遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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船っこ流しの夜(2017.08.16)

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今年も観光客を連れて、附馬牛町の船っこ流しへ行って見た。雨が少々心配だったが、杞憂に終わったようだ。船っこ流しは、だいたい8時頃から始まるが、その前に周辺は花火の煙が漂っていた。
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船っこ流し開始前の川の様子。写真を撮る為か、土手に数人待機しているのがわかる。川の上流部に灯りが見えるのは、灯篭流しの準備で、人が集まっているからだ。
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その川の上流部から、橋の方を撮影してみた。
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灯篭は既に準備できているよう。後は、明りを灯して流すだけか。
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灯篭や船を流す場所から赤い光が灯った。まず灯篭が、徐々に流れて来る。
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灯篭が流れて来た。その後ろに、船が引かれている。
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最近は雨続きの為か、いつもよりも川の水量も水圧も高そうである。
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次々と、灯篭が流れて来る。
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龍の船に、火がつけられる。
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燃える船。
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燃え盛る炎は、観客が大勢見守る橋の下まで行った。
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燃える船が橋の下を潜り抜け、ある程度進むと燃える船は停められ、鎮火するまで待つようだ。
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その燃える炎の周りに人が集まり、まるでキャンプファイアーの様でもある。
# by dostoev | 2017-08-18 04:17 | 御伽屋・幻想ガイド | Comments(0)

座敷猫

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今朝の事だった。泊り客の会計をしている時「昨夜、勝手に人の部屋に入ってベットで寝る奴がいました。これが、証拠の写真です。」と、客はニヤリと笑ってスマホの画像を見せてくれた。それは…家の猫(ミー)だった。家の猫(ミー)は、夜になると二階や三階を行ったり来たりしているようで、その時に誰か見つけると寄って行って、客と一緒に部屋に入るらしい。それが必ずという訳でなく、その辺は猫の気紛れなのだろう。しかし、何人かの常連客はそれを知っているから「昨夜、ミーちゃんが来てくれなくて寂しかったです。」などと言う。

ところである客が「ミーちゃんが部屋に入った後、結構いい事あるんですよ。」というような事を言った客がいた。聞くと、宝くじが当たったなどという大それた幸運が舞い込むわけでは無く、些細ながらも、何故か良い事があるそうな。猫の気紛れであるけれど、その気紛れな行動に、小さな幸運がたまたま重なったものとは思う。だが、それを信じている客もいる事から、そういう縁起担ぎに、家の猫が何度も関わってくれば、それがいつしか都市伝説に…いや、座敷猫になるのかもしれない(^^;
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# by dostoev | 2017-08-08 19:06 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)

みちのおく

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宿六を「宿の六でなし」という言い方がある。しかし「ろくでなし」の正しくは「陸でなし」が正式の様だ。「ろく」は「陸」と書き記し「平ら」、もしくは「真っ直ぐ」という意味となる。これは地平線が、平で真っ直ぐある事からきているよう。つまり「陸でない」と言う意味は、平らでない、真っ直ぐで無い事を意味していた。それがいつしか、人の性格にも重ねられ、歪んでいる物や正常ではない物が「ろくでもないもの」に転じたようだ。とにかく本来「ろくでなし」は「六」とは無関係だと知られている。

ところで陸奥は本来「道の奥(みちのおく)」に「陸奥」という漢字をあてて「むつ」になったというが、「むつ」は「六つ」という音に重なる。だいたい「道の奥」に何故「陸」をあてたのか?確かに「陸」は「道」の意でもある。「道の奥」という意味は「遠い」「僻地」などの朝廷からの視点であろうから、確かに遠い奥地という感覚から「道の奥」であったのは理解できる。しかし敢えて「道」を「むつ」とも読める「陸」に変えたのは、意図があるものかと勘繰ってしまう。
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辻などに建てる石碑に道祖神があるが、道祖神は別に"道陸神(どうろくじん)"とも云うようだ。陸は道でもあるのだが、そうなると道が重ねた表記が「道陸」で、強調の意味になるのだろうか?有り得ない表記の様な気がする。やはり「陸」には、「六」の意味を秘めている気がしてならない。画像は、青笹町の飛鳥田にある、南無阿弥陀仏と刻まれた"六道神"の石碑。これはそのまま、仏教の六道を意図した石碑である。また別に、小友町にも"冥道"として六体の地蔵が置いている地がある。それもまた、六道を意味するものである。六道は、六種の苦しみに満ちた地獄世界でもある。

