附馬牛村のある部落の某という家では、先代に一人の六部が来て泊って、そのまま出て行く姿を見た者゛無かったなどという話がある。近頃になってからこの家に、十になるかならぬ位の女の児が、紅い振袖を着て紅い扇子を持って現れ、踊りを踊りながら出て行って、下窪という家に入ったという噂がたち、それからこの両家の貧富がケエッチャ(裏と表)になったといっている。その下窪の家では、近所の娘などが用があって不意に行くと、神棚の下に座敷ワラシが蹲まっていて、びっくりして戻って来たという話がある。
「遠野物語拾遺91」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まず、導入に六部の話があり、その後に座敷ワラシらしき話が続いているのは、先代からの時間差がある事を示している。そして、先代の時代に六部がその家に入ったが、時代が経った近頃となって、出て行ったのは六部では無く座敷ワラシとなっているのは、六部が殺された事を暗示している。六部である修験者は、金の探索者でもある旅人となる。つまり、金目の物を持ち歩く六部を殺して富を手に入れた為に、座敷ワラシも入ったという意図を含んだ文章になっている。そして、その座敷ワラシは踊りを踊って出て行った。踊りとは祭の様にハレの日を意味している。ある意味、座敷ワラシが居座った時の流れとはハレの持続を意味し、その座敷ワラシの踊りと共に、その家のハレの日の終焉を意味しているのではなかろうか。だが、座敷ワラシの入った下窪の家には、六部が入った話は無い。単に座敷ワラシだけの移動でケエッチャ(裏と表)となったのかは、何とも言えぬところではある。ただ、六部である修験者は、定住する土地を持たぬ流浪の民である。それに合わせる様にまた、座敷ワラシも家々を渡り歩く流浪の民でもあるという事を意味している話ではないか。
ただ、
「神棚の下に座敷ワラシが蹲っていて…。」というくだりを、この現代でイメージしてしまえば、どうしても
映画「呪怨」の
俊雄君が思い浮かんでしまうのもまた、現代となって座敷ワラシから俊雄君にケエッチャとなったのかも。
ケエッチャは「裏と表」であると記しているが、要は表が裏に返ってしまう事。昔は厠に南天の実を飾ったというのは、「難が転じる」を期待してのものであった。厠は「今昔物語」に厠に入った者が、化物になって出てきた話がある事から、変身する場所でもあると云われている。それ故に、厠(トイレ)が別に化粧室とも云われるのは、「今昔物語」の逸話から始まっている。表から裏。裏から表に返る全てがケエッチャであるが、どちらにしろ吉凶両極端な話ではある。それ故に
「平々凡々が一番良い」と云われるのは、変わりない生活が一番、心の平定を保てるので良いのだろう。