遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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早瀬川と白幡神社(其の五)

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現在の白幡神社の祭神は、「遠野市史」によれば「祭神は神功皇后とも、源義経の白幡ともいわれているが、今は単に白幡大明神を祭るとしている。」とある。とにかくハッキリとはわかっていない祭神の様である。源義経の白幡ともされているが、白幡は源氏の白幡でもあるので、義経に拘るのには何かあるのだろうか。ところで、この白幡神社の創建は、遠野が南部支配になってからだと推察した。その南部は甲斐の国から八戸に拠点を移して、勢力を拡大した。その南部氏の崇敬社は、八戸市にある櫛引八幡宮である。その櫛人八幡宮のHPから由来を抜粋したのが下記である。
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南部家文書(八戸根城南部家・『八戸家系』、『八戸家傳記』)によると、 文治5年平泉合戦(1189年)に戦功をたてた光行公は源頼朝から糠部郡(ぬかのぶのこおり、 岩手県北部・青森県東部の広大な地域)を拝領し建久2年(1191年)に入部、 後に家士を遣わして甲斐南部郷の八幡宮御神体を奉持せしめ、霊地をトして櫛引村に 宮社を造営し武運長久を祈ったという。

「櫛引八幡宮縁起旧記」によれば、このとき遣わされた家臣とは津島平次郎で、 平次郎は宮地が決まるまで六戸の瀧ノ沢村に仮宮を営んで奉祭した。

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つまり、この櫛引八幡宮は甲斐南部から持って来た八幡宮であるという事。八幡は全国で一番多い神社であり、その大元は宇佐八幡宮だが、源頼朝の時代には石清水八幡宮が宇佐を上回って崇敬を集めていたようだ。甲斐南部時代に勧請した八幡はわからないが、盛岡八幡宮が石清水八幡宮から勧請した神社である事から、恐らく甲斐南部の勧請した八幡宮もまた、石清水八幡宮からであろう。
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白幡神社の由来の伝承が神社とは別に「遠野八景名所記」に記されている。そこには「白幡明神是ぞ古へ文治の頃いづくともなく白幡一流飛来て爰にとゞまる故に白幡明神と申伝なり。」とあるが、伊能嘉矩は、それを後世の附会であろうとしている。ところで遠野に伝わる白幡伝説の古くに、無尽和尚のものがある。その伝説とは、無尽和尚が遠野に来たのは、無尽和尚の師匠が白幡を飛ばして、その落ちた場所に庵を建てろというものだった。そして、その落ちた白幡は白竜となったという。恐らく語られる白幡神社の由来は、無尽和尚のそれと重ねられたのではなかろうか。だが、その無尽和尚の伝説も、「肥前国風土記」に記されているものの亜流であろう。
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ヒメコソの里。此の里の中に川があり、名をヤマヂ川という。その源は、北の山より出でて、南に流れ、ミヰの大川(筑後川)と合流する。昔々、この川の西に荒ぶる神があり、道行く人が多く殺され、人々の半ばが生き、半ばが死ぬありさまであった。

時に、このように祟る原因を占い求めてみると、次のように神意が現れた。すなわち、筑前の国、ムナカタの郡の人カゼコをして、吾が社を祀らしめよ。もし願ひにかなはばば、荒ぶる心を起さじ、と。

そこでムナカタのカゼコを招き、神の社を祀らせた。カゼコは幡を奉納し、祈っていった。神が誠に私の祭りを欲するなら、この幡は風のままに飛んで、私を求めている神のいる場所に落ちよ、と。

やがて幡を揚げ、風のまにまに放ってやると、幡は飛んでいって、御原の郡のヒメコソの杜に落ち、さらに還り飛んでヤマヂ川のとりに落ちた。そのおかげで、カゼコはおのずから神の在します場所を知った。

