遠野町字蓮華の九頭竜権現の境内に、化け栗枕栗などという栗の老樹がある。権現の御正体は即ちこの樹であって、昔は女を人身御供に取った。そのおり枕にして頭を乗せていて、人を食ったのが枕栗であるという。
「遠野物語拾遺70」
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蓮華とは会下の事を言うと古老に教えられたが、
伊能嘉矩「遠野くさぐさ」によれば、正確には上会下の丘、つまり太平山を指すらしい。阿曽沼時代に、九重山積善寺が建立され、その敷地内にあたる。ところで栗の木といえば
「桃栗三年柿八年」と呼ばれる様に、成長が早い事から昔は神社周辺に沢山植えられ、神社の補修材として活用されていた。栗の実が食糧にもなる事から神社にとっては一石二鳥の樹木が栗の木であった。その栗の木が人を喰うとは、どういう事だろうか?
その化け栗には、九頭竜権現を祀っていたという。樹木信仰の場合、長い樹齢を迎えた樹木は神として昇華するように、恐らくその栗の木は、かなりの老木であったろうと思える。通常の栗の木は50年程度でくたびれるというが、六角牛山登山道の枝垂れ栗は樹齢260年以上と云われ、綾織長松寺入り口の枝垂れ栗もまた、かなりの樹齢を有すると思える。そして九頭竜権現だが、有名なのは戸隠の九頭竜権現であり、阿曽沼はその戸隠に参詣したとの言い伝えが残っている。
その九頭竜は名前の通り、竜である。竜が人を食べる話で古いものは
「古事記」のヤマタノオロチの話である。そのヤマタノオロチと共通するのは、女を人身御供に取ったという事か。しかし突き詰めれば、ヤマタノオロチの話も、一つの神事であると言わざる負えない。ヤマタノオロチを呼ぶのに酒を用意し、女を捧げるというのは、御神酒を上げて神婚を結ぶに等しいからだ。曾て出雲大社の宮司が、余りに巫女に手を出すもので、それを禁止されたという例がある。また、平清盛もまた厳島神社の巫女を自分好みの巫女を配して、頻繁に遊びに行ったという。この出雲大社も厳島神社もまた、龍蛇神を祀っている。ヤマタノオロチ伝説が「古事記」には載っていて何故「出雲風土記」には載っていないのか?という謎があるのだが、地元出雲では伝え知らぬヤマタノオロチ話を、後に出雲大社の巫女に手出す不祥事をヤマタノオロチ話として伝えた可能性があるのかもしれない。そして当然、遠野の太平山にあった神明社の宮司が、巫女として募集した村娘を食べた話になるのではなかろうか。
ところで積善寺のあった地を九重沢と呼ぶのだが、それは積善寺の山号が九重山となっている為であろう。しかし、遠野の積善寺の上の山は九重山とは呼ばない。あくまで積善寺の山号であろうとなるのだが、ここで気になるのは、九州の九重山であり、阿蘇九重国立公園となっている山である。遠野の積善寺内太平山では、九頭竜権現、白山権現、熊野権現を祀っていたという。それと同じ信仰形態が、阿蘇九重国立公園に属する九重山に見える事から、遠野の積善寺の山号は、九州の九重山から取ったのではなかろうか。これについては、後に詳細を書く事としよう。