阿曽沼が光興寺の横田城に居を構えていた頃、猿ヶ石川、早瀬川、来内川の合流点に愛宕淵という大きな淵があった。湿地帯に続いて優秀な牧草が生えていたので、武家達は馬の放牧にその地を使っていたのだと云う。ところが頻繁に、馬の事故が起こった。横田城内では河童の仕業であると断定し、河童討伐の協議が決まり、近く河童征伐をする事となったのだという。
その翌日の事で、あったそうな。早朝に門前に、秋田蕗の葉の上に、ヤマメ、イワナ、ウナギが山程盛られ、その側に見慣れる奇妙なものがあったと。城内では、河童が改心して悪事を行わないから許して欲しいとの懺悔からの貢物であったのだろうとなった。その為、河童征伐は中止となったが、それと共に、馬の事故もぷつりと途切れたのだと云う。ところで奇妙なものとは、どうやら河童の指のようで、河童の誠意に感銘した阿曽沼は、その河童の指を、後に馬の安全と畜産の振興を図る為に、駒形神社に奉納し、その駒形神社の周囲を御料牧場としたのであったそうな。しかし時代と共に、その
「河童の指」は不明となったそあうである。