遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
六角牛考
七つ森考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯信仰圏
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
JUNJUNのブログへよ...
外部リンク
最新のコメント
それでは現地へ行き、お好..
by dostoev at 13:28
欲しい!金精様欲しい!
by 千尋 at 21:26
ミシャグジの「ミ」は「御..
by dostoev at 20:09
瀬織津姫とミシャグジは対..
by ななし at 11:54
「雨乞い観音」のモチーフ..
by dostoev at 08:42
正法寺七不思議のひとつに..
by 鬼喜來のさっと at 23:55
下野小山氏は奥州菊田荘を..
by 鬼喜來のさっと at 22:24
遠野市小友町の藤沢の滝の..
by dostoev at 19:50
人の首と書いて人首とは何..
by 鬼喜來のさっと at 22:11
ishiwaさん、良かっ..
by dostoev at 19:08
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


隕石が落ちたら…。

f0075075_1711763.jpg

この画像は深夜、霧に覆われた遠野盆地上空に輝く月。夜霧の影響から月光は眩い光りとなって、まるで隕石が遠野盆地に向けて落下しているようにも感じた。隕石と言えば、映画は観ていないが漫画では確認した「君の名は」のストーリーに、彗星の破片が隕石となって落下し、町が消滅し湖になったという設定があった。

遠野は、アイヌ語の「トオヌップ」という「湖のある地」の説もあるが、これは考古学者によって「湖では無く、恐らく尾瀬みたいな湿地帯だったでしょう。」と、やんわりと否定されている。しかし、本当に隕石が落ちたら「君の名は」みたいに遠野の町は消滅し、湖になってしまうのだろう。遠野盆地は、全て水源を有する山に囲まれている。昔よりは水量も減ってはいるが、もしもの隕石による窪みに、遠野盆地の山々から注がれる水が溜まり、あっという間に湖になってしまうだろう。それこそ伝説の遠野になってしまうが…。
# by dostoev | 2017-10-23 17:49 | よもつ文 | Comments(0)

因幡の白兎トイウモノ

f0075075_6314290.jpg

前の記事で、朝倉は星見の座では無いかと書いた。実は「記紀」には明確に記されてないが、もしかして天体の話がかなりあるのでは無いかと考えてしまう。そこで気になるのは「因幡の白兎」の話だ。
f0075075_749246.jpg

「月の兎」という認識が広まったのは、やはり古代中国だと云われる。紀元前4~3世紀の「天問」と云われ、また漢時代の「五経通義」「月中有兎」と記されている事から、それが日本にも伝わったのだろう。月には兎が棲んでいる。それがいつしか、月そのものが兎である様な認識にも変化している。
f0075075_6335740.jpg

「古事記」での「因幡の白兎」の話は、隠岐島から海を渡ろうと"わに"を騙し並べて渡ったものの、その寸前で騙した事を語り、"わに"の怒りを買い「あを捕へ、ことごとあが衣服を剥ぎき。」と、丸裸にされてしまった。兎が悲しんでいると、八十神が通り、兎は八十神の言う「海塩を浴み、風に当りて伏せれ」の通りにしたら兎の体は「あが身ことごと傷(そこ)はえぬ」と。

まず、海は「アマ」と訓むが、天もまた「あま」と読む。八十神に相対する大国主は、何度も死んでからの復活の話が多い中に登場する「因幡の白兎」の話も、死の境界を彷徨っている兎であり、その復活の話と捉えれば、大国主の流れに乗るものである。古代人が死と復活を意識したのは、やはり太陽であり、月だった。太陽は毎日、西の果てに死に、東から復活する。それと共に、月もまた同じ。ただ月の場合は太陽と違い、更に満ち欠けがあった事から、古代人にとっての神秘の度合いは、やはり月に注がれていたよう。やはり兎は月を意味して、渡ったのは海では無く天ではないのだろうか。

日本民族文化体系「太陽と月」には、三日月を見ると妊娠するという俗信が紹介されているが、へこんだお腹がまるで妊娠したように満ちる満月に、女性の妊娠を重ね合せている。更に兎が二重妊娠をする動物である為、極端な多産だ。月と兎と妊娠が重なるのは、必然であったか。

その月は、東から昇る時、また西へ沈む時は赤くなる。先の「因幡の白兎」も、兎の毛を全て刈り取れば、ピンク色の肌が見えて来る。それを、赤肌の兎と称しても良いだろう。現実的に、兎が毛をむしられるのは、人間が食べる時である。八十神の言う「海塩を浴み、風に当りて伏せれ」は、そのまま兎の肉に「塩をまぶして干し肉にしてしまえ!」という発言にも捉える事が出来る。恐らく「因幡の白兎」は、一度死んでいるのではないか?それが元の兎に復活する。
f0075075_6434369.jpg