「六つ」という表記は「暮れ六つ」「明け六つ」で、本来の1日は陽が沈んでから始まったものであるから、この場合は酉の刻から始まり卯の刻までという事。簡単に言えば、太陽が沈んでから昇るまでの暗闇の時間帯でもある。闇というのは魑魅魍魎が跋扈する時間帯と考えれば「陸奥」が、奥に「六つ」を秘めているならば、「六道」という冥界であり地獄の「六つ」を指すものと考えて良いのではないか。また別に岩手県には奥六郡と呼ばれる地がある。その奥六郡を統べたのが安倍氏であるが、近畿以西には七や八という聖数に溢れているが、何故か東北には六という数字が目立つと思うのは考え過ぎだろうか。実は古代に、常陸国の境界に、境の明神としてイザナギとイザナミが向かい合わせで祀られた。これは朝廷の力の及ぶ場所にイザナギを祀り、及ばざる場所にイザナミを祀った。そして、朝廷が多賀城を築いた後の事、今の宮城県と岩手県の境界辺りに、やはりイザナギとイザナミを祀った。これは「古事記」での現世と黄泉国を分け隔てる話を意図したもので、力の及ばぬ地は"黄泉国"であるという意識があってのものだったろう。

明治になってからの廃藩置県で、東北は六県となった。しかし、何故に六県にしたのだろうか?それこそ「六道」の地獄を意図しているかのよう。例えば「左遷先は東北六県の中でどこがいい?」という打診も「どの地獄がいい?」と聞いている様にも感じる。東北を、聖数の七県、もしくは八県にしても良かったのではないか。

また東北は「日高見」とも云われた。つまり陽が高みに昇る地の意味もある。そこに「六つ」という太陽が沈んでから昇るまでの音を与えたのは、一つの呪いではないかとも思える。考えてみれば、古来からの流刑地に四国がある。「し」は「死」を連想させる。「むつ国」と「し国」は、意図的に朝廷が呪いを付与したのかのよう。数字遊びのようであるが、ある意味本質を突いているのかもしれないと思ってしまう…。
# by dostoev | 2017-08-07 12:48 | 民俗学雑記 | Comments(5)

遠野七観音考(其の七)

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山谷観音堂には、何故か金毘羅の石碑が多い。最近石碑をまとめたのか、鳥居の手前に石碑が並んでいるが、殆どが金毘羅の石碑である。その金毘羅の石碑は、本堂の側にもある。ただ金毘羅の石碑は、山谷観音堂だけに限定するものではなく、遠野市全体に多くの金毘羅の石碑がある。これは現代の遠野よりも、昔の遠野の河川の水が豊富で、その川を利用した仕事が多く、それに比例して水難事故も多かったようだ。その水難事故を防ぐ為、金毘羅講は江戸時代に流行し、遠野からも多くの人達が金毘羅参りをしたようだ。
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何故に山谷観音堂に、これだけの金毘羅碑があるのかというと、山谷観音堂に祀られている十一面観音像に、その理由がある。十一面観音の功徳の一つに「水難に遭わない」というものがあり、これが金毘羅神の御利益と重なるものであるからだろう。
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元々十一面観音には、水に関する霊力がある。東大寺で行われる"十一面悔過法要"は、十一面観音に、一年の罪や過ちを懺悔するという法要である。それはつまり「罪を水に流す」という意味である。今でも「過去の事は水に流そう」という言葉があるように、古来から日本人は、罪や過ちを悔い改め、水に流してきた。その水に流す霊力を持っているのが十一面観音である。

古来より、穢祓とは水によって行われた。禊の原型は、海神族が海に浸かった事から発生したとされている。日本全土を、取り巻く海。その海で発生した水蒸気は、雨雲となって地上に降らせる。その雨水は、山が貯えて、ゆっくりと小さな山の沢へ流し、いくつもの川を結んで大河を経て、海へと注ぐ。ただ古来では、水の発生は海では無く、山から発生すると考えられたようだ。小友町から見える物見山は、桂の木の林があり、沼がいくつもあり水が豊富であったそうだ。その水の象徴でもある桂の木から十一面観音を彫ったという事は、水の霊力を期待してのものであったろう。前回書き記したが、神が宿る樹木からどういう観音像を彫るというのは、その観音像の奥に秘められた神を彫るという行為でもある。桂の木から彫られた十一面観音像とは、その奥に水神が宿っていると考えるべきだ。この山谷観音堂もまた、水の御利益を期待してのものであったのが理解できる。
# by dostoev | 2017-08-04 10:09 | 遠野七観音考 | Comments(0)

