遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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六角牛山祭祀再考

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遠野三山の一つ六角牛山の麓に鎮座し、 表筒男命・中筒男命・底筒男命(住吉三神)・息長帶比売命・大己貴命を祀る。 例祭日は旧暦の8月15日であったが、現在は9月23日に行っている。  人皇第51代平城天皇の御代、大同2年(807)時の征夷大将軍坂上田村麻呂、蝦夷地平定のため蒼生の心伏を願い神仏の崇拝をすすむ。時に六角牛山頂に薬師如来、山麓に不動明王、住吉三神を祀る。爾来陸奥の国中の衆民、衆団をなして登山参拝あとを絶たず、霊山として山伏の修行者も多く集まる。「六神石神社HPより」
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早池峯の大同元年に続き、六角牛山に大和朝廷がもたらした神が祀られたのは、蝦夷平定の意であった事に依存は無いだろう。ただ、疑問であるのは、早池峯の瀬織津比咩が穢祓の神であり、六角牛山の住吉三神もまた、穢祓の神であるという事。祓いの二重構造になっているのは何故か。そもそも現在、全国で聞く事の出来る神社の定番となっている「大祓祝詞」に何故、住吉三神が入っていないのか?

「穢祓」の概念の定着は「古事記」での、伊弉諾の黄泉国からの帰還からであった。禊ぎは、水の霊力により穢れを祓うものとされているが、本来は蛇のような脱皮で穢れた皮を剥ぐ身削であり、巳削ぎではなかったかとも云われる。そしてその禊ぎは本来、海の海水に浸かる事から始まり、それが水そのものが穢れを祓うものとして、海川問わず水による禊が始まったとも云われる。朝廷に逆らった蝦夷国そのものの穢れを祓い禊ぎする事によって、蝦夷国を浄化しようという意識により、早池峯山と六角牛山に穢祓の神が祀られたのは、なんとなく理解できる。

「大祓祝詞」の成立は天智天皇時代(668年~672年)だが、正式に採用されて広まったのは延喜式(927年)の完成以降である。つまり、大同年間時代は、穢祓の神として瀬織津比咩であり、住吉三神が居た事になるのだが、天智時代に成立した「大祓祝詞」が既に朝廷内で採用されていたのなら、穢祓の神は現在の祓戸四神でならねばならぬ。つまり、大同年間時代に住吉三神を祀る理由は、然程意味を成さなくなってしまう。そして気になるのは、六角牛山に最初に祀られた神とは、住吉三神の三座に加え、不動明王の一座となる。この四座という形式は、住吉大社の四座形式に対応する。ただし、住吉大社の四座は、住吉三神の三座に加えて、姫神の一座である。後に、その姫神の座が神功皇后に置き換えられたという。以前に書いた事だが、本地垂迹の関係から六角牛山では恐らく、住吉大社での姫神の座に宇佐明神が坐すのだろう。

気になるのは、遠野早池峯神社でも、祭神名を早池峯大神として、瀬織津比咩という名を頑なに表に出さないよう見受けられる。また、大迫の早池峯神社でもしかり、瀬織津比咩という神名では無く、姫大神という名称で早池峯の神を祀っている。しかしそれでも大迫の早池峯神社の社記には「御祭神 瀬織津比売(又の御名八十禍津日神)」と記されているが、公には姫大神としてだけ知らしめていたのだろう。つまり「大祓祝詞」に登場する神名が、蝦夷国では隠されていたという事。それは早池峯山だけでなく、六角牛山にも言えるのだろう。それが、住吉三神と不動明王を祀ったという形になったのだと思う。
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円仁の祭祀形態から、早池峯山と六角牛山は、両宮方式で建立されたと以前に書いた。建立の時期が一年ズレているのは、早池峯が先に建立され、続いて六角牛が建立された形であろうから、物理的に一年のズレが生じるのは当然の事であろう。岩手県内の古社の由緒の殆どが大同二年となっており、唯一遠野早池峯神社の建立が大同元年となっているのはつまり、早池峯神社が建立された後に他の神社仏閣が一斉に建立されと考えてもおかしくはないだろう。それはつまり、蝦夷の平定の動きは早池峯を中心とし、それを抑えてから始まったと考えても良いのではなかろうか。しかし、そこで神威を伝える為に神名を蝦夷国の人々に知ら示すべきが、神名を隠すというパラドックスが生じている。それは、何故か?それは考えるに、蝦夷国で信仰された神が、敵側である朝廷に運ばれて祀られた事によるのではなかろうか。つまり、おらが神を何故、敵側が運び祀ったのか?という意外性によって起こる蝦夷の民のざわめきをかき消す為であったとも考え得る。

