「磐裂神の奇端」によれば
「汝、山川を跋渉して三神にあい奉り、勝地を草創して、遠く末代の群生を救うべし。我は、天にありては太白星となりて顕れ、この國に降りては、磐裂の荒神たり。」この文を要約すれば、
「星堕ちて石となる。」であろう。ただし、その中心の星は太白星である。
栃木県と茨城県に数多くの星の宮神社が祀られ、その祭神で一番多く祀られているのは磐裂神、根裂神であり、磐筒男神や香香背男がその後にくる。火之迦具土神が伊弉諾に切られた後、その火之迦具土神の血が広がって化生したのが磐裂神。根裂神であり、そのあとに石筒之男神などであるが、筒が星を意味する事から、あの一文には安曇族の神を羅列したのではないかとも云われる。これらの多くが栃木県と茨城県に広がって多く祀られているのは、この地域に星の信仰が根付いたという事であろうし、その中心はやはり、二荒山なのだろう。しかし勝道上人をの導いた太白である金星の信仰を、二荒山神社に祀られている祭神から感じないのはどういう事であろうか?
菊池展明「エミシの国の女神」で、愛知県の天白神と太白神について言及している。天白神を祀る神社は合計27社となり、そのうち一番多い天白神社の祭神は瀬織津比咩となっており、次に宇迦御魂命であり、3番目に香香背男となっている。太白であり金星を、菊池展明は「天に白々と光る星」として考えているが、その天白神の実際は養蚕神であった。しかし、その養蚕神として香香背男が祀られている事を踏まえれば、太白と天白が自然と結び付くのである。
静神社の祭神は天羽槌雄神であるようだが、静神社の創建に関わったのは秦氏であり物部氏とも伝えられる。その後に忌部氏が支配して、天羽槌雄神を祀ったようである。やはり静神社の祭神は龍蛇神であったのは明白である。その静神社の祭神だが、天羽槌雄神の以前は、どうやら天手力雄神であったようだ。つまり龍蛇神の後に、二度の祭神変更があったようだ。その天手力雄神で思い出すのは、長野県に鎮座する戸隠神社である。戸隠神社の祭神も天手力雄神であるが、本来は地主神である九頭竜が祀られているのを天手力雄神が封じ込めたという事になっている。恐らく静神社も、戸隠神社と同じ系譜を踏んでいるのだろう。
愛知県の養蚕に関する天白神社の祭神の一番多くが瀬織津比咩となっているのは、遠野の伊豆神社に伝わる伝承からも理解できる。しかし、その天白神社の祭神に香香背男が祀られているという事は、恐らく瀬織津比咩と香香背男は同一神では無いかと思えるのだ。それは前回紹介した、星神島の鹿賀瀬雄命(カカセオ)という女神が、聖なる泉を護る龍蛇神であった事と、瀬織津比咩の別称である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を結びつけた時に納得するのだ。
甕は、厳めしいでもあった。その事により、天津甕星も武甕槌も武神であるとされているが、
「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」の
「厳之御魂」に着目し、それを
「甕之御魂」に変えたとしても不自然さは無い。逆に言えば撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は
撞賢木甕之御魂天疎向津媛命でも良い事になる。
三浦茂久「月信仰と再生思想」によれば、様々な用例を踏まえ撞賢木厳之御魂天疎向津媛命とは
「月が空を西に去っていく事。」と解いている。月は、変若水の信仰などから水の精でもある。その水を汲み置く「甕」の文字を「厳」に置き換えて撞賢木甕之御魂天疎向津媛命とすれば、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命とは月の女神であり御気津神であるとわかる。伊勢神宮は
「伊勢神宮は月の宮?」で書いたように、恐らく月の宮であろう。その月の宮である伊勢神宮の荒祭宮に、
撞賢木"甕"之御魂天疎向津媛命が祀られるのは自然の事である。ならば甕を通じても、瀬織津比咩と香香背男が同神である可能性は高い。
ここで再び、伊勢神宮に戻ろう。荒祭宮には本来の神であるアラハバキ姫とも呼ばれる神が祀られており、現在は天照大神の荒御魂として瀬織津比咩が祀られてはいる。そして伊勢神宮の外宮にはその荒祭宮を支配していた度会氏が伊勢神宮そのものを支配して、豊受大神を前面に押し出し外宮を優位に付けた。
豊受大神は丹後国から来た御饌都神であると伊勢神宮の外宮に運ばれた由来を持つが、度会氏が御気津神という水神の最高位に昇華させた。その外宮は本来御饌都神の集まりの宮である為、多くの御饌都神がいるのだが、豊受大神は御饌都神では無く、御気津という水神にした理由は甕では無かったか。豊受大神の荒御魂を祀る多賀宮の祭神は瀬織津比咩の別称であった。その豊受大神は、常陸国の「我国間記」によればも元々は常陸国にいた女神であり、それが丹後国を経由して伊勢に祀られたとある。
中世神話は新たに作られた神話であり、神々の編纂が成された。極端な例として、宗像三女神が五女神となったのも中世神話である。その中で、豊受大神は止由気でもあり天御中主命と同体とされ、更に宇迦御魂命、大気都比売神、保食神などとも同じとされたのは、豊受大神自体の神格を誤魔化す為でもあったのだろう。
その常陸国に多くある月とも関係しそうな星宮神社の祭神を調べると、豊受大神は一社だけしかない。栃木県の星宮神社を調べても無い。それでは御饌都神として養蚕関係の神社を調べても、豊受大神の名前は無い。それでは「我国間記」に記されている豊受大神が常陸国出身の神であるというのは嘘なのだろうか?豊受大神は丹後国に天女としてどこからか飛来した事になっている。天女の羽衣と養蚕の結び付きは、全国に多く定着している物語ではあるが、豊受大神をそういう神としているのは丹後国だけである。素直に信じれば、豊受大神は丹後国出身であるとなるのだが、やはりどこからか飛来してきたのが豊受大神であるならば、本当の豊受大神の出身地がある筈である。(続く)