当てはまるのだろう。例えば「八墓村」の原作は実話から来ているのだが、これも狭い共同体の中で起きた村八分から発生した。あまりにも狭過ぎる世界であるから、村八分になった者はストレスが溜まり、精神に異常をきたしての惨劇であったようだ。狭いからこそ、ストレスは溜まるもの。ましてや、この「遠野物語11話」では、嫁と姑の不仲が家の内部で延々と繰り返されていたのだろう。 その傍で始終を見ていた息子には、ある一種のストレスが溜まったものだと思える。

物語の最後には「狂人なりとて放免せられて家に帰り、今も生きて里に在り。」とあるが、つまりその後には狂った行動には出なかったという事であろう。心の平安を取り戻して、普通の人間になったという事だろうか。最近でも在日朝鮮人が「生粋の日本人ですか?」と聞きだし、日本人限定で無差別殺人を犯したが精神異常をきたしている為、責任能力が無いと判断され、無罪放免となった事件があった。「遠野物語11話」は、あくまでも家の内部の者に対する犯行であるから、他の村人も無罪放免となってもどうにか過ごせたのであろうが、無差別殺人者を責任能力の無い精神異常だからと再び世に放つというものはどうかと思える。法治国家となった明治時代から、いろいろな事件が起きている筈だが、それらの前例や判例を生かさずに現代に即応した法律に変えていかないのは、まことにおかしな話である。

「病は気から」と云われるが「狂気もまた気から」である。病気も狂気もストレスから発生するとわかっていても、それが狭い世界では隠されてわかりにくくなっている。「遠野物語11話」では、余りに嫁と姑との不仲が日常過ぎて、それと接していた息子の心を誰も気遣う事無く日常が蔓延したのが、この母親殺しの事件の要因であったのだろう。
by dostoev | 2014-09-06 17:54 | 「遠野物語考」10話~ | Comments(0)

「遠野物語16(コンセサマ)」

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コンセサマを祭れる家も少なからず。此神の神体はオコマサマとよま似たり。オコマサマの社は里に多くあり。石又は木にて男の物を作りて捧ぐる也。今は追々とその事少なくなれり。

                                                        「遠野物語16」

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人間は、まず男女の結び付きによって子供が誕生する神秘に接したのだと思う。そして周囲を見渡しても、鳥であれ獣であれ、いつしか番いの間には、小さな雛や小さな獣が誕生している。その理を、自然に知ったのだろう。昭和50年代に観た映画「人食い残酷大陸」というドキュメンタリー映画であるが、アフリカの民族が大地に獲物の祈願の為に、自らの男根を穴を空けた大地に対し性行為をし射精する描写があった。つまり、その民族にとっての獲物は大地から誕生すると考えられたからであった。それは現代となれば原始的とも云える思考だが、遠野に広がるコンセサマ信仰も、同じ思考から生れた者であろう。例えば山崎のコンセイサマは、自然石でより大きなものが良いとされている。それはつまり、相手の女性が母なる大地であり、母なる山神であるからだ。人間の体よりも大きな相手には、より大きな男根が必要と思われていた。
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画像は、オコマサマとも云われる二日町の駒形神社の御神体であるが、やはり男根である。これは「延喜式神名帳」に記載される水沢の式内社である駒形神社の影響を受けたものであろう。水沢の駒形神社は本来、山の水分神でもある山神であったそうだが、後から駒形神が祀られた。それを祀ったのは上毛野氏であるが、元々蝦夷の民がその山に祀っていた神を無視して駒形神を祀った為に怒り、そして上毛野氏は殺された。それは僅か数か月で沈静化した為に、その地域だけに留まった動乱であった。

今でもそのまま駒形神が祀られている事から恐らく和睦が成立したのだろうが、その和睦の理由はコンセイサマでは無かったか?と考える。それはコンセイサマでありオコマサマが人間の男よりも大きな男根であるからだろう。駒形神社が広く山神と結びつくのは、その山神を満足させる巨大なコンセサマであったからではなかろうか。今でも山神には、海のオコゼやら男根を供えるのは、醜い山神が美しいものを嫌うので、同じ醜いものを供えるのだというもっともらしい説明があるが、本来は原始的な五穀豊穣を山神に祈願する為のコンセサマであったろう。それは先に紹介した、映画「人食い残酷大陸」と同じ思考である。違う民族同士であっても、共通して願うものは大地の恵みであろう。蝦夷の民と和睦した理由も、駒形神がオコマサマとしてコンセサマと同じ男根を山神に奉納するという事からではなかったか。
by dostoev | 2014-06-14 18:29 | 「遠野物語考」10話~ | Comments(0)

