土淵村の助役北川清と云ふ人の家は字火石に在り。代々の山臥にて祖父は
正福院と云ひ、学者にて著作多く、村の為に尽くしたる人なり。清の弟に福二
と云ふ人は海岸の田の浜へ婿へ行きたるが、先年の大津波に遭ひて妻と子と
を失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばか
りありき。
夏の初の月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の
打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よる
を見れば、女は正しく亡くなりし我妻なり。思はず其跡をつけて、遙々と船越村
の方へ行く崎の洞のある所まで追い行き、名を呼びたるに、振返りてにこと笑ひ
たる。
男はと見れば海波の難に死せり者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心
を通わせたりと聞きし男なり。今は此人と夫婦になりてあると云ふに、子供は可
愛くは無いのかと云へば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物
言ふとは思われずして、悲しく情けなくなりたれば足元を見て在りし間に、男女
は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。
追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明まで道中に立ちて
考え、朝になりて帰りたり。其後久しく煩ひたりと云へり。
「遠野物語99」
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以前に書いた、この「遠野物語99」の話は、東日本大震災と重なって、かなりのアクセスを見せた記事であった。死んだ妻が、夫である福二と結婚する以前に心を通わせていた、やはり津波に呑み込まれた男と消えて行く様子は悲しげであり、その理由をいろいろ考えて見たものだった。
服藤早苗「平安朝の女と男 貴族と庶民の性と愛」に、10世紀の半ば頃に
「女は死後、初めて性交をした相手に手を引かれて三途の川を渡る。」という俗信が紹介されていた。つまり、これを「遠野物語99」に当て嵌めると、津波に呑み込まれて死んだ妻は、
"霊界の法則"によって、結婚している福二の妻であったが、それよりも強い絆であるのか、初めて身体を預けた男性に手を引かれて行くというものは、まさに不条理であった。突っ込みどころがある俗信ではあるが、平安時代の俗信が現代であり、東北の果てまで伝わって信じられていたという事が、貴重であり重要であると思う。福二が見たものは、この地方まで伝わり、根強く生きて来た強い俗信の幻影であったのか。それとも、その霊会の法則は、実在するリアリティであったのだろうか。