遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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猿ヶ石川トイウモノ

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猿ヶ石川の語源は、猿と石を見間違え「猿か?石か?」という稚拙な伝承となっている。古老によれば、猿ヶ石川源流に、その語源となった猿石があるというが、どうやら後付けであったようだ。

ところで猿と言えば「遠野物語」には、猿の経立、御犬の経立という化物が登場する。しかし考えてみれば、猿も御犬(狼)も、山神の使いである。ましてや猿は、比叡山の神の使いとなっている。元々比叡山は「ヒエの山」と呼ばれ、そのヒエは日枝、そして日吉でもある。東北を布教し、早池峯を支配した天台宗の総本山の比叡山。その"ヒエの使いとして猿の経立が伝わったとしても不思議では無いか。

ちなみに日吉大社の使いは「神猿(マサル)」で、昔「まさる」という名前の子供は、「サル」が付くからと馬鹿にされていた記憶がある。また遠野(とおの)高校は、略して「遠高(エンコウ)」と呼んでいた為に昔、他校から「猿猴(エンコウ)野郎!」と、やはり馬鹿にされていた。
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気になるのは、猿ヶ石川が早池峯連峰を源流としている事。その猿ヶ石川の流域に、附馬牛と呼ばれる地名がある事。何故に附馬牛という地名が気になるかと言えば、猿が牛馬の健康を守ると信じられていたからだ。また「西遊記」で有名な孫悟空は弼馬温として、馬を護る仕事をしていた。つまり、猿ヶ石川という河川名は意図的に付けられ、それに沿うように牛・馬も飼育された可能性も考えてみたい。ちなみに、その附馬牛の語源由来は下記の通りとなる。

【槻馬牛】

この地には槻の大木があり、その下に牛や馬が群息していたので、槻の木の下の馬・牛という意により【槻馬牛(つきもうし)】と云われたと。


【突馬牛】

多くの馬・牛を放牧していたが、ある時に馬の大群と牛の大群が衝突し、共に傷つき倒れたので、衝突した馬・牛の跡として【突馬牛(つきもうし)】とも云われたと。


槻、つまりケヤキを「遠野市植物誌」でチェックすると、峠か殆ど神社などの神域に現存しているというのは、意図的に植えられた樹木であっただろうか。附馬牛町でケヤキが現存し、その伝承が残るのが稲荷神社のある小倉であり、この地だけをピックアップして槻馬牛→附馬牛となったとは考え辛い。「突馬牛」の地名の由来は、有り得ない話である。

伊能嘉矩「遠野馬史稿」を読むと、早池峰を中心とする周辺は、最も牧馬に適しているとある。実際に、周囲には五か所の牧場が開かれ、また、遠野で一番古いとされる駒形神社が荒川高原の入り口にあるというのは、馬の生産地の中心が早池峰周辺であった事を意味するのだろう。 ところで、遠野で一番古い荒川の駒形神社は、阿曽沼氏が蒼前駒形明神を祀ったのが始まりともされている。御神坂から神社前広場にかけてが阿曽沼氏の御料牧場であったとされている。
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その阿曽沼氏だが、同族に小山氏なるものがいる。その小山氏は阿曽沼氏と争い、阿曽沼氏所領を自領と訴えている。その小山氏は、琵琶湖の瀬田橋での百足退治をした藤原秀郷の末裔としても名高い。その小山氏が琵琶湖の瀬田橋の傍らに館を建てて、その一帯を取り仕切っていたのだが、その領地内で祀られている神社は佐久奈度神社であり、早池峯大神でもある同じ姫神を祀る神社である。

俵藤太の伝説は、大蛇と百足の戦いであるが、その大蛇と百足とは、採掘法の違う部族同士の争いを伝説化したものであるという説が一般的である。以前に「蛇と百足(諏訪神社縁起の疑問)」を書いたが、それを南部氏と阿曽沼氏の軋轢のようにも表したが、もしかして阿曽沼氏の建立した諏訪神社の由緒に書かれている「蛇の妖怪退治」の話を今考えれば、小山氏の事を指していたのではなかろうか?蛇に味方し百足を倒した小山氏の祖を貶める事、つまり小山氏を否定する為に建立されたのが諏訪神社であった可能性もあるのかもしれない。いや、やはり同族であるから、祖である俵藤太を貶めるという事は無いか…。
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柳田國男「山島民譚集」などで柳田國男は、諸国の著名な猿まわしの頭に、しばしば小山を名乗る者がいたと指摘している。筒井功「猿まわし被差別の民俗学」によれば、猿地名を調べて、その地に猿回しがいた事から、猿地名になった所もあるという。江戸時代の有力な猿まわしの家筋が「小山」を姓として採用していた事実を重要視している。