ではもう一度、六角牛山の祭祀に移ろう。「日本書紀(神代記)」には、こう記されている。

「又海の底に沈き濯ぐ、よりて生める神を、号けて底津少童命と曰す、次に底筒男命、又潮の中に潜き濯ぐ、よりて生める神を、号けて中津少童命と曰す、次に中筒男命、又潮の上に浮き濯ぐ、よりて生める神を、号けて表津少童命と曰す、次に表筒男命」

まず気になるのは、穢祓の神としての住吉三神の他に、安曇連が斎祭る綿津見三神が何故含まれないのか。そして綿津見三神は何故に「少童」として呼ばれているのか。山折哲雄「翁と童子」を読むと、やはり著者は同じ疑問にかられていた。「八幡縁起」に登場する少童と翁。更に「稲荷縁起」や「今昔物語」などに登場する少童と翁を比較して著者が更に気付いた事は「いわばその中間に埋められるはずの世代が空白になっている状況は、何らかの意味をわれわれに語りかけてはこないだろうか。」と。その様々な例から少童と翁の現れるパターンは、修行者における夢幻と現実の境を縫うようにして現れ、消えていくのは、空白の世代が修行者であり巫術を行っている巫女などがそれにあたるのではないかと考えている。つまり、現実的な人間が介在しているからこそ、純粋な未完成品である少童と、完熟した臨死者である翁が現れると。これを意識した時に思い出したのが、巫女でもある神功皇后であった。確かに神功皇后と住吉三神との関わりは、巫術の時でもあった。
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早池峯神楽で良く執り行われる「三番叟」だが、本来は三人の翁によって演ぜられていたらしい。世阿弥「風姿花伝」によれば、翁舞は稻積の翁、代継の翁、父の助の翁の三翁によって勤められている。三人で舞うから式三番であり、法・報・応の三身の如来の姿を象っているのだと。日本人は、三山とか三女神もそうだが、日本三大〇〇というのが好きだ。世の中には多くの三大〇〇があるが、この三つの分割は、仏教の影響によるものである。「古事記」は天武天皇時代に編纂され始めたが、完成したのは元正天皇時代である。仏教に狂った天皇で知られるのは聖武天皇だが、この元正天皇時代には既に聖武天皇が生まれていた為、朝廷側が仏教を重視するようになったのは既に天武時代からであったろう。三と言う数字は聖なる数字となるが、これはあくまで仏教の教えに基づくもの。それ以前の聖なる数字は、例えば賀茂大神の縁起や、出雲の素戔男尊を逸話などに登場する数字は、殆ど七であり八であった。ところが急に三という数字が登場するのは、天照大神と素戔男尊の誓約の場面である。そして宗像三女神が誕生した。日本神話では国譲りをした筈の出雲であったが、崇神天皇時代に祟ったのは出雲の神であり、全国津々浦々に祀られる宗像三女神も、宗像が大神系である事から出雲神である。宇佐八幡も三宮としたのも大神氏が参入してからである事を考えれば、三と言う数字は古事記が編纂されている最中に組み込まれた可能性はある。つまり、本来の神が三分割にされたのが「古事記」であり「日本書紀」ではなかったか。そして、それを行ったのは出雲系の者達であった。しかし、これは後で書く事としよう。
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「日本書紀(神代記)」では、綿津見の神が少童神で表されており、住吉三神と同時に出現している。その綿津見の神を信仰する安曇族の本拠地は、筑前国の安曇郷であり、志賀郷であった。そこには名神大社志賀海神社が鎮座し、綿津見三神が祀られている。そして隣接する那珂郡には住吉神社が鎮座しているのは、同系の神を祀ろうとする深い関わりと仲を感じる。そして住吉三神だが、奈良時代から平安時代に編纂された「備前国風土記」には、神功皇后の乗った船の前に大牛が登場し、舩が転覆しそうになった。その時に住吉神が翁の姿で登場し、その大牛を投げ飛ばしたという話がある。これによるならば、少童神は綿津見の神で、翁神は住吉神に相当するのであろうか。ならば、その間の空白を埋めるのは神功皇后であろうか?それとも…。

