昔、この辺りで戦があり、戦いに敗れた侍が疲れ切った様子でこの地へ逃げ延びてきた。水を飲もうと小川に立ち寄ると、美しい女性が洗濯をしていた。
「今、戦あって私は負けて逃げてきた。お前も
洗濯を止めて山の方にでも逃げた方が良い。」すると、その女性は洗濯の手を止めてじっと侍を見ていたが、
「お前のした戦は正しい。私がこれから
助太刀をいたそう。もう一度戻って戦をしなさい。」と言うと、その姿は消えるように見えなくなってしまった。これは神のお告げと信じた侍は、再び戦えば勝てると信じ、散り散りになった兵を集め再び戦い、勝利した。その後、再びその女性のいた場所に戻ると兜の形をした石があった。その兜石を丘の上に運び、松の根元に置いて拝んだという。それから後は、侍がその石の前を通る度に、必ず下馬して拝んだそうである。それから、何百年か過ぎた明治の末頃、この近くで火柱が立ったそうだ。その火柱の周りには神官のような白い衣装の者や、黒い装束の笠を被った僧侶の様な者が飛んで見えたなどの噂が立ち、そこでイタコに占ってもらった。
「私は兜石である。皆に拝まれたいものと思い、シルマシをした。」さてこれは、神のお告げであると、この辺一帯に呼びかけ寄付を集め、大正二年にやっとお堂が建ち、皆でこの兜明神を祀る事となった。その頃のお金で二十五円かかったそうであった。木挽きの賃金が当時、1日20銭~30銭の手間だった時代の話であった。ちなみに、この兜石の形は烏帽子兜を現しているのだろうか。