家族の者が旅に出たり兵隊に行った後では、食事毎にその者の分を別に仕度して影膳を供える。そうして影膳に盛った飯の蓋に湯気の玉がついていなかった時、または影膳の椀や箸などが転び倒れた時は出先きの人の身の上に凶事が起った時だという。また影膳を供えている中にこれを食べる者があると、出先の人は非常に空腹になるなどともいわれる。その実例は甚だ多い。山口の丸古某が日露戦争に出征して黒溝台の戦争の際であったかに、急に醤油飯の匂いが鼻に来た。除隊になってからこの事を話すと、これはその日の影膳に供えた物の匂いであったそうである。
「遠野物語拾遺260」
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影膳(陰膳)とは、旅行や出征その他に出た不在者の為に、その者が旅行中に飢えたり、危害を加えられ安全を脅かされたりしないように祈り願って、留守番がその者のために留守宅で供える膳である。安全祈願の呪術のひとつである。人間の細胞は、日々の食事が作る。家族の細胞が近いのは、同じ食事を食べているからでもある。この影膳は、家族の誰かが家の外に出ても、いつも一緒に食事をしようという家族の絆から発生した呪術であろう。
ところで、何故に影なのか。
「万葉集」に、こういう歌がある。
遠くあれば姿は見えず常のごと妹がゑまひは面影にして(3137)
遠く離れた妹(妻)の生身の姿は見えないが、その微笑む面影は見えたと詠われているが、それは恐らく想いの作り上げた残像であり、もしくは妻の魂が作り上げた、おぼろげな姿なのだろう。
「日本書紀(天武天皇記)」では、「霊」を「みかげ」と訓んでいる。それはつまり、影とは魂であり霊であると認識されていたという事。
「影護」という言葉があるが、これを
「ちはふ」と訓む。「護」自体は、庇護や扶助を意味する言葉であり、それに「霊(ち)」が加わるのだが、その霊を影に置き換えて作られた言葉である。それは影による庇護の意味になる事から、「影膳」が家を離れた家族を護る為の意があるのは本来、「影護」から発生した呪術ではないだろうか。