遠野の光興寺に、
「瘧おろしの夫婦石」という石が、藪の中に立っている。古老によれば、この石に付着した苔を煎じて飲めば、薬効があったと伝えられていたそうだ。それと似た様なものが松崎に
「無字碑」と呼ばれるものがあり、石碑の様に見えるが、文字は何も刻まれていない。共通するのは、
「瘧病(おこりやまい)」を治すというもの。瘧病とはマラリアの事で、現在の遠野の街がまだ人が住まない頃は、尾瀬みたいな湿地帯だったと云われる。その為、蚊を媒介とする病が多く発生していたのだろう。
無字碑は現在、寄り添ってあった古木も朽ち果て切り株だけとなり、その古木の支えが無くなった為か、今にも倒れそうなのをどうにか維持している。
ところで
「延喜式」や
「和妙抄」に
「少名彦薬根(スクナヒコナノクスネ)」という薬草が記されている。これは別に
「岩薬(イワグスリ)」とも
「石斛(セッコク)」とも呼ばれる。画像は、ウィキペディアから。
さて少彦名命だが、薬の神としても有名だ。遠野の程洞神社跡には以前、宮家の人間が住みつき、薬師如来を信仰し、通常の医療行為に信仰の力も加えて、庶民の怪我や病気を看てきたという。その薬師(やくし)は薬師(くすし)でもあるのだが、その根源は少彦名命に後から薬師信仰が重なった為であるようだ。
「古事記」の一節に、下記の様な歌がある。
この御酒は わが御酒ならず 酒の司(くしのかみ) 常世にいます
石立す 神寿き 寿き狂ほし 豊寿き 寿きもとほし 献りこし御酒ぞ
乾さず食せ ささ酒を「くし」と読んでいる事から、古代は酒を薬と考えていたようだ。現実としても、ほどほどの酒は薬として認識される場合もある。また平安時代に編纂された
「日本文徳天皇実録」にも少彦名命の話がある。それは、海岸に怪しい二つの石が立ったので、神懸りの者に聞くと
「自分は大己貴命、少彦名命である。民を救う為にやってきた。」と述べた。「古事記」の歌にも「石立す」と記されている事から、少彦名命は石立つ神であるようだ。
先に紹介した少名彦薬根という薬草も、別名が岩薬というのも岩に着生する性質を持つ薬草の為であった。ここで重要なのは、石に着生するという事。そして、その岩は立っているという事が重要。少彦名命は
"石立つ神"として認識されていたよう。つまり、立石か。光興寺の石に付いた苔を煎じて飲めば薬効があったと伝えられるのは、立った石である為に、その石そのものが神と認識されたのだと考える。松崎の石などは「無字碑」と云われるが、要は石碑では無く、神として認識された石であったろう。その神と認識された石だからこそ、その石に付いた苔を煎じて飲めば薬効があると信じられたのだと思う。松崎の石も、光興寺の石も、どちらにも文字が刻まれていないのは、人為的な石ではなく、神が降臨した自然石であると信じられたからだろう。