遠野生まれの遠野育ちでありながら、自分には遠野の血はまったく入っていない。両親がどちらも、久慈出身な為だ。久慈といえばもう数年前になるか、全く観てはいなかったがNHKの朝の連続ドラマ「あまちゃん」の舞台で有名になった、岩手県の北に位置する海の街でもある。
自分の知っている有名な久慈は、柔道の三船十段か琥珀くらいだった。その
「ひさしくいつくしむ」「久慈」の語源はどこから来ているのか謎になっている。
「久慈市史」を読んでも不明とされていた。もしかして、茨城県の久慈と関係があるのでは無いかとも考えたが、確証が無い。ところがある時、星に関する民俗の本を読んでいると
「久慈星」というものを発見した。どうやら、天文暦象の諸事一般を載せた書を
「日爾雅(くにが)」というらしいが、古事記編纂の時代に北辰が天上天下の根源を為す信仰が広がり、いつしか斗極(北辰)に久慈星という名が冠せられたのだと。つまり「日爾雅(くにが)」の
「日爾」は
「くじ」とも読む。しかしこれでも、久慈市の久慈がここから来ているかといえば、少し弱い。ところが久慈という名称に、また別の説があった。
「儺の國の星」によれば筑紫では亀の呼称を
「鼈龜(ぐず)」あるいは
「渠師(ごうず)」と呼んでいたようだ。倭人はその音を
「宮子(くうし)」と書き、陸奥九戸久慈などに伝わったとされている。ところが、古代中国では卜占の女人を宮子(ぐうず)と崇めたらしいが、それを宮姑(みやこ)とも呼び、陸中閉伊宮古に伝わったともされている。ただし根源が亀であるから、それが卜占としての
「宮姑(みやこ)→宮古(みやこ)」と、北を玄武とする斗極の
「鼈龜(ぐず)→宮子(くうし)→久慈(くじ)」の違いはある。つまり、岩手県の久慈市と宮古市は、どちらも北を意味する言葉であったという事。先の「日爾→久慈」も、北を玄武とする事で重なる。簡単に訳してしまえば
「久慈」とは「北の亀」、つまり
「玄武」という意味の地名となる。これは朝廷側の立ち位置により、岩手県の地名の多くは朝廷の北に位置する地域であるとして付けられたものであったか。