遠野七観音考(其の六)

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遠野七観音の七という数字が、どういう深い意味を持っているのか、それとも意味が無いのか?とも、いろいろ考えられるのは確かな事。ただ、やはり七は聖数で、意味があるのだろうと思える。平安時代には歴代の天皇が妙見を信仰していたように、北極星と北斗七星が重要視されていたのも、背景に天台宗の影響もあったのだろう。岩手県には坂上田村麻呂以降、多くの神社仏閣が建立され仏教が布教されたのも天台宗によるものだった。征夷大将軍に坂上田村麻呂を指名した桓武天皇は平安京を築いた。その平安京の北に位置しているのは北斗七星の降りた霊山とされる比叡山であり、比叡山延暦寺は"星の宗教"とも云われる天台宗の総本山でもある。

画像は、小友町の山谷観音堂。初代の十一面観音像は火災によって燃えたようだが、焼け残っており秘仏とされているようだ。材質まではわからないが、鞍迫観音の平安時代作とされる十一面観音像も桂から彫られた事を考えれば、山谷観音の十一面観音像も、同じ桂から彫られた可能性は高いのではないだろうか。遠野の街から見れば、物見山は南に聳えているが、小友町からは東に聳えるのが物見山だ。「とおの小友探訪」での物見山の紹介は、一名長富士と称し、鬱蒼たる桂林で頂に麻神の祠があり、長富士権現と信仰していた事から、今は分からぬが、小友側からの登山道もあったのではなかろうか。また山中に藁麦角石、坊主石、硯石等の天然記念物ありと記されている事から、やはり宗教人によって開発されていたのだろう。そしてそれは恐らく、天台宗であった可能性が高いと思える。
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画像は、山谷観音堂の西側の経塚から発掘された、六角形の経筒。東北においての経塚は、奥州藤原氏から始まったとされる。仏教に対する信仰が深かった藤原氏であった事から、山谷観音堂の経塚と埋葬されていた経筒もまた、藤原氏の信仰の影響を受けていたものと考えて良いのではなかろうか。

六角という形に表れる六という数字は、仏教的に六大・六識・六欲・六字・六道・六根・六畜・六天など、様々な六がある。しかしこれらは恐らく、当初の六という数字に、後から仏教的なものを色々当て嵌めていったものだろう。
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六角形そのものの形で、一番古い認識は亀甲だ。亀の甲羅は、紀元前から亀占に使用されており、その亀は北に鎮座する玄武としての地位を古くから築いている。
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身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の守護神は七面大菩薩といって、七面山を本拠地とする。その七面山のシンボルマークは、中央に一つの星、周囲に六つの星を並べ、外形を六角形したものである。つまり家紋で言えば、七曜紋を象った形が六角形である。画像は、妙見曼荼羅の七星閣の箇所であるが、七星閣の中には六人、つまり六星しかいない。残る一つの星は魁星と云い、下界に降りている星として描かれている。

ところで、覚えているだろうか?奥州藤原氏の祖である安倍貞任"魁偉"と呼ばれていた事を。この六角形という形が北斗七星を意味するならば、その七つの星の中心となる魁偉こそが奥州藤原氏の祖、安倍貞任であるという意図を示している可能性があるかもしれない。

ところで夏の山谷観音堂は、ヒグラシの鳴声の最中であった。
# by dostoev | 2017-08-03 17:49 | 遠野七観音考 | Comments(0)

光る化け雉

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「遠野今昔」に、阿部愛助氏の書いた「光る雉」の話がある。その話を簡単にまとめてみた。

綾織の阿部さんは、鉄砲撃ちであった。ある月明かりの淡い山の峰の下で獲物を待っている時の事であったそうな。冬山の冷たく澄んだ空気の中、峯のあたりから雉が下方向かいの峯へと番で移動している時の事であったという。この雉の峯下りの時、雉の体が光ったのだという。冬山の澄んで乾いた空気の為だうか、雉の体に静電気が起こった為の発光なのかもしれないと。