「遠野物語10(深夜の叫び)」

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此男ある奥山に入り、茸を採るとて小屋を掛け宿りてありしに、深夜に遠き処にてきやーと云ふ女の叫声聞え胸を轟かしたることもあり。里へ帰りて見れば、其同じ夜、時も同じ時刻に、自分の妹なる女その息子の為に殺されてありき。

                                  「遠野物語10」

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この殺された詳細は「遠野物語11」で紹介されるが、ここでは何故、奥山でその叫びが聞こえたのかという話になる。「注釈遠野物語」ではオマク説を採用しているが、確かに魂がこの奥山まで叫びを伝えたのだろう。人は死んだら魂は山へと昇るという山岳信仰は遠野で盛んであった。遠野全体で見た場合の山とは、一番高い早池峯が代表となるが、その地域によって信仰する山は変化する。遠野三山のうちの六角牛山の場合もあり、石上山となる場合もある。また山伏が信仰する山は修行場としての山で、それが天ヶ森であったり傘森山となる場合もある。また山口部落では貞任山に地獄山という子供の魂の集まる場所もある事から、やはり地域であり、その個人の信仰する山に魂は昇るのだろう。

山中異界であり、山中他界。魂の辿り着く山であるから当然、肉体が朽ちた魂は昇って来るのだろうが、ここでの奥山はどこを指しているのかはわからない。ただ言えるのは、同族である女が殺された叫びが聞こえたのであるから、その一族の信仰する奥山へ入っての事であろう。ただ、本当に聞こえたのかどうかだが、胸騒ぎというのは幻聴も含めて、その人自身に起こった事象が不吉であると感じる事である。これが夢であれば、悪夢であり、正夢とも捉える事が出来る。また一卵性双生児は、その感覚を共有できるという話があるが、この話では殺された女と山奥に入った男は兄弟であり、血のつながりを共有する存在である。そういう意味では第六感に働きかける何かがあったのだろうと捉える事もできるのではなかろうか。
by dostoev | 2014-04-08 05:46 | 「遠野物語考」10話~ | Comments(0)

「遠野物語13(乙爺)」

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此老人は数十年の間山の中に独りにて住みし人なり。よき家柄なれど、若き頃財産を傾け失ひてより、世の中に思を絶ち、峠の上に小屋を掛け、甘酒を往来の人に売りて活計とす。駄賃の徒は此爺を父親のやうに思ひて、親しみたり。少しく収入の余あれば、町に下り来て酒を飲む。赤毛布にて作りたる半纏を著て、赤き頭巾を被り、酔へば、町の中を躍りて帰るに巡査もとがめず。愈老衰して後、旧里に帰りあはれなる暮しを為せり。子供はすべて北海道へ行き、翁唯一人也。

                         「遠野物語13」

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「遠野物語」としては、いささか異質な感じがする、乙爺の話だが、柳田國男が山人・山男に惹かれて遠野に興味を持ち、山人がまだ遠野にいるのでは?という希望の元遠野を訪れた事を考えると、この乙爺もまた山人の一人として思ったのかもしれない。

菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」の中に「山に消えた娘たち」という章がある。そこには、今まで里に住みながら、様々な理由から山へと隠れ住むようになった娘たちの生々しい記録が書かれている。ただその信憑性は、半分伝説化されているようで、全てを信じるわけにはいかないだろうが、現代でも世捨て人というものは、今までの生活や人との繋がりを絶って、浮浪者として都会の片隅に暮らすように、昔の遠野では発心者か、世を捨てた者が山に住み付くようなものであったか。それでも世とは完全に縁を切らず、サムトの婆のように毎年里に帰るものや、この乙爺は小銭が溜まると山を下って里に酒を飲みに帰って来る。

「注釈遠野物語」にも紹介されているが「土渕村誌」には「熊から教えられた甘酒」という題名で、琴畑の老翁が界木峠で旅人にこの甘酒をふるまったというが、それは恐らく乙爺の事であろう。山から降りて来て酒を飲み、気分良くなった乙爺が、そういう"ひょうはくきり"を話したのかもしれない。昔から、山に住み熊と仲良くなった者に金太郎の話が伝わり、また「熊野の本地」や「秀衡桜」の伝説に見られるように、山で過ごすものには動物たちの加護があるのかと思わせるような話がある事から、乙爺自らもそれらを意識して作られた話が「熊から教わった甘酒」ではなかったか。

里に住む者にとって、山とは異界であり、怪異が生じる異世界であった。その異世界の話を乙爺は酒の肴として話し、またそれを楽しみに乙爺が山から降りて来る者達もいたのかもしれない。だから酒に酔って躍ろうとも、咎める者は誰もいなかったという事は、それだけ愛された存在では無かっただろうか。現世である里と、異世界である山とを行き来する乙爺は、まさに柳田國男にとっての山人では無かっただろうか。
by dostoev | 2013-10-17 14:42 | 「遠野物語考」10話~ | Comments(0)