天保年間の事。山口村にある薬師社の別当の家に、11歳になる男の子がいた。毎年打ち続く飢饉で食べる物が無い頃、その子供は他人の家の軒下に積んである豆殻の辺りで、落ちている豆を拾って食べていた。ところが、それが村の問題となり、肝煎が別当の家へ行き、今後一切、男の子を外に出さぬという事に決めたという。だが男の子は夜に度々外に出ては村の家々を廻って歩くので、再び肝煎が別当の家に行った所、別当である父親はこう言ったという。
「いかにも村方へご迷惑を相かけぬよう始末をつけましょう。」
ある日の事、別当である父親が男の子を連れて山へと行った。何か木を伐りにという風で父親は、大斧を持って先に立って歩きながら、いつになく優しい言葉を男の子にかけていた。男の子は心から嬉しそうに、いそいそとついて行った。そうして坊子沢という所へさしかかった時に父親はこう言った。
「あまりにくたびれたから、この岩の上でちょっと休んで行こう。」
父親は、男の事一緒に岩の上に登って横になった。疲れ切っていた男の子は、岩の上ですぐさますやすやと眠ってしまった。そこを父親は、大斧で男の子の頭を叩き割って殺してしまった。
佐々木喜善「遠野奇談」より
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目を覆いたくなるような話だが、それほど飢饉の時は人々の精神が非日常へと陥った時代でもあった。遠野の観光地を回る時、飢饉の歴史を避けて回る事の出来ない様になっている。