石破洋「イナバノシロウサギ神話の新研究」の着眼点は、面白かった。ワニを並べて海を渡ったのは、兎の嘘だとしている。確かにワニを並べて海を渡ったとするシーンは、大国主に対して兎が一方的に話しているだけで、どこまで本当かわからない。石破洋は、兎は八上比売の使いで、大国主や八十神が八上比売と結ばれるに値するかテストする為だったと語っている。確かに兎の最後は莵神になっているのは、神の使役でもあったからとされている。もしくは八上比売は関係無く、兎そのものが初めから神であった可能性もあるだろう。何故なら出雲大社の宮司曰く「出雲大神とは大国主が崇敬する神である。」としている。その出雲大神とはやはり出雲にある熊野大社に祀られる神であろう。それは紀州の熊野と同じで「熊野権現御垂迹縁起」には、熊野神が三体の月になって天降ってきたという伝承がある事から、大国主が信仰した神は月神であった可能性はある。その大国主は何度も死に、最後には素戔男尊のいる黄泉国でもある根の堅州国へ行き、須世理姫を連れて地上に復活している。この大国主の命の復活劇の根底に、月信仰があったとしても不思議では無い。熊野では、兎の事を「巫女」と称する。つまり熊野神の使いという意味にも通じる。兎は月と結び付いて、その多産さから五穀豊穣と結び付いている。そしてそれが山神(サンジン)=産神(サンジン)という日本特有の語呂合わせでも結び付いているようだ。しかし突き詰めれば、その背景に熊野三山があったのだろう。だからこそ熊野の"歩き巫女"、つまり兎が伝え広めた「熊野権現御垂迹縁起」熊野神が三体の月になって天降ってきたとしたのではないか。
f0075075_19392631.jpg

中秋の名月に、ススキを供える風習がある。それは五穀豊穣と重なった月に対し、秋の実りとして稲穂の代わりに、ススキを供えると一般的に伝えられる。「因幡の白兎」では、蒲の穂を与えている。学者は蒲の穂は止血剤にもなるので、兎は毛が戻ったのではなく、単なる皮膚の損傷の治療行為と、現実的に考えているようだ。ただこれを大雑把に考えれば、月に対して穂(稲・蒲・ススキ)を供える風習ではとも思える。何故なら「穂」の語源は「ものの立ち上る意」「モノの現れ出る義」と「モノの生れ出る」意味を有している。つまり穂を月に供えるとは「月の復活」を期待してのものではないだろうか?兎は傷の治療を終えたのではなく、やはり元の白兎に復活したと考えた方が流れ的には自然かもしれない。
f0075075_20124217.jpg

【摂津国風土記】

ヲモトの郡に夢野というところがある。古老によれば、昔ここをトガ野といい、牡鹿が棲んでいた。その正妻の牝鹿もこの野にいた。

海を隔てた淡路島の野島に、その牡鹿の妾妻の牝鹿が棲んでいた。牡鹿はしばしば野島に泳いでいって、妾妻と愛し合っていた。牡鹿が正妻のところで一晩過ごした翌朝、彼は正妻に語った。夕べ、夢を見た。自分の背に雪が積もり、ススキという草が生えた、この夢はなんの前兆だろう、と。正妻は、夫がまた妾妻のところへ行こうとしているのを憎んで、いつわりの夢判断をして告げた。背に草が生えるのは、矢が背に突き立つ前兆です。また背に雪が降るのは、白塩を肉に塗るしるしです。あなたが野島に泳ぎわたろうとすれば、必ず船人に出会い、海の中で射殺されるでしょう、決して行ってはなりません、と。しかし牡鹿は恋心に耐えられず、また野島に泳ぎ渡って行く時、途中で船に出会い、射殺されてしまった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なんとなく「因幡の白兎」の話に似ているかと「摂津国風土記」を紹介してみた。夢診断が正妻の言霊によって最悪の話になっているのだが、海を渡るリスクと人によって殺される獣としての立場が、因幡の白兎と重複している。仏教説話に、帝釈天に対して何も食べ物を差出す事の出来なかった兎が自らを食べて欲しいと火中に身を投じ、その亡骸を月に納めた話がある。古代人は、月が欠けていくのは、月が死んでいくものと考えていたようだ。そして復活する永遠の存在が月であり、それが兎にも投影された為か、兎の死は復活の前ふりでもある。