猿回しの発祥は、近江国の小野氏からの様である。その小野氏の本拠地は、近江国で先に紹介した小山氏の近くとなる。そして何故か両氏共に、二つ巴の家紋を有するのは出来過ぎだろうか?その小野氏の一部は古代に、小山氏と同じ下野国へと移住している。二荒山に伝わる大蛇に味方した猿丸大夫が、小野氏の系譜である事から、小野氏は俵藤太伝説との関連から小山氏と繋がっている可能性が高い。

実は、遠野での猿回しというと、実はピンと来ていなかった。ところが柳田國男「巫女考」で、盛岡藩に「店屋猿引」と呼ばれる賤民がいた事を紹介している。そして「遠野古事記」によれば「この地方(遠野市周辺)の守子は代々テンヤという一種の神人と夫婦であって、二人して祈禱の札を配りまた春の始めには春田打ちという舞を舞って初穂を貰った。」と記されている。説明によればテンヤとは、僧や山伏の宗教者では無く、俗態にて祈禱の守札を配ると説明している。また守子(モリコ)は祈禱・託言を業とする巫女で、イタコなどを指すようだ。

猿地名は知る限り、陸前高田の横田町にある猿楽。この猿楽にも、何故か早池峯の神を祀る神社がある。そして遠野は地名では無く河川名の猿ヶ石川となる。しばしば猿を飼う者を「猿飼い」とも呼んだと云うが、猿回しに縁が深い小山氏が遠野に於いてもしも「猿飼い氏(さるかいし)」と呼ばれれば、その音は「猿ヶ石(さるかいし)」と結び付く。小山氏と遠野の接点は、阿曽沼氏もあるだろうが、同じ神を祀っている信仰上の理由が大きいのかもしれない。猿回しは牛馬、特に馬の厄払いに特化していたとされ、つまり猿回しとは牛馬を専門に祈禱する巫女であるとされる。当初、猿を神の使いとする比叡山の天台宗に支配された早池峯に猿の話が無いのが不思議なくらいだ。それが唯一「遠野物語」に登場する猿の経立だとしたら、それこそ比叡山の神使であり、山王信仰の介入だと考えるべきか。

とにかく附馬牛を流れる猿ヶ石川という河川名の源流が早池峯から始まる事になったのは、牛馬を守る為の呪術として、阿曽沼氏か小山氏による命名では無かったかと考えてしまう。ただハッキリしないのは、小山氏が遠野に定着していたか否かなのだが…。
by dostoev | 2017-10-10 17:45 | 「トイウモノ」考 | Comments(13)
Commented by ishiwa at 2017-10-12 07:44 x
dostoevさん、初めまして

いま、キャスリーン れインの「巫女」と言う詩の原文を探していて、
ここにたどり着きました。
古い話で恐縮ですが、こちらの遠野物語245 2011、11、22でこの詩を見つけました。

もしご存知でしたら、キャスリーン レインのスペルと、原題を教えていただけないでしょうか。

どの項目も、大変丁寧に、興味深く、最初から読ませて頂きたいと思います。

どうぞよろしくお願い致します。 
Commented by dostoev at 2017-10-12 12:57
ishiwaさん、はじめまして。

日本語訳キャスリン・レインの詩集には、原題が記されていません。またキャスリン・レインの名前の英語名のスペルも記されていませんが、唯一訳した佐藤さんへ宛てたサインだけが巻末にありましたので、下記のURL記事にその画像を添付しました。

http://dostoev.exblog.jp/8980894/
Commented by ishiwa at 2017-10-12 15:12 x
dostoevさん、
こんなに早く、有り難うございました。
Kathleen Raineですね。
Cathrine,Kathryn、、、と色々調べてみたのですが解らなくて、、。
本当に助かりました。
原文を知りたいので、この名前から調べてみようと思います。有り難うございました。
 
