これとやや似た話が二戸郡の浄法寺にもあったそうな。遠野の事では無いがこのついでに書いておくと、浄法寺村字野田の某という者、ある日山へ行くとて途中で一人の大男と道づれになった。大男はしきりにお前の背負っている物は何だといって、弁当に持って来た餅をなぶりたがって仕様が無かった。これは餅だと言うと、そんだら少しでいいからくれと言う。分けてやると非常に悦んで、お前の家でははや田を打ったかと問うた。まだ打たないと答えたところが、そんだら打ってやるから何月何日の夜、三本鍬といっしょに餅を三升ほど搗いて、お前の家の田の畔に置け。おれが行って田を打ってくれると言うので、某も面白いと思って承知をした。さてその当夜餅を搗いて田の畔へ持って行って置き、翌朝早く出て見ると、三本鍬は元の畔の処にあって、餅はもう無かった。田はいかにも善く打っておいてくれたが、甲乙の差別も無く一面に打ちのめしたので、大小の畔の区別も分からぬようになったという。その後も某はたびたびその大男に行き逢った。友だちになったので山へ行くたびに、餅をはたられるには弱ったということである。大男が言うには、おれはごく善い人間だが、おれの嚊は悪いやつだから、見られない様にしろとたびたび言い聴かせたそうである。これも今から七十年ばかりも前の事であったらしい。
「遠野物語拾遺101」
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山の者が餅を食べるで思い出すのは、山姥が餅に魅かれて逆に焼けた石を食べさせられた
"白髭の洪水"の話がある。餅は里の田圃で作る糯米から作られるものであるから、山には無いものである。つまり、ここでは里の者と山の者との物々交換の約束が成り立っている。ただし、米そのものを食べる事の出来た農民は殆どいなかったという事から
「山へ行くたびに、餅をはたられるには弱った」というセリフが切実に感じる。とにかく山男をここまで働かさせる餅は、余程の魅力があるのだろう。ただ餅は鏡餅とも言う事から、鏡と同等のものであるとも云われる。そして、カガは蛇の古語であり、鏡餅そのものが蛇のとぐろを巻いた姿を現していると云われる事から、山との繋がり、恐らく山男や山姥との繋がりも見出せる為、山男が餅を好むのは当然なのかもしれない。
「山城国風土記」には、伏見稲荷の縁起が紹介されている。秦伊侶具は稲や粟などの穀物を積んで豊かに富んでいた。ある時、餅を使って的として弓で射たら、餅は白い鳥になって飛び去って山の峰に留まり、その白鳥が化して稲が成り出でたので、これを社名としたとある。ところが
「豊後国風土記」の出だしには、稲荷縁起とは逆に白鳥が餅と化して豊かな国となって豊国という名になったとする。しかし、同じ豊後の田野という地で、餅を的にして射たら白鳥になって飛んで行ったその年に百姓達が死に絶えたという。これは「山城風土記」の伏見稲荷縁起と同じパターンでありながら、方や栄えて、方や滅びている。「豊後国風土記」の序文に則れば、本来の伏見稲荷の縁起は不幸に見舞われたのを改竄したのではなかろうか?それは白鳥が餅になったのは、幸福が舞い込んだものであり、餅が白鳥に変って飛び去って行くのは単純に、幸福が去って行くように思えるからだ。
ところで画像は伏見稲荷の神符であるが祀られている神は、宇迦御魂命という穀霊神だ。この神符の下には狐が居て、陰陽五行によれば、黒い狐は水を意味し、白い狐は金を意味する。そして、この神符の中央には米俵に乗った蛇の姿が描かれている。宇迦御魂命の
「宇迦」は梵語で
「白蛇」を意味する事から、伏見稲荷の根本は蛇神信仰であったのだろう。先に書いた様に、鏡餅は蛇のとぐろを巻いている形であるが、この米俵に乗った白蛇は恐らく鏡餅を意図しているのではなかろうか。また、首の長い鳥は蛇とも同一視された事から、白鳥は白蛇とも同等であるといえる。そして、伊勢神宮の外宮における豊受大神も倉稲魂命も白蛇を本体とするという事から、白蛇がどれだけの力を持っているかわかるというもの。その白蛇は、山神と繋がり、それが餅で現されるのならば、山男がどれだけ餅を欲するか理解出来るというものだろう。