鹿の海渡は理由が明確だが、因幡の白兎の海渡の明確な理由が不明のままになっている。ただ八上比売が大国主のものになると予言した事から、因幡の白兎が八上比売の使いであったとされている。現実として、古代においての渡海は、死を意味している。それを天空に移して見ても、天の川に対峙する織姫と彦星は、何故逢うのに一年も我慢しなくてはならなかったのか。それは大河を渡るというのは死を意味していたからだろう。確実に安全に、大河を、そして海を渡る方法は無かった。遣唐使や遣隋使で渡った船さえ、確実に安全に渡れる保証はどこにもなかった。それ故に、常に死を意識して海を渡ったようだ。また逆に、渡海が危険な行為であるからこそ、蒙古襲来において日本は救われたとも言える。渡海は、時代を遡れば遡るほど危険なものであった。その「アマ(海・天)」を悠々と渡れるものは太陽であり月であった。その太陽や月でさえ、毎日死ぬと認識されていた時代だった。
f0075075_6275547.jpg

「因幡の白兎」以外に白兎伝説が、八上比売を伝える地にもう一つあった。八上の霊石山を天照大神が行幸した時、行宮にふさわしい場所を探していたところ、一匹の白兎が現れた。白兎は天照大神の装束の裾を銜えて道案内をした。白兎は霊石山の頂上付近の平地である伊勢ヶ平付近まで案内し消えたという伝説がある。この伝説を思うに、やはり太陽と月の運行の話だと思う。太陽と月は、同じ黄道に乗る天体。つまり、消えた白兎とは、先に昇っていた月が沈んで太陽が昇った話では無いだろうか。また別に言えば、太陰暦から太陽暦になった話としても言える。ただ消えた場所が「伊勢ヶ平」であった事からも伊勢神宮の祭神の交代を意味している可能性もあるだろう。実は気になったのは、伊弉諾が左目を洗った時に生まれたのが、日天子と月天子の場合がある。自然界の左と右、阿弥陀の左と右の法則などもある事から、この詳細に関しては別の記事で書く事にしよう。とにかく今回は、兎は月を意味し、白兎の伝説は、月の運行から作られた話であると思って書いた記事であった。
# by dostoev | 2017-10-21 07:02 | 「トイウモノ」考 | Comments(0)

朝倉トイウモノ

f0075075_7551530.jpg

朝倉という苗字がある。遠野では珍しい方だが、浅倉も含めると、遠野の電話帳を見れば、そこそこ出て来る。ところで朝倉という苗字から気になったのは、「朝の倉」とは、何だろうか?という事だった。

朝倉氏を調べるとウィキペディアには、「開化天皇の後裔とも孝徳天皇の後裔とも伝わる日下部氏が、平安時代から大武士団を形成し栄えていた。朝倉氏は、この日下部氏の流れをくむ氏族のひとつである。」日下氏の出自は九州であるから、血脈的には九州の血であろうか?

ところで日下については以前にも書いたが、谷川健一は「日下の草香」は「ヒノモトクサカ」と訓むべきで「クサカ」は太陽の昇る所であると述べている。しかし、それとは別に「クサカ」の「ク」は「カ・ウカ」の転訛であり月・月夜を意味し「サカ」は「下る」という語幹から利用されたものだという。つまり「日下(クサカ)」は「月坂」の意であると。日下氏は水神を祀っていたが、水は月の変若水にも関係する事から、月に関係の深い氏族でもある。その月に関係の深い日下氏の流れを汲む朝倉氏とは?
f0075075_7554073.jpg

「星堕ちて石となる」という記述は「日本書紀纂疏」にあったものだが、石であり磐座は星に関係の深いものだった。磐座(いわくら)の「座」は、今では星座(せいざ)という言葉に多用されようか。しかし古代における座とは「くら」とも訓んた。

筑前に、朝倉郡がある。この朝倉郡は、上座郡と下座郡が合併して朝倉郡となったのだが、ここでの「上座」を昔は「あさくら」と訓んだ。また星座と現代でも使うように、元々「座」は星宿の事でもあった。上座を「あさくら」と訓むのだが、ここでの上座・下座というものは皇帝の玉座に対応するものだろう。皇帝に向って左の左大臣が太陽の昇る東を意味し、右大臣が太陽の沈む(下る)西を意味する事から、上座とは太陽の昇る方向(東)の磐座であり、下座はその逆の西の磐座であろう。つまり、上座・下座を合せて「朝倉郡」となったのは、太陽の昇る方向に立つ磐座を意味するのだろう。
f0075075_813528.jpg

