早瀬川の畑の中に大小二基の円形の積石の塚があったといい、古来からここは
地震の来ぬ処と伝えられていた。
塚の構造は、早瀬川の川石で地面に丸く基礎を造り、その上に川石を積んだも
ので、その上に登ったり腰をかけたり、汚したりすると事は禁じられていた。
伊能の「遠野史叢」では上郷に二箇所、不地震地帯を紹介しているが、実のとこ
ろ不地震地帯と呼ばれる場所は上郷に5箇所もある。避難の森が雛の森、安堵
の森が安堵森という転訛&転化はあれど、昔は火事と地震に対する恐怖は当然
あったわけで、各部落単位にそういう不地震信仰が創られたのかもしれない。
そしてもう一つ考えられるのは、中世に築かれた”館”。最近、後の日本における
様々なオカルティックな思想というものの下地が、中世に確立したようであり、感
覚的に近世と中世は陸続きのように皆、思いがちだけど、実は中世という時代は、
今の自分達の感覚とはまったく異なった世界が展開されていたようなので、まさに
中世は、まだまだよくわからない“暗黒時代”みたいなもの。古代史の延長上にある
中世は、簡単には紐解けないが、古代よりも文献が手に入るので、まだ引き寄せら
れるものがある。
だから”館”そのものの成立思想をもっと掘り下げて検証すべきなのだろうと思う…。