そしてもう一つ、伊弉諾が黄泉国から帰還し「上つ瀬は瀬速し。下つ瀬は瀬弱し」として中つ瀬に入っている。ここでも川の三分割が成されており、中つ瀬を伊弉諾は選んでいる。その後に綿津見神と住吉神が登場するのだが、「日本書紀」との違いは、綿津見神が少童神となっておらず、海底を水底と表している事か。考えてみれば、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊をしたと云われるが、実在の場所は、阿波岐原の池か川だとしている。しかし瀬が速い弱いとするならば、それは池では無く川であろう。そしてその少し先には、日向灘という海が広がる。つまり、川と海で分断され、川から現れたのが八十禍津日神であり、日向灘から現れたのが綿津見神であり住吉神であるのだと思える。それはつまり「大祓祝詞」に対応するのではなかろうか。

「大祓祝詞」には祓戸四神が登場するのだが、日本の国土の川には瀬織津比咩が坐し、それ以外の祓戸神は、海に坐している形で表されている。罪や穢れを川に集めて海へ流し、それを海の底へと呑み込ませるのが「大祓祝詞」となっている。これを「古事記」や「日本書紀」の穢祓の場面に置き換えれば、中つ瀬で禊をして現れたのが八十禍津日神であり、その穢れが海へ運ばれて海の底から順に現れたのが、綿津見神と住吉神であったと。この綿津見の神と住吉の神が現れる場面の描写は、猿田彦がひらぶ貝に挟まれ溺れる場面に対応する事から、やはり川の底では無く、海の底であろう。それ故、「大祓祝詞」と「記紀」を比較してみても、日本国内の水域での穢祓神とは八十禍津日神、別名瀬織津比咩だけであり、日本の国土を離れた海においての穢祓神は祓戸三神か、綿津見三神と住吉三神であろう。しかし「大祓祝詞」の誕生によって、穢祓神として「記紀」に登場した綿津見神と住吉神は、その役目を祓戸三神に譲ったのかもしれない。となれば、六角牛山に祀られている住吉三神と不動明王とは、形式的に同じであるといって良い。それはつまり、住吉大社の四座とは、海の穢祓神である住吉三神と、川の穢祓神である八十禍津日神が本来では無かったのだろうか。それが六角牛山では住吉三神と不動明王にされたのは「大祓祝詞」以外に、瀬織津比咩という神名を顕かにしたくないという意志を感じる。また、少童神と翁神が何故登場するのかは、様々な文献を比較してみても、空白の実態となるのは水の巫女である瀬織津比咩を中心として、綿津見神や住吉神が少童や翁の形で現れたのでは無いか。そしてそれに、神功皇后伝説が複雑に絡み合ってくるのだが、神功皇后に関しても後で書き記そうと思う。
by dostoev | 2014-10-24 17:29 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(2)
Commented by 名古屋特殊鋼流通倶楽部 at 2017-03-20 13:57 x
 島根県の安来市あたりも神秘的だけどここも面白そうだ。
Commented by dostoev at 2017-03-21 09:42
安来市と比べ、神代の歴史はありませんが、遠野の早池峯は神在月なので、深いところで繋がっているかもしれませんね。
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