長谷(はつせ)とは八節、即ち八季の異称であった。それが当てはまる星は、太白だとされた。雄略天皇の都は「長谷朝倉宮」であった。太陽の昇る方向の磐座に暁の明星である太白が重なるのは当然の事。考えてみれば、太陽暦が採用されたのは持統天皇時代以降。それ以前は、太陰暦が主流であった。太陽運行の軌道には、月が重なる。持統天皇時代以降に太陽暦が採用されたのなら、雄略天皇時代は、太陰暦であった筈だ。月もまた、太白と重なる。実は太白の異称に、長谷星、朝倉星があった。つまり雄略天皇の都は、太白の都でもあったという事か。そして朝倉は、そのまま太陽であり月の黄道に位置する磐座(いわくら)であり、その黄道に昇った太白を重ね合せた星座(ほしくら)という事になろうか。朝倉氏が日下氏の流れを汲む氏族という事だが、この月と星の関係をみると、そのまま日下氏と朝倉氏の関係に重なりそうだ。
f0075075_1754262.jpg

朝倉が星見の「朝の星座」で太白を意味するのなら、斉明天皇が崩御した朝倉宮もまた太白を意味するか。また「日本書紀」で斉明天皇の死後「朝倉山の上に鬼有りて、大笠を着て喪の儀を臨み視る」という記述は、天体現象じゃないのか?つまり朝倉山は、星を見定める山だった可能性があるかも。
# by dostoev | 2017-10-19 07:41 | 「トイウモノ」考 | Comments(0)

早池峯神社の神霊?

f0075075_4215379.jpg

久々に関西からのお客さんを連れて、遠野の夜ガイドをした。まず手始めに、耳切山から荒川高原へと抜けてみたが、雲が多く星もよくみえない。また霧も発生していないので、行きたかったという早池峯神社へと向かった。ただ野生動物は豊富に出て来て、ニホンジカ・カモシカ・タヌキ・キツネ・ハクビシン・ウサギ・ムササビ、おまけに野ネズミや猫と、行く先々に登場して楽しませて貰った。
f0075075_4264170.jpg

それから夜の早池峯神社に到着し、まっすぐ参拝した。時刻は、夜の10時頃だろうか。この日は、やけに暗く、初めはライト無しで境内に入ったが、余りにも暗すぎる為、車に戻ってライトを持って来た程だった。神社の境内から空を見上げると、星が綺麗に輝いていた。荒川高原は雲が多かったが、早池峯神社上空には、星空が広がっていた。
f0075075_4281432.jpg

参拝後、境内を歩いて山門に近付いた時だった。「女性の声、聞こえませんか?」と客が言う。水音じゃないですか?と言って、自分もよくよく聞いてみると妙な音が聞こえる。自分は水音を一瞬、雨か何かと思ったが、そういえば上空は晴れていた。ただ自分にはその時、女性らしき声は、まったく聞こえいなかった。

取り敢えず、その時の動画を僅かな時間だけ撮影してみた。そしてその後、よくよく耳を澄ますと、確かに夜で誰もいない神社の境内であったが、やけいにいろいろな音がする。ただそれは自然の音なのかとも思っていた。そして帰りましょうかと、山門を出て鳥居を潜ってから、何と表現して良いのかわからない音が、自分にき聞こえた。ただし、女性の声では無かったが…。
f0075075_1413890.jpg

女の声で思い出したのは以前、このブログでも紹介している金子富之氏だ。やはり、夜の遠野をガイドしている最中に、聞こえる筈のない場所で女の笑い声を聞いて、蒼ざめていたのが印象に残っている。また「熊野年代記」には、新宮などの神域で女の泣き声や笑い声が響いている記述がある。その後に祈祷などをしている事から、熊野で聞こえた女の声は、神霊のものとされたのだろう。そして今回の早池峯神社境内での女の声…自分は聞こえなかったが、女の声と聞いた瞬間に、金子氏の時の事象と、「熊野年代記」での事象が頭を駆け巡ったのだった…。
# by dostoev | 2017-10-18 04:38 | 御伽屋・幻想ガイド | Comments(0)

山トイウモノ

f0075075_1736593.jpg

「山」という言葉を語源辞典で調べてみた。

1.不動の意で、ヤムの転
2.どこにでもあるもので、不尽というところから、ヤマヌの意か。
3.弥間(ヤマ)の義
4.弥萌(イヤモエ)の約か。
5.弥盛(ヤモリ)の義
6.弥円(イヤマル)の義か。
7.弥土(ヤハニ)の義
8.弥穂生(イヤホナ)の義
9.ヤはいやが上に重なる意、マはまるい意
10.石群(イハムラ)の反
11.矢座(ヤマ)から出た語で、マは「場」と同じ。
12.アイヌ語から陸地の意

