ところで「続日本記」には陸奥に丸子連と称する者がいたとなっている。実際丸子は、宮城郡の郷名にもなっているので、古代から丸子という人物が根付いていたのだろう。ただ丸子部は安曇郡とも呼ばれたようで、とすると安曇族の流れが来ている事にもなる。「麻呂」と「丸」が最終的に同義語となったとしても、もしかして「丸」は
単独で意味を成して、後で「麻呂」と結びついたのではないか?と考えてしまう。それだけ「マル」という意味は多様性があり過ぎる。古来に伝わっている「丸子」という姓が東北に伝わっていたというのなら、坂上田村麻呂の「麻呂」と、蝦夷の大武丸の「丸」とは、意味が違う為に表記を分けていた可能性もあるからだ。
ところで滋賀県では、団子の事を「丸子」と呼ぶようで、丸い団子を丸子とはなんとなく納得してしまう。丸子氏の名を調べると、熊野に辿り着き、餅を献じた穂積が丸子という姓になったとの事である。ただ宮城の丸子部は恐らく投槍(何故かマリヤと言う)から発生し、そこに住む部族は、山を拠点とする勇猛な部族だったという説もある。この部族が蝦夷の原型だとしたら、丸子部の丸が蝦夷によく付けられる大武丸や人首丸、または岩武丸の丸と付けられた関連があるのかもしれない。ところで宮城の丸子部は、さらに以前は和仁古部と言われたらしい。つまり丸子の以前は、和邇氏に行き着くようだ。ちなみに「ワニ」となると思い出すのが「因幡の白兎」の話だ。ワニを騙して島から島へ渡ったが、途中騙されたと気付いたワニに全ての毛をはがれてしまう…。
「ワニ」は、中国地方へ行くと「フカ(鮫)」の事をワニというので、因幡の白兎は鮫の背を渡ったのだろうという説がある。日本にはワニは生息しないので、鮫と考えるのはもっともな話だ。ところがミクロネシアに行くと「マル」もしくは「ワニ」は「船」を意味する言葉だと言うのだ。ならば、因幡の白兎は船を渡って来たという事だったのかもしれない…。