天女としての豊受大神を見直した場合、
「丹後国風土記」では、波の郡比治の真奈井に天下った天女が、和奈佐の老夫婦に懇願されて比治の里に留まり、万病に効くという酒を醸し評判を得る。これによって御饌都神となり伊勢神宮の外宮に祀られた筈の豊受大神であった筈が伊勢神宮の外宮の酒殿祀られているのは
「天逆太刀。逆鉾。金鈴。加徒神定十座也。」となっているのは
「倭姫命世紀」に
「豊葦原瑞穂の国の内に、伊勢加佐波夜の国は、よき宮所見定め給て、天上よりして投降し給ひし天の逆太刀・天の逆鉾・大小の金鈴等是也。」からの神であろうが、何故に酒殿なのか理解できない。ただ豊受大神は新たな中世神話によって御気津の神に昇格しているので、その代わりとして酒殿に逆鉾が祀られたのは、酒をかき混ぜる意からであろうか。
その酒であるが、一番古くは
「古事記」において素戔男尊がヤマタノオロチを退治する場面に、酒が登場する。透明な清酒は「播磨国風土記」に清酒(すみさけ)として登場しているが、現在の清酒であるかは定かでは無いらしい。古代の酒は、大抵は白濁した白酒であり、今の濁酒と同じであるようだ。遠野の天女と沼の御前の伝説に登場するのは、白濁した水である白水であるのも、あるいは酒を意味していたのだろうか。ここで気になる氏族がいる。それは、秦氏だ。
秦氏の崇敬する神社に松尾大社があるが、平安京遷都後は東の賀茂神社と共に「東の厳神(賀茂)、西の猛霊(松尾)」と並び称され西の王城鎮護社に位置づけられていた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。酒の神として評判になったのは中世以降であるが、古くに酒造りの技術を持ち込んだのは秦氏であるとも云われている。常陸国の静神社もそうであるが、織物や酒、そして水に関する事には秦氏の影がちらつく。酒を古くは「クシ」と言ったらしく、酒を飲むと人の心を奪う事から「奇し(クシ)」「怪し(ケシ)」が転じたものとされている。酒の原料は米である事を思えば、素戔男尊と結ばれた奇稲田姫はその名から酒そのものの神でもあるようなのであるから、素戔男尊の心を奪ったのであろうか?
ところで、その松尾大社の祭神に中津島姫命がいる。この中津島姫命とは、宗像大社が祀る中津宮の姫神で湍津姫神の事を言う。松尾大社は、東端の八坂神社(祇園社)と対峙して、西の松尾山に鎮座する。前回書いたように、天照大神と素戔男尊の誓約の場面が、古代における天の川の場面ではなかったかとしたが、それは素戔男尊が牛頭天王という牛を意味する神でもあるからだ。その牛頭天王を祀る八坂神社が東に鎮座し、それに対峙する形で松尾大社、そして湍津姫神を祀るというのは意味が深いと考える。何故なら、湍津姫神は瀬織津比咩でもあり、天女とも云われる存在。そしてその別名は、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命であり、その意味は天空から西へと向かう月の意味を有する神名だ。八坂神社の祇園祭では一年に一度、鈴鹿山の会所に鈴鹿権現である瀬織津比咩が登場するのは、ある意味天の川の逢瀬でもあるように思える。「子持大明神縁起」によれば、伊勢神宮の荒祭宮に祀られる神の名は、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命とされ、その出自は鈴鹿からの神であった。
また、秦氏といえば、その秦氏の一族である泰澄の白山信仰を思い出すが、
「白山大鏡」において洞窟内に出現した白龍とは瀬織津比咩であった。そして京都(山城国)のかっての愛宕郡に、北斗七星が降った霊山である比叡山の麓の八瀬の意味は「神の河瀬」であり、その同じ愛宕郡には愛宕山がある。その愛宕山に愛宕神社の創始者もまた、白山と同じ泰澄であったのは、何か意味があっての事ではなかろうか。奇しくも、遠野の愛宕神社の祭神が瀬織津比咩であるのは、愛宕神社そのものが、何かの因縁をもつ神社であると考えるのだ。(続く)