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何故か、どれもピンとこないのが正直なところ。秩父の三峯神社の宮司は、「ミネ」という言葉に拘り、当用漢字の「峰」では無く「峯」を使用している。それは「山」に対して尊敬の念を抱くから、山を頭に抱く「峯」という漢字を使用するのだと。時代に流されず、山を大切に思う気持ちからだ。その「山」というものが、上記の語源説にある「どこにでもあるヤマヌの意」である筈が無いと思われる。しかし決定打が無い為に、こういうとんでも説も語源辞典に記されているのが現状だ。

九州に、古代から星見の家系がある。その家系に伝わる文書には、「山はラマの転訛で、即ち水でもあった。」と伝えられていた。「ラマ」とは「lama」即ち「ラマ教」から来ているのだと。「la」は「生命の根源」を意味し「ma」は「託すもの」の意。生命の根源は水であり、それを託す存在が山であるとなったとしている。「ラマ」が「ヤマ」に転訛したというのは何とも言えないが、ただ山そのものが生命の根源であるという考えは納得するものだ。山は、動植物の故郷だと思われた節がある。そして人々に恵みを与えたり、人に災いをもたらす川の水を生み出すのもまた山である。つまり「山が水」という意は、「山が、生命の根源である水の器」であるという事になろうか。
f0075075_20135117.jpg

山で、思うところがある。伊弉諾と伊邪那美が「山と野の神」、つまり大山祇神と野椎神を生んだ後、軻遇突智を生み、伊邪那美はホトを焼かれて死んだ。その伊邪那美の血からいくつかの水神が生れ、また殺された軻遇突智の身体から、いくつかの山の神が生れている。その中の左手から生れた「志芸山津見神(しきやまつみのかみ)」に言及した話があった。

崇神天皇の都は「師木(しき)水垣宮」であった。垂仁天皇の都は「師木(しき)玉垣宮」であった。古代では、玉石は水を弾き土を固めるとして、波止めとして使用されたそうだ。つまり崇神天皇の都も、垂仁天皇の都も、水辺近くであったとされる。また安寧天皇の御名は「磯城(しき)津彦玉手(たまて)見命」で"玉手(たまて)"という意味は泊場の略とされている。師木(しき)玉垣宮に住む磯城津彦玉手見命とはつまり、湊の船の泊場を意味する名だとされる。となれば、崇神天皇の都は湊の水垣宮と考えてもおかしくはない。つまり「しき」とは湊を意味すると思って良いだろう。となれば山が水を意味するのならば「志芸山津見神」とは「水の湊」を意味するか。なれば、山そのものが水を意味するという事にも当てはまる。
f0075075_21222440.jpg

早池峯には、水神である瀬織津比咩が鎮座する。山に祀られるのは、山神では?と考えるのが普通だと思う。しかし、この瀬織津比咩という水神が祀られる場は、山中の滝か、山そのものに祀られる場合が多い。山が水の器であり、山そのものが水を意味するのならば、山に祀られるべきは水神でなくてはならないのだろう。
# by dostoev | 2017-10-16 21:38 | 「トイウモノ」考 | Comments(0)

金子富之展 -アジアの神々-

f0075075_1139384.jpg

金子富之氏から、個展の案内が届いた。今回は「アジアの神々」をモチーフにしているらしい。ただ日本の神々は、元々アジアの影響も受けている事から違和感は無いが、違いは神々への色使いが日本と比べるとサイケデリックになっているくらいだろうか。

会場は「ギャラリー桜林」「入場無料」のようだ。

期間 2017/10/15~2018/1/28
時間 10:00~16:30



〒309-1634

茨城県笠間市福原2081 
常陸国出雲大社境内 桜林館1F

Tel/Fax 0296-71-6700
Tel 0296-74-3000(社務所)
e-mail ohrin@izumotaisha.or.jp


・・・茨城県に出雲大社があるとは知らなかった・・・。大社? そして常陸国を強調している。歴史はどうなっているのだろうか?
# by dostoev | 2017-10-15 11:52 | 金子氏幻想作品 | Comments(0)

「青ノ木」トイウモノ

f0075075_19551772.jpg

以前「青ノ木」の意味という記事を書いた事がある。鬼が仰向けになって死んだ地であるから「仰向鬼」が「青ノ木)」になったとされる。その記事では、青には死の国に繋がるイメージがあり、鬼が帰る地でもあったのが「青ノ木」でもあった事から、恐らく「青」とは黄泉国の入り口を意味するのでは?とした。
f0075075_206285.jpg