雉が光るとは有り得ない話ではあるが、いろいろな状況が重なると、そう見えるのかもしれないとも、どこかで思っていた。ところが「村誌たまやま」に、光る雉の話があった。

炭焼きを営んでいる男が夜遅く帰って来ると、山の方から大きな声で「行くじぇー、行くじぇー」と叫ぶものがある。そしてそれが毎晩続いた。炭焼きの男は気味が悪くてしょうがない。しかし気を取り直し「人間でないものが何で人間をおどすだろうか。山の仕事をする人間は、これに負けてなるものか。」と、ある日朝から仕事を休んで、炭焼く木を斬る大きな鉈を一日中鋭く研いだ。そして晩方、炭焼き小屋から家路にかかった。果たせるかな、闇夜に山の方から「行くじぇー、行くじぇー」と声がした。炭焼きの男は、大きな鉈を振り上げながら「来るなら、来ねかぁー」と云った。すると箒星のような大きな光り物が大きな音を立てて、飛んできて炭焼きの男の足元にどさっと落ちた。炭焼きの男は「このやろう、負けるものかー」といいながら、鉈でその光り物をめちゃくちゃ斬った。その晩、炭焼きの男は青くなって「今夜は、化け物を斬った。」と言って寝た。翌朝そこへ行ってみたら、大きな雉の雄が、さんざん斬られて死んでいた。

この話は"光り物の正体"を暴いたような話でもある。遠野でも、多くの"光り物"の話がある。ただし、多くは浮遊する人魂の様な話であるが、唯一小友町の菊池某氏の体験した、彗星の様な光り物の話が、この雉の話に近いのかもしれない。岩手県では、昔から歳取った雄の雉の尾の節模様が十二以上あるようになると人を騙すと云われる。この化け雉と綾織の阿部さんが目撃した雉は、決して同じものでは無いだろうが、雉が光ると云う共通点と、岩手県の雉についての伝承の共有意識からの話であったのか、とも思えてしまうのだった。
# by dostoev | 2017-08-01 06:20 | 民俗学雑記 | Comments(0)

遠野七観音考(其の五)

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遠野七観音伝説には、慈覚大師が物見山の桂の木から七体の観音を彫りあげて、各地に祀ったとの伝説がある。これとは別に、附馬牛の沢の口にあった松ノ木の大木から彫ったともされるが、どれも定かでは無い。
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ただ、現存する七観音で一番古いとされる鞍迫観音像の材質は、桂の木であるようだ。
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鞍迫観音の境内には、「蛇棲み桂」と呼ばれる桂の古木がある。古代中国の「酉陽雑俎」に、月には桂の木とガマガエルがいるとあり、また五百丈もの桂の木を、仙人の呉剛という男が、いつも伐るが、伐っても伐っても直ちに樹の切り口が塞がるという、永遠の呵責が課せられている説話があり、桂の木に不死が結び付いている。また「山城国風土記」には、「月読尊、天照の勅を受けて、豊葦原の中国に降りて、保食の神の許に至りましき。時に、一つの湯津桂の樹あり。月読尊、乃ち其の樹に倚りて立たしましき。其の樹の有る所、今、桂の里と号く。」

これらの話は、桂の木に月読尊の霊力が依ったものと解釈でき、桂の木と月と不死の話が結び付く。つまり、桂の木には月神が憑き、月に伴う変若水という不死の水。つまり、月神と水神信仰の踏襲でもあるかもしれない。その水神は、しばしば蛇神ともなる事から、この鞍迫観音の「蛇棲み桂」は、そのまま受け入れる事が出来る。また別に、小友の千本桂もまた大蛇(白蛇)が棲みついていた伝承がある事から、桂の木は水神や蛇神と結び付いていると知られていたという事だろう。「古事記」において、山幸彦は海神の宮殿へ行き、井戸の側の桂の木に登っていて、海神の娘に発見する話があるが、これは桂が神の依代であると共に、水との縁が深い事を示している。そして海神の娘である豊玉比咩は、ワニとも竜=蛇とも云われる。この「古事記」の話からも、桂の木と蛇が密接な関係にある事が理解できる。
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ところで日本に仏教が輸入され、その教義の布教と共に仏像の布教もあった。仏像を広める時に、それまで認知されていた神を利用した。

「この木には、神が宿っています。この神の宿る木から仏像を彫りあげるという事は、神と仏が一体という事です。」

本地垂迹というと、神の本地は仏であり、神よりも位が高いものと広めた。しかし、神の宿る木から彫った仏像は、あくまでも目の前に見えるのは仏像の姿だけである。つまり仏教の教義とは逆に、仏像になった樹木に宿った神の姿が、大抵の者の目には見えていない。それは仏像の奥に潜んだ神の本体こそが本地とも取れるのが、仏教側の示した本地垂迹ではないか。そして、桂の木から彫った仏像に宿る神とは様々な事象から考えるに、それは水神であり、龍蛇神であり、月神であるべきだろう。慈覚大師円仁が彫ったとされる遠野七観音が桂の木から彫られたという事は、初めから水神を遠野七観音の中に封じ込めようという意図があったのものではなかったか。遠野七観音には、観音像を彫った後に、七つの井戸で洗ったとの伝承がある。それはつまり、仏像の穢祓をしたという事。それはつまり、七瀬の祓いを意図した伝説では無かったか。