ishiwa
Commented by 鬼喜來のさっと at 2017-10-12 16:15 x
江刺氏の陪臣であった江刺郡人首城主・人首氏は下野小山氏の流れを組むとも言われ、室根山の裾野、気仙郡境の阿弥陀峰に宝鏡寺の前身となる庵寺を開山した虎渓良乳は、一説にこの人首氏の流れと伝えられます。俵藤太こと藤原秀郷の後裔を称した太田氏を出自とする小山氏は、下野国守護職を務め、一説に藤原秀郷の嫡流と考えられているほどの名門であったが、小山義政の代に鎌倉公方足利氏満や宇都宮基綱と対立した結果、滅亡に追い込まれる(小山氏の乱)。小山氏と同族であった結城基光は鎌倉公方に従って戦い、小山氏が有していた旧領と下野守護の地位を得る。だが、基光は自分の子である泰朝を当主として小山氏を再興させ、結城氏の影響下に置いたとありますね。参考まで。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2017-10-12 16:42 x
この小山氏最後の嫡流の当主となった小山若犬丸は、奥州の田村庄司田村氏の庇護を受け、新田氏や奥州の南朝勢力とと共に反旗を翻し、応永四年に会津にて自害したといいいますから、小山氏の乱や結城合戦後に一族家臣団が奥州一帯に土着した可能性があります。江刺氏被官人首氏は、葛西氏一門であり陸奥国江刺郡岩谷堂城主であった江刺氏の支族で、南北朝以来の在地地頭である。人首氏の出自については肥後の菊池一族とも、下野の小山一族とも言われるが詳細は不明である。応永七年(1400)に正法寺入りした笑厳彗忻和尚も人首一族から出たので、正法寺に田三千苅を寄進している(『正法寺譜住山記』)。ただし『内史略』の江刺系図では、人首氏は岩谷堂城主、江刺三河守重胤の二男如清の分立とあって、戦国期の家となっている。『奥州葛西動乱記』には、葛西氏の配下に人首権太夫なる者の名が見え、その後、天正十八年(1590)に主家葛西氏と江刺氏が豊臣秀吉の奥羽仕置によって改易所領没収になると、当時の人首城主である人首平十郎盛恒は宗家・江刺氏と命運を共にし、人首城を退去した。また、『仙台古城書上』には天正年間(1573~1592)に安蘇修理(一説には国重)が人首城主であるとしている。この安蘇修理なる者が人首氏とどのような関連があったか明らかではない。とあります。
Commented by dostoev at 2017-10-12 17:42
さっと氏、情報ありがとうございます。歴史に詳しい人物に聞いたところ小山氏の気配が無いと聞いていましたから、この情報を元に、いろいろ調べてみます。
Commented by ishiwa at 2017-10-12 18:05 x
dostoevさん、こんにちは

見つかりました。
kathleen Raine "The Pythoness"でした。
本当に助かりました。
有り難うございました。

ishiwa
Commented by dostoev at 2017-10-12 19:08
ishiwaさん、良かったですね。しかし"魔女"という意味もあったのですね。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2017-10-12 22:11 x
人の首と書いて人首とは何とも物騒な名であるが、人首の名称の由来は古く、平安初期の延暦年間に桓武天皇の命によって行われた征夷大将軍、坂上田村麻呂による東夷東征の頃に遡る。伝説によれば、延暦二十年、坂上田村麻呂は平泉の達谷窟に棲む悪路王を磐井で、弟の大武丸を栗原で誅殺するが、大武丸の子(悪路王の子とも)の人首丸(ひとかべまる)は難を逃れ、現在の江刺区米里にある大森山付近まで落ち延びると、再び抵抗を始め、四年間に渡って朝廷との抗争を続けた。人首丸の名は鬼でありながら、美しい美少年の面立ちをしていたことから名付けられたと言われ、これが人首の地名の起こりと伝えられる。
その後、人首丸は大同元年の秋、田村麻呂の弟、或は娘婿とも言う田原阿波守兼光によって捕らえられて斬首され、遺骸は大森山山中に埋められた。その武勇を惜しんだ兼光は桂の木を伐って聖観音像を刻み、人首丸の墓の傍らに御堂を立て観音像を安置し、懇ろに供養したと伝えられる。江刺区米里の大森山には人首丸の墓碑と伝えられる一基の自然石の板碑が残されており、背後には田村麻呂(田原兼光とも)が戦勝の記念と、人首丸の供養のため聖観音を祀ったことに始まるという大森観音堂の跡がある。
江刺三十三観音霊場四番札所に数えられる江刺区玉里字大森前の大森観音は、前述の大森観音堂が高山にあることから参詣人も少なく、堂宇も度々野火に遭って焼失したため、維持管理することが困難と判断した村民は、嘉祥二年(849)に慈覚大師円仁が興しその後廃寺となっていた大森山大林寺の跡にこれを移し十一面観音祀ったのが始まりと伝えられる。
江刺三十三観音霊場十八番札所に数えられる江刺区米里字坂本の人首山ノ上観音もまた、人首丸の菩提を弔うために建立されたと伝えられ、堂内には平安時代末の作と推定される十一面観音立像二躯、天部立像、近世の作と推定される神形坐像、僧形坐像が安置、また棟札も寛文八年の銘があるものを始め多く納められている。