筒井 功「青の民俗学」を読むと、著者は全国の「青」の付く地名を巡り、「青(アオ)」とは「オフ・オウ・アハ・アワ」でもある事を知り、それが葬送の地と結び付く事に気付いた。ただ全ての青がそうである訳では無いが、多くの事例から結論は出ないものの、青の意味を導き出そうとしている意欲的な本でもある。
f0075075_20153061.jpg

「青(アオ)」が「アハ」でもある事から一番古い例が「古事記」での伊弉諾が黄泉国が脱出し、禊をしたのが橘小門の「阿波岐原(アハキガハラ)」だった。近江国も元は「淡海(オウミ)」で「青(オウ)」で同じであるようだ。「古事記」では死んだ伊邪那美が「淡海の多賀に坐すなり」と記されている事から、やはり「オウ」は、葬送の地の意味合いを持ちそうである。ただ著者は「橘小門」の意味を見つけ出せずにいた。「儺の國の星」によれば、「たちばな」とは「上昇する熱気と水気によって、上空に虹暈或は陽のごとく浮かぶ雲霞の類であり…。」と記され、また「をど」とは「水没した噴火口の古称」であるとしている。簡単に説明すれば「橘小門」とは、「霧立った池」という意味になろうか。確かに、映画などでもそうだが、スモークが焚かれたシーンは神秘的に感じる。それが自然の熱気と冷気で出来た霧の立つ池や川は、まさに神秘的な禊場に思える。そこで伊弉諾は、死の穢れを祓った。これはつまり、三途の川に渡る逆バージョンでもある。三途の川も橘小門の阿波岐原も、死の国、黄泉国との境界にあるものなのだろう。自殺の名所で有名な"青木ケ原樹海"もまた、黄泉国への入り口のようでもある。
f0075075_2143256.jpg

ただ「青」は、そのまま埋葬地などだけの意味では無いだろう。例えば「青面金剛」は中世に確立されたようだが、古代においての青は黒と同じ認識であったようだ。
f0075075_21154980.jpg

確かに太陽が沈んだ後の、空と色と雲の色のグラデーションは、青と黒から成り立っている。ただ中世の頃の青というものは「水」を意味する色として認識されたようだ。恐らく「青面金剛」の「青面」は水を意味する筈である。陰陽五行においての黒色は北を示す色と共に、水を意味する色でもあった。その黒と青が同じとされたものが、中世になって明確に分離したのが今にも伝わる青色なのだろう。
f0075075_21312932.jpg

青が水を意味するのではと書いたが「青の民俗学」では、青木地名を調べると最後は縄文遺跡に辿り着くようだ。ただの遺跡では無く、石棺が数多く出土している事から、縄文時代の墓地であったろうと。

「万葉集巻第16の3889」の歌がある。


人魂のさ青なる君がただひとり

         あへりし雨夜の葉非左し思ほゆ
  

人魂は、その時代青いと考えられていたようだ。また「今昔物語」には、冥土の使者が青い衣を着ていた。これは「雨月物語」の「青頭巾」がやはり死して鬼になった僧でもあった事から、やはり青色は死をイメージしているようだ。
f0075075_21445558.jpg

それでは、遠野から笛吹峠の頂を過ぎた所にある、世界遺産にも登録された青ノ木という地名は、どうして付けられたのだろうか?冒頭でも紹介したように、鬼が死んだ地でもあるが、鬼が死ぬ間際に帰った地でもある。つまり、青ノ木は地獄の鬼の棲家でもあったのだと思う。その鬼とは、灼熱の蹈鞴を踏み、また山に穴を掘る鬼たちの棲家という事だろう。「遠野物語」にも紹介されている様に、笛吹峠には魔物が出るとされたのは、そこで働く鬼たちが旅人を襲ったからだともされる。大槌町の十一面観音堂に納められる呪いの十一面観音を見つける為に占った巫女は、まるで西洋の魔女の様な女性だった。その血筋は、青ノ木で働く白人系外国人であった。まさに、昔の日本人にとって、笛吹峠で大きな白人系外国人に遭遇すれば、それはまさしく鬼と思ったに違いない。その鬼の棲家が青ノ木であれば、それはこの世では無くなってしまう。まさに笛吹峠に地獄の入り口があったという事になるのかもしれない。やはり青ノ木は地獄であり、死者の国と信じられた為に「青ノ木」という地名が付けられたのかもしれない。
# by dostoev | 2017-10-14 21:59 | 「トイウモノ」考 | Comments(0)