遠野に於いての慈覚大師円仁が関係する伝説は、この遠野七観音と早池峰に関するものだけである。早池峯の神も水神である事を踏まえても、天台宗の慈覚大師円仁は、水神を仏像の中に封じると意図をもって仏像を彫ったとも考えられる。慈覚大師はあくまで伝説ではあるが、天台宗の関係が遠野に来ているのは確かであろう。その天台宗は、星の宗教とも呼ばれる。天台宗の総本山である比叡山は、北斗七星が降りたとされる霊山である。その星の教義を携えて、遠野を訪れたという事だけは間違いない事であろう。早池峯と遠野七観音は、天台宗の教義に深く関わるのだと思えるのだ。
# by dostoev | 2017-07-28 21:20 | 遠野七観音考 | Comments(3)

早池峯不動三尊

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2011年、大慈寺が火災により焼失した。その時に失ったものの中に、明治維新の神仏分離によって起こった廃仏毀釈から逃れる為、早池峯妙泉寺から預けられた早池峯不動三尊の一つの不動明王像が燃えてしまったようだ。大慈寺の火災以前に撮影していた為、画像でその不動明王像の姿は確認できる。そして、その不動明王像の解説を読むと、もしかして「遠野物語拾遺126(三面大黒)」に関係する可能性をもった事が記されている。
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慈覚大師が、不動三尊と大黒一尊を刻んで本尊としていたと記されている。「遠野物語拾遺126」での話は「狩人の話では早池峯の主は、三面大黒といって、三面一本脚の怪物だという。現在の早池峯山のご本尊は黄金の十一面観音であって、大黒様のお腹仏だと言い伝えている。」三面大黒と伝えているのは狩人であり、その信憑性には疑問が残る。実際、早池峯の御本尊は十一面観音と記され"大黒様のお腹仏"とは記されているが、その大黒様が三面大黒とは記していない。それでは狩人が勘違いして三面大黒と伝えたのだろうが、何故に三面と勘違いしたのかは、もしかしてこの不動三尊、つまり三体の不動明王を含めて、三面大黒と称した可能性があるだろう。ただ、この大慈寺に伝わる記述は、御本尊を不動三尊と大黒一尊としている事が「遠野物語拾遺126」と食い違うのは、どういう事か。

この不動三尊であるが、一つは大慈寺に。もう一つは、琴畑の不動堂というのはわかっている。そして最後の一つは、まだ確認していないが、恐らく青笹の喜清院の不動明王像が、そうではなかろうか。喜清院は藩政時代、自身の鎮守として早池峰大権現を祀っていたとわかっている。喜清院そのものは、早池峯妙泉寺と縁の深い土淵の常堅寺(かっては天台宗)からの流れを汲む寺院であった。この不動三尊の"三面"を大黒仏と交えて、三面大黒と称した可能性もあるだろう。それでは、御本尊の十一面観音、もしくは大黒様ははどこへ行ったのかというと、それは元々の早池峯妙泉寺の別当であった宮本家に、早池峯に伝わる秘仏があると伝わっている。しかし先代は、その公開を拒んでいたので、その秘仏そのものが、十一面観音なのか大黒仏なのかは定かでは無い。
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画像は、琴畑不動堂の不動明王像。廃仏毀釈の難を聴き、琴畑の人達が早池峯妙泉寺まで出向いて、引取って来たと云う。ただ、この不動明王像の本来の色は不明。昭和時代に管理していた者が勝手に着色してしまい、その後に何故か管理していた者が死んでしまった事から、早池峯大神の祟りだとも云われた様だ。とにかく、元の色と顔立ち、雰囲気は想像するしかないだろう。
# by dostoev | 2017-07-26 18:38 | 早池峯考 | Comments(2)

遠野物語拾遺104(大草履)