気になるのは人首丸を生け捕りにし処刑したのが坂上田村麻呂の弟の田原阿波守兼光と言う人物であるという事で、田原の姓は俵藤太に通じる名であり、坂上苅田麻呂を出自とする田村庄司田村氏(※一ノ関藩主田村氏はその後裔)が先述のように小山氏の嫡流である小山若犬丸を匿い、奥州探題斯波氏に反旗を翻した史実から考え合わせると、奇妙な符合をみせているといえます。
Commented by dostoev at 2017-10-13 19:50
遠野市小友町の藤沢の滝の裏を延々と江刺方面の山に向かうと行程は大変ですが、人首丸の墓所に着きますよ。ただこの時代、坂上田村麻呂も含め、定かで無い面が多々ありますので参考までにしておきます。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2017-10-13 22:24 x
下野小山氏は奥州菊田荘を始め、奥羽にいくつか領地を持っていたようなんですが、小山氏の乱に含まれる、小山若犬丸を匿った田村庄司の乱についてWikipediaに「小山若犬丸が頼った小田氏や田村庄司氏は、ともに臨済宗幻住派の復庵宗己の法統(「大光派」と称される)とつながりがあり、最終的には敵対する側に立った三春田村氏・蘆名氏など若犬丸の逃亡経路上にある諸氏も同法統とのつながりが深かった。」と大変興味深い記述がありました。Wikipediaには「幻住派は中国の臨済宗楊岐派の禅僧・中峯明本(幻住道人)の系統のことで、幻住道人が庵居する室名を幻住庵と称したことから、この名前が付いた。鎌倉時代末期に日本に伝わり、元々は隠遁的な性格の派であったが、戦国時代に入る頃からは勢力を広げ、関東一円に展開するまでになった。曹洞宗とは密接な関係にあり、中世末期の曹洞宗が特徴的に使用伝授していた血脈や大事を幻住派も相承していた。」とあり、人首一族の出とされる正法寺三世虎渓良乳や笑厳彗忻が黒石正法寺に入山したのは、小山氏に助力したこの臨済宗幻住派との関係があったからかもしれません。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2017-10-13 23:55 x
正法寺七不思議のひとつに数えられる「雨乞い観音」こと、飛竜観音の掛け軸は善女竜王、即ち白山菊理姫と同体と考えているんですが、この絵を描いたとされる雪村周継は小山犬若丸を助けた臨済宗幻住派の僧復庵宗己禅師と同じ常陸の結城出身であることから関係が深い人物なんですね。もっともこの軸は天正年間に結城所縁の人物により正法寺に収められたとあり、雪村の真筆かどうかは不明ですから、ちょっと弱いんですが、面白い事に千葉県大多喜町の里山の麓に鎮座する古刹、臨済宗妙心寺派佛日山円照寺の創建は、天智天皇九年(670)と伝えられ、十四世紀中頃には復庵宗己が臨済宗に改宗し、房総半島の禅道場の中心になったとされていて、ここに復庵宗己が大陸より持ち帰ったとされる白い大蛇の話と忠義の犬型の話が伝わっていることから、白山信仰と臨済宗幻住派とは、何らかの因果関係があったことは間違いないとみているんですよ。
Commented by dostoev at 2017-10-15 08:42
「雨乞い観音」のモチーフは、形を変えて全国にありますので、特別珍しい絵では無いですね。また白山の主祭神を菊理媛神にしたのは、鎌倉時代以降になってからです。それ以前は、違う神でした。また白蛇の歴史は「日本書紀」にも書かれている様に日本にはかなり古くからあるので、あまり気にする事は無いかと思います。
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