平倉地内の平野原、宇南林、地崎などに、七つの大石が点在していたという。これは、花崗岩で、畳2枚程もある扁平な大石で、平倉部落公民館の橋桁が、そのうちの二つであったらしい。慶長6年(1601)9月、赤羽根峠合戦の際に戦死した者の墓であると伝えられてきたが、今この大石はの行方は不明であるそうだ。 ところで七つ石というと、奥多摩の七つ石を思い出す。これは平将門の影武者ゆかりになるが、まさか遠野で平将門というわけじゃないだろう…。
ただ北斗七星関連、もしくは聖数である七つにわけての鎮魂の意味から七つ石とか七人塚とかがあるので、誰かの鎮魂…あるいは封印の意味からの七つ石だとは思うのだけど…七つの石に分けて祀る墓というのは、よほどの人物だと推測してしまう。そこまでするとしたら…誰だ?