空を見ると

f0075075_19292387.jpg

いろいろ調べる事があって、外に出てみた。今日の遠野は、午後になってから晴れ間が広がった。天気を予報は曇り時々雨の予報だったので、嬉しい誤算だ。空を見ると、変った雲があった。
f0075075_19323357.jpg

遠目で見ると、百足か何か長いモノに足が生えている様に見えたが、よくよく見ると皆で何かを担いでいる様にも感じた。雲は、自分の安易な?想像力を刺激してくれる。
f0075075_1935239.jpg

この変った雲を見る視点を右へと向けてみたら、幻日が出ていた。意外に気付かないものだ。
f0075075_19365620.jpg

雲の形もそうだが、こういう自然現象を見る為には、やはり空をいつも気にして見て無ければ発見出来ない。
f0075075_1939679.jpg

風により雲が流れ、太陽も光の加減や輝く位置が変るので、幻日もあっという間に見えなくなってしまう。これからもう少し、空に気をとどめておこうか…。
# by dostoev | 2017-10-13 19:41 | 遠野の自然(秋) | Comments(0)

ある秋の一コマ

f0075075_1732922.jpg

誰か倒れてる!?
f0075075_1783181.jpg

と思ったら、マネキンだった。しかし恰好が…。
f0075075_1793724.jpg

慌ただしく上空を、自衛隊ヘリが飛んでいた。
f0075075_17101839.jpg

この前は、釜石の山林火事でやはり自衛隊ヘリが消火活動の為に慌ただしく何度も飛んでいたのを思い出した。しかし、天気が思わしくない日が続く…。
# by dostoev | 2017-10-12 17:17 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

猿ヶ石川トイウモノ

f0075075_95847.jpg

猿ヶ石川の語源は、猿と石を見間違え「猿か?石か?」という稚拙な伝承となっている。古老によれば、猿ヶ石川源流に、その語源となった猿石があるというが、どうやら後付けであったようだ。

ところで猿と言えば「遠野物語」には、猿の経立、御犬の経立という化物が登場する。しかし考えてみれば、猿も御犬(狼)も、山神の使いである。ましてや猿は、比叡山の神の使いとなっている。元々比叡山は「ヒエの山」と呼ばれ、そのヒエは日枝、そして日吉でもある。東北を布教し、早池峯を支配した天台宗の総本山の比叡山。その"ヒエの使いとして猿の経立が伝わったとしても不思議では無いか。

ちなみに日吉大社の使いは「神猿(マサル)」で、昔「まさる」という名前の子供は、「サル」が付くからと馬鹿にされていた記憶がある。また遠野(とおの)高校は、略して「遠高(エンコウ)」と呼んでいた為に昔、他校から「猿猴(エンコウ)野郎!」と、やはり馬鹿にされていた。
f0075075_111766.jpg

気になるのは、猿ヶ石川が早池峯連峰を源流としている事。その猿ヶ石川の流域に、附馬牛と呼ばれる地名がある事。何故に附馬牛という地名が気になるかと言えば、猿が牛馬の健康を守ると信じられていたからだ。また「西遊記」で有名な孫悟空は弼馬温として、馬を護る仕事をしていた。つまり、猿ヶ石川という河川名は意図的に付けられ、それに沿うように牛・馬も飼育された可能性も考えてみたい。ちなみに、その附馬牛の語源由来は下記の通りとなる。

【槻馬牛】

この地には槻の大木があり、その下に牛や馬が群息していたので、槻の木の下の馬・牛という意により【槻馬牛(つきもうし)】と云われたと。


【突馬牛】

多くの馬・牛を放牧していたが、ある時に馬の大群と牛の大群が衝突し、共に傷つき倒れたので、衝突した馬・牛の跡として【突馬牛(つきもうし)】とも云われたと。


槻、つまりケヤキを「遠野市植物誌」でチェックすると、峠か殆ど神社などの神域に現存しているというのは、意図的に植えられた樹木であっただろうか。附馬牛町でケヤキが現存し、その伝承が残るのが稲荷神社のある小倉であり、この地だけをピックアップして槻馬牛→附馬牛となったとは考え辛い。「突馬牛」の地名の由来は、有り得ない話である。