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ある人が鱒沢村から稗貫郡の谷内へ越える山路で、山男の草履の脱いであるのを見た。篠竹で作った、長さ六尺もあろうかと思う大きなもので、傍の藪の中には赤顔の大男が熟睡していたそうである。これは大正の始め頃のことで、見たという本人はその頃五十位の年配であった。

                     「遠野物語拾遺104」

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画像は、綾織の羽黒神社入り口に飾られている、石で出来た大きな下駄。羽黒岩の天狗伝承を意識して作られたものだが、「遠野物語拾遺104」に登場する六尺の草履と同等の大きさだろう。これを履ける者は天狗というより巨人であろうか。伊勢から熊野にかけて、大草履を作って海へと流し、海の彼方から来ると云われる巨人に対抗する習俗がある。つまり、巨人の足より大きな草履を作る事によって「お前より大きい奴がいるんだぞ!」と、巨人を恐怖させ、こちらに来ない様にする為の習俗である。大きいものを作るとは、相手を威圧する為であり、古代ヨーロッパでも大きな鎧を作って置いて、敵がそれを見て怯え、戦わずに逃げたという伝説もある。それと同じなのが、伊勢から熊野に伝わる習俗なのだろう。つまり、それは遠野にもあったのだろうか?「遠野物語拾遺104」の描写には大男が熟睡していたとあるが、果たしてその草履の持ち主である程の巨人であったのかは定かでは無い。

巨人は日本において、ダイダラボッチなどと云われる。それは大太郎(ダイダロウ)や大平(ダイダイラ)山などとも伝えられるが、遠野の九重沢は太平山があるが、これは茨城県、当時の常陸国の流れから来ているだろう。その常陸国にはダイダラボッチの伝承が多い。また遠野市青笹町に大草里(オオゾウリ)という地名があり、これもダイダラボッチに関係するのかもしれない。またデンデラ野も、呼び方によってデンディラなどと呼ぶ事から、ダイダラボッチにも繋がりそうだ。

ダイダラボッチの原型は蹈鞴(タタラ)から来ていると云われる為、蹈鞴筋の山への流入と共に、里の人達を山の蹈鞴場に寄せ付けない為、大きな草履を作った可能性も否定出来無いだろう。登場する谷内という地名は、東和町の丹内山神社に、江刺の谷内とも関係がある棟札がある事から丹内も谷内も同じであるとされる。丹内山神社も製鉄と関係される事から、谷内=丹内=胎内=蹈鞴は同じであるとされる。蹈鞴の溶鉱炉をホトと呼び、その内部は胎内である。その蹈鞴筋が居付いた製鉄の地に谷内・丹内などという地名が付くのは、当然の流れであろう。その蹈鞴筋には修験者も関係し、小友町の能傳房神社もまた採掘・産金のの民の蹈鞴筋との繋がりがある。羽黒修験の羽黒堂の入り口に、大きな下駄のオブジェを飾るのも、その流れに沿ったものであったか。
# by dostoev | 2017-07-25 08:56 | 「遠野物語拾遺考」100話~ | Comments(18)

熊に出遭いたいならば…。

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今年の5月、荒川高原からタイマグラへと行った釣り人が、行き帰りの2度にわたって、熊を目撃した。車の中で見た事から、まったく怖いとは思わなかったそうな。その話を6月に泊った客に話したところ、夕食を終えた後「ちょっと、熊を見に行ってきます。」と、荒川高原へと向かった。翌朝、朝食の時に聞いたところ「2回も遭いましたよ!」と嬉しそうに話してくれた。

荒川高原は、確かに自分も何度か遭遇している。ただし夜だと、夜の闇に紛れる様な黒い体に加え、他の野生動物と違い、一目散に逃げるのが熊であるから、写真撮影は難しい。そして一度、高清水山へと客を車で案内した時の事だった。高清水山の入口付近は、まだ農家がある。車を走らせていると、その農家から急に熊が飛び出して、急ブレーキを踏んだ事がある。とにかく、夜の山道は、野生動物の飛び出しに、じゅうぶん注意した方がよい。ただ夜は、かなり遠くに野生動物がいても瞳が光るので、何かいるぞ…と認識しやすい。ただ熊は、山で遭遇する雉と同じで、近付いてから飛び出す場合もかなりあるので、やはり要注意。とにかく、飛び出す前提で、車を運転した方が良いだろう。
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このように、夜はライトを当てると野生動物の瞳が光る。
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画像は、アナグマを近接撮影する観光客。アナグマは、あまり逃げない…。
# by dostoev | 2017-07-24 17:40 | 遠野で遭遇する生物 | Comments(0)