遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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2018年 01月 13日 ( 2 )

キタガメ

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往時は今の土淵村を中心とし、松崎村の一部、附馬牛村の一部を総称してキタガメ(Kitagame)といへり。キタガメは、蓋し「日高見」即ち「北上(Hitakami=Kitakami)」と同源の夷語に出でたる地名として見るべき如し。

                    「遠野くさぐさ(キタガメ)」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
阿曽沼氏以前の遠野は、土淵が中心であった。その土淵から北へ伸びるラインの先に、早池峯が聳えている。早池峯神社の末社であった常堅寺の近くには、早池峯古参道跡が今でも残っている。それは、早池峯へと延びる北への道であった。日高見という語は、「東日流外三郡誌」で多く使用される言葉であり、また史書や祝詞にも日高見という語は、いくつか登場する。気になるのは、例えば遠野では「ひろ子」という名前の女性の場合、この名が転訛した場合「しろ子」もしくは「すろ子」と「は行」が「さ行」に転訛され呼ばれる場合がある。これが「ひたかみ」であれば、「しだがみ」または「すだがみ」と濁音を含んでの転訛が有り得る筈だ。故に伊能嘉矩の説に、違和感を覚える。また「竈神」はそのまま「カマドガミ」と発音する。「神」が「ガミ」と発音するのは、例えばそれが「北亀」であった場合、やはり「キタガメ」となり、普通であろう。つまり「キタガメ」は、そのまま「北亀」でいいのではなかろうか。ただ問題は、「北亀」が何を意味するかであろう。北の亀で思い出すのは、北を護る玄武であろう。ただ昔の遠野に、いきなり玄武と話しても通用しないと思われる。ただ「北を亀が護っている。」と伝えれば、ある程度は伝わるとは思うが、それがそのまま地名になるとは思えない。

それでは「亀」ではなく「甕」であった場合はどうだろう。北は、早池峯の麓とする猿ヶ石川の源流で、昔の猿ヶ石川は水量も豊富で、かなり広大であったらしい。松崎の松崎沼も養安寺の下まで広がる広大な池であったようだ。また附馬牛の大出(オオイデ)と小出(コイデ)はどうやら「生出(オイデ)」という水が涌き出る地名が変化し、大出と小出に分けられたようだ。本来はどちらも「オイデ」であったよう。土淵村を中心と考えた場合、土淵を流れる小烏瀬川と猿ヶ石川を比較した場合、余りにも川の規模が違う。そう考えると、土淵側から見れば、北に位置する松崎から大出・小出は、まるで水をなみなみと湛える甕の様でもある。もしかして「キタガメ」とは「北の甕」を意味するのではなかろうか。
by dostoev | 2018-01-13 19:02 | 民俗学雑記 | Comments(0)

「遠野物語92(早池峯への道程)」

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昨年のことなり。土渕村の里の子十四五人にて早池峯に遊びに行き、はからず夕方近くなりたれば、急ぎて山を下り麓近くなる頃、丈の高き男の下より急ぎ足に昇り来るに逢へり。色は黒く眼はきらきらとして、肩には麻かと思はるゝ古き浅葱色の風呂敷にて小さき包を負ひたり。恐ろしかりしかども子供の中の一人、どこへ行くかと此方より声を掛けたるに、小国さ行くと答ふ。此路は小国へ越ゆべき方角には非ざれば、立ちとまり不審する程に、行き過ぐると思ふ間もなく、早見えずなりたり。山男よと口々に言ひて皆々遁げ帰りたりと云へり。

                      「遠野物語92」

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「注釈遠野物語」によれば、この話を提供したのは土淵小学校校長鈴木重男(1881~1939)であったという。小学校の校長であるから、子供達から実際に早池峯へ行き、山男らしきと遭遇した話を聞いたのであろうとは思える。ただ「注釈遠野物語」にも書いている様に、土渕の早池峯参道から歩いたとしても一昼夜はかかる。ましてや、小学生の子供達の足でとなると、疑問に思うのが普通だ。ただしだ、早池峯というスケールをもっと大きく見積もれば、あながち嘘では無いのかとも思える。通常の早池峯山への道は、古参道通りに歩いて、早池峯神社経由で行くのが普通なのだろう。そうなればまず、子供足ではどう考えても無理だと思う。しかし、早池峯山ではなく、早池峯として考えた場合、例えば前薬師という名称からわかるように、早池峯があってこその薬師である。つまり、薬師もまた早池峯に属する山であると考える。

そして、現在の荒川高原へ向かう道もまた、早池峯への道となる。途中には不動明王を祀る神社があり傍には渓流と不動の瀧がある。修験者は、川沿いの道を開発して奥へと進み、途中にあった滝や大岩に大抵は「不動」という名前を付けて進んでいった。

荒川の不動明王を祀る神社の背後は萬幡(ヨロズバタ)という地名がある。そして何故か、早池峯であり薬師岳の麓にある又一の滝へと向かう途中もまた萬幡という同じ点名がある。この点名は古来からの呼称を、そのまま採用したようだ。又一の滝は、早池峯山と共に早池峯神社の御神体の一つでもある。つまり又一の滝も早池峯の山麓でありながら早池峯に属する地である。そういう意味から考えれば、荒川の不動明王を祀る神社と滝のある地もまた、早池峯に属する地と考えて良いのではなかろうか。
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土渕から、早池峯山までは歩いた事は無いが、果たしてどれだけかかるのだろうか?通常であれば、どこかで一泊して進むというのが一般的であろう。以前の冬、耳切山の中腹に車を止めて雪で埋まった道沿いを歩いて荒川高原の馬の放牧地まで歩いて行った事がある。雪のせいで難義した為に、車から往復8時間かかった。これが雪の無い道であれば、その半分で済んだであろう。それでは同じ8時間をかけて歩くなら、土渕の早池峯古参道跡の鳥居から、荒川までは恐らく往復8時間程度で済みそうな気がする。明治時代に水筒があったかどうか定かでは無いが、必要なのは水である。耳切山経由では、水場が道沿いには無い。ましてや、明治時代に道路が開発されていたのかも定かでは無いが、附馬牛町から進む荒川の道は、先に記した様に川沿いを山伏が開発した道であり、明治時代であるのならば当然、道もあった筈だ。土渕の早池峯古参道跡から附馬牛の町までは、歩いても1時間以内で歩ける距離にある。そこからは、いつでも水を飲む事が出来る、荒川渓流沿いの道を進むのが、子供達にとっても合理的な道であると思う。
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平成の初期に、荒川高原の道は舗装道路となり、タイマグラ経由で小国まで道が開発された。それ以前はでこぼこ道で、車で行くのにも、かなり難義した。そしてその途中、小国と小田越方面への分岐路がある。その分岐路まで歩くとしたならば、日の出前に歩き始めれば、休憩を数度交えても、昼までには到着するものと思える。であれば、小田越方面へとそこから進めば、早池峯登山口までの行程は可能であろう。その帰りの分岐点辺りで山男らしきと遭遇し、小国へ行くという言葉とは裏腹な方向へと進んだとしても、あの附近であれば、麓に近いという供述は納得できるものだ。よって土渕村の子供達は、荒川高原経由で早池峯山まで行ったであろうが、恐らく登山口まででは無かっただろうか。
by dostoev | 2018-01-13 16:52 | 「遠野物語考」90話~ | Comments(0)