伊能嘉矩「遠野馬史稿」を読むと、早池峰を中心とする周辺は、最も牧馬に適しているとある。実際に、周囲には五か所の牧場が開かれ、また、遠野で一番古いとされる駒形神社が荒川高原の入り口にあるというのは、馬の生産地の中心が早池峰周辺であった事を意味するのだろう。 ところで、遠野で一番古い荒川の駒形神社は、阿曽沼氏が蒼前駒形明神を祀ったのが始まりともされている。御神坂から神社前広場にかけてが阿曽沼氏の御料牧場であったとされている。
f0075075_13191333.jpg

その阿曽沼氏だが、同族に小山氏なるものがいる。その小山氏は阿曽沼氏と争い、阿曽沼氏所領を自領と訴えている。その小山氏は、琵琶湖の瀬田橋での百足退治をした藤原秀郷の末裔としても名高い。その小山氏が琵琶湖の瀬田橋の傍らに館を建てて、その一帯を取り仕切っていたのだが、その領地内で祀られている神社は佐久奈度神社であり、早池峯大神でもある同じ姫神を祀る神社である。

俵藤太の伝説は、大蛇と百足の戦いであるが、その大蛇と百足とは、採掘法の違う部族同士の争いを伝説化したものであるという説が一般的である。以前に「蛇と百足(諏訪神社縁起の疑問)」を書いたが、それを南部氏と阿曽沼氏の軋轢のようにも表したが、もしかして阿曽沼氏の建立した諏訪神社の由緒に書かれている「蛇の妖怪退治」の話を今考えれば、小山氏の事を指していたのではなかろうか?蛇に味方し百足を倒した小山氏の祖を貶める事、つまり小山氏を否定する為に建立されたのが諏訪神社であった可能性もあるのかもしれない。いや、やはり同族であるから、祖である俵藤太を貶めるという事は無いか…。
f0075075_13322637.jpg

柳田國男「山島民譚集」などで柳田國男は、諸国の著名な猿まわしの頭に、しばしば小山を名乗る者がいたと指摘している。筒井功「猿まわし被差別の民俗学」によれば、猿地名を調べて、その地に猿回しがいた事から、猿地名になった所もあるという。江戸時代の有力な猿まわしの家筋が「小山」を姓として採用していた事実を重要視している。

猿回しの発祥は、近江国の小野氏からの様である。その小野氏の本拠地は、近江国で先に紹介した小山氏の近くとなる。そして何故か両氏共に、二つ巴の家紋を有するのは出来過ぎだろうか?その小野氏の一部は古代に、小山氏と同じ下野国へと移住している。二荒山に伝わる大蛇に味方した猿丸大夫が、小野氏の系譜である事から、小野氏は俵藤太伝説との関連から小山氏と繋がっている可能性が高い。

実は、遠野での猿回しというと、実はピンと来ていなかった。ところが柳田國男「巫女考」で、盛岡藩に「店屋猿引」と呼ばれる賤民がいた事を紹介している。そして「遠野古事記」によれば「この地方(遠野市周辺)の守子は代々テンヤという一種の神人と夫婦であって、二人して祈禱の札を配りまた春の始めには春田打ちという舞を舞って初穂を貰った。」と記されている。説明によればテンヤとは、僧や山伏の宗教者では無く、俗態にて祈禱の守札を配ると説明している。また守子(モリコ)は祈禱・託言を業とする巫女で、イタコなどを指すようだ。

猿地名は知る限り、陸前高田の横田町にある猿楽。この猿楽にも、何故か早池峯の神を祀る神社がある。そして遠野は地名では無く河川名の猿ヶ石川となる。しばしば猿を飼う者を「猿飼い」とも呼んだと云うが、猿回しに縁が深い小山氏が遠野に於いてもしも「猿飼い氏(さるかいし)」と呼ばれれば、その音は「猿ヶ石(さるかいし)」と結び付く。小山氏と遠野の接点は、阿曽沼氏もあるだろうが、同じ神を祀っている信仰上の理由が大きいのかもしれない。猿回しは牛馬、特に馬の厄払いに特化していたとされ、つまり猿回しとは牛馬を専門に祈禱する巫女であるとされる。当初、猿を神の使いとする比叡山の天台宗に支配された早池峯に猿の話が無いのが不思議なくらいだ。それが唯一「遠野物語」に登場する猿の経立だとしたら、それこそ比叡山の神使であり、山王信仰の介入だと考えるべきか。

とにかく附馬牛を流れる猿ヶ石川という河川名の源流が早池峯から始まる事になったのは、牛馬を守る為の呪術として、阿曽沼氏か小山氏による命名では無かったかと考えてしまう。ただハッキリしないのは、小山氏が遠野に定着していたか否かなのだが…。
# by dostoev | 2017-10-10 17:45 | 「トイウモノ」考 | Comments(13)