今日は、観光客を連れて某寺の河童の手形とあばら骨形を見に行ってきた。画像の上にあるのが河童の手形であると云い、下があばら骨の箇所であるのだと。あばらが浮き出るとは、痩せているという証。これを見て感じたのは飢饉と何らかの関係があるのでは?という事。
河童の正体には様々な説があり、遠野の赤河童の説には、淵猿説やザシキワラシ説に加え、間引き説がある。しかし全国には、河原に棲む乞食に河川工事をさせたものを河童と呼んだり、あるいはカワウソ説もあり、海から渡って来た連中を河童と云ったり、様々ではある。それはあくまでも川には河童という生き物がいるらしい…という話に後付けから、いろいろなモノが河童に結び付けられて、様々な河童像というものが確立されたのだと考えている。
そこで、この画像の河童のあばら骨を見ると、もしかして飢饉で死んだ人、もしくは今にも死にそうな人がそのモデルになっているのでは?と思ってしまった。
遠野駅前の池に佇む河童像は、痩せ細っており貧相だという声も聞く。しかし、飢饉で苦しんだ遠野の歴史を考えれば、人間も痩せ細っていたのに、河童が肥えて丸々太っている筈も無いだろうとは思える。なので、遠野駅前の河童像とは、そのまま遠野の飢饉の歴史を反映している河童像であろう。いや遠野だけでは無く、東北全体が似た様なものであった。江戸の三大飢饉と云うが、東北は四大飢饉である。その著名な飢饉以外にも、軽い飢饉は延々と続いていたようである。となれば、某寺に伝わる河童の手形とあばら骨形は、その時代のリアリティを伝えるものだと思ってしまう。どうも巷に広がる、ふっくらと可愛らしい河童のキャラクターの印象が強すぎるのかもしれない。