その夜、カゼコの夢に、クツビキとタタリが舞い遊びでて、カセゴを圧し、驚かせた。そこでカゼコは、この荒ぶる紙が女神であることを識った。 カゼコが社を建てて祀ったので、それ以来、ヒメ神の名からソメコソ(姫杜)という名が由来し、今は里の名となっている。

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この「肥前国風土記」によれば、幡とは神の依り憑くものであるという事。ここでは幡の色が書かれてないが、依り憑いたのが宗像大神であるなら、それは宗像大社の"みあれ祭り"に、それを見る事が出来る。"みあれ"は"御阿礼"であり、神の降誕を云う。その"みあれ祭り"の以前は「御手長神事」と呼ばれていた。長手とは長妙の意であり、長い布を竹の旗竿に付けた物を云う。これが神功皇后の三韓征伐にも使用されている。また幡に神が依り憑くのは、"ヤハタ"の八幡宮もまた同じである。そのどちらにも、神功皇后の影響を受けているのが分かるが、その詳細は省く事にする。
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南部氏の本拠地であった八戸に鎮座する櫛引八幡宮は、南部氏が甲斐国から勧請した八幡であったが、それは恐らく石清水八幡宮であっただろうとは書いたが、その石清水八幡宮は後の神社名であり、元はその鎮座している地名"白幡森"から白幡八幡宮と呼ばれていた。その白幡八幡宮の祭神は「淀姫神」となっているが、以前に書いた「菊池氏の信仰する神」では、その淀姫=與止日女は、阿蘇津比咩であり、早池峯の神と同じであった。
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最近出版された、菊池展明「八幡比咩神とは何か」に、櫛引八幡宮と同じ地に鎮座する御前神社が紹介されている。この御前神社は江戸時代には「御浜御前」と呼ばれ、この神社に伝わる江戸期の由緒書「東国正鎮守御浜御前」に下記の様な古歌が伝わっている。

みちのくの 唯白幡や 

         浪打に鎮りまつる 瀬織津の神


「八幡比咩神とは何か」を出版した風琳堂氏のブログによれば、この櫛引八幡の神事に「御浜入り神事」というものがあり、それは櫛引八幡宮のHPで確認すると、御神威の再生・蘇りの神事であり、八幡大神が御神輿にて御前神社に渡御するという事であるが、要は御前神社に挨拶に伺うというもの。御前神社には神功皇后も祀られている事から、八幡大神が応神天皇であるならば、母である神功皇后に挨拶に行くのは当然だろうと認識されているようだ。しかし御前神社の祭神は、明治時代になって変ったものの、それ以前は瀬織津比咩であった事を踏まえれば、それはどういう意味を持っているのだろうか。
by dostoev | 2016-01-19 22:05 | 早瀬川と白幡神社 | Comments(2)
Commented by 鬼喜來のさっと at 2016-12-22 18:57 x
桐生の織物は、鎌倉幕府討伐の折、挙兵した南朝の忠臣・新田義貞や、その新田氏の末裔を称した徳川家康が桐生の織物を旗印として本陣に掲げた故事により全国的に有名なったそうなんですが、この織物を伝えたのが白滝姫であり、東禅寺を開山した無尽和尚にも白龍となった白旗の伝説があるというのは源氏の介在があったとも考えるべきなんでしょうね。また、神戸の白滝姫の伝承に、姫が杖で突くと日照りでも枯れない泉がこんこんとわいたというのは、清龍権現(善女龍王)を招来した弘法大師の伝承にもみられるパターンですが、その一方で岩手県などに伝わる伝承では源頼義や八幡太郎義家、九郎判官義経らが弓尻で突いたことになっているのはその証左とも言えますね。
Commented by dostoev at 2016-12-24 17:33
東禅寺の白幡の原型は恐らく、「肥前国風土記」のカゼコの話からでしょう。養蚕の奨励は、継体天皇時代に発せられましたが、それがそのまま伝わるのではなく、各地を経由して伝わったのだと思います。また杖で突いて泉の湧く話も、その原型は「出雲国風土記」でしょうね。
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