山谷観音堂には、何故か金毘羅の石碑が多い。最近石碑をまとめたのか、鳥居の手前に石碑が並んでいるが、殆どが金毘羅の石碑である。その金毘羅の石碑は、本堂の側にもある。ただ金毘羅の石碑は、山谷観音堂だけに限定するものではなく、遠野市全体に多くの金毘羅の石碑がある。これは現代の遠野よりも、昔の遠野の河川の水が豊富で、その川を利用した仕事が多く、それに比例して水難事故も多かったようだ。その水難事故を防ぐ為、金毘羅講は江戸時代に流行し、遠野からも多くの人達が金毘羅参りをしたようだ。
何故に山谷観音堂に、これだけの金毘羅碑があるのかというと、山谷観音堂に祀られている十一面観音像に、その理由がある。
十一面観音の功徳の一つに
「水難に遭わない」というものがあり、これが金毘羅神の御利益と重なるものであるからだろう。
元々十一面観音には、水に関する霊力がある。東大寺で行われる
"十一面悔過法要"は、十一面観音に、一年の罪や過ちを懺悔するという法要である。それはつまり
「罪を水に流す」という意味である。今でも
「過去の事は水に流そう」という言葉があるように、古来から日本人は、罪や過ちを悔い改め、水に流してきた。その水に流す霊力を持っているのが十一面観音である。
古来より、穢祓とは水によって行われた。禊の原型は、海神族が海に浸かった事から発生したとされている。日本全土を、取り巻く海。その海で発生した水蒸気は、雨雲となって地上に降らせる。その雨水は、山が貯えて、ゆっくりと小さな山の沢へ流し、いくつもの川を結んで大河を経て、海へと注ぐ。ただ古来では、水の発生は海では無く、山から発生すると考えられたようだ。小友町から見える物見山は、桂の木の林があり、沼がいくつもあり水が豊富であったそうだ。その水の象徴でもある桂の木から十一面観音を彫ったという事は、水の霊力を期待してのものであったろう。前回書き記したが、神が宿る樹木からどういう観音像を彫るというのは、その観音像の奥に秘められた神を彫るという行為でもある。桂の木から彫られた十一面観音像とは、その奥に水神が宿っていると考えるべきだ。この山谷観音堂もまた、水の御利益を期待してのものであったのが理解できる。