既に「阿曽沼家乗」「阿曽沼興廃紀」そして「遠野古事記」「遠野市史」に書かれている事が全て偽書と暴かれ、偽書作りは南部家の御家芸と罵られた事実は、やはり隠しようがないのか。今まで遠野の歴史と呼ばれたものは泡と消え、謎だけが蔓延している。遠野に残っているものは、結局のところ伝承・伝説しか残っていない事となった。といっても、ほぼ南部時代である為、それ以前は未だ殆ど謎ではあるのだが。
いかに遠野の歴史を調べようにも、全てが偽書から起こされた文書であるなら、遠野を知るにはやはり伝承・伝説から掘り起こすしかないのだろうか?といっても、だいたいの概要はあっている筈であるから、細かな事象の真意を正していくのには、かなりの年月が必要になるのだろう。まあ考えてみれば、元々遠野は"ひょうはくきり"の世界でまかり通っている。ただ歴史までもが"ひょうはくきり"では、笑うに笑えないのではあるが。ただし信じられてきた信仰は、変わらないものだと思う。偽書作りが御家芸の南部家も、神仏の威光だけは改竄できないものであったろうから。