遠野の昔、狐がいた。今もいるにはいるが、昔のように人間を騙してくれない。昔のように化けてはくれないのだ。今の人々は、狐が人間を騙すなんて?と考える筈である。確かに、自分もそう思っていた。が、最近あるおじいさんから
「いや~っ。昔は良く騙されたもんだ。」とか、まだ50才位のオバサンから
「わたしが小さい頃、よく狐の嫁入りを見たわ。」などと、本当に昔あったかの様にまじめに話してくれた。果たして昔、本当に狐は?である。
狐がいつ頃から日本に生息したのかわたしは知らないが、初めて狐に〃きつね〃という名称が付いたのは『日本霊異記』にある物語が最初である。まあよくある異類女房の話しではあるが、最後の〃おち〃がどうも笑ってしまう。人間の女となった狐とある男が結婚し子供を設けたのだが、いつの日か狐という事がバレてしまう。しかし男は、子供まで設けた狐に対して思い入れが深くなっているので、男曰く
「俺はおまえとの間に子供までも設け、決して憎いとは思っていない。だから、
いつでも来て、寝にくるがよい。」この〃いつでも来て、寝にくるがよい〃この男の言葉が、狐の語源だというのだ。なんとも馬鹿らしく、笑ってしまう。まあもともと、動物の名前の語源など結構いい加減ではある。例えばカンガルーだけど、昔オーストラリアを調べにきた学者が現地人に
「あの動物の名前はなんというのかね?」と聞いたところ、現地人曰く
「カンガルー?」と答えたそうだ。
現地語で「カンガルー」は「わからない」という意。また蛇は、昔カガとかカガチと呼ばれており『古事記』では、今の鏡を蛇の目として畏怖され尊敬されていた。そう、今の鏡が蛇の目なのである。カガの目が語音変化して、今の鏡となったのである。それだけ尊敬され、畏怖された蛇だから日本人は毎年正月に蛇を飾る。鏡餅は蛇のとぐろを巻いた姿であり、注連縄は、蛇の交尾の姿からきている。狐の話しが横道に逸れてしまったが、とにかく狐もまた様々な話しがあり、伝説がある。まあ狐は日本ではどちらかというと〃稲荷信仰〃で親しまれている。元々の狐の化け話しは〃稲荷信仰〃の元である、中国の陰陽五行から始まっている。狐は中国でいう〃后土〃という大地の神様みたいな者の使いなそうである。それは、狐の色から来ているそうだ。油あげを供えるのも、狐の色をもじっている。そうしていつの間にか日本では元の神様である〃后土〃を忘れ、狐を信仰していた。とにかく狐は大地を司り、豊饒の神の使いなのである。
蛇足ではあるが、では何故お稲荷様の鳥居の色は赤なのかというと、これも陰陽五行説の『火をもって、土を生ず』から来ている。つまり、火がなくては、土は生まれ
ない。野焼の後に豊かな土になるように、大地が潤う為には火が必要なのである。あとはせっせと畑を耕したり、神に祈ったりして努力する事。そうすると、大地は実り、豊作になり「ああ、良かったな~っ。」となるのである(^^;