同じ頃の話だというが、松崎村字駒木の子供が西内山で一人の大男に行逢った。荻草刈時のある日の午過ぎのことであった。その男は普通の木綿のムジリを着て、肩から藤蔓で作った鞄の様な物を下げていた。その中には何匹もの蛇がぬたくり廻っていたそうである。子供は驚いて、路傍の草叢に入ったまますくんでいると、その男は、大急ぎで前を通り過ぎて行ってしまった。それでやっと生きた心持になり、馳出して村に帰り著いたという。正月の遊びの夜、若者たちから聞いた話である。
「遠野物語拾遺105」
この話は、「遠野物語拾遺104」と同じ頃の話だとしているが、目撃者は子供である事から子供の視点から大きい男であるという意味と、子供にとって不気味に思えた男の話という事になろう。私も子供の頃は蛇を恐ろしく思い、蛇の恐怖を克服したのは中学生になってからだった。それでも周りはまだまだ蛇を怖がる者が多く、大人になっても嫌いな生物のトップになるのは蛇である。その蛇が何匹もうねっているのを見れば、子供だろうが大人だろうが恐ろしく、気味悪く感じるのは普通なのであろう。
蛇は食糧とされる場合があるが、その蛇の中で一番美味しいとされるのが蝮である。また蝮は、薬効効果もあり、蝮を生殺しにした後焼酎などに漬け込む蝮焼酎が人気がある為、今でも遠野では一升瓶に生きたまま入っている蝮を売っているドライブインもある。岩手県内には、久慈市と花巻市に蝮センターがある為、蝮を捕まえてお金にしている人もままいるようだ。昭和五十年代に、久慈市に有名な蝮捕り名人の婆様がいたが、その婆様の長生きの秘訣は、生きた蝮の目玉を食べる事だと、テレビでその蝮の目玉を喰らうシーンを放送していたが、少々グロすぎた内容だった。昔の見世物小屋で蛇を喰らう女の出し物と、婆様の蝮の目玉を喰らうのと何等変わりは無いものだった。
東館に住む某氏によれば、遠野にも蝮捕りの名人がおり、素手で複数の蝮を捕まえ、片手に何匹もの蝮の首根っこを摑まえながら、片手で軽トラックを運転する豪の者がいるという。その蝮も場所によっては減ったとも云われるが、どうなのであろう?去年は笠通山で蝮に二度遭遇したし、綾織の二郷山の二郷神社は、蝮を神として祀る神社だとも云われる。攻撃的な動物が神になる場合が多々あるが、確かに蛇の中でも攻撃的で毒を有する蝮は、神に等しい存在となろうか。