丹内山神社で有名なのは東和町だが、元々は谷内権現、もしくは種内権現と呼ばれていたのを、明治になって丹内山神社と変わったのだそうな。遠野の丹内山神社も、そういう流れとなったのかもしれない。
昔、領民の税金が重く、苦しみに耐えかねた領民3名が首謀者となり、この丹内神社に集まった後に、お上に対して税金を軽くするよう嘆願したのだが、お上の怒りに触れ、神社は資格を止められ、首謀者三人は死刑となったという。
お咎めを受けた神社には、村民がはばかって参詣をしないまま現在に至ってしまい、茅葺屋根は一部落ちてしまい、内部も荒れ放題となってしまっている。